騎士団の戦乙女と女冒険者の直感 Ⅰ
王都を擁する王国の直轄地・アルテナ領(他の直轄領と区別するためそう呼ばれている)は当然のことながらいくつかの地方貴族領と接している。
その内のひとつがハーゼン伯爵領で、規模こそさほど大きくはないが領主は王国古参の歴史ある家系だった。
ハーゼン伯爵家には王族も何人か嫁いでおり、王室との繋がりも深い。
まあ、だからこそ王都を護る役割を持った直轄領に隣する場所を領地としているわけだが。
そのハーゼン伯爵領との領境近くにあるのがトパの街である。
トパはハーゼン伯爵領を含む東方の各領との交易中継地として大いに栄えていた。中心となるトパだけでも数万に昇る人口を擁し、周辺の町や村を合わせれば十万を越える大都市圏を形成していた。
それだけの街であるためトパには冒険者ギルドの支部が置かれている。アルテナ領においては2つしかない支部の内のひとつだ。
と言うことは、本来ならイルムハート達ではトパ周辺で活動することが出来ないことになる。Eランク以下の冒険者は所属するギルドの管轄地域以外では活動することが許されていないからだ。
だが、今回は指名依頼ということで特別に管轄外での行動が認められることになったのだった。
そして今、イルムハート達はそのトパ・ギルド支部を訪れていた。到着の報告と情報収集のためである。
トパのギルドはさすがに支部だけあって、王都の本部にこそ及ばないものの、大きな建物の中、多くの冒険者達で賑わっていた。
これだけ冒険者が揃っているのだから、何も王都から人を派遣する必要はないのではないか?トパのギルドの要員で十分だろう?と、そう思うかもしれない。
まあ、それはある意味間違いではない。確かに現地近くのギルドで対応すればいちいち移動する手間も省け効率的ではある。
だが、それは冒険者側の都合でしかない。”依頼”というものが絡んでくるとそうもいかないのだ。
依頼はまず依頼者から詳細な情報を聞くことから始まる。そして、その内容を冒険者に対し正確に伝達することが必要なのだ。
この世界、魔力通信機というものがあるにはあるものの、それで送ることが出来る情報量は極めて限られている。それとは別に収納魔法を利用した魔道具で書類等をやり取りすることも可能ではあったが、あまりにもコストがかかり過ぎるためさすがの冒険者ギルドでも全ての拠点に設置することは出来ないでいた。
そんな状況で依頼を受けるギルドと実行するギルドとを分けるのは困難である。情報が正確に伝わらない可能性があるからだ。
なので、依頼を受けたギルドがそこに所属する冒険者に対しそれを委託するというのが通例となっているのだった。
勿論、依頼内容が受けたギルドの対処能力を越えていたり、あまりにも現地が遠すぎる場合はその限りではない。
尚、今回の依頼主は王国国土院で王都の本部に依頼を持ってきた。なので指名の有無に拘わらず、どのみち本部の冒険者が担当する事になるのである。
「ここより北方にデネクという町があります。近頃、魔獣の目撃報告が増えているのはだいたいその周辺ですね。」
対応したギルドの男性職員が地図上を指で示しながらそう教えてくれた。
「デネクですか……これを見ると緩衝域からかなり離れてるみたいです。確かに、そんな場所で頻繁に魔獣が出没するのはおかしいですね。」
イルムハートも手持ちの地図で確認する。それにはその土地の魔力濃度が等高線のように描かれていた。この依頼のためギルドから貸与された魔力分布図である。
「目撃される魔獣はどんな種類ですか?」
「今のところまだ大したヤツは目撃されていません。厄介なのでもせいぜいが犬系とか山猫系程度ですね。」
そうは言いながらも職員の表情は暗い。
「ただ、最初はほんの取るに足りないような奴等ばかりだったんですよ。それが徐々にそこそこの魔獣が現れるようになって……いずれ大物が出て来るんじゃないかと心配していたところなんです。」
偶発的に魔獣が迷い込んでくることは決して珍しくもないし、その場合は討伐してしまえばそれで済む。だが、それが定常化してくるとなれば話は別だ。
魔獣の生態そのものに変化が起きている可能性があり、そうなると冒険者ギルドだけでは対応しきれなくなってしまう。
「そうですね、デネクの住民に被害が出る前に何とか対応しないと。
今のところ討伐の依頼などは発生していないんですか?」
「まだ、そこまでの状況ではないみたいですね。なので、こちらとしても特に動いてはいません。ただ……。」
イルムハートの問いにそう答えた職員だったが、そこで少し妙な表情を浮かべた。何か腑に落ちないといった顔だ。
「ただ、不思議な事に王国騎士団が動こうとしているみたいなんですよね。昨日街に到着したんですが、明日あたりデネクへと向かうらしいです。」
「王国騎士団が!?」
あまりにも意外な名前を聞いてイルムハートの声が思わず大きくなる。
「どうしてこの街に?ひょっとして、王族の方でもいらしてるんですか?」
「いえ、誰も。」
「では、何故騎士団が?」
「どうやら、もともと魔獣の討伐が目的だったみたいですね。」
職員の言葉に唖然とするイルムハート。
「まさか、そんなはずは……。」
彼としては素直に職員の言葉を鵜呑みにすることが出来なかった。
それはそうだろう。
王国騎士団は王家と王族を警護するために存在する集団である。普通なら間違っても単独で魔獣討伐などに駆り出されるようなことはない。それは軍の仕事であって騎士団のすべきことではないのだから。
もし職員の言う通りだとすれば、それはよほどの緊急事態かあるいは勅命が下ったかのどちらかになる。だとすれば只事ではない。
しかし……。
「でも、何かおかしいですよね。
仮に王国が魔獣討伐のために騎士団を動かしたのだとしたら、わざわざこっちに調査を依頼して来るはずもないし……。」
「そうなんですよ。それについては支部長も首をひねってました。
とは言え、こちらが口を出す筋合いでもないですから……ホント、不思議ですよね。」
確かに謎ではあるが、職員の言う通り騎士団の動きに対しギルドが口を挟むわけにもいかないだろう。
「面倒なことにならなきゃ良いけど……。」
どうも嫌な予感がした。裏で政治的な思惑が動いている可能性も考えられる。そんなものに巻き込まれてはたまらない。
出来る限り騎士団とは関わり合いにならないようにしよう。そう心に決めるイルムハートだったが、残念ながら早々にその思惑は覆されるのであった。
「どうだった?情報はもらえた?」
職員との話を終え戻って来たイルムハートにライラがそう声を掛けた。
何も全員が雁首揃えて話を聞く必要もないだろうということで、彼女達は冒険者専用ホールに置かれているテーブルで彼を待っていたのだ。
「まあ、それほど詳細な情報が入ってきているわけではないようだけど、とりあえずまだ大きな問題は起きていないみたいだね。」
「それは良かったわ。……でも、その割にはスッキリしない顔してるわね?」
問題は起きていない、そう答えたイルムハートではあったが、その表情はどこか晴れなかった。そのことにライラは気付く。
「何かあったの?」
「まさか、よそ者だってことで嫌がらせでもされたか?」
そう言って身を乗り出すジェイクだったが、そこへすかさずケビンの毒舌が炸裂する。
「新人やよそ者は嫌がらせを受けるなんて、そんな都市伝説を本気で信じてるんですか?
そもそもイルムハート君のように名前が売れた相手に対してそんな真似出来るわけないじゃないですか。
まあ、ジェイク君にならあり得るかもしれませんけどね。そんな変なこと言ってるようじゃ、おかしな目で見られて当然ですから。」
「お前なぁ……。」
「ハイハイ、そこまでにしときなさい。」
ジェイクはケビンを睨み付け何か反論しようとしたが、すぐさまライラに止められた。
「ケビンもあんまりイジメるんじゃないわよ。挑発されても、どうせコイツじゃ大した反論なんか出来ないんだから。」
「そうですね、ジェイク君とまともな口論しようとした僕が間違ってました。」
「イルムハートぉー、こいつらに何とか言ってやってくれよー。」
あまりの言われ様にジェイクは親からはぐれた子犬のような目でイルムハートに助けを求める。
「2人とも、その辺にしておきなよ。いくら面白いからと言って、弱い者イジメは良くない。」
「くそっ!お前らみんな敵だー!」
とうとうキレて声を上げるジェイクではあったが、皆それを見て笑うだけだった。ジェイクはすっかりパーティーのイジられ……もとい、癒しキャラと化しているのである。
「それで、何を気にしてるの?」
すっかりやさぐれてしまったジェイクは放っておき、ライラは話を戻す。
「うん、どうやら今回の件では僕達とは別に騎士団も動いているらしいんだ。」
「騎士団が!?なんで!?」
その答えにはライラも先ほどのイルムハートと同様に思わず大きな声を上げた。彼女も騎士団が魔獣討伐程度の事で動くはずがないことを知っているのだ。
「分からない。と言うか、そもそも理由なんて知りたくはないな。騎士団が単独で動くなんてよっぽどのことだ。面倒事に巻き込まれても困るから、あまり関わり合いになりたくないしね。」
「そうは言っても、お互い向かう先は同じなのでしょう?
となると、全く接点を持たないというのも難しいのではないですか?」
ケビンの言うことも尤もだった。
「まあ、ある程度は仕方ないだろうね。
でも彼等の目的は魔獣討伐で、僕達の仕事は魔力分布の調査だ。一緒に行動することはないと思うよ。」
「そう上手く行くといいですけどね。」
実のところイルムハートもそれほど気楽に考えているわけではない。ただ、そうあって欲しいとうい願望を口にしたに過ぎないのだった。
そんなイルムハートの気持ちを察したのか、ライラがぽつりと呟く。
「まさか、またギルド長にハメられたんじゃ……。」
「それはないと思うけど……多分。」
王都本部ギルド長のロッド・ボーンは中々に強かな男で、イルムハートも色々と被害を被っていた。まあ悪意があってのことではないのだが、彼の口車に乗せられて結果的に面倒事に巻き込まれたことも何度かある。
しかし、今回の依頼は王国国土院がベフかイルムハートのパーティーということで直接指名をして来たのだ。そこにロッドの思惑が入る余地はないはずである。
「イルムハートは厄介事に巻き込まれやすいところがあるからな。日頃の行いってヤツか?」
すると、先ほどの仕返しとばかりにジェイクは意地の悪い笑いを浮かべた。が、普通なら即座に突っ込まれるところなのに誰も何も言わない。皆はただ黙ってジェイクの顔を見る。
やがてケビンとライラがゆっくりと口を開いた。
「まあ日頃の行いはともかく、他人より厄介なものを背負わされているのは確かですね。」
「そうよね、お調子者でいい加減なヤツの面倒見させられてるんだもの。もしかすると、それがケチの付き始めだったのかも。」
「ああ、それはあるかもしれませんね。」
「……。」
あっさりとジェイクは撃沈される。
(口では勝てないんだからヘタなこと言わなきゃいいのに。)
そんなジェイクを見て、イルムハートは苦笑しながらそう思った。
だが、それもまたジェイクの個性であり、皆も口で言うほど本気で悪く思っているわけでもないのだ。ジェイクがいてくれるからこそどんな深刻な状況も笑い飛ばせる。
何だかんだ言っても、彼はパーティーにとって欠かすことの出来ない存在なのである。
その後、イルムハート達がこれからの行動について話をしていると、一般来客用フロアへと繋がるドアが開き数人の男女がホールに入って来た。
すると、皆の好奇に満ちた視線が一斉に彼等へと注がれる。
まあ、それも無理はないことだろう。何故なら、先頭の男性こそ見慣れた服装のギルド職員ではあったが、それに続く3人の男女は明らかにどこぞの騎士と思われる立派な軽装鎧を身に着けていたのである。
しかも、先頭に立つのはすらりとした体に銀色の髪を背中まで伸ばした美女だったのだ。注意を引かないわけがない。
「うわ、すげー美人。」
ジェイクに至っては思わずそんな声を上げるほどだ。
「あれって、王国騎士団よね?」
「……ああ、そうみたいだ。」
ライラの問い掛けにイルムハートは半分上の空で答えた。だが、決してその美女に見とれていたわけではない。彼は驚いていたのだ。
突然騎士団員が現れた事もそうだが、何よりも女性の胸に装飾された徽章に驚いたのである。
それは彼女が小隊長であることを示すものだった。
別に若い女性が小隊長になること自体は驚く程のことでもない。故郷フォルタナの騎士団にも若くして小隊長になった女性がいる。
しかし、目の前の彼女の見た目はあまりにも若すぎるのだ。どう上に見積もっても20歳そこそこ、見ようによってはまだ十代のようでもあった。
その年齢で既に小隊長の地位にいるのである。しかも、王国騎士団の。それは前例が無いわけではないにしろ、それでも驚くに値することだった。
「あの後ろの男性、もしかしてロードリック先輩ではないですか?」
そのせいで一瞬気付くのが遅れたが、ケビンの言う通り女性に従う2人の男性の内ひとりの顔には確かに見覚えがある。アルテナ学院の卒業生であるロードリック・ダウリン・ルベルテだ。
「ロードリック先輩?」
思わず上げたイルムハートの声でロードリックもこちらに気が付いたようである。
「イルムハートか?」
そう言って近寄って来た。
「久しぶりだな、イルムハート。それに皆も元気そうで何よりだ。」
「先輩もお元気そうで。」
「お前達は何故ここに?仕事か?」
「そんなところです。先輩こそ何でこの街に?」
関わり合いになりたくない。そう思っていながらも、イルムハートはつい尋ねてしまった。そして、余計な事を聞いたと後悔する。
「ああ、実は……。」
「知り合いか、ダウリン?」
イルムハートの質問にロードリックが何か答えようとした時、その背後から声を掛けて来る者がいた。例の美女である。
「あ、隊長。」
彼女の顔を見てロードリックは少し気まずそうな表情を浮かべた。今は職務中であることを思い出したのだ。
「申し訳ありません、学院の後輩たちを見つけたのでつい……。」
「ほう、後輩か。それでは素通りするわけにもいかんな。」
だが、彼女はあまり気にしていない様子だった。それほど堅苦しい人間ではないのかもしれない。
「どれ、私にも紹介してくないか。」
彼女はそう言って皆を見渡した。中でもイルムハートには特に強い視線を送っていたようにも見える。
「はい、まず彼はイルムハート。それから、そっちの……。」
「そうか、君がイルムハート・アードレーか。」
ロードリックがイルムハートの名を口にすると、彼女はその後に続く言葉を遮り身を乗り出してきた。そして顔を寄せじっくりと観察し始める。
「えーと……。」
彼女は戸惑うイルムハートの反応などお構いなしにしばらくの間見つめ続けた後、面白そうに口を開いた。
「なるほど、中々腕は立ちそうだ。ダウリンが手も足も出なかったというのは本当のようだな。」
「隊長、何もそんな話をここでしなくても……。」
バツの悪そうな顔でロードリックが抗議する。しかし、彼女には一切気にする様子は無い。
「何を言う。事実を言って何か問題でもあるのか?
席次1位のお前を1年生の彼が完膚なきまでに叩きのめしたと聞いたが、あれは嘘だということか?」
「いえ、嘘ではないのですが、もう少し穏やかな表現をして頂けないものかと……。」
どうやら在学中ロードリックがイルムハートに剣の試合で敗れたことを誰かから聞いたらしい。
ロードリックにしてみれば今さら過去の黒歴史をほじくり返されたくはないのだろうが、彼女は容赦してくれそうもなかった。
「回りくどい物言いなど私は好かん。負けは負けだ。」
哀れロードリックはがっくりと肩を落とす。その姿にはイルムハート達も同情の念を禁じえなかった。
が、そんなロードリックに対し更なる追い打ちを掛けるような言葉を彼女は口にした。
「イルムハート・アードレー、君とは是非とも一度剣を交えてみたいものだな。」
「隊長、さすがにそれは!」
落ち込んでいる暇もなく、ロードリックは慌てて止めに入る。
いくら腕が立つは言え、イルムハートは一般人である。その彼に騎士団の小隊長が勝負を挑むような真似はさすがにマズい。見過ごせることではなかった。
「解かっている。言ってみただけだ。」
しかし、慌てるロードリックを尻目に彼女は面白そうに笑う。
ロードリックに向けるイルムハート達の視線が同情から憐憫に変わったその時、職員がやって来てギルド長の時間が取れたことを彼女に告げた。
どうやらギルド長と面会するためにここを訪れて来たようだ。
「そうか、急な面会要請にもかかわらず対応してくれて感謝する。
ではギルド長に会いに行くとするか。」
職員にそう言った後、彼女はロードリックへと向き直り
「面会は私達2人で十分だ。お前は後輩たちといるが良い。色々と積もる話もあるだろうからな。」
そう言って笑顔をみせた。
優しいのか厳しいのか、気が回るのか無神経なのか良く解からない女性である。ただ、極めてマイペースな人間であることだけは確実のようだ。
「おっと、そう言えば私の名乗りがまだだったな。」
一度奥へと行きかけた彼女はふと足を止めてイルムハートへ向き直る。そして、どこか不敵な笑みを浮かべながらこう名乗った。
「私の名はフランセスカ・ヴィトリアだ。覚えておいてくれ。
また後で会おう、イルムハート・アードレー。」