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刀剣女子と魔法少女 Ⅰ

 工業都市トラバールは城塞都市であった。

 高さ7~8メートルほどの壁とその外側の空堀で街全体が囲われているのだ。

 もちろんそれは敵軍ではなく、魔物から街を守るためのものである。

 堀が空堀になっているのも、水棲の魔物が棲みつかないようにするためであった。

 飛空船の発着場も当然その壁の内側にあり、後から拡張した場所のためそこだけ壁の色が少し真新しい感じだ。

 発着場に飛空船が着地すると、先着していた騎士団の第三小隊長がゆっくりと近づいて行く。

 それに合わせるように飛空船の乗降ドアが開き、まず降りて来たのは騎士団長であるアイバーン・オルバスだった。

 右こぶしを左胸に当てる形の敬礼を交した後、小隊長は街とその周辺に異常がないことをアイバーンに報告した。

 その報告に頷いたアイバーンが船内へと合図を送ると、同船していた第一小隊の団員に先導されるようにしてウイルバート達が降りてくる。

 その後、この街の代官とウイルバートが挨拶を交わすと、そのまま馬車でトラバールの屋敷へと向かうことになった。

 定期的な視察で訪れただけなので、特に歓迎の式典などは行われない。ウイルバートが無駄な儀式を好まないからだ。

 但し、いつもなら街の有力者を交えて食事をするだけの晩餐も、今回はイルムハートの顔見せの意味もあり、パーティー形式で行われることにはなっている。

 イルムハートにとっては面倒な話ではあるが、貴族の子女である以上それは避けることの出来ない必要な儀式なのだ。

 まあ、7歳と言う年齢もあって、そう長くは引き止められないのが救いではあるのだが。


 到着から2時間ほど後、イルムハートはトラバールの街中を歩いていた。

 屋敷に到着して軽い昼食を取った後、ウイルバートは早々に代官との会議に入ってしまったからだ。

 もとより今回の旅行は視察がメインであり、イルムハートの領内学習はそれに便乗したに過ぎないので、公務が優先されるのは当然である。

 ひとり残され、暇を持て余すことになったイルムハートは、ウイルバートの許可を得てトラバール市街を見学することにしたのだ。

 同行者はエマと騎士団員のニナ・フンベル。それと、あと2人の騎士団員が少し離れて護衛として付いて来ていた。

 ニナはこのトラバールの出身で歳は今年で18歳となる。

 エマとは同い年になるが、背も高く大人びた顔立ちで歳より上に見られがちだった。

 彼女は騎士団の中でも精鋭を揃えた第一小隊に所属し、将来はいずれかの小隊を指揮することになるだろうと言われている。

 肩まである茶色の髪を後ろに纏め、カーキ色の長袖シャツにパンツ、そして革製の胸当てといった軽装からは騎士であることを想像するのは難しかったが、ピンと伸びた背筋と腰に付けた重厚な剣が、ただの冒険者ではないことを暗に現していた。

 剣の実技で騎士団本部に通っているイルムハートとも当然見知った仲である。

「ニナさんはこの街の出身なんですよね?」

「はい、イルムハート様。父はここで工房を開いております。残念ながら日用品が主で、武器は扱っていないのですが・・・。」

 イルムハートの問いかけに、少し力無くニナが答えた。

 別に日用品の製造だって立派な仕事ではあるのだが、イルムハートはニナが残念がる理由を知っているので苦笑いを返しただけだった。

「父が刀工だったら良かったのですけれど。そうすれば一日中剣を眺めていられたのに。」

 そう、彼女は刀剣マニアなのだった。子供の頃は家の手伝いをほったらかして、近所の武器工房に入り浸っていたらしい。

 そのため、将来はてっきり武器職人になるものと周りは思っていたようだが、選んだ道は造る側ではなく使う側だった。

 好きこそ物の上手なれとは言うが、この場合もそれに当るのだろうか?

 12歳の時に騎士団の見習いとして応募・入団し、刀剣に対する過剰な愛情と持って生まれたセンスとでめきめきと腕を上げ、16歳になると同時に正団員として採用された。

 それから僅か3年で、すでに騎士団の中核メンバーのひとりとなっているのだから、その情熱は本物なのだろう。

 いささか、とう言うより、かなりマニアックな性格ではあるが・・・。

「ニナさんは本当に剣が好きなのですね。」

 エマはそう言ってニナに笑いかけた。

 エマもイルムハートに付き添って騎士団本部に通っているので、当然ニナとも顔見知りである。

 この世界、魔法により男女の肉体的な優劣はほとんど無いとは言え、やはり騎士になる女性は少数派であった。子供を産んでからも続けるには、いささかハードルが高い職業だからなのかもしれない。特に平民には。

 フォルタナ騎士団もそれは同じで、女性団員は3割程しかいなかった。

 そんな中、出入りする若い女性、しかも同い年ということもあり、ニナはエマに対して良く話しかけるようになった。

 その内に2人は仲の良い友となり、エマもさすがに人前では「フンベル様」と呼んでいるが、親しい者だけの場合は「ニナさん」と呼ぶほどまでになっている。

「それはもう。お休みの日に武器屋を回るのが何よりの楽しみなんです。」

 熱い目でそう語るニナは、もう慣れっこのイルムハート達はともかく、他人にはちょっとあぶない人に見える。

「エマさんのところのクーデル商会も、なかなかの品揃えで見ていて飽きませんわ。」

 クーデル商会はエマの実家で、長い歴史を持つ老舗の商家だった。

 元はここトラバールが発祥の地だが、エマの曾祖父の代でラテスに本店を移している。

 店は特に武器専門と言うわけではなく、トラバールで作られた製品全般を取り扱っているのだが、信用ある商会であるため高名な職人の作品も数多く扱っている。当然、刀剣に関しても。

 「騎士団の皆様には御贔屓頂いています。」

 もちろん、支給品に関して独占させているわけではない。

 そこは利益配分を公平にするため商業ギルドに発注し、持ち回りで納品する仕組みになっている。

 だが、団員が個人的に購入する場合は、やはり良品を揃える商会に人気が集まるのは仕方のないことだろう。

 そう言った意味で、クーデル商会は騎士団御用達として上位に入る店であった。

(それにしても、うら若き乙女2人が熱く語る話題ではないと思うけど。・・・ああ、熱くなってるのは一人だけか。)

 イルムハート半ば呆れながらも、穏やかな時間が過ぎていくことにどこか幸福感を感じ、2人の会話に耳を傾けていた。


 トラバールは城塞都市であるがために、街の拡張が簡単ではないという難点を抱えていた。拡張にはまず塀を作り直さねばならないからだ。

 そのため、人口の増加に対応しようとするとどうしても建物が上へと伸びていくことになる。

 街のあちらこちらには明らかに建て増しされたような建物がいくつも見受けられた。

 まだ表通りに面した建物はそれなりに美観が考慮されていたが、平民が暮らす街区ではいびつな継ぎ足しが行われているケースも少なくない。そんなものに金を掛ける余裕が無いからだ。

 かと言って、貧相とか汚いとか言う感じではない。人々の喧噪も相まって、何やら庶民の力強さのようなものを感じさせた。

 今、イルムハート達が歩いているのもそんな場所だった。

 庶民的な店舗や食堂が並び、夕飯の買い出しをする者、少し(かなり?)早いが一日の疲れを酒で洗い流そうとする者などで賑わっていた。

「鉱夫や冒険者といった人たちの姿は、あまり見えませんね。」

 周りの人々を見渡してもこの街の普通の住人といった感じで、話で聞いていた冒険者の姿は無い。

 それに、エルフやドワーフについては何人か見かけたが、魔族や獣人族の姿も見ていない。

 ちょっと肩透かしを喰らった気分のイルムハートだった。

「彼らは鉱山や魔石鉱床の近くに町を作ってそこを拠点としていますから、ここには時々しか来ないのです。」

「なるほど、その方が効率的でしょうからね。でも、危なく無いんですか?魔物が出るんですよね?」

 ニナの答えに頷きながらも、イルムハートはふと疑問に思ったことを口にした。

「簡素ですけれど一応どちらの町も壁で囲まれてますので、それほど危険というわけでもありません。それに鉱山町のほうは領軍が警備してますし。」

「魔石鉱床のほうは?」

「元々集まっているのは冒険者達ですので、警備は冒険者ギルドに任せています。魔石の採掘に出ない時は、町の周りで魔物狩りをして収入を得る者もいるのですよ。」

 魔獣から取れた皮や角、ものによっては内臓まで様々な部位が売り物になる。

 特にギルドからの討伐依頼が無くとも、魔獣を倒してその部位を売るだけでそれなりの収入になるのだ。

 聞けば、魔石も必ず採掘できるとは限らないらしい。

 大半は地面の中に埋まっており、僅かに地表に露出した部分を探して採掘を行っているとのこと。

 魔獣がうろつく場所ではゆっくり調査している時間もないため、結局は運頼みになってしまう。

 そんな中、運に恵まれず魔石を採掘することが出来なかった者達が、食つなぐための収入を得る仕組みとして冒険者ギルドへ警備を委任しているのだった。

(結果として人が集まりやすくなり、領政府としても警備の費用が浮くわけだし・・・上手く考えられているな。)

 この仕組みがフォルタナ領だけのものなのか、あるいはこの世界において一般的なものなのかは判らないが、中々に面白い考え方だとイルムハートは感心した。

 尚、イルムハートにとっては残念なことではあるが、今回それらの町を訪れる予定は無い。

 と言うか、今回に限らず、ウイルバートですら視察で訪れることは無かった。さすがに治安の面で問題があるからだ。

 決して無法地帯と言うわけでは無い。

 だが、一攫千金を狙い他領や他国から流れて来た者が多いそれらの町の事情を鑑みれば、何があるか予測は出来ない。

 側近、特に警備を受け持つ側から異論が出るのは仕方のないことであった。


「何か、揉めているようですわね。」

 しばらく街を散策していると、前方から誰かの怒鳴るような声が聞こえて来た。

 見れば3人の男が2人の女を取り囲んで何やら怒鳴りつけているようである。

「あれはこの街の地回りです。おそらく・・・配下の女性と何か揉めているのではないかと。」

 エマの言葉にニナがそう答えた。

 確かに、男たちは明らかにその筋の者のようだ。

 1人は成金趣味の中年男で、彼が女達を怒鳴りつけている。

 大柄で若い他の2人はそのボディーガードらしく、何事かと目を向けてくる通行人に対し、威嚇するような視線を送っていた。

 ニナは直接的な言い方を避けたが、女たちの方は派手で露出の多いその服装からして、俗に言う水商売の女か娼婦の類なのだろう。

 となれば、揉めている原因は大体想像が付く。金か仕事か、地回りが女達へ何かを強要しているのだろう。

 この世界、身体強化魔法のおかげで男女の肉体的優劣はほとんど無いとは言え、何もしなくとも強くなれるわけではない。地力の差にあまり意味が無いというだけで、鍛錬した者としない者では差が出るのは仕方のないことである。

 男性はどちらかと言えば好戦的な生き物で、力の強さをステータスと考え体を鍛える者は多い。

 だが女性の場合、力を必要とする職業を目指すもの以外は、あまり鍛錬する者はいない。意味がないからだ。

 その結果、この世界においても残念ながら男性が女性を力で支配するという構図が無くなることはなかった。

「何やら穏やかではありませんわ。警備隊を呼んだ方がいいのではないでしょうか?」

「この街ではこの程度の小競り合いは珍しくないのです。おそらく警備隊も取り合わないと思いますよ。」

 心配したエマの言葉にニナがそう答えたその時、中年男が女の1人を殴りつけた。

 さらに中年男は、倒れこんだ女に対し追い打ちを掛けるように踏みつけるようにして蹴りを入れる。

「ひどい・・・。」

 エマは思わず口を押えると、悲鳴のような声を漏らした。

 イルムハートもこれには怒りを感じ、思わず眉をひそめる。

 が、一番強い反応を示したのはニナだった。溢れんばかりの怒りをたたえた目で地回り達を睨みつけていた。

 自分より弱い者への容赦ない暴力、そして自らが生まれ育った街で我が物顔に振る舞う傲慢さ。

 元より地回り連中には良い感情を持っていなかったところに、今回の件を受けてニナの怒りも限界に近づいていた。

 だが、今はイルムハートの護衛としてここにいる。

 感情に任せた勝手な行動を取るわけにはいかず、グッと怒りを抑え込んでいるところだった。

「ニナさん、行って彼女を助けてあげて下さい。」

 そんなニナの気配を感じたイルムハートは、そう言って前方を指さした。

「いえ、そういうわけには・・・。」

 ためらうニナに対し、イルムハートはさらに言葉を続ける。

「僕の護衛が大切であることは解っています。でも、助けを必要とする領民に手を差し伸べることも、また騎士団のあるべき姿ではないですか?」

 本当なら自分で地回り達を追い払ってしまいたいところだが、そういうわけにもいかない。隠している能力がバレてしまう。

 ここはニナに任せようと、イルムハートはそう判断した。

「それに、護衛ならまだ2人いますから大丈夫ですよ。」

 今までは少し距離を置いて後ろから付いてきた2人の団員も、この状況を見て既にイルムハート達の左右両側に位置を移し辺りを警戒していた。

「イルムハート様・・・。」

 イルムハートの言葉に少し戸惑ったニナは、他の2人の団員に目を向ける。

 すると彼らは無言で、しかし力強く頷いてくれた。

 その瞬間、ニナの表情がパッと晴れた。

「ありがとうございます、イルムハート様。暫しお側を離れる事をお許しください。」

 ニナはイルムハートに対し深く頭を上げた後、残る2人の団員に「後は頼む」とだけ言って、地回り達に向かって走り出した。


 ニナと地回り達との間に起きた事については、多くを語る必要はないだろう。

 尤も、語るほど様々なやり取りが行われた訳ではないと言うのが本当のところではあるが。

 まずは彼等に対しその行為への警告を発したニナではあったが、冒険者風の格好をした若い女性の言葉など聞く耳を持つはずもなく、逆に地回り達は暴力で黙らせようとする愚挙に出た。

 その時点で、ニナは何も遠慮する必要が無くなったわけだ。

 2人のボディーガード達が如何に自分達の力に自信を持っていたとしても、騎士団で鍛え上げられたニナにとっては手こずるような相手ではない。

 2人はあっという間に気を失い、地面に転がることとなった。まさに瞬殺である。

 残された中年男はその時点で抵抗を諦めるべきだったのだが、実力に見合わないプライドのせいでやはり同じように地面に転がるはめとなった。

 時間にして1分も経っていないのではないだろうか?

 ニナは剣を抜くこともなく、あっさりと地回り3人を倒してしまった。

 その後、殴られた女の介抱をしている内に警備隊がやって来た。さすがに暴力沙汰となれば、出張って来ざるを得ないのだろう。

 ニナにとっては地回りとの立ち回りより、警備隊への対応のほうがむしろ厄介だった。

 騒ぎを聞きつけ集まって来た大勢の人々がいる中、自分の、ひいてはイルムハートの身分を公にするわけにもいかなかったからだ。

 なんとか隊長クラスの人間を呼び出してもらい彼に事実を耳打ちした結果、何とかその場を取り繕ってもらえることになった。

 ひと通り事が収まった時、ニナは傍で見ても判るほど疲労していた。もちろん、肉体的にではなく精神的に。

「さすがですね、ニナさん。」

「お疲れさまでした。」

 イルムハートとエマに労いの声を掛けられ、ニナは思わず苦笑を浮かべる。

「ありがとうございます。でも、後の処理をあまり考えていなかったのは失敗でした。結局、警備隊長に面倒を押し付けてしまって・・・。」

「それは仕方ありません。根回しする時間など無かったのですから。あれが、あの時点での最善の対応だと思います。」

「そう言って頂けると、気持ちも楽になります。」

 イルムハートの言葉にニナの表情も多少明るくなったが、今度はエマの表情が曇り始めた。

「あのお二人、この後どうなるのでしょうか?また酷い目に合わされたりはしませんか?」

 確かに、一時的には警備隊が保護してくれるだろうが、その後はまた通常の生活に戻ることになる。

 そうなった場合、あの地回り達が八つ当たりで彼女たちに暴力をふるうであろう可能性は十分にあった。

 とは言え、今後ずっと保護し続けるというわけにもいかないだろうし、いろいろと悩ましい問題ではある。

 皆がそう心配する中、だが、ニナの答えは少し違った。

「その辺りは多分大丈夫だと思います。」

「何故でしょうか?」

「今回の件にはイルムハート様が関与されているからです。いったんイルムハート様のご温情で救われた者が再び害されるようなことになれば、警備隊の沽券に関わってきます。

 今後、あの地回り達に対する監視は厳しくなるでしょうし圧力も強くなるはずですから、うかつなマネは出来なくなると思います。最も、多少は希望的観測も含めての話ですが。」

「では、僕の名前で、後で警備隊に問い合わせをしておいてください。」

 ニナの見立てをさらに確実なものにすべく、イルムハートはそう提案した。

「僕が気にかけていると伝えれば、ニナさんの言うとおりになる可能性が高くなるのではないですか?」

「それは良い考えだと思います、イルムハート様。」

「有難うございます。お許し頂けるのであれば、そうさせて頂きます。」

 エマとニナがその考えに賛同したことでこの話は終わり、市街散策を再開するかと思われたのだが、どうやらそういうわけにもいかないようだった。

「申し訳ありませんが、この後はお屋敷のほうへお戻り頂かねばなりません。」

「何故ですか?まだ時間はあるはずですが。」

 突然、ニナが散策の切り上げを言い出したため、イルムハートは疑問に思いそう問いかけた。

「この様な不測の事態が起こってしまった以上、このまま散策を続けるわけにはいかないのです。」

「でも、この件は解決したのではないですか?」

「ひとまず落ち着いたに過ぎません。もしかすると、あの者たちの仲間が意趣返しを企み襲ってくるかもしれない、そういう可能性もあるのです。

 例え僅かな可能性であっても、危険があればそれを避けなければなりません。」

 ニナがそう考えるのも尤もな事だとイルムハートは思う。彼女にとってはイルムハートの安全が最優先なのだから。

 だが同時に、事態がそれほど深刻だとも思っていなかった。

「例えそうだとしても、騎士団の精鋭が3人もいれば問題ないでしょう。心配するほどの事ではないと思います。もう少し散策を続けませんか?」

 本気でそう思っていたという事もあるが、それ以上にまだ帰りたくないという気持ちが強いせいもあって、いつになく我儘を言ってしまう。

「イルムハート様、ニナさんのおっしゃる事も尤もだと思いますが。」

 しかし、いつもなら味方をしてくれるはずのエマにまでそう言われてしまったイルムハートは返す言葉に詰まり、つい本音を吐いた。

「・・・こうして自由に街中を歩けるのが楽しくて、つい我儘を言いました。謝ります。」

 その言葉に、今度は他の皆が黙り込んでしまう。

 確かにイルムハートは辺境伯の息子として人が羨むような暮らしを送っている。

 が、その代償としてある種の自由が制限されてしまっている事も皆解っていた。特に行動の自由が。

 それは貴族の子女として仕方のないことなのだろうが、遊び盛りの僅か7歳の子供にとっては何とも歯がゆい事であろう。

 そんなイルムハートへの同情が、皆の気持ちを揺るがせていた。

 実のところ転生者であるイルムハートの精神年齢は見た目より高く、それを考えればかなりあざとい台詞にも聞こえるのだが、それでも正真正銘イルムハートの本心であることは間違いなかった。

 そういう生活しか知らずに育った子供よりも、ある程度大人になってから自由を奪われる方が実際には何倍も辛い。

 時折、城を脱け出しているとは言っても、行先は人里離れたドラン大山脈の奥地だけ。正体が発覚するのを避けるため、人目を避けた行動しか出来なかった。

 そんなイルムハートにとって初めて訪れた街を自由に散策出来ることは、この上なく楽しいことだったのだ。

「イルムハート様・・・。」

 イルムハートへの同情と自己の責務との板挟みになり、ニナは助けを求めるように同僚の2人の顔を見やった。

 だが、2人の気持ちもニナと同じのようで、どうすれば良いのかその判断に迷っているようだった。

 しばし無言のやり取りが交わされた後、3人は揃ってあきらめたような表情になる。

「イルムハート様、もし少しでも不穏な気配があれば、その時はすぐにでもお屋敷に戻っていただきます。それでよろしいですか?」

「いいのですか?」

 自分の判断に多少の不安を感じながらも、声に明るさを取り戻したイルムハートの顔を見てしまっては、今更言葉を撤回出来るはずもなかった。

 ニナは少し困ったような笑顔を浮かべながら、イルムハートに向かって静かに頷いた。

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