辺境伯と騎士団長 Ⅱ
イルムハートが目覚めたのは、いつもより少し遅い時間だった。
昨日の疲れもあるだろうと気を使って誰も起こさずにいてくれたのだ。
確かに、昨日の件にはイルムハートも多少の疲労を感じてはいた。肉体的にではなく精神的に。
昨日、夕方近くになって屋敷へと戻ったイルムハートは、まず父ウイルバートに無事の報告と心配を掛けたことへの謝罪を行った。
何らかの小言を覚悟していたイルムハートだったが、予想に反してウイルバートは 「疲れただろうから今日は早く休みなさい」 とだけ言ってそのまま執務に戻ったのだった。
いささか拍子抜けしたイルムハートだったが、屋敷の雰囲気からこれで終わりではないことは理解出来た。
仕返しのために領主屋敷まで乗り込んでくるほど地回り達も馬鹿ではないので、騒動自体は収束するだろう。
だが、その後始末が残っている。今回の騒動に対して誰がどう責任を取るかだ。
ウイルバートがその場の感情で処罰を下すような人間でないことはイルムハートも良く解っている。
とは言え、騒ぎが起きてしまった以上、誰かが責任を取ることになるのだろう。
自分のせいで誰かが罰を受けることを考えると、イルムハートは憂鬱な気分になった。
そして夕食時、エマが姿を見せななかったことで彼の憂鬱は不安へと変わってゆく。
同行しているメイド長補佐に呼び出されたとの事だったが、何らかの処罰を受ける可能性を考えると食事も喉を通らなかった。
就寝時になってやっと戻って来たエマから注意を受けただけで処罰は無かった事を確認すると、それまでの緊張が一気に解け、イルムハートはそのまま眠りに落ちたのだった。
目覚めたイルムハートはベッドから起き上がると自分で服に着替え、鏡を覗き込んで櫛を使い寝癖を直す。
以前は全てエマがやってくれていたのだが、今は自分でやるようにしていた。
女性と違ってそれほど手間がかからない事もあるが、何より照れ臭かったからだ。
肉体は子供でも精神はそうではない。いつまでも子ども扱いされるのは何とも居心地が悪かったのだ。
「お目覚めでございすか、イルムハート様。」
ドアがノックされ、エマの声がした。
「ああ、起きてるよ。」
イルムハートが応えると、洗面用具を乗せたワゴンを押してエマが入ってくる。
「おはようございます、イルムハート様。」
「おはよう、エマ。」
エマの顔を見て、イルムハートは改めて安堵した。
昨日、エマが姿を見せなくなった時には、お付きから外される可能性まで考えてパニックになりかけた。
そこまでの責任がエマにあるわけではなく、イルムハートの杞憂でしかなかったのだが、それほど彼にとって彼女は大事な存在なのだ。
「屋敷の様子はどう?」
美しい装飾で飾られているボウルに注がれた水で顔を洗いながら、イルムハートはそう尋ねた。
「はい、かなり落ち着いて来たように見えます。騎士団の方々も通常の警備に戻られたようですし。」
屋敷が襲撃される可能性は低いと判断され、騎士団の警備体制は通常に戻されていた。
ただ、警備隊の一部はまだ残されているので、完全に安全と判断されたわけでもなかった。
「そうか。じゃあ、ニナさん達にも昨日のお礼を言いにいかないとね。」
その言葉にエマは少し表情を曇らせる。
「その、ニナさんのことなんですが・・・先ほどお礼に伺ったのですが、お会い出来ませんでした。」
「警備に出ていたんじゃないの?」
「いえ、何でも査問会にかけられるらしく、謹慎中とのことでした。」
「査問会!?」
イルムハートは驚きの声を上げてエマを見ると、彼女は力なく「ハイ」とだけ答えた。
査問会とはただ事ではない、とイルムハートは思う。
騎士団の団規についてそこまで詳しく知っているわけではないが、その”査問会”がイルムハートの知識にあるものと同じだとすればニナ達は処罰対象として扱われていることになる。しかも、決して軽くはない罪で。
(謹慎までさせられているということは、多分そうなんだろうな・・・。)
単に事情聴取を行うだけならば謹慎処分などにはならないはずだ。
それは、既にこの時点で処罰を受ける可能性が高いという事を意味していた。
「ニナさん達はどうなるのでしょうか?」
エマは不安げな表情でイルムハートに問いかけた。
「わからない。でも、ニナさん達が罰を受けるなんて、そんなのおかしいよ。僕たちを守ってくれたんだから。」
イルムハートはどうすべきかを考えた。
査問会に出て弁護するというのはまず無理だろう。主筋であるイルムハートはその立場ではない。
かと言って査問会の審議に口を挟めるほどの権限もない。
となれば、取るべき方法はひとつしかなかった。
「お父様と話してみるよ。何か誤解があるのかもしれない。」
だが、自分の父親とは言え執務中にいきなり訪ねて行くわけにはいかない。まずは面会の要請を出して時間を取ってもらう必要がある。
イルムハートは身支度もそこそこに、エマを引き連れてウイルバートの側近が控える部屋へと向かった。
「ニナさん達が査問会にかけられると聞きました。本当ですか?」
執務室へ招き入れられたイルムハートは、挨拶もそこそこにそう尋ねた。
部屋にはウイルバートと騎士団長のアイバーンが揃っていた。
「本当です。ニナ・フンベル他2名は、職務規律違反の嫌疑で査問会にかけられることになります。」
そう答えたのは、ウイルバートではなくアイバーンだった。
騎士団の統率は彼の役目なので、ウイルバートが目でそれを促したからだ。
「どのような規律に違反していると言うのでしょうか?」
「あの者達の職務は護衛であり、イルムハート様の安全確保が何より最優先事項です。
にも拘らず、あの者達はそれに反した行動を取り、イルムハート様を危険な目に合わせてしまいました。
そのような行為を見逃すわけにはいかないのです。」
アイバーンの口調は、いつもイルムハートが聞いているものより少々事務的に感じられた。
「それは地回り達に手を出した事を言っているのでしょうか?」
確かに、あれが引き金になったことは確かだ。
だが、それが処罰の対象になるなどイルムハートには到底納得できるものではなかった。
「あれは僕がお願いしたことです。ニナさんはそれに従っただけです。」
「いえ、その事を問題にしているのではないのです。
無法を働く者から領民を救う事、それ自体は騎士として間違った行いではありません。」
「では何が問題なのですか?」
「その後の対処についてです。」
イルムハートの反論を否定したアイバーンはそう言って一度言葉を切り、敢てゆっくりと噛んで含めるような言い方で話を続けた。
「賊どもが街の犯罪者集団に属していることは明白で、ニナ・フンベルもそれを理解しておりました。
であれば、当然一味による報復の可能性を考慮すべきであり、その対処を行う義務があの者達にはあったのです。
指揮役であるニナ・フンベルはその時点でお屋敷への帰投を決断すべきところ、その判断を誤りました。
また他の2名もニナ・フンベルに対し意見すべきであったにもかかわらず、これを怠ったのです。」
「でも、それは僕が・・・。」
「イルムハート様。」
あれは自分が我儘を言ったからだと、そう言おうとしたイルムハートの言葉をアイバーンはみなまで言わせず遮った。
「この度の騒乱が民心へ与えた不安は決して少なくありません。局所的なものとは言え、街中で戦闘が行われたのですから。
代官を初めとするトラバール行政府の統治能力が問われるほどの事態と言っても過言ではありません。
その可能性を予測しながらも回避する手立てを講じなかった事は、イルムハート様が思う以上に大きな問題なのです。」
アイバーンの言い分に、イルムハートは返す言葉もなかった。
「仮に、何の対処もせず散策を続けたのがイルムハート様の御意向によるものだったとしても、あの者たちがそれを口するとお思いですか?
イルムハート様の落ち度が騒乱を招く要因となってしまったなどと、そのような報告が出来るとお思いでしょうか?
その結果、民の不信を招き、ひいては御家名に傷が付く。そのような可能性が僅かでもあってはならないのです。
あの者達にはフォルタナ騎士団としての矜持があります。
フォルタナ辺境伯アードレー家御一家とその名誉を守るのが臣下の役目であり、そのために自己を犠牲にするのも厭わぬ覚悟があるのです。
あの者達も全て承知の上で処罰を受け入れる事になるでしょう。」
どうやら、事のいきさつについては全てお見通しなのだとイルムハートは気付く。
まあ、アイバーンもニナ達が判断を誤るような人間ではないことを知っている以上、誰に落ち度があったのかはすぐに判るだろう。
それでも彼女達を処罰するのは、全てはイルムハートをそしてアードレーの家名を守るためなのだ。
(そうだった・・・ここはそういう世界だったんだ。)
いくら善政を施いているとはいえ、ここバーハイム王国は絶対王政の国であった。
バーハイム王国に限らず、この世界では同様の政治体制を取っている国がほとんどだ。
そして、そこには貴族制度による厳しい階級社会が存在する。
王は絶対であり貴族は不可侵なものとして平民を支配する、そういう仕組みの上に成り立っている国家なのだ。
イルムハートにとっては ”たかが” 自分の名誉でしかないとしても、それを守るために命すら掛ける者がいる。そんな世界だった。
彼としても決して忘れていたわけではない。貴族として暮らす上で、それを否応なく感じさせられる場面は少なくないのだ。
だが・・・。
(どうも小市民には共感しづらいんだよね、この貴族の価値観ってヤツは。)
前世の異世界においては平凡な人間でしかなかった(と思っている)イルムハートにとって、他者を支配し服従させるという事がどうにも肌に合わなかった。
開き直って全て受け入れてしまえば楽なのかもしれないとも思う。と同時に、それは無理だということも解っていた。
上下関係があるのはどこの世界も同じだが、支配や服従となると話は別だった。
例えそれが完全ではなかったとしても、自由と平等を謳う世界で形成された価値観は今更変えられるものではない。
それに・・・何より面倒だった。支配や服従など、するものされるのも。
自由で気楽に生きる事が理想であり、その点はブレないイルムハートだった。
「イルム。」
考え込んでしまったイルムハートを見て、ウイルバートが声を掛ける。
「騎士団を初めとして我が家に仕える者達は皆、相応の覚悟を持って臨んでいるのだよ。
私たちはその忠義に応えねばならない。そうは思わないかね?」
この場合の ”応える” は報いるという意味ではない。彼らが守ろうとしているものを是が非でも守り抜くという事だ。
(今はそうするしかないんだろうな・・・少なくとも独り立ちするまでは。僕はまだアードレーの家に守られている存在なんだから。)
「申し訳ありませんでした、お父様。僕の自覚が足りませんでした。」
イルムハートの答えを聞き、ウイルバートは息子が貴族としての自覚を持ち始めてくれたことを喜んだ。
実のところ、イルムハートの言う ”自覚” はウイルバートが思うものとは違っていたのだが、それに気付くわけもない。
「解ってくれればよいのだよ。それから・・・」
満面の笑みを浮かべたウイルバートは、そんなイルムハートを安心させるべく言葉を続けた。
「ニナ・フンベル達の事は気に病むことはない。確かに騒乱を回避出来なかった事については、責任を取らねば示しがつかない。
だが、賊を撃退した功労もある。その点を考慮すれば、それほど重い処罰にはならないはずだよ。」
実際に地回り達を倒したのはエマの魔法だったのだが、その辺りは上手く話をすり替えてニナ達の功績にするつもりのようだった。
もちろんそれは手柄を横取りするわけではなく、功と罪を相殺して処罰を軽くするためである。
エマの魔法は出来るだけ公にはしたくないという思惑と、そもそも彼女自身が戦闘での手柄など望んでいないこともあり、表向きはニナ達が敵を撃退したということにしたのだろう。
(なるほど、そういう筋書きになってるのか。)
ウイルバートの話を聞いて、イルムハートは全てを理解した。
アイバーンの言葉が嘘だとは思わない。人々に与えた不安、当事者としての責任、そして臣下としての覚悟。どれも本当のことなのだろう。
だが、今求められているのはあくまでも形式なのだ。
行政府だけに責任を押し付けるのではなく、騎士団側からも処分対象者を出すことで不満が出るのを避けようという考えに違いない。
そして、処分が形式なのであれば量刑もまた形式であるのは当然のことだった。
最初はそれなりに重い罰を与えながら、それを恩赦で軽減する。要するに出来レースなのだ。
しかしイルムハートは、それを非難するつもりはなかった。
何事においても形式や体裁といったものは必要だし、今回のように物事を丸く収めるための出来レースであれば文句を言う筋合いはない。
だが一方で、そんな回りくどいやり方を面倒だと思う気持ちも確かにある。
今回は自分に非があるためそれに付き合わざるを得ないが、関わらずに済めばそれに越したことはない。
(それを我慢するのも貴族としての”自覚”ってことなのかな・・・。)
この先、貴族として生きていく事に少々憂鬱になるイルムハートだった。
そんなイルムハートの目に、微妙な表情を浮かべるアイバーンの姿が映る。
(あれ?まだ何かあるのかな?)
それが気になりよくよく観察してみると、彼の視線が向けられているのはイルムハートではなくウイルバートであることに気付く。
彼は自分の主人である人物に対して、半ば呆れ半ば非難するような視線を送っている。所謂 ”ジト目” というやつだ。
どうやらウイルバートもそれに気が付いたようで、一瞬ハッとした表情を浮かべた後、何やら気まずそうに目を逸らした。
(もしかして、これってバラしちゃいけない事だったんじゃ・・・。)
2人の表情からイルムハートはそれを読み取った。
確かに、査問会自体が出来レースであるなどどは、少なくとも事前に漏らして良い情報ではないだろう。
それと、イルムハートは知らなかったが、処罰を軽くする件はウイルバートが口止めしていたのだった。
イルムハートに自覚を促すため今回は少々厳しく行くのだと言って、アイバーンには内緒にするよう命じていた。
なのに、当のウイルバートがつい口を滑らせてしまったのだ。嬉しさのあまり親バカが顔を出してしまったせいで。
嫌な役回りだけを押し付けられたアイバーンとしては、小言のひとつも言いたいところであろう。
「お父様、お時間を頂き有難うございます。良い勉強になりました。それでは僕はこれで下がらせて頂きます。」
空気を読んで、というよりその空気から逃げるために、イルムハートは退室の意志を告げた。
ウイルバートは一瞬、すがるような目で息子を見たが、結局「ああ、そうか」と言って引き攣った笑みを浮かべただけだった。
そんな微妙な雰囲気の中、イルムハートは早々に執務室を後にした。
その後、執務室でどのような会話が交わされたかは知る由もないが、昼食時に見た父親の少し疲れた顔からはその内容が容易に想像出来たのだった。