勇者と召喚魔法
勇者。
それは神が邪を打ち払うためこの世に遣わした人族の守護者。
神より授けられたその力は強大であらゆる敵を退けると言われていた。
勇者がこの世界に顕現する際には、先ず最初に神託が下される。
それからその神託を元に”教会”が人物を選定し、”王”がそれを認定することにより勇者が誕生するのだ。
とまあ、そんな感じで伝えられてはいるものの、実際これを教義に組み込んでいるのはカイラム教派とその一部分派だけだった。
従って実質的に”教会”はカイラム教派、”王”とはカイラス皇国皇帝を示すことになる。
これではカイラム教派信徒以外における勇者の認知度が低いのは当然だし、単なる伝承に過ぎないと捉えられても不思議は無い。
だが、勇者は実在した。
人知を超えた力を持ち、全ての”悪”を打ち払う存在は確かにいるのだ。
但し、それは神が遣わしたのではない。
『本来、転移者というものは神の力によって異世界から呼び出されるのだが例外もある。
召喚魔法と言うものがあってだな、それを使えば人族であっても同様に転移者を召喚することが可能なのだ。
また、その召喚魔法はこの世界に呼び出した者に神気を与えることも出来る。
そうして呼び出された転移者は強力な力を持ち、人々から”勇者”と呼ばれるのだ。』
天狼はそう説明してくれた。
「召喚魔法?
初めて聞いた魔法だけど、そんなものがあるのか……。」
『まあ、知らぬとも無理はない。
古代人によって数万年前に編み出されたものであるし、そもそもが禁忌の魔法なのだからな。本来は知識の伝承自体あってはならぬことなのだ。
だが、残念ながら今だそれを語り伝える不遜な者どもがいる。愚かなことよ。』
天狼は微かな怒りを込めた声でそう吐き捨てた。
彼の言う”不遜な者ども”とは状況から考えるにおそらく、いや間違いなくカイラム教派のことなのだろう。
「禁忌魔法か……でも、なんで古代人はそんな魔法を創り出したんだい?
素晴らしい文明を築いたほどなんだから、そこまでモラルの低い人達だったとも思えないんだけど?」
「それはだな……。」
イルムハートの問い掛けに天狼の表情は少し苦々しいものとなる。
『滅亡の危機にまで追いつめられいた彼等にとって窮余の策だったのだ。』
「大災厄よりもずっと以前、古の魔物が古代文明を滅亡させたと言うあの話かい?」
『龍族から聞いたのか?』
「うん、”龍族の祠”で出会った時にね。」
『そうか、ならば話は早い。
今から数万年前、世界は未曽有の危機に襲われた。文明の滅亡どころの話ではなく、この世界そのものが消えて無くなるかもしれんほどの危機にな。
そして、その災いの元となった者はその後”古の魔物”として語り伝えられた。
だが、実際のところその者は”魔物”ではなかったのだ。』
そこで天狼はどこか言いづらそうにいったん言葉を区切った。
その理由がイルムハートには何となく解かる。
これまでの間に知り得た知識から、ある程度予想がつくのだ。
そして、続いて天狼の口から出た言葉はその推測通りのものだった。
『この世界を滅ぼそうとしたのは、実は神だったのだ。』
『驚かんのだな、お前は?』
己の言葉を平然と受け止めるイルムハートの姿に、天狼は少し驚きを感じた。
尤も、イルムハートにしても全く驚いていない無いわけでもない。
ただ、受け止める心の準備が出来ていただけのことである。
「全く驚いていないわけでもないさ。
でも、転生する際に最高神様から聞かされていたことがあるんだ。神々の中にはこの世界の仕組みを改変しようとする者もいると言う話をね。
加えて災獣の存在。
彼等もまた神によって生み出されたんだろ?
もし世に災いをもたらすため災獣を生み出すような神がいるのなら、この世界そのものを滅ぼそうとしても不思議はないかなと思ってさ。」
『ふむ、冷静に考えればそう言う結論になるのだろうが、それにしてもここまで平然としていられるのは大したものだ。
前々から思っていたが、呆れるほどにお前は肝が太いな。』
「よく言うよ、散々僕を驚かせてばかりいるくせに。」
天狼の言葉にイルムハートは苦笑を浮かべた。
『まあ、神と言っても自身が直接降臨してのことではなく、あくまでも仮の姿を持ってこの世に現れてのことだったのだがな。
とは言え、その力は強大だ。
加えてその使徒や災獣までもが一斉に暴れ出したのだから、この世界にとってこれほどの災厄はあるまい。』
「使徒?
災獣と使徒は別なのかい?」
『確かに我等や災獣達も時に”神の使徒”などと呼ばれることはある。
だが、正しくは神界において直接神に仕える者を”使徒”と呼ぶのだ。要するに直接の配下のことだな。
そのように彼の神……この言い方ではいちいちややこしいのでとりあえず”背信の神”と呼んでおくが、その”背信の神”の軍勢は屈強で瞬く間に世界を絶望の淵へと追い込んだ。
口惜しい話だが我等や古代人の戦力ではその勢いを止めることは難しほどにな。』
「それで古代人はやむにやまれず禁忌の魔法に手を出したというわけか……。」
腑に落ちたと言う顔でイルムハートは呟いた。
『そう言うことだ。古代人としても苦渋の決断ではあったのだろう。
とは言え、召喚魔法により幾人かの勇者が呼び出されたのだがそれでも劣勢は覆せず、最終的に最高神様の遣わした使徒が”背信の神”を封じてくれたお陰で何とか最悪の結果を迎えずに済んだのだがな。』
いかに仮の姿であったとは言え実際には神そのものを相手にしたわけである。敵わなくとも仕方あるまい。
最高神の側としても本来なら現世の事に関与したくはなかったのだろうが、さすがに見過ごすことは出来なかったといったところなのだろう。
『以降、召喚魔法に関する知識や記述は廃棄され二度と使われることは無くなった……はずなのだがな。
どうやら一部の不届き者が密かに伝承を続けていたらしい。』
「でも、文明が滅亡する程の大災害があったと言うのに魔法が伝承されるなんて有り得ることなのかな?
しかもそれはずっと大昔のことなんだろ?
仮に運よく大災害を乗り越えたとしても長い年月の間には廃れてしまうんじゃないか?」
『文明が滅んだからと言って全ての遺産が無と化してしまうわけではない。例え完全ではないにしても知識とは受け継がれてゆくものなのだ。
いかに時が過ぎようとそれは変わらない。
確かに、国などと言うものは長い年月の中でいずれ必ず滅ぶ。しかし、それでも人の営みが絶えるわけではないからな。
後世に引き継ごうという強い意志を持った者達がいれば、それは必ず知識として残る。
宗教の様に固い信念を持った集団の場合は特にな。』
「なるほど、それが今のカイラム教派へと受け継がれて来たわけか。」
おおよそ当時の状況は理解出来た。
ただ、どうしても判らないことがある。
「でも、そもそも何で召喚魔法は禁忌とされていたんだい?
やっぱり、例え異世界の人間(?)であれ本人の意思を無視して勝手に呼び出すのは倫理に反すると考えたからなのかな?
それとも、神の御業を真似ること自体がダブー視されたとか?」
『……それも要因ではあるのだろうがな。』
天狼は一瞬言い淀んだあとでそう答えた。
その口調からしてもっと深刻な理由があるのだとイルムハートは直感する。
『しかし、禁忌とされる本当の理由は別にあるのだ。
召喚魔法に限らず神の御業を再現するには”神の御言葉”、確かお前達は”始まりの言葉”と呼んでいたと思うがそれを使用することになり、そのためには2つのものが必要となる。
ひとつは当然ながら魔力だ。
まあ、これは何を成そうとするかで必要な量も変わるし、例え要する魔力が膨大であっても時間を掛け集めさえすれば何とかなるためさほど難しいことではない。
だが、問題はもうひとつの条件なのだ。
”神の御言葉”は神の御許に届いてこそその効力を発揮するのだが、そうするためには生命の持つエネルギーを使う必要がある。御言葉を届けるための代償としてな。』
「それって、まさか……。」
『そう、人の魂を生贄とせねばならんのだ。』
その言葉にイルムハートは愕然とする。
と同時に、かつて”始まりの言葉”を使った者が原因不明のまま衰弱死してしまったことを思い出した。
(あれは、やはりそう言うことだったのか……。)
「以前、”始まりの言葉”らしきものを使って天変地異を起こそうとした者がいたんだよ。
結局、その企みは成功しなかったけど、その後そいつは死んでしまった。身体には何の異変も無いのに、眠るように死んでいったんだ。
その時、もしかしたら”始まりの言葉”は人の魂を喰らってしまうのではないかと考えたんだけど、どうやらそれは間違いじゃなかったみたいだね。」
『ああ、あれは我も感知していた。
そして、お前がそれを止めたことも知っておる。』
「えっ!?僕があれを止めた?」
『あの時、お前は大地の怒りを鎮めるため心の中で”神の御言葉”を唱えたであろう?』
確かに、絶望に打ちひしがれた意識の中で不思議な言葉を呟いた記憶はある。
「もしそうだとして、じゃあ何で僕は魂の力を失わずに生き残こることが出来たんだ?」
『それはお前が神気持ちだからだ。
神気とは神より授けられた命の力、つまり底知れぬ生命エネルギーと言って良かろう。
そもそも”神の御言葉”とは神気を持った者がそれを使い神に語り掛けるためにある言葉であって、それ以外の者に使えるような代物ではないのだ。
もし神気を持たぬ者がこれを使おうとすればすればその代償として魂の力を奪われてしまう、とまあそう言うことだ。』
イルムハートは抱いていた様々な疑問が一気に氷解してゆくのを感じた。
と同時に、あまりにも情報量が多過ぎるため整理が追いつかない状況にあるのも確かである。
そんな中、追い打ちを掛けるように天狼がとんでもない話をし始めた。
『その召喚魔法についてだが最近少し気になる事があってな、カイラス皇国とやらの辺りでどうにも異様な魔力の動きなあるのだ。これは再び召喚魔法を使わんとする動きのようにも見える。
ひょとすると近々また勇者が顕現することになるやもしれんな。』
これにはイルムハートも唖然とさせられる。
勇者が召喚されるということは、替わりに誰かが生贄となって命を落とすと言うことだ。
それ自体には強烈な不快感を感じるものの、だからと言ってイルムハートにどうこう出来る問題ではない。
それよりも召喚された後の事が気に懸かる。結果としてカイラス皇国の戦力が大幅に増強されることになるからだ。
そして、そのことは嫌でも世の混乱を予感させる。
「勇者か……もし本当に召喚されたら、間違いなく厄介なことになるだろうな。」
それは、全くもって頭の痛い話であった。
勇者召喚の件は確かに重大な問題ではある。
だが、今の時点において己の力では如何ともし難いことをいつまでも思い悩んだところで仕方ない。
それより、まだ聞いておかなければならないことがイルムハートにはあった。
「ところで、天狼は”再創教団”って聞いたことあるかい?」
『”再創教団”?
生憎と耳にしたことは無いな。
そ奴等がどうかしたのか?』
「その”再創教団”と言うのはこの世界を滅ぼし新しく創り直そうと考えている連中なんだけど、どうやらその中に神気を使える者がいるみたいなんだ。
もしかすると彼等も召喚魔法によって異世界から呼び出された転移者なんじゃないかなと思ってさ。」
その質問に天狼は「ふむ」と呟きながら何かを考えるように空を見つめる。
『神気を使う者がいるとすればその可能性もあるが、今のところ何とも言えんな。
ただひとつ言えるのは、少なくともここ数千年の間で召喚魔法を使ったと思われる形跡はカイラス皇国の辺りにしか確認出来んということだ。』
「と言うことは、教団と皇国は裏で繋がっていると?」
『そうとも限らん。
使徒によって呼び出された可能性もある。使徒にもまた異世界より転移者を呼び出す力はあるからな。』
「使徒が?
でも彼等は封印されてしまったんじゃないのかい?」
『それは”背信の神”のみであって、使徒は封印されておらん。
闘いの後はこの世とも神界とも異なる世界に隠れ棲み、再び機会を伺っておるのだ。
実を言うとその使徒達は何度かこの世界に顕現して来たこともあってな、封印された主に代わり世を破滅へ導べく動いたことがある。
実際、お前達が大災厄とか大災禍とか呼んでいるものは全てその使徒により引き起こされたものなのだ。
もし、その”再創教団”とやらの目的が世界を滅ぼす事にあるのだとすれば、使徒と何らかの関りがあったとしてもおかしくはあるまい。』
これにはイルムハートも思わず眉をひそめた。
まさか彼等が本当に神の命で動いていたとは。
神気を持っている時点でもしやとは思っていたものの、それが現実味を持った話であると分かればそんな反応にもなるだろう。
そして、イルムハートはこの情報の重要性に頭を悩ます。
これは自分の胸だけに収めていて良いようなものではない。
今後の対策のため、王国や冒険者ギルドに話しておかなければならない貴重な情報だ。
しかし、どうやってそれを伝えれば良いのか?
それが問題だった。
自分の秘密を明かさねばならないということもあるが、それ以上に信じてもらえるかどうかだ。
これほどに突拍子もない話を誰が信じると言うのか?
イルムハートを知る親しい者ならある程度受け入れてくれるかもしれない。しかし、王国やギルドはそうもいくまい。それには確たる証拠が必要だった。
天狼や龍族を引き連れて話をすれば信用してもらえる可能性もあるが、それはそれで別の混乱を発生させることになるし、そもそも彼等に迷惑を掛けることになってしまう。
さて、どうしたものか。
簡単に答えの出る話ではないが、かと言っていつまでも口を閉ざしているわけにもいかない。
今後、この件はしばらくの間イルムハートを悩ませることになるのだった。