襲撃の顛末ともうひとつの事件
襲撃されたという報告をセシリアから受けたのは事が起きた翌日の昼、皆で集まり昼食を取っている時だった。
「来ましたよ、とうとう私のところに。」
ニヤリと笑いながらそんな風に言うものだから、誰も最初は何の事か分からない。
「何が来たって言うのよ?」
どうせ大した話ではないだろうとライラはパンをちぎりながら一応尋ねてみたのだが、セシリアの次の言葉で思わずその動きが止まる。
「勿論、刺客ですよ。昨日、下校途中に襲って来ちゃったんですよねー。まったく困ったものです。」
ライラだけではない。それを聞いた全員が食事を取る手を止めて呆然とセシリアを見つめた。
「それって、大変なことじゃないの!
何、野良猫にまとわりつかれたくらいの言い方してるのよ!」
「えー、猫はもっと可愛いですよ。」
全く危機感の無いセシリアの様子に、ライラは思わず頭を抱えた。
まあ、セシリアにとってはその程度の相手でしかなかったということなのだろうが、だからと言って呑気に構えていられる場合でもない。
「それで、大丈夫だったのかい?」
その様子からは特に怪我など負っているようには見えなかったが、イルムハートは念のためそう尋ねた。
「はい、全く問題ありません。
って言うか、てんで話にならないくらい弱っちくて調子抜けしちゃいましたよ。
あんな連中を送り込んで来るなんて、あんまり私を舐めないでもらいたいものです。」
「とりあえずは無事で良かった。でも、油断は禁物だぞ。」
妙なところで不満を漏らすセシリアに苦笑しながらも、イルムハートは一応釘を刺す。
「それで、襲って来たのはどんな連中だったんだ?」
「人数は3人、全員男で地回り風の感じでした。
覆面をしていたので顔は判りませんでしたが、声からしてまだ若いと思いますね。
それが、いきなり短剣を突きつけて来て「大人しくしてもらおうか、お嬢ちゃん」なんて言ってくれやがったんです。
”お嬢さん”じゃなくて”お嬢ちゃん”ですよ?
ホント、失礼しちゃいますよね。頭にきたので全員返り討ちにしてやりましたよ。」
正直、イルムハートにはセシリアの怒りの基準が良く分からなかったが、どうやら襲って来た連中は思い切り地雷を踏んだようである。
「じゃあ、全員捕まえたわけね?」
ライラにそう尋ねられたセシリアの顔には何故か少し気まずそうな表情が浮かぶ。
「それが……逃げられちゃいました。」
「どうして?返り討ちにしたんじゃないの?」
「最初、手加減したのでまだ動く元気はあったみたいなんですよ。
なのでトドメを刺してやろうかと思ったとこへ警備隊が来ちゃいまして……。」
「なら、気を失わせてから警備隊に引き渡せば良かったじゃない?」
「えーとですね、警備隊を見た途端にヤツ等は逃げ出し始めたわけなんですけど……それにつられて私も逃げちゃいました。」
「何でアンタまで逃げるのよ?」
「だって、警備隊ってなんか苦手なんですよ。
別に悪い事してるわけじゃないんですけど、何となくこう本能的に逃げ出したくなるというか……。」
やや挙動不審になりながらセシリアがそう言うと、それに追従して「うん、わかるわかる」と頷くジェイク。
「どこの悪ガキよ、アンタ達は。」
呆れた口調でライラが言うと、2人は思わず首をすくめた。
まあ、過ぎてしまったことは仕方ないとしても、出来る事ならひとりでいいから捕らえておいて欲しかったとイルムハートは思う。
「誰の命令か、それを聞き出したかったな。」
「え?でも、それって黒幕はもうナントカ伯爵で決まりなんじゃないんですか?」
「その可能性は高いけれど、かと言って証拠も無しに決めつけるわけにはいかないさ。
それに何故セシリアを狙ったのか、その理由も知りたいところだな。」
そんなイルムハートの言葉にライラも頷く。
「そうね、イルムハートとセシリアの関係を知る人間は限られているわけだし、普通に考えればアタシ達の方が真っ先に目を付けられるはずよね。」
勿論、その気になればクロスト伯爵にとってセシリアの存在を突き止めるなどさほど難しいことではあるまい。
だが、その場合は彼女がアルテナ学院騎士科の席次第1位であることも同時に知るはずである。
そんな彼女に”弱っちい”刺客など送り込んで来るだろうか?
状況を見る限りにおいては本気で危害を加える気など無かったか、あるいは彼女の素性を良く知らずに襲って来たか、そのどちらかとしか思えない。
尤も、前者の可能性はかなり低いと言える。仮に脅しをかけるのが目的だったとしても、これではほとんど効果が無いからだ。
となると、誰かが中途半端な情報を流し、伯爵はそれに乗せられてしまったのだと考えるべきだろう。
その”誰か”についてはイルムハートも少々心当たりがあった。おそらくセシリアをイルムハートの”弱点”だと勘違いしているであろう人物の存在に。
(これはギルド長に相談してみる必要がありそうだな。)
イルムハートとしては極力ギルドを巻き込みたくなかったが、どうやらそうも言ってはいられないようである。
その日の放課後、イルムハートはセシリアも連れて皆でギルドを訪れた。
と言っても、全員揃ってギルド長と面会するわけではない。会うのはイルムハートひとりで十分だ。
ただ、今は出来るだけ単独での行動は控えた方が良いだろう。そう判断してのことである。
ギルドに着いてロッドへの面会を申請すると、驚く程すぐに部屋へと通された。どうやら向こうもイルムハートを待っていたようだ。
「嬢ちゃんが襲われたらしいな?大丈夫なのか?」
イルムハートが部屋へ入るとすぐさまロッドがそう尋ねて来た。やはりセシリアが襲撃された情報は既に掴んでいたらしい。
「はい、彼女は大丈夫です。かすり傷ひとつ負ってません。」
そう言いながらイルムハートは、”お嬢ちゃん”はダメみたいだけど”嬢ちゃん”ならアリなんだろうか?などと、どうでも良いことを考える。
その一瞬空いた間を不思議そうにしながらも、ロッドはひとまず安堵の息を吐いた。
「そいつは何よりだ。
で、襲って来た相手に心当たりはあるのか?」
「生憎と逃げられてしまって口を割らせることは出来ませんでしたが、大体の予想はついています。」
「やはり、クロスト伯爵か?」
「ご存じでしたか。」
「まあな。」
そう言ってロッドは苦い顔をした。それから、どこか申し訳なさそうな口調で話し出す。
「あんまりしつこく指名依頼を出して来るんでちょっと調べてみたのさ。
そしたら最近、何やらきな臭い噂がいろいろと流れていることが判ってな。
どうも”シェイド”の連中が頻繁に屋敷へ出入りしているらしいんだ。」
「”シェイド”?」
「ああ、一種の傭兵派遣組織みたいなもんでな、クロスト伯爵とは浅からぬ関係にある連中なんだ。」
どうやらその”シェイド”というのが例のクロスト伯爵が配下としている組織の名前らしい。
「実のところ両者の関係は前々から判ってはいたんだが、まさか伯爵がそこまでやるとは思いもしなくてな。
すまん、やはりあの時に話しておくべきだった。」
「それについては問題ありません。
名前までは知りませんでしたが、伯爵の配下にそういった組織があること自体は分かっていましたから。」
「ほう、さすがだな。
辺境伯の伝手か?」
「いえ、ラングさんから聞きました。」
「ラング?ユリウス・ラングか?
そうか、アイツから……。」
ユリウスの名を聞いたロッドは特に驚くわけでもなく、何やら思い当たる節すらありそうな表情を浮かべた。
「はい、ラングさんはクロスト伯爵が実力行使に出るかもしれないと忠告もして下さいました。
ラングさんとは一体どのような方なんですか?
どうもクロスト伯爵とは何かしらの縁があるようなことを言っておられましたが。」
イルムハートにそう尋ねられたロッドは一瞬答えを躊躇した。まあ、個人の情報を迂闊に口にするわけにはいかないのだろう。
だが、そうも言ってはいられない状況であることも確かだった。
「アイツはな、以前クロスト伯爵の囲われ冒険者だったんだ。」
苦々しい表情を浮かべながらロッドは口を開く。
「クロスト伯爵と関わりのある”シェイド”ってヤツは荒っぽい連中の集まりで、いろいろと良くない評判が付き纏っている組織なんだ。
まあ、傭兵やら何やらを送り出す分には通常それでも問題ないんだろうが、時にはその悪評が邪魔をして上手くいかない場合もあるようでな。
そこで考えたのが、冒険者を引き入れてその名前とギルドの保証を利用する方法だ。これなら相手を信用させることも出来る。
そしてクロスト伯爵が冒険者を囲い込み、必要に応じて”シェイド”へそいつ等を貸し出す。そんな仕組みが出来上がったわけさ。
で、ラングもその囲われ者のひとりだったんだよ。」
その辺りについてはイルムハートも何となく予想はしていた。と言うか、それ以外の理由が思い浮かばなかったのである。
「”だった”と言うことは、今では違うんですね?」
「ああ、今から6、7年前、お前がこっちに来て少し経った辺りに伯爵とは手を切った。
その後はずっと国外で活動していて、つい1年ほど前に王都へ戻って来たんだ。」
「それは、国内での活動を邪魔されていたからですか?」
「いや、そういう訳じゃない。
伯爵の周りにしろ”シェイド”にしろ、別に犯罪者の集まりってわけじゃないからな。足を洗ったからと言って、そのために報復を受けたりはしないさ。むしろ、やる気の無い人間に用はないって程度の感じだろう。
ただ、ラングとしては今まで世話になった相手への後ろめたさみたいなものがあったんだろうな。それで国を出たんだ。
まあ、結果的にはそれで良かったんじゃないか。いろいろ経験を積んだおかげでBランクに昇格し戻って来れたわけだからな。」
「そうなんですね。」
いろいろと腑に落ちはした。だが、イルムハートにはまだひとつ疑問があった。
「でも、どうしてラングさんは僕にいろいろと教えてくれたんでしょう?
話を聞く限りでは、別に伯爵に恨みがあるというわけでもなさそうですけれど。」
そう言って首を傾げるイルムハート。すると、それを聞いたロッドの顔からは先ほどまでの翳りが消え、何やら穏やかな表情さえ浮かんで来る。
「それはな、お前がリックの”弟子”だからさ。」
ロッドの口から突然リックの名が出て来たことにイルムハートは戸惑う。
「それとどう関係あるんですか?」
「ラングが伯爵と手を切るきっかけになったのがリックの存在なんだよ。
金や名誉のためだけじゃなく誰かを助けるために依頼をこなす、そんなリックの姿を見て自分もそうなりたいと思い始めたらしいんだ。
伯爵と手を切る相談を受けた時、アイツはそんな事を言っていた。
だから、リックの弟子であるお前に危険が迫っているのを黙って見過ごすわけにはいかなかったんだろうよ。」
「そういうことだったんですか……。」
イルムハートは胸が熱くなるのを感じた。その生き様を見せることでユリウスを正しい道へと導いたリックをこの上なく誇らしく思った。
そして、そんなリックと出会い共に過ごすことの出来た幸運に心の底から感謝したのである。
ユリウスについてはあらかた分かった。だが、まだ確認しなければならないことが他にもある。
「ところで、もうひとつお聞きしたいことがあるのですが、イーボ・ケゼルさんについて教えていただけませんか?」
「ん?ケゼルか?」
ロッドは少しの間考え込んだ。
但し、今回はユリウスの時とは少々理由が違っていた。単純にイーボのことをすぐには思い出せなかったのである。
「アイツはラングが伯爵のところにいた頃、使い走りのようなことをしていてな。どうやら相当ラングに惚れ込んでいたようで、国を出る時にも引っ付いて行ったくらいだ。
あの頃は正直、せいぜいがDランク止まりだろうと思ってたので、Cランクになったと聞いた時にはホント驚いたもんさ。
まあ、アイツはアイツなりに苦労して成長したんだろうな。
で?そのケゼルがどうかしたのか?」
イルムハートは事情を話して聞かせた。
「なる程な、嬢ちゃんを単純にお前の”女”だと思い込んだケゼルが伯爵に情報を流し、そのせいで襲われたという訳か。
まあ、嬢ちゃんの正体を知らなきゃそれが一番効率の良い方法だと考えるだろうからな。」
ロッドはイルムハートの言葉にそう言って頷いた。しかし、今ひとつ納得し切れてはいないようでもある。
「だがな、アイツがラングに内緒でそんなことをするかね?
ラングがお前に手を貸そうとしている時にそんな真似をして、もしバレたらそれこそ縁を切られかねないぞ。
お前への嫉妬ってのはあるかもしれんが、それよりもラングに軽蔑されることの方を怖がると思うんだがな。」
確かにロッドの言う通りである。
イルムハートとしてもユリウスが自分を助けようとしているのだと知ることで、イーボへの疑いも徐々に薄らいで来ていたのだ。
「そうですね、言われてみるとその通りかもしれません。」
だとすれば、やはり伯爵は独自にセシリアの存在を突き止めていたと考えるべきだろう。
襲撃失敗の理由は単なる人選ミスか、或はセシリアの強さが予想以上だったか、まあそんなところなのかもしれない。
イルムハート達がそんな会話を交わしていたその時、不意に”インターフォン魔道具”から女性秘書の声が聞こえて来た。
「ギルド長、お話し中申し訳ありませんが至急お会いしたいということでユリウス・ラング様がおいでになっておられます。
如何致しましょうか?」
イルムハートとロッドはあまりのタイミングの良さに思わず顔を見合わせる。ラングとは話したいことがいろいろあるのだ。
だが、どうやら急ぎの用事らしい。その邪魔をするわけにもいかなかった。話はまた別の機会にすればいいだろう。
「僕はおいとまさせてもらったほうがいいみたいですね。」
そう言ってイルムハートは席を立ち帰ろうとした。
すると、魔道具越しにその声を聞いたらしく
「ラング様に今ギルド長はイルムハートさんと面会中だとお話ししたところ、それなら一緒に話を聞いてもらいたいとのことでした。」
と女性秘書が返して来た。
それを聞いたロッドの顔が一気に緊迫感を増した表情へと変わる。そして、イルムハートに向かいこう語り掛けた。
「どうやらお前に関する件のようだな。しかも、”至急”ときた。何ともこいつは嫌な予感がするぜ。」
そして、その”嫌な予感”は見事に的中することとなる。
「ここにいたのか、良かった。」
ユリウスは部屋に入って来るなりイルムハートを見てそう言うと、何故か安堵の表情を浮かべた。
「どうした?何かあったのか?」
その様子にロッドは何やら不穏な雰囲気を感じ、挨拶をすっ飛ばしていきなりそう問い掛ける。
「ええ、実は……。」
そしてユリウスもまた、いきなり本題へと入った。彼の話は確かに挨拶などしている場合ではない、そんな内容だった。
「クロスト伯爵が襲われました。」
これにはロッドもイルムハートも驚きのあまり言葉すら出ない。ただ唖然とするばかりである。
「今、何て言った!?」
やがて、やっとのことでロッドが口を開く。
それは実に間の抜けた質問ではあったが、頭の中が混乱している状態ではそれが精一杯だったのだ。
「クロスト伯爵が襲われた、と言いました。」
「いつだ?」
「つい数時間前です。馬車で移動中に襲撃を受けたとのことでした。
伯爵本人は無事でしたが護衛が2人殺されたみたいです。
伯爵の配下に昔の知り合いがいまして、その者から報せがありました。」
「誰に襲われたんだ?」
「賊は取り逃がしてしまったため正体を暴くことは出来なかったそうです。
ただ、伯爵側としてはある人物を犯人と疑っているようなのですが……。」
そこでユリウスは何故か言葉を濁し、ちらりとイルムハートの方へ目をやる。
それを見たイルムハートは、彼が何を言い淀んでいるのかを即座に察した。そして最初に口から出た言葉、「ここにいたのか、良かった」の意味も理解する。
「ひょっとして、僕が疑われているのですか?」
「実はそうなんだ。」
「はあ?何でそうなるんだ?」
これには当のイルムハート本人よりも、何故かロッドが一番驚いていた。
「何でコイツが伯爵を襲わなきゃなんねえんだよ?」
「セシリアが襲われたことに対する報復だと考えているのではないですかね。」
「そういうことらしい。」
妙に落ち着いているイルムハートを少々意外に感じながらもユリウスはそう相づちを打つ。
「何でも襲撃者は金髪の若い男でかなりの剣の上級者、しかも攻撃魔法まで使いこなしていたとのことだ。」
身体的・能力的に一致。さらには襲撃の動機まであるとなれば伯爵側が疑うのも無理はなかった。
「お前、ホントにやってねえんだろうな?」
「……ギルド長。」
「悪い悪い、今はそんな下らん冗談を言ってる場合じゃないな。」
つい、いつものノリでふざけてしまったロッドだったが、勿論イルムハートの仕業だなどとは考えていない。
「コイツがそんなことするわけねえだろ。
第一、コイツに本気で狙われたら伯爵が無事でいられるわけねえんだからな。」
「いや、ギルド長。それ何の弁護にもなってませんから。
むしろ誤解を招くような発言はやめてください。」
そんな掛け合い漫才のような会話を交わす2人を見て、ユリウスは不思議そうな顔をする。
「2人共、随分と冷静なんですね。もう少し驚くのかと思っていました。」
「いや、十分驚かされたさ。
だが、これでひとつハッキリしたことがあるんでな。」
「ハッキリしたこと?」
困惑した表情を浮かべるユリウスの問いに対し、ロッドは不敵な笑みを浮かべながらこう答えたのだった。
「ああ、そうだ。今回の件、いろいろと裏で何か企んでる奴が別にいるんだよ。
今の話でそれがハッキリと分かったのさ。」