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辺境伯と騎士団長 Ⅰ

 一連の騒動が与えた影響は、イルムハートの予想を遥かに超えるものだった。

 警備隊より少し遅れて到着した騎士団第三小隊に護られながらイルムハートが屋敷に到着した時、そこは戦争でも起きたかのごとく騎士団と警備隊によって辺りが囲まれ、必死の形相をした人々がひっきりなしに出入りを繰り返していた。

 屋敷内のパーティー用ホールには多くの机と椅子が運び込まれ、聞けば代官が行政庁から移ってきてここを臨時の執務室とするらしい。

 領主ウイルバートとの連絡を密にするためである。

 当然、イルムハートのお披露目パーティーは中止となった。

 代官を初めトラバールの行政官たちにとってはパーティーどころではない。情報の収集と状況の把握が何よりも優先された。

 比喩でも冗談でもなく、彼らは己の ”首” が掛かっていることを知っているからだ。

 彼等が最初に受けた一報は「辺境伯子息イルムハート様御一行、武装集団に襲撃さる」であった。

 それだけでも血の気が全て引く程の報せであったのだが、続いてその集団はトラバール内の不穏分子であるとの報告を受けると”反乱” という言葉が脳裏をよぎり、彼等は死人のような顔色のまま立ち尽くしてしまった。

 が、すぐさま立ち直った彼等は、襲撃者の手が辺境伯まで及ぶ可能性を考え、まず屋敷への連絡と警備隊の出動を命じた。

 続いて、迅速な情報収集を行うよう各所に通達を出し、自分たちも領主屋敷へと執務所を移動させる準備を始めたのだった。

 一方、屋敷の方にもイルムハートに護衛として付けた騎士団員から警備隊伝手で襲撃の報がもたらされた。

 それを聞いた騎士団長アイバーンは辺境伯 ”一家” が標的にされている可能性を考え、屋敷周辺に厳戒態勢を引くよう部下に命じた。

 状況が判らない以上、下手に人員を割くのは得策ではなかったが、それでもイルムハートの危機を見過ごすわけにはいかず、護衛として連れて来た 2小隊のうち1小隊を増援として差し向ける手配を行う。

 やがて、代官の命により駆け付けて来た警備隊を自分の指揮下に組み込んだアイバーンは、それと入れ替わりに第三小隊を送り出したのだが、実はその時点で既に襲撃者が撃退されたことを知っていた。

 諜報員より報告があったのだ。

 どこの世界いつの時代でも、情報を有効に活用することが事の成否を大きく左右するという事実は変わらない。

 国であれ領地であれそれを収める者は、よほど愚鈍でない限り情報の重要さを理解し、それを集めることに力を注いでいる。

 そして、フォルタナ領もそれは変わらず諜報のための組織が存在した。

 トラバールにもその人員は配置されており、訪問前の事前調査や今回の状況報告もその者達が行っていたのだ。

 最初の一報こそ僅かな時間差で先を越されたものの、その後の状況はどこよりも早く報告されていた。

 襲撃者撃退の報告を受けながら、それでもアイバーンが第3小隊を送り出したのは、第二波の襲撃を警戒してのものであった。

 イルムハートの帰還後、彼は自室で待機を命じられ、他の者にはそれぞれ事情聴取が行われた。

 その頃には襲撃者が訓練された武装集団ではなく単なる無法者の集まりであることが判明してはいたが、これが偶発的なものなのか、それとも裏に筋書きを書いたものがいるのか、その辺りがはっきりしない以上警戒を解くわけにはいかず、夜遅くまで屋敷の周りは物々しい状態が続いたのだった。


 翌朝、屋敷の周りがやっと落ち着いてきた頃、ウイルバートは仮眠から目覚め軽い朝食を取った。

 食後のお茶を飲みながら事件のあらましについて報告を受け、側近に二、三指示を出してから自身の執務室へと向かう。

 そこにはアイバーンと机の上にうず高く積まれた辞表の山が彼を待っていた。

「おはようございます、ウイルバート様。」

「やあ、おはようアイバーン。少しは寝たのかい?」

 軽く机に目をやり、苦笑を浮かべながらウイルバートはアイバーンに語りかけた。

「はい。先ほど交代で仮眠を取らせて頂きました。」

「うん。君もそうだが、皆にもあまり無理はさせないように。疲労で思う様に動けなくなっては、本末転倒だからね。」

「お気遣いありがとうございます、ウイルバート様。」

 アイバーンも人前ではウイルバートを ”辺境伯様” と呼ぶのだが、内々の人間だけの場合には呼び方も、そして口調も少々砕けたものになる。

「ですが、この程度でへばるほどうちの連中はヤワではありませんよ。」

「まあ、それは解っているがね。」

 そう言って笑いながら執務用の椅子に腰を降ろすと、ウイルバートは目の前の辞表の山からそのひとつを手に取る。

「これはまた、ずいぶんな量だな。」

「トラバール行政府、ほぼ全員分ですからね。」

「つまり、これを全て受け取ってしまったら、明日からトラバールは機能不全になってしまうということか。」

「そういうことになります。」

「やれやれ、それでは受け取るわけにはいかないな。」

 ウイルバートはそう言って肩をすくめて見せたが、元よりこんなものを受け取るつもりはなかった。

 彼等にそれほどの落ち度があったわけではないからだ。

 まあ、今回騒動を起こしたような無法者達をのさばらせてしまった事に、治安上の責任があると言えば言えないこともない。

 だが連中とて、中にはかなり悪どい事に手を染めている者はいるものの、そのほとんどは軽犯罪の常習者と言った程度である。

 その全てを取り締まり牢にぶち込んでおくというのは、現実的に少々無理のある話だろう。

 もちろん、問題が発生した以上、組織としては誰かが責任を取る必要がある。

 だが、取るべき責任の範囲を超えて罰を与えるべきではないし、ウイルバートもそう考えていた。

 いくら愛しい息子が危険な目に遭ったからと言って、感情的に処罰を下すほどウイルバートは傲慢な領主ではない。

 その後、アイバーンと少々話し込んでから、ウイルバートは机の上のベルを鳴らし側近を呼んで代官たちを部屋へ通すよう命じた。


 執務室に通された代官と数人の幹部はその全員が一睡もしておらず、力無く憔悴し切った表情を浮かべていた。

 代官はまだ40代前半の男なのだが、この一晩で10も20も年を取ってしまったように老け込んで見えた。

 その様子にウイルバートはほんの少しだけ顔をしかめたように見えたが、態度には現さず淡々とした声で話しを始めた。

「まず最初に言っておくが、私は今回の件をもって諸君らの職を解くつもりなどない。従って、これらの辞表は不要である。」

 ハッと驚いたように顔を上げる代官たちに対し、ウイルバートはさらに言葉を続ける。

「確かに治安上の責任というものがあるだろうが、今回の件が諸君らの怠慢により起きたものでないことは私も解っている。

 自責の念に囚われるよりも、今後はより一層職務に邁進することで名誉を回復してもらえばよい。」

 その言葉に幹部たちの表情は少し生気を取り戻したように見えたが、代官だけはまだ硬い表情を崩さなかった。

「辺境伯様の寛大なお言葉には心より感謝申し上げます。ですが、それでもイルムハート様が危険な目に遭われた事実に変わりはございません。

 辺境伯様からこの地を任されたにも拘わらずその信に応えられなかった以上、やはりこのまま職に居座るわけにはまいりません。どうか我が願い、お聞き届けのほどを。」

 真面目過ぎる男なのだ。

 ウイルバートもそれを見込んで代官を任せることにした。であればこそ、ここで失うには惜しい男だった。

「起きた問題に対し、誰かがその責任を取らねばならない。それは間違いではない。そして、組織の長がそれを背負うというのも、また正しい行いであろう。

 だが、罪と罰とは同等でなければならない。

 今回、諸君らに落ち度があったとして、それは職を解かれるに値するほどのものだったのか?

 私にはそうは思えないのだが。どう思う?オルバス団長。」

「そうですな、もし代官殿に職を解かれるほどの非があるのだとすれば、私も同様でありましょう。

 護衛に関しての全責任は私にございます。イルムハート様の危険を回避できなかったのは、私の落ち度でございますので。」

 通常なら、こういった話には口を挟まないアイバーンだったが、今回だけはそう意見を口にした。

 もちろん、これは事前にウイルバートと打ち合わせ済のものである。

 ウイルバートは、代官が慰留されたからと言って、ハイそうですかと受け入れるような性格ではないことを知っていた。

 そこで、アイバーンに助け舟を出すよう頼んであったのだ。

「私はトラバールの代官と騎士団の団長を同時に失うことになるのか?それでは困る。」

 ウイルバートはわざとらしく眉をひそめて見せた。

「お前の覚悟は解った。だが、職を辞することだけが責任の取りようでもあるまい。

 私の信を得てこの街を任されたのであれば、最後までそれに応える事こそお前のすべき事ではないのか?

 少なくとも、私はまだお前への信頼を失ってはいないぞ。」

 ここまで言われては、代官も辞意を翻さざるを得なかった。これ以上、我を通すことは返って不敬とされてしまう。

 結局、トラバールの行政官は全員がその職務を継続することになった。

 だが、何のお咎めも無しというわけにもいかない。

 代官が言う通りイルムハートが襲われたのは紛れもない事実であり、その責任をうやむやにしてしまうわけにはいかないからだ。

 これに対しウイルバートは、当分の間行政府幹部の報酬を減額する決定を下した。

 解職を覚悟していた代官達にとってみれば意外な程に軽い処罰である。

 口々に感謝の言葉を述べた後、彼等は早々に退室していった。

 睡眠不足の状態ではあるが、まだやらねばならないことが沢山残っていたからだ。


 部屋を出ていく代官たちを見送ったウイルバートは、机の上の辞表の山を側近に片付けさせるとアイバーンに向かって話し掛けた。

「言っておくが、君には処分を科すつもりはないからね。」

「しかし、それでは公平を欠くのでは?」

「君と彼等とでは立場が異なるのだから、違って当然だろう。本当なら護衛の者達についても罰は与えたくはないのだがね・・・。」

「お心遣いは嬉しいのですが、そういうわけにもいかないでしょう。」

 アイバーンはウイルバートの言葉に感謝しながらも静かに首を振る。

「今回の件が民衆に与えた衝撃は決して小さくありません。何しろ、小規模とは言え街中で戦闘が起きたのですから。

 その当事者の一方が全く咎められることもなく全ての責任を行政府に押し付けるとなれば、不信を抱く者も出てきましょう。

 けじめは必要なのです。本来なら私が責めを負うべきなのですが・・・。」

「言っただろう。君への処罰はなしだ。」

 ウイルバートはアイバーンの言葉を遮ると机の上で掌を組んで、今度は真面目な顔で話し出した。

「君まで処分が及べば、それは政治的な問題になってしまう。

 警護の総指揮を執る者まで罰せられるとなると、今回の騒動が単なる街のゴロツキが起こしたものではないかもしれないと疑う者も出るだろう。

 一気にきな臭い話になるのだよ。」

 アイバーンの仕事は単にウイルバート達の身辺警護をするだけではなかった。訪問先の事前調査も彼の役目なのだ。

 ”戦争”とは国境でのみ発生するわけではない。内部から政治や経済の破壊を行うのも、また”戦争”である。そして要人の命を狙う事も。

 そのため、ウイルバートの訪問に際しては数か月前から諜報員を派遣して、その街の状況を調査する。

 不審な者の出入りはないか、怪しげな動きをする者達がないかを徹底的に調べ上げるのだ。

 その責任者が罰せられるとなれば、それは外部の破壊工作の可能性を見落としたためと見られるかもしれない。

 ウイルバートとしてはそんなあらぬ噂を流されるのは避けたかった。あくまでも政治とは無関係なものとして処理したかった。

 そして、その意図を察していたアイバーンはこれが現場の判断ミスにより起きた偶発的な事件として片付けることにした。

 実際、当事者の聴取によりそれが事実であることが判明したのだが、問題は誰の”判断ミス”かという点である。

 ウイルバートもアイバーンも、護衛の者達が判断を誤ったのだとは思っていなかった。

 騎士団員というのは、単に剣に長けているだけでは務まらない。危機管理についても熟知している必要がある。

 ただ敵を排除すればいいというものではなく、警護対象者の安全を第一に考えながらも状況に合わせた適切な行動をとることが求められるのだ。

 そこが軍人と騎士団員との違いである。

 そんな彼らが単純なミスを犯すとも思えない。おそらく、正しい判断による行動を取れない状況にあったのだろう。

(イルムハート(様)だろうな・・・。)

 警護の者達は決して口にはしないものの、その原因がイルムハートにあることは2人とも容易に予想がついた。

 だが、イルムハートを罰するわけにもいかない。

 領主の息子が今回の騒動の原因を作ったなどということになれば、また別の意味でやっかいな話になってしまう。

 それを回避するため、護衛達が代わりに罪を背負う。それがアイバーンの判断だった。

 一見、理不尽のようにも見えるが、この世界では決してそうではない。

 厳格な階級社会と封建制度により、王侯貴族に対して臣民が従属するという価値観が固定化されている。

 彼らに直接仕える者達は特にその意識が高かった。正に、身命を投げ打って仕えているのだ。

 残念ながら、中にはその価値の無い権力者も少なくはない。

 しかし、フォルタナ辺境伯ウイルバートはそうではなかった。公平で情に厚い人物として敬愛されている。

 そのため、イルムハートの身代わりとして罰せられることになる者達も、十分納得して処分を受けるつもりでいるのだった。

 尤も、仮にそうでなくとも僅か7歳の子供に責任を押し付けるほど彼等も恥知らずではないし、世間だって納得しないだろうが。

「今回の処罰はあくまで形式上のものだ。あまり重い罰は与えないようにしてくれよ。」

 騎士団員への処罰を決定するのは団長であるアイバーンの権限である。

 もちろん、最終的に領主であるウイルバートが承認する必要があるのだが、彼はアイバーンの決定に口を挟むつもりはなかった。なので、あくまで”希望する”だけである。

「それについては、もしお許し頂ければ腹案があるのですが・・・。」

 アイバーンが少し声量を落として語り掛けると、その内容にウイルバートは満足そうな笑みを浮かべた。

「いいだろう、それで進めてくれ。」

 そして、次にちょっと困ったような表情になる。

「あとは、イルムハートだな。いくら形式的な処分だと言ったところで、あの子は納得しないだろう。」

 イルムハートが、自分の身代わりに誰かが罰を受ける事を簡単に受け入れるとは思えなかった。

 それは人としては正しいことだとは思うが、彼の身分や立場を考えればそれで済む問題ではないのだ。

 ウイルバートはイルムハートから責められる自分の姿を想像して、少し憂鬱になった。

 それを見たアイバーンはつい頬が緩みそうになるのを抑える。

「とりあえず、直接お話してみてはいかかですか?イルムハート様は聡明なお方です。きっと解って下さいますよ。」

「・・・そうだな、どのみち説明はせねばなるまい。だが、ここは少々手厳しくいったほうがいいのかもしれん。

 改めて貴族としての自覚を持ってもらう機会とするために。それがあの子のためなのだ。」

 ウイルバートは顔を上げ決意を込めた表情でそう言うと、どうやってイルムハートに自覚を促すかを考え始めた。

 そんな主人の姿をアイバーンは生温かい目で見つめる。手厳しいやり方など、十中八九無理だろうと思いながら。

 そんな2人にイルムハートからの面会要請が伝えられたのは、それからしばらくしての事であった。

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