小国家群と懐かしき人達 Ⅱ
冒険者ギルドの長は冒険者の取りまとめ役であると同時にギルド、そしてアンスガルドを代表する政治的な役割も担っていた。
つまり、その身分は大使や外交官と同等なのだ。
そのため、彼等には公邸として使用する屋敷がギルドから提供される。
赴任地や本部・支部の違いによってその規模は変わるが、おおよそその地域における中堅貴族レベルの屋敷が用意されるのだ。
当然、ルフェルディア公国においての本部となるフェルネン冒険者ギルド長リック・プレストンの場合も同様である。
リックの屋敷は富裕層街と上級貴族街のほぼ中間辺りにあるのだが、そもそもルフェルディア公国は小国で貴族の数も少ないため徒歩でも迷わずに辿り着くことが出来た。
これがアルテナだったら馬車無しで訪れるのはほぼ不可能だっただろう。到着する前に日が暮れてしまうからだ。
その屋敷はアルテナのギルド長屋敷に比べるとかなりこじんまりした建物ではあったが、そもそもバーハイム王国とルフェルディア公国とを比べる事自体間違いである。
イルムハートは門番に対し取次ぎを願い出た。と同時に、ギルドで書いてもらった紹介状も見せる。
いくらイルムハート達が冒険者であったとしてもたかがDランク風情では門前払いを喰らう可能性もあるでの、念のため窓口で発行してもらったのだ。
「確認してきますので、少々お待ちを。」
紹介状のお陰で門の中には入れてもらえたものの、やはりそこで少し待たされることになった。相手の予定と言うものもあるのでこれは仕方あるまい。
その後、暫くすると屋敷の方から誰かが駆けて来る音がした。
確認しに行った門番かと思ったがどうやらそうではない。
「イルムくーーーん!」
シャルロットだった。
お屋敷の奥方様ともあろう方が、スカートの裾をたくし上げ一目散に駆け寄って来る。
「お久しぶりです、シャルロッ……。」
目の前まで近付いたシャルロットに対しイルムハートも声を返そうとしたのだが、思い切り抱き付かれてしまったせいでそれは途中で途切れてしまった。
「久しぶりね、元気だった?
もう、こんなに大きくなって!」
「ちょっ、シャルロットさん……く、苦しいです。」
力いっぱい締め付けられ思わず苦悶の声を上げるイルムハート。
「あら。ごめんなさい。
嬉しくてつい力が入っちゃったわ。」
”つい力が入った”程度で人を絞め殺しかけるとは、Bランク冒険者の肩書は伊達ではないと言ったところだろうか。
「お変わりないようで何よりです。」
危うく窒息死するところをどうにか免れたイルムハートは苦笑交じりにそう言った。
するとシャルロットも、つい勢いのあまりやり過ぎてしまったことを少し恥じらいながら笑顔を浮かべる。
「まあ、人ってそうそう変わるものじゃないってことかしらね。」
今でこそこんな屋敷に住んではいるが彼女も元々は極々平凡な平民の家に生まれ育ったのだ。貴婦人を装うよりこちらの方がよほど性にあっているのだろうし、そもそも彼女らしくもある。
おそらくはいつもこんな感じなのだろう。
門番も最初は多少驚いていたが、すぐに納得したような表情を浮かべていた。
「それにしても、本当に良く来てくれたわ。
こんなに立派になったイルム君を見られるなんて。
あら、ごめんなさい。もう”イルム君”じゃなくて”イルムハート君”って呼ばなきゃね。」
「別にイルムのままでも良いですよ。」
「そうはいかないわよ。
もう立派に成人したんだから、そこはちゃんとしないと。」
そうは言うものの、言葉のニュアンスは幼い子を呼ぶ”○○クン”に近い感じのなで子供扱いに変わりはなさそうである。
「それで、こちらが今のパーティー・メンバーね?」
「そうです、右から……。」
シャルロットに尋ねられ皆を紹介しようとしたイルムハートだったが、またしても先手を取られてしまう。
「ライラちゃんにジェイク君、それからケビン君ね。」
見事、シャルロットは全員の名前を言い当てた。
「アタシ達を知ってるんですか?」
これにはライラも思わずそう漏らしてしまう。
「そりゃ勿論知ってるわよ。
イルムハート君がいつも手紙に書いてくれているもの。
それより、こんなところで立ち話も何だから、屋敷に入って入って。」
皆、どう書かれているのか気になるところではあったが、そこは深く追求しない方が良さそうにも思えた。
なので素直にその言葉に従い無言のままシャルロットとイルムハートの後から屋敷へと向かうライラ達なのだった。
「それにしても、立派になったわよね。」
皆でテラスに移りテーブルを囲みながら話をする中、シャルロットはイルムハートを惚れ惚れと見つめた。
これにはイルムハートもさすがに気恥ずかしくなってしまう。
「もうそれはいいですよ。何回目ですか、その言葉?」
「だって、本当に良い男になったのだもの。」
そんなイルムハートの抗議を受けてもシャルロットはそう言って「うふふ」と笑うだけだった。
それから、ハッと何かに気付いたような顔になる。
「あらやだ、そう言えばまだちゃんと自己紹介してなかったわね。
私はシャルロット・プレストン。シャルロットと呼んでちょうだい。よろしくね。
私とイルムハート君の関係は元同じパーティー・メンバーで……一夜を共にした仲よ。」
この爆弾発言にはライラ達全員が思わず飲んでいたお茶を噴き出してしまった。
「シャルロットさん、誤解を招くような物言いは止めてください。
野営のテントで一緒にザコ寝しただけじゃないですか。」
「あら、でも一緒に寝たのは嘘じゃないでしょ?」
シャルロットにニコニコ笑いながらそう返され、イルムハートは溜息をつきながら頭を抱えた。相変わらずこの人には勝てないなとそう思いながら。
尚、約1名「いいなー」と呟いた者がいたようだがそれについては完全無視である。
そんな感じでシャルロットに主導権を握られたまま会話が進む中、ひとりのメイドが幼い女の子を連れてやって来た。
「奥様、お嬢さまをお連れしました。」
どうやその子がリックとシャルロットの娘らしい。
「あら、ありがとう。」
メイドに礼を言ってシャルロットは幼子の元に歩み寄ると、イルムハート達にその子を紹介する。
「この子が娘のエルマよ。今年3歳になったわ。」
エルマはシャルロット譲りの黒い髪で顔も母親似だが、灰色の瞳は父親であるリックから受け継いでいるようだ。
「シャルロットさんそっくりですね。
でも、瞳の色はリックさん譲りなんですね。」
「そうなのよ。
エルマ、この人達がいつもパパとママの話しているイルムハートお兄ちゃんとそのお友達よ。
ご挨拶なさい。」
そう言われはしたものの、エルマはシャルロットのスカートの陰に隠れこちらを覗き込むだけだった。
まあ、いきなり見知らぬ人間に囲まれたのでは仕方あるまい。何しろ彼女はまだ3歳でしかないのだから。
そこでイルムハートの方からエルマに近付き、膝を折って目線を合わせながら話し掛ける。
「初めまして、エルマちゃん。
僕の名前はイルムハート。」
「……イルムお兄たん?」
「そう、イルムだよ。
よろしくね、エルマちゃん。」
イルムハートがそう言って笑い掛けるとどうやらエルマの警戒心もほぐれたようで、少しはにかみながらも笑顔を浮かべて見せた。
「エルマ・プレストンです。
よろしくね、イルムお兄たん。」
それを見ていたシャルロットが「良く出来ました」とばかりにエルマの頭をなでる。
また、少し離れた場所ではジェイクが
「あんな小さな子にまでモテモテなのかよ?
やっぱり世の中不公平だ。」
思わずそう声に出してしまったせいで、ライラから肘鉄を喰らい身もだえることとなった。
その後、ライラ達も続いてエルマに自己紹介をすることとなったわけだが、そこでひとつ問題が発生した。
まあ問題と言うか、例によってジェイクがやさぐれ状態に入ってしまったのである。
その原因はエルマによる彼の呼び方にあった。
ライラ達が次々に名乗ってゆくとエルマもそれに応えて”ライラお姉たん”、”ケビンお兄たん”と呼び返したのだが、何故かジェイクだけは”ジェイク”と呼び捨てなのだ。
慌ててシャルロットが
「違うでしょ、エルマ。
ちゃんとジェイクお兄ちゃんって呼びなさい。」
とフォローを入れるもののエルマは頑として変えようとはしなかった。
「違うもん、ジェイクだもん。」
これにはシャルロットも困り顔だったが、ライラとケビンには大ウケだ。
「いいんですよ。シャルロットさん。
コイツは”お兄ちゃん”なんて柄じゃないんですから。」
「子供でも相手が自分と同じレベルかどうかちゃんと判断出来るんですね。
良かったじゃないですか、ジェイク君。
これはエルマちゃんがジェイク君のことを”仲間”だと思ってくれているということですよ。」
「……お前等、後で覚えとけよ。」
「ごめんなさいね、ジェイク君。
この子も悪気があってのことじゃないのよ。」
不貞腐れるジェイクにシャルロットはそう言葉を掛けたが漏れ出す笑いは抑えきれないようである。
「ただ、ちょっと正直過ぎるところがあるのよね。」
「あーっ!シャルロットさんまでそんなことを!」
これで完全にやさぐれてしまうジェイク。
シャルロットも「ゴメンゴメン、冗談よ」と言いながら、それでも笑いが止まらない。
「それにしても変ね。」
少しして笑いが収まった頃、シャルロットが不思議そうに首を傾げた。
それを見てイルムハートが声を掛ける。
「どうかしたんですか?」
「エルマなんだけど、あの子滅多に人を呼び捨てにすることなんて無いのよ。」
彼女達はあくまでギルド長とその家族としてこの屋敷に住んでいるだけであって、決して高貴な家に生まれついたわけではない。
なので、いつかは庶民の暮らしに戻ることになるのだ。
にもかからわず、もしエルマが自分の身分を勘違いしたまま育ってしまえば将来困ったことになるだろう。
そのため、彼女には例え使用人に対してでも「○○お姉ちゃん」や「○○おじちゃん」などと呼ぶように躾けて来たのだそうだ。
そして、エルマもその言いつけをいつも守って来たらしい。
但し、約1名の例外を除いて。
「だから、未だにエルマが呼び捨てにしてるのはせいぜいデイビッドくらいしかいないんだけど。」
「あー、やっぱりですか。」
その言葉を聞きイルムハートは納得の声を漏らした。
ジェイクもデイビッドも妙に子供じみたところがある。と言うか、精神面ではある意味子供そのものだ。
もしかするとエルマはそれを正確に見抜いているのかもしれない。
「大丈夫ですよ、シャルロットさん。心配する必要はありません。
エルマちゃんは”正しく”育ってますから。」
少し戸惑い気味の表情でエルマを見つめるシャルロットに対し、イルムハートは実に良い笑顔をしながらそう語り掛けた。
そうこうしていると廊下の方が妙に騒がしくなってくる。
誰かが騒いでいるようだった。
「イルムー!おーい、イルムー!いないのかー?」
この声は間違い無い、”彼”だ。
「随分と良いタイミングで来たわね。
正に、噂をすればってとこかしら。」
まるで計ったかのように絶妙なタイミングで現れた客にシャルロットも思わず吹き出してしまう。
そして、程なくひとりの男性がテラスに姿を現した。
「おー、イルム!ここにいたのか!」
デイビッド・ターナーである。
その姿を見てエルマが嬉しそうに声を上げた。
「あっ、デビドだ!」
「おう、エルマじゃねえか。元気か?
あと、いつも言ってんだろ?
”デビド”じゃなくて”デビドお兄ちゃん”だぞ?」
「違うよ、デビドはお兄たんじゃないもん。」
「じゃあ、何なんだよ?」
「バカ・デビド。」
「はあ?どこでそんな言葉覚えた?」
「だってママがいつも言ってるもん。」
「おい、シャル!
お前、エルマにどんな教育してんだよ?」
登場早々、イルムハートのことなどそっちのけでエルマと掛け合い漫才を始め出すデイビッドだった。
「確かに、悪い言葉を覚えるのは良く無いわね。
いい、エルマ?
これからデイビッドのことを呼ぶ時は”バカ”じゃなくて”おバカ”って言いなさいね?」
「うん、わかった。」
「あのな、”お”を付けりゃいいってもんじゃねえだろ?
つーか、俺が言いたいのはそう言うことじゃなくてだな。」
「ごちゃごちゃと五月蠅いわね。
そもそも、アンタが馬鹿な事ばっかりしてるのが悪いんでしょ?
それに、アンタ一体何しに来たのよ?
エルマとじゃれるために来たわけじゃないでしょ?」
「おっと、そうだった!」
呆れ気味のシャルロットにそう言われ、デイビッドはハッと我に返った。
そして、改めてイルムハートに向き直り歩み寄るとバシバシ肩を叩き始める。
「いやー、久しぶりだなイルム。元気だったか?
それにしても大きくなりやがったな。思わず見違えちまったぞ。
お前、本当に本物だよな?」
「”本物だよな?”って、何の確認ですか。」
相変わらず独特なデイビッドの語彙力に苦笑するイルムハート。
「お久しぶりです、デイビッドさん。
デイビッドさんはお変わり無いようですね。お元気そうで何よりです。」
「ん?まあな、元気でやってるぜ。
それにしても、随分と冷たいじゃねえか。フェルネンに来たなら来たで何で俺を訪ねて来てくれなかったんだ?
街で仲間から聞いて慌ててすっ飛んで来たんだぞ?」
「だってデイビッドさん、ギルドにいなかったじゃないですか?」
「それはそうだがよ。
だとしても、ギルドの連中に探させるとか何とかすりゃいいじゃねえか。」
「そんな無茶苦茶な。
ギルドの職員を何だと思ってるんですか?
使い走りじゃないんですよ?」
そんな身勝手な言い草にはイルムハートも呆れ返ってしまった。
「まあ、こうして会えたんだから良しとするか。」
笑いながらそう言うデイビッド。
しかし、これで”めでたしめでたし”にはならないのがデイビッドなのである。
「デイビッドーーー。」
何やら背後で地の底から響き渡るような声が聞こえた。シャルロットだ。
「アンタ、ギルドにいなかったってどう言うこと?
今日はDランク昇格者の講習があったはずでしょ?」
「えっ?」
鋭い眼光で問い質すシャルロットを前に、デイビッドの顔色は見る見る蒼くなってゆく。
「もしかしてサボったわけ?」
「い、いや、そうじゃなくてだな。
何と言うかその……そう、イルムが来た時は丁度席を外してたとこだったんだよ。
な、そうだよな、イルム?」
そう言ってデイビッドは助けを求めるような目でイルムハートを見る。
しかし、イルムハートはニッコリ笑いながらこう答えた。
「いえ、職員の方の話では朝から来ていなかったそうですよ。
急な用事を理由にドタキャンしてきたらしく、お陰で替わりの講師を見つけるのに苦労したと言ってました。」
「イルム、お前……。」
デイビッドは絶望の表情を浮かべながら睨み付けて来たもののイルムハートは涼しい顔でそれを受け流した。
これは正しく自業自得であるし、そもそもデイビッドの肩を持つような真似をすれば今度はイルムハートの身が危うくなる。
シャルロットだけは絶対に敵に回してはいけないのだ。
「いつからそんな冷たい人間になっちまったんだ?
俺はそんな風に育てた覚えはないぞ?」
「そうですか?
こうやって自分の身を護るやり方を教えてくれたのはデイビッドさんですよ?」
「この薄情者め!」
呪いの声と共にイルムハートに掴みかかろうと構えたデイビッドだったが、その前に思い切り耳をシャルロットに引っ張られてしまった。
「イテテ、何しやがるんだ!」
「何しやがるじゃないでしょ。
全部アンタが悪いくせにイルムハート君に八つ当たりしようとするんじゃないわよ。
ちょっとそこに座りなさい。」
「何でそんなことしなきゃなんねえんだよ?」
「いいから座りなさい!」
シャルロットの剣幕にたじたじとなりながらも必死に抗うデイビッドだったが、それもここまで。
「デビド、座りなしゃい!」
「……はい。」
エルマから止めを刺されてしまい、大人しくその場に正座した。
そこから懇々とシャルロットの説教が始まる。
この怒濤の展開にライラ達は唖然として言葉も無い。
イルムハートにとっては見慣れた、と言うか懐かしさに何度も思い浮かべすらした光景ではあるのだが、彼女達にとっては衝撃的だっただろう。
ライラやケビンもジェイクをネタに悪ふざけすることはしょっちゅうだが、言葉のキレやスピード感は遠く及ばない。
(アタシ達もまだまだね。)
(僕達もまだまだですね。)
そんな風に妙なところで感心するライラとケビンなのだった。