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渡り魔獣と特異種

 滞在3日目の朝、辺境伯一行は予定通りにトラバールを出立した。

 前日にはイルムハートが行政施設や工房等を見学する予定だったが例の騒ぎで全て中止となり、結局その埋め合わせもないままの旅立ちとなる。

 これは何よりも辺境伯であるウイルバートのスケジュールが優先されるためであり、仕方の無い事であった。

 まあ考えようによっては、全てお膳立てされた見学よりももっと深くトラバールの街を知る事が出来たとも言えるので、イルムハートにとってこの訪問は決して無駄ではなかっただろう。

 これより一行は領都ラテスへと帰還することになるが、帰路は飛空船での旅程ではなかった。

 トラバールとラテスを結ぶ街道を馬車で移動し、途中にある宿場町を視察しながら帰る事となる。

 初日に発生した騒乱により一時は全ての予定を中止することも検討されたが、襲撃は決して計画的なものではなく、それどころか相手が何者かすら知らずに襲ってきたという事が判明したため、再襲撃の可能性はほぼ無いと判断され視察を予定通り行う事になったのだ。

 しかし、それでも護衛責任者であるアイバーンが気を緩めることはなかった。

 諜報員と警備隊の双方に対し、今回騒動を起こしたグループの残党とそれに係わりのある者についての監視を指示し、少しでも不穏な動きがあれば通信魔道具で連絡が届けられるよう行政府への手配を行った。

 また、トラバール駐在の領軍から借り受けた偵察専門の部隊を先行させ、街道沿を徹底的に調査させた。

 騎士団員でも偵察が出来ないわけではないが、より専門的な訓練を受けた者に任せた方が確実だと判断したのだ。

 そんな風に裏側では常に気を張り詰めながらも、一行は特に問題もなく夕方前に次の目的地へと到着した。

 そこは大きな街道沿いにある町で、多くの旅人たちがその町を利用するため規模としてはそこそこ大きなものだったが、それ以外には特筆すべき事のないごく普通の宿場町でしかなかった。

 そして、これから先一行が立ち寄る予定になっているのも全て同じで、正直さほど視察が必要とは思えないような町ばかりである。

 なのに何故忙しいウイルバートの時間を割いてまでこれらの町を訪れるのかと言えば、それは政治的パフォーマンスのためだった。

 ここの支配者が誰かという事を改めて示すと共に、その支配者がこの町の事を気にかけているのだというアピール。

 そして、一行が宿泊することで落とされた金によるこの町と周辺の村々への経済的効果。それが旅の目的なのだ。

 正直な話、各地の現状を知るだけならば、わざわざウイルバートが足を運ぶ必要は無い。配下の者が調査した結果を城の執務室で聞くだけでいいのだ。

 実際、自ら所領を見て回る事もなく、領地経営は配下に任せっきりの貴族もいる。

 だがウイルバート、と言うよりアードレー家はそうではなかった。

 アードレー家においては、領主は領内を自ら見て回ることが義務とされていた。それにより民の忠誠と結束を強めるために。

 かつては王国の辺境であり隣国との紛争も抱えていたフォルタナ領において、それは重要な事であったのだろう。

 今では隣国との争いも無く、開発も進んで王国内でも有数の豊かな土地となってはいるが、それでもその慣習は守られているのだった。


 翌朝、一行はさらに次の目的地へと向かうべく町を後にした。

 昨晩はウイルバートから町の者へ酒と食事が振る舞われ、中にはまだ二日酔いの者もいただろうが、それでも多くの町民が町の外れに集まり一行を歓声で見送ったのだった。

(これがアードレーの領地経営術ってことかな。上手いことをするもんだ。)

 次第に遠ざかってゆく人々の声を聴きながら、イルムハートはそんなことを考えていた。

 もちろん、これが領主としてのほんの一面でしかない事はイルムハートも理解している。アメとムチの内のアメでしかない事を。

 だが、例えそこに打算があったとしても、人々の喜ぶ顔を見るのは悪くはない。そう思うのだった。

 町を出た一行はゆっくりと街道を進んで行った。

 この街道の宿場町はだいたい人が徒歩で1日歩く距離毎に設けられているため、馬車であればそれほど急がずとも夕方前には到着出来るのだ。

 一行の構成は3台の馬車と25騎の騎馬からなっており、その内のひと際豪奢なものがウイルバートの乗った馬車である。

 それは普段使っている馬車とは異なり長距離移動用の特別仕様となっていて、広めの車内と柔らかい座席、そして楽な姿勢が取れるように背もたれの角度を変えられる機能が付いていた。

 他の2台はそれよりも大きく乗合馬車に近いもので、随員達が乗車している。

 荷物用の馬車は無い。荷物のほとんどは随行している魔法士の収納魔法と収納魔道具とにそれぞれ収められているからだ。便利なものである。

 その3台の馬車の周りを1小隊12騎の騎士団員が2編成、取り囲むようにして警護している。

 但し、騎士団長のアイバーンだけはその中には加わらず、ウイルバートの乗った馬車に寄り添うようにして馬を進めていた。

 ちなみに、ニナ達も謹慎を解かれてその中にいる。

 結局、査問会はウイルバートが口を滑らせた通りの結果となり、ニナ以外は戒告処分という事で収まった。

 ただ、ニナだけは指揮役だったこともあり3か月の減俸処分となってしまったのだが、本人としては温情裁定に感謝こそすれ、わだかまりは感じていないようだった。

 しかし、ニナは気にしていなくともイルムハートとしてはまだどこか割り切れない気持ちが残っている。

(ラテスに戻ったら宝物庫の刀剣を見せてもらえるよう、お父様に頼んでみよう。)

 物で釣るようなマネには少々心苦しさはあったが、それでもそれがイルムハートに出来る精一杯の贖罪であった。


 時刻は昼近くになり、そろそろ昼食のための休憩を取ろうかといった頃、急に隊列が止まった。

 こんな街道の真ん中で休憩を取るはずはないので、何かが起きたのだと皆が気付いた。

「どうかしたのかね?」

 馬車の窓を開けてウイルバートがアイバーンに問いかける。

「どうやら偵察の部隊から何か報告が来たようです。只今確認してまいりますので、しばしお待ちいただけますか。」

 そう言ってアイバーンは隊列の前方へと馬を走らせて行った。

(まさか、例の連中じゃないよなぁ・・・。いくら何でも、そこまでバカじゃないと思うけど。)

 イルムハートも魔力探知によって偵察部隊の兵士が近づいて来たことを感じ取っていた。しかも、かなり急ぎ気味で。

 それは何か不都合な事態の発生を予感させたが、それでもトラバールの地回り達が復讐のために襲ってくるとは考えられなかった。

 いくら何でも、それは正気の沙汰ではない。領主に剣を向ける事の愚かさが解らない連中でもあるまい。

 とすれば、一体何が起こったのか?

 好奇心に駆られたイルムハートは、少々罪悪感を感じながらもアイバーン達の会話を魔法で盗み聞きすることにした。

 一般的に遠くの会話を聞き取る方法としては風魔法を応用したものが挙げられる。声を拾って耳元まで運んでくるのだ。

 だが、その方法では遠すぎたり壁などの遮蔽物があったりした場合、上手く声が拾えないという難点があった。

 そこで、イルムハートは別の方法で声を拾うことにした。魔力探知による魔法の解析で、である。

 人が会話する時、相手に伝えるべき言葉を頭の中で思い浮かべて話をする。つまり言葉をイメージするのだ。

 魔法がイメージにより発動するものであるならば、当然その ”言葉のイメージ” も”話す”という行為により魔法として発動することになる。

 と言っても、別にその魔法が何らかの効力を持っているというわけではない。

 いくら頭の中で言葉をイメージしたとしても、それが魔法になった際の具体的な効果までは思い浮かべていないからだ。

 そのため、結局それは魔法を失敗した時のように、効果を発揮せず再び魔力へと戻ってしまうのだった。

 おそらく、ほとんどの人間は会話が魔法に変換されているなどとは想像すらしていないだろう。

 しかし、確かに魔法として変換されており、それを探知し分析することで会話を拾い上げることが可能なのだった。

 尤も、かつてはイルムハートもその ”ほとんどの人間” の側にいた。天狼に教えられるまでは。

「そんな事、普通は思いつかないだろうな。」

 この話を聞いた時、神の力を分け与えられた神獣だからこそ気付けるのだとイルムハートが言うと、天狼は意外な話をしてくれた。

『そうでもない。人の中にもこの技を使いこなす者達はいる。ただ、秘伝とされているらしく、限られた者にしか知識は伝えられていいないようだがな。』

 それを聞いたイルムハートは、スパイのような職業があるのだろうと想像した。

 そう言った者たちにとっては、とても便利な魔法だからだ。

(もしかすると、城内には盗聴の無効化結界も張られているかもしれないな。)

 盗聴魔法(とイルムハートは呼んだ)に興味を持ったイルムハートは、屋敷に帰ってから早速試してみたところ、盗聴に限定した無効化結界こそ使われていなかったものの、魔力探知を制限する複数の結界が張られていることに気が付いた。

 おそらく魔力探知にはまだまだイルムハートの知らない使い方があり、それらから城を守るためのものなのだろう。

 翌週、天狼にその話をすると、何故か微妙な顔をされた。

『結界に気づいたという事は、会話の探知自体はすでに習得したのだな?』

 イルムハートがそうだと答えると、今度は呆れた表情になる。

『相変わらずお前は無茶苦茶だな。言葉で言うと簡単に聞こえるが、人がこの技を会得するには余程の鍛錬が必要なはずだぞ。

 それをこうも簡単に・・・。』

 結局その後は、またいつもの神の遣いがどうのこうのという話になってしまったのだった。


「どうした、何かあったのか?」

 アイバーンは偵察部隊の兵士へ近付くと、そう声を掛けた。

「魔獣の群れを発見しました、オルバス団長。街道からはかなり離れた場所ですが、少々厄介な状況になりそうです。」

「どういう事か?」

 多少興奮気味の兵士の言葉に、第一小隊の隊長が問い返した。その場には一気に緊張感が増していく。

「発見したのはホーン・ベアの群れです。その数は6。今のところ領境からさほど遠くない場所を移動していますが、その方向にはリバルの街があります。移動速度は速くないものの、それでも今夕には街の近辺に到着するのではないかと思われます。」

 リバルというのは次に訪れる予定の街である。領境近くの街で、隣のナドニス伯爵領へ向かう街道の拠点でもあった。

「ホーン・ベアの”群れ”か・・・。」

 兵士の言葉にアイバーンは苦い表情を浮かべた。

 ホーン・ベア。その名が表す通り角を持った熊系の魔獣である。

 体長は4~5メートルほどで、動物系の魔獣としては大型の部類に入る。

 身体強化以外の魔法は使えないが、大型の上凶暴で力も強いため要警戒対象に指定されている魔獣であった。

 とは言え、騎士団が恐れるほどの相手ではない。例えその数が多かろうとだ。

 だが問題なのはホーン・ベアが”群れ”を作っているという点だった。

 ホーン・ベアは縄張り意識が非常に強い魔獣で、繁殖期と子連れ以外では2頭以上が同じ場所に棲息することはない。もし遭遇するようなことがあれば、どちらかが命を落とすまで闘い続けると言われているほどだ。

 そんな魔獣が群れを作っているとすれば、その理由は一つしかない。歯向かう事すら出来ない程に圧倒的な強さを持つ個体が、他の個体を完全に支配してるということだ。

「特異種が現れたというのか?」

 魔獣にはまれに同族を遥かに凌ぐ力を持った突然変異的な個体が生まれる事がある。人々はそれを特異種と呼んだ。

 特異種の恐ろしさはその通常個体を上回る強さだけではない。突然変異に近い形で発生した特異種は、同族には無い特殊な能力を有しているのだ。

 しかもその能力は個々によって異なるため、実際に闘ってみなければ分からないと言う何とも面倒な相手だった。

「魔力探知にて確認出来た6頭の内1頭は他を遥かに上回る魔力を持っているようでしたので、おそらく特異種だろうと思われます。」

 アイバーンの問い掛けに、どこか兵士は申し訳なさそうに答えた。相手に発見される危険を考え、遠目でしか確認してこなかったことを気にしているのだろう。

「それだけ判れば十分だ。気に病むことはない。」

 だが、その判断は正しいとアイバーンは思う。

 偵察部隊は3人編成だ。万一、ホーン・ベアに気付かれ闘うことになれば勝つのは難しかっただろう。

 無事に情報を持って帰る事、それが何よりも重要なのだ。

「ところで、そのホーン・ベアの群れはどこから来たと思うかね?君の意見を聞かせてくれ。」

「移動している方向から遡って考えれば、おそらくは隣領からではないかと。」

 やはりな、とアイバーンは無言で頷いた。

 領内においてホーン・ベアの特異種が確認されたという報告は受けていないからだ。

 もちろん、領内に棲息する魔獣の全てを把握しているわけではないが、これだけ目立つ動きをする魔獣の群れを今まで見落としてきたとも思えない。

 何らかの理由で隣のナドニス伯爵領から渡って来たと見て間違いないだろう。

「対応については辺境伯様のご判断を仰ぐことになる。それが終わる迄、君は待機していてくれたまえ。」

 そう言ってアイバーンは小隊長に兵士を休息させるよう指示し、その後ウイルバートの待つ馬車へと戻って行った。


 昼食用のテーブルが急遽用意され、それが魔獣対策の会議卓とされた。

 ウイルバートとアイバーン、それに補佐官と随行魔法士を加えて対応を検討している側で、イルムハートもそれを聞いている。

 最初、ウイルバートはイルムハートを馬車の中に残しておこうとした。

 別に内緒にする話でもないのだが、子供が聞いて面白い話でもないだろうと思ったからだ。

 だが、イルムハートが興味を示したので傍聴を許すことにしたのだった。

「ホーン・ベアの特異種か。その上、群れまで率いているとあってはこのまま捨てて置くわけにもいかないだろう。」

 アイバーンからの報告を受け、ウイルバートは少し思案した後そう答えた。

 対応するかどうかを迷ったのではない。いつ誰に討伐させるかを考えていたのだ。

「現状の戦力で討伐は可能かな?」

「第一小隊で十分対応可能です。」

 ウイルバートの問いに対し、アイバーンは即座に答えた。その質問を予想していたからだ。

「特異種がいてもかね?」

「それは私が相手をします。」

「まあ、君なら容易いだろうな。」

 ウイルバートは満足そうに微笑む。

「ウチの若いのを連れてってくださいな、オルバス団長。特異種の能力判別で役に立つと思いますよ。」

 アイバーンにそう言葉を掛けたのは随行魔法士のリーダーで、名をマーゴット・コノリーといった。

 歳は40過ぎのふくよかで近所のおばちゃんといった雰囲気を持つ女性だが、実は魔法士団の副団長である。

 「それは助かりますよ、コノリー副団長。精神系や空間系の能力の場合、我々では感知出来ないかもしれませんからね。」

 特異種と呼ばれる魔獣は通常個体にはない特別な能力を有しているのだが、それがどんな能力かは実際に相対してみないと分らない。

 場合によっては騎士団員の知らない特殊な魔法能力を持っているかもしれないのだ。

 魔法士を戦闘要員とするつもりはないが、能力の判別に手を貸してくれるのであればそれを断る理由は無かった。

「それで、魔獣たちがナドニスから渡って来たと言うのは確かなのかな?」

「状況から見て、ほぼ間違いないでしょう。もしホーン・ベアの群れが領内を移動していたのであれば、今頃大騒ぎになっているはずですから。

 もしかするとナドニスの討伐を逃れて、こちらへ逃げ込んで来たのかもしれません。」

 特異種をボスとするホーン・ベアの群れは極めて危険な存在であった。小さな町くらいは壊滅させるだけの力がある。

 普通の領主であれば即座に討伐命令を出すだろう。そして、ナドニス伯爵も常識的な人物である。

「討伐に失敗したというわけか。ナドニス伯もとんだ厄介者を押し付けてくれたものだ。」

 ウイルバートは憮然とした表情を浮かべ、アイバーンも黙って頷く。

 そんな中、マーゴットは何かを思い出したように口を開いた。

「そう言えば・・・ウチのベンサムが気になる事を申しておりました。」

「ベンサム?・・・ああ、ジェフリー・ベンサムの事か。彼が何か?」

 ジェフリー・ベンサムは魔法士団の幹部で、王国から特級魔法士として認定される程の腕前を持っていた。

 また、同時に魔獣研究家としても名を馳せており、時々騎士団や領軍に講義を行ってもらっている。

「はい、ベンサムが聞いたという話によれば、数か月ほど前にナドニスで大規模な魔獣の移動が発生したらしいのです。

 もしかすると、今回の群れもその影響でこちらへ渡ってきたのかもしれません。」

「大規模な魔獣の移動?そんな情報は入っていたか?」

「いいえ、聞いていません。」

 ウイルバートは確認するようにアイバーンと補佐官の顔を見たが、2人共首を横に振るだけだった。

「それに関しては厳重な情報統制が行われたようで、冒険者ギルドに対しても箝口令が出されたとのことです。」

「まあ、そのような噂が立てば旅人も商人も警戒して寄り付かなくなりますからね。その場合の経済的損失を考えれば秘匿しようとするのも無理ないかと。」

 補佐官が同情するような口調でそう言った。

「では、どうやってベンサムはそれを知る事が出来たのだ?」

「魔獣学会からの情報のようです。およそ3か月ほど前、学会に対し魔獣の異常行動について原因調査の依頼があった”らしい”という噂が流れてきたそうです。

 何でも、ナドニス北部からドラン大山脈にかけての地域で、そこに棲む魔獣が大量に南下を始めたらしいのです。

 その影響はかなり広範囲に及んだようで、先ほどお話があったように風評を気にしたナドニス領政府が、住民や討伐を行う冒険者に箝口令を出すほどだったそうです。

 学会にも口外しないよう通達があったらしいですが、冒険者と異なり学者先生たちは守秘義務というものに疎いのだとベンサムは苦笑いしておりました。」

「ナドニス伯にしてみれば笑い事で済む話ではないだろうがな。」

 ウイルバートは苦い顔をする。

「もしその話が本当であれば、ナドニスは移動した魔獣の対応に追われているはずだが・・・あそこの領軍の規模では討ち漏らしが出ても仕方ないか。」

 ナドニスは伯爵領ではあるが、その領地はそれほど大きくはない。従って、騎士団も領軍もその規模はフォルタナに比べて遥かに小さい。

 一斉に大量の魔獣が動き出したとすれば、例え冒険者ギルドの協力があったとしてもその全てに対応するのは難しいだろう。

「とは言え、向こうの事情も分らんではないが、せめて領境を接する者には情報を流してほしかったな。」

「単なる噂と思い、ご報告を怠ってしまいました。申し訳ありません。」

 マーゴットはそう謝罪したが、ウイルバートは特に問題とするつもりはなかった。

「それはよい。確証の無い噂話までいちいち取り上げてもいられまい。ナドニス伯に真偽を確認するわけにもいくまいしな。

 それよりも、先ずは目の前の問題を片付けるとしよう。」

 ウイルバートがそう言ったことで、魔獣がどこから来たかの議論はいったん保留となった。

 そしてその後、アイバーンから作戦についてのおおまかな説明がされて会議は終了となった。


「コノリー副団長。」

 会議が終わった後、戻ろうとするマーゴットをイルムハートが呼び止めた。

「なんでしょうか、イルムハート様。」

「先ほどの話なのですが、魔獣が移動した原因は判明したのですか?」

 いつになく真剣な顔つきでイルムハートはそう尋ねた。

 そんなイルムハートを見て、マーゴットは不思議そうな表情を浮かべた。

 イルムハートが旺盛な好奇心を持った子供であることはマーゴットも分っている。魔獣の知識についても家庭教師からの授業だけでは飽き足らず、ジェフリーの元に足を運んでいろいろと教えを受けていることも知っていた。

 なので、質問の内容に驚いたわけではない。ただ、単なる好奇心からの質問とは思えない、その真剣な表情に少々戸惑いを覚えたのだ、

 一方、当のイルムハートにはそんなマーゴットの反応を気にしている余裕はなかった。

 実は会議の途中、マーゴットが魔獣の移動について話し始めた時から嫌な予感に襲われ、気が気ではなくなっていたのだ。

「はっきりとした原因は解明できなかったそうです。棲息していた場所の環境に変化があったわけでもなく、餌や魔力を求めての移動ではないようです。

 ただ、その動きには一定の法則が見られたらしいです。」

「法則?」

「はい、ドラン大山脈近くのある特定のエリアを基準として、そこから放射状に移動していることがわかったそうです。分り易く言うと、ある場所からみんな逃げ出したような感じですね。」

 その言葉を聞いてイルムハートは軽い眩暈を感じた。

「逃げ出した・・・。」

「あくまで例えですけれど。まあ、山火事でも起きたのなら別でしょうが、そうでなければ”逃げる”理由などないですからね。

 結局、魔獣にはまだ私たちの知らない習性があるのではないか、と言うあいまいな結論になったそうです。」

 マーゴットの話が進むにつれ、イルムハートの眩暈も強くなってゆく。

 そして、マーゴットはトドメの言葉を口にした。

「ベンサムなどは『タイラント・ドラゴンでも出たのではないか』などと冗談を言ってました。それで怯えて逃げ出したのではないかと。」

(天狼だっ!)

 決定的だった。イルムハートは頭を抱えたくなるのを何とか自制した。

 魔獣の移動があったのは3か月ほど前と言っていた。それは天狼がドラン大山脈から姿を消した時期と一致する。

 おそらく天狼はドラン大山脈から移動する際、ナドニスを通過したのだろう。

 そして、天狼の強大な魔力に怯えた魔獣たちが一斉に逃げ出したのだとすれば説明もつく。

(魔力を抑えて行動するなんて、そんな気を遣うような性格じゃないからなぁ・・・。)

 さすがに人里近くでは余計なトラブルを避けるため魔力を隠すだけの分別はあるだろう(と思いたい)が、基本的には周りの反応を気にして魔力を抑えたりするような性格ではない。

 まあ、『神の遣いが何故こそこそと行動しなければならないのか?』と言う天狼の言い分も尤もではあるのだが・・・。

(あちこちで、いろいろヤラかしてなければいいけど・・・。)

 行く先々で同様のトラブルを起こしてる可能性は十分にある。

 別にイルムハートが責任を感じる事ではないのだが、それでもどこか申し訳ない気持ちになるのだった。

「なかなか興味深いですね。後でベンサムさんに詳しく聞いてみたいです。」

 イルムハートはなんとか笑顔を浮かべて胡麻化しながらマーゴットとの話を終えた。

 後日、各地でも同様の現象が起きていたことをジェフリーから知らされ愕然とすることになるのだが、この時はまだそれを知る由もないイルムハートだった。

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