女の闘いとそして大団円? Ⅰ
王国騎士団本部にてフランセスカから押し掛け妻宣言を受けたその翌日、学院の教室でイルムハートは心底疲れ果てた表情を浮かべていた。
昨日は本当に大変だった。
勢いの止まらないフランセスカはとうとうイルムハートの両親に会いに行くとまで言い出したのである。
何とか思い直すよう説得してはみたのだが、すっかり主導権を奪われてしまったイルムハートには既にフランセスカを制御する事など出来はしない。
だが、さすがにラテスまで乗り込まれてはマズいと思ったのだろう。そこでフレッドが出て来て何とか彼女を思い止まらせることが出来たのだった。
但し、「その件についてはそう急がなくてもいいんじゃないかな?」と、要は先送りする形で。
つまり、フランセスカは決して諦めたわけではないのだ。となると、いずれこの話は再度蒸し返されることになるだろう。それを考えるとため息しか出て来ない。
「何かあったんですか、イルムハートさん?
随分お疲れの様ですけど。」
そんなイルムハートを見てサラが心配そうに声を掛けてきた。
「本当だよ。講義の間もぼーっとしたままでさ。」
エリオもそう言ってイルムハートの顔を覗き込む。
「心配させてすまない。昨日はいろいろあってね。でも、大丈夫。」
そんな2人にイルムハートは笑顔で答えた。別に無理に笑って見せたわけではない。彼女達の心遣いに自然と笑みが浮かんだのである。
何しろ昨日のパーティー・メンバー達の反応たるや酷いものだったのだ。
ジェイクは完全に嫉妬の塊と化し、ケビンは明らかに面白がっていた。ライラに至っては何やら呆れた視線を送ってくる始末。誰ひとりとしてイルムハートのことを気遣ってくれる者はいなかった。
それに比べてこの同級生たちの何と優しいことか。イルムハートは心が癒されてゆくのを感じた。
だが、そんなイルムハートの穏やかな時間も長くは続かない。
「師匠ーーー!!」
大声と共にセシリアが教室に駆け込んで来たのである。
授業は全体講義だったため教室には他の生徒もおり、その全員が何事かと一斉にセシリアを見つめた。
そんな中、彼女はとんでもないことを口走ってくれる。
「け、結婚したと言うのはホントですか!?師匠!!」
その言葉で皆の視線が今度はイルムハートに集まった。
「セシリア……。」
溜息をつきながらイルムハートは頭を抱える。うっかり忘れていたが問題児はここにもいたのだ。
「イ、イルムハートさん、結婚って!?」
「してない、してない。」
蒼白な顔で尋ねて来るサラに向かってイルムハートは両手を振り否定してみせた。
「そうなんですか?
でもジェイク先輩が……。」
その言葉を耳にしたセシリアは噂の出所が誰であるかを口にする。
やっぱり、ジェイクか。とイルムハートは眉をひそめた。後できつくお仕置きしてやろうと心に決めながら。
「僕はまだ成人にもなっていないのに結婚なんかするわけがないだろう。
そもそも、アイツの言うことを真に受けるほうがおかしい。何たって、”あの”ジェイクだぞ?」
その一言は決定的だった。セシリアもサラもそれで納得し、教室にいた全員が「それもそうだ」と一気に興味を失う。”お調子者”ジェイクの噂は今や全校生徒が知るまでになっているのだった。
今回の場合、必ずしも根拠の無い出まかせを言っているわけではないのだが、ここはジェイクに泥を被ってもらうことにする。これも日頃の行いによる自業自得と言うやつだ。
「すみません、つい我を忘れてしまって……。」
セシリアは己の行為を思い返し、すっかり消沈してしまう。
「まあ、いいさ。今回はジェイクが悪い。
でも、次からはもう少し良く考えてから行動するように。いいね?」
何かある度にこんな感じで怒鳴り込まれてはたまらない。イルムハートはやんわりと釘を刺す。
「はい、解りました。」
セシリアは神妙な顔で頷いた。考えるより先に体が動いてしまうようなところも少しはあるが、根は素直で良い娘なのだ。
「ところで……次の授業は大丈夫なのかい?もうそろそろ始まる時間だけど?」
そんなセシリアにイルムハートは心配げな顔で尋ねた。
騎士科の校舎は学術科とは別の建物である。しかも学院の敷地が広い分、かなり距離は離れていた。なので、下手をすると次の授業に間に合わなくなってしまうかもしれない。
「あっ!」
どうやらその辺りのことは一切考えていなかったようだ。セシリアの顔が一気に焦りの表情に変わる。考えるより体が先に……少し?
「そ、それでは師匠、また後で。どうもお騒がせしました。」
そう言い残し、セシリアは教室を駆け出て行った。まあ、彼女のスピードならなんとか間に合うだろう。但し、廊下を走ったせいで後々叱られることになるかもしれないが。
「で、結局何だったんだ?」
そんなセシリアの後姿を見送りながらエリオがポツリと呟く。
その言葉は教室にいる全員の気持ちを代弁していたようで、イルムハートを除いた全ての者がそれを聞いて思わず頷いてしまったのだった。
「なるほど、そのフランセスカとかいう人から勝手に結婚宣言されてしまったと言うわけですか。」
授業が終わり訓練のために皆で集まった際、イルムハートは詳しい話をセシリアにして聞かせた。
さすがに全てを無かった事にしておくわけにもいかない。後になってバレるよりは、早めに正しい情報を伝えておいたほうが良い考えたのだ。
「それで?師匠はキッパリと断ったんですよね?」
「まあ、それはだね……。」
問い詰めるような目つきでセシリアに迫られたイルムハートの返事はどことなく歯切れが悪い。
「断らなかったんですか?」
「いや、断ろうとしたんだけれど相手が聞く耳を持たなくて……。」
「断らなかったんですね?」
「だから、後でちゃんと話し合うつもりで……。」
あまりにも煮え切らないイルムハートの言葉にセシリアは思わず大きなため息をついた。
「全く師匠ときたら……ホントにライラさんの言った通りなんですね。」
そう言いながらセシリアがライラに目をやると、彼女は「だから言ったでしょ」と言った風に小さく肩をすくめて見せた。
「えっ?ライラが何だって?」
「いえ、何でもないです。」
セシリアはやれやれと呆れた感じで頭を振る。その言葉の響きに込められた言外の圧力にイルムハートはそれ以上言葉を継ぐことが出来なかった。
(何だか、最近ライラに似てきてないか?)
などと、そんなことを思う。
すると、そこへジェイクが意地の悪い表情を浮かべて割り込んで来た。
「な、言った通りだろ?
口では何を言ったところで、やっぱりイルムハートも美人には弱かったのさ。」
その言葉にはかなりの毒が含まれていた。どうやらフランセスカの件でかなり根に持っているようだ。
とは言え、元々フランセスカからしてみればジェイクの存在など最初から眼中に無いのでこれは一方的な嫉妬でしかない。要するにただの八つ当たりである。
だが、そんな風にイルムハートの弱みを突き優位に立ったと勘違いするジェイクに対し、セシリアは冷ややかな視線を送り言い放つ。
「何言ってるんですか、ジェイク先輩もジェイク先輩です。師匠が美女に迫られてデレデレしてたとかいい加減なことばかり言って。
師匠に限ってそんなことあるわけないじゃないですか。そこまで浮ついた人間じゃありませんよ。
いつもそんなテキトーなことばかり言ってるから先輩はモテないんです。」
尤も、そのいい加減な話を鵜呑みにして教室まで押しかけて来たのは誰あろうセシリア本人なのだが、どうやらそれは無かったことになっているらしい。全てジェイクのせいにしてバッサリと切り捨てた。
「セ、セシリアお前、何言い出すんだ。それとこれとは関係無いだろ。
それに、そもそも俺はお子様なんかに興味は無いんだよ。」
「大人の女性が好きなんですよね?
でも、同年代にすらモテないような男が年上に好かれるとも思えませんけど。」
「お前なぁ……。」
最早、口論においてはセシリアにすら勝つことが出来なくなってしまったジェイク。例によってひとりやさぐれる。
「セシリア、何もそこまで言わなくてもいいんじゃないか?」
すっかりサンドバッグ状態のジェイクを見てさすがに気の毒に思ったイルムハートが何とかフォローしようとしたものの、「そもそもハッキリしない師匠にも問題あるんですよ」と逆に怒られてしまった。
(やっぱり、ライラに似てきた。)
いつの間にかイルムハートやジェイクをも圧倒するほどになりつつあるセシリア。ただでさえイルムハートの周りには手強い女性が多いのに、どうやらまたひとり増えることになりそうだ。
そんな決して明るくはない未来を予感しイルムハートは内心で頭を抱える。
「今日のセシリアさんはいつになく絶好調ですね。いい感じです。」
そんな中、ケビンだけはいつも通りだった。この何やら気まずい空気の中にいながら、そこは完全に他人事としてむしろ面白がっているようだ。
まあ、一見修羅場の様に見えても結局はいつもの5人なのである。他人からは和気あいあいと騒いでるようにしか見えないだろう。
そんな彼等に、遠くから不意に声を掛けてくる者がいた。正確にはイルムハートひとりに、だったが。
「こんなところにいらしたのですね。」
セシリアを除く4人は聞き覚えのあるその声にはっとする。そして、「まさか!?」といった表情で声の主に目を向けた。
「フランセスカさん!?」
そんな皆の視線の先には、なんと私服姿のフランセスカがひとり笑顔を浮かべ佇んでいたのだった。
突然のフランセスカ登場はイルムハート達にとって完全に予想外だった。
それはそうだろう。彼女は騎士団員であり、本来学園内にいるはずのない人物なのだ。
「”さん”付けなどと他人行儀な言い方はせず、ただ”フランセスカ”とお呼び下さい、旦那様。」
当のフランセスカは笑顔を深めそんな言葉を口にしながらイルムハート達の方へと歩み寄って来る。
”旦那様”。フランセスカがその言葉を口にした時、イルムハートはセシリアから何やらドス黒いオーラが発せられるのを感じ思わず身震いした。
その理由までは分からなかったものの、イルムハートは本能的に危険を感じ慌てて話題を変える。
「ま、まあそれは置いておくとして、何故貴女が学院に?」
「旦那様が学ばれているこの学院をひと目見ておきたいと思いまして。」
「それだけのためにですか?」
「はい、妻としては旦那様のことをいろいろ知っておかねばなりませんので。
ちょうど本日は非番でしたものですから、こうして伺わせて頂きました。
それに、旦那様とお会いできるのも楽しみでしたし。」
フランセスカは嬉しそうに言った。それはもうすっかり恋する乙女、と言うより完全に新妻としての顔だった。
ただ、彼女が”旦那様”を連呼する度にセシリアの発する負のオーラはより一層黒さを増してゆく。イルムハートとしてはどうにも空気が重く感じられた。正直、この場から逃げ出したくなるほどだったが、しかしそういうわけにもいかない。
「それにしても、よく入って来られましたね。普段は関係者以外の立入は禁じられているはずですけど。」
いくらアルテナ高等学院が”開かれた学院”であったとしても誰しもが勝手に入り込めるわけではない。当たり前だが、”開かれた”というのはそう言う意味では無いのだ。貴族の子女も多いため、むしろセキュリティは厳しいほうだった。
「ダウリンに連れて来てもらったのです。」
「ロードリック先輩に?」
「ダウリンが後輩の指導を行うということにして立入の許可を取ったのです。私はその付き添いと言う形ですね。
さすが元席次1位、その肩書は伊達ではないようで簡単に許可してくれましたよ。」
「で、先輩は?」
「何やら用事があるとのことらしく、ひとりどこかへ行ってしまいました。じきここへ来るとは思いますが。」
逃げたな。イルムハートはそう思った。
だが、彼を責める気にはなれなかった。おそらくロードリックもフランセスカに無理強いされ仕方なく連れて来たに違いないからだ。なのでこの場合、むしろ彼も被害者と言えるだろう。
それにしても昨日の今日でこれだ。その行動力と言う点だけを見れば正直に感心するしかない。但し、見習いたいとまでは思わなかったが。
「まあ、せっかく来られたんだし、学院内でも案内してあげたら?」
同じ女性としてフランセスカの行動に何か感じるものがあったのだろう、ライラは苦笑交じりながらもどこか親しさのこもった口調でイルムハートにそう言った。
そこでジェイクが「それなら俺が」と名乗りを上げはしたものの、当然のようにそれは全員からスルーされる。
「よろしいのですか?」
ライラの言葉にフランセスカは満面の笑みを浮かべた。
その性格は置くとして、元々人もうらやむような美貌の持ち主なのだ。そんな彼女からこんな笑顔を向けられて「ノー」と言える男などいるはずがないだろう。
「そうですね、わざわざいらしてくれたことですし……。」
そう言ってイルムハートが案内を引き受けようとしたその時、突然セシリアが割って入って来た。
「ちょっと待ったー!」
セシリアは両手を広げ2人の間に立ち塞がる。それから、ビシッ!とフランセスカを指さした後、声高にこう宣言した。
「ヴィトリアさん……でしたっけ?
貴女に剣の勝負を申し入れさせてもらいます!」
突如フランセスカへ勝負を挑むセシリア。
その状況に男性陣は呆気に取られ言葉を失う。
だが、それに対し女性陣は至極冷静だった。まったく動揺する素振りさえ無い。
ライラは「まあ、そうなるわよね」と小さく呟き、フランセスカはと言えば興味深そうな目でセシリアを見つめている。
「貴女、名前は?」
「騎士科3年、セシリア・ハント・ゼビアです。」
「何故、私と闘うのですか?」
「あなたに負けるわけにはいかないからです。」
負けたくないから勝負する。傍で聞くイルムハートからすれば、まるで禅問答のようなセシリアの返答だった。
「なるほど、分かりました。いいでしょう、この勝負受けて立ちます。」
だが、フランセスカには通じたようである。
「ちょっと待ってください、フランセスカさん。まさか本気じゃないですよね?」
話がまとまりそうになるのを見たイルムハートは慌てて2人の間に割って入った。
「セシリアも無茶するんじゃない。その人は騎士団の中でも……。」
「これは女同士の問題なんです。師匠は黙っててください。」
だが、あっさりセシリアに突っぱねられてしまう。
その際、フランセスカはセシリアの放ったある言葉に気が付き
「”師匠”と言うことは、もしかすると貴女は旦那様の弟子なのですか?」
そう問い掛ける。
”旦那様”。どうやらそれはひどくセシリアをイラつかせる言葉らしく、またしてもフランセスカが口にしたことでついにキレた。
「何ですか、さっきから旦那様、旦那様って!気安く呼ばないでください!
そうですよ!私は師匠の弟子なんです!
だから師匠は私の師匠であって、あなたの旦那様なんかじゃないんです!」
いつになく力のこもったセシリアの言葉だったが、聞いているイルムハートには相変わらず意味不明である。師匠だから旦那様ではない、と言う理論がさっぱり理解出来ない。普通に考えればその2つは全く別のものであるはずなのだから。
「では、そこをハッキリさせる必要がありそうですね。」
しかし、これもまたフランセスカにはちゃんと伝わったようだった。
(何なんだ、この2人?)
イルムハートは唖然としながら2人を見る。
一見、意味不明にしか思えない台詞のやり取りが何故かこの2人の間ではちゃんとした会話として成立しているようだ。それが不思議で仕方なかった。
「相変わらずこういったことには鈍いんだから。」
そんなイルムハートに対し、もはや諦めきった表情でライラが語りかけてくる。
「何で2人が闘わなきゃいけないか、それがまるで分かってないようね。」
「ライラには分かるのかい?」
「勿論よ。2人とも引けない理由があるからに決まってるでしょ。」
「引けない理由って?」
「それはこの勝負が終われば分かるわよ。」
ライラは何とも謎めいた言葉を口にした。
尤も、それを”謎”と感じているのはどうやらイルムハートだけのようだった。ジェイクは何かに気付いたようで驚きの表情を浮かべているし、ケビンなどは完全に状況を理解しこの事態を面白がっている様子だ。
(一体、何だって言うんだよ。)
自分ひとり仲間外れにされているような感覚に襲われ、イルムハートは心の中でそう愚痴った。だがそれは誰かが悪いわけでなく、鈍すぎる彼自身のせいなのである。
そんな困惑するイルムハートのことなど誰ひとり気に留めることなく、セシリアとフランセスカの試合は決定したのだった。