勇者と転生者 Ⅳ
イルムハートとピーターの闘いが始まると同時にジェイク達は通用口の扉を破り砦の内部へと突入した。
敵の注意をイルムハートが引き付けてくれているせいで通用口付近には警備兵の姿も無く、彼等は易々と侵入を果たす。
「あの建物です。」
それからジェイク達は砦内のいくつかある建物の中からシュリドラが示した場所へと壁伝いに移動するがそこにも兵士の姿は無い。
さすがに建物内部には数名の兵士が残ってはいたものの、どうやら主力のほとんどがイルムハートの対応へと向かった後の様でそこにいるのは下級兵ばかりだった。
それではこの3人を止められるわけもない。
ジェイク達は出会う兵士達を片っ端から行動不能にし、ついに目的の”お宝”へと辿り着いた。
「これが”龍王の冠”?
こんなただの灰色の球が?」
実際の”龍王の冠”を目にしたジェイクは思わずそんな声を上げてしまう。
それは人の頭ほどの大きさをした灰色の球で、とても魔力嵐を引き起こすようなとんでもない代物には見えなかったのだ。
「ジェイク君、それは少し失礼な物言いではないですか?」
仮にも龍の島を護る大事な魔道具である。”ただの球”呼ばわりはさすがに失礼だろうとケビンがたしなめた。
だが、そんなジェイクの言葉にもシュリドラは少し苦笑して見せただけだった。
「まあ、確かにこれだけを見ればそう感じるのも仕方ないでしょうな。
実を言いますと、これ自体が”龍王の冠”と言う訳では無いのですよ。
この球体は”龍王の冠”を動かすための言わば”鍵”のようなものなのです。」
シュリドラの話では”龍王の冠”そのものは島の地下深くに埋められていて制御装置のみが地上に姿を出しているのだそうだ。そして、その制御装置を操作し”龍王の冠”を動かすために必要な”鍵”がこの球体であるとのこと。
何でも、今でこそ灰色の単なる石の球にしか見えないが制御装置に組み込むと虹色の美しい光を放つらしい。
「はえー、それなら”龍族の秘宝”なんて呼ばれるのも解かる気がするな。」
その話にジェイクは合点がいった感じでうんうんと頷くと、再び”龍王の冠の鍵”に顔を近づけ今度はじっくりと観察する。
だが、今はそんなことしている場合でもない。
「お宝を眺めるのは後にしてくださいね。
今はここから抜け出すのが先ですよ。」
イルムハート達の闘いが激化すればこの建物もどうなるか分からない。下手をすれば崩壊してしまうかもしれないのだ。なので、早めに脱出しておくに越したことはなかった。
「それが賢明でしょうな。」
ケビンの言葉に頷きながらシュリドラはそう言って”龍王の冠の鍵”を手に取り収納魔法へと収めた。
それから彼等は来た道を戻り始める。新たに兵士が姿を現すことも無く順調に歩を進めた彼等は、ほどなくして無事砦の外へと抜け出すことが出来た。
「これで任務完了ってわけだ。
なんか思ったより簡単だったな。」
そこでひと息ついたジェイクは呑気にそんなことを口にした。そしてそれはお約束のごとくフラグを立ててしまうことになる。
次の瞬間、凄まじい程の”気”が彼等を襲ったのだ。
「な、なんだよ、これ?」
「まさか、イルムハート君ですか?」
息が詰まりそうになる程の激しい”気”を受けジェイクとケビンは思わず蒼褪める。
すると、砦の方を向きながらシュリドラはゆっくりと首を振った。それはケビンの言葉を否定するためか、それとも何かを悲観してのことだったのか。
「いえ、違います。これは勇者の”気”です。しかも、かなり不安定で危うい。
もしかすると勇者の神気が暴走し制御不能の状態になってしまったのかもしれません。」
このままでは町に大きなな被害が出ることにもなりかねない。そんなシュリドラの言葉にジェイク達は慄然とした。
この”気”の凄まじさからして、それが決して大袈裟な話ではないことを十分に理解したのである。
「マジかよ……。」
「それで、僕達はどうすれば良いのでしょうか?」
「こうなっては最早我等に出来ることなどありません。
今は一刻も早くこの場から離れるべきでしょう。」
シュリドラの言う通りだった。
町のことも心配ではあるがこのままここにいたところで何か出来るとも思えない。それどころか、勇者の暴走に巻き込まれ命を危険に晒しかねないのだ。
3人は無言で頷き合うと、足早にその場を離れようとした。
すると、そんな彼等に向かって走り寄って来る2つの人影が目に入る。ライラとシモーヌだ。
「何だ、アイツ?
途中で戻って来ちまったのか?」
それを見てジェイクは思わず首を傾げる。シモーヌが一緒にいると言うことは代官屋敷へ行かずここへ戻って来たことになるのだ。
「おい、なんでその子が一緒なんだ?
代官屋敷まで送ってくはずじゃなかったのか?」
息を切らしながら3人の下へと辿り着いたライラにジェイクがそう問い掛けたがその言葉はあっさりと無視された。
と言っても、別に悪気があってのことではない。そんな場合ではなかったのである。それは切羽詰まった彼女の表情を見れば良く解かった。
そしてライラは悲鳴にも似た声でシュリドラに向かいこう叫ぶ。
「お願い、シュリドラさん!
どうしてもイルムハートに伝えなきゃならないことがあるの!」
町を守るために勇者を倒す。イルムハートはそう決断した。
皇国の野望のため勝手にこの世界へと呼び出されてしまったピーターもある意味被害者であり、同情の余地は多分にある。
しかし、町を壊滅させ多数の犠牲者を出しかねないこの状況を見過ごす事など出来なかった。それだけは絶対に阻止しなければならない。例え、彼の命を奪うことになってもだ。
この罪は一生背負って行く。
その覚悟を決めイルムハートが手に持つ光の槍を今まさにピーターへ向け投げ付けようとしたその時、突然頭の中に声が響き渡る。
『イルムハート、勇者を殺しちゃダメ!』
それはライラの”声”だった。
何故ライラの声が?と一瞬戸惑うイルムハートだったが、すぐにそれがシュリドラによるものであることに気付く。龍族は己の思念波に他者の声を乗せ送り届けることが出来るのである。
これは実に不思議な能力でイルムハートも真似してみようと試みたものの、ついに習得することは叶わなかった。
おそらく人族は”声”、龍族は”思念波”と言った基本的なコミュニケーション手段の違いがその能力を習得するためのネックとなっているのではないかと思われる。
とまあ、そんなことは脇に置くとして、頭の中のライラの”声”は更にこう語り掛けて来た。
『勇者は呪詛魔法を掛けられ無理やり闘わされているだけなの!
だから、彼を助けてあげて!お願い!』
それを聞いたイルムハートは今までのことの全てが腑に落ちた気がした。
ピーターがこれほどまでに好戦的なのも、そしてこうも精神が不安定であることも、ライラの言葉で全部説明がつくのである。
彼が呪詛魔法により闘いを強制されているのだとしたら、そもそも話し合いなど成立するわけがない。
また、彼が示した怒りだって突発的に湧き上がってきたものではなく、この数か月の間己の意志に反した行動を強いられてきたことへの憤懣が今ここで吹き出しただけなのだ。
(迂闊だった……。)
イルムハートは自分の考えが足りなかったことを悔やんだ。
実を言えば勇者ほどの強大な力を持つ者が何故まるで戦争の道具のように扱かわれながらもそれに甘んじているのか不思議に思ってはいたのである。
その答えは呪詛魔法により縛られていたから。言われてみれば実に簡単なことであり、そこまでの考えに至らなかった自分が悔やまれて仕方ない。
とにかく、そうとなればこのままピーターの命を奪う訳にはいかなくなる。彼はこの世界の者達のエゴによる”犠牲者”であり、救われて然るべき存在なのだ。
だが、このまま何もしないと言うわけにもいかなかった。ピーターの攻撃を止めなければ町には多くの死傷者が出てしまう。
ならば、どうする?
自分の周囲だけなら何とか魔法で防御することは可能だ。しかし、町全体をカバーするのはさすがに今のイルムハートでは難しかった。
いっそ転移魔法で何処かへ飛ばしてしまうか?
いや、それも出来ない。これだけ膨大なエネルギーを無造作にゲートへと放り込んでしまえば、時空の歪みを引き起こしてしまう可能性だってあるのだ。
イルムハートは加速させた思考を更にフル回転させた。そして、何かを思いつきピーターへと向けて走り出す。
それは決して”名案”と呼べる代物ではないかもしれない。しかし、今出来ることはそれしかないだろう。
イルムハートは瞬時にして距離を詰めると、今まさに巨大な光の塊を撃ち出そうとするピーターの腰めがけて勢いよく突っ込んだ。
しかし、ピーターはタックルを受け後ろへと倒れ込みながらも攻撃を止めることなくついには光の塊を放ってしまう。
瞬間、凶暴な光の奔流がほとばしった。
その余波はピーターの周囲にも激しい嵐を巻き起こし、イルムハートを吹き飛ばす。
したたかに地面へと打ちつけられるイルムハートだったが、それでも彼は満足そうな笑みを浮かべていた。
何故なら彼は賭けに勝ったからだ。
イルムハートの突進により体勢を崩されてしまったことでピーターの撃ち出した光の塊は軌道を逸れ大空へと向かい飛んで行ったのである。
その光の奔流は雲をかき消し、遥か遠くの星にまで届くのではないかと思わせるほどに強く、そして長く尾を引きながら空へと消えて行った。
もし、あんなものが町へと撃ち込まれていたらどうなっていたことか。
それを考えると背筋の凍る思いだったが、何とかそれは回避することが出来た。
そのことに安堵したイルムハートは地面に大の字で横たわったままで大きく息を吐いたのだった。
ピーターの攻撃の余波で吹き飛ばされたイルムハートはゆっくりと身体を起こし異常の無いことを確かめながら立ち上がる。
被っていた仮面はどこぞへと吹き飛び、地面へと叩きつけられたことによる多少の打ち身も残っていたがこれくらいなら大したことは無い。
それからイルムハートはまだ濛々と立ち込める土煙の中にピーターの姿を探した。
どうやら彼も無事らしく、一気に神気を放出した反動で多少ふらついてはいたがなんとか立ち上がろうとしていた。
ただ、どうやらまだ暴走状態は解けていないようである。
最早、誰と闘っているのかすらはっきりと解かっていないような状態でありながら、それでも攻撃のためなけなしの神気を必死で集めようとしていた。
それを見たイルムハートは眉をひそめ大きくため息をつく。そして、ゆっくりとピーターに近寄ると彼の頬を思い切り引っ叩いた。
「いい加減目を覚ませ!
自分が何をしているか解かっているのか?
もう少しで町ごと吹き飛ばしてしまうところだったんだぞ?」
頬の痛みとイルムハートの言葉でピーターはようやく我に返った。そして、己の行為を思い出し蒼褪める。
町の人々を守る。
そうシモーヌと約束したにも拘わらず、実際にはそれと真逆のことをしてしまうところだったのだ。
深い後悔と罪悪感に苛まれるピーター。
だが、それをも上回る別の感情がピーターの口からこぼれ出る。
「アンタ……人間だったのか?」
それを聞いて今度はイルムハートがハッとする番だった。頭に血が昇ったせいでつい自分が”神龍の使い”であることを忘れていたのである。
イルムハートは肩を落とし諦めたような顔をする。今更、取り繕っても無理だと悟ったのだ。
「ああ、そうだ。僕は神龍の使いなんかじゃない、ただの人間だよ。
しかも、元は君と同じ地球人さ。」
その言葉にピーターは驚いて大きく目を見開いた。
「と言うことは、アンタも召還されてこの世界に来たのか?」
「いや、それとはちょっと違うんだけどね。」
ピーターはイルムハートのことを自分と同じ転移者だと思ったようだが、事情を知らなければそう考えもするだろう。
とは言え、今はそれを説明している場合では無い。先ずは確かめておかなければならないことがあるのだ。
「それについては後々説明するとして……ひとつ確認したいんだが、君は呪詛魔法を掛けられているんだね?」
イルムハートの質問にピーターは俯き黙り込む。
別に隠そうとしたわけではない。ただ、自身の犯した罪に対し言い訳をするようで気が引けたのだ。
だが、それも今更だと観念した。
「そうだ。
でも、だからと言って僕のしたことが許されるわけではないことは解っている。」
龍の島へ攻め込んだこと、そしてこのベセナの町を壊滅させかけてしまったこと。それらはピーターの心に大きな負い目となってのしかかっていたのである。
その様子を見てイルムハートはほっとした。ピーターが救うに値する人物だと分かったからだ。
「そう自分を責めない事だ。もう十分苦しんで来たんだろ?
なるほど君は多くの人を傷つけたかもしれないが、だからと言って誰も君を咎めることなど出来ないさ。
悪いのは君じゃない。悪いのは君にそんなことをさせた連中なんだ。」
それを聞いて少し救われたような表情を浮かべるピーター。
とそこで、イルムハートはひとつ疑問に思ったことを口にする。
「でも、呪詛魔法を掛けられていると分かっていたなら、何故それを解除しなかったんだい?
確かに他者によって掛けられた呪詛を解除するのは簡単じゃないけど、君ほどの力を持ってすればそれも決して難しいことではないと思うんんだけど?」
すると、ピーターは溜息混じりに小さく首を振った。
「勿論、そうしようとしたさ。でも、駄目だったんだ。
解除したくても魔法が習得出来なかったんだよ。いくら覚えようとしても頭がそれを拒否してしまうんだ。」
成る程、そう言う事かとイルムハートは納得した。つまり、皇国は呪詛魔法が解除されないようしっかり手を打っていたわけだ。
随分と手の込んだことをするものだと舌を巻くイルムハートだったが、それでも不思議に思うことがあった。
神気には”浄化”の効果があり、大体の状態異常は治すことが出来る。なので、魔法を覚えなくとも時間と本人の強い意志さえあれあば呪詛を解除することも可能なはずなのだ。
ピーターの神気制御が不完全だったためその力が上手く働かなかったのだろうか?
その辺りの真実は判らないが、とりあえず今はピーターの呪詛を何とかするのが先である。
イルムハートはゆっくりと掌をピーターに向けた。
それを見て一瞬びくりとするピーターだったが、そんな彼にイルムハートは優しい声で語りかける。
「大丈夫、心配しなくても君を傷つけたりするつもりはない。
ただ、少しばかり気分が悪くなるかもしれないけど、そこは我慢してくれ。」
それからイルムハートは自身の神気をピーターへと注ぎ込んだ。それはピーターのそれと混じり合い、彼の精神の内側へと浸透してゆく。
残念ながら今のイルムハートでは天狼のように相手の精神世界にまで入り込むことは出来ない。だが、魂の在り様を探り出すことは可能だった。
イルムハートはゆっくりと慎重にピーターの精神の内側を探ってゆく。
すると、その中にひときわ輝く何かが視えた。ピーターの”魂”である。
だが、確かにそれは光り輝いてこそいるものの、神気を持つ者の魂としては光り方が少々鈍かった。その原因は彼の魂に鎖のごとく巻き付いている黒い”闇”。
(……これが”呪詛”なのか?)
それは普通の呪詛魔法とはどこか違う様にも感じられた。上手くは言えないが普通とは異なる何か強力な力を感じたのだ。
(もしかすると、召喚魔法と同様にこれも古代文明人が創り出したものなのかもしれないな。)
通常の呪詛魔法よりも遥かに強力な術法。これでは神気による自然治癒が働かなかったとしても無理ないのかもしれない。
イルムハートはそのピーターの魂に巻き付いている”闇”に対し神気を浴びせ解除を試みる。
彼の持つ魔法知識を取り込んだ神気とその浄化の力は徐々にではあるが確実に”闇”を分解して行き、やがてその全てを消し去った。
まとわりついていた”闇”が消えピーターの魂は本来の輝きを取り戻す。
「これは……まさか?」
それを自覚したのだろう、ピーターは驚きと喜びの混じった表情でイルムハートを見つめた。その目には薄っすらと涙さえ浮かんでいる。
そんなピーターに対しイルムハートは優しく微笑みながらこう語り掛けた。
「ああ、呪詛は完全に消えて無くなったよ。
今後、二度と自分の意志に反した行動を強制されることはない。
君はもう”自由”なんだ。」
魔力通信による龍族来襲の第一報が皇都レーメスに届いたのはピーターがその報告を受けたのとほぼ同じ頃だった。
それを受けカイラス皇国政府は関係各所へと連絡を取り緊急会議を招集する。
さすがに政府上層部ともなれば龍の島襲撃によって起こり得るであろう問題を正しく把握しており、緊急時の対応にも抜かりはない。
とは言え、それでもどこか楽観的な気持ちを持っていたのも確かだった。
何故なら彼等には勇者がいるから。
勇者の力を持ってすれば龍族など返り討ちに出来るはずだと心のどこかに慢心があった。
しかも、責めて来た龍族はたった1体とのこと。これでは闘いにもなるまい。誰もがそう思ったとしても仕方ないことだろう。
だが、それ以降の報告が途絶えてしまい次第に会議の参加者には焦りの色が浮かび始めた。重苦しい空気が会議室に立ち込める中、やがて彼等は最悪の報告を受け取ることになる。
先ず最初に飛び込ん出来たのはベセナ砦の壊滅と”龍王の冠”喪失の報告。これはつまり皇国軍が、ひいては勇者が負けたと言うことに他ならなかった。
絶対的な信頼を寄せていた勇者の敗北は参加者に大きな衝撃を与える。
しかし、本当の”凶報”はまだ他にあった。
それは彼等に失意と絶望と怒りと驚愕をこれでもかとばかりに与えることとなった。
何と、勇者がお付きの侍女と共に姿をくらましてしまったのである。




