ノーラ攻略と立ち込める暗雲
カイラス皇国とマレドバ王国の合同軍はノーラの街を遠く見渡す平原に陣取っていた。
攻城兵器等の飛び道具を使うにはかなり距離のある位置だったが今はそれで良い。先ずは敵戦力の分析が先だからだ。
むしろ、そのため逆に敵の攻撃も届かない場所を敢えて選んだとも言えるだろう。
彼等がそこに陣を張って3日目、カイラス皇国軍人でありこの先遣部隊の指揮官でもあるクルト・フーバー・キーソンは各部隊長を集め軍議を開いていた。議題は勿論ノーラへの侵攻に関してだ。
「かねてよりノーラの街に潜入させておいた諜報員から報告が届きました。」
出席者全員を見渡しながら副指揮官のコルラド・ファモス・パルセアが会議の口火を切る。
彼はマレドバ王国の軍人で正直今回の遠征にはあまり乗り気ではなかったのだが、次期国王の命に逆らうわけにもいかずこの先遣部隊の副官を務めることとなったのだった。
「それによるとノーラに残る守備兵はおよそ500から700。
籠城戦の準備をしているようですが徹底抗戦の意図は無いようで、あくまでも時間稼ぎに徹するものと思われます。」
「全ては予測通りだな。」
その報告を聞いたクルトは満足そうにそう応えた。
ルフェルディア公国が首都フェルネン西方に防衛ラインを構築し始めていると言う情報は既に合同軍も入手していた。同時に、そこから西方地域についての防衛を事実上放棄したこともだ。
その点を考慮し、フェルネンまでの間で唯一敵の拠点となりそうなノーラに関しても大した障害にはならないだろうと結論付けていたのである。
「現状からして増援が送られてくる可能性は無いと考えて良いだろう。
後はこの戦力差を生かしてじっくりと攻め落とせばよい。」
そんなクルトの言葉に参加者のひとりが口を開く。
「しかし、あまり時間を掛け過ぎてしまうとその間に敵の防衛陣が完成してしまうことにはなりませんか?」
それは尤もな意見にも思えたが、クルトにはさして気にする様子は無かった。
「貴君の言い分も解かるがここで焦り攻め込んだところで無駄に兵を損なうだけで我々に益は無い。
そもそも、我が軍の目的は後続の部隊がフェルネンまで安全に進軍出来るよう露払いしておくことなのだ。
それに、どの道この兵力だけで敵本隊と交戦するのは少々難しいだろう。
フェルネン攻略は後続部隊と合流した後に行えば良い。その圧倒的兵力を持ってすれば敵の防衛陣などさほど脅威とはなるまいよ。」
本音を言えばこのまま突き進んでフェルネンを落とし戦功を挙げたいところではあったが、現実問題としてそれは不可能だった。それは彼が手にして良い”功績”ではないからだ。
カイラス皇国軍内における彼の序列はせいぜいが中の上と言ったところで、今回の遠征軍の中ですら良くて3番手か4番手くらいだろう。
なので、仮に有り余る兵力を持っていたとしても彼がフェルネン攻略の指揮をすることは有り得ないし許されもしない。
フェルネンを陥落させた栄誉と名声はクルトではなくもっと上の者が得ることが最初から決められているのだ。
せっかく先遣部隊を任されたのだからその機動力を持ち電撃戦でフェルネンを攻めれば功績を上げられる可能性もワンチャン無いではなかったが、そんなことをすれば逆に恨みを買うだけでしかない。
なので、今の彼に出来るのはただ己に与えられた任務を果たすことだけなのである。
そう言った点から見れば、このノーラ攻略は彼に預けられた権限の範囲内において最大の功績を挙げる唯一のチャンスでもあった。
城塞都市であるノーラがこちらのものとなれば絶好の攻略拠点となるだろう。
それを可能な限り無傷で、しかもこちら側の兵力を損耗させることなく陥落さることが出来ればクルトの名誉を大いに高める事となるはずである。
そのために彼は慎重を期してこの作戦にあたっていたのだった。
そんな風にノーラ攻略における戦果を狙うクルトだったが、少々気になる噂を耳にしてもいた。
「パルセア卿、複数の者からどうもマレドバ兵達の志気があまり上がっていないのではないかという話を聞いたのだが、その辺りはどうなのかね?
まさか、今更戦いに臆したというわけでもないだろうな?」
その言葉にコルラドは一瞬沈黙してしまう。
但し、それは驚いたからでは無い。やはりそれを聞いて来たか、と言うのが彼の率直な思いだった。実のところ彼自身、憂慮していた問題なのである。
「指揮官殿には要らぬご心配をお掛けして申し訳ありません。
誓って申し上げますが我が軍の兵は皆、国のために命を捧げる覚悟を持っており敵を目の前にして臆病風に吹かれるような者などいるはずはありません。
ただ……。」
クルトの質問に力を込めた声でそう答えたコルラドだったが、そこで少し言い淀んでしまう。
「ただ、それは相手が目に見える敵であればのこと。
しかし、今回ばかりは少し状況が異なるのです。」
「どう違うと言うのだね?」
「今回、彼等の前に立ち塞がる最大の障害は敵兵ではなく”伝説”なのです。」
「”伝説”?」
コルラドの言葉にクルトは思わず訝し気な表情を浮かべた。
まあ、これは当たり前の反応だろう。カイラス皇国出身の彼にこの感情は理解出来まい。
そんなことを思いながらもコルラドは話を続けた。
「はい、ナディア・ソシアスの伝説です。
ここノーラはナディア・ソシアスの生まれた街であり、歳老いた後眠りについた場所でもあります。
ソシアスは生前”龍騎士”と呼ばれ龍族を使役していたと言われており、彼女の死後もあの街はその龍族の加護によって守られている。そう語り継がれているのです。」
「何を馬鹿なことを。」
当然のごとくクルトはコルラドの言葉を一笑に付した。
彼もその伝説の事は勿論知っている。しかし、一般の人々同様にそんなものは過度に誇張された作り話に過ぎないと思っていた。
それどころか、冒険者ギルドが自分達の功績を誇るためのプロパガンダではないかとすら考えていたのである。
「ナディア・ソシアスの伝説など唯の作り話ではないか。大の大人がそんなものに怯えてどうすると言うのか?
まさか、卿までもがそんな戯れ言を信じていると言う訳ではあるまいな?」
その言葉にあちらこちらから失笑が漏れる。
但し嗤ったのは皇国軍の者ばかりで、一方マレドバ出身者はただ押し黙るだけだった。
「勿論、私とてそのような話を鵜呑みにするつもりはありません。
ですがノーラの街、と言うより街を中心とした一帯には不思議な現象が起きているのもまた事実なのです。」
「そのソシアスとやらの亡霊でも出るというのか?」
既にこの話にうんざりしかけていたクルトはからかうように言葉を投げかけたが、コルラドの表情は深刻さを増すだけだった。
逆にコルラドから返って来た返事はクルトを困惑させてしまう。
「いえ、亡霊は出ませんが同時にこの一帯には魔獣も出没しないのです。」
「……卿は一体何の話をしているのだ?それに何の関係がある?」
「ノーラの街に関わる不思議な現象の話です。
昔からこの一帯は全く魔獣が出没しない地域として知られていました。ですが、だからと言って魔力分布に恵まれた土地と言う訳でもありません。
本来なら魔獣が棲息していておかしくない程の魔力を持つ場所はいくらでもあります。しかし、そんな場所にすら魔獣の姿は無いのです。
以前、我が国を含む数か国の学者が共同で調査を行い確認しましたのでそれは間違いありません。
但し、いくら調べてもその原因は一切解明されませんでした。理由は全くの謎なのです。」
コルラドの話を聞くうちにクルトの顔からは徐々に嘲りの笑いが消えてゆく。
確かに、ノーラへ近付くにつれ魔獣の報告が極端に減ったことは彼も知っていた。
最初は合同軍の姿を見て逃げ出したのだろうと考えていたのだが、遥か先行する偵察部隊からも同じ報告が来ることから必ずしもそれが原因ではないと薄々気が付いてもいた。
だが、それ以上は特に気にも留めていなかったのだ。
魔獣が出て来ないのならばむしろ好都合。その程度の感覚だったのだがコルラドの言葉を聞いて改めてその異常さを理解したのである。
「人々はそれをソシアスの墓を護るため龍族が与えた加護によるものだと考えました。そして、畏れ敬ったのです。
今回、我が軍には土地に詳しいということで東部地域出身者が多く編入されております。
彼等はルフェルディアに近い土地で生まれ育ったため幼い頃からその”龍族の加護”について聞かされてきました。
そんな彼等がノーラを目の前にして少々複雑な感情に苛まれたとしても、それはそれで仕方のないことなのかもしれません。」
コルラドが話し終えた後、クルトは暫くの間無言のままだった。
確かに、常識では説明できないことが起きているのは間違いなさそうだ。しかし、だからと言って”龍族の加護”などと言う世迷い言を信じるつもりも無い。
今彼が憂慮すべきはただ一点のみだった。
「卿の言い分は解かった。幼少期に刷り込まれた記憶が兵達に影響を与えていることも理解した。
だが学者が調べた結果、何の確証も得られなかったのであればそれは単なる迷信でしかない。」
「指揮官殿のおっしゃる通りです。
ですが……。」
「別に卿や兵達を責めているわけではない。得体の知れぬ何者かに恐れを抱くのは誰にでもあることだ。それを止めよとは言わん。
私が確認しておきたいことはただひとつ。その状況でもマレドバの兵は戦えるかということだ。
そこは嘘偽りない君の意見を聞かせてもらいたい。
戦えもしないような者達に背中を預ける訳にはいかないからな。」
クルトの言葉は辛辣だったが当然の指摘でもあった。コルラドにしたところで、もしかしたら逃げ出してしまうかもしれないような味方と共に戦うなどまっぴらである。
「先にも申し上げましたが我がマレドバの兵達は国のためいつでも命を捧げる覚悟は出来ております。
例え伝説を”畏れる”ことはあっても戦いを”怖れる”ことはありません。
ですので、その点はどうかご心配なされませんように。
神に誓って必ず満足いただける戦いをお見せするとお約束します。」
(あくまでも”国のため”ならばな……。)
ふと、そんな思いがコルラドの脳裏をかすめたが、勿論そんなことを口に出来るわけも無い。
「よろしい、期待しているぞ。」
コルラドはマレドバでも名の通った軍人である。そんな彼の言葉にクルトはひとまず満足気な表情を浮かべるとその場の全員に向かって言い放った。
「では決まりだ。
明日、ノーラ攻略の作戦を決行するものとする!」
翌朝、その日は正に戦争日和……と言って良いのかどうかは分からないが、辺りは雲ひとつない晴天だった。
そんな中、クルト達合同軍の首脳陣は再び指令本部となっている天幕内に集まり作戦の最終確認を行っていた。
ノーラ攻略作戦の大まかな内容はこうだ。
先ずは1千の軍を持ってノーラの西門を攻める。
但し、闇雲に門へと特攻するわけではない。遠巻きに囲み投石器等での攻撃を行うのだ。
尚、合同軍には魔法士の部隊もあったが敵も防御の手立ては持っているだろうから、とりあえずは待機である。
合同軍の攻撃に対し、ノーラの守備隊はおそらく籠城策を取るだろう。時間稼ぎが目的なのだからそれも当然だ。
これにより戦場は一時膠着状態になる。
そこを突き、残る2千の兵が東へ向かう手筈となっていた。あたかも首都フェルネンを目指すかのように。
だが、これはフェイクだった。
守備隊の目的が敵をフェルネンへ向かわせないことにあるのであれば、当然合同軍の動きを見過ごすことなど出来ないはずだ。場合によっては打って出て来る可能性も十分にある。そこを叩くわけだ。
だが、必ずしもこちらの想い通りに動いてくれるとは限らない。
ルフェルディア政府からどのような命令が出ているか知らないが、もしかしたら無理をせずノーラの防衛に専念する可能性だってあるのだ。
勿論、その際の対処も考えてある。
もしノーラの守備隊が出てこなかった場合、その時は東へ向かった2千の兵を転進させこちらは東門を攻撃することになっていた。
更に、その中から300の兵からなる別動隊を南北の城壁へと取り付かせる。
僅かな兵しか持たぬ敵は東西の門を護ることで手一杯になるだろう。その隙を突き手薄となった南北の壁を昇り内部へと侵入するわけだ。
この二段構えの策によりノーラを攻略するのである。
「まあ、本来ならこのような手間を掛けるほどの相手でもないのだがな。」
クルトは列席者に向かいそう苦笑して見せた。
傲慢な発言のようにも見えるが、彼我の戦力差を考えればまあ当然のこととも言える。
それに、そもそも増援の期待出来ない籠城戦に勝ち目など無い。数倍の兵を持ってじっくり攻めればさほど苦労することなく落とすことも可能だろう。
だが、それではあまりにも芸が無さ過ぎるし、あまり時間を掛けて後続の本隊に追いつかれてしまったのでは先遣部隊の意味がない。
自身の功績を強くアピールするためには素早く、そして手際よくノーラを陥落させる必要があるのだった。
そんなクルトの言葉に列席した部隊長達、と言っても主に皇国軍の者達ではあったが大袈裟に追従の声を上げる。
それに対し満足げな表情を返したクルトはふと天幕の外が騒がしくなっていることに気付いた。
「随分と騒がしいな?何事だ?」
良い気分のところを邪魔され少々苛立ち気味にクルトが口を開くと、それに合わせたかのように警備の兵が駆け込んで来る。
「ご報告いたします!」
「何だ?」
「我が軍の上空に怪しげな雲が立ち込め、それを見た兵士達が騒ぎ立てております。」
「怪しげな雲だと?」
報告を聞いたクルトは思わず眉をひそめた。
天気の急変も確かに気にはなるところではあったが、それよりたかが雲が出た程度で大騒ぎする兵士達に腹を立てた。
「下らん。
まさか雨に濡れるのが嫌だなどどぬかしているわけではあるまいな?」
皮肉のつもりで放ったクルトの言葉にも警備兵はただ沈黙するだけだった。
その姿にクルトは何か異常がことが起こっているのではないかと感じ始める。
彼は急いで天幕の外へと出た。そこは朝の陽射しが嘘だったかのように薄暗かった。
「あれは……何だ?」
空を見上げながら思わずそう声を漏らすクルト。その視線の先には黒ずんだ灰色の雲がまるで渦を巻くような形で天を覆っていた。
嵐か?
一瞬、そう考えたクルトだったがそぐにそれを打ち消した。あの重たい色はともかく、渦を巻くような形の雲など今まで見たことが無かったのだ。
しかも、その雲は合同軍の真上にしか存在していなかった。遠くノーラの方に目をやればその上空は何事も無く晴れ渡っている。
「一体、何が起きていると言うのだ?」
クルトは何やら得体の知れない不安に襲われた。
するとその時、雲の渦の中心に黒い大穴が空く。そしてそこからいくつもの黒い影が飛び出して来た。
「まさか、ドラゴンか!?」
太く伸びた首とそれよりも更に長い尾。そして大きく広げられた両翼。
それは紛れも無くドラゴンの姿……のようにも思えた。
だが、側へとやって来たコルラドがそれに対し疑問を口にする。
「しかし、竜種は群れを作らないはずです。」
確かに、最強の魔獣は孤高の魔獣でもあり滅多に群れて行動することは無い。
だが、上空の影は10.20と増え、その数は40近くにも達しようとしていた。
「それに、あの大きな穴はおそらく転移魔法で作られたものと思われます。
いくら竜種が強力な魔力を有しているとしても転移魔法を使えるとは思えません。転移魔法とは知性を持つ者にしか使うことが出来ない魔法なのです。」
コルラドは魔法士の部隊を指揮下に置いた経験もあり、軍人でありながら魔法にも精通した人間だった。
その経歴はクルトも聞き及んでいる。なので、その言葉を疑うつもりはなかった。
「と言うことは、まさかアレは……。」
クルトの顔からは一気に血の気が失せ、その額には脂汗が浮かび始める。
ナディア・ソシアスの伝説と龍族の加護。
理性では必死に否定しながらもクルトの本能は己の理解を超える”何か”を感じ、それに畏れを抱かずにはいられなかったのだった。