冒険者の国と賢王の名を冠する街 Ⅰ
ハイダルを出発したイルムハート達一行は何事も無くナイランド大公国に入り旅を続けた。
途中、こまめに冒険者ギルドへと顔を出し確認はしてみたが例の遺跡に関する情報は一切なかった。当然、面倒な追加の聴取もだ。
ある程度予想はしていたものの、これには一行も少しだけがっかりする。いつまでも謎を抱えたままと言うのはやはり気持ちの良いものではないのだ。
まあ、変に時間を拘束されず旅が続けられるのは悪い事ではないと、そう前向きに考えるしかあるまい。
「さすがにそうそう続けては面倒事も起きないようだな。」
何の障害も無く直にナイランドを抜けようかと言う頃、ジェイクがそんな軽口を叩く。
「いくらイルムハートが厄災の神に好かれてると言っても、そこまでしつこくはないってわけか。」
その言葉にイルムハートは心底嫌そうな表情を浮かべたが、心当たりがあり過ぎるので下手に言い返す事も出来なかった。
反論しないイルムハートの姿を見て勝ち誇った顔をするジェイクではあったが、勿論そのままで済むはずがない。
「その辺りは仕方ない面もありますけどね。」
何やらケビンがそう言い出す。
「何が仕方ないんだよ?」
「災厄の神は女性らしいですからね。イルムハート君の魅力には逆らえないのでしょう。
その点、女性に全く相手にされないような人間は気楽でいいですよね。」
「あのなあ、それとこれとは関係ないだろ?
第一、いくら女神だって厄介事ばかり持ってくるような相手ならこっちからゴメンだぜ。」
「でも、厄災の神だけじゃありません、幸運の神も女神なんですよ?
つまり、イルムハート君は幸運の女神も好かれると言うことになります。
それは、いくら厄介事に巻き込まれようともその後には必ず幸運がもたらされるということですよ。
何だかんだ色々あっても、結果イルムハート君が2人の素敵な婚約者を手に入れることが出来たのは、正にその幸運の女神のお陰だとは思いませんか?」
「そう言われてみると……そうかもな。
お前だけずるいぞ、イルムハート!」
すっかりケビンに乗せられてしまうジェイク。
しかし、イルムハートにとってそれは謂れのない非難でしかなかった。
「いや、そんなこと言われても……。」
ジェイクもデイビッドに弟子入りしたお陰で多少は落ち着いて来たかと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。多分、この性格は一生直らないのかもしれない。
「はいはい、いつまでもバカなこと言ってないでさっさと歩きなさい。」
「いや、でもよ……。」
「でもじゃないわよ。今日中にアンスガルドに入るって言ったでしょ?
もし遅れたら、アンタ今晩はご飯抜きだからね?」
「えっ?何で俺だけ?」
「アンタが遅れる原因になってるんだから当たり前でしょ?
そもそも、何でこう言う話になるといちいち立ち止まってギャーギャー騒ぐわけ?
話しながら歩くとか出来ないの?バカなの?」
「うう……。」
同時に、ライラには頭が上がらないのもおそらくはこの先ずっと変わらないのだろう。
(良いコンビだとは思うんだけどな。)
確かに、ある意味では息ぴったりの2人ではある。
但し、ライラに想いを寄せるジェイクにとってそれが果たして望み通りの姿なのかどうかは正直何とも言えないところではあるのだが。
冒険者の国アンスガルド。
元はとある公王の治める国だったが、国家と国民の未来を考えた為政者が冒険者ギルドにそれを託したことで生まれた国である。
その面積は小国家群の中で一番小さい。なんと2番目に小さなルフェルディア公国の半分にも満たない、所謂都市国家と呼ばれる程度の国土しか持たない国だ。
かつての産業と言えばその狭い国土で細々と行われる農業と、あとは北の隣国ブリュンネ王国で産出された鉱石を使っての金属装飾の加工くらいだった。
何とかカイラス皇国からの独立を果たしはしたが、そんな状況では国自体そう長く持たないだろうと言うことくらい誰にでも容易に想像出来た。勿論、当の公王もだ。
いずれ国は消え再び他国の支配下に入る未来しか見えなかったのだが、そこにひとつの光が射した。近年、大きくその勢力を伸ばし始めていた冒険者ギルドが発祥国とのトラブルにより国を出ねばならなくなっていたのだ。
そこで公王は冒険者ギルドに接触し、自国への移転を打診した。
しかし、当時の冒険者ギルドは権力からの横槍を受けこれと対立していたせいもあり、国家と言うものに不信感を抱いていた。
結局は公王も己の利益のため自分達を利用しようとしているだけではないのか?
意に沿わぬことがあれば今の国と同様に圧力を掛け従わせようとするに違いない。
ギルド側がそう疑いを抱くのも当然である。
だが、公王にそんな気は微塵も無かった。そんなことをすればせっかく誘致に成功しても、またすぐ出て行かれるのは間違いないのだ。
このまま放っておけば確実に国は消滅する。そんな状況で目先の利だけを追ったところでどうにもなるまい。
それに、冒険者ギルドを誘致しようとする国は他にいくらでもあるはずだ。ギルドの経済力・技術力は極めて魅力的なのだから。
そんな中で貧しい小国が小細工をしたところでどうなると言うのか?
当時の公国には冒険者ギルドを呼び込むために魅力的な提案をするほどの力はなかった。少なくとも経済的にはだ。
そこで公王は極めて大胆な決断をしたのである。国そのものを譲り渡そうと。
これには周りの誰もが驚いた。王がその身分を自ら捨て廃位しようと言うのだからそれも当然だろう。
しかし、ここで何もしなければもっと惨めな未来が待っているのは確実なのだ。自分の代で終わるか、それとも子か孫の代でそうなるかの違いでしかなかった。
勿論、反対の声が無かったわけではない。特に貴族の中にはその地位を失い平民になるなど誇りが許さないと断固抵抗する者がいた。
だが、貴族達にしても今更誇りだ何だと言っている場合では無いのも確かだった。国が貧しい分、貴族達の暮らしも決して豊かではないのだ。
今のままちっぽけなプライドにすがって細々生きてゆくことが果たして貴族として正しいことなのか?
むしろ、ここで民のために全てを投げ打つ覚悟を見せることこそ、本来の貴族としての”誇り”を護る道なのではないか?
そんな公王の言葉に、結局は反対派も黙るしかなかった。
こうしてその公国は短い歴史に幕を閉じ、新たに冒険者の国へと生まれ変わることになる。
冒険者ギルドはこの決断に驚きと感謝と、そして最大限の敬意を表した。
元公王と貴族達には国家運営のサポートをしてもらうという名目で政府における地位を約束しその決断に報いた。
加えて国名も”公国”の部分だけを削りそのまま残そうと提案もした。
しかし、これについては元公王から辞退されてしまう。新しく生まれ変わる国に旧き名など相応しくない、そう言われたのだ。
尤も、これには元公王の個人的感情も多分に含まれてはいただろう。己の不甲斐なさで終わりを迎えることになった国の名など残したくはなかったのではないだろうか。
元公王のそんな複雑な感情を察した冒険者ギルドはその言葉を受け入れ、ギルド創始者の名を国名として定めることとした。
こうしてこの時代、人族の中では唯一の共和制国家としてアンスガルドは誕生したのである。
ただ、冒険者ギルドとしてもそれだけでは元公王に対する感謝を示し切れないという思いもあった。
そこで後日談とはなるが、後年その元公王が逝去した際に首都の名を変えようという動きが出る。偉業を成さしめた賢王を讃えるためにと。
これによりアンスガルドの首都は元公王アウレル・カロッサの名を取り、アウレルと改名されたのだった。
「何か、すげー街だな。」
アンスガルドの首都アウレルの街を遠目に見ながら、ジェイクは思わず感嘆の声を上げた。尤も、声にこそ出さないがその思いは他の3人も同じだった。
アウレルはこの辺りには珍しく城壁ではなく堀によって守りを固めるよう造られた街である。
その点はイルムハートの故郷ラテスの街と似ているものの、目に入って来る景色は全く違う。
城壁が無いせいで外からでもその街並みを見ることが出来るのだが、そこには十数階はありそうな高層の建物が幾つも並んでいた。皆、こんな景色は見たことが無かったのだ。
勿論、バーハイムの王都アルテナにも高層の建物はある。
但し、そちらの場合は人口増加による土地の不足から建物を無理に高くした感が否めず、確かに目は引くが感銘を受けるほどではなかった。
だが、アウレルの場合は違う。
おそらくアンスガルド建国時から計画的に建築されてきたであろうそれらの建物は規律と調和を持って整然とそこにそびえ立ち、見る者の目と心を奪うのだ。
それはイルムハートの前世の記憶にある摩天楼にも似た景色だった。
さすがは小国家群中最大と言われる都市だけのことはある。
『アンスガルドは色々な面で君達を驚かせてくれるはずだ』
イルムハートが旅立ちの意志を告げた際、リックはそう語ってくれた。確かに驚くばかりである。
しかし、あの言葉に込められた意味がこれだけとも思えない。自分を驚かせてくれるようなことが他にももっとあるはずだ。
そんな好奇心にかき立てられイルムハートはいつになく心躍る感じを味わっていた。
小国家群の中では各国家間を移動するのに何の制限も無い。
主な街道には一応検問所のようなものが設けられてはいるが、余程の事が無い限りは無審査で国境を越えられるし当然入国税なども徴収されなかった。
その辺りの手続きは”小国家群”というひとつの連合体に入る時点で既に済んでいるということなのかもしれない。
しかし、だからと言って何処にでも自由に出入り出来ると言うわけでもなかった。
大きな街、特に首都のような場所へ入るためには保安上の理由から身元確認が必要とされた。危険人物とは国の内外を問わず何処にでもいる可能性があるのだから、これも当然の措置ではあろう。
だが、意外な事にアウレルにはそれが無かった。アンスガルドの首都であるにも拘わらず呆れるほど自由に出入りすることが可能なのだ。
これにはイルムハート達も驚きを通り越し要らぬ心配すら抱いてしまう。こんなことで街の治安は大丈夫なのか?と。
そんな一抹の不安を抱きながらイルムハート達は堀をまたぐ大きな橋を渡り街の入り口である門をくぐる。その時、イルムハートは何やら微かな違和感を感じた。薄い空気の膜を通り抜けたような、そんな感覚だ。
「ケビン、今のを感じたかい?」
イルムハートは脇を歩くケビンにそう問い掛ける。
「ええ、ある種の結界か……或いは探知魔法のような感じでしたね。」
「君もそう思うか。」
「おそらくは特定の危険物か何かに反応するような仕組みなのではないでしょうか?」
「多分、そうなんだろうな。」
アンスガルドはこの世界でもトップクラスの魔道具技術を有している。いや、実際にはダントツの”トップ”と言っても過言は無い。
思うに、あの入り口の門にはその技術を使った”防犯装置”が仕込んであったのだろう。そして、おそらくは街の要所要所にも同種の魔道具が設置してあるに違いない。
そう考えれば無審査で通行出来ることの説明がつく。
「えっ?そうなの?
アタシは何にも感じなかったけど?」
すると、イルムハートとケビンの会話を聞いたライラが不思議そうな顔をした。どうやら彼女には感知出来なかったらしい。
「極めて微弱な魔力でしたからね、気付かなくても仕方ないですよ。
僕もイルムハート君に言われなければ単なる気のせいで済ませていたかもしれませんし。」
この仕掛けの巧妙なところは相手に気付かれない程度の弱い魔力を使っている点だった。しかもほんの一瞬のことなので、例え気付いたとしても気のせいだと錯覚してしまうのである。
イルムハートもケビンもひとりではおそらく気付けなかったかもしれない。魔法の天才が2人いてこそ初めてその存在が判ったのだ。
「ケビンですらそうならアタシに分かるわけないわね。」
そう言って諦めたようにライラが肩をすくめると、すかさずそこへ口を挟んで来る者がいた。勿論、ジェイクである。
「なんだよ、情けねえな。
お前、それでも魔法士か?」
無謀にもジェイクはそう言いながら鼻で笑うような仕草をして見せた。
だが、これは極めて的外れな台詞であり、そして何よりも盛大に地雷を踏み抜いたことを残念ながらジェイクは自覚していなかった。
「一口に魔法士と言っても人によって放出系・操作系・探索系などその特性は様々ですからね。剣士にもパワー・タイプやスピード・タイプなどがあるのと同じですよ。
ライラさんの場合は攻撃特化の放出系ですから、探知などはあまり得意ではないのでしょう。
逆に言えば僕の攻撃魔法なんてライラさんには到底敵いませんしね。」
「でもよ、イルムハートなんかは全部いけるじゃないか。」
「イルムハート君みたいな万能型を基準に考えるのは間違いですよ。彼のような人間はそうそういません。」
「それでも同じ魔法士だろ?」
「なら、ジェイク君は剣術でイルムハート君と同じ真似が出来るんですか?」
「そ、それは……。」
思わず口ごもるジェイク。まあ、イルムハートを比較対象として持ち出したこと自体がそもそもの間違いなのだ。そのせいで更に泥沼へとはまってしまう。
「それに、ジェイク君もイルムハート君も同じ”男”ですよね?
だったらジェイク君だってイルムハート君同様、女性からモテモテになっていてもおかしくはないはずですよね?
でも、実際はどうですか?」
「……。」
ケビンは明らかに論点をズラしからかっているわけだが、それに気付かないジェイクはガックリと肩を落とし完全に沈黙してしまった。
すると、そこへライラが声を掛けてくる。
「もうそのくらいにしておきなさいよ。
どうせいつものように良く考えずその場の勢いだけでものを喋ってるだけなんだから。」
「ライラ……。」
ジェイクは薄っすらと涙さえ浮かべながら崇めるようにライラを見る。
結構酷いことを言われているはずなのだが、どうやら今のジェイクには彼女が救いの女神にでも見えているようだ。
「お前だけは俺の味方をしてくれるんだな。」
だが、そんははずもない。
「はあ?そんなわけないでしょ?
ただ、こんなとこで時間を無駄にしたくないだけよ。
第一、アタシみたいな”情けない”魔法士が味方についたところでアンタも嬉しくはないでしょ?」
静かだが恐ろしく冷たい目でそして声でライラはジェイクを見つめそう吐き捨てた。
どちらかと言えば格闘戦を好む傾向にあるライラではあるが、それでも魔法士なのだ。イルムハートやケビンの才能を羨む気持ちはある。
だが、人それぞれ特性と言うものがあり単純に比べれば良いと言うものでもない。自分は自分の長所を伸ばすよう努力すればそれで良いのだと、そう割り切るようにしていた。
とは言え複雑な思いが有るのも確かで、そんなデリケートな感情をジェイクは不用意に逆撫でしてしまったわけだ。ライラが不快に思うのも無理は無い。
「あっ、いや、別にそんなつもりで言ったんじゃなくてだな……。」
そんなライラの気持ちに気付いてかどうかは知らないが、ジェイクは見るからに焦り出した。
「悪かったよ。謝るって。」
しかし、ライラはそんなジェイクを無視して
「さあ、早く行きましょう」
そう言いながらさっさと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待てよ!いや、待ってください!
ライラ!ライラさーーーん!」
慌てて後を追うジェイクの姿にイルムハートとケビンは思わず目を合わせながら肩をすくめる。
そしてこう思った。
今日も平和でなにより、と。