王都閑話と国境越え
本来であれば明日更新のつもりだったのですが、事情により前倒しとなりました。
次回はまた通常とおりに更新する予定です。
イルムハート達が王都を出発して3ヶ月ほど経ったある日、フランセスカとセシリアの2人は王都のアードレー屋敷を訪れていた。
と言っても、何か特別な事が起きたからではない。
現在2人はイルムハートの妻となるための教育を受けており、今日はその授業の日なのだ。
イルムハートは第3子であって跡継ぎではないし、どうやら分家として家を興すつりもなさそうだ。ましてや他家への婿入りなど今更有り得ないだろう。
それはつまり、貴族として生きてゆくわけではないということ。
しかし、どんな生き方をしようと彼が辺境伯の息子であることに変わりはなく、貴族社会から完全に離れる事など出来はしないのだ。
そうなると、その妻となる2人にも相応の知識や作法を身につけてもらう必要がある。
フランセスカは騎士団で、セシリアは騎士爵の娘としてある程度の教育は受けているが、”本物”の貴族、しかも上級貴族ともなるとそれだけでは到底足りなかった。
そのため、婚約が決まって以降は月2回ほどこうしてアードレー屋敷において授業を受けているのだった。
「おふたりにイルムハート様よりお手紙が届いております。」
その日、授業始まりの前にフランセスカとセシリアはメイドからそう告げられ手紙を受け取った。
イルムハートが旅立ってからこれが3回目の便りで、例の転移魔法を使って会いに行くという案は未だ保留のままである。
「相変わらず師匠も優柔不断と言うか何というか、煮え切らないなぁ。
別に手紙も悪くは無いんですけど、どうせなら転移魔法で会いに行った方がいいのに。」
封筒を目の前でひらひらさせながらセシリアはそんな風に呟いた。尤も、口では不満を言いながらもその顔はニヤついている。
「そんなことを言うものではありませんよ、セシリア。」
そう言って咎めるフランセスカだったが、セシリアも内心では喜んでいるのを知っているためその口調は柔らかい。
「旦那様もお忙しい中で私達のために手紙を書いてくださっているのです。
しかも、それを飛空船便で送って来られているのですよ?
それだけ私達のことを考えてくださっているということなのですから。」
郵便網が整備されていないこの世界では手紙が届くのに数週間から数か月かかることも決して珍しくはない。だが、イルムハートの手紙は僅か数日で彼女達の手元に届く。
理由はフランセスカが言ったように飛空船を使った配達によるものだからだった。
飛空船は国内・国外の各所に定期便が運航されており、それに手紙や荷物を載せて運ぶ方法があるのだ。
勿論、それには高額な料金を支払う必要があり、最低でも一般的な家庭が半月は暮らせるほどの額が必要となる。
いくらイルムハートが(Dランクにしては)高い収入を得ているとしても、毎月それだけの出費をしてまで手紙を出すのは決して容易い事ではあるまい。
それでも彼は2人のためにこうして便りを送って来てくれるのだった。
ちなみに、宛先を各々の家ではなくアードレー屋敷しているのはその方が圧倒的に早くかつ安全に届くからである。
何せ届け先が辺境伯家なのだ。何を置いても最優先されるのは当然と言えた。
結果として親の権力を頼る形にはなるが、まあこれくらいは許してもらえるだろう。
「それは解かっているんですけどね。」
フランセスカの言葉にセシリアはおどけた素振りで肩をすくめてみせる。
「ただ、手紙の内容も近況報告ばかりでちょっと物足りないかなと。
せめて愛の言葉のひとつくらい書いていてくれてもバチは当たらないと思うんですけど。」
「そうですか?私はこのほうが旦那様らしくて好きですよ?
最後に「体には気を付けて」と書いてあるだけで心が温かくなります。
そもそも旦那様は愛だの恋だの、そのような言葉を軽々しく口にされるような方ではありませんよ。」
「それもそうですね。
もしそんな手紙をもらったら、むしろ「ホントに師匠が書いたの?」って感じになりますもんね。」
「その通りです。」
そう言って2人は笑う。
いろいろと思うところは当然あるのだろうがそれでもイルムハートという人間を理解し、素っ気ない表現の中にも彼の思いを汲み取ってくれているのだ。
救い難いほどの”鈍感男”にはもったいないくらいの女性たちである。
「さあ、そろそろ時間ですね。今日も頑張りましょう。」
「はい。」
そして”花嫁修業”の時間が始まる。
再びイルムハートに会えるその日を待ちわびながら。
フランセスカとセシリアが”花嫁修業”に勤しんでいるその頃、イルムハート達はトルネン侯爵領にある隣国リシェタール王国との国境へ到達していた。
ニーゼック伯爵領からその北にあるネルゴー伯爵領を抜け、およそ2か月半の行程だった。
本来、旅をするだけならその半分もかからないところではあるが、イルムハート達は”修業の旅”の最中なのだ。途中途中の町々で依頼をこなしながら旅をしているため、これだけの日数を要したのである。
「いよいよリシェタール王国よ。なんかワクワクするわね。」
そう言ってライラが目を輝かせる。何しろトラバール王国から出るのはこれが初めてなのだ。
尤も、それはその場の全員に言えることだった。さすがのイルムハートでさえ今まで自国を出たことがなかったのである。
そのため、皆同じように期待を込めた顔をしている……かと思いきや、何故かイルムハートだけはどこか微妙な表情を浮かべていた。
「どうしたの?何か心配事でもあるの?」
それに気付いたライラがそう問いかけて来たのだが、イルムハート自身その理由が上手く説明出来ないのだった。
「いや、そう言うわけじゃないんだけど……何かこう、突然もやもやした気分に襲われたんだ。
褒められているのか貶されているのか、どう判断していいのか分からない言葉をかけられた時みたいに。」
「なによ、それ?」
「……僕が聞きたい。」
「それはあれだ、要するに”呪い”だな。」
すると、ジェイクが物騒なこと言い出した。
「”呪い”?何で僕が呪われなきゃならないんだ?」
「そりゃ決まってるだろ。
お前みたいにどこ行ってもモテモテのヤツは全世界の男から呪われるんだよ。」
「はあ?」
またしてもジェイクの病気が始まったようで、その言葉にイルムハートは困惑させられる。
「なる程、その可能性は十分にありそうですね。」
そんなジェイクの言葉に対し珍しく賛同するかのようにケビンが口を開いた。勿論、そんなはずはないのだが。
「全世界の男とまでは言いませんが、少なくとも呪いを掛けようとしている者に約1名心当たりがあります。
何しろ昨晩もずっと呪いの言葉を口にしていましたから。
ねえ、ジェイク君?」
「当たり前だ。昨日は昨日で宿屋のお姉さんとイチャイチャしてやがってたんだからな。
それだけじゃない、ギルドに行けば受付のお姉さんからもいつもチヤホヤされるし。
そんなヤツ呪われて当然だろうが。」
そこまで言ってジェイクはハッと我に返る。ケビンの誘導尋問に引っかかってしまったことに気付いたのだ。
「ええと……まあ、なんだ。今のはただの冗談だよ、冗談。」
狼狽するジェイクにイルムハートとライラの冷たい視線が突き刺さる。
「と言うことは何かな?その人間を”始末”してしまえば僕の呪いも解けるってことかな?」
「そう言うことなんじゃない?
始末するならアタシも手を貸すわよ?」
そう言いながらにじり寄るイルムハートとライラ。
「だから、冗談だってのにー!」
この後ジェイクがどうなったのかはご想像にお任せするが、まあとりあえず楽しそうに旅を送る4人ではあった。
リシェタール王国との国境にはいくつかの関所があり旅人はそこを通過することになる。
領と領の境とは違い、さすがに国境ともなると当然身元確認が行われる上に入国税まで徴収された。
勿論、いくら国境とは言えその全てに監視の目を光らせるなど不可能なことは領境と同じではある。なので、密入国しようと思えば出来ないことはない。
しかし、それでもほとんどの旅人は関所を通り素直に税を収める。
何故かと言えば、そうしなければ旅を続けることが困難だからだ。
この世界、言語はほぼ統一されているが通貨についてはそうではない。各国がそれぞれ独自の貨幣制度を布いていた。
まあ、貨幣流通のコントロールが経済政策の大事な手段である以上、それも当然のことである。
だが、そうなると国と国との間で貿易を行う際に不都合が生じてしまう。全く価値の異なる通貨同士で売買を行わなければならなくなってしまうからだ。
なので、国際間の協議によって金貨だけは同じ価値とするよう取り決められていた。
つまり使用通貨の異なる者同士が取引を行う際は先ず自国通貨を金貨に換金した後、そのままか或いは相手国の通貨へと再度振り替えて支払いを行うのである。
要するに金貨が”基軸通貨”の役割を担っているのだ。
金貨の発行についてはどの国でも各自自由に行うことは可能だった。
だが、協定により金の含有量は厳密に定められており、もし粗悪な金貨を鋳造し流通させるような真似をすれば厳しい罰を受けることになる。
国際社会から爪弾きにされてしまうだけでなく、下手をすると通商破壊行為と見なされ宣戦布告すらされかねないのだ。
そのため、どの国でも金貨の偽造は重罪である。
勿論、通貨の偽造が重い罪となるのは当然のことだが、こと金貨の場合は特に重く国家反逆罪と同等の処罰を受けることになるのだった。
で、話を戻すが、通貨を両替する際には身分証が必ず必要だった。加えて外国籍の場合は”入国証明書”の提示が求められる。
そして、その”入国証明書”は入国税を払うことにより発行されるのである。
つまり、密入国者はその国の貨幣を手に入れることが出来ず、宿に泊まるどころか飲み食いすることすらままならなくなってしまうのだ。
まあ、国境近くの町であればある程度両国の通貨が通用する場合もあるが、先へ進もうとする者にとって”入国証明書”は必須だった。
それ故に旅人は大人しく関所を通らざるを得ないのである。
イルムハート達が越えようとしている国境は川になっている場所だった。国境としては一番線引きのし易い場所だ。
川には橋が架かっており、その両端にバーハイム・リシェタール両国の関所がそれぞれにある。
出国に関しては特に大きな荷物さえ無ければそれほど手間は掛からないし、余程怪しげな者でない限り身分証の提示だけで済む。
お陰でイルムハート達もすんなりとバーハイムの関所を抜けられた。
そして橋を渡り、今度はリシェタール側の関所だ。
ここでは先ず身分証の内容確認が行われた。
通常、庶民の場合身分証など持っていないため旅をする際にはわざわざ発行してもらう必要があるのだが、イルムハート達には冒険者カードがある。これはどこの国でも身分証として十分に通用した。
それどころか、冒険者ギルドが身元保証人代わりとなるため入国審査もほぼフリーパス状態だ。
これも冒険者ギルドが長年築き上げてきた信用のたまものである。
「こうしてみると、冒険者カードってのは大したもんだよな。
こんな楽に入国出来てしまって良いもんなのかって、逆に心配になるくらいだぜ。」
審査を終え無事入国した後に、ジェイクはしみじみとした感じでそう言った。
すると、お決まりのごとくすかさずケビンが茶々を入れる。
「そうですね、僕もそう思います。何せジェイク君のような人間ですらあっさり審査をパス出来てしまうんですからね。」
「……言うと思った。」
ジェイクは簡単に言っているが、これだけの信用を築くまでには冒険者ギルドも相当の努力をしてきたのだ。そして今も尚、その信用を維持するため日々自浄に取り組んでいる。
そのひとつが冒険者資格の範囲限定制度である。
冒険者は6つのランクに分けられるが、その内下位であるE・Fランクの場合所属するギルド支部の管轄内でのみ資格が有効となる。それ以外の場所では冒険者として活動も出来ないし資格も制限されていた。
これは表向き新人冒険者が無茶をして危険な目に会わないようにするための保護措置ということになっているものの、実際には裏があった。
冒険者登録は誰にでも可能だ。当然、犯罪歴等のチェックは行われるがコンピューター・ネットワークなど無いこの世界では各国の犯罪者全てをチェックすることなどほぼ不可能である。
また、今のところ犯罪歴は無くとも今後何らかの悪事を働くために冒険者資格を利用しようと企む者だっていないとは限らない。
そんな連中に対し、どこの国でも通用するような資格を簡単に与えるわけにはいかなかった。事はギルドの信用に関わって来るからだ。
そこで、まず最初は資格が有効となる範囲を限定させ、Dランクへ昇格するまでの数年間で素行や思想のチェックを内々に行うのである。
その結果”不適格”と判断された者はギルドから追放され、残った相応しい者にだけ正規の資格が与えられると言う訳だ。
実に巧妙な仕組みと言える。イルムハートも最初その話を聞いた時はひどく感心したものだった。
このことは”機密”という程ではないにしても一般冒険者には公表されておらず、イルムハートとしても口外するつもりなどない。
例え必要な措置であってもどこか監視されているようで気にする者もいるだろうし、何より”普通の”冒険者にとってデメリットなど全く無いからである。
入国審査を終えたイルムハート達は、次に両替窓口へと向かう。
ここでは証明書無しでも両替が可能で、当面必要となる分のリシェタール通貨を手に入れた。
後は入国税を払い証明書を手に入れ、手続きは全て終了となる。
入国証明書はリシェタール王国の紋章の入った掌よりふた回りほど大きい程度の紙に、入国する者の名前と日付・受付担当者名を手書きで記しただけの簡素なものだった。
一見、簡単に偽造できそうにも見えるがこれがなかなかのもので、曜日や相手の性別等で書き込む位置が微妙に違うのだった。
手書き故に若干ズレがあるのだろうと思いがちだが、実は明確なルールに則っているのだ。
それを知らずに様式や筆跡だけを真似ても意味はない。あっさり偽造だとバレてしまうのである。
「国外へ出るのは初めてですか?」
イルムハート達が年若い少年少女だけの一行であるため、窓口の女性がそう話し掛けて来た。
「はい、そうです。」
「では、この入国証明書について説明しますね。
日常において証明書が必要になるケースはほとんどありませんが、以下の2つのことをする際には必ず必要になります。
ひとつは両替所でお金を換金する場合です。
ここは証明書無しでも換金出来ますが、他ではこれが無いと換金することが出来ませんので注意してください。
あとひとつは出国する際です。
バーハイムへ戻られるのであれば必要ありませんが、もしここから他の国へ行かれる場合はご自身の身分証の他にこの入国証明書が必要になります。密入国者でないことの証明のためですね。」
2つめについてはイルムハートも知らなかった。
まあ、どの国も法を守らないような連中を自国に入れたいとは思わないだろう。なので、正規の手続きを経ていない者を排除するのは至極当たり前のことではある。
「万一、証明書を紛失してしまった場合はすぐ役所に届けてください。再発行することが可能です。
但し、その際には入国税と同額の手数料が発生しますので、出来るだけ失くさないよう気を付けてくださいね。」
そう言い終えた後、女性はイルムハート達にそれぞれ入国証明書を手渡す。
そして、にっこりと微笑みながら言った。
「これで入国の手続きは終わりです。リシェタール王国へようこそ。」