石板の謎と悪霊獣(デーモン)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
自ら胸を刺し命を絶った調査員の血にまみれながら怪しく光り出す石板。
そしてその直後、石板に光の柱が立ち始める。それは光でありながらもどこか昏さを持ち、禍々しい魔力を放っていた。
その光景に本能的な危険を感じ思わず足を止めるイルムハートとカスパー。
やがて、光の柱の中から何かが姿を現す。
それは黒鉄のごとく漆黒の輝きを持つ異形の怪物だった。
頭部は昆虫のようにやや丸みを持った逆三角形だが目の辺りに複眼は無く、代わりに雄牛のような太い角が生えていた。
人間の背丈の倍近くあるその体躯は人型ではあるものの外皮が甲冑のように全体を覆っている。
2対4本ある手足の指はそれぞれ人と同じく5本。尤も、指と言うより鋭い短剣が生えていると言った感じだ。そして、先端が二股に分かれた太い尾。
正に人が悪夢に描くような怪物である。
「な、なんですか、アレは?」
カスパーは必死に自分の中の記憶を探ったがこんな魔獣は見たことも聞いたこともなかった。
それはそうだろう。この怪物は魔獣ではないのだ。いや、それどころかこの世界に存在するはずのない、存在してはいけない生き物なのだからカスパーが知るはずもない。
(まさか、悪霊獣なのか?)
だが、イルムハートは知っていた。
デーモン、またの名を悪霊獣とも言うその怪物はあの世とこの世の狭間に潜む生ける災厄である。
この世界が創られた時、膨大なエネルギーがその役割を担った。あるものは物質へと変わり、あるものはそれを変化させるための力となる。
だが、そんな中においてどうしても零れ落ちてしまうものもあった。
拡散されることで逆に安定状態となり活動を止めたエネルギーは本来の役割を果たすことなく世界を漂い、やがて次元の狭間へと落ちて行った。
後にそれらは暗黒の世界において集まり濃縮され再び活動する力を得る。そして、”負”のエネルギー生命体へと昇華していったのだ。
その負のエネルギー体がこの世界に顕現し肉体を得たもの、それがデーモンなのである。
デーモンは過去何度か世界を襲った災厄の折、”背信の神”に仕える使徒達によって召喚され世界を恐怖に陥れた。
イルムハートはそのことを天狼から聞かされていたのだった。
(だとすると、あれは”始りの言葉”を使った召喚の魔道具か?)
人が使い得る魔法には当然限界と言うものがある。人であれデーモンであれ、普通の魔法では異なる世界から何者かを呼び出すことなど到底出来はしない。
しかし、神の力を借りるための言葉である”始りの言葉”を使えばそれも可能となるのだ。
おそらく石板に描かれていたと言う魔法陣はその”始りの言葉”を使って書かれたものなのだろう。
そして、イルムハートが感じた死んだ男性から石板へと流れ込んで行った”何か”とは”始りの言葉”を発動させるためのエネルギー、つまり人の魂だったということだ。
(何故こんなものがここに?)
イルムハートは当然の疑問を抱いた。だが、そのせいで大きなミスを犯してしまう。ほんの一瞬ではあるが、石板の近くに取り残されていた男性のことを失念してしまったのである。
デーモンは男性の存在に気付いたように顔を向けるとあっという間にその距離を詰めた。
「しまった!」
思わずそう声を上げるイルムハートだったがもう遅い。デーモンはその短剣のような指(爪?)で一瞬にして男性を切り刻んでしまった。
「くそっ!」
先ずは何よりも先に男性の救護を行うべきだったのだ。
そう後悔するイルムハートだったが、その時ふと殺された男性の身体から何かが抜け出し、またしても石板へと取り込まれてゆくのを感じた。
と同時に、デーモンが召喚された後一度は消えた光の柱が石板の上に再び現れる。
(まさか!?)
これ以上ないほどの嫌な予感がイルムハートを襲った。
そして、その予感は的中してしまう。光の柱の中からもう一体のデーモンが姿を現したのである。
石板の召喚魔法陣は人の魂が持つ生命エネルギーによって起動する。
ただ、召喚魔法は転移魔法のように異界との間にゲートを作るのではなく一体一体を個別に呼び寄せることになるため、その都度エネルギーを必要とした。
最初のデーモンが召喚された後、一旦光の柱が消えたのはそのせいだろう。つまりはそこでエネルギー切れを起こしたわけだ。
それは人ひとりの魂では一体を召喚するのが精一杯ということであり、とりあえずこの世界にデーモンが溢れ出す最悪の事態だけは免れた。イルムハートはそう考えていた。
だが、そうではなかったらしい。
召喚されたデーモンに殺された人間の魂は天に帰ることなく強制的に石板の魔法陣へと送られ、再び別のデーモンを召喚する。どうやら石板の魔法陣にはそんな仕掛けが組み込んであるようなのだ。
これでは下手をすると無限にデーモンが召喚されてしまうことになる。
(どこの誰かは知らないが、何て物を造り出したんだ!)
イルムハートとしては己の知るありったけの呪詛の言葉をその何者かに浴びせ続けてやりたい気分だった。
しかし、今はそんな場合ではない。これ以上被害を出さないことを最優先としなければならないのだ。
「エドマンさん、皆を連れて急ぎここを離れてください!」
イルムハートは2体のデーモンから目を離さないままでカスパーにそう叫んだ。
そして、後ろにいるであろう兵士達に向けてこう付け加える。
「兵士の皆さんは彼等が避難する際の護衛をお願いします!」
案内と荷物持ちのため同行していた兵士は3人いたが、全員が下級兵士で戦力としてはかなり心許ない。実際、デーモンを目の前にした彼等は恐怖のあまりただ呆然とするだけだった。
そのくらいならむしろカスパー達と共に避難してくれたほうがましである。
「君達はどうするんですか?」
「僕達はここでアイツ等を喰い止めます。」
「しかし、それでは……。」
カスパーとしてもイルムハート達を気遣ってのことなのだろうが、そうやって中々決断出来ずにいる間にデーモン達はこちらを次の標的とすべく動き出してしまう。
(させるか!)
イルムハートは即座に土魔法で岩壁を創り出しデーモン達を閉じ込めた。そして、語気を強めこう言い放つ。
「大丈夫、魔獣討伐は僕達の専門分野ですから。
それに、貴方がたがいると僕達は思うように闘えないんです。
ですから、さあ早く。」
要するに「邪魔だ」と言っているようなものなのだが、それを聞いてもカスパーは気分を害したりしない。むしろ自分達の立場を再認識した。このままここにいても足手纏いになるだけなのだと。
「解りました。
増援を呼んで来ますので、それまでここはお願いします。」
そう言い残し、カスパーは調査団の面々を引き連れ兵士と共に急いでその場を立ち去った。
「さてと、悪いが君達にはアイツ等を倒すのに付き合ってもらうよ。」
岩壁の檻から脱出するべくデーモン達が立てる大きな音が響く中、イルムハートは仲間達に向けそう語り掛けた。
「今更何言ってんだよ。こっちは最初からその気だぜ。」
すると、ジェイクがそう言いながら握った拳を掲げて見せる。
その少々大袈裟な反応はともかくとして、デーモンと闘うことについてはライラもケビンも異論など無かった。
そんな頼もしい仲間達にイルムハートは満足そうな表情を浮かべたが、すぐさま真剣な顔に戻る。
「見て解かると思うけど、アレはかなりヤバイ存在だ。
最初から全力で行ってくれ。」
ちょっとでも舐めてかかれば大怪我をすることになる。デーモンとはそれ程に危険な相手なのだ。
「おうよ。」
「解ったわ。」
「了解です。」
いつにないイルムハートの警告にジェイク達も身を引き締める。
とその時、デーモン達を閉じ込めていた岩壁がついに破壊されてしまった。
それを見てイルムハートは思わず眉をひそめる。
(結構頑丈に創ったつもりなんだけどな。)
鋼鉄並、とまではいかないにしても高密度で創り上げた岩壁の強度はかなりのもであるはずだった。だがそれもさほど長くは持たず、イルムハートは改めてデーモンの実力を思い知らされる。
戦闘スタイルが異なるので単純には比較出来ないだろうが、最低でも下位ドラゴン程度の強さがあると言っていた天狼の言葉は誇張でも何でもなかったようだ。
となれば増々奴等を外に出すわけにはいかない。必ずここで仕留める必要があるのだ。
「来るぞ!」
岩壁の檻から解放されたデーモン達は凄まじい殺気と闇にも似た昏い魔力を放ちながらイルムハート達めがけて襲いかかって来る。
こうして冒険者とデーモンとの闘いは開始された。
イルムハートは仲間達から少し離れ先ずは1体のデーモンを迎え撃った。
当然、もう1体は残る3人で受け持つことになる。
それは誰が口にするでもなく、自然にそのフォーメーションが形成された。デーモンの脅威を皆が十分に理解しているからこそだ。
デーモンはその巨体の割に動きは素早い。しかし、あくまでも体躯と比較しての話であって他にいくらでも素早い魔獣はいるし、それらを倒して来たイルムハート達に取っては脅威となる程のものではなかった。
だが、その攻撃力と防御力は凄まじいものだった。
振り下ろす腕は堅い地面をすら容易に深く抉り、魔力を纏った身体は攻撃魔法をほとんど無効化する。今のところ魔法を使って来る様子はないが、そこも十分注意が必要だ。
加えて物理的な耐性もかなりのもので、切りつけたイルムハートの剣も甲高い金属音を立てながら簡単に弾かれてしまった。見た目だけではなく、まるで鋼鉄そのもののような外皮である。
だが、イルムハートに焦りは無い。
相手は異界から来た化け物なのだ。その程度のスペックを持っていたとしてもさして驚く程のことではないし、十分に想定してもいた。
しかし、デーモンはそんなイルムハートをすら驚愕させるとんでもない能力を有していたのである。
相手が鋼の身体を持っているのならと、イルムハートは剣に闘気を込めながら改めて切り掛かった。闘気を纏った剣は鋼鉄をも切り裂くことが可能なのだ。
そして、イルムハートはデーモンの右腕を見事切り落とす。
が、その後に驚くべきことが起こった。
切り落とされた腕の傷口に魔力が収束し始め、見る見るうちに再生し出したのである。
(肉体を再構築している!?)
考えて見れはデーモンの本質は神獣や災獣同様のエネルギー生命体なのであって、魔力を物質化させ創り出したその肉体はあくまでも仮初めのものでしかない。
勿論、天狼達のように完全な不死と言うわけではなさそうだが、そのエネルギーの塊自体が存続する限りにおいてはいくらでも再生が可能なのだろう。
但し、肉体は魔力で再生出来るとしても何の対価も無しにそれが可能であるはずはない。その都度、己の力を再生のために使うことになるはずだ。
デーモンから感じるエネルギーの量など天狼達に比べれば極めて貧弱なものでしかないため、いずれは再生する力も失ってゆくだろう。
だが、それのためにはどれだけダメージを与え続けねばならないのか?
(これはまた厄介な連中だな。)
それを考えた時、イルムハートは思わずうんざりしてしまう。
尤も、今のイルムハートにはそんなデーモンをも一撃で仕留めるだけの力があった。”神気”だ。
災獣・怨竜をすら撃退したこの力を使えばデーモンの(怨竜と比べれば)取りに足りないエネルギーの塊などあっと言う間に霧散させてしまうことが出来るだろう。
しかし、イルムハートはそれを使うことに危惧を感じていた。
例の石板に描かれた魔法陣は人の魂、即ち生命エネルギーを動力源として発動する。そして、”神気”もまた一種の生命エネルギーなのでである。しかも、人ひとりの魂が持つそれよりも遥かに膨大で高純度のだ。
もし、それがあの魔法陣に取り込まれてしまったら一体どうなるのか?
魔法陣から延々とデーモンが湧いて出て来る光景を想像し、イルムハートは絶望的な気分になった。
(先ずはあの魔法陣を破壊するのが先だな。)
イルムハートはそう判断する。
「悪いけど、少しの間コイツ等を抑えておいてくれ。」
その言葉にジェイクが思わず「げっ、マジかよ!?」と叫ぶのを軽く聞き流しながらイルムハートは一足飛びに石板へと近付きその上に乗った。
そこには自裁した男性の屍が無残な姿で転がっていたが、弔うのは後回しだ。魔法陣の破壊が先である。
イルムハートは剣を両手で逆手に持つと思い切り石板へと突き立てた。
がしかし、「ガッ」と言う鈍い音がしただけで石板には傷ひとつ付きはしなかった。
かなり高度な防御魔法を掛けている様子ではあるが、それ以上におそらくはこの石板自体がただの石ではないのだろう。
こうなっては仕方ない。イルムハートは腹を括った。
「これならどうだ!」
そう叫びながらイルムハートは”神気”を解放し剣に込めた。
すると危惧した通り、イルムハートが発する”神気”を吸収し石板が再び輝き始める。
だが、新たなるデーモンが召喚されることはなかった。
その前にイルムハートの剣が石板を貫き、大きな音を立て真っ二つに割れてしまったからだ。
石板は破壊され魔法陣は完全にその動きを止めた。
これでもう遠慮することなく”神気”を使うことが可能となったわけだ。
すると、そこへ一体のデーモンが襲いかかって来た。おそらくは魔法陣を守ろうとしたのだろうが既に遅い。
イルムハートは剣を持ち直し改めて”神気”を纏わせた。そして、相手の腰から肩口にかけ斜めに斬り上げる。
”神気”を纏った剣は光の刃となりデーモンをあっさりと切り裂いた。
その後、ふたつの肉塊と化したそれは二度と再生することなく灰となって崩れ落ちる。イルムハートの”神気”がデーモンの核であるエネルギー塊を消し飛ばしたのだ。
「先ずはひとつ!」
無意識の内にそう叫びながらイルムハートが次なる目標であるもう1体のデーモンに目をやると、ジェイク達を相手にかなり手こずっている様子である。
ランクこそDだが彼等も十分に経験を積んだ優秀な冒険者であり、例えデーモン相手でもそうそう後れを取ることはないのだ。
とは言え、このままのんびり見物しているわけにもいかなかった。そんなことをすれば後で何を言われるか分かったものではない。
”神気”を込めた剣を握りしめながらイルムハートはデーモンの背後へと迫った。
その際、敵の様子に少しだけ違和感を感じたがそんな感情はすぐさま頭の隅へと追いやり横薙ぎに剣を振り抜く。
すると、イルムハートの攻撃を受けてデーモンは上下に切断され、先程と同様に一切再生することなくそのまま灰と化したのだった。