神獣と災獣
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。何言ってんの?
僕が災獣を倒す?そんなの、どう考えたって無理だろう?」
災獣・怨竜を倒せ。
そう言われるであろうことを全く想像していないわけでもなかった。
しかし、だからと言って平然としていられるものでもない。
「災獣と言えば君達神獣と同格の存在なんじゃないのかい?
だとすれば、人間の僕にどうこう出来る相手じゃないよ。」
そう力いっぱいの抗議をするイルムハートだったが、天狼はにべもない。
『神の使徒たるお前なら出来ないはずがなかろう。』
「だから、それはもういいって。」
天狼の言葉にイルムハートはうんざりしたような表情を浮かべる。
天狼はイルムハートの中に自分と同様の”神気”を感じ取ったらしく、何かにつけすぐ”神の使徒”呼ばわりしてくるのだ。
今の自分を客観的に見た場合、イルムハートとしてもある程度は他人と違っていると言うことを自覚せざるを得ないのだが、だからと言って”神の使徒”呼ばわりはさすがに無い。そんな台詞を真に受けるつもりなどないのだ。
「僕はただの人間だって前々から言ってるだろ。」
『何を言うか。
”ただの人間”は素手で龍族を殴り倒したりせんぞ。』
どうやらガルガデフ達と闘った件も耳にしているらしい。
「あれは何というか……火事場の馬鹿力的な?」
『何故、疑問形なのだ?
まあ仮にお前の言う通りだとしてもだ、だからと言って無い力が出せるようになるということでもないだろう。
元々お前にはそれだけの力が有ったと言う証左でしかあるまい。』
「それはそうかもしれないけど……。」
尤もな言い様にイルムハートは返す言葉も無い。
『安心しろ。怨竜もまだ完全体ではない。
お前の力を持ってすれば十分に倒せる相手だ。』
もはや天狼の中ではイルムハートが怨竜を倒すことが決定事項となっているらしく、それを覆すのはかなり難しそうである。
しかし、迂闊に受け入れる訳にもいかない。何より情報が少なすぎるのだ。
「完全体じゃない?それってどういうこと?
と言うか、そもそもなんで怨竜がこの島にいて、それでもってなんで天狼がそれを封じ込めているんだい?
先ずは状況からちゃんと説明してくれないかな?」
『それについては私からご説明致しましょう。』
そんなイルムハートの問い掛けに応えたのは天狼でもシュリドラ達でもない、別の”声”だった。
イルムハートが振り向くと、空から舞い降りて来た10数体の龍族が目に入る。
(これは……油断してたな。)
それ程の数の龍族が近付いて来ているにも拘わらず、その存在に気付かなかったことにイルムハートは思わず苦い表情を浮かべる。
彼等は敵ではない。それは明白だった。
だが、それとこれとは別の話なのだ。いくら魔力嵐の影響があったとは言え、簡単に背後を取られるようでは自分もまだまだだとイルムハートは反省する。
そんなイルムハートの思いを見抜いたのだろう。
『そう気に病むな。
今はこの魔力の濃度に少々感覚が掴めていないだけで、じき慣れる。』
天狼はイルムハートだけに聞こえる声でそう語り掛けてくれたのだった。
新たに現れた龍族は長老達とその護衛だとシュリドラは説明してくれた。
そして、その中でもひと際大きな身体をした1体がどうやら最長老らしかった。
『我が名はズウォゼラ。この龍族を束ねておる者です。
先ずはこの度のお力添えに感謝致します、イルムハート殿。』
こちらはこちらで外堀を埋めて来た。彼もイルムハートが協力することを前提で話して来る。こうなってはイルムハートに「ノー」と言う選択肢などありそうもない。
「初めまして最長老様、僕はイルムハート・アードレーです。
それで、さっそくですが現在の状況を詳しく教えていただけますか?
どうも天狼にはその辺りの説明を面倒臭がってすっ飛ばす傾向がありますので。」
『何を言うか、それはこれから話そうと思っていたところなのだぞ。』
「嘘をつけ。勢いで胡麻化そうとしていたくせに。」
イルムハートに痛いところを突かれて、天狼は気まずそうにそっぽを向く。
そんな様子を見たズウォゼラは、神獣である天狼とそこまで気安く会話するイルムハートに正直驚きを感じつつも、どうにかその感情を隠したまま話し始めた。
『実を申しますと、あの結界の中にいるのは怨竜だけではありません。
あの中には神龍様もおられるのです。』
「神龍!?」
さらに凄い名前が出て来た。話はどんどん広がってゆく一方である。
『正確にはいずれ神龍様となるはずの”聖なる子”が、です。
その子は数年ほど前、お告げにより神龍様の依代であることが判りました。
今はまだ目覚めておりませんが、やがて神龍様となりこの世界を守護する存在となるはずの子なのです。』
「それが何故、怨竜と一緒に結界の中に封じられてしまっているのですか?」
『少し前のことになりますが、その子の身体に怨竜が憑依してしまったのです。
残念ながらえ未だ覚醒されておられぬ状態ではそれに抗うことも出来きません。このままでは怨竜に身体を乗っ取られてしまう。
そう危惧していた時、そのことをいち早く察知した天狼様が駆けつけ、怨竜の動きを封じるためにこの結界を張って下さったのです。』
どうやらこの結界により封じられているのはあくまでも一体の龍族だけだが、実はその身体の中に神龍と怨竜の両者がいるということらしかった。
何ともややこしい状況のようである。
それにしても、どうしてそんなことに?何故、わざわざ神龍に憑依するような真似を?
そんなイルムハートの疑問を感じ取ったのだろう、ズウォゼラに代わり今度は天狼が口を開く。
『怨竜は”大災厄”の際に暴れ回っていたところを我等が滅した。
だが、生憎と災獣も我等同様に不死の存在なのだ。滅されたとしてもそれは一時的なものに過ぎず、”魂”の残滓は時間を掛け元通りに復活する。
どうやら怨竜も4000年の時を経て復活を果たしたようだが、それでもまだ完全体には程遠かったらしくてな。
そこで神龍の力を吸収し手っ取り早く完全復活しようと企んだわけだ。神龍が覚醒していない今ならそれも容易いことだと考えたのだろう。
全く、龍族の血脈の中で眠りにつくなど、そんな酔狂な真似をするからこういうことになるのだ。』
他の神獣は各々の神殿内でその姿のまま暫しの眠りにつく。
しかし、神龍は違った。一度仮初めの姿を捨てて龍族の血脈の中で眠りにつくため、今回はそこを狙われたわけだ。
確か、そのことについては以前も天狼から愚痴を聞かされたことがある。
「成る程、そう言うことになっているのか。」
『そうだ。
しかし、今はこうして怨竜の力を抑えているが、未覚醒状態の神龍では奴に抗う事も出来ずいずれ完全に乗っ取られてしまうであろう。
なので、そうなる前に奴を倒してしまわねばならんのだ。』
「状況は解ったよ。
でも、何で僕なんだ?当然、天狼にだって出来るだろ?」
『勿論出来る。と言うか、そのくらい容易いことだ。』
イルムハートの問い掛けに天狼はドヤ顔で答える。
が、その後でどこか不満気な口調になりこう言った。
『だが、龍族がそれを良しとせんのだ。』
それも奇妙な話だった。神龍を助けることに何故龍族が反対するのか?
すると、ズウォゼラが少し困ったような声でその理由を答えてくれた。
『ですが、神龍様共々に消し去ってしまうと言うのはいくら何でもさすがに……。』
どうやら天狼は神龍も含めまとめて滅してしまおうと考えているらしかった。
「神龍も一緒に?それはちょっと無茶な話なんじゃないか?」
『何が無茶なものか。
怨竜は今、神龍の精神世界に潜んでおるのだぞ?
奴を倒すにはそこへ行かねばならぬし、我がそこへ行くためには一旦この結界を解く必要があるのだが、もしその隙に怨竜に逃げられでもしたらどうする?
いや、取り逃がすだけならまだしも、その瞬間奴が力を取り戻し神龍を取り込んでしまう可能性もあるのだ。
そうなっては全てが無駄となる。
ならばまとめて滅してしまうのが一番であろうが。』
「いやまあ、言いたいことは解るけど……。」
『それに先ほど言った通り我等には真の意味での”死”など無いのだ。
例え滅せられたように見えても時間が経てば必ず復活するのだから何の問題もあるまい。』
そんな天狼の言葉を聞いていると、彼の言い分も尤もなように思えて来る。
が、勿論それは気のせいだった。
「で、時間が経てばって言うけど、それはどのくらいなんだい?」
『まあ、その時々の状況にもよるためハッキリとしたことは言えんが、数百年か数千年か、あるいは数十万年かだな。』
「何その適当な答え?期間の幅広過ぎじゃない?」
『細かい事を言うな。それくらい大した差ではあるまいに。』
「天狼にとってはそうかもしれないけど、この世界で生きる者にとってはとんでもない違いなんだよ。
もしかしたら復活に数十万年もかかるかもしれないなんて、そんなこと言われたらそりゃ龍族の人達だって首を縦に振る訳にはいかないだろうが。」
『どうしても駄目だと言うのか?』
「駄目に決まってるだろ。」
イルムハートがそう言い切った瞬間、天狼はその言葉を聞きニヤリと笑った……ような気がした。
『ならば、やはりお前が行くしかないな。』
「へっ?」
『我は結界を張り続けるためここから動く訳にはいかんし、かと言って神龍ごと滅してしまうのも駄目だとなれば方法はひとつしかあるまい。
つまり、お前が行って怨竜を倒して来るしかないということだ。』
「……。」
退路を完全に断たれ、イルムハートは思わず黙り込む。
尤もこの場合、天狼の言うことが正しいと解っていたし、自分に出来ることがあれば協力は惜しまないつもりではいた。
だがしかし、どうにも釈然としない。上手く嵌められたような気になってしまうのだ。
そんなもやもやした感情を抱えながらイルムハートはゆっくりと天狼に近づくと、その前脚を思い切り蹴り上げる。
『いきなり何をする!?
痛いではないか!?』
「その”してやったり”感が気に入らない。
神の使徒がそんな人を罠に掛けるような真似をして良いのか?」
『馬鹿を言うな、それは言い掛かりと言うものだ。』
「いーや、天狼は昔からそうやって人を引っかけて楽しむ悪い癖がある。」
『何を言う。
そう言うお前こそ昔から何かにつけ我を性悪扱いしおって。
お前の方がずっと質が悪いぞ。』
それからしばらくの間、イルムハートと天狼による低次元の言い争いが続いた。
それを見て呆気に取られる龍族の面々。
そんな中、護衛のひとりがガルガデフとビジャルーアに向かいぽつりと呟く。
『天狼様に向かって対等な物言いが出来る人族だと?
貴様達は本当にあのような者相手に闘いを挑んだというのか?』
その言葉にはガルガデフもビジャルーアも、共に苦い表情を浮かべるしかなかった。
『言わないでくれ。
それがどれだけ愚かな行為だったか、自分達が一番よく解っているのだからな。』
「で、具体的に僕はどうすればいいんだい?」
暫し言い争った後、イルムハートは唐突に話を本題へと戻した。
『うむ、先ずは神龍の精神世界へと入ってもらう。』
対する天狼もまるで何事も無かったかのように受け答えする。
まあ、元々仲が悪いわけではない。先ほどの口喧嘩も、言ってみればじゃれ合いのようなものなのだ。
尤も傍で見ている龍族からしてみれば、その切り替えの早さに付いて行けず唖然とさせられてしまうのだったが。
「どうやって?」
『我が送り込んでやる。
そこには神龍を吸収しようと狙う怨竜がいるはずだ。お前にはそれを倒してもらいたい。』
やるべきことは単純だ。だが、だからと言って簡単と言う訳でもない。
「僕に出来るかな?」
『龍族をも圧倒したお前の”力”なら必ず出来る。』
「そうは言っても、あれば強化魔法により身体能力を上げただけに過ぎないんだ。
その精神世界とやらでは肉体的効果なんてあまり意味はないんじゃないか?」
『どうもお前は勘違いしているようだが、それは単なる強化魔法などではないぞ。
いくら魔法により強化したところで人族に龍族を上回る力など得られるはずもあるまい。そもそも、基本的な身体の構造から異なっているのだからな。
それは魔法ではなく神気によるものなのだ。
お前は自身の神気を解放することで人を越える力を得ることが出来たというわけだ。』
また”神気”か。
その言葉に多少うんざり感はあったが、言われてみれば尤もである。
龍族はその背丈だけですら人族の10倍はあった。当然、肢体も相応に大きく逞しい上に全身鉄のような鱗に覆われているのだ。
しかも身体強化の魔法まで使えるとなれば、その強さの差は”圧倒的”と言う言葉ですら生ぬるいだろう。
その壁を単なる強化魔法だけで乗り越えられるはずもない。
実を言うとイルムハートもその点について不思議に思ってはいたのだった。
「僕自身、身体強化だけであそこまでの力が出せるとは正直思ってもいなかったんだけど、やっぱりそういうことなのかな。
でも仮にそうだとして、それでもちょっと難しいかもしれない。何しろあれには重大な欠点があるんだよ。」
『欠点?』
「そう、あの技を長い時間使うと燃料切れを起こしたように気を失ってしまうんだ。」
以前”龍族の祠”で力を解放した時は、その直後に気を失い数日間眠り続けることになってしまったのである。
今回だって怨竜と対峙している最中に同じことが起きないとも限らない。それが心配だった。
しかし、天狼はそんなイルムハートの不安を一笑に付した。
『なんだ、そのようなことか。
それは単純に力の使い方が不慣れなため上手く制御出来ていないだけに過ぎん。
魔力にしたところで無秩序に放出すればすぐに魔力切れを起こす、それと同じことよ。
まあ、今すぐ使いこなせるようになれと言うのも難しい話だろうが今回は問題無い。
我の力をお前に送り込んでやる故、そんな心配など無用だ。』
もし天狼が常に神気を補充してくれるのであれば以前ような燃料切れを心配する必要も無いだろう。反則的な無尽蔵のエネルギー源を得たようなものである。
後はイルムハート次第ということだ。
「解かったよ。やれるだけのことはやってみる。」
『うむ、頼んだぞ。』
そう言ってイルムハートと天狼は頷き合う。
『では、これからお前を神龍の精神世界へと送り込む。
言うまでも無いがそこは実際の世界とは異なる場所であり、”力”以上に”心”の強さが必要になる。
何があろうと、相手が誰であろうと決して恐れず自分を信じろ。
良いな。』
そんな天狼の声が頭に響く中、イルムハートの身体を虹色の光が包み始める。
そして、その意識はゆっくりと薄れていったのだった。