剣士の休日と乙女の憂鬱
今年もよろしくお願いします。
ドラン大山脈、天狼の神殿がある広い荒れ地。
今、そこではセシリアが剣の訓練を行っていた。
彼女は転生時に神より”剣聖”の”恩寵”を授かったことに加え、弛まぬ鍛錬によりその剣技は10代前半にして既に達人の域にまで達しようとしている。
そんなセシリアの訓練は次の段階へと入っていた。魔力を放出しながらの剣戟である。
元々、闘気と魔力を同一化させ剣そのものの強化を行うことで威力を増加させる技はあり、それはセシリアも当に習得済みだが今行っているのはそれとは別のものだった。
これは剣を撃ち込むと同時に魔力を”爆発”させる技で、それによって威力は格段に増すことになるのだ。
セシリアの剣には一撃一撃の威力が若干低めであるという弱点があった。体格のせいである。
彼女は同年代の女子と比べても小柄な方だった。そのため、剣に乗せる威力が落ちてしまうのだ。
いくら魔法で身体強化を行ったところで体が大きくなるわけでもないし重量が増すこともない。例え腕力が上がってもそれを支える重心が軽ければ力負けしてしまうことになる。
それを考えると彼女が手数で相手を圧倒する戦い方を身に着けたのも納得のいく選択だろう。
尤も、彼女の場合は単に”チャンバラ”好きであるためその戦法を好む向きもあり、まあ趣味と実益が一致していたためと言えるかもしれないが。
そんな彼女の弱点もこの魔力を”爆発”させる技によって解消されることになる。
この技には体格も腕力も関係ない。あくまでも闘気と、それに乗せた魔力コントロールの問題なのだ。いかに効率よく魔力を”爆発”させるか、それで威力が決まる。
騎士科の先輩であるジェイクによれば、本来この技は最上級生になってから教えられるものらしい。使いこなすには精神、技術とも一定レベルに達している必要があるからだ。まあ、下手に未熟な者に教えたせいで訓練中暴発でもされてはたまったものではないから、その判断は正しいだろう。
それ程の技であるにも拘わらずセシリアは実にあっさりと習得し、しかも凄まじい早さで練度を上げて行った。彼女が剣を振るえば大岩が粉々に砕け、地面には大きな亀裂が造られる。さすがは”剣聖”の”恩寵”持ちと言ったところだ。
「これは騎士団の上位者にも匹敵するんじゃないかな。」
セシリアの技を見たイルムハートは感心しながらそう呟く。
実際、技術だけなら今まででも十分騎士団で通用するレベルだった。それにこの技が加わったのだ。最早、並みの剣士では相手にすらならないだろう。
「今日はこれくらいにしておこう。まだ放出する魔力量の調整に慣れていないんだから、あまり無理はしないほうがいい。」
そう声を掛けるイルムハート。それを聞いてセシリアは剣を納めながら近寄って来る。
「どうでしたか、師匠?上手く出来てました?」
「上出来だな。どんどん威力も強くなってきている。
ただ、あまり強さにこだわる必要はないよ。状況に合わせた適度な魔力を放出すればいいんだ。
バターを切るのに斧は必要ないだろ?
バターにはナイフを大木には斧を、そんな風に上手く使い分ければ魔力の消費も抑えられるからね。」
「解りました、師匠。」
セシリアは溢れんばかりの笑顔でそう答える。
彼女が嬉しそうにしているのは何もイルムハートに褒められたからだけではなかった。2人きりでの訓練が嬉しくてたまらないのだ。
自称は”弟子”だがその実態はイルムハートの”追っかけ”にも等しいセシリアには日頃から少々不満に感じることがあった。それはイルムハートが冒険者活動に力を入れ過ぎてあまり構ってくれないという、まあ一種のヤキモチである。
常にそうだという訳ではないが、学院の休暇には必ずパーティーの面々と王都を留守にするため、残されたセシリアは置いてけぼりを喰らった気分になってしまうのだった。
新しい学年に進級し既に数か月。もうすぐ10月の中間休みだ。そうなると、またひとりぼっちになる。そんなことを考え、ここ最近のセシリアは少々沈みがちになっていた。
それを見かねたイルムハートが本来予定になかったこの日にわざわざ訓練の時間を作ってくれたのだ。セシリアが喜ばないはずはない。
「今日は休日なのにもかかわらず時間を取ってもらい、ありがとうございます。」
「中間休みになればまた王都を留守にすることになるからね。今日はその穴埋めといったところかな。」
イルムハートのその言葉でセシリアは急に現実へと引き戻された。
アルテナ学院の生徒であるイルムハートが冒険者として活動出来る時間は限られている。学院の休暇はそのための貴重な時間なのだ。
それはセシリアも理解していた。だが、理性と感情は別物なのである。
「……やっぱり、またいなくなっちゃうんですか?」
寂しそうにセシリアが呟く。
「そうだね、みんながいなくなって少し寂しいかもしれないけど、そこは我慢してくれ。」
イルムハートのほうもセシリアが心細く思っていることは感じ取っている。だが、肝心な部分でちょっとピントがズレていた。
セシリアが常に側にいたいと思う相手は決して”みんな”ではない。イルムハートだけなのだ。そこが分かっているのかいないのか……。
(まあ、そこが師匠らしいと言えばらしいんだけどね。)
そんなイルムハートにちょっと呆れながらも何故か笑ってしまうセシリアだった。
ドラン大山脈から戻って来た2人は街中のカフェのような場所でお茶を飲むことにした。セシリアのたっての希望である。彼女としてはイルムハートと2人きりで過ごすせっかくの休日を訓練だけで終わらせたくはなかったのだ。
「ところで、休みに受ける依頼はもう決めてあるんですか?」
ジャムを多めに入れた甘いお茶に口をつけながら、セシリアがそう尋ねた。
「ああ、どうやら指名で依頼が来てるみたいでね。」
「指名依頼ですか?それってスゴイことなんですよね?さすがは師匠です!」
セシリアは感嘆の声を上げる。
指名で依頼が来るのはその実力が高く評価されているからこそだ。なので、Eランクの冒険者に指名の依頼が来るなど滅多にあることではない。なのに、それがイルムハートに来たとなるとギルド内だけでなく既に依頼する側にも実力者として認められていることを意味するのだ。
だが、セシリアの興奮とは正反対にイルムハートは苦笑を浮かべて見せる。
「実のところ、それほど大層な話じゃないんだ。本当は別の人に対する指名依頼だったんだよ。」
「別の人?」
「ベフさんと言ってね、先輩冒険者なんだ。」
イルムハートはセシリアにベフのパーティーと共同で受けた依頼の話を聞かせた。魔力分布が変わり人里近くにまで魔獣が出没するようになった例の件である。
「今回の依頼もどうやら魔力分布に関係している可能性があるらしく、それで実績のあるベフさんに指名依頼が来たわけなんだけど、あいにく彼は今パーティー・メンバーと国外で活動しているんだ。」
「”修行の旅”というヤツですね。」
「まあ、そんな感じかな。
で、その代わりとして共同で依頼を受けていた僕達に指名が廻って来たというわけさ。」
「そうなんですか。
それにしても師匠を代役扱いするなんて許せませんね。シメてやる必要がありそうです。」
セシリアはまるでケビンを思わせるような台詞を口にした。どうも、あまり好ましくない影響を受けているようである。
「冗談でもそんな危ないこと言うんじゃないよ。聞いた人間が本気にしたらどうする。」
「あらら、つい本音が。」
「余計悪い。」
「すみませーん。」
そう言いながらもセシリアは悪戯っぽく笑いチロっと舌を出す。反省の色は全く無さそうだ。イルムハートは軽い頭痛を感じた。
「それで、今度はどこへ行くんです?」
「……王都の東にトパという街があってね、おおよそその近辺の調査になる。」
「どれくらいかかるんですか?」
「往復と調査の日数を合わせて、おそらく7日から8日ほどかな。」
それを聞いてセシリアは少しだけ恨めしそうな声を出す。
「そうですか……。いいなー、みんなで旅が出来て。」
「別に遊びに行くわけじゃないぞ。」
「それは解かってますけど……私だって師匠と旅がしてみたいですよ。」
少しだけ口を尖らせながらセシリアが言う。それを見たイルムハートは「やれやれ子供みたいなことを」と思いながらも、その一方で彼女の気持ちもそれなりに理解はしていた。但し、あくまでも”それなりに”だが。
「そうだな、依頼とは関係なしで旅をするのも悪くはないかな。
今度の休みはちょっと難しいけど、いずれ何か考えてみるか。」
そんなイルムハートの何気ない言葉にセシリアは猛然と喰い付く。
「ホントですか?いつにします?ドコに連れて行ってくれるんですか?」
「んー、いつとはハッキリ約束出来ないけど、まあ年末か学年末の休暇あたりになるのかな。
場所は……いっそのことラテスにでも行ってみるか。」
「ラテス!?師匠の故郷の!?」
明らかにセシリアの顔色が変わった。妙に頬を紅潮させ、声も少し上ずりがちになる。
「ということは、もしかして師匠の御両親とお会いしたりもして……。」
「ラテスに行くとなればそういうことになるだろうね。」
セシリアは心の中で思い切りガッツポーズをとった。
一緒に旅行出来るだけでなく、まさかの両親とのご対面。これはもう一気に2人の仲を進展させるチャンスとばかりに気合が入る。
だが……相手はイルムハートである。そんな甘い相手ではなかった。
「ジェイク達もラテスには行ったことがないからね、一度連れて行こうと思っていたんだ。」
「えっ?ジェイク先輩達?」
「ああ、みんなで旅がしたいんだろ?きっと楽しい旅になるよ。」
イルムハートの言葉にセシリアが固まる。その表情には先ほどまでの高揚感は微塵も無い。
哀れセシリア。勝手に妄想を膨らませたのは彼女自身なわけだが、そのせいで天国から地獄へと一気に突き落とされる形になってしまう。
「……アー、ソウデスネー。ワーイ、タノシミダナー。」
さすがに今回は笑って済ませる気分にはならなかった。とは言えイルムハートを責める筋合いでもない。
結局、セシリアは強張った笑顔を無理に浮かべながらそう応えるしかなかったのである。
「何なんですか、師匠は!?あまりにも鈍感過ぎますよ!そうは思いませんか、ライラさん!?」
翌日、昼休みの食堂でライラをつかまえたセシリアは席に着くなりそうまくし立てた。
「まあ落ち着きなさいよ、セシリア。何があったのかちゃんと説明して。」
ライラにそう言われ、セシリアは昨日の件を話して聞かせる。
「……なるほどね、まあアンタが怒るのも解からないではないけど。」
「そうですよね!」
理解者を見つけたと意気込むセシリアだったが、ライラの反応は少し予想とは違うものだった。
「でも、イルムハートに乙女心を察してもらおうなんてのがそもそも間違いなのよ。普段は驚くほど鋭いんだけど、こういったことに関しては致命的に鈍いんだから。あれはもう精神的に欠陥があるんじゃないかってレベルよね。」
随分と酷い言われ様である。
「いくらなんでもそこまでは……。」
「甘いわよ、セシリア。」
ビシッ!っとセシリアを指さすライラ。
「今までどれだけの女子がイルムハートにアプローチして、結果敗れ去っていったか。
彼はね、女性から向けられる好意に慣れ過ぎてるのよ。」
「慣れ過ぎてる?」
「そう、2人のお姉さんを始めとして子供の頃から周りの女性にたっぷりと愛情を注がれて育ってきたわけ。しかも、みんな美人揃いときてる。
そんな環境に慣れてしまっているものだから、今さらその辺りの女子に好意を向けられたところでそれが特別な感情だなんて思わないのよ。
ちょっとやそっとじゃあの鈍感男を振り向かせることなんか出来はしないの。」
「うっ……。」
あまりにも的確なライラの指摘にセシリアは言葉を詰まらせる。
セシリア自身は顔を合わせたことがないものの、イルムハートの2人の姉は卒業して尚、今だ語り継がれるほどに美人で有名なのだ。そして、彼女達が過剰な程にイルムハートを可愛がっていたことも、また周知のことだった。
それに、今はもう結婚してしまっているらしいが、かつてお付きのメイドだった女性も姉達に負けないくらいイルムハートに愛情を注いでいたとも聞いている。加えてギルドの職員や女性冒険者。
彼女達の好意が必ずしも男女の恋愛感情と同じではないにしても、有り余るほどの愛情を受けてイルムハートは育ってきたわけだ。今さらそこにひとりふたり増えたところで彼にとって然したることではないのかもしれない。
「言われてみるとそうですね。ライバル多過ぎですよ。サラさんもいるし……。」
イルムハートの同級生であるサラ・コレットも密かに想いを抱いている。同類であるセシリアはそれに気付いていた。
「サラちゃんはちょっと違うかな。」
しかし、ライラの見立ては少し違うようだった。
「そうなんですか?どう見ても師匠に好意を持ってるように思えますけど?」
「サラちゃんの場合はね、愛情と言うより憧れって感じかしら。」
「私だって師匠には憧れてますけど?」
「それとはちょっと違うのよ。
サラちゃんにとってイルムハートは物語の中の主人公みたいなものなの。イルムハートとどうこうなりたいとかじゃなくて、側で彼を見ていられればそれで良いって思ってるみたい。」
「……アイドルのファンみたいな感じですね。」
「あいどる?」
つい元の世界の感覚で言葉を発してしまったセシリアは慌てて「ああ、気にしないで下さい」と胡麻化した。
ライラは一瞬不思議そうな顔をしたが、結局そのまま話を続ける。
「……サラちゃんだってホントはイルムハートと恋仲になりたい気持ちもあるとは思うんだけど、それが無理だと解かっているのよ。」
「どうして無理なんですか?」
セシリアにそう聞かれ、ライラは少しだけ哀しそうな表情を浮かべた。
「だって、イルムハートは辺境伯の子なのよ。王族を除けば王国で一番上位の貴族のね。
普段はアタシ達と冒険者なんてやってるし貴族も平民も分け隔てなく接してくれるからつい忘れてしまうけど、ホントならアタシ達が気軽に話なんか出来るような身分の人間じゃないわけ。
サラちゃんもそれが解かっているから多くを望まないようにしてるんだと思うわ。」
「……。」
ライラの言葉はセシリアに非情な現実を突きつけた。
確かにそうだ。その気さくな性格から忘れがちになってしまうが、イルムハートは王国最上位貴族のひとりであるフォルタナ辺境伯の息子なのだ。
セシリアも身分こそ一応は貴族のカテゴリーに入ってはいるが所詮は騎士爵家の娘。実態は平民とさほど変わりない。
そんな彼女が辺境伯の子息と結ばれるなど、普通に考えればそれこそ物語の中でしか有り得ない話なのである。
それに気付きすっかり沈み込んでしまったセシリアを見てライラは余計なことを言ったと後悔する。
「えーと、まあ、あれよ、そうは言っても結局は本人の気持ち次第なわけで、絶対に無理ということでもないんじゃないかなぁと……。」
と言い繕ってはみたがセシリアの表情が変わらないことを見て取ったライラは、覚悟を決めたように大きく息を吐いた。
「仕方ないわね、じゃあイルムハートの弱点を教えてあげるから元気出しなさい。」
「師匠の弱点?」
「そう弱点よ。
但し、アタシから聞いたことは絶対ナイショにしてね。もしイルムハートに知られたら何言われるか分からないもの。」
「はい、約束します。」
「イルムハートはね、押しの強い女性に弱いの。グイグイ来られると断ることが出来ないのよ。
小さい頃からずっとお姉さん達には敵わなかったせいで、どうも強い女性には逆らえないようになってしまっているみたい。
だからね、アンタもこれくらいのことでヘコんでないで、もっとどんどん行きなさい。とにかく押して押しまくるのよ。」
「はい!解りました!」
セシリアの顔に生気が戻り、拳を握りしめ力強く返事をする。
が、その後でふと何かに気付いたような表情を浮かべた。
「ライラさんて師匠のことを随分と良く解かってるんですね。……まさか、ライラさんも師匠のことを?」
意外なライバル出現の可能性にまたしてもセシリアの顔が蒼ざめる。
「それはないわよ。」
だが、ライラは即座にそれを否定した。
「確かにイルムハートはイイ男だけど、残念ながら筋肉が足りないのよ。アタシの好みとは少し違うわね。」
「そ、そうなんですか……。」
その言葉にセシリアは安心したような呆れたような、ちょっと複雑な笑顔を浮かべた。
ともあれ今後の作戦も決まり、セシリアはどうやってイルムハートにアプローチを仕掛けるか色々考え始める。
「押して押して押しまくる、か。どうすればいいかな?というか私に出来るかしら?
……ん?ちょっと待って。師匠にそんな弱点があるのなら、もし他に押しの強い女性が現れたら横取りされちゃう可能性だってあるのよね?
えーっ!そうなったらどうしよう!」
目を輝かせたり顔を蒼くしたり、恋する乙女の心は実に複雑なもののようだ。
ライラは同じ女性でありながらも、ひとり悶々とするセシリアをまるで不思議なものでも見るかのような目でずっと見つめ続けるのだった。