総本部への招待と冒険者ギルドの秘密 Ⅰ
ブリュンネで起きた事件についてあらかた話も聞き終わりそろそろ部屋を辞そうとした時、タチアナがイルムハートに声を掛けて来た。
「話は変わりますが、アードレーさんには総本部から登庁の要請が来ていますよ。」
「総本部から?私にですか?」
今度は何だ?と思わず警戒するイルムハートだったが、どうやら厄介事ではないようである。
「事務局の方から連絡がありましてね、何でも補佐官のエリアス殿が貴方との面談を望んでいるとのことらしいです。」
ああ、その件かとイルムハートは胸をなでおろしながら苦笑する。
リック・プレストンの友人でもある事務局長補佐官カール・エリアスは何でもイルムハートに大層な興味を持っているらしく、それでわざわざ面談の要請を出して来たのだろう。
まあ、イルムハートとしては変に目を付けられるのは出来るだけ避けたいところだが、相手がリックの友人でしかも総本部のお偉いさんともなれば無下に断るわけにもいかない。
「解りました。
それで、いつ伺えばよろしいのですか?」
タチアナが言うにはいくつか日時の候補を挙げて来ているので、その中から都合の良い時を選び窓口の職員に伝えるようにとのことだった。
結果、イルムハートは翌日の午後を選び、エリアスの下を訪れることになったのである。
翌日、イルムハートは仲間達と共に街の南側にある行政区を訪れた。
呼び出しを受けたのはイルムハートひとりだけではあったが、その間に冒険者ギルドの総本部を見学しておこうと言うことで皆も同行したのである。
地図によれば行政区と市街とは保安上水堀によって隔てられているようだったが、実のところそれ程大きな堀でもなかった。せいぜいが大きめの用水路と言った程度だ。
加えて堀の両縁には石壁も設けられてもいるがそれも人の腰の高さほどしかなく、おそらくは転落防止を目的としただけの物なのだろう。
相変わらず見ているこちらが不安になるくらい、ある意味自信たっぷりの保安体制である。
堀に掛かる幅こそ広いが長さはそれ程でも無い橋を渡りイルムハート達は行政区へと足を踏み入れた。
行政区の入り口に門は無い。その代わり検問のため警備隊が立っている。
と言っても、案内所で説明された通り検問自体はすぐに終わった。ほぼ手ぶら状態であったせいもあるだろうが危険物を所持していないか聞かれただけで持ち物を検査されることはなかった。
それどころか身分証の提示すら求められなかったのである。
確かに戸籍制度が不完全なこの世界においては明確な身分の証明が難しい者も多い。アンスガルドのような国ですら首都を離れればそんなものなのだ。
国外に出る時などどうしても証明書が必要な場合は村主に頼み保証書のようなものを出してもらうことも可能だが、通常国内を移動するに当たってはそんなものなど必要ない。
なので一般人が身分証を持ち歩くことは無いし、そもっそもそんな物持ってすらいないのが現状だった。
しかし、だからと言って国の重要施設が集まる場所へ入るのに身分証も確認しないと言うのはどうなのだろうか?
これがアンスガルドの謳う”平等”ということなのだろうが、この世界においては異質そのものにしかイルムハートの目には映らなかった。
行政区に建つ建物はせいぜいが4~5階建て程度で市街地のようにこちらを圧倒して来ることは無い。
しかし、そのひとつひとつが機能的な美しさを持ち、また違った意味でイルムハート達を魅了した。
通りも十分広くここでも魔導自走車が時折行き来している。
但し、それは街中で見たような乗合用ではなくどう見ても個人用の物だった。おそらくは政府の関係者が乗っているのではないかと思われる。
そんな中をしばらく歩いて行くと、やがてひときわ広大な敷地の中に建つ施設群が現れた。冒険者ギルド総本部だ。
それは行政区のほぼ3分の1ほどの面積を占める区画で、その全てが総本部の敷地なのである。
まあ、総本部は世界中の冒険者ギルドの中枢であり、国家並の運営機能を有している訳なのでそれだけの規模を持っていても当然と言えば当然であろう。
通りから総本部の建物に続く道を歩いて行くと玄関の前に大きな立像が見える。
元カロッサ公国公王アウレル・カロッサの像。彼の死後、その功績を讃え建てられたものだ。
「これが元公王の像ね。
国の未来のため自ら王位を退くなんて、ホント凄い人だわ。」
像を見上げながらライラはしみじみと呟く。
この街の繁栄ぶりを見た後だけに余計そう感じるのかもしれない。
考えてみれば彼には他にも選択肢はあったはずである。他国に併合され一領主としてとりあえずの地位を保障してもらう道もそのひとつだ。
だが、彼としては一方的に搾取されるだけだったカイラス皇国支配時代の遠い記憶を消すことが出来なかったのだろう。
そのため、ただ奪ってゆくだけの相手ではなく国を栄えさせてくれそうな相手に未来を託したわけだ。
「そうだね、自身のことだけを考えるなら他にも手はあったのだろうけど、結果として国民にとっての最良の選択をしたわけだからね。
正に賢王と呼ぶに相応しい人物だったと思うよ。」
もし自分がその立場だったとして果たして同じような決断が出来たかどうか、正直イルムハートには自信が無かった。
王侯貴族と言うものは生まれながらに地位と特権を得、そのことを当たり前だと思い何の疑問も抱かずに生きる。
戦争で負けるとか取り潰しになるとか外的要因で地位を手放さざるを得ないことは有っても自らそれを放棄する者などいない。いるはずもないし、考えもしないだろう。
今でこそ元公王の行為は英断と評価されたはいるが、当時の人々にとってはそれこそ正気の沙汰とは思えなかったに違いないのだ。
そんな中で決断し、しかも理想を実現させた元公王の先見性にはイルムハートもただ感心するばかりである。
正面の重厚なドアを開け中に入ると、そこは最上階まで吹き抜けの広いホールになっていた。天井にはステンドグラスが飾られ、そこから外の光が射し込んで来る。
これは城や教会の大聖堂に良くある造りではあるもののそちらはあくまで権威を示すことを目的としたもので、ここのように実務を行う建物に使われるのはかなり珍しかった。
ホールを渡り切った先には長い受付カウンターがあり職員たちが来客の対応をしている。
その中のひとりにイルムハート達が近付くと見るからに冒険者らしい彼等の姿を見て向こうから声を掛けて来た。
「冒険者ギルド総本部へようこそ。
皆さんご見学ですか?」
総本部内の施設は一部ではあるが見学が可能であり、アウレルを訪れた冒険者達の定番コースとなっているのだ。
「私はイルムハート・アードレー。
事務局のエリアス補佐官とお会いする約束になっています。
あと、こちらの3人は見学です。」
「アードレー様ですね、お待ちしておりました。
只今担当者に連絡致しますので少々お待ちいただけますか。」
イルムハートの言葉に職員は何かを確認することもなく即座にそう返して来た。おそらく来客予定の者の名は全て頭に入っているのだろう。
尚、ジェイク達見学組は許可証を発行するため別室へ行くよう指示される。
「それじゃあ、また後で。」
そう言いながら離れてゆく仲間達を見送り暫くの間待っていると、やがてひとりの男性職員がやって来た。
「イルムハート・アードレー様ですか?」
イルムハートが「そうです」と応えると職員にジェイク達が向かった先とは逆方向にある扉へ案内される。
その扉を抜け少し行くと今度は地下へと降りる広い階段があり、職員はそれを下り始めた。
(まさか、執務室は地下にあるのか?事務局長補佐官ほどの高官なのに?)
そんな馬鹿なと思いながら後に続いて行くと、そこでイルムハートは驚くべき光景を目にする。
それはまるで地下鉄の駅の様だった。
そこには四方へと延びる地下道があり、その中を例の魔導自走車が走っていたのだ。いや、どうやら線路のような物の上を走っているようなので”魔導列車”と言うべきかもしれない。
職員の説明によると今いた場所はあくまでも来客対応のためのもので各部門の建物はそれぞれ別にあり、それをこの地下道で結んでいるとのこと。
その光景にはイルムハートも言葉を失う。
ここは本当に自分の住んでいるのと同じ世界に存在する場所なのか?
そんな感覚に襲われた。
確かに、ひとつひとつを見る限りにおいては決して未知の技術を使っているわけでもない。建物と建物を地下で結ぶのは良くある事だし、魔導自走車の技術があれば魔導列車を造ることも可能だろう。
だが、可能かどうかと実現出来るかどうかは別の話だ。
これだけの規模の仕組を構築し運用するのは並大抵のことではないし、そもそも普通の人間ならこんなもの思いつきもしないだろう。異世界の知識を持つはずのイルムハートですら今まで考えたことも無かったほどなのだ。
「どうぞ、こちらへ。」
職員に言われるまま乗り込み席に腰を下ろすと魔導列車はゆっくりと走り始める。
目的地までの間を使い職員がいろいろと説明をしてくれたものの、イルムハートはすっかり上の空でその目は流れてゆく地下道の壁の灯りをただ追いかけるだけだった。
魔導列車に揺られることおよそ10分、イルムハートは事務局のある棟へと到着した。
地下の”駅”はそのまま建物に直結しているため外観は分からなかったものの、案内版があったおかげで5階建てであることが分かる。
それほど階数は無いようだがその分横に広いようで、そこからしばらく館内を歩くことになった。
やがてちょっとしたホールのような部屋に出るとそこにはいくつか鉄格子のようなものがあり、案内の職員がその中のひとつを開く。魔導昇降機、要するにエレベーターである。
魔導昇降機自体はさほど珍しい物でも無いのだが、ひとつの建物にいくつものあると言うのは極めて珍しい。とは言え、イルムハートとしては最早更驚く気にもならなかったが。
エリアスの執務室は4階にあった。
廊下の窓からは多くの緑といくつもの建物が、こちらはやや不規則に並んでいるのが見える。
おそらくは部門によって土地の使い方が違うせいなのだろう。事務局のようにデスクワーク専門なら建物ひとつあればそれで良いが、中には広いフィールドや地上施設が必要となる部門もあるのだ。
そんな景色を横目に廊下を歩いて行くとその突き当りの部屋の前で職員は足を止める。
「こちらがエリアス補佐官の執務室になります。」
そう言って招き入れられた部屋には秘書と思しき1人の女性がおりイルムハート達に気付き顔を上げた。
「アードレー様をお連れしました。」
案内の職員がそう告げると彼女は「ご苦労様です」と返した後、机の上に置かれた箱のような物に向かい話し始める。アルテナの冒険者ギルドにもあったインターフォンもどきの魔道具だ。
「補佐官、アードレー様がお見えになりました。」
『入って頂きなさい。』
すると即座に声が帰って来た。
それは、イルムハートにとってどこか聞き覚えのある声ではあったが補佐官とは初対面だしこの総本部には知り合いもいないはずなので、単なる気のせいだろうと思い直す。
だが、秘書の女性が開いてくれた扉を通り奥の部屋へと入った時、イルムハートはそれが思い違いなどではないことを知り驚くこととなった。
「エドマンさん?」
そう、部屋でイルムハートを迎えたのは紛れも無くブリュンネで共に遺跡を調査したカスパー・エドマンその人だったのである。
「……なるほど、貴方がエリアス補佐官だったのですか。」
部屋の中に他の人影は無いことから、結果イルムハートはそう判断した。
するとカスパー、いやカール・エリアスは申し訳なさそうに口を開く。
「偽名を使ったことは謝罪します。
何しろあの場で本来の身分を明かす訳にはいきませんでしたので。」
確かに、冒険者ギルド総本部の高官が自ら乗り込んで来たとなれば必要以上に大事になってしまう。内密で調査を行うためには身分を隠すしかなかったのだろう。
但し、そもそも遺跡調査ごときに事務局長の補佐官自ら出向いて行く必要があったのかどうかはまた別の話ではあるのだが。
「改めて名乗らせてもらいます。
私がこの冒険者ギルド総本部で事務局長の補佐官をしているカール・エリアスです。
カールと呼んでもらって結構ですよ。」
ソファに腰を下ろすとカールがそう言って来た。イルムハートとしてはさすがに補佐官ほどの高官を名前呼びするのもどうかと躊躇ったのだが結局は強引に押し切られてしまう。
元々カールはリック・プレストンの友人でそこからイルムハートに興味を持ったと言う経緯がある。その友人の弟子相手に堅苦しい会話はしたくないと言うのだ。
「解りました。
では、僕のこともイルムハートと呼んでください。」
彼がその地位を鼻に掛けない気さくな人間であることはリックからも聞いていたしブリュンネで一緒に行動して解ってもいた。なので、少々当惑しながらもイルムハートはそれを受け入れた。
その後は今回の旅やルフェルディアでの件についての話となり、イルムハートはカールに聞かれるまま当たり障りの無い範囲でそれに答えた。
そして、それが一段落ついたところで今度はイルムハートの方から質問を投げかける。
「ところで、カールさんは何故ブリュンネの調査団に参加していたんですか?
正直、貴方ほどの人が出向くような案件でもないと思うのですが?」
結果的にちょっとした騒ぎとなってしまったものの、そもそもは単なる遺跡の調査だったはずなのだ。補佐官と言う立場の人間がわざわざ出向くほどのことではないのである。
そんなイルムハートの疑問にカールは予想外の答えを返して来た。
「そうですね……遺跡の事が気になったと言うのもありますが、実のところ君に会うことが本当の目的だったのですよ。」
「僕に、ですか?」
これにはイルムハートも困惑してしまう。
「でも、僕がアンスガルドに来ることは分っていたのですよね?
でしたら、何もわざわざブリュンネまで足を運ばなくても良かったのではありませんか?」
「ですが、色々と確かめたい事もありましたからね。
それには補佐官と言う立場ではなく、ひとりの人間として接した方が良いと思ったのですよ。」
「確かめたい事とは?」
「君がどんな風に成長しているかをです。
君の人となりはリックから聞いて分かっているつもりですが、その後どのような人間として育っているのか、それを確かめたかったのです。」
カールの言葉は更にイルムハートを戸惑わせる。
それはまるでイルムハートの成長を見守っている人間の台詞にのようにも聞こえるがそれだけとも思えなかった。
いくら友人の弟子とは言え、会ったことも無い相手にそこまで感情移入するものだろうか?
おそらく言葉の示す意味は他にある。イルムハートはそう感じた。
「それは……僕と言う人間の品定めをすると言う意味ですか?」
「その言い方には少々語弊がありますが、つまるところそう言うことです。」
「一体何のために?」
「君がこの冒険者ギルドと言う組織の秘密を話すに値するかどうか見定める必要があったからです。」
ギルドの秘密。
まあ、ギルドに限らずどこの組織にだって機密事項はあるだろう。
だが、カールの言葉の響きからはそんなありきたりのものではないように思えた。
イルムハートの頭の中をいくつもの疑問が駆け巡る。
ギルドの秘密とは一体何なのか?いや、それよりも何故自分にそんな話を聞かせようとするのか?
すると、そんなことを考えながら黙り込んでしまうイルムハートに対し、カールはとんでもない質問を投げ掛けて来たのだった。
「今日ここへ来てもらったのも実はその話をするためなのです。
ただ、その前にもうひとつだけ確認させてもらいたいのですが……イルムハート君、君は転生者ですね?」