勇者と転生者 Ⅲ
『異世界の勇者よ。お前は何故闘う?』
イルムハートはピーターに問い掛ける。
『国のためか?それとも何者かのためか?
仮にそうだとして、それは他者を害してまで成さねばならぬことなのか?
お前はこの世界へと来てまだ間も無いはず。にも拘らずそうまでして闘う理由がお前にあるとは思えんのだがな。』
例え数か月であろうとこの世界で過ごす間に守りたいものが出来たとしてもそれ自体は不思議ではないし、そのために闘うことを責めるつもりもない。
だが、相手の権利を無視して一方的に仕掛けると言うのであれば話は別だ。それはただの暴力であり、自身が戦争の道具になり下がることを意味する。
もしピーターが元々この世界の住人で、国や家族や親族とのしがらみにより身動きの取れない状態にあるのならばそれも解からないではない。
そう言ったケースはままあることで、行いそのものを肯定出来るわけではないが無下に否定することも難しいだろう。
しかし、異世界から来たピーターにはそんなものはないはずだった。
但し、イルムハートの知る範囲においては、である。
実のところピーターだって闘いたくて闘っているわけではない。呪詛魔法により縛られ、嫌々言うことを聞かされているだけなのだ。
なので、当然ピーターとしてはイルムハートの言葉に反発を感じる。
何も知らないくせに勝手なこと言いやがって。そんな思いが今まで積もりに積もった憤懣と共に堪えようのない怒りとなって湧き上がって来る。
「だから何だ!
僕が何のために闘おうがお前には関係ないだろ!
”神龍の使い”だか何だか知らないが偉そうなことを言うな!」
それはピーターの心が発した悲痛な叫びであったのかもしれないが、残念ながら事情を知らないイルムハートにはだたの逆切れにしか見えなかった。
そのせいでイルムハートの言葉もやや厳しめになってしまう。
『確かに、お前が何のために闘おうが我の知ったところではない。
だが、お前のその力はこの世界において危険過ぎるのだ。
この世の理を超えたその力は世界の均衡を狂わす。現に、今回の件もお前のその力があればこそ引き起こされたと言っても良かろう。
なのに、お前にはその自覚が無さ過ぎる。
それは、この世界を不幸にしかしない。』
「そんなこと僕の知ったことか!
そもそも、この力を求めて勝手に僕を呼び出したのはこの世界の人間じゃないか!
文句があるならそいつ等に言えばいいだろ!」
ピーターの溢れ出て来る怒りはもう止まらない。
イルムハートの言っていることも解からないわけではなかったが、しかしそれはピーターのせいではないのだ。
自分ではどうしようもないと言う苛立ちと一方的なイルムハートの言葉がピーターの感情を更にヒートアップさせてゆく。
「それに、そんな大そうな口をきいていながらお前は一体何をした?
そこまで言うならお前があいつ等を止めれば良かっただろ?
僕をこの世界に呼び出そうとする連中の企みを阻止すればそれで何の問題も無かったはずなんじゃないのか?
でも、お前は何もしなかった。何もしてくれなかったじゃないか!
それでいて後から文句だけつけるなんてどんだけ傲慢なんだよ!
一体、何様のつもりだ?」
ピーターの表情は徐々に闇を帯び始める。元の世界に戻ることが出来ないと知って不安と絶望にさいなまれたあの瞬間がフラッシュバックし、やり場の無い怒りはいつしか憎悪へと変わっていった。
「大体、なんで僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ?
勝手に呼び出されて家にも帰れず、挙句の果てにはこの世界の邪魔者扱いかよ?
冗談じゃない!
世界の均衡を狂わすからどうだって言うんだ?
それを望んだのはこの世界の連中だろうが?
だったらお望み通り滅茶苦茶にしてやるよ!いっそ、世界を滅ぼす”魔王”にでもなってやるさ!」
悲鳴にも似た声でそう叫ぶピーターの身体からは今までにも増して凄まじい神気が放出され始める。どう見てもそれは今のピーターに制御できる限界を超えるほどのものだった。
そう、溢れ出る怒りと憎悪によりピーターの理性は崩壊し、ついに暴走状態へと陥ってしまったのである。
ライラとシモーヌは速足で町外れ近くにある代官屋敷へと向かっていた。
最初は町役場へ送り届けようかとも思ったのだが、シモーヌから漂う気品にきっと良家の子女に違いないと考えたライラは味気ない役所よりも屋敷の方を選んだのである。
今日のために冒険者ギルドから提供されたこの町の地図はおおよそ頭に入れてあるので道に迷うことは無い。
ただ町中は予想を超えて混乱しており、そこここで略奪や暴行が行われている様子だ。そのため、2人はどうしても迂回しながら進むしかなかった。
「それにしても随分と治安の悪い町ね、ここは。
町中、犯罪者だらけじゃない。」
途中、一休みしながらライラはついそんな愚痴をこぼしてしまう。
龍族の来襲でパニックを起こしてしまうのも仕方ないとは言え、それにしても酷過ぎた。まるで無法者が闊歩する町のようである。
今は混乱状態にあるとしてもやがて事態は必ず落ち着く。その時、改めて罪を問われることになるはずだが、あの連中はそこまでの考えが回らないのだろうかとライラは呆れながらそう思った。
すると、それを聞いたシモーヌが不思議そうに問い返して来た。
「セシリアさんはこの町の方ではないのですか?」
「え、ええ、そうね。
私はブラースラでハンターをやってるんだけど、ちょっと用事があってこの町に来ただけなの。」
何かあった場合は皇国の影響下にあるブラースラ公国出身だと名乗ることにしてあった。ブラースラは訪れたこともあるので何か聞かれてもボロが出にくいだろうと言う判断である。
「そうなんですか、それではご存じないのも当然ですね。
多分、あの人達はこの町の方々ではないのだと思います。」
シモーヌの話によれば最近このベセナの町には多くの傭兵達が集まって来ているとのこと。おそらく間近に迫る戦争の臭いを嗅ぎ付けてやって来たのだろう。
彼等の全てがそうだとは言わないがその多くは粗暴で気性も荒く、そして何より自分の欲望のままに行動する。
まあ、いつ戦場で命を落とすか分からないのだから今を楽しもうと言う気持ちは理解出来ないでもない。ただ、周りの人間からしてみればいい迷惑である。
そのせいで近頃ベセナの町では暴力沙汰が多発するようになり、シモーヌも砦の外に出る際は十分気を付けるよう忠告されていたらしい。
「なるほどね、それじゃあこんな風にもなるわよね。」
それを聞いたライラは忌々しそうに顔をしかめた。
傭兵のほとんどは特定の居場所を持たず己の働き場所、つまり戦場を求めて世界を渡り歩く言わば流れ者でしかないのだ。
なので、旅の恥は掻き捨てではないが何か不都合があればその町を去るだけで済む。つまり、トラブルを起こしてもそのままとんずらしてしまえば良いわけだ。
そんな連中にとって今のこの混乱は己の欲を満たす絶好の機会なのだろう。それは無法状態にもなるはずである。
(まいったわね……。)
前途の多難さにライラはほとほと困り果てた。
例え相手が闘いを生業とする連中であってもライラひとりならなんとかなるだろう。だが、今はシモーヌがいる。彼女を護りながら闘うのは少々難しいかもしれないのだ。
こんなことなら砦に残っていた方が良かったのではないか?
そうも考えるライラだったが、そこでふと最初に出会った時から感じていた違和感を思い出した。
「そう言えば、シモーヌはなんであんなところにいたの?
あそこはアナタみたいな人がいる場所ではないと思うんだけど。」
小間使いにしては上品過ぎるし、ましてやどう見ても軍人とは思えない。なのに、なぜ軍の砦などにいたのか?
それは単なる好奇心から出た何気ない質問のつもりだったものの、ライラの予想に反しシモーヌは急に黙り込んでしまった。
「別に言いたくなければ無理に答えなくても良いのよ?」
「いえ、そう言う訳ではないのですが……。」
シモーヌは迷っているかのように言い淀む。
実を言うとシモーヌが勇者の侍女をしていることはあまり部外者に話さないようにとピーターから言われていたのだ。勇者の存在を快く思わない者もいるだろうし、ピーターに取り入るため彼女を利用しようとする輩だっていないとも限らない。
そんな連中から狙われないよう出来るだけ身分は隠した方が良いと言うのがピーターの判断だった。
だが、目の前のセシリアと言う女性はそんなことを企む人間ではなさそうだとシモーヌは判断する。何せ自分の用事を後回しにしてでもシモーヌの護衛を買って出てくれたるような人物なのだから。
「実は私、勇者様の侍女を務めているのです。」
「勇者の?」
これは全くの予想外の言葉だった。そのせいでライラは不覚にも正直な感情を表に出してしまう。思わず顔をしかめてしまったのだ。
何せ今のところ勇者はライラ達にとって”敵”となる可能性が高い相手である。いきなりその名を聞かされてはそんな反応にもなると言うものだろう。
すると、それを見たシモーヌは悲しそうな表情を浮かべる。
「セシリアさんも勇者様のことをあまり良くは思っていらっしゃらないのでしょうか?」
勇者の力は戦乱を招くだけだ。そう危惧する声があるのも確かで、そのことにはシモーヌも心を痛めていたのである。
「べ、別にそんなことはないわよ。」
そんなシモーヌの姿にライラは激しい罪悪感に駆られた。その表情からしてシモーヌが勇者のことをどう思っているか良く解かったからだ。
誰だって自分が好意を抱く相手に対し露骨に嫌な顔をされたのでは悲しくもなるだろう。
「勇者に関しては最近認定されたってことくらいしか知らないし、どんな人なのかも分からないんだもの。嫌う理由なんかないでしょ?
でも、”人族の守護者”だって言うんだったら無駄に争いを起こすような真似はしないほうが良いんじゃないかなあとも思うけど……。」
そもそも、この騒動を招いたのも勇者が龍の島に攻め込んだことが原因なのだ。シモーヌの気持ちは解かっていても、ついそのことが口をついてしまう。
言ってから「しまった!」と後悔するライラだったが、何故かシモーヌには気分を害したような様子は無い。
相変わらず悲し気な表情を浮かべたままではあるが、それはライラの言葉にと言うより別の何かに対して思いを巡らせているようにも見えた。
そして、シモーヌは意外なことを口にする。
「……そうですね、それについては勇者様も心を痛めておいでです。」
それから、何かを思いついたかのようにハッと顔を上げライラを見つめた。
「ハンターでいらっしゃるということは、もしかするとセシリアさんは魔法が使えるのですか?」
「まあ、私もいちおうは魔法士のはしくれだから……。」
すると、それを聞いたシモーヌはいきなりライラの手を取り、すがるような目をしてこう言った。
「でしたらどうか私の願いを聞いて頂けませんでしょうか?
是非セシリアさんのお力をお貸し頂きたいのです!お願いいたします!」
(これは……しくじったかな。)
ピーターの身体から溢れ出る膨大な神気を感じながら、イルムハートは思わずほぞを噛む。
説得は明らかに失敗のようである。しかも、それどころかどうやら最悪な状況を招いてしまったようなのだ。
力の暴走。
最初にピーターの神気を察知した際、その制御の不完全さから暴走の可能性もあると危惧してはいたのだが残念ながらそれが現実となってしまったわけだ。
イルムハートは己の失敗を悔やんだが、しかしどこで間違えたのかが解らない。
確かに少しばかり厳しい言い方はしたが、必ずしも間違ったことは言っていないはずだった。
勿論、多少の反発は予想してもいた。
誰だって自分を責める言葉には反感を覚えるものである。例えそれが言い返すことの出来ないほどに正論であってもだ。
だが、そこから互いの言い分をぶつけ解かり合ってゆくのが人と言うものではないのか?
それは単なる理想論のように聞こえるかもしれないが、少なくとも己を理解してもらいたいと言う欲求があるならば自然とそうなるはずなのだ。
だが、現状はどうだ?
ピーターの口から出て来る言葉は到底”主張”などと言えたものではかった。それは、相手の言葉に聞く耳を持たずただ己の感情をぶちまけているに過ぎない。
これではまるで癇癪を起した子供の様ではないか。
ピーターがイルムハートの予想よりずっと若かったのは確かだった。実のところもう少し大人なのだろうと勝手に思い込んでいたのである。
とは言え、見たところイルムハートと同じくらいの歳ではありそうだ。
いくら向こうの世界とこちらとでは成人となる年齢が違うとはいえ、それでも既に”子供”と呼べるような歳ではない。なのに、ここまで感情のコントロールが出来ない相手だとは正直予想外だった。
それはあくまでもピーターの中で積もりに積もって来た憤懣がついに爆発しただけでしかないのだが、残念ながらイルムハートにはそれが分からない。
なので
(こんな精神の不安定な人間に大きな力を持たせるのは危険過ぎる。)
と言う結論になってしまう。
実際、暴走状態となったピーターの行いはそう思われても仕方いものではあった。
身体から溢れ出る神気は光の弾丸となり辺りに降り注ぐ。
その攻撃は敵味方お構いなしに向けられることとなり、周囲の建物を崩壊させ味方であるはずの兵士達にすら被害を与え始めた。
そんな状況にイルムハートの危機感は増す。
魔力を探知したところ、ジェイク達”龍王の冠”奪還部隊については既に任務を果たしたらしく砦から脱出しているようなのでそこは心配無い。
だが、このままでは砦内の兵士達に犠牲者が増えるばかりである。
(何とかして彼を止めなければ。)
しかし、ここでイルムハートまでもが本気で力を使えば状況は更に悪化するだけだった。2つの強大な力がぶつかり合った結果、その余波で砦内は地獄と化すだろう。
そこでイルムハートは周囲への影響を最小限に抑えるため遠距離攻撃ではなく肉弾戦を選ぶ。
雨あられと降り注ぐ光の弾丸ではあったが、思考を加速させその軌道を読み切るイルムハートにとってはさほどの障害でもない。時には剣で捌き、時には回避しながら確実にそして素早くピーターへと迫る。
一気に距離を詰められたピーターは慌てて剣を構えようとしたが既に遅く、横っ腹にイルムハートの剣の柄を叩き込まれてしまった。
脇腹を押さえながら苦悶の表情を浮かべるピーター。しかし、それで倒れることはなく反撃のため再び神気を集中し始める。
(はやり、この程度では無理か……。)
ピーターを止めるのに失敗したイルムハートは一旦距離を取りながら、厳しい選択を強いられてしまったことに顔をしかめた。
加減した攻撃では今のピーターに効きはしない。本気で力を出さなければ今のこの惨状を止めることは出来ないのだ。
それはつまり、命を奪うことも辞さないということ。
そんな可能性もあると覚悟してはいたものの、それでもイルムハートにはまだ迷いがあった。無理矢理この世界に連れて来られたピーターの境遇を考えると、どうしても冷酷にはなり切れない自分がいた。
しかし、そんなイルムハートに嫌でも決断しなければならない時がやって来る。
イルムハートに翻弄され業を煮やしたピーターは最後にして最大の攻撃をすべく己の全ての神気を一点に集中させ始めたのだ。
それはこの砦だけでなく、ベセナの町をも容易に壊滅させるだけの凄まじく強大な力だった。
(馬鹿な!あんなものをぶっ放すつもりか?)
例えピーターがこの攻撃を放って来てもイルムハートなら回避することが出来るし、万が一直撃を食らったとしても耐えきることは可能だろう。
だが、運の悪い事に今イルムハートはベセナの町並みを背にして立っていたのだ。そのため、このままではどうあっても町に甚大な被害が出てしまうのは確実だった。
それだけは絶対に避けなければならない。
イルムハートは心を決めると、己の神気を掌に集中させ光の槍を創り出す。
それは災獣・怨竜すら圧倒した程の威力を持つ”槍”だった。おそらく、今の不安定な状態のピーターでは防ぐことなど出来ないだろう。
(……ごめんよ、これも仕方ないことなんだ。)
そして、そんな風に心の中で詫びながらイルムハートはピーターの胸へと光の槍の狙いを定めた。
 




