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勇者と侍女

 ピーター・マクグリン。

 それがこの世界で”勇者”と呼ばれている者の名だった。

 歳は17。元は”自由の国”と称される国の生まれで3年制ハイスクールの2年生。

 特段裕福ではないが決して貧しくも無い所謂中間層と言われる家庭で育ち、可も不可も無い毎日を友人達と”幸せに”送る普通の高校生だった。

 それがある日、何の因果かこの異世界へと召喚されてしまったのである。

 最初は驚きと恐怖が、そしてやがてそれは興奮となり彼を包んだ。

 平凡な日々に対し無意識の内に不満を感じていた彼にとってアニメやコミックで見たことのある”異世界”はこの上なく刺激的だった。

 どういうわけか見知らぬはずのこの世界の言葉も不自由なく話せるし、周りの人間も彼を実に丁寧に扱ってくれる。しかも、”魔法”まであるのだ!

 そんな彼は自分が伝説の”勇者”としてこの世界に呼び出されたのだと知って歓喜する。

 これもまた理由は不明だが、おそらくは召喚の儀式により与えられたのだと思われる特異な能力も彼を満足させた。

 何しろ剣など握ったこともないし、ましてや魔法など見た事すらないにも拘わらずそれが簡単に使えてしまうのだ。

 学校の部活では一軍にすら上がれなかった彼にとってこれは驚くべきことであり、そして自尊心を満たすのに十分なことだった。

 そんな感じで最初こそ有頂天になっていた彼だったが、やがて現実に目を覚まさすこととなる。この先どうなるのか?と言う当然の疑問が彼を襲ったのだ。

 初めの内はいずれ元の世界にも戻れるだろうと楽観視していたものの、次第にどうやらそれは不可能らしいと気付く。

 どう言うことだ!

 その事を知った彼が深い絶望と耐えがたい怒りを感じたとしても無理ないことである。

 本人の意思に関係無く無理やりこんな異世界に呼び出され、しかも二度と戻ることが出来ないなどそんなことが許されて良いわけがない。

 当然の様に彼は自分を呼び出した連中にその怒りの矛先を向けた。いや、向けようとした。

 だが、駄目だった。出来なかったのだ。

 心の奥底ではやり場のない怒りが汚泥の様にどんどんと積み重なってゆくと言うのに、それをぶつけようとすると理性(?)がストップを掛けてしまう。

 それどころか「彼等の言うことを聞かなければいけない」、「彼等のために闘わなければならない」と言った心とは真逆の意識が彼を支配してしまうのである。

 自分は一体どうしてしまったのか?何故、心のままに行動することが出来ないのか?

 極度のストレスで精神を疲弊させてしまった彼は、ある日とうとう己の苦悩をお付きの侍女に打ち明けた。

 彼の周りにいるのは皆信用ならない連中ばかりではあったが、唯一彼女だけには心を許していたのだ。

 すると、その話を聞いた彼女は拙い知識ではあるがと前置きしながらこう答えた。

「おそらくそれは”呪詛”のせいではないでしょうか?」


 侍女の名はシモーヌ・デュメリ。

 ピーターがこの世界に召喚されてすぐ彼付きの侍女として引き合わされた。

 その可憐な美少女は今年で16歳、この世界においてはやっと成人となった年齢とのこと。

 彼女は四六時中ピーターに付き従い、身の回りの世話を含め何でもしてくれた。勿論、夜の”務め”もだ。

 思春期の健康的な男児であるピーターは当然のごとく従順で大人しいその美少女に溺れた。片時も側から放さず、常に己の側にいるよう求めた。

 だが、そんな甘い夢のような日々もやがて終わる。ピーターが己の置かれている”現実”に気付いたのだ。

 彼女は自分を篭絡させるためにあてがわれた、いわば”道具”なのではないか?

 彼女が向けてくれる好意も実はそのための演技でしかなく、自分が勝手に舞い上がっているだけなのでは?

 そんな負の感情に囚われたピーターは徐々に彼女に対し冷たい態度を取るようになり、ついには怒りに任せ己の感情をぶちまけた。

「はい、勇者様のおっしゃる通りです。

 私は貴方様を満足させるためだけにあてがわれた女なのです。」

 すると、驚いたことに彼女はあっさりとそれを認めたのだ。

 それを聞いたピーターは裏切られた悔しさに思わず彼女を殴りかける。だが、彼女の目に浮かぶ涙を見てその拳を止めた。

 何故、彼女は泣いている?

 正体を暴かれてしまったことがそれほど悔しいのか?

 その涙はピーターを当惑させる。と同時に、彼の血の昇った頭を冷やさせた。

 そして自分に問い掛ける。果たして彼女はそれほどに性悪な女なのか?と。

 いや、違う。彼女は決してそんな女じゃない。例えその出会いは連中によって意図されたものではあっても、自分に向けた彼女の笑顔に偽りは無いはずだ。

 ピーターはそう思った。いや、そうであることを願ったと言うべきだろう。

 異世界に無理やり召喚され戻ることも叶わぬピーターにとって今や彼女だけが心の支えとなっていたのである。

 それからピーターは彼女に詳しい話を聞いた。

 そして彼女は幼い頃に娼館に身売りされそこで育てられたのだと知る。

 これにはピーターも衝撃を受けた。

 彼女は常に上品な物腰で教養も深く、てっきりどこぞの良家の子女かと思っていたのだ。しかも、彼女にとってピーターは”初めて”の相手だった。なので、まさかそんな身の上だとは思ってもみなかったのである。

 話によれば何でも貴族や大商人を相手にすべく幼い頃からそのための教育を受けて来たらしい。

 おそらくはその美貌に目を付けた娼館の主はいずれ彼女を店の看板遊女とすべく育て上げて来たに違いなかった。そのため、今まで客を取らされることも無く無垢のまま成人を迎えられたのだろう。

 そして、いよいよ成人となり遊女としてのお披露目を控えていた時、突然国から声が掛かり身請けされたとのこと。そして勇者の侍女となるよう因果を含められたのである。

 その際、彼女は覚悟を決めた。自分は勇者に”良い思い”をさせるための単なる道具でしかなく、そのためには己を殺して生きてゆくしかないのだと。

 幼い頃から見て来た娼館の客達の行いを思い出し、彼女はそう己に言い聞かせ全てを諦めた。

 だが、彼女が仕えた勇者はそれとは違っていた。道具でしかないはずの彼女にも常に優しく接してくれたのである。

 何せピーターはまがりなりにも自由で平等な国に育った人間だ。そこまで隷属的な主従関係には慣れていなかったし、そもそも価値観がそれを受け入れない。

 なので、彼女に対しては普通に同世代の、しかも魅力的な女性として好意を持ち接したのである。

 それはピーターにとってはごく当たり前のことではあったが、彼女にとっては思ってもいないものだった。自分を人として扱ってくれるピーターに好意を抱くようになり、それが次第に淡い想いへと変わっていったのもごく自然なことだったのかもしれない。

 告白の際に見せた彼女の涙はその感情が溢れ出たものだったのである。

「私は勇者様のことを心からお慕い申し上げております。そのことに嘘偽りはございません。

 ですが、お国に命じられ貴方様のことを監視していたのも確かなのです。」

 だから自分はピーターを裏切ったも同然であり、気の済むように断罪してほしいと彼女はそう言った。

 勿論、ピーターにそんなことが出来るわけもない。彼女の目に浮かぶ涙を見た瞬間から既に責める気など失っていたのだ。

(ちょろい奴だと嗤うなら嗤え。それでも僕はもう彼女無しには生きていけないんだ。)

 それがピーターの正直な思いなのだった。

「もういい。もういいんだよ、シモーヌ。」

 ピーターはそう言いながら優しく彼女を抱きしめた。他に言葉は出て来なかったし、その必要も無い。それだけでピーターの想いは彼女に伝わった。

 この日から2人は主従ではなくもっと固い絆で結ばれた関係となったのである。


 そんなことがあって以来、ピーターは何でもシモーヌに話すようになった。

 今までは協力控えていた皇国への不満や己の境遇に対する不安など、その全てをだ。

 そんな中で出て来たのが件の”呪詛”と言う言葉だった。

「呪詛?何だい、それは?」

「はい、魔法には呪詛魔法と言うものがあって、その魔法を掛けられた者は心を操られてしまうのだそうです。」

「そんなものがあるのか……。」

 そんな魔法があること自体初めて聞いたピーターだったが、おそらくそれに間違いないだろうと判断する。そう考えれば全て説明がつくのだ。

「それで、その呪詛魔法ってやつはどうすれば解くことが出来るのか知ってるかい?」

 一筋の光明を見い出した思いでピーターはそう問い掛けたが、それに対しシモーヌはすまなそうな表情を浮かべながら答える。

「残念ながら私には解りかねます。

 魔法については学んだことがありませんのであくまでも聞きかじりの知識でしかないのです。申し訳ありません。」

「いや、謝る必要は無いよ。」

 まあ、遊女に魔法など不要だろうし、それに万が一魔法を使い反抗されても困るだろうから敢えて教えなかったのかもしれない。

 なのでシモーヌが頭を下げる筋合いの話ではないだろう。

 むしろ、現状を打開するためのヒントを与えてくれたのだ。ピーターはそのことに感謝した。

「そんな魔法があると分かっただけで十分だよ。ありがとう。

 後は自分でなんとかするさ。」

 今の自分の技能があれば呪詛魔法など簡単に習得できるだろう。そうすれば解除することも可能なはずだ。

 ピーターはそう考えた。だが、それは少しばかり連中を甘く見過ぎた考えだった。

 その後、ピーターは秘密裏に呪詛魔法を学ぼうとしたのだがそれはことごとく失敗に終わる。

 別に彼の能力が不足していたわけではない。彼自身予測した通り、今のピーターなら簡単に習得できるはずだった。

 但し、学ぼうとする”意志”が伴えばだ。

 何故だろう?

 習得したいと言う意欲は十二分にあるのだが、いざその知識に触れようとすると脳が拒否してしまうのだ。必死で本を読もうとしても頭痛と眩暈が彼を襲い、そこから先に進めないのである。

 試しにシモーヌに読んでもらいもしたが結果は同じだった。

(これも呪詛のせいか。)

 おそらく連中は呪詛が解除されることを恐れ、魔法が習得出来ないようピーターに縛りを掛けたに違いない。そのため彼がどんなに望んでも習得することは叶わない状態にあるのだろう。

 目の前の希望が消え彼は落胆した。しかし、絶望はしなかった。

 以前の彼ならばここで諦めていたかもしれない。だが、今は違う。何故なら彼には叶えたい夢があるからだ。

 それは勇者の地位を捨てこの国を去り、シモーヌと2人誰にも邪魔されず幸せに暮らす事だった。

 そのためには決して諦める訳にはいかない。どんなに時間が掛かろうともいずれ必ずこの呪詛を解除してみせる。

 今のピーターにとってはそれこそが生きる目的となっていたのだった。


 そして現在。

 港町ベセナにあるカイラス皇国軍の砦の中に2人はいた。

 ピーターが龍の島への遠征へと出ていたため、およそ半月ぶりの再会だった。

「お帰りなさいませ、勇者様。ご無事でなによりです。」

 そうシモーヌに声を掛けられたピーターは少しだけ不服そうな顔になる。

「2人の時はピーターと呼ぶようにって言っただろ?」

「はい、申し訳ありません、ピーター様。」

 シモーヌは少しだけはにかんだ笑顔を浮かべながらそう応えた。

 ピーターとしては本当なら”様”付けの呼び方もその畏まった物言いも止めて欲しいところだったが、さすがにそれはまだ無理なようだ。

 この世界の階級意識と言うものが身に染み付いているのだろうし、しかもシモーヌは庶民とも違う特殊な環境で育てられたのだ。ピーターとの距離を更に詰めるにはもう少し時間がかかるのかもしれない。

 とは言え、焦る必要は無い。そこはおいおい慣れてもらえば良いさ。

 そう考えはするものの、それでも少しだけ歯痒さも感じてしまうピーターなのだった。

「今回の遠征では見事目的を果たされたようですね。

 皆様、大層お喜びのご様子でした。」

「ああ、目当ての代物は無事手に入れたよ。」

 シモーヌはそう言って称賛したが、当のピーターはさほど興味無さそうな顔をする。

「何でも”龍王の冠”とか言う龍族の秘宝らしいんだが、あんなただの大きな丸い玉が何で”冠”なんだろうな?

 それに、そもそもあんな物どうするつもりなんだろうか?」

 ”龍王の冠”が魔力嵐を起こすための魔道具であることをピーターは知らない。ただ奪ってこいと命令されただけで、その正体までは教えてもらっていないのだ。

「でも、龍族の秘宝なのですよね?

 と言うことは、やはり何か特別な力があるのではありませんか?」

「そう言えば島へ行く時に吹き荒れていた魔力嵐が帰りにはすっかり晴れてしまっていたけど、それも”龍王の冠”の力なのかな?

 魔力嵐を寄せ付けない効果があるとか……。」

 中々良い線を行く推理ではあったが、まさかそれ自体が魔力嵐を引き起こしているとまでは想像つかなかったようである。

「いずれにしろ、力ずくで奪おうとするからにはそれなりの代物なんだろうけどね。全く、強欲な話さ。」

 そう言いながらピーターは龍の島での闘いを思い出していた。

 結果だけ見れば大成功であるとは言え実際には敵にも味方にも多くの犠牲者が出ているのだ。

 そんな中ピーターも何体かの龍族を倒したが、例え異形の相手ではあっても明らかに知性ある者の命を奪うのは決して気持ちの良いものではない。ましてや相手は理不尽に攻め込まれてしまった、いわば被害者なのだ。

 訓練で魔獣を狩った時とはその後味が全く違う。それがピーターを憂鬱にさせた。

 そんな思いを察したのかシモーヌは心配そうにピーターの顔を覗き込む。

「どうかされましたか、ピーター様?」

「ああ、何でもない。ただ、ちょっと気が滅入ってしまってさ。

 どうやら近いうちにまた龍の島へ攻め入ることになるらしいからね。」

「お宝はもう手に入れたのにですか?」

「どうやら本当の狙いは他にあるみたいだ。

 それが別のお宝なのか、それとも全く違う何かなのかは分からないけど。」

「では、戦争はまだ続くのですね……。」

 不安気な表情を浮かべるシモーヌ。

 ピーターとしてはその不安を取り除いてやりたいところではあったが、しかし嘘もつけない。

「そうだね。

 場合によっては龍の島だけでなくこの国も戦場になるかもしれない。」

「そうなんですか?」

「ああ、龍族だってやられっぱなしのままでいるはずはないさ。

 しかも、秘宝まで奪われているんだ。それを取り返すために攻めて来たとしても不思議はない。」

「では、このベセナも?」

「その時は真っ先に襲撃されるだろう。

 まあ、皇国としては自業自得だとも言えるけどね。」

 自虐的な笑いを浮かべそう言い捨てるピーターだったが、それを聞くシモーヌの表情を見てすぐさま真顔に戻る。

「怖いかい、シモーヌ?」

「いえ、私はピーター様が側にいてくれさえすれば何も怖くなどありません。

 ですが、町の人々は……。」

 もし龍族が攻めて来れば兵士だけでなく町の人々にも犠牲が出ることになるだろう。シモーヌはそれを心配していたのだ。

「君は優しいな、シモーヌ。」

 ピーターは愛おしそうにシモーヌを見つめた。

「解かったよ、そうなったら町の人々は僕が守って見せる。必ずだ。約束する。」

 考えてみれば町の人々、いやこの国の一般庶民には何の罪も無い。ピーターを勝手に召喚したのも、その力を当てにして戦争を始めたのも全てこの国の権力者達なのだ。

 国を憎む理由はあっても国民を見捨てて良いことにはならないだろう。

 何せピーターは”勇者”なのだ。自分がこの世界に召喚されたことに何か意味を見い出すとすれば人々を守る事、それしかない。

 国のクソったれ権力者共はともかく、罪無き人々は可能な限り守ってみせる。

 彼の言葉に元気を取り戻したシモーヌの笑顔を見て、ピーターはそう心に誓った。


 そんな彼等の元に”龍族来襲”の報が届いたのは、それから僅か数時間後のことだった。

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