新たなる騒動の発端と少年冒険者の憂鬱
メラレイゼ王国。
バーハイム王国の西側に国境を接する隣国。
メラレイゼとバーハイム、この2つの国の仲はそれなりに良好ではあった。但し、今のところは、だ。
かつてのメラレイゼは現在の王家とは異なる王が支配していた。その頃には領土を巡る争いも何度かあり、バーハイム王国は国境の守りに辺境伯を配置するほどだったのである。
だが、国力で劣るメラレイゼがバーハイムに勝てるわけも無く、無謀な戦争のため徐々に国は疲弊していった。
やがて、そんな国の行く末を危ぶんだ現王家の祖がクーデターを起こす。そして王位を奪ったのだ。
と言っても武力で排除したわけではない。元々、王の分家と言う立場にあった新王は現状に不満を持つ貴族達を糾合し当時の王に譲位を迫ったのである。
その治政はよほど不評を買っていたのだろう。大部分の貴族が新王側に付いたことで王はその座から引きずり下ろされた。
しかし、その際新王は前王への処罰を行わなかった。権力こそ剥奪したが彼と彼の家族を生かし王族の一員として扱いさえした。
同じ祖先の血を引く者としては残酷な仕打ちなど出来なかったのだろうが、その甘さが後々禍根を残すことになるとはその時気付きもしなかったのだ。
どんな組織にも主流派と反主流派はある。そして、新生メラレイゼ王国にもそれはあった。
最初こそ同じ目的のため力を合わせ王の首をすげ替えはしたが、やがて政権に不満を持つ者が徐々に現れ始める。そして、反対派閥が出来上がってゆくのも自然の成り行きだったのだろう。
単に不満を持つ者が集まるだけなら、厄介ではあるもののそれほど大きな問題と言うわけでもない。余程の事でもない限り、結局は王に逆らうことなど出来ないからだ。
だが、その反対派の旗頭として担ぎ上げられたのが旧王家となれば話は別だ。
何しろ、本来なら正当な王位継承者となるべきはずの血筋なのである。下手をすると再度の王権移譲といった事態すら起こりかねない。
それだけでも頭の痛い話なのだが、さらに厄介なのが国外勢力の存在であった。
メラレイゼは基本的に魔族に対する融和政策を取っている。
その本心はどうあれ、隣の大国バーハイムが魔族融和派の中心的立場となっている現状ではメラレイゼもそれに倣わざるを得ないのは確かだろう。少なくとも友好関係を保とうとするのであれば。
そしてそれは、また新たなる分断の種となる。
人族にとって魔力や身体能力で自分達を遥かに上回る魔族は潜在的脅威なのだ。それは融和派の人間であっても完全には払拭出来ない本能的な恐怖だった。
そんな恐怖に囚われてしまい今の政策に不満をつのらせる者は当然のように旧王家派へと流れ、いつしかそこは対魔族強硬派の集まりにも近い状態となってゆく。
すると、同じく魔族に対し強硬論を唱える国外の勢力が旧王家派へと接近して来るようになった。彼等は自分達の勢力拡大のため支援を行い、それにより旧王家派は増々勢力を増すことになる。
それに対し現国王派はバーハイム王国から支援を受けているため現状何とか優位を保てているものの、何かのきっかけでバランスが崩れてしまう可能性も十分にあり得る、そんな危うい状態にあるのが今のメラレイゼ王国だった。
そんなメラレイゼにある都市のひとつ、ミナリオ。
国内で三番目の規模を持ち尚且つ旧王家派の重要拠点でもあるその街において、ある日ひとりの男性が水死体で発見される。
一見何のことはない出来事のようでありながら、しかしそれはやがて起きる騒動の始りでもあった。
ミナリオ東地区警備隊第2分隊長クレント・ソリスがその一報を受けたのは、年も明けしばらく経ち夏の終りも近付いたある日だった。
「男の水死体が上がった?殺しか?」
クレントは険しい顔つきで尋ねる。
しかし、彼の部下であるニノ・ラバルが返した言葉はクレントの予想に反するものだった。
「いえ、事故死のようです。特に不審な点は見られなかったとのことです。」
「事故死?
だったら普通に処理しておけばいいだろう。いちいち俺のところへ持ってくるな。」
そう返したのは、別にクレントが職務に対し怠慢だからという訳ではない。
この世界、どこぞの世界と異なり人の死は決して珍しいものではないのだ。
これが事件性を持った話ならともかく、事故死くらいではそうそう警備隊が動くことはなかった。腐臭を放つ前に遺体はさっさと埋葬され、特に捜査などは行われない。
身に着けた物から身元が判れば家族なり友人なりに連絡はするが、そうでなければ遺品を保管して終わりなのである。
勿論、ニノもそれは解かっていた。
しかし、今回は少々状況が異なっていたのだ。
「ですが報告によれば今回の遺体、身形がかなり良いらしいんですよ。身に着けている物も中々の高級品みたいですし。
もしかすると、それなりの身分の人間なのかもしれません。」
「そいつはまた厄介な話だな。」
ニノの言葉にクレントは眉をひそめた。
これが一般庶民ならともかく、ある程度身分のある人間となれば話は違ってくる。身元調査くらい行っておかなければ上からどやされることになるのだ。
その扱いの差に不公平さを感じるかもしれないが、その通り公平ではない。身分により命の価値が変わる、ここはそんな世界なのだ。
それが解かってはいてもどこかやるせない気分になるクレントだった。
「行方不明の届は出ていないのか?」
「それらしいものは出ていないようです。」
「そうか、解かった。
この件は俺から上に上げておく。お前達は身元の調査を行ってくれ。」
ニノに向かってそう言った後、クレントは念を押すように付け加えた。
「いいか、これは最優先事項だ。皆にもそう伝えておけ。」
それから数日後、クレントはニノから調査報告を受けた。
どうやら地元の人間ではなかったようで人物の特定には苦労したらしい。
聞き込みから何とか宿泊していた宿屋を割り出し部屋に残された所持品を調べた結果、遺体の身元が判明したのだ。
「死んだ男の名はネリオ・チザーノ・ブルゲリス。バーハイム王国の通行証を持ってました。」
「つまり、バーハイムの貴族ってことか?」
クレントは思わず蒼ざめる。バーハイムの貴族がこの街で事故死したとなれば大事である。
「いえ、通行証には爵位も家名も書かれていませんでした。おそらく親族なのではないかと。」
「例え当人が爵位持ちでなかろうと貴族名を名乗っている以上、貴族に変わりはあるまい。
それで、伴の者は?」
「どうやらひとりでこの街に来たようです。」
「ひとりで?」
これもまたクレントを驚かせる。
例え傍系であったとしても貴族は貴族だ。それがたったひとりで、しかも国外の旅をするなど普通は有り得ないことだった。
「バーハイムのお貴族様がたったひとりで、一体何しにこの街へ来たんだ?」
「さすがにそこまでは……。」
ニノは困ったような顔をしたが、クレントとしても答えを期待して問い掛けたわけではない、
「ああ、いいんだ。つい口に出してしまっただけだ。
そんなこと、本人に聞かないことには分かるはずもないからな。」
そう言いながらもクレントの頭には不穏な考えが浮かんでいた。
(……まさか、密偵か?)
ここの領主は旧王家派に属しており、ミナリオはその拠点ともなっている街だった。つまりそれは魔族強硬派にとっても重要な場所と言うことだ。
となれば、融和派であるバーハイム王国が監視の目を光らせたとしても不思議は無いように思えた。
(しかしなぁ……簡単に身元がわかるようなものを密偵が持ち歩くとも思えんし、そもそもメラレイゼの頭越しにそんな真似をして、もしバレたら両国の関係が悪化するだけだろう。
果たしてそんな危険な真似をするだろうか?)
結局、クレントはそれ以上考えるのをやめた。自分があれこれ推測するようなことではないと判断したのだ。
「まあ、後のことは上の連中に任せるしかあるまい。身元が判った時点で俺達の仕事は終わりだ。」
クレントがそう言って話を切り上げようとしたその時、ニノはふと何かを思い出したような顔をする。
「あ、すみません、まだもうひとつ報告がありました。」
「何だ?」
「部屋にはこんなものもあったんですが……。」
そう言いながらニノは何やら掌に乗る大きさの金属板を取り出した。
「冒険者が持っているカードに似ているので、おそらく身分証か何かだと思うのです。
ただ、肝心な中身が見られなくて……。」
「確か冒険者のカードは本人の魔力を流さないと中身は見られなかったはずだ。多分、これも同じなんだろう。」
クレントはニノからカードを受け取りまじまじとそれを見つめる。
そこには確かに個人の情報は示されていなかったが、発行したのがどこかだけは見て取れた。
”バーハイム王国 王立学芸院”。
その金属板にはハッキリとそう刻印されていたのだった。
場面は変わり、バーハイム王国の王都アルテナ。季節はそろそろ秋も深い5月。
イルムハート達パーティー一行は冒険者ギルドにいた。学年末休みになり受ける依頼を探すためである。
しばらく皆で掲示板を眺めた後に休憩することとなり、その際
「それにしても来月には5年生か。長いようであっと言う間だったな。」
しみじとした口調でジェイクがそう言った。
「何終わったみたいなこと言ってるのよ。まだ1年あるんだからね。」
「そうですよ。そう言うことは無事卒業してから言ったほうが良いんじゃないですか?
学院を”終える”のと”卒業する”のとでは全然違いますからね。」
それに対するライラとケビンの反応は相変わらず厳しい。
まあ、厳しいと言うよりは反射的に突っ込みを入れていると言ったほうが正しいのかもしれない。
「卒業くらい出来るに決まってるだろ。縁起でもないこと言うなよ。」
基本、アルテナ高等学院に留年というものはない。必ず5年で修了する。
但し、成績いかんによっては”卒業”と扱われない場合もあった。つまり、その場合は”放り出される”形になるわけだ。尤も、滅多にあることではないが。
「卒業と言えば、ジェイクは結局席次戦に参加しないままで終わるつもりなのかい?」
ふと思い出したようにイルムハートが問い掛ける。
騎士科の席次戦には順位を上げることで卒業後の就職を有利にするという一面もあった。
しかし、既に卒業後は冒険者とて活動することを決めているジェイクにとってそれはあまり意味の無いものであり、そのため未だ席次戦を行ったことは無かったのである。
「別に席次を取ったところであんまり意味ないしな。そう思うとどうしてもやる気が起きないんだ。
でも、最後に席次1位になって卒業するってのも、それはそれでカッコイイかもしれないな。」
何やら勝手な妄想をしながらジェイクが言う。
ただ、それは必ずしも根拠の無い戯言というわけでもない。今のジェイクの実力は歴代の席次1位と比べても決して引けを取るものではなかった。本人がその気にさえなれば十分に可能ではあるだろう。
但し、あくまでも普通に考えればだ。
「夢見るのは勝手だけど、現実はそう甘くないんじゃないかしら?
アンタじゃセシリアには勝てないわよ。」
そんなジェイクをライラはバッサリと斬って捨てる。
そう、今の席次1位は”普通”ではないのだ。ここ30年の間で3人目となる「100年にひとりの天才」がその座を守っていた。
「そ、そんなことないだろ。俺だって本気を出せばセシリアにだって……。」
返すジェイクの言葉はどこか歯切れが悪かった。まあ、”本気を出せば”などと言っている時点でそれは既に負け犬の遠吠えにも近い。
「確かに1年前ならアンタにもちょっとは目があったかもしれないけど、今は無理ね。
何せ今じゃフランセスカさんですら5本に1本は取られるって言ってたもの。」
現在セシリアはイルムハートの他にフランセスカとも時折訓練を重ねていた。自称”イルムハートの妻”同士、共に切磋琢磨しあうことで目に見えてその実力を上げているのだ。
「あの子はあの子で惚れた相手のため必死に頑張ってるわけ。アンタみたいにヘラヘラ生きてるのとは違うのよ。
尤もその相手の誰かさんはと言えば、未だにハッキリせずにぐずぐずしてるわけだけれど。」
ライラはそう言ってイルムハートに非難めいた視線を送る。どうやら矛先が変わったらしい。
「いや、そうは言うけどさ、僕の身にもなってみてくれよ。
普通、いきなり「妻になります」とか言われてもどう対応していいか分からないだろ?しかも、一度に2人だよ?
僕はまだ14なんだ。今まで結婚なんて考えたことも無かったんだから。」
フランセスカとセシリアから”押し掛け妻”宣言をされて既に半年以上経ったが、いまのところ以降の進展はないし強引に進めようとする動きも無かった。
「イルムハート君はまだ14歳で成人すらしていない。それで結婚というのはいくら何でも早すぎるだろう。今そんな話をしても彼に負担をかけるだけだ。
本当に彼のことを考えるならば、少なくとも成人するまで待つべきなんじゃないかな?」
そう言って上司のフレッドが”必死に”フランセスカを説得してくれたおかげである。
これにはフランセスカも反論出来ず不承不承ながらも受け入れざるを得なかったし、「ならば私だけ抜け駆けするわけにはいきません」と言うことでセシリアも大人しくなった。
結局は問題を先送りしたに過ぎないのだが、それでも考える時間が出来たことは有難い。この件はそう簡単に答えの出せる問題ではないのだ。
勿論、イルムハートとしても2人が嫌いなわけではない。むしろ憎からず思っていると言ってもいい。
しかし、結婚となれば話は違って来る。果たしてそこまで強い想いがあるのかどうか自分自身解らななかったし、しかも相手は2人である。
トラバール王国は必ずしも一夫一婦制をとっているわけではない。一夫多妻だろうが一妻多夫だろうが、当人たちが良ければそれでも問題はなかった。要は本人に甲斐性さえあれば他人が口出すことではないという考えだ。
だからと言っていきなり2人も同時に娶るというのは前世の常識がどうにも抵抗感を示し、余計イルムハートを悩ませることとなる。
尤も、おそらくではあるがフランセスカもセシリアもそこまで深刻には考えていないだろう。愛する者と一緒になりたい、純粋にそれだけを願っているのではないだろうか。
本来、それで良いと思うのだが生憎いろいろと考えてしまうのがイルムハートなのだ。”生真面目”と言えば聞こえはいいが要するに優柔不断なのである。
「ホント、こう言う話になると途端にダメ男になるのよね。箱入り息子にもほどがあるわ。」
ライラが呆れ果てるのも無理ないことであった。
返す言葉も無く黙り込むイルムハート。
「あら、イルムハートさん、ちょうど良かった。今、貴方に使いを出そうとしていたところだったの。」
すると、そんな彼に救いの女神が現れる。ギルド長の女性秘書だ。
「僕に何か御用ですか?」
「ええ、ギルド長がお呼びなの。」
救いの女神?……いや、どうやら違ったようである。どちらかと言えば不幸の使者かもしれない。
「ギルド長がですか……。」
何やらまたしても厄介事の匂いがした。だが、今ここでライラに責め続けられるよりはギルド長の相手をする方がまだましかもしれない。
「と、とりあえずこの話は置いといて、まずはギルド長のところへ行かないかい?」
イルムハートはどうにかしてこの場を逃れようと皆にそう促した。
しかし
「でも、ギルド長のご指名はイルムハートだけなんだろ?
俺達が呼ばれたわけじゃないしな。」
「そうね、アタシ達がいたら邪魔かもしれないし。」
「僕達はここで待ってますから、どうぞゆっくり話をして来てください。」
と、にべもない。あっさり見放されてしまう。
普段はそれぞれ勝手なことを言い合っているはずの3人なのに、こういう時だけは不思議と息が会うのだ。
そんな3人に対し恨みがましい視線を送ってみるが全く意に介する様子など無い。
結局、がっくりと肩を落としながらひとりギルド長室へと向かうしかないイルムハートだった。