領内学習と飛空船
フォルタナ領トラバール。
領都ラテスから北北西に約250キロほど離れた場所に位置する、領内において3番目に大きな街である。
ドラン大山脈に近い立地による鉱山開発を目的として造られた街で、そこで産出される金属を原料とした製造業が盛んなところから工業都市トラバールと呼ばれていた。
そこが、イルムハートが次に領地学習として訪れる場所である。
今まではラテスと近隣の町や村だけを回っていたのだが、いよいよ本格的に領内を周ることになったのだ。
領内には他にも国境警備の拠点となる城塞都市カサルや海沿いにある貿易都市セーリナスのような重要拠点はいくつかあるが、その中でトラバールが選ばれたのは一番アグレッシブな街であるためだった。
トラバールは種族の坩堝であり、ドワーフやエルフといった人族だけにとどまらず、獣人族や魔族までが数多く暮らしていた。
魔族との融和派であり他種族に寛容なバーハイム王国でもトラバール程多く見かける街はない。
これ程雑多な種族が集まる理由は、トラバールが鉱工業の街であり鉱夫や職人といった技能が種族よりも優先されるからである。魔族だろうと獣人族だろうと、有能であればいくらでも職を得ることが出来る。それがトラバールという街だった。
そして、トラバールが領内一アグレッシブと言われる理由がもうひとつある。
魔石だ。
魔石とは魔力を蓄積した鉱石である。
そもそも魔力はどこで産み出されているのか?
大気中にある魔力は魔法に変換することで消費されてしまう。そのままではいずれ枯渇してしまうことになる。
だが、決して魔力は無くなったりしない。常に大地から湧き出しているからだ。
大地の底で魔力が発生するメカニズムまでは解っていないが、地脈と呼ばれる特殊なエリアで地面から魔力が供給されていることは常識として知られていた。
地脈はグローデン大陸のあちらこちらに存在し、この世界に魔力を供給し続けているのだ。
魔石はこの地脈の側で産出される。
正確には地脈と離れた場所であっても、長い年月魔力にさらされていれば魔石と同じ性質を持つようになるのだが、効率に問題があった。魔力の備蓄量が違うのだ。
地脈近くで取れた掌に乗る程度の大きさの魔石と同じだけの魔力量をそれ以外の場所の石で得ようとすれば、家一軒ほどの大きさを必要とした。
そのため、魔道具に使用する魔石はどうしても地脈近くで採掘する必要があった。
トラバールから少し離れた場所にはその地脈が走っていた。しかも、2つの地脈が交差するホットスポットと呼ばれる場所も存在していた。
そのホットスポットで採掘される魔石は最高級のものとされ、高値で取引される。
それを狙って集まってくる人々で、トラバールはさらにアグレッシブな街となったのである。
ちなみに、鉱山はトラバール代官の完全管轄下にあったが、魔石鉱床は立ち入りの管理と税金を掛ける程度で、採掘自体は自由に行うことを許可していた。
それだけを聞くと上手い儲け話のようにも思えるが、世の中そう甘くはない。地脈の近くには魔獣が棲むからだ。
魔獣は魔力の濃い場所を好む。中には魔力を吸収するだけで生きていける魔獣もいるほどだ。
故に、魔石の採掘は魔獣と闘いながら行う必要があり、ホットスポットのような場所ではより強力な魔獣を相手にしなければならない。まさに命を懸けて一攫千金を狙うことになるのだ。
一度、魔獣を全て討伐してしまえば楽に採掘出来るのでは?と考える者もいるかもしれない。しかしそれは少々安直な考えである。
地脈の魔力は魔獣を呼び寄せる。離れた場所の魔獣も地脈の魔力に魅かれて集まってくるのだ。
何故か、ある一定の密度に達すると流入は止まるのだが、生息数が減れば再び移動が始まる。
つまり討伐しても次の魔獣が集まってくるだけのいたちごっこでしかなく、それどころか魔獣の移動によりその経路にある集落への被害も出かねない。
結局、地脈の魔獣は放置するしかなく、完全に管理することは不可能となっていた。
それに比べれば、魔石の採掘者たちが倒す魔獣の数は全体からすれば微々たるものでしかない。
大きく生態系を変えることもなく、かつ魔石が採掘できるのであれば、採掘者にある程度行動の自由は容認しても構わないとうのが領政府の考えであった。
さすがに今回の領地学習では地脈の近くにまで足を延ばしたりはしないが、トラバールという街を訪れることで領都ラテスとは違ったフォルタナの別の一面を見ることが出来るだろう。
父ウイルバートがトラバールを選んだ理由は正にそこにあった。
出発当日、母セレスティアの見送りを受けて城を出た一行は飛空船発着場へとやって来ていた。
そこにはアードレー家専用飛空船が既に出発準備を整えて待機していた。
「イルムにとっては初めての飛空船だな。どうだ、空を飛ぶのは怖くないか?」
飛空船に興味深々といった様子のイルムハートを見て、ウイルバートは微笑みながらそう語りかけた。
「大丈夫です、お父様。怖くありません。早く乗ってみたいです。」
それは子供らしさをアピールしたわけではなく、イルムハートの本音だった。
勿論、空を飛ぶことを楽しみにしているわけではない。飛行魔法でさんざん飛び回っているのだから。
イルムハートが興味を持っているのは飛空船そのものにである。
この ”巨大な魔道具” とも言える飛空船に乗り込んでその仕組みを自分の目で見てみたいと、前々から思っていたのだ。
意外に思えるかもしれないが、イルムハートは(正式には)まだラテスを離れて遠くまで旅をしたことが無く、当然、飛空船にも乗ったことが無い。
その理由としては、この世界の旅行は前世のそれとは違い決して楽なものとは言えない点がある。たとえ飛空船があってもだ。
そのため、遠出の旅行に幼い子供を連れ行くことはあまりなく、貴族の子女であってもそれは変わらなかった。
本来ならこの領内学習も、あと1,2年イルムハートの成長を待って実施される予定だったくらいなのだから。
(やっと飛空船で空を飛ぶことが出来る!)
念願が叶ったと悦んだイルムハートだったが、乗船してすぐにその思惑はくじかれることとなる。
「申し訳ありません、イルムハート様。機関部には許可を受けたもの以外立ち入ることが出来ない決まりとなっておりまして・・・。」
機関部の見学を申し込んだところ、乗務員にやんわりと拒否されてしまったのだ。
まあ、これから客を乗せて飛び立つのだから、保安上の観点からすればもっともなことではある。
「残念だろうが我慢しなさい、イルム。後で定期点検を行う際に見学させてもらえばいい。」
子供には甘々のウイルバートではあるが、そのために規則を曲げるようなことはしない。
必要だから規則がある。ならば例え領主であろうとそれを遵守するべきである。
それがウイルバートの、いやアードレー家の考え方なのだ。
ごく当たり前の事ではあるのだが、その当たり前が通らない事も決して少なくないのが貴族制度の世界ではあるのだ。
「はい。そうすることにします。」
アードレー家の人間である以上、イルムハートも無理に我儘と通そうとはしない。
おそらく、貴族としての特権意識よりも前世の常識的価値観のほうが強く影響を及ぼしているせいもあるのだろう。
だが、そんな事情を知らないウイルバートの目には、息子が正しく成長している証として映る。
「あと少しで出発のはずだ。さあ、客室へ行くとしよう。」
ウイルバートは満足そうな笑みを浮かべると、そう言ってイルムハートの肩をポンと叩く。
その笑顔はいつもの親馬鹿の顔ではなく、フォルタナ辺境伯として、そしてアードレー家家長としてのウイルバートのそれであった。
飛空船の1階部分は機関室や操舵室、あとは随員の使用スペースと貨物室からなっており、客室は2階部分にあった。
ウイルバートの後に付いて階段を上ると、そこは広いリビングになっていた。
リビングはそれなりに豪華ではあったが調度品は少なく、ソファやテーブルを含め全て床や壁に固定されている。飛行中の転倒防止のためだ。
船首側には展望用の大きな窓が付けられており、外の景色を眺めることが出来る。
また、船尾側にはもう一つ部屋があり、ベッドルームとなっていた。
ベッドルームと言っても普通のベッドが置いてあるわけではない。
こちらも転落防止のため、筒のような形のベッドが2つ並んでいた。カプセルホテルのベッドを大きめにしたような感じだ。
その他に、トイレと洗面台、そしてシャワールームまである。
1階には簡素だがキッチンもあり料理人が食事を出してくれるので、最早普通の家と変わらない。
客室には既に3人ほど人がいた。
1人はこの船の船長で、ウイルバートとイルムハートに対し深く一礼する。
「いよいよイルムハート様が本格的に領内学習を行うことになるのですね。お慶び申し上げます。」
「ありがとう。アードレーの名前に恥じぬよう努力するつもりです。」
そんな会話を交わした後、船長はウイルバートと簡単に飛行スケジュールの再確認を行い1階へと降りて行った。
あとの2人は屋敷でメイド長補佐を務めてる女性とイルムハート付きメイドのエマだった。
2人はこの旅の間、ウイルバートとイルムハートの身の回りの世話をすることになっている。
ウイルバートとイルムハートがソファに腰を下ろすと、エマたちがお茶を用意してくれた。
こちらも飛空船仕様で、通常のティーカップではなくマグカップ近いに形になっており、しかもよく見るとテーブルにはカップの三分の一ほどを嵌め込める穴が開けられている。
あくまでも実用性重視でありながら、それでいてその絵柄や装飾に優雅さと洗練さを感じさせるあたりは、さすが貴族御用達の品々と言ったところであろうか。
そうして一息付いていると、別の人間が客室に上がってきた。
ウイルバートの補佐官とフォルタナ騎士団団長のアイバーン・オルバスだ。
アイバーンは王都出身で、歳はウイルバートと同し35歳。
武人ではあるが見た目にはあまり厳つい印象は無く、銀色の軽装鎧を身にまとったその姿はむしろどこか洗練された雰囲気を感じさせる。
2人は王都のアルテナ高等学院の同期生だったが、学科が異なるため当時は互いの名を知る程度の仲だったようだ。
やがて学院卒業後、アイバーンは王国騎士団に入隊し僅か20歳にして小隊長を任せられるほどに将来を有望視される騎士となった。
だが、部下の不祥事の責任を取り、志半ばにして騎士団を退団することになったのが今から10年程前の事。
その時、失意の彼をフォルタナ騎士団に誘ったのが、まだ辺境伯を継ぐ前のウイルバートだった。
何でも、引責による騎士団退団を不名誉な経歴と考えたアイバーンは、フォルタナ辺境伯に迷惑を掛けるわけにはいかないと、ウイルバートの誘いにも中々首を縦に振ってはくれなかったらしい。
それでも懲りずに何度も誘いを掛けた結果、そのしつこさに負けたアイバーンはフォルタナ領へ来ることを承諾したのだった。
それ以来2人は主従というよりは親友のような間柄となり、今に至っている。
アイバーンも補佐官も城から同行しているので堅苦しい挨拶は無く、それぞれソファに腰を降ろした。
2人にもお茶を用意しメイドたちが1階へと降りて行くと、アイバーンが口を開く。
「トラバールの最新情報が届いております。現地の様子は通常通りとの事ですので、視察は予定通りで問題ないかと。」
飛空船は先発要員を乗せて、既にトラバールとの間を一往復飛んだ後であった。その際、現地の様子が報告員によってもたらされていた。
ウイルバートの補佐官と今回の警護主任であるアイバーンとで情報の分析を行い、その結果報告というわけである。
イルムハートは最初、騎士団団長が直接随行するのかと少し驚いたのだが、考えてみれば騎士団の最大の使命は領主とその家族の護衛である。であれば、その最優先護衛対象の旅行に団長が随行するのも当然と言えば当然であった。
「先行させた第三小隊が現地領軍と共に飛空船発着場の警備を行います。着陸及び下船は、その小隊長の合図を待ってからとなります。」
報告では現地に異常無しとは言え、万一の場合を想定して手順を考えるのが彼の仕事である。小隊のひとつを先行させて、現地の現状把握をさせていた。
その他、いくつかの段取りを説明し終わると、次は補佐官がウイルバートに現地での行事予定の確認を行う。
それはあくまでウイルバートの公務の話なので、イルムハートには特に関係ない話だった。
手持ち無沙汰となったイルムハートは、外でも見ようと立ち上がり展望用の窓へと向かう。
「イルム。もうすぐ出発だからね。ちゃんと手摺に掴まるように。」
それを見咎めたウイルバートがそう声を掛けて来た。
見れば窓の下枠の辺りには転倒防止用に手摺が付けられていた。
「はい、わかりました。お父様。」
イルムハートが答えると、それを合図にしたかのように船内放送が始まった。
『本船はこれよりトラバールへ向けて出発致します。離陸時には多少揺れますので、立っている方はご注意ください。』
先ほどの船長の声が魔道具を介して船内に響き渡り、それから少しおいて船体が僅かに揺れ始める。
窓から外を見やると、既に船体は地面を離れゆっくりと上昇を始めていた。
(ずいぶんと静かなんだな。)
動力は魔道具なので飛行機のような騒音が出るわけではない。
だが、使われているのは魔道具ばかりではなく機械の部分も多少なりとあるはずなのに、そういった音もあまり聞こえない。
飛空艇の発着を外から見た際には、もう少しうるさかった記憶がある。
ふと思いついて魔力探知してみると、この客室にはいくつかの魔法結界が張られていることに気付く。
その内のひとつが防音効果のある結界のようだ。内側と外側の音を結界で遮断しているのだ。
客室を静かに保つと同時に、ここでの会話を外に漏らさないようにするためなのだろう。
この飛空船を単にレジャー用の船だと思っていたわけではないが、改めて ”辺境伯の船” なのだと実感させられたイルムハートだった。
ラテスからトラバールまでは2時間ほどの行程である。
飛空船のスペックからすればもっと速く飛ぶことも可能なのだが、あえてこの速度に保たれていた。
飛空船は全体を風魔法で包み込み気流の影響を抑えるようになってはいるが、速度を上がればそれだけ効果が薄れてしまう。おそらく、乗客の乗り心地を考えればこの位の速度が最適なのだろう。
大人たちが仕事の話をしていたせいもあり、その2時間ほどの間のほとんどをイルムハートは窓から外を眺めて過ごした。
傍から見れば空から見る景色に目を奪われているように見えたであろうが、実際には景色など見ていなかった。
イルムハートは、魔力探知によりこの飛空船に使われている魔法の解析を行っていたのだ。
あまり派手に魔力探知を使ってしまうと同乗している魔法士に感知されてしまう可能性もあるので核心部には手を出せないが、発動した魔法から漏れた魔力を拾い上げて分析するだけでもそれなりの情報を得ることが出来る。
魔力探知を使いこなせば単に魔力の動きを見るだけでなく、魔力が魔法に変換されるその過程をも知ることが出来るのだとそう天狼が教えてくれたのだった。
(まあ、そうまでして調べる必要があるわけでもないんだけど・・・。)
実際、VIP専用の特別仕様以外についてはあらかた書物でも確認可能なため、特に目新しいものがあるわけでもない。
かと言って他にすることもないので、魔力探知の練習がてらにやっているという感じだった。要はヒマつぶしである。
それでも、それなりに時間を潰すことは出来たようで、やがてトラバールへの到着が近いことを告げる船内放送が流れて来た。
それをきっかけに大人達も話に一段落付けたようだったので、イルムハートは皆のもとへ戻り再びソファに腰を降ろす。
「悪かったね、イルム。ひとりにしてしまって。退屈だったのではないかい?」
「いえ、お仕事の話ですから。それに外を見ているのが楽しかったので、あっという間でした。」
ウイルバートの言葉に、気を使わせまいとそう答えたイルムハートだったが
「お前は物分かりが良くていい子ではあるのだが・・・もう少し我儘を言ってもいいのだぞ?」
と返されて、少し言葉に詰まってしまった。
(成程、言われてみれば子供らしさに欠けるところはあるかもしれない。)
イルムハートは時々、自分が7歳の子供であることを忘れてしまう時がある。
転生者である彼の精神年齢は確かに遥かに年上なのだが、周りの人間はそれを知らないし、知られるわけにはいかない。あまりに大人びた言動は、かえって不審に思われる可能性があった。
(でも、いまさら7歳児を演じるのは、ちょっと無理があるしねぇ・・・。)
そもそも、今のイルムハートに7歳児の思考をマネる事が出来るはずもなく、無理に子供らしさを演じれば却って不自然に見えるかもしれない。
結局は今の ”大人びた子供” の路線で行くしかないと判断し、その理由付けをすることにした。
「姉さんたちのように?」
イルムハートのこの一言に、今度はウイルバートが言葉に詰まる番だった。
ウイルバートの脳裏に自由奔放な2人の娘の姿が浮かび上がる。
目に入れても痛くない程に愛しい娘達・・・なのだが、その言動でウイルバートの気を揉ませる娘達でもあった。
「・・・僕も姉さんたちにはいろいろ苦労させられましたから。」
イルムハートは返す言葉に困ったままのウイルバートにそう語り、姉たちの影響でこうなったのだと暗にほのめかす。
「まあ、なんだ・・・お前はいい子だな。」
ウイルバートは複雑そうな笑みを浮かべながら、そう答えるのが精一杯だった。
そこには先ほどまでの辺境伯としての威厳は無く、子育てに苦労する一人の父親の姿があった。
その姿にアイバーンと補佐官が苦笑を浮かべる中、船内放送がトラバールへ到着した事を告げるのだった。