造反の騎士と”眠り姫” Ⅱ
時間は昨晩まで遡る。
夜分、イルムハート達の部屋を訪れたジルダは、そこで衝撃的な事実を告げた。
『ラーム達はフリオの命を狙うためにここへ来たのだ』と。
ジルダの話によると、元々アロイスでの襲撃が不首尾に終わった場合に備え、最終手段として準備されていたのがビセンテ率いるあの一団らしかった。
生憎とアロイスにおいての企みは2度に渡り失敗してしまったわけだが、そんな最悪の状況も想定した上で既に対応が考えられていたということなのだろう。
やろうとしていることはともかく、その細心さにはイルムハートも感心せざるを得なかった。
「と言うことは、騎士団もコゼリン子爵側に与しているんですね?」
やはりな、と言った表情でケビンはそう言ったが、それに対しジルダは首を横に振る。
「いえ、団長のエッカート・キルシュ様はあくまで伯爵様に忠誠を誓っておられますし、それは多くの団員も同じです。
ただ、残念ながらラームのように権力者に媚びて栄達を図ろうとする者もいない訳ではないのです。」
「それがあの連中という訳ですか。
でも、騎士団長が伯爵側であるのなら、何故ラーム達に好き勝手をさせているのですか?
仮にも団長であるならば部下の暴走を防ぐべきであり、その権限も持っているはずでしょう?」
そんなケビンの言葉にジルダは少し悲しそうな表情を浮かべ視線を落とした。
「おっしゃることは尤もですが、生憎と今キルシュ様は謹慎させられている状態なのです。
フリオ様の帰領が決まる少し前のことですが、出入りの商人から賄賂を受け取った疑いがキルシュ様に掛けられてしまいました。
勿論、それは全くの嘘で、ただのでっち上げでしかありません。
そんなことくらい調べればすぐ分かりそうなものなのですが、コゼリン子爵の息のかかった役人により捜査が意図的に長引かされ、未だ容疑の晴れない状態にあるのです。」
「随分とセコイことしやがるな。」
ジルダの話にジェイクは顔をしかめながら吐き捨てるようにそう言う。そして、それは皆の思いでもあった。
とは言え、セコイながらも中々に効果的な手であることも間違いない。
唯一、コゼリン子爵に対抗出来るかもしれない存在を身動きの取れない状態にしてしまったのだから。
すると、そこでライラがおそらく皆の一番知りたがっているであろう質問をジルダに投げかけた。
「でも、どうしてジルダさんはそんなことを知っているの?
一体、アナタは何者?」
その問い掛けに、一瞬ジルダが沈黙する。
そんなジルダを見て、イルムハートが静かに口を開く。
「ジルダさん、貴女は”暗部”の人間ですね?」
「”暗部”?」
だが、真っ先にそれに反応したのはジルダではなくジェイクとライラだった。
「なんだ、それ?」
「なんかちょっと怪しげな響きだけど……。」
「”暗部”と言うのはね、領主直属の諜報・工作組織の事なんだ。」
「ああ、情報院みたいなもんか。」
ジェイクは勝手にそう納得したようだが、イルムハートは首を振る。
「いや、それとは少し違うんだ。
確かに、情報院のような組織はどこの領にもある。
ただ、それは領政府に属する機関であり運用も人事も政府が行うことになっている。
でも、”暗部”は違うのさ。あくまでも領主個人の命令しか聞かないし、他の者の前に姿を見せることもほとんど無い。
領主以外は例え政府の高官であってもほとんどその実体を知らない、正に”影”の存在なんだ。」
それ自体が闇に隠された組織であるため当然名前など無い。そこで、俗に”暗部”と称されているのである。
「それって、アナタのところにもあるの?」
「勿論フォルタナにだってある。
と言っても、僕が知っているのは”暗部”が存在するということだけで、誰がそうでどのくらいの人数がいるのかまでは一切分からない。
教えてもらえないんだ。」
「家族なのに?」
「家族でもだよ。」
尤も、次期辺境伯であるマリアレーナには既に知らされているのかもしれない。他にはアイバーン・オルバスやマーク・ステイン、あと先々代から仕えているバリー・ギャレル辺りなら知っている可能性もあったが、それ以外には一切秘密なのである。
そんなイルムハートの答えを聞いたライラは少し寂しそうな顔をした。
「家族すら信用出来ないってこと?」
「別にそういう訳じゃない。
ただ今は何の問題も無く心配する必要すら無いとしても、未来永劫それが続くとは限らないだろ?
何代か先には身内同士での骨肉の争いが起きる可能性だってゼロじゃないんだ。
その時のためにも”暗部”についての秘密は守っていかなければならないのさ。」
身内同士か本家対分家かという違いこそあるが、その良い実例が今ニーゼックで起きているということなのである。
「貴族っていろいろとタイヘンなのね……。」
そんなライラの呟きにはイルムハートも肩をすくめる以外に反応のしようがなかった。
「で、どうなんですか?」
そこで、少々脱線した話を元に戻すべくケビンがそうジルダに問い掛ける。
すると、ジルダはゆっくりと頷いた。
「はい、イルムハート様のおっしゃる通りです。」
今まではイルムハート”さん”呼ばわりだったものが、ここに来て”様”付けに変わった。イルムハートの身分も既に知っていたようだ。
まあ、”暗部”ならそれも当然のことだろう。何しろフリオの命を預けることになるのだ。事前に調査を行うのは当たり前のことである。
「もしかすると、グリドフの失踪にもあなた方が関わっているのではないですか?」
「はい、そうです。グリドフから話を聞き出すため我々が拘束したのです。
そのグリドフの証言でコゼリン子爵がある商人を通じフリオ様の暗殺を依頼してきたことが分かりました。
そして、その商人の話からラーム達の企みが判明したのです。」
イルムハートの思った通りだった。まあ、どうやって彼等から話を聞き出したかについては追及するつもりなど無い。そんなことは無意味だし、おおよその想像もつく。
それよりも、今考えるべきはこれからどうするかなのだ。
「こうなると意地でも付いて行くしかないわね。」
「でも、どうやってだ?
さっきケビンが言ったように、ラームの野郎には今更俺達を同行させるつもりなんか無さそうだぞ?
ましてや、いろいろ悪巧みしてるんなら尚更だろ?」
珍しくジェイクに突っ込まれてライラは黙ってしまう。
「そうだな、護衛として付いて行くのは無理だろう。
かと言って、ここで連中の悪事を暴くのも難しい。正直、ジルダさんの話だけでラームを断罪する訳にもいかないからね。」
勿論、イルムハート達はジルダの言葉を信じてはいる。だが、それだけでは決め手に欠けるのだ。何しろ相手は騎士団の副団長なのだから。
難しい顔で黙り込む一同。
だが、その中でイルムハートだけは何やら思惑のある表情を浮かべていた。
「そこで、僕にちょっと考えがあるんだけど聞いてもらえるかい?」
こうして明日に向けての作戦会議が始まったのだった。
再び、時は現在。
こうしてイルムハート達全員が集まり戦闘態勢は整った。
だが、これで安心と言う訳ではなかった。何せ相手は曲がりなりにも騎士団員なのだ。殺し屋ごときとは比べ物にならない。
過日、オクタバで襲って来た連中は確かに有能な”処刑人”ではあったのだろう。
しかし、普段彼等が相手をするのは組織に敵対した一般人、或いはせいぜいが同業者程度でしかなく、本当の強者と闘うことはほとんど無いに違いない。
その点、騎士団は違う。常に強者との闘いを想定し互いに腕を磨き合っている。例えここにいる主人を裏切るような連中でもだ。
何故なら、そうしなければ使命を果たせないばかりか、何よりも生き残ることが出来ないからである。
そんな猛者達が相手なのだ。
イルムハートはともかくとして、まともに渡り合えるのはおそらくレンゾくらいしかいない。他の4人では正直個々の戦闘力においてどうしても劣ってしまうだろう。
そこでその対策としてジェイクとライラ、ケビンとジルダがそれぞれペアを組み馬車の守りに徹し、イルムハートとレンゾが前に出ると言ったフォーメーションを取る。
「やれやれ、騎士の相手はあまりしたくないんですけどね。
何せ魔法の掛かりが全然なのですから。」
そんな騎士団員達を前にして思わずケビンがぼやく。
彼が愛してやまない数々の”えげつない魔法”も残念ながら騎士相手にはあまり通用しないのだ。その強固な意志と気力により抵抗されてしまうからである。
と言ってもそこはケビン、類まれな魔法センスで攻撃魔法と種々の状態異常魔法を巧みに組み合わせながら矢継ぎ早に敵へと放つ。
これにはさすがの騎士団員達も手を焼かされた。
いくら抵抗出来ると言っても全く効かないというわけでもなく、やはり多少の影響は出てしまう。
それを次から次へと、しかも異なる種類の状態異常を掛けられてはその対応で手一杯になってしまうのだ。
しかも、油断すると今度は攻撃魔法が襲って来る。全く厄介なこと極まりない。
これこそがジェイクですら恐れるケビンの真骨頂だった。
その上、あまりケビンにばかり気を取られてしまうと今度はジルダの短剣が正確に急所を狙い繰り出されてくる。実際、既にひとりが倒されてしまった。
騎士こそが武の頂点であり、魔法士や短剣使いなどあくまでも脇役でしかない。
普段、そう考えている者達にとってそれはまるで悪夢のような光景でしかないのだった。
一方、ジェイクとライラのコンビはと言えば、これがケビン達と正反対にあくまでも力業で相手を圧倒していた。
ライラの放つ攻撃魔法をかいくぐって来た相手をジェイクが剣で迎え、それに気を取られた隙を突いて再びライラが今度は懐に入り込み鉄拳を打ち込む。
更にライラの拳でダメージを受けた相手に対しジェイクの剣が追い打ちを掛けると言った、絶妙なコンビネーションを披露した。
日頃は何かと口喧嘩の絶えない2人ではあるが、いざと言う時の息はピッタリである。
まあ、それが可能なのもイルムハートとレンゾが左右両脇からの敵を抑えてくれているからこそではあるが、それでも既に2人を屠っているのだから大したものだと言えよう。
「へっ、どんなもんだい。」
「バカ、油断するんじゃないわよ。」
だからと言って、決してライラが心配するほど油断をしていたわけでもない。
だが、今度ばかりは相手が悪かった。
「この忌々しいガキ共め!」
怒気をはらんだ表情でビセンテが2人に向かい突進して来る。
彼はジェイクの剣を軽々と避け、その標的をライラに定めた。彼女の動きを起点とする2人の攻撃パターンを読み解き、先ず司令塔を潰しに来たのだ。
ビセンテは剣を身体の側に構え、力任せにライラへと体当たりを仕掛ける。
「きゃっ!」
両腕でなんとか防御したものの、力で押し切られてしまったライラは吹き飛ばされ背中から馬車へ激突した。
そんな彼女に更に追い打ちを掛けるべく剣を振り上げるビセンテ。
が、振り下ろしたその剣はジェイクの剣によって止められる。
「この野郎、ライラに何しやがる!」
いつにない怒りの表情を浮かべたジェイクはそう怒鳴りながらビセンテの剣を振り払った。
「てめえだけは絶対に許さねえからな!」
ライラを痛めつけられたことに激昂したジェイクはその怒りを力に変えビセンテへと討ちかかる。
その姿は一見、ビセンテを圧倒しているかのようにも見えた。
しかし、騎士団の副団長はそんな甘い相手ではなかった。残念ながらジェイクとビセンテの間にはまだまだ大きな実力の差があったのだ。
数合打ち合った後、ビセンテはジェイクの剣を軽くいなし彼の体制が崩れた隙を突いて思い切り身体を当てた。
それにより倒れ込みそうになったところを何とか堪えたジェイクではあったが、お陰で全くの無防備状態となってしまう。
「ジェイク!」
ジェイクの危機を見て取ったライラが魔法で火球を飛ばすも、何とビセンテは片手でそれを弾き飛ばしてしまった。
絶体絶命のジェイク。
「死ね!」
そんな、どストレートな台詞を吐きながら剣を振り下ろそうとしたビセンテだったが、突然湧き上がって来た悪寒に手を止め反射的に後ろへと飛び退る。
すると間一髪、今まで彼のいた場所で剣が空を切った。
「さすがは騎士団の副団長と言ったところですかね。」
剣を振ったのはイルムハートだった。
ジェイクに襲い掛かろうとするビセンテの側面を突いたのだが、直感的に危機を悟った彼の動きによって残念ながら不発に終わってしまったのである。
「ちっ、余計な邪魔を。」
ビセンテは怒りの籠った目でイルムハートを睨み付けた。と同時に、彼を足止め出来なかった部下達にも腹立ちを感じた。
「お前等、こんなガキを抑え込むことすら出来んのか!?」
部下達に向かいそう怒鳴りつけるビセンテだったが、そこで初めて周りの状況に気付き驚愕する。
周囲には闘っている部下の姿などなかったのだ。それどころか、立っている者すらいない。皆、地面に倒れるかうずくまるかしており、もはやまともに動ける者はいなかった。
「どういうことだ、これは?」
訳が分からず呆然とするビセンテ。そして、何か恐ろしいものでも見るかのような目でイルムハートを見つめた。
「……まさか、お前が倒したと言うのか?」
レンゾにそれだけの力は無い。同じ騎士団員同士、互角の力しか持っていない彼にこれ程圧倒的な真似など出来るはずは無いのだ。それは明らかだった。
となると、あれだけの数の騎士団員を目の前の少年ひとりで倒したということになる。
「一体何者なのだ、お前は?」
「見ての通り、ただの冒険者ですよ。」
「ただの冒険者ごときにこんな真似など出来るはずがあるかー!」
イルムハートの言葉にビセンテは激昂する。
但し、それは怒りではなく恐怖の裏返しによるものだった。
己の理解を越えた力を持つ少年。ビセンテはその存在そのものに恐怖したのである。
激情に任せ切り掛かるビセンテ。今の彼は騎士団の副団長でもなんでもなく、恐怖に怯えるたたの男でしかなかった。
そうなってしまっては、もはやイルムハートの敵ではない。
イルムハートはすれ違いざまに手首を、そして背後から膝裏を切りつけビセンテを無力化した。
利き腕である右手首の腱と膝裏の筋を切られたビセンテは闘うどころか立ち上がる事すら出来ない状態となった。
これで一件落着。
誰もがそう思ったその時、街道の方からこちらに向かって来る騎馬の足音が響き渡った。
新手の騎士団だ。
まさか、ラーム達の増援か?と全員に緊張が走る。
そんなイルムハート達の少し手前で彼等は馬を止めた。そして、探るように辺りを見回す。
すると、先頭にいる男性に向かってビセンテが大声を張り上げた。
「良いところに来た、ジュスタ!
この者達はフリオ様のお命を狙う襲撃者どもだ!全員生かして返すな!」
その言葉に更なる闘いを覚悟し身構えるイルムハート達。
しかし、ジュスタと呼ばれた男性は剣に手を掛ける素振りすら見せず、むしろ蔑むような目でビセンテを見た。
「黙れ、ラーム。見苦しいぞ。
貴様達の企みは全て露見したのだ。
騎士としての矜持が僅かでもあるのならば、もはや無駄な抵抗はせず罪を認め大人しく縛に就け。」
それを聞いたビセンテはしばし呆然とした後がっくりと項垂れ、出血のせいかそのまま意識を失った。
それから男性はジルダに向かい話し掛ける。
「君が”眠り姫”だな?」
ジルダはその言葉を聞き一瞬驚いた様子だったが、すぐに元に戻り深く静かに頷いた。
「そうか。
私はニーゼック騎士団第1小隊隊長ベニート・ジュスタだ。
主命により君達の加勢に駆け付けた。
尤も、既にその必要もなかったようだがね。」
ベニートはそう言って笑って見せた。
そんなベニートの言葉にジルダはイルムハートの方を振り返り、微かだが確かに笑みを浮かべながら頷いて見せる。
どうやら信頼して良い相手ということらしい。
イルムハートは警戒を解きゆっくりと剣を鞘に納めた。
これで本当に一件落着だと、そう胸を撫で下ろしながら。