過去と未来
そろそろその年の暮れも近くなってきた頃、イルムハート達一行はリシェタール王国の王都カンネラへとやって来ていた。
カンネラはバーハイムの王都アルテナとは異なり、丘の上に王城が建ちその眼下に城下町が広がるといった造りだった。
城下町は北町・東町・西町の3つの区画に分かれており、残る南側には川が流れている。
その中でも北町が一番大きく官公庁や商工業施設が軒を並べていた。残った2つの内、東町が貴族を含む富裕層の街、西町が庶民街と言った感じである。
リシェタール王国の歴史はバーハイム王国のそれに近い。
と言うのも、元々一帯を治めていた国が衰退した末、新たに建国されたのがリシェタールとバーハイムであり、いわば兄弟国とも言える関係なのである。
当初、リシェタールとバーハイムでは前者の方が国力は上だった。
バーハイムはその東側が過去に起きた”大災禍”という魔獣災害で荒廃したままの土地となっており、お世辞にも裕福な国とは言えなかったのである。
しかし、それから長い年月を掛け東部開拓を進めた結果徐々に国力は増してゆき、現在では”大陸の3柱”とまで呼ばれる大国となったのだった。
そんな経緯もあり王都の規模としてはアルテナに劣るものの、カンネラの方が文化的に洗練されていた。
後から急激に人口が増えたアルテナとは違って街にも無理やり詰め込んだ感が無く、どの区画も美しい景観が守られている。
尤も庶民街の一部、貧民窟に関してはその限りでないのだが、まあこれはどの国でも同じことだった。
カンネラに到着したイルムハート達は先ず宿を取りのんびりする。
予定では冒険者ギルドへも顔を出すつもりでいたのだが、生憎とそろそろ陽も落ちかけていたのでそれは明日ということにした。
「ねえ、お風呂行かない?」
宿で暫し休憩した後、ライラがそんなことを言い出す。
「宿のひとに聞いたんだけど、この街にはお湯を張った公衆浴場があるみたいなの。
そこで旅の疲れを流しましょうよ。」
旅の間は体をタオルで拭いたり泉で洗ったりする程度で、風呂に入る事など滅多に無い。運よく入れたとしても蒸し風呂がせいぜいである。
そんな中、湯を張った風呂に入れると聞いてはうら若き女性であるライラが大人しくしていられるはずも無かった。
そして、ケビンもそれに同調する。
「いいですね、お湯につかるのは国境近くにあった山奥の村以来ですからね。
およそひと月以上も前でしょうか。」
意外に思えるかもしれないが、大きな街よりも小さな村などのほうが湯を張った風呂を使っている場合が多い。
これには、技術の話ではなくインフラの問題が絡んでくる。
風呂桶を作るのはともかく、湯を沸かしたりするのはそう難しいことではない。まあ、毎日は難しいとしてもさほど苦労する作業でもないのだ。
だが、問題は風呂桶に水を入れることと終わった後の湯を排水する点にあった。
小さな村ならば近くの川から水を運び、使い終わった湯は水路にでも流してしまえば良い。住人が少ない分、その程度のことをしても環境に影響が出ることは無いのである。
しかし、これがそれなりに人口のある場所だとそうもいかない。
ある程度の規模を持つ街には上下水道が整備されており住民はそれを共用しているわけだが、そうなると当然ひと家庭当たりの使用量も厳しく制限されることになる。
”インフラ”と言ったところで所詮はこの世界における文明相応のものでしかなく、そのキャパシティは決して大きくはない。
そこへ無制限に水を汲み上げ汚水を垂れ流されてしまえば、あっという間に破綻を来たしてしまうことになるだろう。
そのため各家庭では一度に大量の水を使うことが出来ないような仕組みになっているのだ。
尤も、高額の使用料を追加で支払えば制限も解除出来るのだが、そんな金は貴族や大商人などの富裕層にしか出せるはずもなく、これが一般家庭に”湯風呂”の無い理由となっているのだった。
「まあ、身体なんか洗わなくたってどうってことはないが、湯につかるのは確かに気持ち良いからな。」
全くデリカシーの欠片も無い言い様ではあったが、風呂に入ること自体はジェイクも賛成のようである。
だが、それを聞いたライラは訝しむようにすっと目を細めた。
「アンタも来るつもりなの?」
「なんだよ、俺が行っちゃ悪いってのかよ?」
「別に来ること自体文句言うつもりは無いけど……覗いたりしたら殺すわよ。」
「な、何言ってやがんだ!?」
不意の言葉に慌てふためくジェイク。実に分り易い性格である。
「言い掛かりもいい加減にしろよな!俺がそんなことするわけないだろ?」
「ホントかしらね。
この間だってアタシがお風呂に入っているところを覗こうとしてたでしょ?」
ライラの追及にジェイクは挙動不審となり滝のような汗を流し始める。
「な、何で知ってるんだ!?
誰がチクりやがった?イルムハートか?それともケビンか?」
そして、盛大に自爆した。
実を言うと、確かにジェイクはライラの入浴を覗こうとしてイルムハートに止められていたのだ。
しかし、そのことについてイルムハートもケビンも告げ口などしてはいなかった。それを知ったライラは当然怒るだろうし、下手をすればジェイクの命は無いかもしれない。
そう考えると、さすがに口には出せなかったのである。
にも拘らず、ジェイクはまんまと騙され自白してしまったわけだ。
やれやれと言った感じで頭を振る2人を見て、ジェイクは自分が引っ掛けられたことに気付く。
「騙したな!卑怯だぞ!」
勿論、そんな抗議が通るはずもない。ライラは鬼のような形相でジェイクに迫る。
「ちょっと待て、ライラ!落ち着いて話し合おう!な?」
こうなってはもうジェイクを救う事など不可能だった。
イルムハートに出来る事と言えば宿に迷惑を掛けないよう部屋に防音の魔法を張り巡らせることと、後はジェイクの冥福を祈るくらいだったのである。
翌日、イルムハート達はひと通りカンネラの街を見物した後、冒険者ギルドへと足を運んだ。
と言っても依頼を受けようと言う訳ではない。
王都の様な政治的に重要な場所の周辺地域では軍が魔獣の動きに対し常時監視を行っており、すこしでも不穏な傾向が見られればすぐさま討伐のため兵が向けられる。
そのため、近場には一般人でも何とか倒せる程度の弱い魔獣しか存在せず、当然討伐依頼など発生しない。簡単な素材収集くらいは可能だが、それ以外は数日を掛け移動しなければならないような依頼しかないのだ。
イルムハート達は旅の途中であり、しかも土地勘のない場所であるため出来るだけ遠出は避けたかった。せいぜい町から1~2日程度の移動で済ませたいのだが、残念ながらそんな依頼はほとんど無い。
その点、地方の町ならそう言った依頼もそれなりにあるため、何も無理をしてここで受ける必要など無いのだ。
では何故王都のギルドに顔を出すかと言うと、それは下調べのためだあった。
その土地土地によって出没する魔獣の種類や生態は違ってくるため、様々な依頼の内容からその傾向を把握しておくのである。
「やはり注意する必要があるのは山に棲む魔獣かな。」
いくつか依頼を見た後でイルムハートがそう呟いた。
アルテナからここまでの道は比較的平坦な土地が続き、山はあってもそれほど高くはないものばかりだった。
だが、この先内海まで出るにはいくつかの山地を越えていく必要がある。そこにはイルムハート達が未だ出会ったことのない魔獣も多く棲み付いているのだ。
「本格的な山越えをするのは初めてだし、その点も気を付ける必要はあるわね。」
その側ではライラが地図を眺めながらそう口にする。
「そうですね、山自体はドラン大山脈で慣れているとは言え、自分の足で登ったわけじゃありませんしね。
途中には危険な道もあるでしょうし、天候が変わりやすい点も要注意です。」
まあ、今までだって過酷な旅をしたことが無いわけでもない。なのでケビンも本気で心配しているわけではないのだが、かと言って気を緩めるのも危険なのだ。
しかし、約1名ほど上の空でそれを聞く者がいた。
「って、聞いてますか、ジェイク君?
受付のお姉さんに見とれてばかりいないで、ちゃんと話に参加してくださいよ。」
「ああ、悪い悪い。
で?何の話だっけ?」
「全く、昨日もあれだけ痛い目を見ておきながら毎度毎度ホント懲りませんね。
その女性への執着心と打たれ強さだけは称賛に値しますよ。」
「それって褒めてるのか?」
「今のが誉め言葉なのであれば、この世の中に”皮肉”というものなど存在しないことになるでしょうね。」
「……何か良く解らんが、バカにされていることだけは解った。」
相変わらずの迷コンビぶりにイルムハートも思わず苦笑する。
そんなまったりした空気の中、不意に声を掛けて来る者がいた。
「アードレー?イルムハート・アードレーなのか?」
そう呼ばれ振り向いたイルムハートは、目の前に立つ意外な相手に思わず驚きの声を上げた。
「まさか……ケゼルさんですか!?」
イーボ・ケゼル。元アルテナ・ギルド所属Cランク冒険者。
彼は1年半ほど前に起きたバーハイム王国動乱計画の首謀者ユリウス・ラングの部下だった男である。
と言ってもユリウスは真の黒幕である”再創教団”により呪詛魔法で操られていただけだったし、イーボも単に道具として使われていたに過ぎなかった。
計画失敗の後ユリウスは死に、イーボは共犯者として捕らえられたものの”再創教団”が関与していたことなど一切知らなかったことが判り、厳罰は免れることが出来たのである。
こうして前科持ちとなってしまったイーボは本来なら冒険者資格を剥奪されても仕方の無いところではあるのだが、ギルド長であるロッドのはからいで何とか追放されずに済んだ。
そもそも彼の場合、決して悪意があったわけではなく単に心酔するユリウスを妄信して行動したに過ぎない。更生の余地はあると考えたのだろう。
そこで、降格にはなるがEランクとして資格は残し、暫らく様子を見ようと言うことになったのである。
だが、当のイーボはそのはからいに感謝しつつも自ら冒険者を辞めた。そのはずだった。
「久しぶりだな、アードレー。元気そうで何よりだ。」
「お久しぶりです、ケゼルさん。
もしかして、冒険者に復帰したんですか?」
ギルドの、しかも冒険者用ホールにいるということはそういうことなのだろう。
「まあな。結局、俺にはこれしか出来ないのさ。」
そう言ってイーボは自嘲気味に笑って見せたが、その表情に卑屈さは無い。むしろ、アルテナにいた時と比べ何処か憑き物が落ちたような印象すら与えた。
「アルテナにいると辛い事ばかり思い出してしまうので一旦は冒険者を辞め国を出たんだが、その後色々思うところがあってな。」
イーボは遠い目をしながら語った。
まあ、無理も無い。敬愛するユリウスを失い、しかも知らなかったとはいえ紛争を起こすための手伝いまでさせられていたのだ。あのままアルテナに留まっても辛い思いをするだけだろう。
「で、こっちに来ていちからやり直そうと思ったんだ。
尤も、俺には前科があるし登録審査に通るかどうか不安はあったんだが、そのことを正直に申告したらわざわざロッドさんに問い合わせてくれてな。
そうしたら、俺の資格は”廃止”じゃなくて”休止”状態だって知らされたのさ。俺の復帰を見越してロッドさんが残してくれていたらしい。しかも、所属変更の承認までしてくれた。
そのお陰で俺はEランクから再スタートすることが出来たし、もうじきDランクにも上がれそうなんだ。
ロッドさんには何と感謝していいか分からないくらいだよ。」
イーボは穏やかな笑みを浮かべながらそう語った。どうやらこのカンネラでは充実した日々を送れているらしい。
「そう言えば、お前にはまだちゃんと謝っていなかったな。
俺のせいでお前やお前の仲間達を危険な目に会わせてしまった。
本当に申し訳ない。」
「いえ、その事はもういいんです。気にしないでください。」
不意に頭を下げられたイルムハートは慌てるように手を振った。が、その後で急に沈痛な面持ちになる。
「……それより、ケゼルさんは僕を恨んでいないのですか?」
「恨む?」
「ええ、あの時ラングさんに止めを刺したのは僕なんです。
だから、ケゼルさんは当然僕のことを恨んでいるものと思っていました。」
「ああ、そのことか……。」
イルムハートの言葉にイーボは笑みを浮かべて見せはしたが、それはどこか哀しそうな笑顔だった。
「正直、最初は恨んでいた。お前のことが憎くて仕方ない、そう思っていた。
けど、本当は違ったんだ。
ユリウスさんがもう昔のあの人じゃ無くなってしまっていることを俺はとっくに気付いていたんだよ。そして、何かとんでもない事をしようとしていることにも。
でも、俺はそれを止められなかった。見捨てられるのが怖くて現実から目を背け続けたんだ。
あの時、もし俺に何かが出来れば、ロッドさんに相談してユリウスさんを止めることが出来れば、少なくともあの人を死なせずに済んだのかもしれない。でも、何も出来なかった。
そんな俺の弱さへの怒りと後悔をお前にぶつけようとしていただけなんだ。それが解ったのさ。
だから、もうお前のことを恨んだりはしていない。」
そう言ってイーボはイルムハートの目を真っすぐに見つめた。
その表情は僅かな陰りこそあるものの、決して過去に囚われた者のそれではなかった。
どうやら彼は彼なりに過去と決別し未来へと進み出したようである。
「ところで、ここにいるということはもしかすると”修業の旅”の最中なのか?」
しんみりした話も終わり、普段の様子に戻ったイーボは今さらながらの様にそう尋ねて来た。
「はい、これから内海の方へ出て、その後アンスガルドへ向かうつもりです。」
「そうか、と言うことはDランクに昇格したんだな。その若さで大したものだ。」
「ケゼルさんももうすぐDランクに上がれるんですよね?
いくらEランクからのスタートとは言え僅か1年ほどで昇格なんて、そっちのほうが凄いですよ。」
そもそも、元Cランク冒険者なのだから実力的には問題ないだろう。
だが現在イーボは観察措置中であるせいもあって、その評価を上げるためには他人の何倍もの実績を重ねる必要があるはずなのだ。
「まあ、自分で言うのも何だが結構頑張ったからな。何せ、俺にはやりたいことがあるんだ。」
「やりたいこと、ですか?」
「ああ、Dランクになってユリウスさんと歩いた道をもう一度巡ってみたいと思っているんだよ。」
今の彼にとって過去の思い出に浸ることが必ずしも楽しいだけとは限らない。思い出が優しければ優しい程、それが辛く感じることもあるだろう。
イーボもおそらくそれは解かっているはずだ。しかし、それでもその道を選ぼうとしている。彼自身の未来のために。
「それは良いですね。その日が早く来ることを祈っています。」
イルムハートは心からそう思った。
そうこうしている内に、やがて再び別れの時がやって来る。
「それじゃ俺はこの辺りで失礼する。
向こうに仲間を待たせているのでな。」
イーボはそう言うと右手を差し出した。
「いずれまた会う日もあるだろう。
その時まで元気でな。」
「はい、ケゼルさんもどうぞお元気で。」
その手を握り返しながらイルムハートもそう応える。
例の事件はイルムハートにとっても辛い記憶しか残さなかった。
だが、こうして立ち直ったイーボの姿を見ることで少しは心が救われたように感じた。
彼の未来が明るいものでありますように。
後ろ向きで手を振り去ってゆくイーボの背中を見ながら、イルムハートはそう願うのだった。