兄妹と兄弟 Ⅰ
「やあ、みんなよく来たな。王国騎士団本部へようこそ。」
馬車から降りたイルムハート達を出迎えたのはロードリックだった。イルムハート達と顔見知りということで案内役を任されたのだ。
「お出迎えありがとうございます。
それにしても、騎士団の本部だけあってさすがに大きいですね。」
イルムハート達の目の前に立つ本部の建物は3階建てとそれほど高いわけでもないが、とにかく横に長かった。両脇の緑地も含めると外壁から内壁までの間を塞ぐ形になっている。
「まあな。ここでこちら側の外郭が終りであることを示す意味もあるんだ。ここからは一般人立入禁止区域となる。」
この先には騎士団の建物や訓練施設などがあり、それが王城の裏門まで続いているらしい。ずいぶんと広大な敷地だ。
ちなみに、正門を挟んだ反対側にも外郭は存在していて、そちらには同じような形で魔法士団の本部があるとのこと。
「団長が来られる迄にはまだ少し時間がある。それまでここを案内しよう。」
ロードリックの話によると、騎士団長は所用で王城内に出向いているようで戻る迄にはもう少し時間がかかるらしい。なのでそれまでの間、本部を案内してもらうことになった。
本部建物の中央には大きな正面玄関が構え、また左右両翼には2階までの高さがあるアーチ状の通路がそれぞれ設けられていた。
「こっちだ。」
ロードリックの後をついてイルムハート達は左側のアーチをくぐる。トンネルのような通路を出るとそこには中庭が広がっており、それを挟みこむようにしてさらに2つの建物が建っていた。
「ここは集会用のホールになっている。そして、庭の向こうにあるのが団員用の宿舎だ。」
宿舎と言ってもそこに”住んで”いるというわけではない。団員はぞれぞれ王都に家を持つか借りるかしており普段の生活はそちらで営む。
ただ騎士団という組織の性質上、普通の仕事のように業務が終了すれば全員が帰宅するというわけにもいかない。いざと言う時に備え10小隊あるうちのいくつかは常にここで待機していなければならないのだ。
それには週ごとにローテーションが組まれていて、当番となった者は本部で寝泊まりすることになるらしい。つまり、宿舎はそのために用意されたものなのである。
イルムハート達に近い建物である集会用ホールの方を見ると、その隣には中庭とは別にもうひとつ庭があった。
やや高めの樹々に囲まれたそこにはテーブルが並べられ使用人たちが料理の準備をしている。どうやらそこで食事会が行われるようだ。
「おお、美味そうな匂いがするな。」
漂ってくる料理の匂いにジェイクが嬉しそうな顔をする。
「食事のマナーが分からないとか言ってグズってたくせに。現金なものよね。」
それを見てライラが呆れたように言った。
「そんなこと言ったって、”食事会”なんて大層なものには慣れてないんだ。心配になるのも当然だろ。」
「アタシにしてみればアンタが何か仕出かすんじゃないかてってことのほうがずっと心配だわ。とにかく、恥ずかしい真似だけはしないでよ。」
あまりにもライラにやり込めらてばかりのジェイクを見て気の毒に思ったのか、ロードリックが助け舟を出す。
「緊張するのも解からないでもないが、あくまでも内々の集まりなのでそう難しく考えることは無い。気楽にすれば良いさ。」
「あんまり甘やさないで下さい、先輩。ただでさえ図に乗りやすい性格なんですからキチンと躾ないとダメなんです、コイツは。」
ジェイクの保護者、と言うよりは調教師的なライラの発言にはロードリックも思わず笑ってしまった。
「まあ、お前が目を光らせていれば大丈夫なんじゃないか?
ただ、食事会の開始はもう少し後になるので、それまで”おあずけ”させておいてくれ。」
「……ひでぇな、2人とも。」
そんな2人の会話に憮然とするジェイクだったが、下手に言い返したところでライラには敵わないと解かっているため反論はしない。ジェイクも彼なりに学習しているのだ。
その後、練武場や厩などを案内されている内に、やがて食事会開催の時刻となる。
ロードリックと共に食事会の行われる庭へと向かうと、そこには第5小隊の面々が既に揃っていた。
但し、小隊長であるフランセスカの姿は無い。おそらく騎士団長と一緒に登場するのだろう。
そしてその予想通り、イルムハート達が団員に交じり談笑しているとフランセスカがひとりの男性と共に姿を現した。
その人物はイルムハート達の方へと真っすぐに向かって来る。
「今日は良く来てくれた。私が団長のフレッド・オースチン・ゼクタスだ。」
ゼクタス子爵フレッド。史上最年少で王国騎士団の長となった傑物だ。
見た目、長身ではあるがそれほど筋肉質ではないし、やや長めに伸ばした茶色の髪と何処か子供っぽいその笑顔から想像するのは難しいが、実は王国内で3本の指に入ると称される剣の達人でもあった。
「本日はお招き頂きまして誠にありがとうございます。私は王都で冒険者をしておりますイルムハート・アードレーと申します。」
イルムハート達も順に自己紹介をしてゆく。
「そう堅苦しい物言いをする必要はないよ。
今日は君達を含めての慰労会なんだ。つまり君達も主役なのだから変に気を使うことなく十分に楽しんでいってくれたまえ。」
フレッドはそう言って笑った。イルムハート達の緊張で硬くなっていた体もその笑顔で少し楽になる。
特にイルムハートにとってフレッドの茶色の瞳は妙な安心感を感じさせた。初対面であるはずなのに、不思議と懐かしささえ覚えるのだ。
「君達にはうちの連中が随分と世話になったようだね。改めて礼を言わせてもらうよ。」
「いえ、とんでもありません。」
フレッドの言葉にイルムハートはちょっと驚く。確かに、招待状には謝意を述べたいと書いてはあったものの、それはあくまで儀礼的なものだろうと思っていた。なので、ここまで直接的な感謝の言葉など全く予想していなかったのである。
「僕達は少しお手伝いさせてもらっただけです。それにそもそも依頼として受けていた件でもありますから、お礼を言われるほどのことではありません。」
「そうでもないんじゃないかな?」
そんなイルムハートの言葉にフレッドは何やら含みのある言い方をする。その目はまるで悪戯っ子のように笑っていた。
「何でも君達だけでかなりの数の魔獣を倒したと聞いているよ?
それに、大型の魔獣はそのほとんどを君とフランセスカで倒したともね。それは十分な活躍と言えるだろう。もっと誇っても良いんじゃないかな。
フランセスカも高く評価しているようで、トパから帰って来てからというもの君のことばかり話しているくらいなんだ。」
「だ、団長!何言ってるんですか!?
変なこと言わないで下さい!」
フレッドの後ろでフランセスカが若干顔を赤らめながら怒ったような声を上げた。
それを聞いたフレッドはニヤリと笑いフランセスカの方を見る。
「おっと、これは内緒にしておいたほうが良かったのかな?
でもね、少しは自分の気持ちに対し正直になったほうが良いと思うよ。」
おどけた口調でそう言われ、フランセスカの顔はさらに赤さを増した。
「いい加減にしないとさすがに怒りますよ。」
「おー、怖い怖い。何もそんなに照れなくていいだろうに。」
「フレッド様!」
そんな2人のやり取りをイルムハート達は唖然として見つめていた。その顔は驚きで満ちている。
何せ、”あの”フランセスカがすっかり手玉に取られているのだ。ちょっと信じられない光景だった。いつもならその自由奔放さで周囲をかき回すフランセスカもフレッドには敵わないようである。
騎士団長、恐るべし。イルムハート達は心の底からそう思うのだった。
食事会はフレッドの短い挨拶の後、すぐに始まった。
元々、フレッドは無駄に長話をするような人間ではないらしいが、それにしてもその挨拶は簡単過ぎた。本来なら慰労の言葉に加え訓示のひとつも垂れるのが普通だろう。
だが、フレッドは
「皆、トパでの件はご苦労だった。これはその労をねぎらう会なので存分に楽しんでくれたまえ。」
とだけ言って挨拶を終えてしまったのだ。
尤も、これには理由があった。フレッドにからかわれたせいで、フランセスカが完全にヘソを曲げてしまったのである。
それに慌てたフレッドは早々に挨拶を切り上げフランセスカを必死に宥めているというのが今の状況だった。
「それにしてもあの2人、随分と仲が良いのね。単なる上司と部下って感じじゃないわ。」
興味津々といった様子でライラはフレッド達に目をやる。
確かにライラの言う通りではあった。ただの部下がヘソを曲げたくらいでわざわざ機嫌を取る騎士団長などどこの世界にいるというのか?
これは、まさか……。
「あの2人は兄妹みたいなものなんだよ。」
ライラが何を想像したのか察したロードリックがその誤解を解くためにそう言った。
「兄妹みたいなもの?親戚か何かですか?」
”みたい”と言うからには本当の兄妹ではあるまい。となれば親戚筋なのだろうか?
しかし、フランセスカは貴族名を持っていない。まあ、よほどの遠縁であればそういうケースもあるかもしれないが。
「いや、隊長の親はオースチン家の使用人なんだ。」
「使用人ってことは平民ですよね?それなのにその子供と兄妹の様に接してるってことですか?」
「まあ、団長はああいったお人柄だから。」
ライラが不思議がるのも尤もである。なので、ロードリックもそう言って苦笑するしかない。
成程、フレッドは貴族としても騎士団長としても常識破りの人物ではあるようだ。なので、ロードリックのそのひと言には妙な説得力があった。
「例え使用人の子でも分け隔てなく接していたみたいなんだが、その中でも隊長は特別なようでね。
何でも隊長がまだ子供の頃、団長の剣の訓練を見て自分もやりたいと言い出したんだそうだ。
で、試しに剣を持たせてみた所、これが中々のものだったらしく、その後は団長直々に稽古を付けてきたらしい。」
「つまり、あの2人は師弟でもあるってことなんですね。それならあの様子も納得できるわ。」
腑に落ちたと言う顔でライラが頷く。
「貴族が平民とそんな風に接するなんて普通なら信じられないところだけど、うちにもそういう変わったお貴族様がひとりいるからまあ有り得ない事ではないんでしょうね。」
「”変わった貴族”って、それ僕の事かい?」
いきなり矛先を向けられたイルムハートは言わずもがなのことを聞く。
「他に誰がいるのよ?」
「ケビンだって貴族だよ。」
「確かにケビンも変わり者ではあるけど、あれの場合は意味が違うでしょうが。」
そう言ってライラはジェイクと共に第5小隊の団員達と話し込むケビンの姿を見やった。ケビンの話を聞く団員達がちょっと引き気味に見えるのはおそらく気のせいではないだろう。
「呪詛や状態異常の魔法にしか興味ないヤツなんて、貴族とか平民とか関係無しにアタシが親だったら絶対に近付けさせないわよ。」
酷い言われ様ではあるがおおよそ間違ってはいない。そのためイルムハートもロードリックもケビンを庇う言葉が思いつかず、ただ乾いた笑いを浮かべるだけだった。
それからイルムハート達はおのおの団員達に交じり食事会を楽しんだ。
デネクでは共に闘った仲なので既に彼等との間に垣根は無い。立食形式の料理を口にしながらデネクの件やその他の話題で花を咲かせていた。
そんなイルムハートに後ろから声が掛かる。
「どうだね、楽しんでくれているかい?」
声の主はフレッドだった。
「はい、とても。今日はここに来られて良かったです。」
「そうか、そう言ってもらえると嬉しいよ。」
フレッドはそう言って笑ったが、その笑顔には少しだけ疲れの色が見えた。
「……フランセスカさんの方はもういいんですか?」
なので余計な事とは知りつつも、ついそんなことを聞いてしまう。
「ああ、どうにも恥ずかしいところを見せてしまったね。」
イルムハートの言葉にフレッドは思わず苦笑いをする。
「昔から強情な娘でね、一端ヘソを曲げてしまうと宥めるのに苦労するんだよ。」
だったらからかったりしなければ良いのに、とイルムハートは思ったがさすがに口には出さなかった。
「フランセスカさんは団長の家で働く使用人の娘さんらしいですね。」
「ダウリンに聞いたのかい?
確かに彼女はうちの庭師の子なんだが、小さい頃から良く知っていてね。どうにも気に掛けずにはいられないんだ。
貴族が平民相手にそんなことを思うのはおかしいかな?」
「いえ、そんなことはないと思います。」
イルムハートは身分制度など無い世界からの転生者である。むしろ、貴族だ平民だと分けて考えることの方が正直彼の肌には合わなかった。何せ同じ人間なのだから。
尤も、そんなことを公言するわけにもいかない。貴族制度を否定する危険な発言と取られてしまいかねないのだ。
「民は国の礎です。平民だからと言ってそれだけで見下すのは貴族として正しい在り方ではないと、そう教わっています。」
「さすがはフォルタナ辺境伯だな。良いことをおっしゃる。」
冒険者として呼ばれているためイルムハートは敢えて貴族名を名乗らなかったが、それでもフレッドはその身分を知っているようだった。まあ、ここへ呼ぶからには身辺調査も抜かりないはずなのでそれも想定内のことではある。
「それにしても、いつもこんな風に慰労会をされるんですか?」
楽し気に会話する団員達を見ながらイルムハートはそんなことを尋ねた。その光景は彼が思っていたような厳格な王国騎士団のイメージとはかけ離れたものだったのだ。
「さすがに任務が終わるごとに毎回催しているわけではないがね。大きな働きを上げた時だけだよ。」
「今回のもそうなんですか?
正直、騎士団の仕事としては異例だったように思いますが。」
王国騎士団本来の任務は王家・王族の護衛である。魔獣討伐で実績を上げたとしてもあまり評価には繋がらないはずなのだ。
「厳密に言えばそうだろうね。王国に功績として認められる内容でないことは確かだよ。
だが、君達はひとつの町とその住民を救ったのだ。それは十分称賛に値するものだと私は思っている。
たとえ王国が認めなくとも私が認めよう。素晴らしい働きだったとね。」
そんなフレッドの言葉にイルムハートは素直に感動した。
権力の亡者に牛耳られていた王国騎士団の暗黒期。そんな中、まだ20代の若さでありながら亡者どもをねじ伏せ膿を出し切り組織の改革を行った人物。
もし彼のような人間が20年前に出て来ていればイルムハートの慕う2人の人物も騎士団を辞めることはなかっただろう。ふと、そんなことを思った。
「それに、お陰でこうして君と対面することも出来たしね。実は前々から会ってみたいと思っていたんだ。」
そんなイルムハートに対しフレッドは意外な言葉を口にした。
「話に聞いていた通りの人物だね、君は。」
「聞いていた?僕のことをですか?」
「ああ、兄からいろいろとね。」
「お兄さん……ですか?」
「そう、兄だよ。」
これにはイルムハートも戸惑った。
まあ、フレッドに兄弟がいてもそれ自体は不思議でも何でもない。だが、それが”兄”となれば話は別だ。
普通、家を継ぐのは第1子と決まっていた。特に法で定められているわけではないが、それは家督争いを避けるための不文律のようなものだ。
なので、もし兄がいるのであればフレッドは家督を継ぐことが出来ない。にも拘わらず、彼はゼクタス子爵家の現当主なのである。
おそらく、そこには何か特別な事情があるのだろう。そう考え返す言葉に困るイルムハートに対し、フレッドは更に困惑を深めるようなことを言った。
「彼のことは君も良く知っているはずだよ。」
「僕の知っている人?」
生憎とゼクタス子爵家に関係する人物との面識など無かった。忘れているだけかもしれないと記憶を辿ってみるが、やはり覚えは無い。
「すみません、どなたのことでしょうか?」
まるでなぞかけのようなフレッドの言葉にイルムハートは白旗を上げる。
「ああ、すまない。回りくどい少し意地悪な言い方だったね。その人物とは……。」
そう言って笑いながらフレッドは今日いち、いやここ数年で一番イルムハートを驚かせる台詞を口にした。
「アイバーン・オルバス。彼は私の実の兄なんだ。」