龍の島の危機と世界を覆う暗雲
アウレルのギルドでタチアナと合流したイルムハート達はその後、手配された魔導自走車に乗り総本部へと向かった。
「でも、何故カイラス皇国は今頃龍の島なんかに侵攻したのでしょう?
もしかするとルフェルディアでの一件が関係しているのでしょうか?」
道すがらイルムハートはタチアナにそう尋ねてみた。
もしルフェルディアの紛争に龍族を巻き込んだことが原因だとすればその責任は自分にある。イルムハートはそんな罪悪感を抱いた。
だが、タチアナの考えは少し違うようだ。
「それが原因だとは私は思いませんよ。
ルフェルディアへの侵攻が失敗したことで時期が早まった可能性はあるかもしれませんが、どの道皇国は龍の島へ攻め入っていたはずです。
何しろあの国は龍の島に対し異常な程の執着心を持っていますからね。」
確かにタチアナの言う通り、皇国は過去に何度か龍の島への侵攻を行っていた。但し、その全てが失敗に終わってはいたが。
「でも、今までも何回か攻め入ってその度に失敗しているんですよね?
それなのに何でまた同じことを繰り返すのかしら?」
ライラの疑問は尤もだった。失敗を繰り返していながらそれでもまだ諦めないその執念は大したものだが決して賢い行為とも思えない。それが普通の感覚だろう。
しかし、今回は今迄とは違っていた。皇国には切り札が存在するのだ。
「それは勇者がいるからでしょう。」
そう言いながらタチアナは難しい顔をする。
「先頃、皇国に於いて勇者が正式に認定されたことは皆さんも耳にされていますよね?
そして、その勇者と言うものが決して伝承の中だけのものではなく、実際に強大な力を持った存在であることもご存知だと思います。」
タチアナの言葉にライラ達は無言で頷いた。勇者が単なるカイラム教派の教義に語られるだけの存在ではなく、異世界から呼び出された強力な戦士であることをイルムハートから聞いて知っていたのだ。
「過去の侵攻においては島を取り巻く魔力嵐と龍族の抵抗の前に途中で断念せざるを得ませんでしたが、今回は勇者がいます。
その力を持ってすれば島へと辿り着くことも不可能ではないでしょう。
おそらく、皇国は勇者召喚に成功した時点で既に龍の島への侵攻を計画していたのだと思いますよ。」
それは十分に有り得る話だった。多分、元々ルフェルディアを落とした後は龍の島へ攻め込むつもりでいたのかもしれない。
「全く今回と言い1000年前と言い、勇者ってのはつくづく迷惑なヤツだな。」
うんざりした口調でジェイクはそう吐き捨てた。
すると、その言葉で何かを思い出したかのようにケビンが口を開く。
「そう言えば1000年前にも勇者は現れているはずですが、未だ上陸に成功したことが無いと言うことはその時は龍の島への侵攻を行わなかったということなのでしょうかね?
それとも、勇者の力を持ってしても龍族には敵わなかったのでしょうか?」
「1000年前と言うとカイラス皇国が最大の版図を誇っていた頃ですね?
成る程、やはりあれには勇者が関わっていたのですか。」
このことはタチアナも知らなかったようで少し驚いた顔をする。
まあ、それも仕方あるまい。始祖から色々と知識を伝承しているとは言え、彼がこの世界にやって来たのは800年前。これはそれよりも前の話なのだから詳しいことを知らなかったとしても無理なからぬことである。
タチアナとしてもある程度推測はしていたようだが、それが事実であることを今初めて知ったわけだ。そして、その上でタチアナはこう推測した。
「当時は大災禍が終わって間もない頃でしたから、いくら皇国とは言えどそれだけの体力は無かったのでしょう。
先ずは国力を上げることを優先したのではないでしょうか。」
その結果、皇国は史上最大の版図を有することになった。そして、いよいよ龍の島に手を出そうとした頃には勇者が老いたか或いはその寿命が尽き侵攻を諦めざるを得なかったのだろう、と。
おそらくはその通りだろうとイルムハートも思う。
ナディア・ソシアスの例を見る限り、勇者として召喚された者は始祖のような”不老”の加護は持っていなかったと思われる。つまり、普通に人としての寿命を迎えることになるのだ。
長い歴史の中で見れば人の命など短いものである。
後世の者からすれば歴史の1ページでしかない出来事も実際には長い年月をかけ行われるものであって、皇国の版図拡大もその例外ではない。
その間、勇者は皇国のためにひたすら闘い続け、そして死んでいったわけだ。
彼(彼女)の人生とは一体何だったのだろう?
どんな思いの中この異世界で生を終えたのだろうか?
それを考えると何ともやり切れない気持ちになるイルムハートなのだった。
総本部に到着したイルムハート達は例の魔導列車ではなくそのまま自走車で事務局のある建物へと乗り付ける。
そして小会議室のような部屋に案内されると、そこはカールともうひとりの男性が彼等を待っていた。
男性の名はムジオ・セッチ。カール直属の情報担当官だと紹介された。
形式ばったカールとの会話を見る限りタチアナのような同じ一族の仲間というわけではなさそうだが、どうやらムジオも”知る”側の人間らしく本来部外者であるはずのイルムハート達を見ても特に驚く様子は無い。
「出立の準備中にわざわざ呼び出して申し訳ありませんでしたね。」
カールはいつものように穏やかな口調でそう声を掛けてきたが、しかしその顔に笑みは無かった。それだけ緊迫した状況ということなのだろう。
「いえ、お気遣いなく。この件に関しては僕も無関係ではありませんから。」
龍族に被害が及ぶとなればイルムハートにとっても他人事ではない。むしろ、この場に呼んでくれたことを感謝していた。
「それで、状況はどうなっていますか?」
「まあ、ひとまず座って下さい。
その辺りについては彼の方から説明がありますので。」
つい急いでしまうイルムハートを落ち着かせながらカールはムジオに目で合図を送った。
それを受け、ムジオは一度全員を見渡した後にゆっくりと話し始める。
「先ずは順を追って説明させて頂きます。
事の始まりは今から半月ほど前、カイラス皇国の港町ベセナにある軍港から数隻の軍艦が出港しました。
これについては現地のギルドも情報を入手していたのですが、何せ護衛艦や補給船を合わせても僅か8隻という陣容で輸送する兵士もせいぜいが1000から1500と言ったところだったため単なる演習だと思い込んでしまったようなのです。」
まあ、これはしかないことだろう。まさかその程度の兵力で戦争を始めるなど誰に予想出来ようか。
「勇者がそれに加わっていると言う情報は入手できなかったのですか?」
タチアナの質問にムジオはゆっくりと首を振る。
「残念ながらお披露目以降勇者の動向については完全な情報管制の元にあったようで、皇都レーメスを離れたことすら察知出来ませんでした。
おそらくはその頃から今回の準備を始めていたものと思われます。
その後も船団についての情報は全く漏れて来ず現地ギルドとしてはすっかりそのことを忘れていたようなのですが、昨日突然皇国から発表があったのです。
その内容は皇国軍が勇者と共に龍の島への上陸を果たし多大なる戦果を上げたというものでした。」
はやりか。イルムハートは苦々しくそう思った。
勇者の力を持ってすれば島への上陸も不可能ではないというタチアナの予想は当たっていたわけだ。
「それで、島は今どうなっているか分かりますか?
どれほどの被害が出ているのでしょう?」
「生憎とそこまでは分かりません。
皇国の発表はただ上陸に成功し戦果を上げたといった内容だけでしたので。」
イルムハートとしては何よりもそこが気になるところではあるものの、ギルドとしてもこればかりはどうしようもあるまい。まさか現地まで行って確認して来るわけにもいかないのだから。
しかし、その後でムジオは意外なことを口にした。
「ですが、少なくとも今この時点では戦闘も無く落ち着いた状況にあるようです。」
「何故そう言えるのです?」
「現在、侵攻部隊は一旦兵を退き皇国へ帰還中だからです。」
「兵を退いた?上陸に成功したにも拘わらずそんなに早くですか?」
これにはその場の全員が首を傾げた。せっかく上陸を果たしたというのに僅か数日で撤退するなど皇国は一体何がしたかったのか?
誰もがそんな疑問を抱く内容ではあったが、実のところそれには尤もな理由があったのだ。
「どうやら今回の侵攻は龍の島に橋頭堡を築くことではなく、ある物を手に入れることが目的だったようです。
そのある物とは”龍王の冠”。
結果、侵攻軍は目的通り”龍王の冠”を手に入れたようで、それにより今回の作戦は一旦終了となったらしいのです。」
”龍王の冠”。
それは龍の島にあるとされる秘宝で、手にした者は龍族だけでなくあらゆる竜種・亜竜種をその支配下に置くことが出来ると言う言い伝えがある。
龍の島へ侵攻した皇国軍はそれを手に入れたと言うのだ。
「”龍王の冠”ですか……皇国はその存在を信じているようですが、そんなのもが本当にあるのですか?」
伝承自体かなり眉唾なものではあるがこうして皇国が血眼になってまで手に入れようとしている代物である以上、単なる妄想の産物というわけでもないのかもしれない。
そこのところがどうにも判断付かないと言った顔でカールはイルムハートにそう問い掛けた。そして、予想外の答えを聞くことになる。
「”龍王の冠”は実在します。」
「そうなんですか?」
驚いたような顔をするカール。それを見たイルムハートは少し肩をすくめながらこう答えた。
「と言っても、言い伝えにあるような代物ではありませんけれどね。
”龍王の冠”とは実は魔力嵐を発生させるための魔道具のことなのです。
全部で8箇所、島を取り巻く輪のような形で設置されていて、そこから発生させた魔力嵐により島を護っているんです。
今回、皇国が奪い去ったのはそのうちのひとつなのだと思われます。」
「成る程、魔道具が輪を描くように置かれているから”冠”なのですね。」
カールはそう言いながら妙に納得したような表情を浮かべた。
すると、話を聞いたライラが呆れたように口を開く。
「じゃあ何?皇国は魔力嵐のための魔道具をありがたい秘宝か何かと勘違いして持ち帰ったってわけ?
随分とお目出度い話よね。」
実のところ笑っていられる場合でもないのだが、それでも皇国の間抜けさ加減には呆れるしかないといった感じだ。
しかし、それを聞くイルムハートは深刻な表情を浮かべたままだった。
「いや、そう単純な話でもないよ。
皇国は”龍王の冠”を魔道具だと知った上で持ち去った可能性も十分にある。」
「でも、そんなもの持ち帰ってどうするって言うの?
まさか皇都を魔力嵐で護るために使おうってわけじゃないでしょ?」
「勿論、持ち帰ったところで皇国にとっては大して役にも立たない代物だろう。
しかし、持ち去られてしまった龍の島にとっては大問題なんだ。
何せそこだけ魔力嵐に”穴”が空いてしまうことになるんだからね。」
その言葉に皆はハッとする。それが何を意味するかに気付いたのである。
「作戦は”一旦終了”と皇国はそう発表したのですよね?
と言うことはまだ続きがあると言うことです。
おそらく次はもっと多くの軍勢で攻め入るつもりなのだと思います。
今回の侵攻はあくまでもその前準備、大軍で押し寄せるための通り道を作ることだったんじゃないでしょうか。」
過去の侵攻において、島を取り囲む魔力嵐が最大の障害であっただろうことは想像に難くない。
上陸どころかその海域にすら到達することが出来ない程強い魔力嵐。その上、何とかそれをすり抜けたとしても今度は龍族の攻撃が待っているのだ。それでは作戦の成功など奇跡に近い。
だが、今度の件でその魔力嵐に船団が通れるだけの”穴”が空いたのだ。無傷のまま軍を島へ送り込むことさえ出来れば龍族の抵抗にも何とか対抗出来るかもしれない。
しかも、それに加えて今回は勇者がいる。これは皇国にとって悲願達成のためのまたとない好機となるはずだ。
そして、同時にそれは更に大きな紛争の引き金となりかねない危険な可能性をも秘めていたのである。
「そうなると龍族も黙ってはいないはずです。
当然、反撃に出て来ると考えて良いでしょうし、今までのように局地的な闘いでは収まらなくなるかもしれません。
皇国本土へ直接攻撃を仕掛けて来る可能性も十分にありますね。」
タチアナの言う通り今回のことは闘いの形を大きく変える事になるだろう。
過去の闘いにおいては魔力嵐を抜けて来た僅かな兵を待ち構え撃退すればそれで良かった。
だが、これからは大軍が無傷のまま攻め入ってくることになる。そんな状況において受け身の闘いをしていたのではどんどん被害が増えるだけだ。
となれば、龍族としても反撃に出るしかなくなるだろう。
それは闘いの当事者として当たり前の行為であり攻め込まれる側としての正当な”権利”でもある。なので、誰にもそのことを攻める資格など無いはずだった。
但し、それはあくまでも人同士の闘いであればの話だ。
勿論、理屈として考えれば龍族にだって当然その権利はあるはずだが感情としてはそう簡単に割り切れるものでもない。誰しも見た目や文化の違う他種族に対しては潜在的な警戒心を抱いてしまうものである。
「その場合、龍族の攻撃を皇国だけでなく人族全体にとっての脅威として捉える者も出て来るでしょう。
最悪、そう判断した国々が皇国に加勢し連合軍対龍族の争いにまで発展してしまう恐れもあります。」
そうなれば戦火はどんどん広がってゆくことになり、結果龍族への憎悪を増大させ事態をより悪い方向へと導いてしまう可能性もあるのだ。
それだけでも厄介な話であると言うのにそこへカールが新たな爆弾を投下して来た。
「もしそうなった場合は獣人族もそれに加わることになるかもしれません。」
その言葉は当然のようにイルムハート達を当惑させる。
「獣人族?どうして彼等がこの話に関係してくるのですか?」
「獣人族は神獣を守護神として崇めています。自分達が獣の特性を持っているのも神獣の姿を模して創られたからだと考えているようですね。
そして、その神獣の一柱である神龍様の眷属とされる龍族もまた獣人族にとっては崇拝の対象となっているのです。
そんな彼等が龍族の危機に黙っているとは思えません。龍族に加勢すべく参戦してくるものと考えて良いと思います。」
「龍族と人族が戦争するってだけでもとんでもない話なのに、更に獣人族まで加わって来るってことですか?
そんなことになったら世の中どうなっちまうんだよ?」
思わずジェイクが上げた悲鳴にも近い声がその場にいる全員の気持ちを表していた。正しくとんでもない話である。
だが、そこで更に追い打ちを掛けるような言葉がイルムハートの口をつく。
「それだけじゃない、そこまで事態が悪化して来れば魔族だってどう出るか解からないんだ。」
「はあ?今度は魔族かよ?
もう勘弁してくれよ。」
人族と魔族は決して敵対しているわけではない。しかし、人族の中でも魔族に対する考えがぞれぞれ違うように魔族だって皆同じという訳では無かった。
人族と友好的に付き合おうとする者もいれば敵意を抱く者だっている。
もし今回の騒動が泥沼化してしまえばその反人族主義の連中が動き出すかもしれないのだ。そうなれば人族はますます窮地に追い込まれることになるだろう。
しかも、それだけではない。
ひとつの混乱は更なる混乱を呼ぶ。それは連鎖的に広がり、最悪の場合この世界全体が戦乱の渦に巻き込まれてしまうかもしれないのである。
(それだけは避けなければいけない。どんなことをしても、絶対に。)
部屋を覆う暗鬱な空気の中、イルムハートは密かにある決意を固めるのだった。




