恋人たちの時間とビンスからの手紙
いよいよ仲間達との旅に出発するその前日、イルムハートは夕食をを共にするためフランセスカとセシリアを屋敷に招いた。
と言っても特別な晩餐というわけではない。
婚約を交わしたとは言え両名とも今はまだ実家で暮らしているため、こうして時折一緒の時間を持つようにしているのだ。
「到頭、明日出立されてしまうのですね。」
食事の後にサロンで3人だけの時間を過ごしている時、話題はどうしてもその話になってしまう。
「修行のためと解ってはいるのですが、やはり1年以上も会えないとなると正直寂しく感じてしまいますね。」
そう言いながらもフランセスカは気丈に微笑んで見せるが、どうにも寂しさは隠せなかった。
無理も無い。
国外を旅するとなれば1年以上、場合によってはもっと長い期間留守にすることとなるのだ。婚約したてのカップルにとってはあまりにも辛い事である。
「2人には申し訳ないと思いますけど、この先僕や僕の仲間達が冒険者としてやっていくためには色々と経験を積んでおく必要があるんです。
そこを解って下さい。」
「勿論です。別に旦那様を責めているのではありません。
これは単に私が我儘なだけなのです。申し訳ありません。」
慌ててそう言い返すフランセスカ。そして、「フランセスカさんは悪くありませんよ」と笑ってみせるイルムハート。
そんな妙にしんみりした空気の中、どういう訳かセシリアだけは平気な顔をしていた。
「セシリア、貴女は寂しくはないのですか?」
それに気付いたフランセスカが不思議そうに問い掛ける。
すると、セシリアは何故かドヤ顔になり胸を張りながら口を開いた。
「大丈夫です、フランセスカさん。師匠には転移魔法があるんですよ?
つまり、いつでも好きな時に会いに帰って来られるんです。」
それを聞いたフランセスカはハッとした表情を浮かべたる。そして、嬉しそうに目を輝かせながら言った。
「そう言えばそうでしたね。その事をすっかり忘れていました。
旦那様には秘密の力があったのですよね。」
婚約に際し、イルムハートはフランセスカに自身の秘密を打ち明けていた。
実は今皆の前で見せている力は自分の能力のほんの一端でしかないこと、転移魔法を含む特別な魔法すら使えること。
そして、自分とセシリアが異世界からの転生者であること。その全てを包み隠さず話したのである。
正直、話すべきかどうか迷いはした。
隠していた能力についてはおそらく抵抗なく受け入れてくれるだろう。それは確信していたし、事実そうだった。
「旦那様ならそのくらいのこと出来て当たり前です。むしろ、出来ない事を探した方が早いのではありませんか?
尤も、そんなものがあるとは思えませんが。」
凄まじいほどの過大評価ではあったが、とりあえずは驚く様子も無くそう言ってくれたのである。
しかし、転生者であると言う件はそれとは次元の異なる話だった。この世界の異分子、そう判断されてしまう可能性だってあるのだ。
だが、隠しておくことは出来ない。それはフランセスカが自分へ寄せてくれる想いに対する背信行為ですらあるのだから。
そう考えイルムハートは決心した。
いちおう、セシリアにも相談してみたが彼女は
「大丈夫ですよ。フランセスカさんなら私達が転生者だろうと何だろうと、きっと受け入れてくれます。」
キッパリとそう言い切り、イルムハートの決断を後押ししたのだった。
そしてその結果は……実にあっさりとしたものだった。
「成程、そうだったのですか。
人は死んだ後、新たな命としてまたこの世に生を受けると言う教えは本当だったのですね。」
彼女は驚くどころか感心するような表情すら浮かべたのである。
「えーと、驚かないんですか?」
「勿論、驚いていますよ。前世の知識や記憶を持っているなど、そうそうあることではないでしょうから。」
「いや、そこじゃなくてですね、僕達が異世界からの転生者だと言う点にです。」
「それが何か問題でも?
この世界で新たに生を授かり産まれて来た以上、旦那様は旦那様、セシリアはセシリア。それ以外の何者でもありません。
前世が何処の誰であろうと、そんなことは関係ないのではありませんか?」
実に明快な答えだった。
その言葉にイルムハートはほっと胸を撫で下ろしたのである。
「それにしても”剣聖”の恩寵ですか。
セシリアの強さの理由が良く分りましたよ。」
「でも、恩寵をもらっていない師匠やフランセスカさんの方がずっと強いんですよ?
ちょっとおかしいと思いませんか?不公平ですよね?」
そんなフランセスカの言葉にセシリアは少しだけ不満げな顔をした。
「今はそうかもしれませんが、いずれ貴女は私以上に強くなるに違いありません。
但し、旦那様を超えるのは無理だと思いますよ。」
「それについては、もう半分諦めてます。
何せ師匠の強さは反則レベルですからね。とても人間とは思えないくらいです。」
「確かにそうですね。」
そう言って2人は笑った。バケモノ扱いされ釈然としない表情のイルムハートなどほったらかしで。
「それにしても異世界ですか……そこはどんなところなのでしょうね。」
その後、異世界に興味津々な風でフランセスカがそう口を開く。
すると、セシリアは何やら不穏な笑みを浮かべながらそれに応えた。
「後でいろいろと話してあげますね。面白いですよー。」
これにはイルムハートも危険な匂いを感じ、「決しておかしなことは教えないように」と、きつく釘を刺さずにはいられなかったのである。
フランセスカとセシリアの期待に満ちた眼差しを受けながら、その時のことを思い出しイルムハートは苦笑する。
セシリアの言う通り、転移魔法を使えばいつでも戻って来られるのは確かだ。
だが、事はそう簡単でもない。
「残念だけど、それは無理かな。」
「えー、どうしてですか?」
イルムハートの言葉にセシリアは不満げな声を上げた。フランセスカも不思議そうな顔で見つめて来る。
「転移魔法を使えることはジェイク達以外にはまだ秘密にしているんだ。
なのに、そう度々戻って来たのでは周りから不思議な目で見られてしまうだろ?」
「まあ、それはそうですね。」
「だから転移魔法を使って会いに来るというのはちょっと難しいだろうね。」
「……。」
そう言われセシリアはしょげ返ったように黙り込んだ。
しかし、さすがはセシリア。僅かな時間の後すぐさま復活する。
「じゃあ、私達が師匠に会いに行くというのはどうですか?」
「はい?」
「予め時間と場所を決めておいて、そこに師匠が転移ゲートを開くんです。
で、私達はそのゲートを通って師匠の下へ行く。どうです、いいアイディアでしょ?」
こう言った時のセシリアは中々に悪知恵……もとい、機転が利くのだ。
そしてこれにはフランセスカも大いに賛同する。
「それは良い考えですね。
確かに旦那様が王都に姿を現せば人目を引いてしまうことになるかもしれませんが、私やセシリアの姿が少しの間見えなくなったところで誰も不思議には思わないはずです。
よく思いつきました。さすがですよ、セシリア。」
そうフランセスカに褒められ、セシリアは照れくさそうに「えへへ」と笑い頬を掻いた。
まあ、確かに悪い案ではない。
ゲートを開く時間や場所を事前にどうやってすり合わせるかとか、色々と細部を詰める必要はあるものの現実的に実行可能であることは間違い無いだろう。
しかし、イルムハートとしては今ひとつ踏ん切りをつけられずにいた。その場合の仲間達の気持ちを考えたのだ。
「でもね、国を遠く離れて旅しているのは他の皆も同じなんだ。彼等にも会いたい人間はいるだろう。でも、それを我慢しているんだよ。
なのに、僕だけが君達と会っていたのでは皆に申し訳ないような気もするんだよね。」
「なるほど……。」
セシリアはイルムハートの言葉に考え込む。そして、何やら推理をする探偵のごとく顎に手を当てながら口を開いた。
「まあ、ケビンさんの場合はサラさんも一緒に連れて行けば問題はないと思います。サラさんなら転移魔法の秘密も守ってくれるでしょうし。
ただ、問題はジェイク先輩です。独り者の先輩のことですから絶対にヤキモチ焼いて騒ぎ出すに違いありません。
そこをどうするか?
友達を連れてってジェイク先輩の相手になってもらうと言う手もないことはないですね。要するに”合コン”状態にすればいいのです。
ただその場合、転移魔法の秘密をどう守るかと言う問題がありますし、何よりジェイク先輩の相手をしなければいけない友達が可哀想です。」
そんなことをひとりぶつぶつと語るセシリアをイルムハートは呆れたような目で見つめる。
それにしても、セシリアの中でジェイクの扱いがとんでもないことになっているようで、ちょっと哀れに思えて来る。
すると、そこへフランセスカも参戦し始めた。
「まあ、ジェイク殿のことはどうでも良いとして、ライラ殿についてはどうするのですか?」
こちらもこちらで中々に酷い言い様である。
「ライラさんなら大丈夫です。あの人はモテますからねー、別に僻んだりはしませんよ。」
「でも、王都に会いたい人とかがいるのでは?」
「んー、お付き合いしている人はいないみたいですよ。言い寄ってくる男を片っ端から袖にしてるみたいですし。」
「なるほど、さすがはライラ殿ですね。」
その後は明らかに話題がズレて何やら恋バナのような会話が始まり出す。
結局、この件についての結論は保留となり、”前向きに”検討するということで決着したのだった。
「そう言えば、ビンス様からこれを預かってきました。」
そそそろ帰り時間も迫って来た頃、そう言ってフランセスカは一通の手紙をイルムハートに差し出す。その封筒はしっかりと封蝋で閉じられていた。
「ありがとうございます。ビンスさんにもお礼を言っておいてください。」
「それって、何の手紙なんですか?」
あまりにも厳重に封印されたその手紙に、さっそくセシリアが興味を示し始める。
「ああ、これかい?
これは今度行くニーゼック伯爵領についての資料だよ。
色々とややこしい事情がありそうなので、出来るだけ現地の情報を集めておきたいと思ってね。
それで、ビンスさんにお願いしていたんだ。」
ビンス・オトール・メルメット男爵は王国情報院の特別顧問を務めている。
その彼に公開可能な範囲で良いからニーゼック伯爵領の情報を教えて欲しいと依頼してあったのだ。
「例のニーゼック伯爵夫人が継子イジメしてる件ですね?」
まあ、間違ってはいないのだがセシリアの物言いはどうもストレート過ぎる。
「そう言うことはあまり外で言わないように。余計な波風が立つからね。」
「じゃあ、コゼリン子爵が伯爵家を乗っ取ろうとしている件と言ったほうが良いですか?」
「もっとダメだって!と言うか、どこでそんな話を聞いたんだい?」
今回の依頼について2人には、伯爵家の子息であるフリオを護衛してニーゼックまで行くとしか話していない。
その際、何故冒険者が護衛に付かなければならないのかと聞かれ、フリオが庶子であり冷遇されていると言うことまでは教えた。だが、帰領の目的がおそらくフリオを廃嫡するため、などとは一切口にしていないのだ。
なのに、セシリアはそれを知っていた。何故か?
「私がセシリアに話しました。」
犯人はフランセスカだった。
「フレッド様がニーゼック伯爵家の内情について教えてくれましたので。」
いや、本当の黒幕は王国騎士団長フレッド・オースチン・ゼクタス子爵だったようである。
「フレッドさん……。」
イルムハートは思わず頭を抱えた。
そんな他家の秘密をホイホイと教えてどうする?
もしかすると知る人ぞ知る有名な話なのかもしれないが、だとしても少々口が軽すぎはしないか?
フレッドの場合、フランセスカに甘すぎるのも考えものである。
「それで、師匠はどうするつもりなんですか?」
すると突然セシリアがそう問い掛けて来た。が、イルムハートはさっぱり意味が分からず首を傾げる。
「どうするとは?」
「コゼリン子爵のことですよ。このまま放っておくつもりなんですか?」
「放っておくも何も、これは部外者が口出しするようなことではないよ。」
「でも、それじゃあその子が可哀想じゃないですか。」
「僕に何をしろと?」
「決まってます。悪者を成敗するんです。
お家を乗っ取ろうとする悪いヤツを師匠の力で退治するんですよ。」
その言葉にイルムハートは唖然とさせられる。
「何を言ってるんだ、君は?」
「表向きはしがない冒険者を装ってコゼリン子爵に近付き、真相を暴いて悪巧みを阻止するんです。
で、歯向かって来た敵に対し最後に正体を明かすわけですよ。「このフォルタナ辺境伯家の紋章が目に入らぬか!」みたいに。」
「セシリア……。」
あまりにも無茶苦茶な話にイルムハートは再び頭を抱えるはめになる。
だが、フランセスカはそれと対照的に楽しそうな顔で話に喰い付いて来た。
「おお、”ジダイゲキ”ですね!素晴らしい!
やはり最後は正義が勝つ、それが正しい世の中の有りかたです。
そうは思いませんか、旦那様?」
もう好きにしてくれ。と、半ば投げやりな気持ちで2人を見るイルムハート。
それにしても、フランセスカが”時代劇”のことを知っているのは意外だった。セシリアから教わったものなのだろうが、他にも何を吹き込まれていることやら。
これは先が思いやられるな、とイルムハートは天井を見上げながらため息をつく。
まあ、こう言ったところも全て含めて好きになった相手だ。こうして苦労させられることも、ある意味幸せなのかもしれない。
そんなことを思いながら時代劇の話で盛り上がる2人を優しい目で見守るルムハートだった。
「全く、相変わらずマイペースだな、あの2人は。」
フランセスカとセシリアが帰った後、自室で休むイルムハートはそう言いながら思わず苦笑いを浮かべる。
長い別離を前に想いを確かめ合うはずの恋人たちの時間は、結局”恋バナ”と”時代劇”の話で盛り上がっただけだった。
まあ、イルムハート達らしいと言えばらしいのかもしれない。湿った雰囲気になるよりはこっちのほうがよほど好ましかった。
それから彼はフランセスカに渡された手紙を取り出す。
「それにしてもビンスさんの手紙、随分と厳重に封がしてあるな。」
蝋による封印だけではない、手紙には魔法も掛けられていたのだ。
魔法はあまり得意でないフランセスカは気付かなかったようだが、イルムハートには手にした瞬間すぐそれが分ったのである。
イルムハートはアードレー家の印璽を取り出すと手紙の封蝋に当てた。すると、蝋の部分がポロリと取れる。
これは貴族の間において機密文書を送る際に使用される方法で、印璽に込められた魔力と反応して初めて蝋が正しく取れるようになっているのだ。
もし正規の手順を経ずに手紙を開封しようとすると瞬時にして燃え尽きてしまう、そんな魔法が手紙には掛けられていた。
「公開されている情報で構わないと言ったんだけど……どうやらそんなものじゃないみたいだな。」
手紙に記されている最初の一文を読んだイルムハートは思わずそう呟いた。
そこには「読後必ず焼却すること」と書かれてあったからだ。
手紙に掛けられていた魔法と言いこの一文と言い、それらは明らかにこれが極秘の文書であることを示していた。
イルムハートは無言でその手紙を読む。
そして、読み終えた後で大きくひとつ溜息をついた。
「これは……予想以上に面倒な状況になってるみたいだ。」
ビンスの手紙に書かれていたのは、かなり衝撃的な内容だった。それはある意味貴族社会の暗部を表していると言っても良い、そんな内容なのである。
「それにしても、こんな情報を僕に教えて大丈夫なんだろうか?」
ふと、イルムハートは不安になる。
どう見てもこれは一般人に公開して良いような内容では無かった。もしこの事が明るみになればニーゼック伯爵家が受けるダメージも相当なものになるだろう。
そんな情報をいち冒険者でしかない自分に明かしてしまうビンスの行動が理解出来なかったのだ。
尤もこれには理由があり、過去の”龍族の祠”事件や”再創教団”に関する行動が評価されたことによってイルムハートの情報アクセス・レベルが引き上げられたのである。
まあ、情報を与えることで王国にとってより有益な働きをしてくれるだろうという目論見があってのことなのだが、当のイルムハート本人はそれを知らない。
ただ、何やら厄介なことに巻き込まれそうな、そんな嫌な予感だけはハッキリと感じ取っていたイルムハートだった。