女の闘いとそして大団円? Ⅱ
もはや、こうなってはどうにもならなかった。
イルムハートが何を言ったところでセシリアもフランセスカも聞く耳など持っていそうもない。
ライラの言う”引けない理由”については一体何なのか皆目見当もつかなかったが、それほど大事なことならば思い切りやればいいさ。イルムハートは少し拗ねながらそう思う。
そして、剣を手に相対するセシリアとフランセスカ。
「じゃあ、アタシが審判をするわ。
言うまでも無いとは思うけど、お互いどんな結果になっても恨みっこなしよ。いいわね。」
ライラの言葉に2人は「もちろん」と応えた。
それを聞いて満足したように頷いたライラはゆっくりと右手を挙げる。
「それでは、始め!」
試合開始の合図ともに動いたのはやはりセシリアだった。正に電光石火、あっという間に間合いを詰めフランセスカの肩口を狙う。
対するフランセスカは、そのあまりの素早さに少々驚きはしたもののこれを確実に受け流した。
初顔合わせでありながらフランセスカがセシリアの尋常でない速さに上手く対処出来たのは、彼女が思考加速を使えるということもあるが何より剣先を相手に向けるセシリアの構えがその狙いを教えてくれていたからだった。
尤も、セシリアからしてみればそれも想定内。彼女の場合、一撃で仕留めることは考えておらず手数での勝負を得意としていた。なので、すぐさま切り替えて次の攻撃へと移る。
しかし、フランセスカは慌てることなくそれにも対応する。スピード・ファイターとの闘い方を知り尽くしているうようだ。
イルムハートはこの闘い、単純に技術でならセシリアも決してフランセスカに引けは取らないだろうと見ていた。
片や”剣聖”の恩寵持ち、そしてもう一方は思考加速の使い手。それだけを見れば勝負がどちらに転ぶか予想もつかない状態だ。
だが、それでもセシリアの勝ち目は薄いとイルムハートは考えていた。理由は圧倒的な経験の差である。
イルムハートに訓練を付けてもらうようになってセシリアもその経験値をぐんぐん上げて来てはいるが、それはあくまでもここ2年ほどの話でしかない。それまでは独学でしか剣を学んでいなかったのだ。
それに比べフランセスカは幼い頃から現騎士団長のフレッドに鍛えられ、入団してからも数々の経験を積んで来ている。この差は大きい。
確かにセシリアの剣は凄まじく速かった。そこからくる手数の多さにはフランセスカですら押されているかのようにも見える。
だが、それでも剣が届くことは無かった。すんでのところで、しかし確実に捌かれてしまう。
それは思考加速によるものではなく、経験に裏打ちされた”先読み”の結果だった。相手の視線や無意識の内の予備動作、果ては息づかいまでをも見ることで次の攻撃を予測しているのである。
傍目にはセシリアが一方的に攻め込んでいるようには見えるが、このまま続けてもイルムハートと闘った時の様にいずれはジリ貧になってゆくだろう。何しろフランセスカはまだ一度も連撃を放ってすらいないのだから。
その点はセシリアも良く解かっているようだ。その表情には徐々に焦りの色が浮かんで来る。
やがてセシリアは一端攻撃の手を休め後ろへと飛び退った。そして剣を鞘に仕舞う。
それにはフランセスカだけでなくライラ達も驚いた。試合を放棄するつもりなのか?と。
が、それも一瞬。フランセスカはすぐさま気を引き締める。勝負を捨てるどころか、セシリアの闘気は更に高まりつつあったからだ。
何か奥の手を出そうとしている。フランセスカはそう判断した。
その考えは正しい。そう、セシリアは”アレ”をしようとしていたのだ。
”セシリア流抜刀術”。彼女自身が命名した技の名である。まあ、今のところイルムハートにしか見せていない技なので、他にその名を知る者は誰もいないのだが。
その技は本人も自覚している通り基本的には一見殺しの奇策ではあるものの、この2年でかなりの改良が加わっているため最早”必殺技”と呼んでもいいレベルにまで昇華されていた。
これならフランセスカにも通用する可能性はあった。……但し、昨日の彼女にならばだ。
そう、”今日の”フランセスカにはおそらく防がれてしまうだろう。何故なら彼女は昨日、イルムハートとの試合において自分の思考加速の能力に気が付いてしまったからだ。
いくらセシリアが常識外れのスピードで攻撃を掛けたとしてもフランセスカにはそれが”見える”のである。そして、見えてさえいれば彼女の技量を持って何とか対応してくるに違いなかった。
次の一手を出した時、セシリアは敗れる。イルムハートはそう予測した。
だが、それを口にするわけにはいかなかった。セシリアもフランセスカも真剣に闘っているのだ。それに対し、どちらか片方にだけ助言するような真似は出来ない。
そんな風にルムハートが見守る中、彼女はやはり”セシリア流抜刀術”とやらを使った。
一瞬にしてフランセスカの間合いの更にその奥へと入り込む。この時点ではさすがにフランセスカも対応は出来ず、あっさりと懐に入られてしまった。
次いでセシリアは剣を抜こうと動く。
イルムハートとの対戦においては柄頭を押さえつけられ抜剣を封じられてしまったが、その点を踏まえ今度は最初から相手の手の届かない位置まで腰を沈めていた。これでは相手も対処のしようが無い。
しかし、そこはフランセスカである。瞬時に状況を判断すると、身体をセシリアへとぶつけて来た。ゼロ距離にすることで剣を抜くための動きを封じようと言うのだ。
尤も、その行動はセシリアも織り込み済みだった。妨害して来る相手の動きをいくつも想定し、それに対処する方法も考えてある。
そこでセシリアは体当たりしようとするフランセスカに対し、逆にこちらからぶつかってく。
セシリアは剣を抜くために深く腰を下ろしていた。つまり、重心が低い状態にある。しかも、まだ剣を抜いていないので両手は空いたままだ。
その状態から腰だけをやや浮かし、相手の腰下を両手で抱えるような形で押し込んでゆく。要はラグビーのタックルに似た形である。これなら小柄なセシリアでも相手を押し倒すことが可能だった。
ひどく泥臭い闘い方にも見えるが、剣の勝負とはそもそも命の取り合いなのだ。見た目にかまけたせいで敗れてしまうなど愚かなことでしかない。
当然、フランセスカもそう思っていた。
なので思い切りよく剣を手放すと身体の向きをセシリアに対して少し斜めに傾け両腕でその肩を掴む。そして足を掛けながら、突っ込んで来たセシリアの勢いを利用し体を回す。
見事に足払いが決まった。セシリアの身体は宙を舞いその後地面へと叩きつけられる。
その衝撃で意識が一瞬飛びかけた隙に、フランセスカはセシリアの剣を抜いて彼女の首元へと当てた。
「勝負ありましたね。」
どこか満足そうな笑みを浮かべながらフランセスカが言う。
その言葉にセシリアは悔しさと悲しさの混じった表情で答えたのだった。
「……参りました。私の負けです。」
セシリアが負けた。
だが、それも仕方のないことだろうとイルムハートは思う。あまりにも相手が悪過ぎた。何しろフランセスカは王国騎士団において団長のフレッドに次ぐ実力者なのだ。
だから決して恥じる必要などない。この敗北を糧として己を鍛え上げ、またいつか再戦すればいいのだから。
などとお気楽に考えるイルムハートだったが、それにしてはどうにも周りの空気が重い。皆、妙に沈み込んでしまっていた。
「セシリア……。」
ライラは勿論として、ジェイクですら彼らしくもない悲壮な顔つきをしていた。しかも、いつもなら何かしら茶々を入れてくるはずのケビンですら黙り込んでいる。
(皆、どうしたんだ?)
それでもまだイルムハートには状況が理解出来ていないかった。どうやらライラによる”精神的に欠陥があるレベルの鈍さ”という分析は決して大げさな言い方でもなかったようだ。
「良い勝負でした。さすが、旦那様の弟子を名乗るだけのことはありますね。」
そんな中、ただひとり笑顔を浮かべるフランセスカがそう言ってセシリアに手を差し伸べた。
その言葉にセシリアは一瞬ピクリと反応を示したが、今回は何も反論せず大人しくその手を借りて立ち上がる。
そして
「いえ、勝負に負け”師匠”とは呼べなくなってしまった以上、私にもう弟子を名乗る資格はありません。」
と、僅かに涙ぐみながらそう応えた。
それを見たフランセスカはセシリアに向けて優しく微笑みかける。
「何を言っているのですか?私はそのような条件を付けた覚えなどありませんよ?」
セシリアにとってその言葉は意外だったようで、きょとんとした表情を浮かべた。
「え?でも”師匠”か”旦那様”か、どっちなのかを決める勝負だったのでは?」
「いいえ、そんなことはありません。
私は”旦那様”と呼ぶことを認めてもらいたかっただけで、それ以上のことなど望んではいませんよ。」
そしてフランセスカはいよいよ核心に触れる。
「貴女も旦那様のことを愛しているのでしょう?
それは私も同じで、気持ちは痛いほど良く解かるのです。
そんな貴女に対し身を引けなどと酷いことが言えると思いますか?」
「はぁ!?」
その言葉にはセシリアよりもイルムハートのほうが激しく反応した。
「セシリア?」
驚いてイルムハートが見つめたその先には首元まで真っ赤に染め恥ずかしそうに俯くセシリアの姿があった。
さすがのイルムハートもそれで全てを理解する。要するにこの勝負はイルムハートを巡っての”女の闘い”だったのだと。
想像もしていなかった事の真相に唖然とするイルムハート。
「やっと分かったみたいね。つまりは、そう言うことよ。」
出来の悪い生徒を諭すかのようにライラが語りかけて来る。
しかし、今のイルムハートにはそれに応えるだけの余裕などない。頭の中がパニックになりかけていた。
そして、それに拍車を掛けるような会話がセシリアとフランセスカの間で交わされる。
「私には最初から旦那様をひとり占めするつもりなど毛頭ないのです。旦那様ほどの方を私ごときが独占することなど出来るはずもありませんからね。
私がこの勝負を受けたのは貴方の力を見定めるためと、貴女に私を認めてもらうためなのです。」
そう言うとフランセスカはすっと右手を差し出した。
「闘ってみて分かりました、貴女なら共に旦那様の支えとなり歩んでゆくに相応しい女性だと。
貴女の方はどうですか?私のことを認めてくれるでしょうか?」
「勿論です!」
先ほどまでの沈んだ表情とは打って変わり、キラキラと目を輝かせながらセシリアはフランセスカの手を握った。
「立派な奥さんになれるよう、一緒に頑張りましょう!ヴィトリアさん!」
「フランセスカで構いません。私も貴女のことはセシリアと呼ばせてもらいます。」
「はい、フランセスカさん。」
どうやら話はまとまったようである。但し、もうひとりの当事者であるはずのイルムハートだけは完全に蚊帳の外にいた。
口を挟もうにも何をどう言っていいものやらさっぱり思い浮かばない。最早、事態の推移に思考がついていかなかった。
「よかったわね、セシリア。」
「はい、ありがとうございます、ライラさん。」
「ライラ殿、セシリア共々これからもよろしく頼む。」
「いつもいつも、何でお前ばっかり。世の中、ホント不公平だよな。」
「それにしても、2日間で2人も花嫁を手に入れたわけですか。これは何とも面白……いえ、おめでたい話ですね。」
何やら盛り上がる女性陣に愚痴るジェイクと茶化すケビン。絵に描いたような大団円である。
しかしそんな中、イルムハートだけが魂の抜け殻のような表情でひとりただ呆然と立ち尽くしていた。
(何がどうしてこうなった?)
イルムハート・アードレー・フォルタナ。若干14歳にして2人の妻(自称)を持つこととなった彼の行く末に幸あらんことを祈るばかりである。
時は少し遡り、その日の昼を過ぎた辺り。
王国騎士団本部ではひとりの客がフレッドの元を訪ねていた。友人のビンス・オトール・メルメット男爵である。
「フランセスカがイルムハート君に結婚を迫ったというのは本当か?」
挨拶もそこそこにビンスはそう問い質した。
それに対しフレッドは笑いながら答える。
「さすがに耳が早いな。本当だよ。尤も、相手の意思など関係ない、正に”押し掛け”結婚というやつだけどね。」
「そうか。まあ、あの娘ならそれくらいのことはやりかねんか。」
ビンスは呆れながらも妙に納得した表情を浮かべた。
彼とフレッドは初等学院からの付き合いで、互いの屋敷も良く行き来していた。そのため、フランセスカのことも彼女が子供の頃から良く知っているのだ。
「で、わざわざそれを確認するために来たのかい?」
「今回の件、段取りに手を貸した以上は知らぬ振りも出来んからな。」
”今回の件”、イルムハートとフランセスカの出会いは実を言うと決して偶然などではない。フレッドが仕組んだことなのである。そして、少なからずビンスもそれに加担していたのだった。
”龍族の祠”の一件により良からぬ連中から目を付けられる可能性の出て来たイルムハートに対し、フレッドは何とか騎士団との繋がりを作れないかと考えた。何かあった時はそれを口実として表立った動きが出来るような、そんな関係を築いておきたかったのである。
だが、問題はそのための”パイプ役”を誰にするかだった。
勿論、イルムハートがアルテナ高等学院の先輩であるロードリック・ダウリンと懇意なのはフレッドも知ってはいた。ただ、彼だけでは弱すぎた。ロードリックも将来有望な男ではあるものの、今はまだ一介の団員でしかない。もし政治的な圧力があれば、それに抗しきれる程の力があるわけではないのだ。
そこでフレッドはフランセスカに白羽の矢を立てた。
彼女には地位も実力もある。しかも、純粋に強さを信奉する彼女ならイルムハートの実力を知ればきっと粘着……ではなく付き纏い……まあ、要するに強く関係を持とうとするに違いない。それを狙ったわけだ。
その際、フレッドは2人が出会う環境を作るためビンスにも助力を求めた。それに応じビンスがいろいろと聞き込んで来た情報から導き出した答えがトパの件なのだった。
魔力分布に関する調査であれば実績のあるイルムハートに指名依頼を出したとしても特に不自然ではないはずだし、王太子の行幸を口実にすれば多少強引ではあるもののフランセスカを派遣することも可能である。
フレッドはすぐさま国土院に手を回し指名依頼を出させると共に、彼女の要求を受け入れる振りをしてフランセスカにトパヘの遠征を命じた。
全てはイルムハートとフランセスカの出会いをお膳立てするために。
「それについては感謝しているよ。やはり情報収集に関してはお前の方が一枚も二枚も上手だからな。」
そう言ってフレッドは感謝の言葉を口にしたが、それを聞くビンスの表情は冴えなかった。
「それは良い。だがな、どうするつもりなのだ?」
「どうするつもり、とは?」
「決まっている、フランセスカのことだ。
いくら親交を深めるのが目的とは言え、さすがに結婚までは行き過ぎだ。何とか思い止まらせる必要があるだろう。
それとも何か?このまま放っておくつもりなのか?」
「ああ、それか。」
心配げなビンスをよそに、フレッドは明らかに面白がっている様子だ。
「確かにあれには私も驚いたよ。まさかいきなり妻になるなどと言い出すなんて、どうやら少しばかりフランセスカの性格を甘く見過ぎていたようだ。
しかし、こればかりは本人の気持ちの問題だからね。あれこれ私が指図するようなことではないだろう。」
そんなフレッドを見てビンスは深くため息をつく。
「そう笑っていられる状況でもないと思うがね。
この件、アイバーン殿には何と説明するつもりだ?」
アイバーンの名が出た途端、フレッドの表情が固まった。
「彼がお前に望んだのは陰ながらイルムハート君を護る事ではないのか?
それがいつの間にか勝手に妻まであてがっていたと知れば、果たして何と言うかな?」
ビンスの言葉を聞くうちにフレッドの顔色は徐々に蒼ざめてゆき、ついには油汗まで流し始める。
「まさか、何も考えていなかったのか?」
ビンスの問い掛けに対し、フレッドはまるで操り人形の動きのようにただコクンと首を縦に振るだけだった。
「お前というやつは……。」
心底呆れ果てたといった表情でビンスはフレッドを見る。
「……どうしたらいいと思う?」
「さっきも言った通り、フランセスカに思い止まらせるしかあるまい。」
「そうか、そうだな。あの娘には悪いが、ここは一度考え直してもらうとするか。」
なんとか一筋の光明を見出したフレッドはほっと安堵の表情を浮かべた。
だが、そんなフレッドの心の平穏も長くは続かない。帰宅後、フランセスカから学院での一件を聞かされたのである。
それにより、彼の淡い希望を託した目論見は木っ端みじんに打ち砕かれてしまったのであった。




