神気と神獣 Ⅱ
世の中を見て回る、そう言っていたはずの天狼だったが、中々旅立つ様子を見せなかった。
その後、イルムハートがドラン大山脈を訪れる度に神殿から姿を現すと、側に座って魔法を見物したり話掛けてきたりする。
『お前もまめな男よな、イルムハート。よくもまあ飽きずに魔法の鍛錬などするものだ。』
毎週のようにやって来ては魔法を試していくイルムハートに、呆れているのか関心しているのか、どちらとも取れるような口調で天狼は話しかける。
「自分の能力をちゃんと把握しておかないとね。でないと、いざという時に困るだろ?
それより、こんなところで暇つぶしなんかしてていいの?世の中を見物して回るんじゃなかったのかい?」
出合いから既に2か月近く経っており、イルムハートもかなり砕けた言い方をするようになっていた。
『別に急ぐわけでもない。時間ならいくらでもあるのだ。』
確かに、人間から見れば永遠にも近い時を生きる神獣にとって、数か月程度の時間など気にするほどではないのだろう。
加えて、イルムハートと話すことを楽しんでいたせいもある。
天狼も、過去に人と言葉を交わしたことはあったが、神獣と崇められる立場であるため、このような気安い会話は初めてなのだ。
その事に居心地の良さを感じているのが、旅立ちを遅らせている一番の理由だった。
『それに、お前の魔法は見ていて中々に面白い。』
「面白い?別に普通の魔法のはずだけど?」
イルムハートがこのところ試しているのは上級と呼ばれる魔法であり、確かに使用する者はそう多くはないが、それだけで天狼の興味を引くとも思えなかった。
『どんな魔法かと言うことではない。我が面白いと感じるのは、その威力の強さだ。』
(あれ?また、何かやらかしたかな?)
イルムハートは、前に爆裂魔法で大きなクレーターを作ってしまった事を思い出して少し冷や汗をかいたが、特にヘンな真似はしてないはずだと思い直す。
『使われる魔力の量に比べ、その威力が格段に強い。かなり良い効率で魔力を魔法に変換しているようだな。』
その事か、とイルムハートは天狼の言いたいことを理解した。
「んー、はっきりとは分らないけど、やっぱりそうなのかな?
もしかするとイメージの仕方が他の人と違うんじゃないかなって、最近そんな気がしてる。」
『おそらくそうであろうな。制御出来る魔力量もかなりのもののようだ。この先、さらに増えてゆくであろうし、色々と楽しみなことよ。』
「え?制御限界って変わらないんじゃないの?」
『何を馬鹿なことを。生命とは成長してゆくものだ。体内魔力も制御魔力も同じく、成長することにより増えてゆくのが道理であろう。』
「でも、魔力に目覚めた時にその量は固定されてしまうって聞いてたけど。」
衝撃の真実、と言ったところだろうか。魔法界の常識を覆すような話だった。
『それは、単純に成長出来ていないと言うだけの事。まあ、魔力の成長には時間がかかるのも確かだがな。』
「どれくらい?」
『100年も生きておれば、少しは実感出来るくらいには増えるだろうな。』
「それって、人の場合は意味ないじゃないか。その前に寿命が来ちゃうよ。」
この世界での人間の平均寿命は60歳くらいである。100年生きて僅かに増える程度では変わらないのと同じだった。
『何を言っておる。お前のような神に遣わされし者が、100年やそこらで死ぬものか。』
「・・・それ、もういいから。」
イルムハートは、例によって同類扱いしてくる天狼の言葉に辟易しながらも、少し安心していた。
今ですら”ちょっとだけ” 常人離れした能力を持ってしまっているのだ。
この先、更に能力が伸びるとなれば、それこそ天狼と同類になってしまう可能性すらある。
(うん、まだ ”普通” の異世界転生者ってことで、セーフだな。)
だが天狼は、そんなイルムハートの僅かな希望を無情に打ち砕く。
『それに、お前の成長速度は並みの人間とは比べ物にならぬほど早いしな。初めて会った時より、すでに僅かながら魔力量は増えておる。
いずれは、我に追い付くこともあり得ない事では・・・おい、イルムハート、聞いておるのか?』
天狼は、呆然と固まってしまったイルムハートを不思議そうに見つめる。
自分の言葉が、どれだけのダメージをイルムハートに与えてしまったかなど、もちろん彼が知る筈もない。
結局、イルムハートの思考が再起動するまでの数分間、その名を呼び続ける事しか出来ない天狼だった。
出会ってから4か月程経ち、天狼もそろそろ旅に出ようと決めたようだった。
イルムハートと話している内に、今の世界に対する興味を刺激されたらしい。
その中でも、長い間大きな戦争が起きていない事には少し驚いているようだった。
『戦乱など治世者の欲は満たせても民は疲弊するばかり。結局は国を衰退させるだけで得るものなど少ない。かつては、それも判らぬ愚か者ばかりだったが・・・どうやら少しはマシになったと見える。
そもそも、そんな世の中など見て回ったところで、たいして面白みが有るわけでもないしな。』
前世の記憶も併せ持つイルムハートにとっては少し耳の痛い話ではあったが、結局は見て回るのが楽しいかつまらないかで評価するとところが天狼らしいと言えばらしかった。
『一通り巡り終わったら、いずれお前の所も訪ねてみるとするか。フォルタナの城へ行けばよいのだな?』
「え!?いや、それはちょっとマズいんじゃないかな。
天狼の姿なんて見たことある人間なんていないんだよ?魔物と間違えられて大騒ぎになるよ。」
いきなりのフォルテール城訪問予告に、イルムハートは慌てて思いとどまらせようとした。
『心配するな。我もこの姿で人前に出ればどうなるかくらいは判っておる。神獣と悟られぬ見形になって世を回るに決まっておろうが。』
天狼はそんなイルムハートの慌てぶりに苦笑しながら、自分は姿を変える魔法を使えるのだと説明してくれた。
なんでも、幻術魔法や幻影魔法のように見る者の思考や視覚を操るのとは違い、本当に身体そのものを変えてしまう魔法らしい。
顔の形や髪の色などを変える変化魔法というものは存在するが、天狼の使う魔法はそんな程度ではなく、身体の大きさから姿形まで自在に変えられるのだそうだ。
そもそも神獣には実体は無く、流転の輪(輪廻システム)から独立した生命エネルギーの塊のような存在なのだと、天狼は言う。その肉体は魔力を物質化させることで作られたものであり、いくらでも再構成可能との事。
人間にはとても真似できない力技の魔法である。
(子犬あたりにでも変身するのかな?だったら騒がれる心配もないか・・・。)
子犬姿の天狼を想像し、イルムハートはちょっとだけほっこりした。
「それなら大丈夫だろうけど・・・でも、2年後にはもう城にはいないと思うよ。王都の学校に行く予定なんだ。」
天狼の時間感覚で言う ”いずれ” が、果たしてどれくらい後の事なのか。
それが1年やそこらではない事は容易に想像がついたので、イルムハートは今後の事も話しておくことにした。
「それに、学校を卒業したら冒険者になるつもりだから、10年後には王都にもいないかもしれない。」
『ほう、辺境伯という高位の家に生まれながら、冒険者になると言うのか。やはりお前は面白い。
となれば、世界を回るうち、どこかで出会うことになるかもしれんな。』
(やっぱり、10年後もまだブラブラしてるつもりなんだ。)
まあ、天狼の感覚からすれば10年と言うスパンもたいしたものではないのだろう。
それぞれが旅をして偶然どこかで出会うなどという事も、果たしてどれだけの幸運を必要とするのか分からないが、天狼はそれが当然であるかのように話す。
(神獣だから、それなりに運も持ってるんだろうけど・・・基本的に能天気だよな、天狼って。)
『何か言ったか?』
「別に。」
言動はかなり大雑把に見える天狼だが、勘は鋭いようだった。
「でも、次に会う頃には僕もそれなりに大人になっているはずだから、見た目では分からないかもしれないよ?」
『何を寝ぼけたことを。いくら見形が変わろうと、お前の魔力を見間違えるわけがなかろう。』
確かに、魔力には人それぞれの波長のようなものがある。
だがそれはごく僅かな違いでしかなく、魔力の違いで相手を見分けるには相当な魔法の練度を必要とするのだが、天狼にとってはさほど難しい事ではないのだろう。
自分自身が魔力の塊のようなものなのだから、元々相手の事も視覚ではなく魔力で認識しているのかもしれない。
「なるほど。そういう見分け方もあるのか。」
『お前はそれ程の力を持ちながら、その使い方が良く解っておらんな。尤も、教えるものが居らぬのでは仕方ない事ではあるが。』
「僕には、まだまだ魔力や魔法について知らない事がいっぱいあるってことだね。この4か月色々と教わって、それが良く解ったよ。ありがとう。」
『ま、まあ、我が教えずともお前ならいずれ辿り着いたであろう事ばかりだ。礼など必要ない。』
イルムハートの言葉に、天狼は少し照れくさそうに横を向いた。
その妙に人間臭い仕草には、思わず吹き出してしまいそうになる。
最初出会った時にはその強大な魔力に恐れすら抱いたが、今では気の許せる友人となっていた。
「・・・天狼とはしばらく会えなくなるのか。寂しくなるね。」
『そういう事を照れもせず言えるのが凄いな。お前は。』
自然と口をついたイルムハートの本音に、天狼は半分呆れ、半分感心したような表情を浮かべる。
『なに、時などと言うものはあっという間に過ぎ去るものよ。成長したお前の姿、楽しみにしておるぞ。』
「うん。天狼をがっかりさせないように頑張るよ。あ、でも神の使いとか、そのレベルで期待されても困るけどね。」
『相変わらず、そこは頑固だな。』
2人は苦笑交じりにいつものやり取りを交わた。
やがて、屋敷に帰らねばならない時間となり、2人は別れの時を迎える。
「じゃあ、そろそろ帰るよ。」
天狼に向かって笑顔でそう言うと、イルムハートはゲートを開く。
『うむ。ではまた会おう。』
「うん。またね。」
別れの言葉は必要無かった。再会を約束するだけでいい。
お互いの顔を見つめ頷き合うと、イルムハートはゲートの中に身を投じ姿を消した。
その日を境に、天狼はドラン大山脈から姿を消した。
そしてそれ以降、イルムハートは彼の強い魔力に引き寄せられてくる魔獣に手を焼く事となる。今までは天狼の気配に恐れをなして近づいてこなかったのだが、その歯止めが無くなってしまったのだ。
別に魔獣退治に来ているわけではないが、襲いかかってくる相手をそのままにしておくわけにもいかない。その度にイルムハートは剣と魔法を使って魔獣たちを倒していった。
それにより期せずして彼は、当初の目的である魔法の確認の他に、対魔獣の実戦経験を積んでゆくことになったのだった。