復讐の終りと明日への歩み Ⅰ
ベニート・ジュスタ率いるニーゼック騎士団第1小隊と共にイルムハート達は次の町へと移動した。
勿論、造反したビセンテ一味の生き残りも含めてだ。
そして、そこではビセンテの取り調べが行われた。
尤も既に彼の罪は確定しているので、後は背後関係の洗い出しが主になる。特に騎士団内にいる他のコゼリン子爵派を洗い出すことが最優先だった。
取り調べはベニートと彼の副官のみで行われたが、何故かイルムハートに対しても内々に参加の要請があった。
まあ、理由は単純だ。それはイルムハートが辺境伯の子だからである。ベニートもそれは知っていた。
と言っても、それ故に優遇されたということではない。ただ、イルムハートにはニーゼック側の”立場”と言うものを理解してもらう必要があったからだ。
上位貴族の子であるイルムハートは当然ながら他の貴族との交流も多い。そこでいろいろなことを口にされるのはさすがに上手くなかった。
かと言って、口外しないよう強いることの出来る相手でもない。
となると、残る方法はひとつ。
下手に胡麻化すような真似はせずありのままを見てもらい、後は貴族としての良識に託す。それだけだった。
不祥事が表に出ることでニーゼック伯爵家の名誉がどれだけ傷つくか、同じ貴族であれば良く分かるはずだ。
幸いにもフォルタナ辺境伯は温厚で情に厚い人物として知られている。そして、イルムハートはその辺境伯の子息なのだ。
ニーゼック伯爵家の窮状を知れば決して無情な行いはすまい。そう判断したのである。
勿論、これはベニート個人の判断などではない。彼にはそんな権限などないのだから。
これは領都ベラールを発つ際、ある人物より直々に言い渡されたことなのだった。
取り調べの際のビセンテは意外にも落ち着き払ってた。
もはや厳罰は免れない状況にありながら取り乱しもしない。よほど神経が太いのか、或いはまだ何か奥の手を隠しているのか。
おそらく後者なのだろう。イルムハートはそう推測した。そして、どうやらそれは正しかったようである。
「これで勝ったと思うなよ、ジュスタ。
所詮、貴様等には俺を裁く事など出来はしないのだ。」
ビセンテは不敵な笑みを浮かべながらそう言い出した。
「貴様等はコゼリン子爵さえ抑え込めばそれで上手くいくと思っているのかもしれんが、それこそ大間違いだ。
今回の事は子爵でさえ言われるがまま動いているに過ぎない。命令したのは別のお方だ。
あのお方の前では貴様どころか、あのキルシュですら手も足も出せはせんのだ。」
やはりな、とイルムハートは思う。どうやら想定した中でも最悪のケースだったようだ。
ビセンテの言う”あのお方”とは、おそらく先代伯爵の夫人であるエブリーヌ・アレナス・ニーゼックであろう。
平民の血を引くフリオをニーゼック伯爵家の”恥”として憎んでいる女性。
彼女にとっては例えフリオが廃嫡されようと関係ないのだ。存在そのものが許せないのである。
多分だが、コゼリン子爵はフリオの命まで取るつもりはかったはずだ。自分の孫が伯爵家を継ぎさえすればそれで良い、そう考えていたのだと思う。
そして、その野心を利用したのがエブリーヌと言う訳だ。廃嫡するより、いっそ殺してしまえと。
いくらコゼリン子爵が政務のほとんどを掌握していたとしても、自分の孫を無理やり主家の跡継ぎに据えてしまえば周囲の反発は必死である。
そのためにはエブリーヌの後ろ盾がどうしても必要なのだ。それ故、例え己の意思に反していたとしても彼女に従う他無かったのかもしれない。
そんなことを考えながらイルムハートはふとベニートに目をやる。
どうやら彼もそのことには気づいているようだ。ビセンテの挑発にも全く動揺する気配が無い。
「結局、勝つのは俺達だ。貴様等は負けるのさ。
何故なら、俺達の後ろにいらっしゃるのは……。」
「そこまでだ、ラーム。その先を口にすることは許さん。」
得意げに話し続けるビセンテだったが、不意にベニートがその言葉を遮る。
彼のその顔に浮かぶ表情は怒りなどではなく、むしろ憐れみに近かった。
「もう、それ以上喋るな。
もしお前がその方の名を口にしてしまえば、自身だけでなく家族や縁者にまで類が及ぶことになるのだぞ?」
ベニートの言うことは正しかった。
ニーゼック伯爵家としてはエブリーヌがフリオ暗殺の首謀者であることを表沙汰にするわけにはいかないのだ。
万が一そのことが知れ渡ってしまえば、当然エブリーヌを罰せねばならなくなる。
伯爵家の名誉を考えればそれだけは避けねばならなかった。だから”無かった”ことにする。しなければならない。
なので、もしここでビセンテがエブリーヌの名を口にしてしまえば、当然口封じをしなければならなくなるだろう。それは本人だけでなく、その話を漏らした可能性のある人間全てに対してだ。
それを避けるためには知らなかったことにして口をつぐむしかないのである。
ビセンテも今更ながらにそのことに気付いたらしく、先ほどまでの威勢はどこへやら急に蒼白な顔をして黙り込んでしまった。
もはや心も折れた様子だ。後は素直に吐いてくれるだろう。
そんなことを考えながらベニートは穏やかな口調でビセンテに向かい語り掛けた。
「理解したようだな。
では、尋問を続けるとしようか。」
その2日後、イルムハート達はようやくニーゼックの領都ベラールへ到着した。
実際は王都から10日余りの旅ではあったが、色々な事があり過ぎてその何倍も長かったように感じられた。
そのベラールだが、現在2つの話題でちょっとした騒ぎになっていた。
ひとつは領主マウリシオ・アレナス・ニーゼック伯爵が病から奇跡的な回復を遂げた事。
原因不明の病で1年以上も床に伏し一時はその命すら危ぶまれた伯爵だったが、数日前から急に体調を取り戻し今では自らの力でベッドの上に起き上がることの出来るまでに回復したらしい。
その事にベラールの街は驚きと喜びで湧いていた。
尤も、イルムハート達は既にベニートからその事を知らされていたので特に驚きはしなかった。
だが、もうひとつの話には正直驚きを感じざるを得なかった。
それはコゼリン子爵失脚の話題である。
何でも伯爵不在の間に行った数々の不正や越権行為が明るみになり、役職を解かれたのみならず子爵位まで剥奪されてしまったと言うのだ。
これにはイルムハートも驚かされた。
勿論、いずれ子爵が処罰されるであろうことは分かっていたが、それにしてもあまりにも対処が早過ぎる。
いくら領主であっても領内で絶大な権力を誇る子爵を引き摺り下ろすのは決して簡単なことではない。
なのに、死の淵から回復して僅か数日でそれをやり遂げてしまったわけだ。驚くなと言うのが無理な話である。
だが、実を言うとイルムハートは今回の一連の事件においてある仮説を抱いていた。
そして、このコゼリン子爵失脚の話は彼にその思いをさらに強くさせたのである。
そんな騒ぎの中、もうひとつ重要な事がひっそりと公表された。
先代の夫人であるエブリーヌが病気療養のため地方へ移り住むというのだ。
ただ、何の病気かも明らかにはされなかったし移り住む場所も人里離れた辺鄙な場所ということで、それを聞き首を傾げる者もいた。
このことが何を意味するのか?
当然、イルムハートは理解した。
これは今回の真の首謀者であるエブリーヌへの処罰なのだ。
彼女をフリオから遠ざけるだけでなく、二度と謀略を巡らせることの無いよう僻地に幽閉してしまおうというのだろう。
おそらく彼女は、今後他人との交流もほとんど無しに寂しく余生を過ごしてゆくことになるはずだ。
自分で蒔いた種とは言え、実に哀れなものである。
彼女の行為自体は許せないものだとしても、それでもどこか同情を禁じえないイルムハートだった。
結局、イルムハート達はベラールに5日間滞在した。
勿論、街を見物したいと言う目論見もあったが、何よりも身体を休めるためである。それ程に今回の旅は彼等を疲弊させたのだ。体力的にも精神的にも。
その間、フリオの命を守った英雄たちに対する熱烈な歓迎パーティーが……当然、取り行われるはずも無い。何しろ今回の件は”無かった”ことになっているのだから。
尤も、イルムハート達としてもそんなものは期待していないし、騎士団長エッカート・キルシュから内々に受けた感謝の言葉と特別報酬、それだけで十分だったのである。
イルムハート達が滞在していたその5日間でコゼリン元子爵に関する事態は急速に進展を見せた。
先ず、コゼリン元子爵とその後を継ぐはずだった息子は死罪と決まった。まあ、その行いからすれば仕方の無いことであろう。
ただ意外だったのは、それ以外の家族などは爵位も役職も全て失いはしたものの、伯爵の親族としての身分は引き続き保障されたことだ。
随分な温情判決である。贅沢な生活を送ることは出来ないとしても、最低限生きてゆくことは出来るのだから。
だが、これには当然裏があった。
家族や親族の身分を保障する代わりに取り調べにおいてエブリーヌの名は一切口にしない事。それが条件だったのである。
さずがに元子爵も人の子。家族を盾に取られては無駄にあがくことも出来ず、全ての秘密をあの世まで持っていくことになったのだった。
尚、一番の問題は元子爵の娘である現伯爵夫人に関してだ。
大罪人を父に持つこととなった彼女にも当然何らかの処罰が下るものと誰もが思った。
しかし、その予想に反して彼女が処罰されることは無かったのである。
夫人が今回の件にどの程度関与していたのかは知らないが、まがりなりにもフリオの弟である第2子の母親なのだ。おそらくはそれを考慮してのことなのだろう。
だが、事の重大さを鑑み元領地のコゼリン地方であくまでも”自発的に”謹慎することとなった。それがいつまでなのかは誰にも分からない。
ただ、そのコゼリン地方はこの後代官によって一時的に管理されるものの、いずれフリオの弟が跡を継ぐことになるらしい。
そうなれば、また母子共々暮らせるようになるだろう。
いろいろと気の重くなるような報せが続く中、それだけが唯一の救いと言えた。
ベラール滞在最終日。
イルムハート達はフリオへ別れの挨拶をするために伯爵家の馬車で城へと向かった。
予め面会の申し入れをしてあったため、何と迎えの馬車まで用意してくれたのである。
「これでフリオ君ともお別れすることになるのね、残念だわ。
結局、ベラールに着いて以来一度も会えなかったし。」
馬車の窓から流れる街並みを見つめ、少し寂しそうな表情でライラが呟く。
「仕方ありませんよ、向こうは次期領主なわけですからね。
下々の者と会っている時間なんてそうそうありはしませんよ。」
「それはそうなんだけどさ。」
ライラもケビンの言うことくらいよく解かってはいた。が、それでも口にせずにはいられないのだろう。何せフリオと一番仲が良かったのはライラなのだ。
「再来年にはフリオ君もアルテナ学院に入学することになる。
そうなればまた会えるさ。」
そんなライラにイルムハートがそう声を掛ける。これにはライラも少し元気づけられたようだった。
「そうね、この旅が終わった頃にはまた王都で会えるわよね。」
そうこうしている内に馬車は城門をくぐり、城の正面玄関へと着いた。
そこでイルムハートは皆と別れる。
ニーゼック伯爵マウリシオ本人から面談を申し込まれていたからだ。
おそらく今回の件について口外しないよう念を押して来るのではないかと思われた。
まあ、そんなことをしなくてもイルムハート達冒険者には守秘義務というものがある。どの道、余計なことを喋るつもりなどないのだ。
それでも面談の要請を受けたのはそれが礼儀だと言うこともあるが、何よりイルムハート自身確認したいことがあったからだった。
メイドに案内され、イルムハートは城の奥の一室へと向かう。
部屋に通されるとそこは応接室ではなく寝室だった。マウリシオはまだベッドから出られずにいるのだ。
「お初にお目に掛かる。私がマウリシオ・アレナス・ニーゼックだ。
こんな格好ですまないね。」
ベッドの上に体を起こした状態でマウリシオがそう声を掛けて来た。
「始めまして、私はイルムハート・アードレー・フォルタナと申します。
病に伏せられていると聞き心配しておりましたが、お元気そうなお顔を拝見し安心いたしました。」
「有難う。まあ、楽にしてくれたまえ。」
マウリシオに勧められ、イルムハートはベッド脇に用意された椅子に腰を下ろした。
「良くぞ無事フリオを連れ帰ってくれた。君達の働きには感謝しなければならないな。」
「有難うございます。ですが、それが私共の任務ですから。
それに、何よりファーゴ殿やクレニ嬢の助けがあってこそのことですので、その言葉は彼等に掛けてあげて下さい。」
「そうか。」
イルムハートの言葉にマウリシオは満足そうな顔をした。
だが、続く次の一言でその表情は一変することになる。
「それから、フリオ殿にも。
何しろ、今回の事で一番辛い”役目”を負わされてしまったのですから。」
「成る程、どうやら思っていた通りの人物のようだな、君は。」
暫しの沈黙の後、マウリシオは微かな笑みを浮かべながらイルムハートを見る。しかし、その目は全く笑っていない。
「君についてはいろいろと調べさせてもらった。
王国の重鎮達がこぞって君を高く評価していると言う話も耳に入っている。王国騎士団長しかり、ロランタン公爵しかり。
それだけの面々が身分や腕前だけで人物を判断するはずがない。おそらく君には彼等を惹きつけるだけの特別な才能があるのだろうとは感じていた。
そしてそれが何なのか、今やっと分った気がする。」
飾り物の領主。
そう呼ばれてはいたがマウリシオは思った以上に鋭い人物らしい。どうやら、イルムハートの抱く思いを見抜いたようである。
「それで、君はどこまで気付いているのかな?」
本当ならここで先ほどの発言をうやむやにし、知らない振りをするのが賢いやり方なのかもしれない。余計な軋轢を避けるためには。
しかし、そう言う訳にはいかなかった。
イルムハート自身、その答えを知りたいということもあるが、何よりフリオのためにもハッキリさせておかねばならないのだ。
「それでは、失礼を承知で伺わせていただきます。
今回の件、実は伯爵ご自身が筋書きを書かれたものなのではありませんか?」
「何故そう思うのかね?」
「理由はいくつかあります。
勿論、コゼリン子爵処罰についての段取りがあまりに手早すぎると言う点もそうですが、やはり決定的だったのは”暗部”の働きです。
どうやら”暗部”はフリオ殿が王都を発たれる前から既に動いていたと思われます。私のことを調べたのも、おそらくは”暗部”でしょう。
しかし、”暗部”は主の命無しには決して動くことはありません。例えそれが誰の命令であろうと主の言葉以外には従わないはずなのです。
と言うことは、本当はその時既に伯爵は病から回復していたということになりませんか?
何せ”暗部”を動かせるのは伯爵ただおひとりだけなのですから。
ですが、回復しているのにも拘わらず伯爵はコゼリンの動きを阻止しようとしなかった。
何故か?
考えられるのは、コゼリンの尻尾を掴むために敢えてその企みを見逃し彼を泳がせていた可能性です。
フリオ殿を囮にして。」
イルムハートの言葉に伯爵は反論しなかった。しかし、その沈黙こそが全てを物語っていると言えた。
「何故です?どうしてそんな真似を?
コゼリンを失脚させる方法なら他にいくらでもあったはずです。
なのに、何故フリオ殿を危険に晒してまでこんなことをする必要があったのですか?」
「それでは足りないのだよ。」
追求するイルムハートに対し、マウリシオは苦悶の表情を浮かべながら口を開く。
「確かにコゼリンを追い落とすだけなら手段はいくらでもある。
だが、それだけでは足りないのだ。
あ奴ひとりを罰したところで私の心は晴れはしないのだよ。」