解決への突破口と一日の終り
地下室。
と言ってもそこは床も天井もきちんと造り込まれた上に魔道具の灯りで照らされ、まるで普通の屋内のようではあった。屋敷内との違いは装飾の簡素さとカーペットの厚みくらいなものだろうか。
あとひとつ、明らかな違いがあるとすればそれは気温だった。地下にあるだけあってどこかひんやりとした空気が漂ってはいたが、外の冬の空気よりは幾分暖かい。これが夏場ならば逆に外気よりも涼しいに違いなかった。
そんな地下の通路を歩き、イルムハート達はとある部屋へと辿り着く。
部屋の前で見張りをしている騎士団員にイルムハートが頷いて見せると彼は鍵を開け扉を開き、一旦中を確認した後に一行を招き入れた。
そこには既に目を覚ましたパストルが床に座り込んでいた。その手足には鉄製の枷がはめられており、後ろ手に鎖で繋がれ彼の自由を奪っている。
(うちにこんな物があったのか?)
少し意外な顔でイルムハートが騎士団員を見ると、彼は苦笑しながら肩をすくめてみせた。まあ、万一の事を考えれば敵を捕らえておく手段もそれなりに準備してあっても不思議ではないだろう。
「ご気分はいかがですか、パストルさん?」
イルムハートは再びパストルへと顔を向けそう語り掛けた。
「今さら名乗るまでもないとは思いますけど、僕がイルムハート・アードレー・フォルタナ。
貴方達にクロスト伯爵襲撃の犯人と思い込まれ迷惑している、その本人です。」
イルムハートの言葉にパストルは無言を通したものの、その顔には苦々しげな表情が浮かんだ。
名前を知られてしまったせいか、あるいはイルムハートの言い分が気に入らないのか。多分、その両方なのかもしれない。
「改めて言いますが、僕は伯爵を襲撃してなどしてはいませんよ。貴方は信じないかもしれませんが本当です。
それに、もし仮に僕が襲撃犯だったとしても、それはそれで伯爵の自業自得ということになりませんか?
何しろ伯爵のほうが先に僕の仲間を襲ったのですから。貴方達を使ってね。」
「そんなことはしていない!」
一方的な言われ様にとうとう我慢出来なくなったのか、パストルが声を上げた。
「伯爵はそんな汚い真似をするような御方ではないし、我々だって何もしていない。
それに、お前は伯爵を襲ってないと言うが、ならばなぜ事件のことを知っている?
この件は表沙汰にはなっていないはずだ。それなのに、お前が知っているのはおかしいだろう?」
襲撃した本人だからこそ事件のことを知っているに違いない。パストルはそう言っているのだ。
彼の言い分も尤もではある。
だが、イルムハートは落ち着いた様子でそれに答えた。
「勿論、僕は知りませんでしたよ。
これは冒険者ギルドからの情報なんです。その事をギルドで教えてもらった直後に貴方達が襲って来たというわけです。
冒険者ギルドをあまり甘く見ない方が良いですよ。情報収集にかけては王国の機関に勝るとも劣らない能力を持っていますからね。」
正しくはユリウスからの情報なのだが、彼とその情報提供者のことを考えてその点は曖昧にしておく。
実際、ギルドの情報収集能力には定評があり、パストルもそれは知っていた。
「あと、襲った本人しか知らないはずと言うのであれば、逆に何故貴方達は今回の襲撃が僕によるものだと考えたのですか?
もし貴方達が僕の仲間を襲っていないのであれば、今回の件がその報復だなどと思いつくはずはありませんよね?
何しろ僕に伯爵を襲う理由があることすら知らないのですから。
襲撃者が僕に似た容姿をしていたという話は聞きました。
ですが、それだけで僕を犯人と断定するのはかなり無理がありませんか?」
自分の言った言葉がそのまま返って来る形となり、パストルはまたしても黙り込む。それは明らかに何かを隠している、そんな感じだった。
「おそらく、誰かが伯爵に情報を流したのではないですか?
仲間を襲われた僕がそれを伯爵の指示だと考え報復しようとしている、そんな感じの情報をね。
実を言うと僕は仲間に対する襲撃が貴方達によるものだとは思っていないんですよ。そのやり方があまりにもお粗末で、本気で危害を与えようとしていたとは思えないんです。
今考えればそれは”襲撃があった”という事実を作るためだけのものだったのかもしれません。僕が伯爵を襲う理由をでっちあげるためのね。
そして実際に伯爵は襲われ、貴方達はそれを真に受けた。」
イルムハートはパストルの顔に僅かながら動揺の色が浮かぶのを見て取った。もう一押しだ、そう考える。
「襲撃の際には護衛が2人亡くなったそうですね。もしかすると貴方達の仲間でしょうか。
そんな状況でこんなことを言うのは少々心苦しいですが敢えて言わせてもらうと、もし僕が本気で伯爵の命を狙ったのであればその程度の被害では済みませんよ?
それは先ほどの闘いで良く解かって頂けたと思いますが?」
こういった言い方はあまり好きではなかったが、敢えてイルムハートはそう口にした。まあ、ロッドの台詞をパクった形ではあるが。
これにはパストルも反論のしようがなかった。確かにその通りなのである。
相手は明らかに手加減しているにもかかわらず、自分達は手も足も出なかったのだ。そんな彼がもし本気を出して襲って来た場合、おそらく護衛が何人いたとしても伯爵を護ることは難しかったかもしれない。
それに、考えてみればいろいろと不自然ではあった。
相手は辺境伯の息子なのだ。仮に仲間を襲われたことで怒りに駆られたとしても、果たして自ら実力行使に出るなどという愚かな手段を取るものだろうか?
彼の身分をもってすれば他にいくらでも報復の手段はあるはずである。
どうも自分達は、感情に流され判断を誤ってしまったのではないだろうか?
そんな不安がパストルを包み込んだ。
そして、真実を知るためにイルムハートと話し合おうと決断する。
「お前の言う通りだ。昨晩、ある男からタレコミがあった。
それは、仲間を襲われた報復にお前が伯爵の命を狙っているという話だった。」
「ある男とは?」
「イーボ・ケゼル。お前と同じ冒険者だ。」
イーボ・ケゼル。
その名が出てもイルムハートにさしたる驚きは無かった。むしろ想定の範囲内と言った感じである。
一旦はイーボへの疑いを捨てたイルムハートだったが、ユリウスとの会話から再びその思いを強めていたのだ。
それはロッドの何気ない言葉がきっかけだった。
「そういやケゼルはどうした?今日は引っ付いて来てないみたいだが?」
別段、その言葉に特別な意味があったわけではない。ただ単純に、いつもならユリウスの後をくっついて回っているイーボの姿が見えないことを不思議に思っただけだ。
だが、それに対するするユリウスの答えは全く予想外のものだった。
「それが、ここ数日姿を見せないんですよ。
今まで何も告げず留守にすることなどなかったので少し心配しているんです。」
ユリウスは眉をひそめながらそう言った。
それを聞いたイルムハートは嫌な予感に襲われる。
「ケゼルさんがいなくなったのは、いつからなんですか?」
「そうだね、最後に顔を見たのは4日前、そう君と東門の施設で話をした日だ。
あの日の夜から姿を消してしまったんだよ。」
ユリウスの答えにイルムハートとロッドは思わず顔を見合わせた。一度は消えたはずの疑念が2人の中で再び頭をもたげ始める。
「ケゼルがどうかしたんですか?」
そんな2人の様子を不審がるユリウスに対し、ロッドは事情を話して聞かせた。
「では、ケゼルが伯爵とアードレー君とを対立させようとしている張本人だと、そう考えているのですか?」
「いや、ケゼルが首謀者だとは思って無いさ。ひとりでやるにはいささか大掛かり過ぎるからな。
多分、裏には黒幕がいて、ケゼルのヤツはそいつに利用されてるだけなんじゃないかと思うんだ。」
「まさか、そんな……。」
ロッドの言葉にユリウスは絶句する。
無理も無い。イルムハートを助けようとしている時に、まさか自分の腹心が逆の事をしようとしていたなど、そんなことは思ってもみなかったのだろう。
「確かにここ最近、どこか怪しげな連中と一緒にいるところを見たという話も時々耳にしてはいたんですが……。
いや、それでもまだケゼルが加担していると決まったわけではないはずです。姿を見せないのも、何か他の理由かもしれませんし。
それに、もし仮にそうだとしても、それにはきっとやむを得ない事情があるはずです。」
自分はイーボを信じる。ユリウスはそう言い切った。
ユリウスにとってイーボは国を出る際にも一緒に付いて来てくれた大事な部下、いや仲間なのだろう。
その彼を自分が信じてやらないでどうすると言うのだ。ユリウスの表情にはそんな思いが表われていた。
そんなユリウスの気持ちはイルムハートもロッドも痛いほど良く解かった。
「まあ確かに、結論を下すのはまだ早いだろう。別に証拠があるわけでもないしな。
ただ、このタイミングで行方不明ってのもかなり気になるところだ。
もしかすると、本人の意思に関係なく今回の件に巻き込まれちまったって可能性もあるからな。」
ロッドのその言葉でひとまず話は終わった。三者三様の想いを抱きながら。
そして今、ユリウスには気の毒だがイーボが陰謀に加担していることが明らかとなったのである。
「それで、ケゼルさんの話にまんまと乗せられたという訳ですか。」
イルムハートがそう言うとパストルはひとつ溜息をつきながらゆっくりと首を横に振った。
「別にアイツを信じたわけじゃない。
……お前はユリウス・ラングという男を知っているか?」
「ええ、知っています。」
「実を言うとケゼルは、そのラングからの伝言ということで話を持って来たのさ。
昔の話になるが、ラングとケゼルはかつて2人とも伯爵の元で仕事をしていたんだ。
生憎と俺はラングという人間を良く知らないが、昔のことを知っている連中はみんな口を揃えて奴は信頼出来る男だと言っていた。」
「だから信じたのですね。」
「そうだ。」
そう応えるパストルの表情は苦渋に満ちていた。
「勿論、いくらラングからの伝言とは言え、その全てを真に受けたわけではない。
さすがに伯爵という身分の人間に襲撃を仕掛けるなど、そんな大それた真似をするはずはないと思っていたさ。その時点ではな。
だが、実際に伯爵は襲われた。
そして、念のために護衛として付いていた仲間が2人殺されてしまったんだ。」
「それで、殺された仲間の復讐をするために僕を襲ったと。」
状況はおおよそ予想通りである。
イーボがユリウスの名を使ったというのも、相手を信頼させるための手段としてあり得ることだろうとも思っていた。
「ですが、そのケゼルさんは4日前から行方不明でラングさんも顔を見ていないらしいですよ。
なので、ラングさんからの伝言と言うのはかなり眉唾ものですね。」
その言葉にパストルは目を伏せて黙り込んだ。自分達がまんまと嵌められたことに今さらながら気付いたのである。
そしてその後、訴えるよう眼差しでイルムハートを見つめ口を開く。
「今回の事はあくまでも俺達の独断だ。仲間が殺されて頭に血が昇り先走ってしまったんだ。
なので伯爵の命令などでは決してない。本当だ。信じてくれ。」
「信じますよ。」
そんなパストルにイルムハートは静かな声で答えた。
「常識的に言って、伯爵ほどの立場の方がそんな短絡的な判断をするとも思えませんからね。信じます。
おそらくですが、襲撃者はそこまで読んでいたのかもしれません。
だから護衛の騎士ではなく貴方達の仲間の方を手に掛けたのではないですかね。」
イルムハートの言葉の意味を理解し、パストルは愕然とした表情を浮かべた。
当然ながら伯爵には専属の護衛として騎士が付いている。
だが今日に限ってはイーボの警告もあり、念のため”シェイド”からも数人増援を出していたのだ。そして、その内の2名が命を落とした。
彼等はたまたま犠牲になってしまった、そうパストル達は考えていた。
だが、もしそうでなかったら?襲撃者はパストル達に復讐心を抱かせるため敢えて彼等を狙って命を奪ったのだとしたら?
だとすれば、自分達は敵の思惑通りに踊らされてしまったということになるのだ。
「何ということだ……。」
パストルは呻くように呟いた。
「アイツは、ケゼルは一体何を企んでいるんだ?
何故、伯爵とお前を対立させようとする?」
それはもっともな質問だった。しかし、イルムハートもその答えを知らないのだ。
「それは僕にも分かりません。
ですが、伯爵が僕に会いたがっている理由にその答えがあるような気がします。
貴方は何か聞いていませんか?」
「いや、俺達も詳しい事まではわからない。
ただ伯爵は何か焦っている、そんな気はしている。」
どうやら配下の者にも明かせない事情のようである。
ひとつヒントがあるとすれば、それはおそらく元理事の死が関係している可能性が高いということ。全てはそこから始まった、そんな風に思えた。
「これはやはり、伯爵とお会いして直接話をしてみるしかないようですね。」
イルムハートはそう決断する。
「明日、貴方をお返しするついでに伯爵のお屋敷を訪ねてみようと思います。
今日はここで一晩過ごしていただくことになりますので、すみませんが我慢してください。」
自分から敵地へ乗り込もうというイルムハートの言葉を聞いてパストルは最初驚いたが、目の前の少年にとってはどうということではないのかもしれないと妙に納得した。
それからイルムハートは騎士団員に命じてパストルの枷を外させる。
「いいのか?」
自由になり意外そうな顔をするパストルに対し、イルムハートはむしろ申し訳なさそうな顔でこう言った。
「今さら枷が必要だとも思えませんから。
ただ、扉の鍵だけは閉めさせてもらいますので気を悪くしないでくださいね。」
「明日は僕ひとりで伯爵のところへ行く。」
部屋を出たイルムハートはセシリア達があれこれ言い出す前に先んじて口を開いた。
「大勢で行けば相手に無用な警戒心を抱かせることになる。だから、行くのは僕ひとりだ。
これは決定事項だよ。異論は認めない。」
いつになく強い口調で言われては、さすがのセシリア達も反論出来ずに受け入れるしかない。
「師匠なら大丈夫だとは思いますが、十分に気を付けてくださいね。」
それでもやはり心配なのか少し不安気な表情でセシリアが言う。
「分かった。気を付けるよ。」
そんなセシリアにイルムハートは優しく笑い掛けた。
「それより、今日は疲れただろ?
さっさと食事にして、後はゆっくり休むとしよう。」
続けてイルムハートがそう言うと、その場の空気が一気に変わった。
「おっ、メシか!待ってました!
どんな豪華な料理が出て来るんだろうな、楽しみだぜ。」
「全く意地汚いわね。
それより私は貴族のベッドに寝られるのが嬉しいわ。
きっと、ふかふかで寝心地の良いベッドなんでしょうね。」
ジェイクとライラのテンションが上がりまくる。まあ貴族の生活とは縁のない2人にとって、大袈裟でも何でもなくそれはまるで夢のような話なのだろう。
だがそんな中、セシリアの様子だけが妙におかしかった。
「師匠の家にお泊り……。」
ひとり真剣な表情で何やらぶつぶつと呟いている。おそらく彼女があらぬ妄想に浸っているであろうことは誰の目にも明らかであった。
「セシリア、アンタまさかイルムハートに夜這いをかけようなんて考えてないでしょうね?」
「な、な、な、何を言ってるんですか、ライラさん!?
そ、そ、そ、そんなこと考えるはずなないじゃないですか!?」
「……アンタって、ホント分かりやすい性格してるわよね。」
本気でそう考えていたのかどうかまでは知らないが、急に慌て出したセシリアを見てライラはため息混じりに苦笑する。
「さっきの鉄製の枷、あれ借りてきた方がいいんじゃないか?」
「そうですね。
ついでに、騎士団の方に見張りも頼んだ方が良いかもしれません。」
そこへ追い打ちを掛けるジェイクとケビン。
「師匠ー、何とか言ってやって下さいよー。」
セシリアは涙目になりながらイルムハートに助けを求めた。
「みんな、そんなにいじめたら可哀想だろ。」
そんなイルムハートの言葉に今度は感激のあまり思わず目を潤ませるセシリアだったが、次の台詞で一気に奈落へと突き落とされる。
「それに、彼女の食事には眠り薬を入れる予定だから大丈夫、心配いらないよ。」
「師匠ーっ!」
その後、荒れるセシリアをどうにか宥めながら一行は食事へと向かった。
まるで今日いち日、何事もない平穏な日を終えたかのような、そんな和やかさの中で。