犯罪組織の蠢動とメイドの実力
アロイス伯爵領北西部にある街デルア。
デルアは西のニーゼック伯爵領、北のネルゴー伯爵領との領境近くにあり、交易の拠点として栄える街である。
この街には表と裏、2人の支配者がいた。
ひとりはデルアの街を治める代官。そしてもうひとりはアロイス領最大の犯罪組織の幹部で、この街を縄張りとするロジオン・グリドフだ。
ロジオンは交易で潤うこの街の裏の経済を牛耳っており、裏社会で絶大な権力を持っていた。
勿論、代官もロジオンの存在には頭を悩ませ、何度も捕縛を試みてはいる。
しかし、その度に権限の及ばぬニーゼック領やネルゴー領へと逃亡されてしまい全て失敗に終わっていたのだった。
尤も、例えロジオンを捕らえ処罰したところで大元の組織を潰さない限り第2第3のロジオンが現れるだけである。
それどころか、もし組織を壊滅させることが出来たとしても、また別の犯罪組織が生まれるだけの堂々巡りでしかないのだ。
何もこれはアロイス領政府が無能だからという訳ではない。アロイスに限らず王国直轄領だろうとフォルタナ領だろと、程度の差こそあれそれは同じことだ。
人から欲望というものが消えて無くならない限り、ロジオンのような者がこの世からいなくなることはないだろう。
残念ながらそれは到底有り得ない話なのである。
デルアにある豪華な屋敷の一室。
夜遅く、そこでロジオンは部下を呼び話をしていた。
「結局、魔導ゴーレムは失敗したらしい。
大枚叩いて手に入れた割に、とんだ役立たずだったわけだ。」
深々とソファに腰を下ろし、葉巻をくゆらせながらロジオンはそう言い捨てる。だが、その口調にそれほど悔しさは感じられなかった。
「だから言ったんだ、あんな操り人形なんか当てにならないとな。
”旦那”も最初から俺達に全て任せておけば金をドブに捨てずに済んだものを。」
「所詮、あの人も表の人間ですからね、直に手を下すやり方には抵抗があるんでしょう。」
「”事故”なら自分の手が汚れないとでも思っているのかね?
”事故”だろうと”暗殺”だろうと命を取ることに変わりは無いだろうに。そんなことだから今回みたいにヘタを打つことになるんだ。
まあ、だからこそ俺達のような者が重用される訳だし、こちらにしてみれば悪い事ではないがな。」
部下の言葉にロジオンはそう言って皮肉っぽく笑った。
ロジオンは中肉中背、一見その辺りにいるただの中年男性のような風体だがその眼光は異常に鋭い。
その彼が目をぎらつかせながら笑うと、まるで獲物を捕らえた肉食獣のような表情に見える。
「で、連中は今エンラードか?」
「はい、そう報告がありました。
今晩はエンラードで一夜を過ごし、おそらく明日はオクタバ、そして明後日にはこのデルアに着くものと思われます。」
「と言うことは明日明後日でケリをつける必要があるな。」
ロジオンはいくつもの指輪がはまった手で顎をさすりながら独り言のように呟いた。
『ニーゼックに入る前に片付ける』
それが”旦那”からの指示だった。
理由は聞かされなかったが、大体の予想は付く。
ロジオンは、”旦那”の後ろにいるのはコゼリン子爵に違いないと考えていた。
子爵が孫を使ってニーゼック伯爵家の乗っ取りを企んでいると言う話はロジオンの耳にも入っている。
そのためには”あの子供”が邪魔なのだ。だから、”旦那”を通して自分達にその始末を依頼してきたのだと。
伯爵に代わり政務を取り仕切る子爵からすれば領内で”事”が起きるのは上手くない話であろう。
出来るなら自分に責任の生じない他領において片を付けたい、そう思っているはずだとロジオンは推測していたのだ。
「明日、オクタバで始末を付ける。
”奴等”の準備はどうなっている?」
”奴等”とはわざわざ組織の本部から借り受けて来た暗殺部隊のことである。
勿論、ロジオンの部下にも処刑人はいた。
しかし、今回は万に一つも失敗は許されない仕事なのだ。そのため、念いは念を入れ最精鋭の部隊を用意したのだった。
「いつでも動かせます。むしろ、魔導ゴーレムに先を越され殺気立っているくらいです。」
「まあ、人を殺すのが趣味みたいな連中だからな、獲物を奪われれば怒りもするだろう。」
部下の答えにロジオンは苦笑した。
「よし、ならば早速オクタバへ送り込め。
やり方は全て任せると伝えろ。下手に俺が口を出すよりも、その方が確実だろうからな。」
そう言ってからロジオンは急に眉をひそめ難しい表情になる。
「ただ護衛をしている冒険者、特に魔法士の男には気を付けるよう念は押しておけ。」
「冒険者ですか?
確か年端も行かない子供ばかりと言う話でしたが、そんなに手強いのですか?」
「どうやらそいつが魔法で魔導ゴーレムを倒したらしい。
あの一行には”旦那”の方で監視役を潜り込ませているらしいんだが、その者から報告があったそうだ。」
「あれを魔法でですか?」
ロジオンの言葉に部下は驚いたような顔をした。彼も魔導ゴーレムが強い魔法耐性を持っており、生半可な魔法など通用しないと言うことを聞かされていたのだ。
「戦闘の間はその場から避難させられていて実際に倒すところは見ていないらしいが、何でもあのゴーレムをアメみたいにドロドロに溶かしてしまったそうだ。」
魔法耐性すら貫通させ、その上岩をドロドロに溶かしてしまうとは一体どれ程の魔法を使ったのか?
部下の男はうすら寒いものを覚えた。
「解りました、そのように伝えておきます。
それで、その監視役の件はどうします?巻き込まないよう言っておきますか?」
まあ一応味方である以上、当然の配慮ではある。
だが、そんな部下の言葉にロジオンは酷薄そうな笑みを浮かべながらこう答えた。
「その必要は無い。
余計な事に気を取られ万一しくじりでもしたら目も当てられん。襲撃の件は連絡しておくから、後は逃げるなりなんなり向こうで指示を出すだろう。
もし、巻き込まれたらその時はその時だ。運が悪かったと諦めてもらうさ。」
「まさか、そんな……。」
イルムハートの話を聞いたレンゾは思わず絶句する。
結局、イルムハートは現在の状況を説明することにした。
信じてもらえるかどうかについての不安はまだあったが、もし万が一襲撃を受けた際に意思疎通が出来ていなければ上手く連携も取れない。それでは上手くないのだ。
そこで、朝エンラードを出発する前にレンゾとジルダを呼んで話をしたのである。
他にはジェイクとケビン。ライラはジルダの代わりにフリオのお守りだ。
レンゾだけでなくメイドであるジルダまで呼んだ理由は、フリオの側に仕える彼女がいざという時取り乱したりしないようにするため、そうイルムハートは説明した。
ちなみに、御者のヘイスは別の安宿に泊まっているので除外してある。
イルムハートは事実と、そしてそこから導き出される”可能性”だけを淡々と話した。個人的な感想は一切挟まずに。
その中にはレンゾもある程度知っていた事もあれば初めて聞く内容もあった。
「確かに君の言うことにはそれなりに筋が通ってはいる。
もし伯爵様がフリオ様の廃嫡をお認めになっていなのであればコゼリン子爵としても困ることになるだろう。
だが、だからと言ってフリオ様のお命まで狙うなど、いくら君の言葉でも容易に受け入れられるものではない。」
「それは当然だと思います。」
レンゾの心情はイルムハートにも十分理解出来た。
「僕自身、これが取り越し苦労であってくれることを願ってはいるのです。
ですが、例えごく僅かであってもフリオ様の身に危険の及ぶ可能性があるのならば、用心は十分にしておくべきでしょう。」
「それは……その通りだ。」
警護とは常に最悪の状況も考えながら行う必要がある。もし、希望的観測のせいでミスを招いてしまえば取り返しのつかないことになるのだ。
「それにしても冒険者ギルドの情報収集能力とは凄まじいものだな。
噂には聞いていたが、まさかそこまでニーゼックの内情を掴んでいるとはね。」
レンゾは呆れたような感心したような、そんな表情をした。
本当は王国情報院からの情報なのだがさすがにそれを明かす訳にもいかず、イルムハートは敢えて冒険者ギルドが情報源であるかのように思わせたのである。
「それで、私はどうすれば良いのかな?」
「もし敵が襲って来た場合は先ず僕達3人が対応するようにしますので、ファーゴさんとジルダさんは常にフリオ様の側を離れないようにして下さい。
あと、ライラもそちらに回します。
彼女は魔法も近接戦闘もこなせますので、頼りにしてもらって良いと思います。」
「私がいては却って足手纏いになるのではないでしょうか?」
イルムハートの言葉にジルダが恐る恐ると言った様子でそう発言した。
彼女は16の時フリオに付き王都へとやって来て、現在21歳。
その生い立ちのせいなのか、赤毛で目鼻立ちのくっきりした美人でありながら物静か、と言うよりどこかおどおどした暗い印象を与える女性だった。
「いえ、ジルダさんはフリオ様を安心させるためにも側に付いていて下さい。」
「でも、ライラさんがいれば大丈夫なのでは?」
「確かにライラはフリオ様に気に入られていはいるようですが、それはあくまでも気の合う”友人”としてでしかありません。
いざと言う時、フリオ様が本当に頼りとするのは小さな頃から長年お側に仕えて来られたジルダさんの方なのです。
ですから、貴女はフリオ様の側を絶対に離れないであげてください。」
貴族の子にとって長年一緒に過ごしたお付きメイドがどれほど重要か、イルムハートにはそれが良く解かる。時に母であり時に姉でもある、そんな存在なのだ。
「それに、ジルダさんだって十分戦力として役に立つと思うのですが、違いますか?」
「えっ!?」
イルムハートの言葉にジルダは驚きの表情を浮かべると共に、ほんの一瞬ではあったが鋭い視線を向けて来た。しかし、すぐにまたいつもの顔に戻る。
「役に立つ?私がですか?」
「ええ、ジルダさんも何か武術を習得していますよね?」
そう問われ、ジルダは黙り込んだ。目に見えない駆け引きが2人の間で交わされる。
そして、先に切り札を切ったのはイルムハートだった。
「ライラが言っていたんです、いざと言う時のジルダさんの動きは素早く無駄が無い。あれは並みの人間の動きではないと、そう評していましたよ。
彼女も魔法士とは思えない程に体術を使いこなしますからね、その辺りの目は確かなんです。」
おそらくはゴーレムと遭遇した際、咄嗟にフリオを庇おうとした時のことを言っているのだろう。となれば、もう胡麻化しようが無い。ジルダは腹を括った。
「そうですか、さすがはライラさんですね。
別に隠すつもりは無かったのですが、実は子供の頃に体術を少々習ったことがあるのです。」
「そうなのか?
今まで全く気付かなかったな。」
それにはファーゴも驚いたようだった。
「ですが、あくまでも護身術程度であって戦力とかそう言ったレベルのものではありません。」
ジルダはあくまでも実力を隠したがっているようだったが、イルムハートは敢えてそれに気付かない振りをする。
「でも、ライラがあそこまで言うのですからそんなことは無いと思いますよ。
尤も、ジルダさんを戦闘に参加させるつもりはありませんから安心して下さい。
貴方はあくまでもフリオ様をお守りすることにだけ心を配っていて下さい。」
その後、山場は今日明日、特に今晩オクタバで夜襲を加えられる可能性が一番高いと言う話をしてひとまずこの場は散会となったのだった。
レンゾ達と別れた後、イルムハート達も出発の用意を始めた。
だがそんな中、何故かジェイクの機嫌が悪い。
どうやらジルダに対するイルムハートの馴れ馴れしい(とジェイクにはそう見えた)態度が気に入らないらしい。
「何だよ、お前?ジルダさんにもちょっかい出すつもりか?
もう2人も婚約者がいるくせに、まだ足りないって言うのかよ?」
とまあ、そんなこと言い出した。
「何を言ってるんだ?
それはとんだ言い掛かりだ。僕にそんな気はないよ。」
「嘘つけ、妙にニヤニヤしながらジルダさんを見てただろうが。
しかも、ジルダさんも満更でもないような感じだったし……。ちくしょうめ!」
勝手な妄想で嫉妬に身を焼くジェイク。
こうなるともう手の付けようがない。イルムハートもただ呆れるしかなかった。
「またジェイク君の病気が始まりましたね。
まあ、放っておけばそのうち直りますよ。」
その点、ケビンは手慣れたものだった。即座に”放置”と言う手段を取る。
「ところでイルムハート君、ジルダさんの実力の件ですが、あれにはどのような意図があったのですか?
ライラさんもあそこまでは言っていなかったはずですが?」
ジェイクの言う通り、確かにライラはジルダの動きを褒めてはいたが、せいぜい「素人にしては中々のものね」くらいの言い方だったのだ。
「別に深い意味は無い。
ただ、どういう訳かジルダさんは自分の実力を出せないでいるみたいだったからね。だから、隠さなくても良い様に水を向けただけだよ。
何せ状況が状況だ、戦力はひとりでも多い方が良いだろ?」
「もしかして、イルムハート君は最初からジルダさんの実力を見抜いていたのですか?」
「初めて会った時に感じたんだ、只者ではないとね。
彼女の立ち居振舞いもそうだけど、何より闘気のコントロールがとても上手い。何せファーゴさんにすら気付かせないくらいだからね。」
しかも、彼女の技はおそらく特殊戦闘に特化したものだろう。足運びや身のこなしが剣士のそれとはまた異なるものだった。
「もしかするとジルダさんはコゼリン子爵側の……。」
「刺客ではないと思う。」
ケビンの疑念をイルムハートはあっさりと否定した。
「もし、彼女が子爵の送り込んだ刺客ならフリオ君はとっくに殺されていただろう。5年も一緒にいたんだ、そのチャンスはいくらでもあったはずだからね。
まあ、味方かどうかは分からないが少なくとも今のところ敵ではなさそうだ。」
彼女の正体について、イルムハートの頭の中にはひとつの仮説があったが今はまだそれを話すべき時ではないだろう。
それがジルダにとって、そしてフリオにとっても一番良いはずだと、イルムハートはそう思った。
イルムハート達一行はエンラードを発ちオクタバへと向かった。
その道中は一見穏やかそうに見えたが、実際のところ皆襲撃を警戒しいつも以上に気を張りつめていた。
やがて、何事も無く無事オクタバへと到着する。
だが、ここで安心する訳にはいかない。その日の夜が一番危険なのだ。襲撃して来るなら、おそらく今晩だろう。
そこでイルムハート達は一番高級な宿ではなく、敢えてすこし格の落ちる宿を取った。
次期伯爵なら最高級の宿に泊まるはず。敵がそう考え、予め罠を仕掛けている可能性もあるからだ。
その晩、イルムハート達は敵の襲撃に備えまんじりともせず夜を過ごした。
しかし、結論から言うとその日の襲撃は無かった。
これにはイルムハート達も完全に肩透かしを喰らってしまったのだが、何事も無く普段通りの朝を迎えることとなったのである。