不穏な報せと謎の依頼
「なんだ、どうした?えらく疲れた顔してるじゃねぇか?」
部屋に入って来たイルムハートの顔を見てギルド長のロッド・ボーンは少し驚いたような表情を浮かべた。
「ええ、まあいろいろありまして……。」
イルムハートは力無く笑って見せる。
その顔を見たロッドは何かを察したらしく
「ああ、例の件か。モテる男は辛いな。」
そう口走りイルムハートから非難めいた視線を浴びることになった。
「からかうために呼んだのなら帰らせてもらいますよ。」
「待て待て。今のは軽い冗談だ。」
「全く、他人事だと思って……。」
「悪かった、だからそう拗ねるな。まあ、座れ。」
本心から謝罪していないことはその表情から明白ではあったが、イルムハートとしてもそれ以上の愚痴をこぼすわけにもいかず大人しく腰を下ろす。
「それで、今日はどんな御用ですか?」
例によって絶妙のタイミングで出されたお茶をひと口飲んだ後、イルムハートはロッドに向かい問い掛けた。
相変わらずうさん臭そうな視線を送って来るイルムハートにロッドは思わず苦笑する。
「用件は2つ。
先ずひとつ目は例の元学芸院理事の件だ。奴が見つかったと報告があった。」
”例の元学芸院理事”とは”龍族の祠”の調査において何らかの裏工作したと疑われている人物のことだ。犯罪組織がらみか、あるいは反王国勢力の手の者なのかは不明だが、一歩間違えれば龍族との間に紛争が起こりかねないような真似をしてくれたのである。
当然、王国も捜査に動き出したわけだが、生憎と当人は事態が発覚する前に姿を消してしまっていたのだった。
「それは良かったです。これで真相の解明が進みますね。」
それを聞いたイルムハートは満足げな表情を浮かべたが、どうもロッドの方はそうでもないように見えた。
「ところがそう上手くはいかないみたいだな。
何せ見つかったは良いが既に死んじまってたんじゃ話も聞けまいよ。」
「死んだ?」
ロッドの言葉にイルムハートは驚くと同時に眉をひそめる。何やら嫌な予感がした。
「……殺されたんですか?」
「水死体で見つかったらしいんだが、調査の結果は単なる溺死とのことだ。特に不審な点もなかったらしい。
尤も、その手の仕事を請け負う連中なら痕跡を残さず命を奪うくらい朝飯前だろうからあまり当てにはならんがな。」
殺し屋に消された可能性もある。ロッドはそう言っているのだ。
「でも、それだったら死体を残したりしないんじゃないですかね?
下手に手掛かりになるようなものを残すより、行方不明のままにしておいたほうが都合が良いんじゃないかと思いますけど。」
「まあ、普通に考えればそうだろうな。
だが、今回の場合はそうとも言い切れない少々複雑な状況なんだ。」
「と言いますと?」
「死んだ場所が問題なんだよ。死体はメラレイゼ王国のミナリオで見つかったんだ。」
なるほど、確かに場所が国外となればいろいろ面倒ではあろう。
だが、それは捜査がしづらいという意味であって元理事の死因とはまた別の話ではないのか?
そんな表情を浮かべるイルムハートにロッドは奇妙な質問をして来る。
「お前、メラレイゼの貴族が国王派と旧王家派に分かれて権力争いしていることは知ってるだろ?」
「はい、バーハイム王国はそのうちの国王派の方を支援しているはずですよね。」
「そうだ。それにより国王派は親バーハイム、旧王家派は反バーハイムと言っても良い状態になってる。
でもって、ミナリオはその旧王家派が拠点としている街なんだ。」
「それってつまり、その旧王家派が今回の一件に関わているということなんでしょうか?」
「まあ、そう思われても仕方ないだろうな。奴がそこにいたとなれば、匿っていた可能性を疑われるのは当然だろう。」
「もしかするとギルド長は、元理事は用済みになったので殺されたと、そう考えているのですか?」
ロッドが殺しの可能性を捨てていないのはそのせいなのだろうか?とイルムハートは考えた。
しかし、それは少々見当違いだったようである。
「いや、それはないと思う。
もし口封じのために殺したのなら、それこそお前の言った通り死体を残すような真似をするはずはないしな。
それに、始末する気ならもっと早くやってるだろう。わざわざ1年もの間匿ったりはしないはずだ。」
ならばロッドは一体何を気にしているのか?
イルムハートは状況を整理してみる。
元理事の死体が見つかった場所は反トラバール派が拠点とする街。当然、両者の関連が疑われる状況だ。仮に元理事の死因が事故死でなく他殺だとすれば、それは旧王家派による口封じと見ることも出来る。
だが、もし実際には彼の死に旧王家派が関わっていないのだとすれば、導き出される答えは……。
「元理事が旧王家派と関係しているように思わせるため、わざわざミナリオで彼を殺し敢えて死体を残した。ということですか?」
「そう考えた方がしっくりくるんだよ。」
「可能性はゼロではないと思いますが……少し話が飛躍し過ぎてはいませんか?そんなことをして誰が得をするんです?」
「残念ながらそこまでは俺も分からんがな。
だが、そもそも旧王家派は元理事のことなんか最初から知らなかったんじゃないかと思うんだ。」
「何故ですか?」
「言っただろ、ミナリオは旧王家派拠点の街だって。
それはつまり、旧王家派にとってミナリオで起きたことならどうにでも処理できるってことなんだよ。」
それを聞いてイルムハートもやっとロッドが何を考えているのかが解かった。
「なるほど、もしこの件に旧王家派が関係しているのだとすれば事故死であろうと他殺であろうとそれを公にしたりはしないでしょうね。元理事がミナリオに居たこと自体を隠そうとするはずでから。」
「そういうことだ。警備隊から報告が上がっても握り潰してしまえばいいだけの話だからな。
にも拘らず、この件はメラレイゼ政府を通じて普通にバーハイムへと報告されてきた。
もし旧王家派が関わっているとしたら、そんな間抜けな真似をすると思うか?
必ずどこかで横槍をいれてくるはずだろう。」
そう考えると旧王家派は元々関係していなかった可能性もある。だが、実際にそこで元理事が死体となって見つかった以上、疑惑は残り不信を生む。確かに複雑で厄介な状況だった。
「旧王家派とは関係なく、たまたま元理事がミナリオに潜伏していて不運にも事故死を遂げた、ということは……ないですよね、やっぱり。」
と言ってはみたものの、さすがにそう都合よく偶然が重なるとはイルムハートも思っていなかった。
「もし皆がそう考えてくれるなら事は簡単なんだがな。
だが、生憎そうでもないらしい。」
そう言いながらロッドは眉をひそめる。どうやらまだ他にも何か気にかかることがあるようだ。
「どういう理由かは分からんがこの情報、メラレイゼからバーハイムに伝えられた直後に極秘扱いへと変わってるんだ。バーハイム王国の要望で緘口令も布かれたらしい。そのせいでこっちもかなり苦労したよ。
実を言うと元理事が死亡したのは2か月以上前の話なんだが、数日前にやっと情報を入手したところでな。」
まあ、2つの国を巻き込んだデリケートな問題なので慎重に扱われるのは解かるが、それにしても冒険者ギルドですら情報の入手に手こずるとはよほどのことである。それだけバーハイム側がこの件に対して神経をとがらせているということなのだろう。
”龍族の祠”から始まったこの一件、元理事の死によって新たに別の”何か”が動き始めたのかもしれない。
だとすれば祠の調査において既に関りを持ってしまっている以上、イルムハート達もそれに巻き込まれてしまう可能性は十分にある。だからこそ、ロッドもこうして入手したばかりの情報をわざわざ教えてくれたのだろう。
(面倒なことにならなきゃいいんだけど……。)
そんなイルムハートの不安はロッドも十分解かっていた。
「まあ、今の時点であれこれ考えてたところでどうしようもあるまい。
また何か仕入れたら真っ先に教えてやるから、そう気に病むな。」
加えてロッドはこの件に関して冒険者ギルドの全面的なバックアップを約束する。
「よろしくお願いします、ギルド長。」
そのおかげでイルムハートの気持ちも少し和らいだのだった。
「さてと、この話はひとまず終わりとして、もうひとつの用件なんだがな。」
そう話を切り替えたロッドの言葉に、イルムハートは「用件は2つ」と最初に言われたことを思い出す。
「あ、そう言えばこれで終わりじゃなかったんでしたね。」
ひとつめの話だけで既にお腹一杯で、危うく席を立つところだった。
「まあ、こっちのほうはギルドで適当に処理しちまってもいいんだが、いちおうお前の意見も聞いておこうとおもってな。」
「何でしょうか?」
ロッドの言い草からして大した話ではないだろうと高を括るイルムハートだったが、それに続く言葉に思わず声を上げることとなった。
「お前に指名依頼が来てるんだ。」
「指名依頼!?それって適当に処理なんかしていいものなんですか?
って言うか、”適当に処理”ってどうするんです?」
「決まってる、断るんだ。」
迷いなくそう言い切るロッドにイルムハートは暫し唖然とする。
「いいんですか、それで?」
「いいんだよ。」
「えーと……とりあえず依頼の内容を聞かせてもらえますか?」
「依頼内容は貴族の護衛だ。」
「護衛?貴族の?」
それにはイルムハートも虚を突かれた。あまりにも意外な内容だったのだ。
てっきり、実績のある魔力分布調査とかそんな類の依頼かと思っていたのだが、まさかの護衛依頼とは。しかも、相手は貴族ときた。
「依頼してきたのはラザール・ペルシエ・クロスト伯爵。何でも別荘へ行く道中の護衛をお前に頼みたいらしい。
伯爵様直々のご指名だぜ?大したもんじゃねえか。」
そう語るロッドの声には少なくない皮肉の響きがあった。
まあ、それも無理はあるまい。どう見ても下心の透けて見える依頼なのだ。
「それって、もしかして……。」
「ああ、間違いなくお前を取り込もうって算段だろうな。
魔獣だらけの土地を旅するってのならまだしも、たかだか普通に別荘へ旅行する程度で冒険者を護衛に付ける貴族がいるか?しかも伯爵家だぞ?
護衛ならお抱えの騎士がいるだろうに、あまりにもあからさま過ぎる話だ。」
普通、よほど経済的に困窮してでもいない限り貴族の家は護衛の騎士を召し抱えている。
王都に住む政務貴族の場合でも、領地持ちのような”騎士団”とまではいかないにしろ家族を護れるだけの人員は擁しているはずなのだ。
その上、相手は伯爵家だ。護衛に事欠くとは到底思えない。
となると、伯爵の狙いは護衛を確保することではなくイルムハート本人なのだと考えるべきだろう。
「僕は特にパトロンなんか必要としてないんですけどね。」
イルムハートも少し呆れた声を出す。ロッドが「適当に処理する」と言った理由も理解出来た。
貴族の中には名の売れた冒険者のパトロンとなることを一種のステータスとする一派がいた。猛獣をペットにしてそれを周りに見せびらかす感覚なのだろう。
そういった傾向は冒険者ギルドにとって望ましいものではなかった。冒険者とは決して貴族の使い走りなどではないのだから。
だが残念なことに、一部には経済的支援や上流社会の華やかさという誘惑に負けてしまう者もいるのが現状だった。
そのため、ギルドではこの手の依頼を歓迎しないのである。
「まあ、向こうも金でお前を釣れるとは思ってないんじゃないか?
伯爵ともなればお前の身元くらいすぐ調べられるだろうからな。まさか辺境伯の子をペット代わりに出来ると思うほど馬鹿でもあるまいよ。」
「では何が目的なんでしょう?」
イルムハートがそう問い掛けるとロッドは先ほどまでの苦々しい表情から一転、何やら含みのある笑いを浮かべた。
「何でも伯爵には年頃の娘がいるらしい。もしかすると、それをお前の妻にしようと考えているのかもしれんぞ。
何せ腕も立つし身分も申し分ない相手だ。そりゃ目を付けて当然だろう。となると、今回はそのための顔合わせってとこだな。
いやー、両手に花どころか3人の妻か。ジェイクでなくとも嫉妬しちまうな、これは。」
そう言って声を上げ笑うロッドだったが、直後にイルムハートの刺すような冷たい視線に気付く。しまった、悪乗りが過ぎたと後悔するがもう遅い。
その後しばらくの時間、ひどく気まずい空気が部屋を満たした。
「と、とにかくだ。」
やがてロッドは先ほどの発言を無かったことにして話を続ける。
「伯爵の真意がどこにあるかまでは分からんが、どうにも胡散臭い依頼だからな。こいつは断っちまおうと思うんだが、それでいいか?」
「……構いません、そうしてください。」
もはや抗議する気力も失せ、イルムハートは諦め気味の表情で答えた。
「でも、一方的に断ったりして大丈夫なんですか?」
いくら歓迎出来ない依頼であってもルールに反しているわけではない。しかも、依頼して来たのは上級貴族なのだ。
それを”胡散臭い”からというだけの理由で断ったりすれば、それこそ大問題になる。不敬罪にすら問われかねなかった。
だが、その辺りはロッドも慣れたものなのだろう。特に意に介する様子は無い。
「その辺りは何とでもなる。
今回の場合は既に他の依頼が入っているとかフォルタナに帰省するとか、スケジュールが合わないことにしておけばいい。」
「それで納得しますかね?逆恨みされたりしませんか?」
普通であればスケジュールが合わない以上諦めるしかないだろう。
しかし相手は貴族、特権を行使することに何の疑問も持たない人種なのだ。断られたことを侮辱と受け取るかもしれない。そうなると厄介だ。
実際、過去にそういうことがあった。
イルムハートがまだ見習い冒険者だった頃、後見役をしていたリック・プレストンに対し依頼を断られた貴族が刺客を送ったのである。
「まあ、あれは特殊なケースだ。いくらお貴族様でも依頼を断られたくらいで相手を殺してやろうなんて考えるヤツはそうそういないだろう。第一、あの時はお前の身分も知られていなかったしな。
さっきも言った通り、今回はお前が辺境伯の子であることは既に知られていると考えて間違いないはずだ。その上で手を出して来るとはまず考えられん。
もしそんなことをすれば、あの時の貴族の様に隠居した挙句王都から逃げ出すはめになるからな。」
なるほど、そういうものかもしれない。ロッドの言葉にイルムハートはひとまず安堵した。
「でもそうなると、依頼の日程に合わせて何か予定を入れておかないといけないですね。さすがに嘘はマズイですから。
実はフォルタナには既に帰省を済ませているので、他の依頼を入れる形でしょうか。
スケジュールを合わせられそうなヤツがあるといいんですが……。」
どうしようかと考えるイルムハート。
すると、そこへすかざずロッドが身を乗り出して来て
「それなんだがな、ちょうど良い案件があるんだがどうだ?受けてみちゃくれないか?」
そう言いながらニヤリと笑って見せた。
そんなロッドをイルムハートはいかにも胡散臭そうな表情で見つめる。
「……ギルド長、もしかして今日の本当の狙いはソレなんじゃないでしょうね?」
「ん?何のことだ?」
「その依頼を受けさせるために僕を呼んだんじゃないかってことですよ。
今までの話は全部前振りだったんじゃないんですか?」
そう鋭く切り込むイルムハートだったが、残念ながら海千山千のロッドにその切っ先は届かない。
「何言ってんだ、そんなわけあるか。どっちも大事な話だったろ?
それにコイツはな、ずっと持て余して……いや、お貴族様の依頼に日程を重ねられそうなヤツがたまたま手元にあったってだけの話だ。
今から探してもちょうど良い依頼がみつかるとは限らんしな。そう思い、わざわざ取っておいてやったんだぞ。」
何やら本音がちょっと漏れてはいたが、最早突っ込む気にもなれなかった。
結局イルムハートはロッドに押し切られる形で、”たまたま手元にあっただけで決して持て余していたわけではない依頼”というヤツを引き受けるはめになったのである。