勇者と新たなる道
ベセナでの騒動から数日後、イルムハートは経緯を説明するためアウレルの冒険者ギルド総本部にカールを訪れていた。
簡単な経緯は魔力通信で伝えてあるもののやはりそれだけで足りるものでもない。そのため、こうして直接説明しにやって来たのだ。
執務室に揃った顔ぶれはカールとタチアナ、それにイルムハートの3人だった。
カール直属の情報担当官であるムジオは騒動以後の皇国の情勢分析で忙いらしく、今回は欠席のようだ。
当然のことながらさすがは冒険者ギルドの情報収集力と言うべきか、カール達もベセナの町で起きた”事実”については既にその詳細を把握してはいた。
ただ、勇者の失踪を含む裏の事情についてはイルムハートからの情報が頼りであるため、この説明会は待ちに待ったものだったのである。
「成る程、勇者は今”聖域”にいるのですか。」
イルムハートからあらかたの説明を受けた後、カールは多分の驚きを込めてそう呟いた。
”聖域”。それは獣人族大陸の中央に位置する神獣・鳳凰の神気によって護られた神聖な土地。
そこには意識不明状態であるカール達の祖先”始祖”の身体が安置されており、かつては”龍騎士”ナディア・ソシアスが神気を扱う訓練のため滞在した場所でもあった。
今、勇者ピーターがその”聖域”にいるのも理由はナディアと同じで神気を制御出来るようにするためである。
召喚魔法で呼び出した異世界人が勇者としての力を持っているかどうか”選別”している点を見れば、皇国にも神気を探知する何らかの方法があるのだと思われた。
とすれば、いくら呪詛魔法による束縛を解き皇国の元から逃げ出したとしても今のままではすぐに見つかってしまう可能性が高い。
何しろまだピーターは力の制御が不完全であり、僅かではあるが常に神気を垂れ流しているような状態なのだ。
そこで、神気を完全に制御出来るようになるまで”聖域”に隠れ訓練を積んでもらうことにしたのである。木を隠すなら森の中にと言うわけだ。
しかし、カールが驚きを感じたのはそのことについてではなかった。
確かに、勇者が呪詛魔法によって操られていたことも含め色々と予想外な話ではあったものの、イルムハートの対応自体は妥当であり感心こそすれ驚くほどのことでもない。
ただ、そこまでに至る過程がカールを、そしてタチアナを驚かせたのだ。
「それにしても、まさか勇者のために龍族が手を貸してくれるとは意外でしたね。
彼らにとって勇者は仲間を害した仇であるはずなのに。」
タチアナが不思議に思うのも無理はない。ピーターを”聖域”へと送り届ける際に手助けをしてくれたのは本来”敵”であるはずの龍族だったのである。
騒動後の話し合いで皇国から逐電するピーターとシモーヌを一時的に”聖域”へと匿うことはすぐに決まった。神気の件を考慮すればそれしかない。後はそれを獣人族に許諾してもらうことと、どうやって”聖域”まで移動するかだった。
尤も、許諾についてはカールに頼めば何とかなるだろうとイルムハートは思っていた。どうやらカールには獣人族への伝手がありそうなのだ。
だが、問題は移動手段である。それが一番の難問だった。
魔法で転移出来るならばそれが最善の方法ではあるのだが、生憎とイルムハートは獣人族大陸に行ったことが無い。なのでゲートを開くことは不可能なのである。
ではどうやって移動するか?
陸路は当然論外だ。時間が掛かり過ぎるため移動中に察知されてしまう危険があった。
かと言って船や飛空船については当然皇国も目を光らせているはずだし、しかも万が一見つかってしまった場合逃げ場が無い。その上、下手をすると関係無い乗客まで巻き込んでしまうことになるだろう。
イルムハートは悩んだ末、シュリドラに相談した。龍族なら獣人族大陸にも転移出来るだろうと考えたのだ。
シュリドラにとって勇者が仲間の仇であることくらい重々解かってはいたが、そこを曲げて何とか手を貸してくれないかと頼んだのである。
すると、シュリドラはイルムハートが驚くほどにあっさりとそれを受け入れた。
「承知しました。
尚、魔法での転移も可能ですが”聖域”の近くには”祠”がありますので、そちらを使ってもよろしいかと思います。
それと、獣人族との交渉も我等にお任せ下さい。我等の言葉なら獣人族も聞き入れるはずです。」
シュリドラの話によると、イルムハート達が思っていた以上に龍族と獣人族との関係は深いようだった。何でも、数年毎に貢物を持った獣人族が龍の島を訪れているらしい。
ちなみに、このことはカールも知らなかったようで話を聞いた後に
「キリエ……何でそんな大事なことを教えてくれなかったんだ。」
と、誰かの名を呼びつつ不満気な顔でそう呟く。
そんなカールの様子に苦笑気味な笑いを浮かべながら、イルムハートはこの数日の出来事を改めて思い返していた。
段取りが決まれば後はすぐさま実行するだけだった。
念のためイルムハート達はとりあえずベセナの町から少し離れた場所へと移動しそこで話し合いをしていたのだが、それでも何時皇国側に察知されるか分からない。早いこと身を隠すに越したことは無いのだ。
と言うことで、龍の島へと全員で転移する。
しかし、龍の島に足を踏み入れたは良いがイルムハートはまだ一抹の不安を抱いていた。龍族がピーターに対しどう反応するか分からないからだ。
確かに、シュリドラはイルムハートの申し出を受け入れてくれた。だが、他の龍族達はどうなのだろうか?
ピーターには仲間を殺されているのだ。それを無かったことにしろと言うのはあまりにも虫が良すぎるだろう。
自分から言い出したことではあるが果たしてこれが正解だったのかどうか、正直イルムハートには迷いがあったのだった。
だが、どうやらそれは杞憂だったようである。
勿論、仲間を死に追いやったピーターに対しては色々と思うところもあるだろう。闘いが終わったからと言って笑って手を取り合うというわけにもいかないはずだ。
しかしながら、龍族は誇り高き”戦士”の種族だった。強者に対しては相応の敬意を示す一族なのだ。
これが卑怯な手を使っての結果であればともかく、ピーターは正々堂々正面から立ち向かいその上で勝利したのである。それは、例え敵であれ称賛されるべきものであり、そのことに恨み言を言う者などいなかった。
まあ、イルムハートからすれば少々脳筋の思考のようにも思えたが、この弱肉強食の世界においてはそれもまた受け入れねばならない”摂理”なのかもしれない。
それに、ピーターは呪詛魔法によって闘いを強制されていたのだ。そんな彼に罪だけを問うのも酷と言うものだろう。
シュリドラからそれを聞かされた龍族達は、己の行為に対し深々と頭を下げ謝罪するピーターを赦し受け入れたのである。
ピーターと龍族との和解が済んだ後はいよいよ獣人族大陸へと向かうための話をすることとなった。
方法としては先ず獣人族側へ通告を行った後、龍族の祠にある転移装置を使い移動することを勧められた。
その方がいきなり転移してゆくより向こうとしても受け入れ易いだろうと言うことで、イルムハートもそれに賛同する。
ただ、そこで問題となるのは『誰が行くか』だ。
イルムハートとしてはピーターとシモーヌは当然として、後は獣人族との交渉役を引き受けてくれたシュリドラ、そして自分の4人を考えていた。
一応、シュリドラが付き添ってくれるとは言えイルムハート達にとって”聖域”は未知の場所である。万が一のことを考えた場合、人数は少ない方が対処し易いのだ。
なので、出来ればジェイク達には龍の島で留守番をしていてもらいたいところだが、果たして好奇心旺盛な彼等がそれを受け入れてくれるかどうか、そこが心配だった。
自分達も獣人族大陸に行ってみたい。そう駄々をこねられるのではないかと覚悟するイルムハートだったが、これが意外にもあっさりと受け入れられ何か酷く拍子抜けした感じを味わうことになる。
尤も、考えてみればジェイク達にとっては龍の島もまた彼等の好奇心を駆り立てる”未知”の土地なのだ。
そのため、後で必ず獣人族大陸にも連れて行くよう約束させられはしたが、取り敢えず今はこの島で十分と言った様子だった。
以前、怨竜のせいで島全体に吹き荒れていた魔力嵐も今はすっかりと収まっていて、防御魔法で身を護らなくとも自由に歩き回れる状態になっている。
そんな中、どこから見て回ろうかと盛り上がる3人の姿にほっと胸を撫で下ろすイルムハートなのだった。
その日は獣人族に対し来訪の旨を通告した後、龍の島で一夜を過ごすことにした。
出来るだけ早く”聖域”へと向かいたい気持ちはやまやまだが獣人族にとって龍族は崇拝の対象でもある尊い存在である。となれば彼等にもその迎え入れ準備のための時間は必要だろう。
それに、龍の島に居る限りピーターの存在を皇国に察知される心配はほとんど無いと言って良かった。別に焦る必要は無いのだ。
宿泊のため案内されたのは以前イルムハートが滞在した際に使われた建物。
かつて古代文明人が建てたと言われるその建物は長い歳月を経ながらも今だ綺麗な姿のまま残っておりジェイク達を驚かせる。
「これってずっと大昔に建てられたものなんだよな?
それなのに、まるで新しく出来たばかりみたいじゃねえか?」
「それはさすがに言い過ぎですけど、確かに造られてから数万年でしたか?そんなに経っているとはとても思えませんね。
龍族の人達がしっかり手入れをしているせいもあると思いますが、やはり基本的に資材や建築方法が違うのでしょう。」
「ちょっと、見てよ!
部屋の中もすごくキレイだわ。まるで貴族が泊まる上等な宿屋みたい!」
確かに、ライラの言う通り部屋の中も美しく整えられいつでもゲストを迎え入れられるような状態になっていた。
とは言え、さすがにこればかりは普段の状態と言う訳では無く、イルムハート達をもてなすために龍族が整えてくれたものだ。
そんな部屋の準備と共に龍族は食料も用意してくれていた。
ジェイクは残念がっていたが彼等を迎えての歓迎の宴席などは無い。基本的に龍族は食事をする必要が無いためそのような風習を持たないのだ。
尤も、例えそうでなくとも龍族と人族が同じ卓を囲んで食事をすると言うのは絵面的にもかなり無理のある話ではあるだろう。
そのため、イルムハート達はこれらの材料を自分達で調理し食することになる。
夕食作りは主にシモーヌが担当した。
イルムハート達も旅をする以上はある程度自分達で食事を作ることも出来るのだが、どちらかと言えば栄養補給が目的であって味や見てくれは二の次となってしまう。
その点、シモーヌはピーターの侍女を務めるだけのことはあり料理の腕も中々のもので、彼女が用意してくれた食事は皆の目と舌を十分に満足させてくれた。
ただ、食事中ジェイクが調子に乗って
「いやー、シモーヌさんの料理は最高だよ。
やっぱ、性格の良い女子ってのはメシを作るのも上手なんだな。
誰かさんとはエライ違いだぜ。」
などと口走りイルムハートとケビンをひやひやさせたものの、ピーター達の手前ライラも特に目立った反応は見せずその場は何事も無く穏やかに過ぎた。
しかし、このことでジェイクは後々当然のように地獄を見ることになるわけだが、イルムハートとしてもそうなるともう庇い様がない。正に自業自得と言うしかないのである。
食事の後はまったりとしながら皆で言葉を交わす時間となる。
ここまで今後の対応についての話題が優先だったので、やっとお互いについてゆっくり話が出来るわけだ。
「そうなんですか、イルムハートさんは転生者だったんですね。」
その事実にピーターはそれほど驚く訳でもなく、成る程と言った感じで頷いた。おそらくは元の世界でアニメなどから得た知識のせいなのだろう。”転生”という単語だけでおおよそのことは理解したようである。
ただ、どこかの誰かさん同様にその知識はどうも偏り気味の傾向にあった。
「と言うことは、やっぱりトラックに轢かれて死んでしまったんですか?」
「……そう言うわけではないんだけどね。」
以前、セシリアから『私がいた頃の異世界転生のトレンドは”トラック”と”過労死”だったんですよ』と聞かされたことを思い出し、イルムハートは思わず苦笑いを浮かべる。
どうやらピーターもセシリアと同じくアニメの知識と現実を混同してしまいがちなタイプのようである。
まあ、そもそも”異世界”自体が非現実的なものではあるのだが、少なくとも今後この世界で暮らしてゆくからにはここでの”常識”くらいは身に付ける必要があるだろう。的外れのことを口走り周囲からおかしな目で見られるのはあまり上手くないのだ。
その辺りのことはしっかりシモーヌに頼んでおこう、そうイルムハートは思った。
それから皆でお互いのことを話し親交を深めた後、話題はこれからのことになる。
「それで、君はこの先どうするつもりなんだい?
何かやりたいこととかあるのかな?」
そうイルムハートに問われたピーターは少しの間黙り込み、それからゆっくりと口を開いた。
「元の世界に戻るのは無理なんですよね?」
これにはイルムハートも一瞬返す言葉を失う。ピーターの心情が痛い程によく解かったからだ。
イルムハートの場合は転生することで新しい人生と家族を得た。だが、ピーターは違う。家族や友人と無理やり引き離され、ひとりこの世界に放り出されてしまったのだ。元の世界に帰りたいと願うのも当然のことだろう。
だが、現実は残酷である。
「多分、と言うかまず無理だろう。
これは僕が転生する際に神様から聞かされたんだけど、それぞれの世界にはそれを構成する”枠”のようなものがあってそれにより世界を隔てているらしいんだ。
そして、その”枠”の強さによってその世界に転移や転生をする難易度が違ってくるとも言っていた。
どうやら今いるこの世界はその”枠”がまだ未完成で魂や肉体の移動もそれほど難しくはないようでね。だから、僕や君みたいな人間がいるんだろう。
でも、元の世界は違う。あっちはその”枠”がもう完成されてしまっているんだ。だから、神様でも迂闊には手が出せない。
もし無理に君を戻そうとすれば、その時は向こうの世界に大きな被害が出てしまうんだよ。」
「……そうなんですか。」
イルムハートの話を聞いたピーターはそう言って静かに目を閉じた。
「何の役にも立てず、申し訳ない。」
それはイルムハートのせいではないものの、悲しげなピーターの表情を見て思わずそんな言葉が口をつく。
しかし、それに対しピーターは顔を上げしっかりとイルムハートを見つめた。その表情にはどこか一筋の希望のようなものすら感じられる。
「いえ、イルムハートさんが謝ることではありませんよ。多分そうなんだろうなと僕も覚悟はしていたんです。
でも、確かに元の世界に戻れないのは悲しいですが、だからと言って僕は絶望したりしません。」
そう言ってピーターはシモーヌに目をやる。
「だって、この世界には彼女がいるんですから。
例えどんな困難があろうと、シモーヌと一緒なら僕はこの世界でだって生きてゆけます。だから、大丈夫です。」
そして、少し顔を赤らめながらピーターはこう続けた。
「それに、実を言うと今更彼女のいない世界にひとり戻るつもりなんてないんですよ。
彼女こそが今の僕にとっての全てなんです。」
この台詞にはジェイク達も思わず「おー!」と声を上げた。熱い告白を受けシモーヌは首元まで真っ赤に染めながら顔を伏せる。
こんな元日本人のイルムハートには中々口に出来ないよう台詞をさらりと言ってのける辺り、さすがは”自由の国”生まれと言ったところだろうか。
「そうか、それなら僕もひと安心だ。
今後どうしたいか決まったら遠慮なく言ってくれよ。僕達も全力でサポートするから。」
「ありがとうございます。」
イルムハートとピーターがそんな会話をしていると、そこへライラが何か思いついたらしく割り込んで来る。
「いっそのこと、アナタも冒険者になってみない?
アナタほどの実力があればあっという間に上位冒険者にだってなれるわよ?」
確かに、それは名案と言えた。今のところ闘う事以外にこの世界で生きる術を持たないピーターにとって冒険者という職業はうってつけだろう。
「それに、シモーヌも魔法士として中々良い素質をもってると思うの。
魔力も高いし教養もありそうだし、そして何より素直だし。ちょっと勉強すれば良い魔法士になると思うわよ。
「そうなんですか?」
ライラにそう言われシモーヌは意外そうな顔をする。まさか自分にそんな可能性があるなどとは思ってもみなかったのだろう。
だが確かにライラの言う通り、シモーヌには良い魔法士になる資質があるとイルムハートもそう感じた。
「ええ、間違いないわ。アタシが保証するわよ。
そしたら、2人でパーティーを組んで世界を巡るって言うのも悪く無いんじゃないかしら?」
「冒険者になって2人で世界を巡る、か……。」
その言葉はピーターに新たな希望を与えた。
ここで生きてゆく覚悟を決めた以上はこの世界のことをもっと知りたいと感じたし、何より2人で自由に旅の出来るその幸せに心を踊らせる。
愛するシモーヌがいて、助けてくれる友人も出来た。
不幸だと思い続けていた自分の境遇も、こうしてみるとそう悪いものではないのかもしれない。
穏やかな気持ちに包まれ、ピーターはこの世界に来て初めて心からそう思ったのだった。