対魔族融和派と強硬派
翌日の午後、イルムハートとパストルを乗せた馬車は一路クロスト伯爵邸へと向かっていた。
勿論、不意を狙った訪問などではない。今朝、先ずは使者を送ってあった。
これは最低限の礼儀でもあるし、何より目的の人物が留守では意味がないのでそれを確認するためである。
それに対し、伯爵側からは歓迎するとの返事が来た。どう言った意味での”歓迎”かは、まああまり深く考えない方がいいのかもしれない。
セシリア達は既に午前の内に馬車で各自自宅へと送り届けてある。
去り際には相変わらず心配そうな表情を浮かべていたが
「大丈夫、無茶はしないよ。
それにパストルさんも口添えしてくれるって言うから心配ないさ。」
イルムハートはそう言って笑顔で彼等を送り出したのだった。
実のところ、イルムハートも口で言うほど楽観視しているわけではない。
今はパストルもイルムハートの言葉を信じてくれているので、普通に考えれば会談が不首尾に終わる可能性は低いだろう。
だが、油断は出来なかった。
”敵”がどんな細工をしてくるか分からないのだ。十分に用心する必要がある。イルムハートは改めて身を引き締めた。
クロスト伯爵邸は上級貴族街の外れ、下級貴族・富裕層街との境目の辺りにあった。
同じ”伯爵家”でもそれぞれ家格と言うものがある。
長い歴史を持ち常に重職の地位が約束されている家もあれば、新参で序列的には下級貴族と大差ない家もあるのだ。
クロスト伯爵家の場合は後者だった。
そのため屋敷は王城から遠く、敷地も他家と比べるとそれほど広くはない。門からでも屋敷の建物が見える程だ。
約束を入れているせいもあり、馬車に装飾されたアードレー家の紋章を見た門番は特に咎めることもなく通してくれた。
彼等の気配からは、緊張こそしているが敵意のようなものは感じられなかった。
(これは案外スムーズに話が進むかもしれない。)
内心そう考えるイルムハートだったが、どうやら安心するにはまだ早過ぎたようである。
屋敷へと近付くにつれ、凄まじい殺気が馬車の周りに溢れ始めたのだ。馬車の窓から外を見ると、そこには”シェイド”の面々と思われる数人が待ち構えていた。
「これは……想像以上に嫌われているみたいですね、僕は。」
「おそらく俺の身を案じてのことだろう。
まず、俺が先に降りる。そうすれば連中も安心するだろうからな。」
パストルの言うことも尤もではあるが、それにして殺意が強すぎるように感じられた。
「それではお願いします。
ただ、敵が何か仕掛けている可能性もありますので辺りには十分気を配ってください。」
「分かった。注意しよう。」
ほどなくして馬車は正面玄関前へと着いた。そして、伯爵家の執事がうやうやしく馬車のドアを開けると、言葉通りパストルが先に降りる。
「パストル!?生きていたのか!?」
すると、待ち構えていた面々から驚きと喜びの混じった声が上がった。
確かにパストルの言う通り、彼の身を案じていたようではある。
だが彼等が口にした言葉、「生きていたのか!?」にはどこか違和感があった。
まあ命を狙った相手に逆に捕らえられたとなれば、その生死を案ずるのも当然ではあるだろう。
しかし、それにしては驚きが強すぎる様にも感じられた。そこには既に死が確定していたはずの人間が実は生きていた、そんな感じの響きがあったのだ。
「どうした?何かあったのか?」
パストルも同じことを感じたらしく、僅かに緊張した面持ちで周囲を見渡す。
「そう言えばドナート、ドナート達はどこだ?」
ドナートとは、おそらく一緒にイルムハートを襲撃して来た仲間の名なのだろう。だが、出迎えた面々の中にその顔が無い。そのことにパストルは気付いた。
そして、そう問い掛けたパストルは全く思ってもみなかった答えを受け取ることになる。
「ドナートは……殺された。」
「何だと!?」
「ドナートだけじゃない、襲撃に参加したメンバーは全員殺された。」
答えた男はそう言ってから憎しみのこもった目でイルムハートの乗る馬車を睨み付けた。
「そんな、まさか……。」
「本当だ。皆、返り討ちに遭って殺されたんだ。ひとり残らず首を落とされてな。
死体こそ見つからなかったが、てっきりお前もかと……。」
そこでパストルはハッとする。仲間を殺したのはイルムハートだと、男がそう考えていることに気が付いたのだ。
「ちょっと待て、彼を疑っているようだがそれは違う。
確かに襲撃は失敗し、命を狙った俺達は殺されても仕方ない状況ではあった。
だが、彼は見逃してくれたんだ。誰の命も奪ったりはしていない。」
「本当か?じゃあ、皆は誰に殺されたと言うのだ?」
「そこまでは分からんが、裏で何か企んでいるヤツが確かにいる。
そいつがドナート達を殺し、彼の仲間を襲撃したんだ。俺達を憎しみ合わせるためにな。」
パストルは怒りに震える声でそう言った。
「何でそんなことを……。」
「それを確かめるために伯爵とお話ししに来たのです。」
続いて馬車から降りたイルムハートがそう応えると、男は一瞬びくりとし咄嗟に身構える。
「伯爵?伯爵が何か知っていると言うのか?」
「全ては解らないにしても何らかの情報は掴んでいるのではないかと思います。
そして、それは僕も同じです。
なので、互いに持つ情報をすり合わせればより真実に近付くことが出来るはずです。」
「……貴様の言葉、信じて良いのか?」
静かだが覚悟を秘めたイルムハートの言葉に、男は僅かだが警戒を解いたようだった。
「皆様、ご挨拶はこの辺でよろしいでしょうか?」
すると、今まで沈黙していた伯爵家の執事が唐突に口を開く。
彼はこの状況においても至極冷静な態度を崩していなかった。正に執事の鑑と言った感じだ。
「伯爵様がお待ちになっておられますので、続きはまた後程ということでお願い致します。」
ラザール・ペルシエ・クロスト伯爵。
歳はイルムハートの父ウイルバートより少し下なだけのはずなのに見た目はかなり若かった。30歳前後と言っても通用するほどである。
家系を辿れば先祖には長命種であるエルフの血も入っているらしいので、彼の若い見た目はそのせいなのかもしれない。まあ、肌はエルフほど白くはないが。
「お初にお目に掛かります。
私はイルムハート・アードレー・フォルタナと申します。
本日はお忙しい中、お時間を割いて頂き誠に有難うございました。」
「私がラザール・ペルシエ・クロストだ。」
イルムハートの言葉にラザールは軽く頷いて見せると、続けて
「そのように畏まる必要は無い。今日は忌憚なく話をしたいと思っているのでね。君もそのほうが良いだろう?
先ずは座りたまえ。」
そう言いながらイルムハートに腰掛けるよう促した。
「有難うございます。そう言って頂けると助かります。
それでは失礼します。」
ラザールは思ったより話の通じる人間のようである。とりあえずはひと安心と言ったところだろうか。
「先ず最初に、私は伯爵を襲ったりしてはいないということを申し上げておきます。
何やらいらぬ誤解を生んでしまっているようですが……。」
ソファに腰を下ろしたイルムハートは先ず今回の一件での誤解を解こうと口を開いた。
だが、その言葉をラザールは遮る。
「その様なことを言わなくとも、私は最初から君の仕業だなどとは考えていない。
失礼ながら君のことはいろいろと調べさせてもらった。
それらの集めた情報からして、君があのような蛮行を行う人間とは到底思えなかったのでね。端から偽装だとは気付いていたよ。
それに……”奴等”はやり過ぎた。」
そう言うとラザールは忌々し気に顔を歪めた。
「私を牽制するだけならまだしも護衛を殺した上、また”シェイド”の者達十数人もの命まで奪ったのだ。
これを個人による報復行為だなどと言われたところで、誰が信じるものか。
組織的な工作であることは疑う余地もない。」
「”奴等”とは一体何者なのですか?」
どうやらラザールには今回の黒幕に心当たりがあるようだった。
それを問い質すイルムハートに対し、ラザールはあまりにも意外過ぎる言葉を口にした。
「勿論、”融和派”の連中だ。」
対魔族融和派と強硬派。
これらは魔族に対する考え方の違いにより出来た派閥である。
まあ強硬派の中には魔族そのものを滅すべきと主張する者もいるがとりあえずそういった極端な連中はさておき、普通は彼等との交流の是非についてそれぞれ意見が異なる者達の集団を指す。
その中においてバーハイム王国は融和派の中心的存在だった。
とは言え、国論が融和一色で統一されているわけでもない。少数派ではあるがバーハイム王国にも魔族との交わりを危険視する者達はいる。目の前のクロスト伯爵もそのひとりだ。
確かに融和派と強硬派は水と油、決して仲が良いとは言えない。お互い相手を煙たい存在と認識していた。
だが、だからと言って相手に襲撃を仕掛けるような真似までするだろうか?
そんなイルムハートの疑問にラザールはその内情を語り始めた。
「融和派と強硬派のいずれも魔族との交流が王国の国益となるか否かをまず考えている。なので、本来なら無用な対立などする必要はないはずなのだ。
だが、中にはそれが王国だけでなく自らの利益につながる者達もいる。
そう言った連中は過激な言動に走りやすいのだよ。何しろ自分の懐具合に直接関係してくるわけだからね。
まあ、残念ながらこれは融和派と強硬派、どちらにも言えることなのだが。」
ラザールの言っていることは理解出来た。
元々、それぞれに国益を考えた結果として出した答えが”融和論”と”強硬論”のはずなので、どちらかが一方的に間違っているというわけでもない。
実際、王国政府の最高権力者である十侯の中にも強硬派に近い意見を持つ者もいた。
と言っても、その場合は行き過ぎた融和策にブレーキを掛けるための、所謂”小姑役”を敢えて務めてるだけなのだが。
とにかく、本来なら融和派と強硬派が過度に敵対する理由も必要も無いはずなのだ。
しかし、そこに個々の利益が絡んでくるとなると確かに状況は変わってくるだろう。己の権益を守るため、少々過激な行動に出る可能性もないではなかった。
まあ、圧力を掛けるくらいのことはしてもおかしくはない。
だが、命まで狙うとなれば話は別だ。
「だとしても意見が違うと言うだけで伯爵を襲撃するなど、あまりにも行動が極端過ぎませんか?」
「その通り、普通に考えれば常軌を逸しているとしか言えんし、今までならそんなことは絶対に起きなかった。
だが、強硬派の連中にそうさせてしまうような事件が起きてしまったのだ。」
「事件?」
「ネリオ・チザーノ・ブルゲリスの件だ。」
ネリオ・チザーノ・ブルゲリス。隣国の街ミナリオで亡くなった元学芸院理事のことである。
「先ず、君も関わった”龍族の祠事件”だ。
あの件において彼が裏工作を仕掛けていたと判明し強硬派の立場が厳しくなった。」
「そのチザーノという人も強硬派の一員だったのですか?」
「別に融和派も強硬派も結社として明確に組織されたものではない。個々人が己の考えに基づいて自然に集まった集団であって、必ずしもそこに属していなければならないというわけでもないのだ。
なのでチザーノがどうだったのかまでは分からないし面識もないのだが、どうやら魔族に対しては敵対的な意見を良く口にしていたそうだ。」
「なるほど。そこから反魔族主義者と判断され、強硬派が黒幕として疑われてしまったわけですね。」
「そう言うことだ。
だが、それはまだ良いのだ。疑念を持たれることにはなったが、かと言って確たる証拠があるわけでもないのでね。
決定的だったのはチザーノの死だ。
彼がメラレイゼ王国のミナリオで死んだことは知っているかね?」
「はい、冒険者ギルドの情報で知りました。」
「ならばミナリオが彼の国の反国王派にして魔族強硬派の拠点であることも聞いているだろう。
そのせいで我々が国外勢力と結託しているとの噂が立った。チザーノをメラレイゼの強硬派に匿ってもらっていたのだとね。
それが売国行為だとして融和派の過激分子を刺激してしまったのだ。」
確かに、例え国策に異を唱えたとしてもそれが国益になると信じての行為なのであればあからさまに非難されることはないだろう。
しかし、そこに国外の勢力が絡んでくるとなれば果たしてどうか?
それが本当に国を思ってのことなのかと疑いを持たれてしまう可能性はあるかもしれない。
「でもチザーノ氏のことは別として、そもそも他国の同じ考え方を持つ人々と繋がりを持つと言うのはそれほど悪いことなのでしょうか?
融和派の人たちはいろいろな国との交流もしていますよね?」
「それはあくまでも国策に沿っていればこそだよ。融和派の国家を増やすことは王国の利益にもなるからだ。
だが我々の場合、そうはいかない。
各国において強硬派の力が強まってしまえば王国の対外政策にも支障が出ることになるのだ。」
「では、メラレイゼの強硬派と接点は無いのですね?」
「無い。そもそも接点など持つつもりも無い。」
イルムハートの言葉にラザールは穏やかならぬ声でそう答えた。
イルムハートとしては、もしメラレイゼと接点があるのならチザーノについての情報をもらえるかもしれないという単純な気持ちでそう口にしたのだが、どうもラザールにとっては不快な質問だったらしい。
「メラレイゼに限らず、他国の強硬派のバックにいるのは誰か分かるかね?
カイラス皇国だ。彼等が各国の強硬派に人や金を支援しているのが現状だ。
皇国の本当の目的は人族の盟主となり、やがては魔族をも従えこの世界を制することなのだよ。反魔族主義など所詮そのための道具でしかないのだ。
それを知った上で我々がそんな連中と手を組むはずなかろう。それこそ売国の行為でしかない。」
どうやら思わぬところで地雷を踏んでしまったようだ。
カイラス皇国が本当に”世界征服”を企んでいるかどうかまでは分からない。
しかし、もしそれが事実なのであれば、他国の強硬派と手を組むことは即ちカイラス皇国の野望に手を貸すことと同じということなる。
王国のためを思い強硬論を選択したクロスト伯爵にとってそれは到底受け入れられるものではないし、疑いを掛けられること自体侮辱にも近いのだろう。
イルムハートはそこまで考えが至らなかった自分を反省した。
「知らぬこととは言え失礼なことを口走ってしまいました。申し訳ありません。」
「いや、こちらこそすまない。
君に悪意は無いと知りつつも、つい声を荒げてしまった。許してくれ。」
自身の発言に対しイルムハートが謝罪すると、ラザールは自分の大人げなさに気付いたようで少し恥ずかしそうにそう答えたのだった。