新しい町と仕掛けられた罠
イルムハートがクロスト伯爵の屋敷を訪れてから十日ほど経ったある日、彼は伯爵と共に馬車で王都を発った。
ロランタン公爵と会見するため、である。
目的地は王都から北東にある街リネルア。
実を言うとリネルアは僅か2年ほど前に新しく造られた町だった。
ここ数年、王都を擁するアルテナ直轄領内では魔力分布の変動がいくつかの地域で発生し、そこでは魔獣の生息域と人の生活圏に変化が生じていた。
人の住む町近くに魔獣が出没するようになったケースもあれば、逆に今まで危険とされていた土地から魔獣が消え居住可能になった場所もある。
その後者の土地にリネルアは造られたのだ。
勿論、この僅かな期間で町が自然に形成されるわけもなく、リネルアは王国主導で開発された街だった。
それにはせっかく出来た安全な土地を有効活用しようと言う目論見もあるが、前述の魔力分布変動によりいずれ人が住めなくなってしまう町から人々を移住させるための受け皿としての意味もある。
そのためリネルアはそれなりの大きな町になる”予定”となっていた。
そう、それはあくまでも予定であり、実はまだ完成していない。今は半分ほどが出来上がった状態で残りは鋭意開発中といった状態だった。
まあ、計画から2年程しか経っていないのだからそれも仕方あるまい。むしろ、半分も出来上がってることを驚くべきであり、いかに王国が力を入れているかそこからも分かるというものだろう。
開発中であるリネルアの町には、当然ながら”住民”は少ない。
今のところそこで暮らす人々の大半は建築に関わる者達と、彼等の懐を狙う商売人達である。
町中には飲食のための店は当然ながら他にも賭博場や娼館などが軒を連ね、良く言えば活気のある、悪く言えば雑然とした状態にあるのが現在のリネルアという町だった。
常識的に考えれば今のリネルアは、決して高貴な身分の人間が住むような町ではないだろう。まだまだ荒くれ者が闊歩する、治安が良いとはとても言えない場所なのだ。
しかし、身を隠すにはむしろ最適なのかもしれない。特に多くの護衛を従えている場合は。
これが普通の町ならば、どんなに身を隠そうと努力しようともその護衛団の異様さから疑念を買い、いずれば身元すらバレてしまう可能性がある。
だが、リネルアならその心配も無かった。
賭博や娼館などトラブルがつきものの商売を行う者は当然用心棒を雇っているし、手広くやっていればそれだけ用心棒の数も多い。そんな中に紛れ込んでしまえば護衛達も悪目立ちせずに済むわけだ。
それに加え、彼等は決して他者の素性を詮索したりなどしない。
そこで”商売”をしているのは必ずしも”カタギ”だけとは限らないからだ。下手に犯罪組織とモメでもしたら命すら危うい。
なので、”商売”の邪魔さえしなければ互いに不干渉というのがそこのルールだった。
そんなリネルアまでは馬車で2日ほど。往復すれば最低でも4日の行程だ。
当然、その間イルムハートは学院を休むことになる。
事情を聞いた保護者役のアメリアはあっさり認めてくれた。しかし問題は仲間達、特にセシリアだった。
自分も付いて行く。そう言い出すのではないかと心配していたものの、これが意外にも素直に留守番を受け入れた。
実を言えばかなり不満そうではあったのだが、会いに行く相手が公爵であると聞いてさすがに同行を諦めたのである。
公爵。それは政治的な地位はともかく、身分で言えば王家に次ぐ最上位の存在だ。
そんな相手のもとへ呼ばれてもいないのに押し掛ける程、セシリアも無謀ではないということだろう。
それはジェイク達も同じだった。
普段は怖いもの知らずの彼等も、”公爵”という言葉にはさすがに気後れした様子を見せた。
まあ、厳しい身分制度の下で生まれ育った彼等からしてみればそれも無理ないことではある。彼等にとって公爵とは側に近寄る事すら畏れ多い存在なのだから。
尤も、政治的な意味合いも含めれば公爵と同等とも言える辺境伯の、その息子相手にはいつも好き勝手なことばかり言っている彼等ではあるのだが。
「大丈夫、クロスト伯爵との間の誤解も解けたんだし、危険なことなんて無いよ。」
心配する仲間達に向かいイルムハートはそう言いながら笑って見せた。
内心に多少の罪悪感を抱きながら。
王都を発った馬車は、先ず東へと向かった。リネルアは王都の北東にあるにも拘わらずだ。
しかも途中で方向を変えること無く、馬車はそのまま真っ直ぐ東へと進む。
やがて一日が終わり、一行は途中の町で宿を取った。
その翌早朝、クロスト伯爵家の紋章を付けた馬車は護衛の騎馬と共に町を出て更に東へ向かう。
するとそれから少し時間を置いて、もう一台の馬車が今度は西の王都方面へ向け町を出た。
だが、その馬車は王都へは向かうことなく途中で進路を北へと変える。リネルアを目指して。
そう、イルムハート達は町で馬車を乗り換えたのだった。一行の目的地を悟られぬようクロスト伯爵家の馬車を囮にしたのである。
予めその町に待機させておいた替えの護衛達には冒険者風のなりをさせてあるため、傍目からは商人辺りが乗る馬車のように見えるだろう。
その細工のせいで、結局その日はリネルアまで辿り着くことは出来ず、一行は途中でまた一泊することになった。
今度は身分を隠しての宿取りであったため伯爵にとっては決してその身に相応しい宿ではなかったものの、まあその辺りは覚悟の上なのだろう。
そして翌日。王都を発ち3日目の午後、イルムハート達はようやくリネルアの町へと到着したのだった。
リネルアへ到着したイルムハート一行は町の南門から中へと入った。
但し、”門”と言っても扉があるわけではなく、閉じる際には木の柵を持ってきて塞ぐ程度のものである。
また町の守りも空堀と簡素な石壁のみで、お世辞にも堅牢とは言えなかった。
まだ建設途中だからなのか、或はそれだけ安全な土地と言うことなのか。
まあその辺りは今後の様子を見て改善されていくのかもしれない。
新しいだけあって、リネルアの町並みは綺麗に整備されていた。道行く人々の数も意外と多い。
だた、その中に子供や老人の姿は無かった。皆、働き盛りの若い男女ばかりだ。
リネルアは新しく出来た町だけに移り住んで来た者達の生活基盤がまだ弱い。仕事口も含め、正直この町でやっていけるかどうかの保障など無い状態なのだ。
そんなところへ幼い子供や年老いた親を連れて来るわけにもいかないのだろう。
いずれ経済も含めリネルアが町として完成したあかつきには自ずと町の様相も変わってゆくに違いない。
そんなリネルアの表通りをしばらく進むと、辺りの風景が徐々に変わっていった。建築途中の建物が増え出したのだ。
どうやら開発中の区画へ入ったようである。
そこは今通って来た場所とは別の活気に包まれていた。人足や職人が忙しく動き回り、あちらこちらで荒々しい声が飛び交っている。
先の方にはまだ何も無いただ広いだけの土地も見えた。これから増設される予定の区画なのだろう。
馬車はそこまでは行かず、途中で右へと方向を変える。
そしてそのまま真っ直ぐ町の外周近くまで進むと、そこには大きな屋敷がいくつか互いに距離を置きながら建っていた。この町で”商売”をしている元締め達の屋敷である。
馬車はその内のひとつの屋敷へと入ってゆく。
門番を含め、その敷地には数名の明らかに腕の立ちそうな連中の姿が見受けられた。
そんな中、馬車は屋敷の玄関前へと着く。
「長旅、お疲れ様でございました。」
玄関ではひとりの男性が馬車を降りたイルムハート達を迎えた。
彼の姿恰好は執事のそれだったが、その気配からして明らかに只者ではないことが分かる。
「どうぞこちらへ。」
男性はイルムハート達を屋敷の中のとある部屋へと連れてゆくと
「クロスト伯爵ラザール様とイルムハート・アードレー様がおいでになられました。」
そう言って部屋の主へと声を掛ける。
「入ってもらって下さい。」
部屋の中からはそう答えが返って来た。その声はまだ若く、ロランタン公爵のものではなかった。
中からの声に応じる様に男性はドアを開けイルムハート達を招き入れる。
そしてイルムハート達が部屋に入ると……やはりそこにロランタン公爵の姿は無い。
そこにいたのは全くの別の人物、先ほどの声の主であるビンス・オトール・メルメットただひとりだけだった。
イルムハートとロランタン公爵との会見。
それが今回の目的と言うことになっていたが、実を言うとそれは嘘である。ここリネルアに公爵はいない。
では何故イルムハート達がこの町を訪れたかと言えば、それは罠を仕掛けるためだった。”奴等”に対して。
王国騎士団が事態の打開に動き出したことで融和派・強硬派の対立は否応なしに沈静化してゆくものと思われる。
この流れは”奴等”にとって都合が悪いはずだった。今までの裏工作が無駄になってしまうからだ。
そんな時、ロランタン公爵がイルムハートと会見するために姿を現すという情報が流れればどうなるか?
”奴等”としてはそれに飛びつくはずだ。と言うか、飛びつかざるを得ないだろう。ここで公爵を害することによって、後戻りできない最悪の状況を作り出すために。
つまり、イルムハートとラザールはそのための囮としてこの町を訪れたのである。
過日、ビンスがイルムハートの元を訪れたのは、この件に対して彼からラザールに協力を要請してもらうためであった。
王国側、つまりラザールから見れば融和派側とも言えるビンスが直接話をしても理解を得るのは難しいだろう。自分達に不利な話なのではないかと疑いを持たれる可能性もあるからだ。
しかし、どちらの勢力にも属していないイルムハートが相手なら余計な猜疑心を捨てて話を聞いてくれるかもしれない。そうビンスは考えたのである。
そして彼の思惑通り無事ラザールの協力を取り付け、今ここに”奴等”をおびき寄せるための罠が出来上がったのだった。
「遠い処わざわざご足労頂き、誠に有難うございます。」
ビンスはそう言ってイルムハートとラザールを迎え入れた。
「君は確か……。」
すると、そんなビンスを見てラザールはふと何か思い当たったかのように口を開きかけた。
しかし、ビンスはラザールの言葉を遮るかのように名乗りを始める。
「私は王立情報院第3局で捜査官を務めさせて頂いておりますカイル・マクマーンと申します。以後、宜しくお見知りおき下さい。」
一見不敬な行為の様にも思えるが、これには少々事情があった。実はビンスとラザールには面識があったのだ。親しいといったほどではないが、何度か言葉を交わしたこともある。
なのでラザールは、ビンスが平民上がりの官吏などではなく男爵家当主であることも当然知っていた。
そのためにビンスは、自分の正体がイルムハートにバレないようラザールの機先を制して名乗りを上げたのだった。
イルムハートの前では出来るだけ貴族であることを隠しておきたいとビンスは考えていた。何故なら、平民であるが故に得ることの出来る信頼というものもあるからだ。
特にイルムハートの場合、貴族より平民相手の方がより警戒心を解き心を開きやすい傾向にある。ビンスはそう分析していたのだ。
まあ、結果としてイルムハートを騙すことになってはいるし、それについて後ろめたい気持ちもある。
しかし、私情よりも任務の円滑な遂行を何よりも優先する。それが情報院第3局の捜査官であるビンス・オトール・メルメットと言う人間なのだった。
そんなビンスの様子からラザールも何かを察したのだろう。結局、ビンスの正体について口にすることはなかった。
その後、皆でソファに腰を下ろすと早速ラザールが口を開く。
「それで、イルムハート君からおおまかな話は聞いたが、今一度確認させてもらいたい。
我々と融和派を対立させようと企んでいる者が他にいるというのは確かなのかね?」
「はい、それは間違いありません。」
ラザールの問いにビンスは自信を持ってそう言い切った。
「実を申しますと例の”噂”が流れ始めてからとういもの、我々情報院は融和派・強硬派両陣営の主だった方々について失礼ながらその動向を監視させて頂いておりました。
その限りにおいて、何者かが実力行使に出たといった動きは全く見受けられないのです。」
「情報院が見落とした可能性もあるのではないか?」
「それについては否定いたしません。
ですが、そういった行動そのものを見落としたとしても、その後の周囲の方々の反応を見れば”何か”が起きたであろうことは察知出来ます。
しかし、それすらないのです。」
第3局のことだ。おそらく融和派・強硬派のどちらにも内通者を持っているに違いない。
その上で何の動きも掴めなかったと言うことは、少なくとも組織的な動きは一切無かったと断言出来るだろう。
「個人が内密で行ったのかもしれんぞ?」
「少人数で動くのならそれも可能かもしれませんが、ロランタン公爵閣下が襲われた時の様に多くの人数、しかも魔族まで動かすとなれば、それを個人で内密に行うのはいささか無理があると言うものでしょう。」
その言葉を聞いてラザールは少しだけ顔をしかめた。隠していたはずの公爵襲撃の件が実は筒抜けであったことを知らされたからだ。
相手が情報院第3局ではそれも仕方ないことなのかもしれないが、それでも忸怩たる思いはあった。
「成程、解かった。君がそこまで言うのなら、おそらく間違いないのだろう。」
元よりラザールとてビンスの言葉を疑っていたわけではない。裏で何者が糸を引いているという説については早い段階でそれを受け入れていた。まあ、信じたといよりは信じたかったのかもしれないが。
「そこで、その何者かを誘き出すために私とイルムハート君をここへ連れて来たわけだな。」
「御二方には大変申し訳ないと思っておりますが、何卒ご理解のほどをお願いいたします。」
「それは良い。私も事態を解決するためには協力を惜しまないつもりでいる。
但し、イルムハート君まで危険な目に会わせるわけにはいかない。
その辺りは大丈夫なのだろうね?」
どうやらラザールは自分自身はさておき、イルムハートのことを心配してくれているようだった。
実のところ、今この町にいる人間の中でおそらくイルムハートが最も”心配”など無用の存在ではあるのだが、生憎とラザールはそれを知らない。
それなりに腕が立つことは知っていたが、彼の認識としてはあくまでも”それなりに”である。まさか目の前の15かそこらの少年が実はバケモノじみた力を持っているなど、そんなことは想像すらしていないのだろう。
そんなラザールの言葉にイルムハートとビンスは内心苦笑しながらも、彼の侠気を好ましく思うのだった。
「その点はご安心下さい。
既にこの区画の民間人には全て避難してもらっておりまして、今いるのは皆王国軍の兵士たちなのです。」
「ここへ来る途中に見かけた者達も、実は兵士だったのか?」
「はい、そうです。
しかも、それに加え王国騎士団と王国魔法士団からの増援も各所に手配してあります。
御二方の身の安全につきましては全力でこれをお護り致しますので、どうかご安心ください。」
「まさか騎士団に魔法士団までとは……。」
ビンスの言葉を聞いてラザールは思わず絶句した。
まあ、無理も無い。規模はともかく、その陣容だけ見れば戦争すら起こせるだけの戦力なのだ。
だが、逆に考えればそこまでしなくてはならない相手だと言うことでもある。
「それほどの相手だと言うのかね、敵は?」
「はい、その通りです。」
ラザールの問い掛けにビンスの表情が思わず引き締まる。
そして、彼は彼なりの思いを内に秘めながら淡々と、それでいて強い決意すら感じさせる口調でこう答えたのだった。
「と同時に、そこまでしてでも叩き潰さねばならない相手でもあるのです。”再創教団”という敵は。」