新たなる伝説と加護を授けし者
突然の出来事に合同軍の陣内は大騒ぎとなった。と言うより、最早軽いパニック状態である。
何せ天気の急変に不気味な雲、そしてその中から飛び出してくた巨大な”生物”と、これだけのことが立て続けに起これば我を失ってしまうのも仕方ないことかもしれない。
だが、クルトとしては”仕方ない”で済ませる訳にはいかなかった。
「何を取り乱しておるか!
すぐさま全軍に臨戦態勢を取らせよ!」
クルトは周りにいた各部隊長をそう叱咤する。
”アレ”が敵だとハッキリしたわけではない。しかし、それを前提として準備しておかなければいざという時に何も出来ずただ命を失うはめになってしまうのだ。
「全員武器を取れ!陣形を整えよ!」
彼等はクルトの命に従い兵士達に檄を飛ばして廻る。しかし、それは逆に兵士達の心を恐怖で満たす結果となった。
冗談ではない。まさか、アイツ等相手に闘えと言うのか?
誰もがそんな絶望的な思いを抱く。
騎士や特殊な訓練を受けた兵士ならともかく、普通の歩兵が竜種相手に闘う場合最低でも50人は必要とされていた。しかも、相手が上位種であれば更にその倍は要るだろう。
そんな連中が上空には40体ほど。
それに対して自軍は3千。数的に良くてギリギリ、運が悪ければ相手にすらならず蹴散らされてしまうかもしれないのだ。
更に最悪なのはここノーラがあの”伝説”を持つ街であること。
もし”アレ”が竜種ですらなく、もっと上位の存在であるとしたら……。
兵士達、特にマレドバ軍の者は絶望を通り越し早々に己の死を覚悟した。
何しろ”伝説”が語り継ぐあの存在はただの1体で街を壊滅させるだけの力を持つとされているのだから。
部隊はとりあえず形だけは何とかまとまりを取り戻す。
上空に居る”敵”がどこに降りて来ても対応できるよう全方位を警戒しながら密集体形を取った。そして、その中央に配置された弩弓隊と魔法士が空からの直接攻撃に備える。
だが、兵士達には既に覇気など無く怯えの気配だけがその場に漂うだけだ。
本来ならばここで指揮官であるクルトが全軍に檄を飛ばすところなのだろうが、生憎と既に彼にもそれだけの余裕は無くなっていた。
(一体、何がどうなっていると言うのだ?
何故私がこんな目に会わねばならない?)
これは極めて簡単な任務のはずだった。
カイラス皇国の強大な軍事力を背景にして弱小国を蹂躙する、ただそれだけで良かったはずなのだ。
それがどうだ?
任務の成功どころか部隊の存亡すら危うい状況に追い込まれてしまっているこの理不尽さにクルトは思わず神を呪った。
クルトは最早”アレ”が龍族であろうことを疑ってはいなかった。
天候すら操る能力に転移魔法、そして二重三重に綺麗な輪を描きながら飛行する統率の取れた動き。加えてあのフォルムからしてこれが龍族以外の何者だと言うのか?
問題は彼等が敵なのかどうかだが、これだけの大群で圧力を掛けるかの如く頭上を舞う姿を見る限り少なくとも友好的な雰囲気でないことは確かだ。
(やはり、闘うことになるのか……?)
絶望がクルトを包み込む。
何故ならそれはすなわち部隊の壊滅を意味するからだ。
そんな中、天に描かれた輪から1体また1体と巨大な影がその場を離れこちらへと降下して来るのが見えた。
その光景をクルトは、いやその場の全員はまるで死人のような表情でただ見つめるだけだった。
舞い降りて来た巨大な影達は大きな地響きを立てながら合同軍の前方を取り囲む形で地面へと着地した。
その数は8。
皆、人の背丈の10倍近くもある巨体を持ち、居並ぶ様にはまるでノーラの街の城壁と対峙しているかのような錯覚すら与える。
彼等はすさまじい程の殺気を放ちながらクルト達を睨み付けて来た。中には今にもブレスを吐かんと口の周りに強大な魔力を漂わせる者もいる。
「ひぃっ!」
その姿を見て部隊のあちらこちらで悲鳴にも近い声が上がり、数多くの兵士が腰を抜かして座り込んだ。
クルトにしたところで内心は同じだった。座り込むどころか今すぐこの場を逃げ出したい、そんな思いを必死に耐えていた。
「貴方がたは龍族なのか?」
クルトはそう問い掛ける。この部隊の指揮官であると言う責任と自尊心だけが今の彼を支えていた。
『お前がこの軍の長か?』
すると中央に座するひときわ大きな躰をした影、いや龍族がそう返して来る。
クルトの質問への回答にはなっていなかったが、それで十分だった。言語を解するということが龍族である何よりの証明となるからだ。
「そうだ。私がこの部隊の指揮官、カイラス皇国軍上級武官クルト・フーバー・キーソンだ。」
つい先ほどとまでは一転した力強い声でクルトはそう答えた。
彼にとって皇国の軍人であることはこの上ない名誉であり、その名乗りを上げる際は常に誇らしさで力がみなぎる。
お陰で目の前の恐怖と真っ向から対峙するだけの気力を取り戻したのだが、しかしそれに対する龍族の反応はにべもない。
『お前の名などどうでも良い。
もし、お前が長だと言うのなら全員ここから立ち去るよう兵達に命じよ。今すぐにだ。』
これにはクルトも少し苛立ちを覚える。自分を小物扱いしたばかりか、あまつさえ上から目線で命令して来るとは一体何様のつもりか?
確かに相手は地上最強生物である龍族。彼等からすれば人族など取るに足りない存在かもしれない。
だが、クルトにも皇国軍人としての意地があるしプライドがあった。
(舐められたままでたまるものか!)
「これは異なことを申される。
我々に撤退しろと?
突然現れた貴方がたが、一体何の権利あってそのようなことを申されるのか?」
怒りのこもった目でクルトは龍族を見返した。
だが、これは残念ながら賢い選択とは言えないだろう。
いかにカイラス皇国軍が人族最強軍の名を誇っていたとしても龍族には関係ない。それはこの場において何の役にも立たないのだ。
3千人の兵と40体の龍族。これこそが今クルトが直視すべき現実なのである。
『権利だと?』
クルトの言葉を聞いた龍族の声に怒気が増す。
『ならば問うが、お前達こそ何の名分あってこの地を荒らそうする?
ここは我ら龍族にとって永劫の友ナディア・ソシアスの眠る地である。
彼女の安らかな眠りを妨げようとする者に対しては我等の信義と名誉を持って全力でこれを排除するまで。
そのことに何の”権利”が必要だと言うのか?』
そんな龍族の言葉にクルトは思わず凍り付いた。
彼等は本気で我々と闘おうとしている。今更ながらにそう気づいたのだった。
「べ、別に我々はソシアスの墓を暴こうなどと考えているわけではない。
ただ命によりあの街を占拠すべく……。」
『何が違う?
己が愛する故郷を蹂躙され、それでも彼女の魂が安らかでいられると思うのか?』
最早クルトには言い返す言葉も気力も無かった。
『それでもまだ退かぬと言うのであれば是非もない。
我等がお前達の相手をしてやろう。』
これはクルト達にとって死刑宣告にも等しいものだった。”相手をしてやる”と言ったところで実際には闘いにすらならない。
目の前の龍族は8体。おそらくはその半分が相手でも3千の一般兵などあっと言う間に蹴散らされてしまうだろう。
しかも、上空にはまだその数倍の数の龍族が待機している。最早これは国すら亡ぼせる戦力なのだ。
その上で龍族は更に恐ろしい事を口にした。
『お前達だけではない。
この地を荒そうなどと意図する者があれば、例えそれが人であろうと国であろうと我等龍族は総力を挙げて闘うまでだ。
それによりその者は邪な考えを捨て生き延びるか或いはそのまま滅ぶか、そのどちらかを選ぶことになるであろう。』
クルトの心はこれで完全に折れた。
龍族との全面戦争など考えるだけでも恐ろしい。
もしそんなことになりでもすれば、いくらカイラス皇国とて国が傾く程の大損害を受けるのは間違いないだろう。
ましてやマレドバ王国など言わずもがなである。数日で国が消滅したとしてもおかしくはない。
そしてその選択が今、クルトの判断に託されてしまったのである。
「わ、解かった。今回は手を引こう。」
ここで完全に龍族と敵対するような真似など出来るはずもない。身を押しつぶすような重圧にかろうじて堪えながらクルトはそう口にした。
だが、この返答ではまだ不十分だったようである。
『今回は、だと?
つまり、いずれまた攻め入って来るということか?』
「い、いや、言い方が悪かった!最早、私にそのつもりは無い!
ただ、こればかりは私の一存で決められることではないのだ!」
『ならば、やはり闘うしかないようだな。』
「待ってくれ!あくまでも今この場ではと言うことだ!
必ず、神に誓って必ず私がノーラの街には二度と手を出さぬよう上層部を説得しよう!
だからそれまでの猶予をもらえないだろうか?」
クルトは顔を引きつらせながらも必死にそう訴えかけた。
勿論、ここで死ぬのは御免だが軍人の身としてそれはある意味仕方ないことでもある。
しかし、国を滅ぼしかねないような争いの引き金を引く真似だけは絶対に避けなければならなかった。誰だって亡国の原因を作った大罪人にはなりたくないのだ。
そんなクルトの決死の表情を見て龍族も少しだけ語気を弱める。
『よかろう、お前の言に免じて今回だけは猶予をやろう。
だが忘れるな。再びこの地にてお前達の姿を見たその時は容赦せん。
解かったな。』
「……感謝する。」
安堵のあまり薄っすらと涙さえ浮かべながらクルトは声を絞り出した。
とは言え、これで全てが収まったわけではない。国の上層部を説得しなければならないと言う大仕事がまだ残ってはいた。
だが、今置かれている状況に比べればそれは些細なことだ。少なくとも国の命運を決める役目を他者に転嫁することが出来るのだから。
咄嗟の事で思わず神に誓いはしたものの正直なところ最終的に国がどう判断するかは分からない。ただクルトとしては事実を報告するだけである。
(その後のことは……どうなろうと俺の責任ではない。)
良くも悪くも吹っ切れたクルトはひと呼吸ついた後、部下達に向かっていつもの彼らしく命令を下した。
「全軍、撤退だ!
可及的速やかにこの地を離れるよう全軍に通達せよ!」
ノーラの城壁の上ではカイラス・マレドバ合同軍が一斉に退いて行く姿を数多くの者が見守っていた。
そこには守備の兵士だけでなく異変に気付いた冒険者の姿も含まれており、イルムハート達もその中にいる。
本来、イルムハート達は早々に避難民を連れノーラを離れる予定だったのだが、急遽最終グループの護衛を志願することでまだ街に居残っていたのだ。
勿論、これにはもうひとつの理由があった。合同軍の撤退を見届けるためだ。
「みんな、何が何だか分からないって顔してるわね。まあ、無理も無いけど。」
辺りを見回し少し苦笑気味にライラがそう言った。
確かに、敵軍が撤退して行くにも拘わらずその場には歓声のひとつも上がってはいない。皆、信じられないような目の前の出来事にただ呆然とするだけだった。
その後、彼女の顔は一転して呆れた表情に変わりイルムハートを見る。
「それにしても、龍族を呼びつけて敵を追い払うなんて、ホントとんでもないこと考えるわよね。」
「”呼びつけた”だなんて人聞きの悪い。
僕はただ協力してくれるよう彼等にお願いしただけだよ。」
言うまでも無く今回の件はイルムハートが仕組んだことだった。転移魔法で龍の島へと渡り、龍族に合同軍撃退のため手を貸してくれるよう頼んだのだ。
勿論、龍族はそれを二つ返事で受け入れこの状況となったわけである。
「ただ”お願い”しただけであれだけの数の龍族が集まるんですから、どんでもないことに変わりはないと思いますけどね。
何しろあれは最早国すら落とせるだけの戦力ですよ?
そんなのに囲まれた合同軍の兵士達もさぞかし生きた心地がしなかったでしょうね。」
「実のところ、まさかあれだけの大人数で来るとは僕も思っていなかったんだよ。」
ケビンの言葉にはイルムハートも苦笑いを浮かべるしかなかった。彼としても10体程度いてくれれば十分だと思っていたのだ。
それが蓋を開けてみれば40体近くの龍族がわらわらと現れたのである。これにはイルムハートも正直驚いた。
実はこれでもかなり数を絞りこんだのだそうだ。
龍族の”恩人”であるイルムハートの頼みと言うことで希望者が殺到し大騒ぎとなったらしく、最終的には長老会議まで開いて何とかこの数に収めたとのこと。
そのことを後から聞いたイルムハートは冷や汗をかいた。もし、龍族が総出で出張って来たらそれこそ取集のつかないことになっていただろう。
それを防いでくれた長老達にはただただ感謝しかなかった。
「ところでよ、逃げてく連中を追いかけて行ったヤツもいたみたいだけど、あれってもしかして途中でコレするのか?」
すると、合同軍が撤退した方向を見つめていたジェイクがそんなことを言いながらおもむろに親指で首を掻き切る仕草をして見せた。
彼の言う通り、龍族達のほとんどは現れた時と同様に転移魔法で島へと帰っていったが、それとは別に合同軍の後を追うように飛んで行った者も何体かいたのだ。
だが、その目的は撤退する兵達に追い打ちをかけることなどでは決してない。
「物騒な事を言わないでくれよ。
せっかく自ら退いてくれた相手をわざわざ追いかけて行って殺す必要なんか無いだろう。」
「じゃあ、なんでだ?」
「他の部隊にも龍族の存在を知らしめるためだよ。
仮に彼等が本体へ戻り龍族に追い返されたと報告したところでまともに信じてもらえると思うかい?
どう考えても負けた言い訳としか受け止められないはずだ。」
「まあ、普通はそうだろうだな。」
「だから、彼等龍族が本体のいるところまで出向いてその姿を見せつけるんだよ。
報告は紛れもない事実なんだと解らせるためにね。」
「はえー、そう言うことか。スゲーな。」
イルムハートの話を聞いたジェイクは感嘆の声を上げる。
尤も、ジェイクには申し訳ないが彼に褒められてもあまり嬉しさは感じなかった。むしろ、本当に解かっているのか?と心配になってしまう。
それはライラやケビンも同じようで、その場には得も言われぬ雰囲気が漂った。
だが、そこはジェイク。そんな空気には全く気付く様子も無い。
「しかしよ、あのリーダーっぽい龍族もスゴかったよな。
終始敵を圧倒しっぱなしだったもんな。」
龍族が話す”声”の正体は思念派を伝達する魔法のようなものであり、届ける相手を選別出来る他にかなり遠くまで伝える事が可能だった。
その上で今回のことは合同軍だけでなくノーラの街の住人にも何が起きているのかを知らしめるため敢えて広範囲にいる全ての人々にも聞こえるよう調整していたのだ。
「特に『全力でソシアスの安らかな眠りを守る』なんてところは聞いててジーンと来たぜ。
あの迫真の演技は役者顔負けだぞ。」
どうやらジェイクはあの龍族の言動が単なる演技によるものだと思っているらしかった。まあ、裏事情を知っていればそう考えるのも当然だろう。
だが……。
「ああ、彼か。
確かに凄い迫力だったけど、でもあれは演技なんかじゃないよ。」
「はあ?どう言うことだ?」
その台詞に対し、意味が解からんとばかりに首を傾げるジェイク。
そんな彼にイルムハートは優しい目をしながらこう答えた。
「彼はね、伝説のもうひとりの主役なんだよ。
ソシアスに力を貸していた龍族と言うのが彼なんだ。」
「マジか!?」
「嘘!?」
「本当ですか!?」
これにはジェイクだけでなくライラやケビンも思わず驚きの声を上げる。
「と言うことは何?ナディア・ソシアスの伝説って作り話なんかじゃなくホントにあった出来事だったってわけ?」
「そう言うことだよ。」
皆の驚きも良く解かる。龍の島で彼に会った時のイルムハートも全く同じ気持ちだったのだ。
イルムハートとしても伝説が生まれた背景には何らかの形で龍族が関与しているのだろうと考えてはいた。しかし、まさかそれが”お伽噺”などではなく紛れもない”事実”であったなどどは想像すらしていなかったのである。
「なるほど、つまりあの龍族の言葉は決して演技なんかじゃなくて彼の心からの想いが口を突いて出たものだってことね。
そりゃ迫力もあるはずよ。」
この、人と龍族の心の繋がりにはライラも強く胸を打たれた様子である。
「ナディア・ソシアスと龍族との友情……今日ここでまた新たな伝説が生まれたわけね。」
そんなライラの言葉に皆はそれぞれの思いを胸にしながら無言で頷いた。
すると、その後でケビンが何やら悪戯っぽい目をしてイルムハートを見る。
「尤も、この街に新たな加護を授けた黒幕はソシアスでも龍族でもなく、イルムハート君だったと言うオチが付くことになりますけどね。」
「……”黒幕”は止めてくれ。まるで悪事を働いたみたいじゃないか。」
嫌そうな顔でそう呟くイルムハートを見てライラ達は声を出して笑った。それにつられてイルムハートも苦笑気味に頭を掻く。
「これで全てが終わったわけではないかもしれないけど、当面この街が再び襲われることはないだろう。
となると、次は避難民の帰還だ。
僕達もまだまだ休んではいられないよ。」
イルムハートのその言葉に皆はもう一度、今度は力強く頷いた。そして笑顔を浮かべながら街中へと戻って行くのだった。
こうして新たなる伝説を生んだノーラの街はカイラス・マレドバ合同軍の侵攻から無事守られたのである。