神気と神獣 Ⅰ
魔法の試し打ちをするのに必要だった、ドラン大山脈への転移ゲートは開通した。
初めは少々想定外の出来事があったものの、その後イルムハートはほぼ毎週のように通っていた。
いったんゲートが開通してしまえば、最初の頃のように時間を作るための苦労は必要ない。ゲートによって瞬時の移動が出来る今、ほんの1~2時間ひとりになれる時間があれば十分だからだ。
休息日の午後、城内を散歩するふりをすれば、それくらいの時間はいくらでも作ることが出来たのだった。
そんな風に通い始めてひと月程過ぎたある日、その日もイルムハートはドラン大山脈を訪れていた。
今日はどんな魔法を試してみようかといろいろ考えながら転移してきたイルムハートだったが、ゲートを抜けた途端、思考は停止し呆然とその場に立ち尽くすこととなった。
「・・・神殿?いつの間に?」
彼は目の前にそびえ立つ崖を見つめながら驚きの声を漏らした。
そう、この開けた土地を見下ろすかのように立っているその壁は、ついこの間まではただの切り立った崖だった。
なのに、今はその大地と接する部分に石造りの神殿のようものが建っているのだ。
建っているという言い方は正確ではないかもしれない。
それは、石を組み上げた建物ではなく、壁を削り出して造られたものだった。
高さはそれほどでもなく、3階建てのビル程度だろうか?
横幅も同じくらいで、大きな扉を挟んで左右に3本ずつの円柱が屋根を支えるかのように造られている。
扉や屋根の部分に幾何学模様のレリーフが刻まれているだけで、他はそれほど華美な装飾はされていなかった。
誰が何のためにこんな場所に神殿(らしきもの)を造ったのか?というのも謎ではあったが、最大の疑問はいつ造られたのか?という事だった。
先週までは確かに無かった。
ならば、この数日で造られたことになるが、これほどの物をそんな短期間で作成出来るだろうか?
いくら装飾は簡素であったとしても、建物自体は細密にして荘厳に造られている。とてもやっつけ仕事で造られるような代物ではない。
「地魔法を使えば出来ないことはないかもしれないけど・・・。」
地魔法は土や岩などを自在に操る魔法だ
熟練した地魔法の使い手であれば、短期間でこれほどの物を造り上げることも可能なのかもしれない。
だが・・・魔法がからんでいる可能性を考えた時、イルムハートの脳裏にはもうひとつ別の魔法の名が浮かんでいた。
「・・・隠蔽魔法。」
隠蔽魔法とはその名の通り、他人に見つからぬように覆い隠してしまう魔法だが、その対象は人や物ではない。魔力の存在や魔法の発動を探知不可能にする魔法だった。
つまりイルムハートは、幻影魔法で周囲の岩壁と同化させ神殿を隠し、さらに隠蔽魔法でその幻影魔法が発動していること自体をも隠していたのではないか?と、そう考えたのだ。
その理由は、まさに ”魔力を感じない” からだった。
魔法の使用に際しては、上手く魔法に変換されずに放出されてしまった余分な魔力が漂っていたり、魔法を受けた物体がその一部を吸収し内部に取り込んだ残留魔力が残っていたりと、必ず痕跡が残る。
もちろんいつまでも残っているわけではないが、これ程の大作業を行えるだけの魔法を行使すれば、数日は消えないはずだった。
なのに何も感じ取れないとうことは、ここ数日の間に地魔法を使いこの神殿を造った可能性は極めて低いという事になる。
「これは・・・マズいかもしれない。」
イルムハートは一気に警戒感を強めた。
隠蔽魔法とて完璧ではない。術者の力量が劣る場合は見破られることもある。
逆に言えば、イルムハートが見抜けなかった程の隠蔽魔法を使うこの術者は、彼より数段格上の相手だという事だ。
そして今、隠蔽魔法が解かれているという事は、それを行った術者がまだ近くにいるかもしれないという事でもある。
彼我の魔法能力差を考えれば、状況としてはそう楽観視もしていられない状態だった。
とりあえず、様子見のためいったんこの場を離れようと考えたその時、突然、神殿が金色の光を発し始めた。そして、大きな扉がゆっくりと開いてゆくと共に、凄まじい魔力が流れ出して来る。
その強烈にして濃密な魔力は、イルムハートを包み込んで彼の身体の自由を奪ってゆく。
要するに、身がすくんでしまったのだ。
全身が粟立つような感覚を覚えながら、イルムハートはこの世界に来て初めて恐怖と、そして命の危険を感じたのだった。
(狼?)
大きく開かれた扉から出てきたのは、銀色の毛並みをした狼のような生き物だった。但し、その体躯は牛ほどの大きさがある。
この凄まじい魔力が彼から発せられていることを考えれば、普通の狼でないことは明白だった。
(魔物・・・しかも、僕より遥かに強い。)
イルムハートは、全ての力を出し切ったとしても、その狼の魔獣には到底敵わないであろうと感じていた。これだけの魔力を持った相手では、逃げ切ることさえ至難の業であろう。
(まあ、なるようにしかならないか。)
最早、イルムハートには開き直る事しか出来なかったが、そのせいで逆に肝が座った。
とは言え、不意に頭の中に声が響いてきたときは、さすがに驚きのあまり一瞬、硬直してしまったのだが。
『お前が我を目覚めさせたという事か。』
その ”声” は、言葉が浮かんでくると言った感じではなく、骨伝導のように直接頭の中に響いてくるものだった。
おそらく、風魔法の応用術であろうとイルムハートは考えた。
「目覚めさせた?魔法の練習でご迷惑をお掛けしたということでしょうか?であれば、謝罪いたします。」
テレパシーのようなものではなさそうなので、返答は声に出して行う。
ここで上位魔法をバンバン使ったため、その騒音で眠りを妨げたのだろうと思ったのだ。
だが、それは見当違いのようだった。
『そのようなもの、我は気にせぬ。我が知りたいのは、お前が何者かということだ。』
「僕の名はイルムハート・アードレー・フォルタナ。バーハイム王国、フォルタナ辺境伯の息子です。」
イルムハートは問われるままにそう名乗ったが、どうやらそれも狼の魔獣が求める答えではなかったらしい。
『ほう、貴族の血筋か。だが、人の子よ、我が問うているのはそのような現世の名ではない。人でありながら神気を纏う、お前の正体が知りたいのだ。』
「・・・シンキ?」
『神気とは、神の力を宿したものが纏う気のこと。それは普通の人間が持ち得るものではない。その神気を纏うお前は一体何者なのか?我はそれを問うているのだ。』
狼の魔獣の言葉に、イルムハートの顔が険しくなる。
神気の話は、おそらく神から授かった加護に係わるものなのだろう。
そして、それを見抜くということは、目の前にいるのがただの魔獣ではないということだ。
今のところ相手に敵意は無さそうに見えるが、油断は出来ない。
イルムハートの脳裏には、”邪神” という言葉が浮かんでいた。
「申し訳ありませんが、その問いにはお答えしかねます。何処の何者かも分からぬ相手に、お話するわけにはいきません。」
相手を怒らせる可能性もあったが、その意図が分からぬ以上ヘタに情報を与える事は出来なかった。
そんなイルムハートに対し、狼の魔獣は少しだけ微笑んだ・・・ような気がした。
表情からは判らなかったが、威圧するかのように取り巻いていた魔力が少し和らいだように感じたのだ。
『成程、お前のいう事も尤もだ。我は天狼、世の者達は我を神獣と呼んでいるようだが。』
「神獣!?」
これにはイルムハートも驚きを隠せなかった。
神獣とは、この世界を守るため神より遣わされたといわれる3体の獣のことである。
天空の支配者・神龍、人界の庇護者・鳳凰、そして大地の守護者・天狼。
世界が闇に包まれた時、神獣はその姿を現し邪を打ち払うと言われている。
歴史書の中にもその存在は記述されてはいるのだが、今では半ば架空の存在となっていた。
まさか、その神獣の1体と遭遇することになるとは・・・。
イルムハートは天狼の言葉を疑うつもりはなかった。
強大な魔力を持っていることの説明もつくし、そもそもイルムハートを騙す必要があるとも思えないからだ。
もし、イルムハートから何らかの情報を得ようとするのであれば、嘘などつかずとも実力で引き出すことが可能だろう。
それだけの力の差があることは認めざるを得なかった。
「これは失礼いたしました。まさか天狼様とは存じませんで・・・どうかご無礼をお許し下さい。」
『気にせずとも良い。それでイルムハートとやら、これで神気の理由を説明してもらえるのかな?』
イルムハートは、どこまでを話すべきか考えた。
確かに、相手が神獣であろうことに疑いを挟むつもりはない。だが、全てを明かして良いかどうかは別の話だ。
イルムハートには自分が異世界からの転生者という、ある意味この世界においての異分子であるという自覚があった。
それを天狼がどう判断するか・・・。世界の秩序のために排除すべきと、そう考えないとも限らない。
結局、彼は元異世界人という部分だけを除いて天狼に話すことにした。
死後、神の領域を訪れた事、そこで神により転生させてもらった事、そしてその際に加護を授けられた事。
「・・・という記憶が、僕にはあるのです。ただ、それが本当の事なのか、それともただの夢だったのかはっきりとは分からないのですけれど。」
嘘はついていないが意図的に隠している部分もある。詳細を聞かれてボロが出ては困るので、そこは夢オチの要素を入れて誤魔化しの効くよう曖昧にしておいた。
天狼は、イルムハートの言葉を吟味するかのように暫く無言のままだったが、やがてゆっくりと口を開く。
『そうであったか。お前が纏うその神気は、神の加護によるものだったのだな。』
どうやら納得してもらえたらしい。
その天狼の反応に、イルムハートは内心ホッと胸を撫でおろした。
『しかし、神自ら転生の手助けをした上、加護まで授けるとは・・・お前は、何らかの使命を持ってこの世に生まれてきたのかもしれんな。』
話が一段落着き、安堵で気を抜いていたイルムハートに対し、天狼はそんな言葉を投げかけてきた。
「へ?」
不意を突かれたイルムハートは、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
『普通であれば、生命の流転は単に世の理に則り淡々と行われるだけだ。なのに、そこへわざわざ神が拘ってこられるからには、それなりの意図があると考えるのが当然ではないか。』
確かに、普通に考えればそうなるかもしれない。
まさか、身内の不始末に対する埋め合わせなどどは考えもつかないであろう。
「いえ、そんなことはないと思います。僕にはその記憶は無いのですが、何でもかなり不幸な出来事で命を落としたらしく・・・それを哀れに思われての事だと言っておられました。」
『それだけで神自ら動かれるとも思えんが・・・まあ、今はまだそれで良いのかもしれん。いずれ、お前も自らに与えられた使命に気づく時が来るであろう。』
(・・・いや、それは勘弁してください。)
最高神からは使命がどうとか、そんな話は聞いていない。
ただ単純に、不幸にして終わってしまった人生をもう一度やり直すチャンスをもらっただけのはずだ。
(ですよね?最高神様。)
そう思いながら最高神の顔を思い浮かべたイルムハートだったが・・・むしろ、却って不安になってしまった。
そんなイルムハートに、天狼はさらなる追い打ちを掛けてくる。
『なかなかに強い力を持っているようだ。もしかすると、この世界の王となるために生まれてきたのかもしれんな。』
「はいっ?」
どうにも先程から不意を突かれっぱなしで、間抜けな返答しかできないイルムハートだった。
『いつまでたっても身内の小競り合いを繰り返す者たちに業を煮やした神が、世を治むるためにお前を遣わしたのかもしれん。下らぬ治世者など薙ぎ倒して、この世の真の王となるためにな。』
「いやいやいや、世界の王って・・・何ですかそれ?どうしてそうなるんですか?そんなつもりはありませんよ!第一、この世界の守護者である貴方がそんな物騒な事言っちゃダメでしょう?」
慌てたせいで素の口調になってしまったが、天狼は気にする様子もない。
『神の意志とあれば是非もなかろう。神龍辺りが口を挟んでくるやもしれんが、その時は我に任せればよい。彼奴如き、軽く捻じ伏せてくれようぞ。』
冗談なのか本気なのか、どこか楽しそうにそう語る天狼に、イルムハートは頭を抱えるしかなかった。
(なんか、誰かを思い出すな・・・。もしかすると、天狼をこの世界に遣わしたのは、あの人なのかも。)
悪戯っ子のような笑みを浮かべた某神様の顔が天狼の顔と重なる。
「無茶言わないでくださいよ・・・。」
イルムハートは、ひどく疲れを感じさせる天狼との会話にうんざりしてそう呟いた。
出来ればさっさとお引き取り願いたいところではあったが、その前にひとつだけ、どうしても確認しておかねばならないことがある。
「ところで天狼様、ひとつお伺いしたいことが・・・。」
イルムハートが尋ねようとすると、天狼は途中でその言葉を遮って言った。
『様付けはいらぬ。それと、その畏まった物言いも不要だ。』
「いえ、そのような失礼なまねをするわけには・・・。」
『構わぬ。同じく神により遣わされた者同士、貴賤の差などあるまい。そうであろう。』
言動には問題がありそうでも、いちおうは神獣である。それなりに気位も高いだろうと思っていたが、割とフランクな性格のようだった。
神に遣わされた者同士という部分は、ヘタに言い返せばまた何を言い出すか分からないので意図的にスルーした。
「はあ、ではそうさせて頂き・・・もらいます。」
『うむ。それで?我に尋ねたいこととは何だ?』
「はい、人の世に伝わる話では、神獣はこの世界が闇に覆われた時に姿を現して邪を払うとされてます。今、貴方がこうして姿を現したと言うことは、もしかしてこの世界に何らかの危機が迫ってるという事なんですか?」
そう、伝承の通りであれば神獣が姿を現したと言う事の意味は重い。
この世界に何か良くない事が起こりつつある、そう判断せざるを得ない出来事なのだ。
だが・・・。
『いや、それはない。』
天狼はあっさりとそう答えた。
「え?」
『確かに、この世界を守護すべく我らは遣わされた。だからと言って、それ以外は何もせぬと言うわけでもないぞ。
ずっと寝ていてばかりではつまらんのでな、我は時々こうして目を覚ますと人の世を見て回っておる。見ていて中々に面白く、良い退屈しのぎになるのでな。』
どうやら、時々目を覚ましてはヒマ潰しに世の中を見物して回っているようである。
伝承してきた者たちも、まさかそんな事をしてるとは思わないだろうし、神獣の出現イコール世界の危機として伝わってしまっても、それは仕方のない事なのかもしれない。
『まあ、今回はお前の神気につられて目覚めはしたが、どのみちそろそろ退屈してきたところだ。久しぶりに物見遊山にでも出るとするかな。』
(物見遊山って・・・自分で言っちゃうんだ。)
確かに、世界が平穏であれば彼らの出番は無い。
その際に何をしようと勝手ではあるのだが・・・どこか釈然としないイルムハートだった。
「他の神獣もそうなんですか?」
『いや、こうやって外に出るのは我だけだ。鳳凰などは元々横着者なので、ずっと眠ったまま出てこようとはせん。
以前、古の魔物が復活しこの世が滅亡の危機に瀕した時も、面倒だからと言って中々出てこなかったくらいだ。』
「・・・。」
あんまりな暴露話にイルムハートは言葉もない。
『神龍は、これがまた変わり者でな。我らのように社で眠るのではなく、龍族の血脈の中で眠っておる。神獣としての記憶と力は眠らせたままで、普通の龍族としての生を送っておるのだ。
あんな辺鄙なところで暮らして、何が楽しいのか知らんがな。』
「はあ、そうなんですか・・・。」
『まあ、彼奴がどうしようと知った事ではないのだが、ひとつ困った事があってな。
龍族として仮の生を送っているせいか、どうも龍族への肩入れが過ぎる向きがある。見形が似ているだけで、本来、神龍と龍族は全く別の存在であるのだが、まるで身内のように扱うのだ。
おかげで龍族は自らを選ばれた種族と勘違いし、他種族を見下すようになってしまった。
連中の傲慢さは中々に鼻に付く。いずれ、その思い上がりを正してやらねばならんな。』
過去に何か不快な事でもあったのだろうか。天狼は口元から牙を覗かせながらそう言い捨てた。
(身内贔屓に引き籠り、そして破天荒か・・・大丈夫なの?この世界?)
天狼はかなりの毒舌家のようなので多少割り引いて話を聞く必要はあるだろうが、それでもかなり癖のあるキャラクター揃いである。
聞く限りにおいては(約1体を除き)いちおうこの世界を守護するという役目を果たしているようだが、その関係性にはいろいろとやっかいな部分がありそうだ。
いざという時、どう考えても馬が合いそうもないこの3体に最後の希望を託さねばならないこの世界の住人たちに対し、イルムハートは同情の念を禁じ得なかった。