魔物ハンターの葛藤と皇国の思惑
場面は戻り、再びネウリンの冒険者ギルド。
勇者は実在する。
イルムハートからそう聞かされたジェイク達ではあったが意外なほどあっさりとそれを受け入れ、特に疑問を抱く様子すら見せなかった。
「それも天狼様から聞いたのか?」
何故ならイルムハートの後ろには天狼と言う途方もない知識を持った存在が控えているからだ。
「まあね。
天狼が言うには今までにも勇者が現れたことは何度かあったらしいんだよ。
一番最近ではおよそ1000年ほど前みたいだね。」
実際にはその間にも何度か勇者の召喚は行われたらしいのだが、どうやら上手くいかなかったようである。
召喚自体に失敗したり、中には呼び出したは良いが期待しただけの力が授からずに勇者として認定出来なかったりと不本意な結果で終わることのほうが多かったとのこと。
これにはイルムハートも呆れて言葉を失ったほどだ。
特に後者の場合、相手の都合で勝手に呼び出された挙句、役立たずと判断されてしまった者の気持ちは察するに余りある。
せめてその者達がこの異世界において平穏な人生を送ってくれたことを祈るばかりだった。
「1000年前と言うとちょうどカイラス皇国が最盛期を迎えていた頃になりますね。」
すると、イルムハートの言葉にケビンはふと歴史の授業で聞いた話を思い出す。
今から1000年程前。
”大災禍”と呼ばれる文明の危機から世界がやっと立ち直りつつあった頃。
当時は幾つもの古き国が滅び新しい国が生まれていく中、カイラス皇国でさえ以前のような国体を維持することは難しく弱体化を余儀なくされていた。
だがそんな状況の中、ある出来事により皇国の力は一気にその強さを増すこととなる。
勇者の出現だ。
それを機に皇国は領土の拡大を図り、僅か十数年ほどで旧国土どころか他の内海沿海領や大陸中央部までその勢力を広げ過去最大の版図を持つに至ったのである。
しかし、皇国以外で編纂された歴史書においては”勇者”と言う言葉など一切出ては来ない。それはあくまでも伝承の中の存在でしかなく、歴史学において正式な名称と認められていないからだ。
ただ、『”英雄”の出現を謳い国民を鼓舞した』と記されているだけだった。
「つまり、皇国軍を率いたその”英雄”こそが勇者だったと言うわけですね。
正直、授業を受けていた時は眉唾な話だと思っていたんですよ。
いくら何でも大災禍をなんとか生き延びた小国のひとつでしかなかった皇国が僅か十数年で国土を何倍、何十倍にも広げるなんて到底不可能なことだと思ったんです。
でも、もしその勇者とやらが関わっているのだとすれば有り得ないことではないのかもしれません。」
「だとしたら勇者ってヤツは”人族の守護者”なんかじゃなく、単に皇国の便利な”道具”ってだけの話だよな。」
辛辣な評価ではあるが全くもってジェイクの言う通りではある。
「そう考えると良くその程度で済んだわよね。
その後も戦争を続けていれば、もしかしたら今頃大陸の全てがカイラス皇国の支配下になっていたかもしれないわけでしょ?
ぞっとしないわよね。」
そう言いながらライラは思わず嫌そうに顔をしかめた。
尤も、言うほど皇国が”悪い国”というわけでもない。
まあ、勇者の召喚に関しては正直思うところはあるものの、それ以外において特に問題のある国と言うわけでもなかった。
多少宗教色の強い国柄ではあるが教義で国民を縛り付けることもなければ過剰な圧政を布いているいるわけでもなく、この世界においてはごく”普通の国”なのである。
ただ、魔族の排斥を国是としているためどうしてもバーハイム王国とは対立しやすく、そのせいでライラはあまり良い印象を持っていないのだ。
それは他の2人にとっても同じである。
「でもよ、新しい勇者が現れるってことは皇国がまた同じことを繰り返すかもしれないってことだろ?
それってヤバくないか?」
「そうですね、また大きな戦争が始まる恐れも十分にありますね。」
だが、イルムハートの反応は少々異なっていた。
「その可能性はゼロではないだろうけど、少なくともこの大陸全土を巻き込むような戦争が起こるとは思えないな。」
「なんでそう言えるんだ?」
「1000年前のように小国ばかりの状態ならともかく、今はエルフィア、バーハイムと言う皇国に並ぶ大国が存在するんだ。
もし、この3国の内どこかがおかしな動きをすれば他の2国が黙ってはいない。場合によっては協力して潰しにくるだろう。
カイラス皇国だってそれは十分に解かっているはずだから、そう無茶な真似をするとは思えない。
そうやって力のバランスを取ることでこの大陸は長い間大きな戦争を回避して来たわけだしね。
まあ、周辺国との領土争いくらいは始まるかもしれないけど、こればかりはどうしようもないだろう。」
大きな戦争こそ無いとは言え、領土を巡る国家間の小競り合いは常にどこかで起きている。
なので、勇者のと言う強力な力を得た皇国が領土拡大に動くのは間違い無いだろう。この世界の価値観からすれば強い者が弱い者から奪うのはある意味”権利”でもあるのだから。
全くもって厄介な話だ。
イルムハートは内心でため息をつく。
だが、そんな彼でもこれが大きな戦争に繋がるとは微塵も考えていなかった。
別に、これはイルムハートの考えが甘過ぎると言う訳ではない。少しでもこの世界の仕組みを知る者ならば皆そう考えただろう。
しかし、常識とはあくまでも人がそう定めたものであって真理ではない。
あまり信頼し過ぎると罠に陥ることだってあるのだ。
やがてそう遠くない未来、イルムハートはそれを思い知らされることになる。
その後、イルムハート達はネウリンの冒険者ギルドでしばらく活動することにした。
魔物ハンターとの軋轢を考えれば余計なトラブルを避け他の国へと向かったほうが得策のようにも思えるが、むしろだからこそ決断したと言える。
面倒事を避けるだけなら簡単だ。
しかし、それではカイラス皇国の思う壺だろう。嫌がらせを行うことで冒険者ギルドの活動を弱体化させることが彼等の目的なのである。
だから絶対に屈したりはしない。
そんな固い決意を抱きながら冒険者活動を行ったイルムハート達だったものの、結果として肩透かしを喰らうことになった。魔物ハンターとのトラブルなどほとんど起きなかったのだ。
とは言え、最初の頃一度だけ柄の悪い連中にからまれたこともあった。
依頼遂行のため滞在したとある町で夕食を取っている際、魔物ハンターと思しき男がライラにからんで来たのだ。
見た目少年少女ばかりのパーティーということもあり与し易い相手だと思われたのだろう。
しかも、女性が含まれているため下心を満たす格好の獲物と判断されたわけだ。
だが、彼等は知らなかった。その”獲物”と思っていた女性が実はとんでもない”猛獣”だということを。
「おい、姉ちゃん。
そんなガキ共なんざ放っといて俺達と楽しもうぜ?」
おそらくなかり酔っていたのだろう、素面ではとても恥ずかしくて口に出来ないベタな台詞である。尤も、酔っていようといまいと元々その程度の言語センスしか持ちあわせてないのかもしれないが。
「……。」
当然、ライラは無視である。
男に目をやることもなくそのまま食事を続けた。
これには男も少しイラついたようで声を荒げる。
「おい、姉ちゃん!聞いてんのか?」
「やめとけって、向こうも迷惑だろ?」
そこで見かねた仲間のひとりが男を諫めようと口を挟んだのだが、「お前は黙ってろ!」と一喝されてしまう。
相手の人数は5人。全員が若い男だ。
今、口を挟んだ男以外は皆面白がるように成り行きを見守っており、どうやらこの場を収める気など更々無さそうである。
こうなってはトラブルは避けられそうもない。
「全くもう……。」
ライラは大きくひとつ溜息をつく。そして、軽蔑の色を隠そうともせず男を睨み付けた。
「こう言ったバカってホントにいるもんなのね。
何でアタシがアンタみたいなクズの面倒見てやらなきゃいけないわけ?
そんなに女性に相手してもらいたいなら、家返ってママに抱っこでもしてもらったらどうなの?
アンタにはそれがお似合いよ。」
ライラの毒舌が爆発した。と同時にイルムハートは思わず天を仰ぐ。
やっぱりこうなったか、と。
「何だと、このアマ!
図に乗ってんじゃねえぞ!」
その言葉に男は激昂した。
元々、向こうが悪いとは言えライラの言葉も毒が強過ぎるので、まあ怒るのも当然ではある。
しかし、その後の負け惜しみが不味かった。
「お前みたいな薄汚れたドワーフの娘を相手にしてやろうって言ってるんだ、むしろ感謝しろよ!」
このひと言で空気は一気にピリ付く。いや、殺気立ったと言っても良い。
「おいお前、今何って言った?」
そう言いながら立ち上がったジェイクは睨み殺さんばかりの目をして男に詰め寄った。
男はその凄まじい殺気に一瞬気圧されながらもすぐさま睨み返す。
「何を怒ってんだ?本当のこと言っただけだろうが?
その肌の色見りゃ一目瞭然じゃねえか。薄汚れたドワーフの血を引いてるってこことはよ。」
同じ人族として括られてはいるがエルフやドワーフは人間に比べて遥かに少数種族であり、その立場は決して強いものとは言えなかった。
これがエルフであればエルフィア帝国と言う自らが治める国を持っているためまだましなのだが、ドワーフは己の国を持たない。
そのため”流浪の民”扱いを受けることもしばしばあり、残念ながらこの男のように差別の目で見る者もいるのである。
「てめえ、よくも!」
ジェイクの怒りは頂点に達し思わず殴りかかろうとしたが、ライラの声がそれを止めた。
「待ちなさいよ、ジェイク。」
「止めるなよライラ。だってコイツは……。」
何故止めるんだ?
そう抗議しようとして振り向いたジェイクはライラの怒りを秘めた表情を見て凍りつく。そして思った。「これ、ヤバイやつだ」と。
まあ、ライラが怒るのは当然だろう。
男が放った言葉はライラだけではなく、彼女の母親や親類縁者全てに対する侮辱でもあるのだから。
「コイツはアタシに任せてもらえるかしら。」
抑揚の無さが逆に恐ろしさを感じさせる声でジェイクにそう言った後、ライラは男に向かって口を開いた。
「ここじゃ店に迷惑がかかるから表に出なさいよ。
アンタの相手はアタシがしてあげる。
それとも何?ドワーフの小娘ごときを相手にケンカする度胸も無いのかしら?」
通りにはまだ人々の往来もあり、そのためライラ達の周りにはあっという間に野次馬が人だかりを作る。
「大丈夫かな、アイツ?」
不安そうな声でジェイクがそう呟くと、イルムハートもケビンも心配そうに少し眉をひそめた。
「うーん、多分大丈夫だと思うけど、かなり怒ってようだしなぁ。
さすがに殺しまではしないと思うけど……。」
「まあ、ガントレットは着けていないので一撃で即死ということはさすがに無いと思いますけどね、多分。」
そう、彼等はライラが負ける事などこれっぽちも考えてはいなかった。むしろ相手の身を心配していたのである。
確かに、まがりなりにも魔物ハンターをしているだけあって男もそれなりの腕は持っているのだろう。
だが、それでもライラとは絶望的な差がある。
剣を持って闘えばまた違ってくるかもしれないが、少なくとも素手では到底ライラには敵うまい。
何せ彼女は魔法士でありながら武器を持たぬ1対1の”殴り合い”ならば騎士をも相手に出来るほどなのだから。
しかし、相手はそれが解かっていないようだった。
「おい、小娘。謝るなら今の内だぞ?
俺は寛大な人間だからな、今ならひと晩たっぷり可愛がる程度で許してやるぜ。」
男が下卑た口調でそう言うと、仲間達も例のひとりを覗き一斉に下品な笑みを浮かべる。
それを見てイルムハート達は思わずため息を漏らした。
「どうしてまた火に油を注ぐようなことを言うかな。」
「あの男、死んだな。」
「もしもの時はジェイク君が止めてあげて下さいね、ライラさんのこと。」
「何で俺なんだよ?
そんなことしたら逆にこっちがアイツの怒りを買うことになるだろうが?」
「ライラさんを犯罪者にするわけにはいきませんからね。
ですから、いざとなったら身を呈して止めるのが君の役目でしょ?」
「お前……俺に死ねって言うのか?」
「それもまた愛のカタチのひとつですよ。」
「世間ではそれを”無駄死に”って言うような気もするけどな。」
そんなイルムハート達の心配(?)をよそに、ライラは薄笑いを浮かべ男を見つめている。勿論、その目は全く笑ってなどいなかったが。
「ペラペラと随分口数が多いのね?
何?もしかしてビビってるの?」
「この小娘!後で後悔するな!」
相手が少女ということもあるのかもしれないが、随分と煽り耐性が低いようである。男は顔を真っ赤にしながらライラに殴りかかった。
これでは勝てる勝負すら勝てまい。
イルムハートのその推察は正しく、勝負は一瞬でケリがつくこととなる。
先ずライラは突進して来る男の拳を後ろに飛び退って避けた。
左右どちらかに身を躱す可能性までは想定していたようだがまさか後ろに下がるとは思ってもいなかったのだろう。男は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐさまライラの動きにつられるようにして再び前へと踏み込んだ。
だが、それはライラの罠だった。
ライラは相手の気が緩んだその一瞬の隙を突いて一気に前へ出ると、拳をカウンター気味に顔面へと叩き込む。
「人ってあんなにふっ飛ぶもんなんだな。」
後でジェイクがそう感想を漏らしたほどに拳を喰らった男は高く宙を舞い、やがて顔面から地面へと落ちた。
目の前の出来事に誰もが唖然として言葉を失う。そして一拍の後、大きなどよめきが辺りを満たした。
「おい、大丈夫か?」
そう言って仲間達が男を助け起こしたが既に意識は無い。一発KOである。
「くそ、よくもやってくれたな!」
それを見た仲間のひとりがそう怒鳴りながら剣に手を掛け抜こうとした。
しかし、イルムハートが目にも止まらぬ速さで詰め寄りその柄頭を掌で抑える。
「そこまでです。
ここから先は命のやり取りになりますが、その覚悟はありますか?」
軽い威圧の効果を込めてイルムハートがそう言うと、相手は血の気の引いた顔で剣から手を放した。
「いい加減にしろ、お前達!
これ以上恥をさらす気か?」
すると、例の実直そうな男が仲間達に向かって声を荒げた。そして、イルムハート達に向かって頭を下げる。
「すまなかった。
特にそっちのお嬢さんには本当に失礼なことをした。申し訳ない。
コイツ等についてはギルドに報告して厳しく罰してもらうと約束しよう。
なので、この辺りで勘弁してもらえないだろうか?」
こうまで言われては矛を収めざるを得ないだろう。元々、大事にするつもりなど無いのだ。
ライラとしても一発ぶん殴ったことでスッキリしたようだったし、イルムハート達はその言葉を受け入れた。
その後、気を失ったままの男を連れ去ってゆくハンター達の後姿を見送りながらライラがポツリと呟く。
「あの人も苦労してるみたいね。
周りが非常識な人間ばかりだとホント苦労するのよね。良く解るわー。」
まるで自分だけは常識人であるかのような口ぶりだったが、勿論それに突っ込みを入れるほどイルムハート達は命知らずでは無かったのである。
それから数日後、ネウリンの街でイルムハート達はその男と再会した。
以前とは違う、今度はまともな感じの仲間達と歩いていたところに遭遇したのだ。
「この間は本当にすまなかった。」
彼の名はペルト・マーレン。
誠実な男の様で先ずはそう言って頭を下げて来た。
「いえ、それはもう良いんです。気にしてませんから。
それより、この間の人たちはどうしたんですか?」
パーティーを解消したのかとイルムハートが尋ねたところ、色々と事情があったことが判る。
「元々、彼等とは同じパーティーと言うわけじゃないんだよ。
彼等はカイラス皇国の予備兵でね、ブラースラ公国の魔物ハンター・ギルド増強のため派遣されて来た連中なんだ。」
いくら兵士としての訓練は受けていてもそのままではハンターの仕事は務まらない。
そこで、指導及び監督役としてペルトが付いていたのだそうだ。
「じゃあ、あの人たちはもう一人立ちしたわけですか?」
指導役のペルトが抜けたということはそう言うことなのだろうと思ったのだが、どうも違うらしい。
「それが急遽国に呼び戻されてしまったみたいなんだ。
彼等だけじゃない、皇国から派遣されて来た連中のほとんどが帰国してるらしい。」
皇国が予備兵を招集している。
どうやら本気で領土拡大に動き出そうとしているようである。
「こう言っては何だが、お陰で清々したよ。
そもそも国の命令で送り込まれて来ただけで、本気で仕事をする気など全く無さそうな連中だったからね。
これで私も魔物ハンターとして専念出来ると言うものさ。」
そう言って苦笑するペルトの表情が印象的で色々と考えさせられたイルムハート達だった。
「もうあの人も、面倒事ばかりの魔物ハンターなんか辞めて冒険者ギルドに移ってくれば良いのにな。」
ペルトと別れた後、少し気の毒そうにジェイクがそんなんことを口にした。
尤もな意見ではあるが、そう簡単な話でもないのだろう。
ブラースラ公国はカイラス皇国の強い影響下にあるのだ。
これが一般庶民ならともかく、もし肉親や親類の中に政治と関わる立場にある者がいたとすればどうしても制約がかかってしまうかもしれない。
それを考えると酷くやり切れない気持ちになる。
「そこは僕達がどうこう言う問題ではないよ。
マーレンさんはハンターという仕事に誇りを持ってるみたいだしね。
今はただ互いの健闘を祈るだけさ。」
イルムハートはそう言いながら徐々に小さくなってゆくペルトの後姿を見送ったのだった。