加護の正体と合同軍の来襲
イルムハート達を含む増援部隊は避難民がやって来る街道を逆に辿る形でノーラへと出発した。
目的地までは通常数日を要する距離ではあるが可能な限り早く到着するため彼等はひたすら馬を飛ばす。
途中、一行は防衛ラインを超えた辺りで避難民の先頭集団と遭遇した。
その護衛をしていた冒険者のグループに話を聞くと、やはり厄介なのは盗賊よりも魔獣の方とのこと。
盗賊連中は冒険者の姿を見て襲撃を躊躇するかもしれないが魔獣の場合そうではない。
カイラス・マレドバ合同軍の進軍により棲み処を追われた魔獣が別の場所に棲む魔獣を追い出し、その者達が更に別の魔獣の居場所を襲う。
そんな風に訳も解からず玉突き状態のような形で棲み処を奪われた魔獣達はかなり気も立っているらしく、普通なら人を見て逃げ出すような弱い魔獣ですら襲い掛かって来ることもあるらしい。
ただ、食料等の物資については途中途中の町や村で供出されているらしく、満足とは言えないまでも危機的に乏しいわけでもないようだ。
報告を聞いたリーダーのネリーの命でその場に何人かを増援として残した後、一行は更に馬を進めた。
その後も何度か避難民の集団と遭遇したがどの護衛グループからも同じような報告が上がって来る。
だが、不思議な事にノーラの街が近付いてくると魔獣出没の報告が一切無くなった。
尚、それは単なる偶然ではない。
途中出会った冒険者達もノーラを出発してしばらくの間は一切魔獣と出会わなかったと、そう口にしていたのだ。
龍族の加護。
一行の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
いささか夢想じみた話ではあるが、そうとでも言わねばとても説明できない状況なのである。
ただ、そんな中イルムハートだけはその驚くべきからくりに何となくではあるが気付き始めていた。
それを確かめるためにも彼は馬を走らせる。
そして一行はついにノーラの街へと到着したのだった。
ノーラはこの一帯がかつてカイラス皇国領だった時に造られた城塞都市である。
そのため高い城壁に囲まれた堅固な街ではあるものの、いかんせんそれは数百年も前の話だ。壁は所々破損しており、修復跡も多数残るモザイク模様のようになっていた。
そんな城壁に造られた正門からイルムハート達一行は街へと入る。
ちなみに現在の正門は東側にあるのだが、かつては反対側の西門が正門と呼ばれていたらしい。これはカイラス皇国の皇都を望む方向が西だったことによるものだ。
だが、皇国から独立した今は首都フェルネンに面する東側を正門と呼称している。
そのため、実のところ正門(東門)よりも西門のほうが大きく立派な造りとなっているのだった。
一行は正門を抜け街の大通りを進み、やがて大きな広場に出る。その広場の中央にはひときわ目立つ銅像が建っていた。
(あれだ!)
銅像を見てイルムハートはそう直感する。
「あれはナディア・ソシアスの像よ。」
ネリーがそう説明してくれた。
「彼女はこの街の誇りなの。」
ナディアの像は誇張された巨大さなど持たない等身大の姿で表わされていた。その虚飾の無さはむしろ住民達の彼女に対する崇敬の念を感じさせる。
ナディア・ソシアスは今でも共にこの街にあるのだと。
しばしそんな思いを抱きナディアの像を見つめた後、イルムハートはネリーにこう問い掛けた。
「あの手に持っている剣は?
あれは青銅製ではありませんよね?
と言うか、鋼でもなさそうですけど?」
像自体は年月を経ることで変色して来ているのだが、その右手に持つ剣だけは雨風により汚れてはいたものの特に錆びている様子が無い。
どう見ても青銅ではなさそうだし、錆びていないということは鉄ですらないかもしれない。
何か特殊な合金なのか、あるいはあの剣が持つ”力”によるものなのか……。
そんなイルムハートの質問にネリーはどこか得意げな表情で答える。
「ああ、あれはね、ナディア本人が使っていたとされる剣よ。
別に特別な剣では無いそうなのだけど、100年以上経っても決して錆びる事の無い奇跡の剣なの。」
(そう言うことだったのか!)
ネリーの言葉にイルムハートは伝説の真実を悟った。
(ナディア・ソシアスも僕と同じ転生者だったんだ!)
ナディアの像が持つ剣からは微かではあるが間違いなく”神気”が感じられた。おそらくは長年愛用したことにより彼女の”神気”が剣へと取り込まれていった結果なのだと思われる。
人が”神気”を持つのはその者が転生者か転移者か、そのどちらかの場合だけだ。
だが、ナディアにはこのノーラの街で生まれ育ったと言う記録がある。と言うことは転移者ではなく転生者であると考えて良いだろう。
これにより”龍族の加護”についても理解出来た。この”神気”こそが加護の正体なのだ。
どうやら”神気”は魔力と異なり、これほど微かでありながらかなり遠くからでも察知出来るほど広範囲に影響を及ぼすもののようである。
事実、街からはまだかなり離れている状態でもイルムハートにはこの剣が発する”神気”を感じ取ることが出来たのだ。
そして、魔獣達が近寄って来ないのもまたこの”神気”に原因があるのだろう。
それは人より何倍も優れた彼等の本能的危機察知能力がこの得も知れぬ”力”を感じ取り、畏れ恐怖した結果に違いなかった。
「ふむふむ、言われてみればこの剣からは何か不思議な力を感じるな。」
そんな誰もがナディアの伝説に想いを馳せる中、もっともらしい顔でジェイクがそんなことを口走りイルムハートを驚かせた。
「不思議な力?
ジェイクはこの剣から何かを感じるのかい?」
普通の人間は”神気”を感知出来ない。それが可能なのは極一部の特殊な能力を持った者のみのはずである。
まさか、ジェイクにもその能力があるのか?とイルムハートを困惑させたのだが、それは半分正しく半分誤りでもあった。
「えっ?
いや、感じると言うか何と言うか……まあ、あれだ。
ナディア・ソシアスの愛剣なんだからそれくらいのモノはあるんじゃないかなと……。」
イルムハートの勢いにしどろもどろとなるジェイク。
すると、そこへ呆れた声でライラが割って入った。
「いちいち真に受けることはないわよ。
どうせコイツのことだもの、雰囲気だけでテキトーなこと言ってるに違いないんだから。」
そうバッサリと切り捨てられジェイクはバツの悪そうな顔で黙り込む。
確かにジェイクはぼんやりとではあるが”神気”を感じ取ることが出来るようだ。
だが、ナディアの剣から発せられる”神気”は極めて僅かであり、今の彼では感知出来ないほどに弱かった。
なので、先程の発言はライラの言う通りその場のノリで出たもののようである。
「全くアンタは、少しは考えてからものを言いなさいよね。
余計なこと言って罰当たりだと怒られるようなハメになっても知らないわよ。」
結局、この件はこれで終わりとなりジェイクが”神気”を感知出来ると言う事実をイルムハートが知るのはもっと先の事となる。
こうしてライラによりジェイクが無残に撃沈されてしまった後、少し不思議そうな表情でケビンがネリーに問い掛けた。
「でも、そんな貴重な剣を野外に置いたままで大丈夫なんですか?
良からぬことを考える者だっていると思うのですが?」
いかに多くの住民がナディアを崇拝していたとしても、中には不届き者もいるだろう。或いは、他所から来た人間が剣を盗もうとしないとも限らない。
にも拘わらず剣の周りには特別それを防ぐ備えなど見受けられなかった。ただ無造作にそこにあるだけなのである。
だが、それに対するネリーの答えはこれまた皆を驚かせるものだった。
「確かにあの剣を盗もうとする馬鹿な連中もいないわけじゃないわ。
でもね、そういった奴があの剣に触れようとするととたんに気を失ってしまうのよ。
そして、その後数日間悪夢にうなされることになるの。」
「それもあの剣の力なんですか?」
「そうとしか考えられないわね。
多分、ナディアの眠るこの地を離れたくないあの剣がそれを妨げようとする者に呪いを掛けてるんじゃないかしら。」
「なんと、それは素晴らしい!」
ケビンは思わず感嘆の声を上げ崇敬にも似た表情でナディアの愛剣に目をやった。
但し、彼が感銘を受けたのは『ナディアの眠る地を離れたくない』と言う部分ではなく『妨げようとする者に呪いを掛ける』の方である。
勿論、イルムハート達はそれを理解していたが生憎とネリーはケビンの性格を知らない。
「そうね、確かに今でもまだナディアを慕い続ける素晴らしい剣なのだけれど、でも今回ばかりはそれが裏目に出てしまっているの。」
「と言いますと?」
「住民の避難にあたってこの剣も一緒に持って行こうとしたのだけれど、今言ったようにそれを許してくれないらしいのよ。」
「でも、今回は別に悪意があってするわけではないですよね?」
「どうやら悪意とか善意とかは関係ないみたいなの。おそらく、この街から運び出そうとする行為そのものが剣にとっては”悪”なんだと思うわ。
まあ、この力があれば皇国やマレドバの兵に持ち出される心配も無いでしょうから、それで良しとするしか無いわね。」
そう言ってネリーは少し残念そうに笑った。
それにしても、とイルムハートは思う。
成る程、確かに”神気”とは人知を超えた力ではある。
しかし、だからと言ってそれを纏っただけの”普通の剣”がまるで自らの遺志を持つかのように力を使ったりするものなのだろうか?
いくらなんでもそんなことが有り得るとは思えない。例え魔法と言う元の世界から見れば常識外の力が存在するこの世界にあっても、それは既にオカルトの領域である。
おそらくはあの剣自体がありふれた量産品などではなく、何か秘密を持った特別な剣なのだろう。
ひとつのことが明らかになると、今度は別の謎が湧き出て来る。”伝説”とは何と奥深いものだろうか。
そんなことを考えながらイルムハートはネリー達と共にノーラの冒険者ギルドへと向かうのだった。
冒険者ギルドは想像していたよりもずっと落ち着いた状況にあった。
避難民への対応で大混乱しているのかと思いきや、人の姿もそれ程多く無く物事は整然と行われている様子だった。
どうやら避難民の脱出も山場を越えたらしく、後はいくつかのグループを送り出せばそれでひと段落付くとのこと。それを聞いてイルムハート達はほっと胸をなでおろす。
ただ、残念ながら住民の中には避難を拒否する者がある程度の数存在するとのことだった。
これは主に年老いた者に多いのだが生まれ育った故郷を今更離れたくはないと願う者、そして逆に若年・壮年層において「逃げる必要などない」と考える者達である。
軍人として敵対する訳ではないのだから、もし町が占領されてもそう酷いことはされないだろうと言うのが後者の主張だった。
まあ確かに直接殺し合った相手と言う訳でもないし、占領後にこの街を統治してゆくために住民達の反感を買うような真似は極力避けてくれるかもしれない。
但し、それはあくまでも敵軍が信頼できる相手であることを前提とした楽観論に過ぎなかった。
勿論、合同軍にも軍律と言うものはあるだろうし、彼等だって住民ごと街を殲滅しようなどと考えているわけではないだろう。
しかし、力は往々にして人を狂わせる。ましてやこれは戦争なのだ。
おそらく合同軍は圧倒的な戦力でこの街を蹂躙することになるはずだ。その際、彼等の矛先が住民達に向けられないと言う保証などないのである。
と言うより、むしろそう言った悲劇を生む可能性の方が高いことは残念なことに歴史が証明していた。
ギルドや周囲の人間は必至で双方の者達を説得したが、街を出るかどうかを最終的に決めるのは彼等自身であって決して強制することは出来ないのだ。
ギルドの全員がそんなやり切れない思いに包まれる中、ついに恐れていた報せが飛び込んで来た。
カイラス皇国・マレドバ王国合同軍が到頭その姿を現したのである。
報せを聞いたイルムハート達は城壁の上に昇り、街の西側に広がる平原のその先を見つめた。
「結構な数がいやがるな。」
「おそらくは3千と言ったところでしょうかね。」
遥か遠方に向け遠視の魔法を使いながらジェイクとケビンがそう言葉を交わした。
「この街の守備兵ってどれくらいなんだっけ?」
「確か500ほどだったはずです。」
「それじゃ全く相手にもならないな。
こりゃさっさと街を出ないとマズイことになるんじゃないか?」
そう言いながらジェイクは不安そうな目でイルムハートを見る。
だが、イルムハートに焦った様子は無かった。
勿論、事態を楽観視しているわけではないがパニックになる必要もないのである。
「確かに差し迫った状況にあるのは間違いないけど、かと言ってまだ慌てて逃げ出すほどではないと思うよ。
とにかく今は出来る限りの住民を避難させるよう努力しよう。」
「そんな悠長なこと言ってて大丈夫なのか?」
「向こうにはこちらの兵が500しかいないなんてことは分からないんだ。
だから、先ずは様子を探って相手の戦力を見定めようとするはずだよ。舐めて掛かって痛い目を見るのは避けたいだろうからね。
とは言え、それもそんなに時間は掛からないだろう。長くても数日ってところかな。」
「だとしたら急いで避難の準備をしないとね。」
イルムハートの言葉にライラが緊張の面持ちで応える。
「それにしても、皇国の連中め。しゃくに障りやがるぜ。」
一同がギルドへ戻るべく歩き出そうとする中、彼方に鎮座する合同軍に目をやりジェイクが吐き捨てるように言った。
「いっそのこと魔獣のスタンピードにでも巻き込まれて全滅してくれればいいのにな。」
まあ、気持ちは解からないでもなかったがこれは少々暴論でもある。
「何言ってるのよ、もしそんな大規模なスタンピードが起こったらこの街だってただじゃ済まないのよ?
もう少し後先のことを考えて口を開きなさいよね。」
「それに、そもそも龍族の加護のおかげでこの街の周囲には魔獣なんていませんからね。スタンピードも起きようが無いですよ。
第一、それで一時的に敵を撃退したところで根本的な解決にはなりませんよ?
軍勢を立て直して再度攻め入って来るだけだと思いますけどね。」
「うう……。」
ふと漏らした言葉だったが、それによりジェイクはライラとケビンから集中砲火を浴びるはめになってしまった。
思い付きで軽々しくものを言うべきではないという見本である。
だがそんな中、イルムハートだけがその輪の中に参加せず、あらぬ方向を見つめながらぶつぶつと何か呟いていた。
「なるほど……そういう手もありかな……。」
そして、何やら思いついたかのように満面の笑みを浮かべながら口を開く。
「うん、これならいけそうだ。」
そんなイルムハートを見たライラ達は嫌な予感に思わずドン引きしてしまう。
「この顔はまーた何か企んでいる顔ね。」
「こんな笑顔しながらかなりえげつないこと思いつくからな、コイツ。」
「イルムハート君が何を考えているかは解かりませんけど、なんだか少しだけ敵軍が気の毒に思えてきましたよ。」
散々な言われ様ではあったが、日頃の行いからすれば仕方ないのかもしれない。
尤も、本人からすれば極めて不本意な評価なのであろうが。
ともかく、こうしてイルムハートによる合同軍への反撃計画は密かに始まったのであった。