旅の始まりと貴族の血
出発の日。
早朝、イルムハート達は王都西門近くにある冒険者ギルド施設へ集合していた。
依頼主とここで待ち合わせているためなのだが、それにはまだ少々時間が早い。と言うのも、出発前の打ち合わせをすることになっていたからだ。
そんな中、顔を合わせざまジェイクはイルムハートとケビンに向けからかうように言った。
「何だよ、お前たち。見送りには来てもらえなかったのか?」
それぞれが恋人に見送られることも無く旅立つことを揶揄しているのだ。
が、勿論これはいつものごとく自ら墓穴を掘る行為以外の何物でもなかった。
「ええ、来ませんよ。何しろ昨日は十分に一緒の時間を過ごしましたからね。今更、見送りなんか必要ないんです。」
案の定、そうケビンに軽く返されてしまう。
「”十分に”だと?何だよそれ?
もしかしてアレか?2人で羨ましいコトしてたのか?」
「それは恋人同志ですからね、ジェイク君が羨ましがるようなこともしたかもしれまんね。」
「何ぃー!?」
ケビンの言葉にジェイクは嫉妬に燃える修羅と化す。
「イルムハート!お前もか?お前もそうなのか?」
「僕は一緒に夕食を取った程度だよ。」
「一緒にメシを食った”程度”だぁ?
両手に花状態のくせに何しれっと言ってやがる。
俺なんか両親と兄貴と、見飽きた顔見ながらいつもの食事をしただけだってのに……。」
そう言いながらジェイクは膝から崩れ落ちる。
(こうなることは目に見えているんだから余計な事言わなきゃいいのに。}
イルムハートはそんなジェイクを半ば呆れながら見つめた。
すると、そんな3人を叱りつける様にライラが声を上げる。
「ちょっとアンタ達、いつまでバカやってるつもり?
依頼主が来る前に最終打ち合わせしとかなきゃならないんだからね。ちょっとは真面目にやりなさいよ。」
全くもっておっしゃる通り。ライラがいるおかげでこのパーティーは機能不全に陥らずに済んでいるようなものである。
本来の目的を思い出したイルムハート達は慌ててライラの背中を追いギルド施設の中へと入って行く。
そして、しばらくの後。
入って行った時とは明らかに雰囲気の変わった一行が施設から出て来た。どこか重々しい空気を漂わせながら。
特にジェイクなどは仏頂面を隠そうともしていない。
そんな彼を見てライラが口を開く。
「気持ちは解かるけど、顔に出すのはやめなさい。それじゃあ相手を不安にさせるだけよ?
アタシ達はただアタシ達のやるべきことをすればいいの。
……どうやら依頼主が来たみたいだから、少しはしゃんとしなさいよね。」
そう言われふと目をやると、こちらへ向かって来る一台の馬車が目に入った。その横には軽装鎧を身に着けた騎士の乗る馬が付き添っている。
間違いなく、依頼主一行のようだった。
「おはよう、諸君。少し待たせてしまったかな?」
馬車はイルムハート達の前で止まり、馬上の騎士レンゾ・ファーゴがそう声を掛けて来た。
レンゾの他に後は御者と付き添いのメイドがひとりずつ、この計3名がフリオ・アレナス・ニーゼックに付き従う要員の全てである。次期伯爵の一行にしてはあまりにも心許ない陣容だ。
しかし、そんな考えはおくびにも出さず、イルムハートはレンゾに笑い返した。
「いえ、問題ありません。我々が先に来て待機するのは当然ですから。」
パーティー・メンバーとフリオ一行とは既に一度顔合わせが済んでいた。
「初めまして、イルムハート・アードレーと申します。」
その際、イルムハートの名を聞いたレンゾは例に漏れず一瞬不思議そうな顔をしたが、結局何も言っては来なかった。
まあ、アードレーという家名が気にはなったのだろうが、まさか辺境伯の身内が冒険者をやっているなどとは夢にも思わなかったに違いない。
それからイルムハートとレンゾの2人は旅のスケジュールを打ち合わせるため何度か顔を合わせ、今では互いに親しい関係となっていた。
レンゾは現在31歳。
彼から5年前にフリオの護衛として王都へとやってきて以来ずっとその任に就いていると聞かされた時には、さすがにイルムハートも少し驚いた。
フリオの護衛はレンゾひとりである。と言うことはこの5年間、誰かと交代することも出来ずにずっと王都にいたということになるのだ。
「5年もですか?そんなに長く離れて故郷が恋しくなったりはしないんですか?」
だが、レンゾはそんなイルムハートの心配を笑って吹き飛ばした。
「生憎と両親を早くに亡くしていてね。
また、将来を誓った相手がいるわけでもないし、特にニーゼック領へ帰る必要も無いんだよ。」
レンゾが言うには身寄りが無いという理由でフリオの護衛に選ばれたらしかった。おそらく、最初から”島流し”状態になると決まっていたのだろう。
それは、メイドのジルダ・クレニも同じで、彼女も幼い頃に両親を亡くしているとのことだった。
ちなみに、御者だけは王都で雇い入れた者らしく、一応この旅が最後のお勤めとなるのだそうだ。
レンゾとの会話の後、イルムハートは馬車の扉へと歩み寄る。
その馬車は街乗りのものより少し大き目でゆったりした長距離移動用馬車だった。飛空船は使わせてくれなかったみたいだが、馬車の方は何とか用意してもらえたようである。
「おはようございます、フリオ様。イルムハート・アードレーで御座います。
本日より旅のお供をさせて頂くことになりますので、宜しくお願い致します。」
イルムハートがそう声を掛けると、馬車の扉が開きジルダが顔を見せた。そしてその後、彼女が身を避けると奥に座る少年の姿がイルムハートの目に入って来る。彼がフリオだ。
「十分に励めよ。」
フリオはそれだけ言うと興味など無さそうにプイとそっぽを向いた。
それは不愛想ではあるものの、思っていたより我儘な様子でもない。
初めて顔合わせをした時も
「なんだ、こんな子供が護衛として付くと言うのか?本当にこんなので役に立つのか?」
とまあ、口は悪いがそれほど傲慢な言い方でも無かったのだ。
ギルド長の話とは少し違うなとイルムハートはそう思った。
だが後でレンゾから聞いたところによれば、どうやらそれはイルムハート達が”子供”だったからのようである。
その境遇からすれば仕方ないことなのかもしれないが、フリオが大人に持つ不信感はかなり根深いもののようで、大人相手の場合は気に入らないことがあるとすぐにヒステリックに当たり散らすらしかった。
しかし、歳の近いイルムハート達には僅かながらも気を許すらしく、特に手を焼かせることもなさそうに見えた。
尤も、まだ旅は始まったばかりだ。この先どうなるか予断は許さないと言ったところが本音ではある。
それからイルムハート達一行は西門を出て街道を進んだ。
イルムハートとジェイクの馬が先頭に立ち、ケビンとレンゾもそれぞれ騎乗し馬車の両脇に付く。但し、ライラだけは身近でフリオを護るため馬車に乗り込んでいた。
ニーゼックの領都ベラールまではおよそ10日程の行程。
イルムハート達だけならばその3分の2の日数で到達可能な距離ではあるが、フリオにはあまり無理をさせるわけにもいかない。
そのため、移動はややゆっくりとしたものになる。
「たまにはこうしてのんびり旅するのも悪くはないよな。」
ゆっくりと馬を進めながら実にお気楽そうな声でジェイクが言った。
今通っている道は幹線街道であるため軍が定期的に見回りを行い、魔獣や盗賊の類は見つけ次第討伐されるようになっている。そのため、比較的安全に通行することが可能なのだ。
勿論、何事にも絶対と言うことはないが、余程運が悪く無い限り滅多なことではその手のトラブルに巻き込まれることが無い。
そういった街道の雰囲気がジェイクにそんな台詞を吐かせたのかもしれない。
しかし、だからと言って気を抜いているわけではなかった。むしろ表面上は平穏を装いながらも、内心ではいつも以上に警戒心を尖らせていた。
何故なら、イルムハートがビンスから伝えられた情報を皆にも伝えていたからである。
「どうやら、ジェイクの言っていたことも笑い話では済まなくなるかもしれない。」
朝の打ち合わせの際、イルムハートがそう切り出したのだ。
「俺の言ったこと?何だっけ?」
当のジェイク本人は何のことやらさっぱりと言った感じだったが、ケビンは鋭く反応した。
「フリオ君が旅の途中に命を狙われるかもしれない、ということですね?」
その言葉にイルムハートは黙って頷く。
「げっ!マジかよ?
そいつはヤバイな。」
これにはジェイクも驚きを隠せないらしく、そう言って思わず顔をしかめた。
普段なら「ほらみろ、俺の言った通りだっただろ?」などとドヤ顔で語り出すところだが、今回ばかりは内容が内容だ。いつになく真剣な顔つきだった。
「詳しく説明してくれる?」
ライラの言葉にもう一度頷いた後、イルムハートは皆を見渡しながらやや声を落として話し始めた。
「これはビンスさんからの情報で絶対に他言無用だ。いいね?」
ビンスが王国情報院の幹部であることは皆も知っていた。
その彼から流れて来た”他言無用”の情報がどういった種類のものか。それを理解した皆は同様に無言で頷く。
「ギルド長から聞いた話だとニーゼック伯爵はコゼリン子爵の言うがままにフリオ君を廃嫡しようとしている、そういうことだったね?
ところが、実はそうでもないらしいんだ。
確かに子爵は圧倒的な権力を手にしており伯爵もそれに逆らうことが出来ずにいる。それこそ子爵の操り人形みたいなものだ。
だが、跡継ぎの件に関してだけはそうでもないらしい。いくら子爵がフリオ君の廃嫡を迫っても頑としてそれを拒否しているようなんだ。」
「でも、それなら何故フリオ君を呼び戻すの?
廃嫡もせず現状のままというなら王都に置いておいたほうが良いはずよね?」
「伯爵としてはそうだろう。だが、子爵の場合は違うのさ。」
ライラの疑問いイルムハートは眉をひそめながら答えた。
「伯爵が原因不明の病に倒れ、万が一そのまま亡くなりでもすればフリオ君が伯爵家を継ぐことになってしまう。それではマズいと考えたんだろうね。
そこでフリオ君を呼び戻すことにしたんだ。」
「じゃあ、今回の帰領は伯爵の指示ではなく子爵が仕組んだことってわけ?」
「そういうことなんだろう。
政務に関しては子爵がほぼ全てを掌握しているからね、伯爵の名でフリオ君に帰領命令を出すくらい簡単なことさ。」
「つまり、たった一人の護衛しか付かず、しかも馬車での旅をしなきゃならなくなったのは全てコゼリンって子爵のせいなんだな?
それでもって旅の途中でフリオを亡き者にしよって魂胆か。汚ねえヤツだな。」
「まあ、落ち着けよ。必ずしもそうとは限らないんだし。」
本気で怒りだしたジェイクに対しイルムハートは宥めるようにそう言った。あまり興奮されてはこの後会うフリオ一行に不信がられてしまう。それではマズいのだ。
「この旅自体はいつも通りの”イジメ”なだけで、ニーゼックに呼び戻してから予定通り廃嫡してしまおうと考えている可能性だって無いことは無いんだ。」
「でも、伯爵は廃嫡に反対してるんじゃないのか?」
「そこはどうにかなると考えているのかもしれない。
もしかすると伯爵の様態が予想以上に悪く、まともに謁見すら出来なくなっているということも考えられる。
そこで伯爵の”代理”として子爵が廃嫡を通告する、そんな筋書きを書いていてもおかしくはないだろう。
希望的観測かもしれないが、僕としてはそうなるほうを期待しているんだけどね。」
イルムハートの言葉にジェイクもライラも難しい顔で黙り込む。謀略により跡継ぎの座を追い落とされる、暗殺よりもそのほうがまだマシな選択肢だということが何ともやりきれなかった。
すると、ジェイク達とは逆に今まで沈黙を保っていたケビンがどうにも腑に落ちないといった様子でイルムハートに問い掛けて来た。
「確かに、今のコゼリン子爵の権力を持ってすればフリオ君を暗殺することも廃嫡することも不可能ではないかもしれません。
ですが、その後のことはどうするつもりなのでしょう?
無理やり第1子を排して子爵の孫が跡継ぎになれば、当然何らかの工作を疑われることになるはずです。
いくら権力を握っているからとは言え、さすがにそれでは子爵の立場が危うくなりませんか?」
ケビンの言う通りだった。
まあ暗殺は論外だが、例え正規の手続きを持ってフリオを廃嫡したとしてもそれによって最大の恩恵を受けるのは子爵なのだ。当然、周りから疑われることになるだろう。
ましてや伯爵本人が廃嫡に反対していることを知る者達からは強く非難を受けるはずだ。場合によっては子飼いの者達すら造反しかねないような状況になるかもしれない。
「ケビンの言うことは尤もだ。
さすがにそこまでしてしまえば子爵自身もただでは済まなくなる可能性が高い。
但し、子爵ひとりの企みならばだ。」
「どういうことです?子爵には協力者がいると?
でも、誰と手を組んだところで結局は……。」
そこまで言ってケビンはハッとした表情を浮かべる。例え周囲が子爵に対し疑念を持とうと、そんな彼等を黙らせてしまえる人間がひとりだけいるのだ。
「まさか、先代伯爵の夫人ですか?」
「そうだ。」
先代の伯爵は既に他界しているが夫人は今だ存命である。もし、その夫人が後ろ盾となっているのだとすれば子爵も周囲の声など気にする必要がなくなるはずだ。
「ちょっと待ってよ!先代の夫人っていったらフリオ君のおばあちゃんなわけでしょ?
それなのに、実の孫に対してそんな酷いことをしようとしてるって言うの?」
思わずライラは悲痛な声を上げる。もしかしたら血のつながった孫の命を取ろうとさえしているのかもしれないなどと、そんな話は到底受け入れられるものではなかったのだ。
そんな彼女の気持ちはイルムハートにも良く解かった。だが、貴族社会の闇も彼は知っているのである。
「先代の夫人は”貴族至上主義者”らしいんだ。
つまり貴族こそが至高の存在であり平民など人とも思わない、そんな人間なんだよ。
先代の伯爵はまだそこまで差別的な考えを持つ人ではなかったらしくフリオ君を受け入れていたようなんだが、夫人は違った。
実際、フリオ君があからさまなイジメに会うようになったのは先代が亡くなってからなんだよ。
おそらく、彼女からすれば平民を母に持つフリオ君はニーゼック伯爵家の恥でしかないのだろう。」
確かに、平民の血を引く子は何かと差別されることも多かった。が、昔と違い今は露骨に排除されることはない。
それには国力向上を目的とした王国の方針により平民の社会進出が進み相対的地位が高まってきているせいもあるが、何より貴族社会も実力重視の世界になって来ているからだった。
王国の長い歴史の中、無能な当主が家を潰した例は枚挙にいとまがない。ただ偉そうにふんぞり返っているだけでは未来が無いことを貴族達も十分に理解しているのだ。
そのため、血筋がどうこうよりも有能な人間かどうかのほうが重視されるようになったのである。
だが、そんな中においてもまだ血筋こそが全てであると信じる者達がいた。神により選ばれた高貴なる血統に平民の汚れた血が入り込んで良いはずが無い、そんなことを公言する者達だ。
そして、先代の夫人もまたそういった類の人間なのだった。
「”貴族至上主義者”ですか……もしかすると、コゼリン子爵よりその先代夫人のほうが厄介かもしれませんね。」
そうなのだ、ケビンの言う通りなのである。
コゼリン子爵の目的はあくまでも権力を手に入れる事でしかない。廃嫡さえ出来れば、後はフリオの身をどうこうしようなどとは考えていないはずだ。
しかし、先代夫人の場合はどうか。彼女にとってはフリオの存在自体が喉に刺さった棘のようなものに違いない。
もしフリオに対し実力行使が為されるとして、おそらくそれはコゼリン子爵ではなく先代夫人の意思によって行われることになるだろう。
「最低限の常識と良心がコゼリン子爵にもあることを願うしかないだろうね。」
万が一フリオ憎しで先代夫人が暴走したとしても暗殺などと言う愚策を取らぬよう、今はコゼリン子爵がストッパーとして働いてくれることを期待するしかなかったのである。
こうして、イルムハート達パーティーは色々な思いを抱きながらフリオの護衛に付くこととなった。
だが皆と話した際、イルムハートはある可能性についてだけは敢えて口にしなかった。
それは、「もし、この状況で伯爵が病から回復したらどうなるか?」だ。
おそらく先代の夫人やコゼリン子爵の行いを許しはしないだろう。
そうなった場合に伯爵は、そして先代夫人と子爵は一体どう動くのか?
その結末を考えた時、どうにも嫌な予感がイルムハートを襲う。
(なるべく血は流れずに幕が引かれると良いんだけれど……。)
それが甘い希望であることは自覚しつつも、そう思わずにはいられないイルムハートだった。