魔道具と脱走計画
マリアレーナとアンナローサが王都に旅立った後、月が変わるとイルムハートの生活にも変化が起きた。
この国では6月が学期の始まりで、それに合わせ今まで2回だった午後の授業も毎日行われることになったのだ。
ただ、始めるにあたってはひと悶着あったらしい。
これはイルムハートの預かり知らぬところではあるが、授業のプログラムをどのように組むかで教師間の意見が食い違い、中々まとまらずに激しい口論にまで発展したとの事だった。
その原因はイルムハートの修得スピードが速すぎることにあった。
今まで午前中に受けていた科目については、既に内容を1年前倒しにして授業を行うほどに進んでいた。
まあ、これはイルムハートが優秀であるというよりも、ごく当然の結果だと言える。
前世では(おそらく)成人であった彼の理解力をそのまま引き継いだ状態で、6歳児向けの授業を受ければ誰でもそうなるだろう。
教師たちにとってもそれ自体は誇らしく思う事ではあるのだが、問題は今後の授業のバランスであった。特定の科目だけ先行しては全体としてのカリキュラムに齟齬が生じるとの意見が出たのだ。
本音としては、自分が受け持つ科目が他よりも遅れた状態なるのは避けたいという事なのだろう。
そのため、授業の枠の取り合いがあったとのこと。
イルムハートにしてみれば極めてどうでも良い事のように思えたが、教師たちにとっては重要な事らしい。
加えて、そんな事があるとは知らないイルムハートが「魔道具の勉強もしてみたい」などど、さらに混乱させるような事を口にしたため、プログラムが決まったのは実に新授業開始の前々日の事だった。
「なんか、ややこしいな・・・。」
授業のプログラムを告げられた際、イルムハートが真っ先に思ったのはそれだった。
結局、授業枠の取り合いは剣の授業については今まで通りだが、それ以外は継続授業と新授業の進み具合が2対3の割合になるよう月ごとに枠を組み直すことで決着したらしい。
一見、行き当たりばったりのように見えるこのやり方も、実はそれなりに定例化しているものだった。
アードレー家の子供は特定の年齢に達すると父親と共に領内の視察を行う事になっている。
当然、その間の授業は中止となるため、その後には遅れた分を取り戻すために時間枠の調整を行う事が必要だった。その場合に、このような手段が取られるのだ。
尤もイルムハートの場合は、通常より時期が早すぎた事と進捗の幅が数日ではなく1年とかなり大きいものであったため、多少揉めることにはなってしまったが。
「まあ、魔道具の件は通ったことだし、良しとしようか。」
魔道具がどういうものか、ということは魔法の座学の中で触れられる。
しかし、魔道具の細かい仕組みや作成方法まで教える予定は無かった。
それは職人になるための特別な知識・技術としての扱いになり、初等教育で受けるものではないからだ。
実は魔法士でも魔道具の仕組みまでは知っていても、作成出来る者は少ない。
しかも、作れるのは簡単な魔道具までで、複雑な魔道具には手も足も出ない。
魔法と魔道具とでは全く異なるスキルが必要とされるのだ。
なので、魔道具の授業の教師も魔法士団からではなく城内の工房から選出される。
魔道具は火を起こしたり水を出したりと日常生活でも必需品とされていた。
城内にはその作成やメンテナンスを行うための工房があったし、街中にも工房や商店はいくつもある。
さすがに、飛行魔法のように作成に高度な技術を要する物は王都のごく限られた工房でしか扱っていないが、普段使いする程度の魔道具は自足が可能だった。
魔道具は魔法陣と魔力を蓄積した鉱石、いわゆる魔石とを組み合わせることで作られる。魔石から供給された魔力が一定の法則で描かれた魔法陣を通った時、魔法が発動する仕組みだ。
人が魔法を使う場合はイメージによって発動するが、これには厳密な法則は無い。イメージの持ち方は人それぞれだからだ。
しかし、魔道具の場合には定められた法則に従って魔法陣を描かなければ魔法は発動しない。魔法の種類、威力、範囲等を魔法陣という ”言語” で明確に記述する必要があるのだ。
発動させる魔法が高度なものになればなるほど当然 魔法陣も複雑になってゆくため、作成には高度な技術が必要となる。
「でも、それならば1つ魔法陣を作ってしまえば、後は書き写すだけで同じものが作れるのではないですか?」
以前、魔法の座学で魔道具の話が出た際にイルムハートはそう質問したことがあったが、教師はそれを否定した。
何でも、魔法陣の描き方にもコツがあるのだそうだ。
魔法陣はただ描けばいいというものではなく、線の一本一本に魔力を込めて描く必要があった。
しかも、発動の効果や条件を考慮し魔力を強めにして描くと部分と弱めに描く部分があり、それを間違えると正しく発動しなくなってしまうらしい。まさに職人の技という事である。
イルムハートが魔道具の授業を受けてみたいと思い始めたのはその時からだった。
実のところ、魔道具の仕組みや魔法陣のサンプルなどは図書室の本にも載っていた。
それを参考にすればいずれ自分でも魔道具を作れるようになるのかと思っていたのだが、そうでは無い事を知り、授業を受ける必要性を痛感したのだった。
別に将来魔道具技師になりたいというわけではない。希望はあくまでも冒険者だ。
「まあ、憶えておいて損はないよね。」
だが、彼の知的好奇心は止まるところを知らない。
そして、それは単なる好奇心では収まらず、魔道具に関しても剣や魔法同様さほど時間を掛けることなく髙みへと達してしまうのだろう。
自分自身の ”異能” を隠さねばならないことに愚痴を言いながらも、結果、隠さねばならないような事を自分で増やしてゆくイルムハートだった。
転移魔法。
イルムハートがその知識を得てからまだ試していない魔法のひとつ。
無効化魔法の結界により城内では使用できないことが分かってからしばらく保留にしていたのだが、ある日ふと思いついた。
(結界は城の敷地全てをカバーしているわけではないのでは?)と。
無効化魔法はかなり高度な魔法であり、その魔道具もそれに比例して相当な値がするであろう。
いくらアードレー家が裕福であるとしても、この広大な敷地全てにそのように高価な魔道具を設置するだろうか?
敷地には警備兵が巡回しており、もし不審者が現れてもすぐに発見できる体制にあるのなら、わざわざ魔道具を設置する必要はないはずだ。
そう考えて敷地内を探査魔法で調べてみると、思った通り無効化魔法の結界が張られているのは建物とその周辺のみだと分かった。
そして、庭の外れの人目に付かない場所で転移魔法を使ってみたところ、問題なく使えることが確認出来たのだった。
「よし、これならいけそうだ。」
そこから、イルムハートのフォルテール城脱走計画が始まった。
脱走と言っても、何も家出をしようと言うのではない。
ただ、自分が使える魔法の限界を試してみるために、少しの間、人里離れた場所へ移動しようというだけのことである。
現状においてそれは難しい。
城主の御曹司であり、しかもまだ幼い子供でしかないイルムハートは、ラテスの街にさえ一人で出かけることは許されていない。
ましてや、遥かに遠くまで一人出かけるなど到底不可能な話だった。
だが、転移魔法を使えば誰にも気づかれることなく移動することが可能になる。
イルムハートは決行日をとある休息日に決め、準備を始めた。
まずは、イルムハート付きのメイドであるエマへの対応だ。
6歳を過ぎ、幼児ではなく子供として扱われるようになってからは、以前のように四六時中傍にいることはない。それでも出かけるときは必ず付き添ってくれるし、部屋で本を読んでいれば休憩のためのお茶とお菓子を差し入れてくれる。
それには感謝しているのだが、その日だけは止めてもらう必要があった。
とは言え、無下に断るわけにもいかないので、当日の午後は魔法陣を描いていることにして入室してこないようお願いした。
「魔法陣を描くにはかなり集中力が必要なんだって。だから、お茶の差し入れは持ってこなくていいよ。」
「わかりました、お邪魔しないようにいたします。イルムハートもあまりご無理はなさらないでくださいね。」
騙すことに少しだけ後ろ暗さを感じるイルムハートに、エマはいつも通りの笑顔で答えてくれた。
一人になれる時間を確保できれば後は持ち物を準備するだけであり、それも順調に進み、ついに決行日を迎える。
当日、昼食を終えたイルムハートが部屋に戻ると、エマは常温で飲むタイプのお茶が入ったポットとお菓子を準備していた。
「お茶とお菓子を置いておきますので、時々休憩なさってくださいね。」
「ありがとう。」
イルムハートが礼を言うと、エマは礼をして部屋を出て行った。
エマの気配が遠ざかっていくのを確認したイルムハートは部屋の鍵をかける。そしてまず服を着替えた。
今着ているのは普段着とは言え貴族の着る服である。どこに人の目があるか分からない以上、こんな格好でうろつくわけにはいかない。それに動きやすさも考えねばならないので、イルムハートは剣の授業で着ている動きやすい服装に着替えた。
次に、ショートソードと懐中時計を取り出す。
ショートソードはイルムハートが剣の授業を始める際にウイルバートから送られたものである。
それなりに名の通った刀匠の作りであるらしかったが、残念ながらイルムハートの体格に比べるとやや長すぎるきらいはあった。おそらく、成人してから使うことを意図したものなのだろう。
尤も、それは通常の6歳児であればということであり、実際には容易に使いこなしているイルムハートだったが、もちろんそれを人前で披露する事は無かった。
あと、時計の用途は本来通りで、長く留守を続けないよう時間を確認するための物である。これはセレスティアの贈り物だった。
「夕食までには戻ってくるから、食料はいらないね。」
エマが持ってきてくれたお菓子が目に入ったが、これは持って行かない事にする。
後は、念のために多少のお金が入った袋を含めてひとまとめにすると、イルムハートは異空間魔法のひとつである収納魔法を使ってそれらを異空間へ放り込んだ。
実はこの収納魔法、最初はイルムハートも上手くイメージが出来ずに苦労した。
隣り合わせた別の空間への入り口を開ける。言葉で言えば簡単だが、それをどうイメージすればいいのかが分からない。
「4次元とか5次元とか、そんな感じなのかな?でも、それだと前後左右上下とは別の方向から同じ世界を見てるだけで、別の空間という訳じゃなかった気がするけど・・・それでいいの?って言うか、そのそも”別の方向”ってどうイメージすればいいんだろう?」
上手くいかない理由を考えている内に、イルムハートは自分が前世の知識にこだわり過ぎているのではないかという事に思い当たる。
確かに前世の知識は魔法を発動させるにあたって、イメージを補強するのに役立ってはいる。
だが、その全てを科学的に説明出来るわけでもなく、イメージはあくまでもイメージでしかないのだ。それを変に理論立てて考えようとするから限界が来るのではないかと、そう考えたのだった。
実際、イルムハートのような知識を持たずとも魔法を使用できる者がいる以上、それは必須ではないのだと。
それに気付き、今度は余計な事は考えず単純に収納するための空間を”創ってしまう”イメージで使ってみることで、何とか使えるようになったのだった。
最初は収納できる量もごく僅かだったが使い慣れるうちにその量は増え、今ではどれくらいの容量があるのかイルムハート自身にもはっきりとは分からない程にまでなっていた。
次にイルムハートは透明化魔法を使って姿を隠した。
これは幻を見せる魔法をアレンジしたイルムハートの独自魔法だった。
幻を見せる魔法には、精神に干渉して幻覚を見せる幻術魔法と蜃気楼のように視覚を惑わす幻影魔法との2種類があった。
イルムハートが使った透明化魔法は後者の幻影魔法をベースとしたものである。
精神に干渉してリアルな幻を見せる幻術魔法と異なり、幻影魔法はあくまで視覚情報を混乱させる程度でしかない。あるはずの建物を周りの景色と同化させ見えづらくしたり、無いはずの壁を通路に出現させたりといった程度の、特定条件でしか使い道のないような魔法だった。
だが、イルムハートはこれが光の屈折を利用したものだと考え、自分の周りだけ光を屈折させることで背景と同化し姿を隠す透明化魔法を思いついたのだった。
収納魔法で苦労した経験もあり、知識とイメージを程良く使い分けることでこういった魔法のアレンジも出来るようになっていたのだ。
ちなみに、”透明” とは言っても相手の視覚を誤魔化すだけなので、注意深く観察すれば見破ることも可能なのだが、それでも十分使える魔法である。
「さて、行こうか。」
全ての準備を整えたイルムハートは、自室からつながるバルコニーへと出た。
部屋は城の正面広場に面しているが、2階にある彼の部屋は植えられた樹木によって向こうから見られることはない。加えて、透明化もしてあるので誰かに見咎められることはないだろう。
イルムハートは飛行魔法を使いバルコニーからゆっくりと地面へと降りると、生垣に沿って城壁の方へと注意深く歩き出した。
建物の端まで来るといったん生垣が途切れるため、そこで立ち止まりあたりの気配を伺う。
巡回の兵がいないことを確かめてから足早に城壁へと向かい、その途中にある小さな庭園へと入り込んだ。
城内にはいくつか庭園が造られていたが、ここは敷地の中でも外れの方にあり規模も小さいため、あまり利用されることはない。
イルムハートはその中の植木が密集している場所を選び身を潜めると、再度あたりの気配を探った。
「大丈夫そうだね。」
人気が無いのを確認した彼は転移魔法を発動させる。
この魔法には術者が訪れたことのある場所にしか転移出来ないという制限があった。しかも、魔法を習得した後に訪れた場所に限定されるため選択肢は決して多くはない。
その一つは飛空船の発着場だったが、これは問題外である。領軍の駐屯地に隣接しているからだ。
なので、イルムハートはラテスの街から少し離れた場所にある小さな森を目的地に定めた。そこは家族でよくピクニックに行く場所で、2人の姉が王都へと旅立つ少し前にも訪れていた。
領主一家がよく使うということで領民たちも遠慮してあまり足を踏み入れることはない。人目を避けたい今のイルムハートにとっては絶好の場所だった。
転移魔法が発動すると、目の前に大人一人が通れるような楕円形の ”穴” が空く。
”穴” からは向こう側の景色がうっすらと見えた。目的の場所で間違いなさそうだった。
「よし!」
イルムハートは冒険の始まりの高揚感を感じながら力強く頷くと、その ”穴” の中に身を投じていった。