伯爵と公爵
「クロスト伯爵は君を呼びつけるためならあらゆる手段を取るだろう。」
Bランク冒険者ユリウス・ラングからそう警告されたイルムハートは、先ずフランセスカとセシリア、そしてパーティー・メンバーへその事を話し襲撃に警戒するよう告げた。
ユリウスの言葉をどこまで信じるかは別として、その可能性がある以上は用心するに越したことはない。
それにフランセスカとセシリア。
クロスト伯爵が実力行使に出て来た場合の被害より、むしろこの2人の暴発の方が心配だった。
「ならばいっそのこと、向こうが動く前にこちらから仕掛けてしまえば良いではないですか。屋敷に乗り込んで締め上げてやりましょう。」
案の定、話を聞いたフランセスカはそんなことを言い出した。
「いいですねー、ついでにその犯罪組織とやらにも殴り込みかけちゃいましょうよ。」
そして、セシリアもそれに同調する。
2人とも、これを冗談ではなく本気で言っているから質が悪い。イルムハートは軽い眩暈を感じた。
「伯爵家に乗り込むなんて、そんな無茶なこと出来るわけないでしょう。
それに、向こうはまだ何もして来ていないのに、こちらから仕掛けるわけにはいきませんよ。
頼むからそこは自重してください。」
何やら不満げな2人だったが、そこは堅く約束させた。
一方、パーティー・メンバーの方はと言えばこちはこちらで相変わらずのマイペースである。
「お?なんか面白そうじゃないか?
そもそも、悪者と闘うのはヒーローの役目だしな。」
「何のん気なこと言ってるの。調子に乗ってヘマするんじゃないわよ。
それにしても、相変わらずアナタといると退屈しないわよね。」
「その時は遠慮せず反撃しても良いんですよね?
いやー、新しい魔法の効果を人間相手に試せるなんて、伯爵に感謝しなければいけませんね。」
何やらさらりと恐ろしい事を言ってる者もいたが、そこは聞かなかったことにした。そもそも、何をされようと手を出して来る方が悪いのだ。
まあ、この面子なら心配ないだろう。少なくとも自分で自分の身を守ることくらいは出来るはずだ。
だが、イルムハートには別の不安があった。同級生のエリオとサラについてだ。
2人には闘いの経験など全く無い。もし襲われでもしたら、それこそ命の危険すらある。
クロスト伯爵が彼等を狙って来るかまでは分からないものの、その場合を考えて何らかの手は打っておかねばならない。
そこでイルムハートはラテスより派遣されて来ている警護役の騎士団員に2人の護衛を依頼することにした。
現在、アードレー家王都屋敷における要人警護は騎士団員2名と魔法士団員1名の計3名体制となっていた。
ちなみに、上の姉マリアレーナは今でも王都とラテスとを行き来しているのだが、その際は別途に護衛団が付く。まあ、次期辺境伯なのだから当然と言えば当然のことだろう。
また、下の姉アンナローサも王都屋敷で同居してはいるものの外務省の仕事で留守にすることが多く、そのためこちらにも”付き人”と言う名の専属護衛が付いていた。
従って、屋敷の人員は実質上全てイルムハート専属ということになっている。
とは言え、今のイルムハートは既に彼等を上回る程の実力を有しているため、言い方は悪いがあくまでも形式上の護衛役に過ぎない。
ラテスの方でもそれは十分理解しているようで、騎士団長のアイバーンはイルムハートの警護よりも彼の手足として動くことを重視した人員の選抜を行い、これを送り込んで来ていたのである。
今回はそれが役に立ったわけだ。
「2人には気付かれないよう、陰ながら護ってやってください。」
事情を話せば却って不安にさせるだけだろう。
2人がなるべく平穏に日々を送れるようにと、イルムハートは騎士団員達にそう伝えたのだった。
最悪の事態を想定しての手回しは一応済んだ。
となれば、次は情報収集だ。
クロスト伯爵は何故イルムハートと会いたがっているのか?それが分からない。
本当なら彼の望み通りにしてやれば余計な心配をする必要も無いのだろうが、目的が分からない以上は迂闊に動くわけにもいかなかった。
そして、何より気になるのが黒幕の存在だ。ユリウスの口ぶりからしてかなりの大物であることは間違い無い。
もしかすると辺境伯の息子というイルムハートの身分すら気に掛ける必要の無い、そんな立場の人間かもしれないのだ。何の前準備も無しに手ぶらで会うのは少々危険だろう。
ギルド長に相談してみようかとも思ったのだが、今の段階ではそうもいかなかった。下手をすると無関係のギルドを巻き込むことになるかもしれないのだ。
そこで、イルムハートはアメリアを頼ることにした。
アメリア・グレンティ・コートラン子爵。フォルタナ辺境伯領の王都駐在官である。
アメリアは辺境伯ウイルバートの代理として王都の貴族や役人たちと様々な交渉を行い、また同時に情報収集も行っていた。なので、彼女に聞けばクロスト伯爵の目的や黒幕の正体について何らかのヒントが得られるかもしれない。
「相変わらず厄介事に首を突っ込んでいるようね。」
イルムハートの話を聞くとアメリアはやや呆れ顔でそう言った。
「別に好きで関わっているわけではありませんよ。むしろ、巻き込まれて迷惑してるんです。」
不本意な言われ様にイルムハートが口を尖らせて見せると、アメリアは「そういうことにしておくわ」と笑う。
「伯爵の狙いについては残念だけど思い当たる節はないわね。
クロスト伯爵家はそれほど名門という訳でもないからあまり目立った噂は出ないのよ。」
どうやら、言い方は悪いが地味な貴族のようである。
だが、その割にユリウスは伯爵について不穏な事を口にしていた。
「でも、配下には犯罪組織のような集団もいるという話ですけど?」
そうイルムハートが尋ねると、アメリアは「ああ、それね」と苦笑して見せた。
「それは仕方ないと言うか、ある意味当然のことなのよ。」
「当然のこと?」
アメリアの言葉はイルムハートとって意外だった。それはまるで、伯爵と犯罪組織との関係を容認しているかのような発言だからだ。
「ひとつ言っておくけど、彼等は犯罪者の集団というわけではないのよ。
まあ、荒事専門で時には犯罪すれすれのこともしているようだけど、それでも一応は合法的な組織なの。
言ってみれば傭兵や用心棒の派遣業って感じかしら。」
どうやらアメリアはその”集団”のことを知っているらしい。
「それは分かりましたが、それが何故クロスト伯爵の配下に?」
「それはね、元々その組織はクロスト伯爵家が創ったものだからよ。」
「クロスト伯爵家が?」
イルムハートはあまりにも予想外の答えに思わず声を上げた。
「そう、今からおよそ50年ほど前まではクロスト伯爵家直属の組織だったのよ。
クロスト伯爵家は……その頃まだ子爵家だったのだけれど、代々王国から特別な任務を与えられていたの。
その任務というのは、まあ何というか、要するに”裏”の仕事ね。表沙汰に出来ないような案件を秘密裏に処理するとか、そいうったことをしていたわけ。」
それについては特に驚くことではなかった。程度の差こそあれ、おそらくは元の世界でもそういうことは行われていただろう。
ましてや専制政治が行われているこの世界においては、いわゆる”超法規的措置”が当たり前に行われているとしても不思議は無いとイルムハートは思った。
アメリアはそんな風に自分の言葉を平然と受け入れるイルムハートを見て少しだけ肩をすくめる。まだ子供だと言うのにこうも物分かりが良すぎるのは少々考えものね、と。
「ところが、段々と特定の家にそんな組織を任せておくのは危険だと言う意見が出始めたらしいの。まあ、造反された時の事を考えれば極めて当然の意見よね。
それで、そう言った仕事は王国に帰属する機関が直接行うことになり組織は解散、子爵家は解任される変わりに今までの功績から伯爵家へと陞爵し政府で役職を与えられることになったのよ。
とは言え、伯爵家としては今まで自分のために働いてくれた人達をあっさり切り捨てる事も出来ず、彼等を受け入れる民間組織を作り支援を行ったわけ。
また、王国も彼等をそのまま野放しにするのは危険だと考えていたので伯爵家の行為を黙認することにしたわ。
そして、今では代が入れ替わりはしたけれど、その関係はまだ続いているということなのよね。」
なるほど、とイルムハートは納得する。伯爵と組織との関係も理解したし、彼等が非合法の暴力集団などではないことも分かった。
だが、だからと言って安心出来るわけでもない。
アメリアの話を聞く限り、確かに組織自体は合法なのかもしれないが荒事を生業としていることも間違いないようである。まだまだ警戒は必要だろう。
何よりも伯爵の狙いが判らない以上、決して気を抜くわけにはいかないのが現在イルムハートの置かれている状況なのだった。
さて、次はいよいよクロスト伯爵の後ろにいる”黒幕”についてだが、何と意外な程あっさり判明する。
これについてはイルムハートも余程の人物だと想像していたものの、アメリアの言葉を聞いた時はさすがに驚いた。
「おそらくそれはロランタン公爵だと思うわ。」
エドマン・”バーハイメル”・ロランタン公爵。現国王の叔父だ。
この国の公爵とは全て王の血族で王位継承権を持つ者だけがその地位を得る。
公爵家は現在20家ほどあり、中には天地がひっくり返らない限り王位など回ってこないような継承順位にある者もいた。
しかし、実際この世界は過去にその”天地がひっくり返る”ほどの災厄を何度か経験しているため、それを無駄な継承権と嗤うことなど出来ないのである。
そんな公爵家の存在意義は王家の血を残す事、ただそれだけだった。そのため一切の権力からは切り離されている。
彼等に与えられる肩書は政府主導の協会や財団の名誉理事、或は外国との親善大使などに限られ、政府の役職はおろか民間の商会などの顧問に就く事すら認められていない。
要するに”飼い殺し”の状態なのだが、王位を巡る争いが起こらないようにするための止むを得ない処置でもある。
だが、その中においてロランタン公爵だけは別だった。先王の代に王の補佐役を務めていたのだ。
先王は幼い頃、病によって視力を失うといった不幸に見舞われていた。そのため、王となり政務を行うにおいてはどうしても補佐が必要だった。
そこで先王は弟のロランタン公爵を補佐役に任じ、それは王太子(現国王)が成人し政務に関われるようになるまで続くことになる。
王太子に補佐役を引き継いだ公爵はその後国政から退き一切に表に出ることはなかったが、それでも未だその影響力は強く残っているのだ。
尚、余談ではあるが公爵の家名”バーハイメル”とは”バーハイム王家の血を引く者”という意味である。
王家の名はバーハイムだが、その名は国王一家にしか名乗ることを許されていない。
従って公爵となった時点でその名を失うわけだが、それでは苗字が無くなってしまうため代わりに”バーハイメル”を名乗るわけだ。
つまり公爵家の家名は全て”バーハイメル”であり、その後に続く○○公爵の呼び名によって判別されているのである。
閑話休題。
ロランタン公爵の名にはイルムハートも正直驚いた。
しかし、分からないのは何故その名が出てくるのかだ。
ロランタン公爵が補佐役を退いたのはもう30年以上も前のことである。一方のクロスト伯爵はまだ40そこそこのはずなので、どう考えてもこの2人に接点があったとは思えないのだ。
イルムハートがそんな疑問を口にするとアメリアは「あくまでも噂話の域を出ないんだけれど」と前置きしながら話し出す。
「ロランタン公爵はね、クロスト伯爵家の”恩人”ということになっているの。」
「”恩人”ですか?」
「クロスト伯爵家が王国の裏仕事をしていて、50年ほど前にその任を解かれた話はさっきしたでしょ?
実を言うとその際、クロスト伯爵家……いえ、子爵家を取り潰し、配下の組織ごと無かったことにしてしまおうという話が一部から出たそうなの。」
「都合の悪い話をいろいろ知っているから、ですか?」
「そういうことね。多分、何か後ろ暗い事がある人達なんでしょうね、そんなことを言い出したのは。
でもそんな声を一蹴して、さらには功績を認め伯爵に陞爵までさせたのはロランタン公爵だと言われているのよ。」
「それは、確かに恩人ですね。」
「まあ、どこまでが本当かは分からないけど、もしそうならクロスト伯爵がロランタン公爵に従っているのも当然と言えば当然かしらね。」
話を聞く限りにおいてロランタン公爵は公明正大な人間の様にも思える。
しかし、だとすれば何故クロスト伯爵を裏で操るような真似をするのか?
いや、もしかするとこの件にロランタン公爵は関わっていないのかもしれない。
「ロランタン公爵というのはどんな方なんですか?」
「私も直接会ったことはないのだけれど、いろいろと聞いた話では決して私欲で動くような方ではさそうね。
何でも先王陛下がお若い頃、ご自分の目が不自由なことを理由に公爵へ王太子の座を譲る話をしたところ、きっぱりこれをお断りになったそうよ。
補佐役になられてからも派閥などには一切関わらず、ひたすら先王陛下を支えるため尽力されたらしいわ。」
やはり今回の件とロランタン公爵は無関係のようだ。
イルムハートがそう結論付けようとした時、アメリアはふと何かを思い出したように言葉を継いだ。
「でもそう言えば、そんな公爵でもひとつだけ先王陛下に対し真っ向から異を唱えていらした事があるらしいわよ。」
「何ですか、それは?」
「魔族に対する政策についてよ。ロランタン公爵は反魔族主義の立場でいらっしゃるらしいの。」
アメリアの言葉にイルムハートはハッとする。そして、学芸院元理事が死亡した件を思い出した。
彼が不審とも思える死を遂げたのは隣国メラレイゼの街ミナリオ。
そこを支配する旧王家派は反バーハイム派でもあり、そして魔族に対する強硬派の集まりでもあった。
この符合は偶然の一致なのか?それとも元々2つの件は繋がっているのか?
「何か気になる事でもあるの?」
そんなイルムハートの様子を見てアメリアが問い掛けてくる。そこでイルムハートが元理事の話をすると彼女は何か思い当たる節があるような表情を浮かべた。
「少し前に内務省へ顔を出した時、妙にピリピリした空気を感じたのだけれど、もしかするとそのせいだったのかもしれないわね。
仮に、その件にロランタン公爵が関わっているとなればこれは大事だもの。王国が神経を尖らせるのも無理ないわ。
これはもう少し調べてみる必要がありそうね。」
「それは有難いですけど、あまり無理はしないで下さいね。」
相手が相手だ。いくらフォルタナ辺境伯の後ろ盾があるとは言え、下手をすればアメリアにも被害が及ぶ可能性がある。
だが、そんなイルムハートの心配をアメリアは気にも掛けない様子で笑い飛ばしたのだった。
「大丈夫よ。もしヤバイ相手に目を付けられても、その時はさっさと隠居してラテスに戻ればいいだけだもの。
それよりイルムハート君の方こそ気を付けなさいよ。最悪、十侯に次ぐ影響力を持った相手を敵に回すかもしれないのだから。」
そんな風にアメリアと言葉を交わしたその2日後、ついにイルムハートの恐れていた事が起きた。
何者かによってセシリアが襲撃されたのである。