表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裏 Stern Baum ~Coffee Break~  作者: kohaku
3/3

~ Coffee Break 2 ~

―――夏ルート

Cups 11 :りっちゃんの1日専属ナース?

(InsideTraceチェック後 推奨)



爽やかな風が薫る5月12日―――

聖倭大学附属病院


大学病院勤務の若手医師は、その仕事量に似合わず安月給だ。

朝から晩まで働き詰めの為、通勤時間を少しでも短くしようと近くにマンションを借りたが最後、独身である事と家が近い事を良い事に、事ある毎に病院からの呼び出しがかかる。

この日も、夜勤明けからの緊急手術の助手を務め、やっと家についてベッドに転がった立夏の携帯電話が鳴る。


「マジかよ…!!今家着いたところなのによ!このハゲ爺が!!!」


散々悪態をついた後、小さく咳払いして通話ボタンを押す立夏。


「はい、脳外科 牧野です。上条先生が私に、ですか?分かりました、直ぐに伺います」


通話を切ると、携帯電話をベッドに投げつけた。


「どうせ雑用だろうが!そんなに教授の機嫌を取りたきゃ自分でやれっつーんだよ!」


文句を言いながらも、赤いフルフェイスのヘルメットを被ると、レッグバッグだけを持ちマフラーの冷めきっていないGSX-R600のエンジンを唸らせた。



「はい。ご期待に添えるよう尽力いたします。では、私はこれで―――」


かしこまったあいさつの後、呼び出された外科部長室を出ると、表情を崩すことなく医局を後にする立夏。


「何が期待の若手に、だ!あの狸爺め。自分が座長を務めるシンポジウムのパネリストが急遽欠席するから代打を押し付けたいだけじゃないか…」


周りにスタッフがいない事を確認し、小声で愚痴をこぼしながら病棟を抜ける。

睡眠不足と疲れが祟り、イライラが収まらない。



(こんな時は可愛いセナをハグハグして癒されたい―――)



最近は、この病院近くの大学図書館に通っていると聞いた。そこに立ち寄ればセナに会えるだろうか…。そんな事を考えながら廊下を歩いていると、前から看護部長が茶色い髪の小さな看護師を連れて歩いてくる。


茶色い髪を清楚に結い上げ、精巧に作られた人形のような顔の少女。

ナース服を着てはいるが、新人看護師にしても若すぎる彼女がセナに見えてしまう。


(あーダメだ。疲れすぎて看護師がセナに見えてしまったよ…バイク、置いて帰った方が良いな、これは…)


頭を振り、ふらつく思考を調える立夏。


「あら、牧野先生?確か夜勤明けでしたよね。こんな時間まで病棟に?」


にこにこと話しかける看護部長。面倒だと思いつつも、むげにも出来ず、笑顔で答えた。


「お疲れ様です、看護部長。実は外科部長に呼び出されていまして…雑用を―――いえ、次の学会でのパネリストを拝命したところです」


思考が回らず、思わず本音を溢しそうになったのを、必死でこらえる。


「フフフ、随分お疲れのようですね!綺麗なお顔に隈が出来ていますよ!」

「あはは!もう疲れすぎて、看護部長の隣にいる少女が…俺の大事な女の子に見え

て――――しま・・・」


突然の眩暈に襲われ、体がふらつく立夏。近くの壁にもたれかかり頭を抑えた。



「牧野先生!大丈夫ですか?!」


慌てて駆け寄り、その体を支える看護部長。反対側に立ち、立夏の腕を自分の肩に回す少女。

健康だけが取り柄だと思っていたのに、貧血だろうか。視界に星が舞い、血の気が引く。


「おかしいなぁ…考えすぎてたせいか、君が…セナに見えてしまう―――」

「牧野先生!しっかり!!誰かストレッチャーを!」


看護部長が叫ぶ。その隣で、少女が立夏の肩を揺すり、声をかける。


「立夏?しっかりして!立夏?!」


(声までセナに聞こえてしまうなんて、よっぽど重症だな、俺は―――)


立夏は意識を手放した。




廊下から聞こえる患者や看護師たちの話し声で、目を覚ます立夏。

白い天井。ベッドサイドにつるされた黄色い点滴は、立夏の左手に繋がれていた。


「あれ、ここ…病院?」

「目が覚めた?立夏」


声の主に視線を落とすと、ナース服に身を包んだセナが座っていた。


「血液データに異常はないって。内科の先生も、ただの睡眠不足による低血圧だろうと仰っていたわ。どこか痛いところはある?」


あまりに彼女を想い過ぎて、ついに幻まで見る様になってしまったのだろうか。立夏は静かに首を横に振る。軽い頭痛感が襲う。


「いいや、頭以外は平気だ。君が、知り合いの女の子に…セナに見えてしまう以外は―――」

「それなら、良かったわ。頭部MRIを取る必要はなさそうね」


彼女はパイプ椅子からスッと立ち上がると、今時珍しいスカートタイプのナース服の裾を両手でちょこんとつかんで礼をした。


「5月12日看護の日の、1日看護師さん体験に応募してきました、セナ=クラークです!立夏の事、親戚のお姉さんだと伝えたら、看護部長から直々に、立夏専属ナースを拝命いたしました!」


ニコリとほほ笑むセナ。



(マジ?!ナースコスプレのセナに、一日看護してもらえるの?!何、この夢のような設定!!!)


思わず布団の中で手の甲をつねる立夏。


「痛い……」

「痛いの?ふらついた時、何処かぶつけた?!」


心配気に顔を覗き込むセナ。


思わず抱き寄せてしまおうと、右手を伸ばした時———


コンコンコン…


病室の扉がノックされる。


「牧野先生?入りますよ」


看護部長が入ってくる。伸ばした右手を慌ててベッドに戻す立夏。


「看護部長…すみません、ご迷惑をおかけして―――」


腕を支えに上体を起こす立夏。

動くと頭重感が襲う…低血圧を起こしたのは、本当のようだ。


「よかった、目が覚めたのね!牧野先生、夜勤明けでオペして、その後外科部長先生に呼び出されたんでしょ?内科の先生に診て貰ったら睡眠不足だって!外科部長先生には黙っていてあげるから、今日はここで休んで帰ってくださいな!」

「ご配慮頂いてすみません…セナの事も」


深々と礼をする立夏。看護部長はにこにこと笑顔を見せた。


「セナさんに聞いたわ!牧野先生のアメリカ留学時代のご友人だそうね!一日看護体験の病院案内はほぼ終わっているから、今日は特別に、頑張っている牧野先生に可愛い専属ナースを付けてあげる!変な気を起こしちゃダメよ?牧野センセ」


茶目っ気を見せる看護部長。


「あはは……(すみません、自信ないです)」


苦笑いで返す立夏。


「セナさんも、看護に興味を持ったら、ぜひうちの病院に就職してくださいな!」

「有難うございます、看護部長」


隣で深々と礼をするセナと共に、看護部長の背中を見送った。




パタリと、個室のドアが閉められる。


「・・・・・・・・・」


(いやいやいや、無理だろ?!超絶セナ・ロスの状態の俺に、ナース服を着たセナに何もするなと言う方がおかしいだろ?!

いや待て、落ち着け立夏。今後こんな機会は二度と来ない…これは千載一遇のチャンスだろう!この状況を作ってくれた看護部長と病棟ナースと内科医師にはむしろ、菓子折り持って挨拶しにいくべきだ!!)


百面相をする立夏の顔を、心配気に覗き込むセナ。


「やっぱり、頭の検査してもらった方が良いかしら……頭痛もあるみたいだし」




「セナ、ナース服に合ってる!可愛すぎて夢みたいだ」

「ありがとう、立夏。じゃぁベッドに横になって―――」


あらぬ期待と妄想を膨らませながら、大人しく体を倒す立夏の右手に、慣れた手つきで血圧計を巻いていくセナ。聴診器を差し込むと、カフ圧を上げる。


「セナ?」

「血圧測定中は、喋らないで頂けますか?牧野さん」

「はい」


冷たいセナの声が、立夏を制する。思わず口を閉じ、大人しく右手を差し出する立夏。


「ずいぶん昔の血圧計だな…」


電子血圧計が主流となった今日で、水銀血圧計を見るのは珍しかった。


「病院案内の前のオリエンテーションで、看護の歴史について聞いたの。昔はこの水銀で、収縮期血圧と拡張期血圧の“音”を聴いて血圧を測っていたそうよ。でも、割れてしまったり、扱いが難しい事もあって、今ではほとんど使われていないみたい」



「……へぇ」


楽しそうに話すセナ。どうやら看護部長からは、興味深い話を聴けたようだ。


「98/52㎜Hg…立夏、普段の血圧幾らくらい?」

「えーっと、上が120台と下が60~70台くらいかな?すこぶる健康優良児なんで!」

「睡眠不足やストレスって、血圧上がるんじゃなかったっけ?」

「あぁ、そうだな」


妄想のような展開にならない事を残念に思いながらも、ナース姿のセナをまじまじと見つめる立夏。彼女から視線が離せない。



「内科医は血液検査のデータ、正常って仰っていたわね」


床頭台に置かれた血液検査の結果用紙を眺めるセナ。


「おかしい所、ある?“俺の専属“ナースさん?」


そんなセナの姿に癒されながら、患者らしく尋ねる立夏。


「……日本は一般血液検査でフェリチン値を測定しないのね」

「まぁ――――――」

「検査室に血液サンプルがまだ残っているはずよね?追加オーダーして頂戴。もしかするとフェリチンが少ない、“隠れ貧血”かもしれないわ」


セナはフェリチンの減少…つまり、潜在性鉄欠乏性の可能性を疑っているのだ。

彼女の診察に、呆気にとられる立夏。


「……なんて、見習い看護師は思うのですが、いかがですか?牧野先生」



プロの前で出しゃばり過ぎた…と、後悔するセナは、急に声色を変えると、両手をもじもじと動かして見せた。


(16歳の考察じゃないよな…今の)


「随分詳しいじゃないか?セナ」

「……研究で来日する前、血液疾患とデータの見方については散々母に叩き込まれたから」


彼女は脳神経科学をメインとする研究を行っているが、身体と精神は密接に関係している。脳を研究すると言う事は、浅く広く、様々な疾患や身体状況の把握、強いては血液データが読める事も求められてくる。


立夏は枕元に置かれたナースコールを押す。

程なく、看護師が『どうされましたか?』と返事をする。


「牧野立夏の先程の採血でフェリチン値を追加オーダーしてくれないか?」

『分かりました、主治医に伝えます!』


通話が切れた事を確認し、セナにウインクする立夏。


「これで如何でしょう?専属ナースさん?」

「………立夏の、いじわる」



一時間も立たぬうちに検査結果が知らされ、セナの予想通りフェリチンが50ng/mlの鉄分不足と診断された。頭重感と言う自覚症状がある事も踏まえ、ビタミン剤の点滴の後、鉄剤の追加点滴が施行される。


「アメリカではフェリチン100ng/ml以下は鉄分不足、40以下になると出産させてもらえないのよ?その値を日本女性に当てはめると、約6割が出産できない事になっちゃうくらい深刻なんだから…いい?立夏は――――――」



鉄剤点滴中、立夏は専属ナースからひたすら説教と食事指導を受けた。

立夏が妄想していたような、甘々な専属ナース看病を受けることはできなかったが、こうして半日、セナが自分の為だけに傍に居てくれる時間は、立夏にとって最高の休日となった。


「たまにはこういうのも、悪くないな」


点滴を終え、私服に着替えたセナと共に病院を後にする立夏が、ぼそりと呟いてしまう。


「何言ってるの立夏!貧血と言うのは―――」

「あああ、ごめんなさい、そうです気を付けます!だからさ、セナ……」


セナの耳元に顔を近づけると、立夏はこっそり呟く。

「今度はナース服着て、うちでご飯食べさせて?」


耳にかかる吐息がくすぐったく、思わず振り向いて耳を抑えるセナ。

にやにやと余裕顔を見せる立夏に、大きくため息をついた後、芝居じみた声で言い返す。


「……りっちゃんは、本当に甘えたさんですねぇ~。そんなに言うなら、セナ特製のほうれん草とレバーとプルーンを混ぜたあつあつの薬膳粥を食べさせてあげますよ~」


「・・・・・・えっと、普通の卵粥がいいなぁ――――――」


病院からの帰り道は、スーパーで鉄分の多い食品を散々買わされた立夏。特性粥は免れたものの、暫くは療養食を食べるようきつく言われたのであった。




つ・づ・く ?


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



―――秋ルート

Cups 12 アキウサギと本の虫?

 (空の世界にチェック後 推奨)


アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス―――


住宅地に紛れる白い壁と赤い屋根の一軒家。そこに、セナは自らのラボ(研究室)を構えていた。外見は閑静な住宅街にふさわしく上品で可愛らしい建物。だが、その中は一部の来客用の部屋を除くとその殆どにコンピューターや寝台、バイタル管理ができるモニターがなど、一般家庭には相応しくない設備が設置されていた。


帰国したセナ達は連日この赤い屋根のラボに泊まり込み、情報収集や、時折開催される『InsideTrace』イベントに参加し、未だ行方不明となっている二人のプレイヤーの体の所在を探っていた。



「ひーまーだぁ!!!」


リビングのソファーに寝転がり、頭の上に読み終えた本を置いて光を遮る秋兎。セナ達とは別便で日本を出国した彼は、セナの父、水月=クラークと共に幾つかの国を経てこのロサンゼルスへと降り立った。彼もまた、碧や立夏、白李と共にラボで寝食を共にしてはいるものの、彼等と共に調査に参加してはいなかった。黒い霧の解析意外に特にする事のない秋兎は、ラボにあるセナの本の山を読み崩していた。


「ブアフ!」

「ぐはっ!!!何すんだよラス!暇でも僕はお前とは遊ばないからな!」


秋兎の腹部に乗る黒い大型犬を振り払う秋兎。ラスと呼ばれた黒い大型犬は、セナが飼っているラブラドールレトリーバー(オートマタ)でこのラボのマスコットでもあり主でもある。屋内を縦横無尽に駆け回り、ドアノブを器用に開けて室内にも侵入する。

セナ以外の4人が共同生活を行うこの家で、各員の部屋を回り朝の目覚めを誘導するのはこのポラリス(通称:ラス)の日課となった。


「何吠えているんだよ…秋兎」


昨夜のInsideTraceイベントの振り返りと情報交換会議を終えた白李達が、1階のリビングに降りてくる。白李の姿を見て、のっそりと体を起こす秋兎。


「白李!お話終わったのか?!」

「ああ」


目を輝かせる秋兎。


「じゃぁ!遊んで!」

「無理だ!今から夕飯の買い出し」

「けち~」


暇つぶしが出来ると、期待した秋兎だが、その希望は即座に打ち砕かれる。

頬を膨らませながら、しゅんと下を向く秋兎。


「とは言ってもなぁ…」


困った様子で頭を掻く白李。


「じゃぁ、図書館でも行く?」


階段を下りてきたセナ。その足元に、ラスが駆け寄り頭を擦り付ける。


「図書館?」

「そう。あきうさぎも裏アキも、この辺の本は読み飽きたんでしょ?だったら、貴方達の興味のある本を探しに行きましょう?」

「近くに図書館があるのか?」


碧が首をかしげる。


「ええ!800万冊以上の蔵書があり、その蔵書数は全米中の全ての教育・研究機関の上位にランクされ、学内最古と言われる図書館がね!」

「おいセナ、幾らヒマでも図書館は―――(本の虫である君とは違うんだから)」


言葉を詰まらせる立夏に、苦笑いの碧を他所に、白李は一人外出の準備を急いでいた。

自慢げに答えるセナを見つめ、頬を膨らませていた秋兎の目が、徐々に輝き出す。


「行くよ!!図書館!!」

「「え?!マジ?!」」

「だろうな…」


大学の図書館に貯蔵されている専門書など面白くないのではないかと心配する立夏と碧。

だが、この結果を予想していた白李はいち早く外出準備を整え、早速家の外に出ようとする秋兎の後ろに続いた。


「おいちょっとまて!まだ準備が……」

「レッツゴー!」


腕を掲げる秋兎に、3人は慌てて追いかけた。



ピンクのレンガと石造りのその建物は半世紀以上前に建設され、中心にそびえる6角形が印象的な趣のある建物だ。

図書館前につくと、秋兎とセナを図書館に残し、白李と立夏、碧は買い物へと出かける。


「今日は夕飯何がいい?」

「ハンバーグ!」「メロンパン……」


顔を見合わせる秋兎とセナ。


「チーズケーキ!」「カレーライス!」


息の合わないお互いの顔を睨み合い、フイと視線をそらせる。

頭を掻く白李は「善処します」と言葉を濁し、立夏の運転する車に乗り込んだ。

残されたセナと秋兎はそれぞれ図書館へと吸い込まれていく。


数多の図書が蔵書され、大学のシンボルでもある図書館は、本だけでなく学生の勉強の場としても幅広く利用されている。試験期間中は開館時間が延長され、24時間の利用が可能となり図書館に泊まり込み勉強する姿も多く見られた。


「電子工学関係はこの辺ね…貴方の御父上、御影教授もこのあたりの分野について教鞭をとられていたようね」

「……父に会ったの?」


カリフォルニアにある大学で教鞭をとっていたいた義父、御影隼隆を思い出し顔を顰める秋兎。InsideTrace事件の重要参考人である隼隆は現在大学には来ていないようだ。どこで何をしているのか、義息子である秋兎でさへも連絡が取れなかった。


「構内ですれ違った程度よ。学部が違うから、そもそもお会いできる機会なんてないわ」

「そう……」


下を向く秋兎の様子を、じっと見つめるセナ。


「………私は、向こうの医療書の段にいるから、何か用があったら声を掛けてちょうだい。必要なら翻訳するし、上の棚の本も取ってあげる。そうそう、ナンパには気を付けなさいよ?」


手をひらりとなびかせ、棚の隙間に消えていくセナ。


「お前より身長ある!余計なお節介だ!」


悪態をつき、近くに合った本を手に取る。


(義父が……教鞭をとっていた大学――――――)


隼隆との記憶が、再び蘇る秋兎。

僕を拾い、育ててくれた。コンピューターやプログラムと言った技術を教え、生きる理由をくれた人―――。


(どこにいるの…父さん)



気が付けば、夢中になって手に取った本を読み漁っていた秋兎はふと携帯電話の画面を確認する。あれから3時間も経っていた。


(ヤバい、流石にそろそろハク達の買い物も終わるよな)


読みかけの本と、幾つか興味が引かれた本を両腕で抱えると、セナが居ると思われる医学書の棚に向った。


「セナは…っと。あいつ、ちっこいから光ってでもないと見つけられないんじゃないのか?」


きょろきょろと棚の隙間を覗き込んでいく秋兎。本を読む学生だけでなく、タブレットや携帯電話を弄りながら耳にイアホンを当てて明らか音楽を聴いている学生や、ARデバイス装着しAR下で勉強をしている学生までいた。

所狭しと並べられた本の壁の死角に潜み、女性の両腕を握り本棚に押し当てる様に覆いかぶさる男までいる。


(ったく、神聖な図書館で何してんだよ――――――)


小さくため息をつき、足早に棚を離れようとした秋兎だが、ふとその足を止めて再度その棚間を覗き込む。

男が覆いかぶさる腰元に、見覚えのある茶色い髪が揺れる。


「セナ?!」


両腕で抱えていた本の一番上だけを持ち、その分厚い本を男の頭をめがけて振り下ろす。



バシッ……


「?!」


想定外に早く止まった本の勢いに、秋兎は顔を顰める。完全に隙をついたと思っていたが、男の手が本を受け止めていたのだ。


ゆっくり体を起こし、秋兎を睨む男。黒いスクラブ(医療用白衣)から聴診器が滑り落ちる。


(医療者?)


男の視線を捉えながら、覆いかぶさられ身動きが取れなかったセナの腕をひき寄せ、自らの背に隠す秋兎。



「Who?(誰?)」


男の声が、秋兎を刺す。


(死角から飛んでくる本を、いとも簡単に受け止めるような男と生身で挑んだって、僕じゃ敵わない―――)


ちらりと背後に回したセナを見る。


「秋…兎?」


胸元を両手で押さえ、驚いた顔を見せるセナ。


「She is not the one you can touch. (彼女は、アンタが触れていい相手じゃない)」

「アキ…」「帰るよ?セナ。そろそろハク達の買い物も終わってる」


そういうと、セナの手を引き駆け足で図書館を飛び出した。

残された本を手に取り、秋兎達の背中を驚いた顔で見送る男。


BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)とEMOM (エレクトロアクティブ・マッスルド・オペレーティブ・マシーン)についての考察……?御影隼隆教授の著書か。Hmmm———」


流暢な日本語で、男は残された本のタイトルを読み上げると、近くに山積みされた本の束を持って医学書の棚を後にする。

足早に図書館を出る秋兎は携帯電話を取り出し、白李に現在地を確認した。


「あの、秋兎…今の人は―――――」「人にナンパされるなとか言っときながら、自分に関しては無自覚無頓着だよな!セナ」


「えっと…」「そりゃ、3時間もほったらかしにしてた僕も悪いけどさ、ちょっと声を上げてくれたら僕だってもっと早く気づけたかもしれないし!」


セナの言葉を遮るように、矢継ぎ早に説教を始める秋兎。


「だからそれは―――」


ガバッ・・・・・


秋兎の両腕が、セナを包み込む。


「秋兎、ちがっ―――」

「ごめん。怖かったんだよな―――本当に怖いと、声なんて出せない…僕が図書館行きたいなんて言ったから―――ごめんね、セナ」


だんだんと、セナの良心が傷みだす。本の虫達がゆっくり読書にいそしめるようにと近くのカフェで待機していた白李達が、秋兎から連絡を受けて駆け付ける。


「大丈夫か?!セナ!!」

「図書館で襲われたって……」

「警察に連絡を!!」


慌てて駆け寄る白李と碧と立夏。


「僕が、傍に居ながら―――ッ」


(だ~か~ら~!!勝手に話を進めるな!!)



「Listen!!!(聴いて!!!)」


普段は出さない大きな声に、言葉を止め4人は固まる。

ゆっくりと、セナの顔を覗き込む。

コホンと小さく咳払いし、頬を膨らすセナ。


「あのね、私は誰にも襲われてない!」


とりあえずラボに帰って説明すると言い残し、車に乗り込んだ。


ラボに着くと、真っ暗なはずの屋内に電気がついていた。


(誰か、居る?)


警戒する白李と秋兎を他所に、何のためらいもなく家に入る立夏と碧。

セナが屋内に入ると、愛犬のポラリスが彼女に飛びついた。ポラリスの頭を撫でるセナ。


「ただいま、ラス!(しき)に遊んでもらってたの~?」

「ワフ!」


ソファーに当たり前のように座る男に目もくれず、車から降ろした荷物を冷蔵庫に詰めていく碧と、日用品をてきぱきと片付ける立夏に、警戒が溶けず痺れを切らした白李は訊ねた。


「おっ…オイ、何落ち着いて侵入者無視してるんだよ!」


ソファーでくつろぐ男は、立ち上がる。


「侵入者とはご挨拶だな?お前らん所のちっこいのに、ご丁寧に本を届けてやったんだぜ?」


リビングテーブルの上に、山積みにされた本を指さす男。

黒いスクラブの上にフード付きのパーカーを羽織ったラフな格好をしたその男の顔を見て、秋兎が指さす。


「あ~~っ!こいつ、セナを襲おうとしてた変態!!」

「はぁ?!折角本を持ってきてやったのに何だ?!この失礼なちっこいのは!」

「ちっこいの言うな!!」


口論となる秋兎と男の間に割って入るセナ。


「だから、話を聴いてって言ってるでしょ?彼は九暁 織。近くの病院に努める医師で、このラボのメンバーの一人よ」

「キミの体をオレにくれるなら、セナ専属でもいいんだけどなぁ~」


そう言って馴れ馴れしくセナの髪をすくい上げると、台所からステンレスの盆と階段下収納庫からバーベキュートングやアイスピックが、織をめがけて飛んでくる。


「よっ!」


一足早く飛んできた盆を掴むと、それを盾にトングとピックを叩き落とす織。


「バディー組んでいる癖に息合ってないな、お前ら。これじゃぁ盆で防いでくださいって言ってるような物だろ?」


「セナの目の前で、お前に当てる事はしないさ」

「あーそういう事?」


(なんだこいつの反射神経……)


秋兎と白李は織の無駄のない動きに一層の警戒を強めた。

織はリビングの端で立ったままの二人のところに歩み寄ると、スッと手を差し出す。


「そういう事。よろしくな、新入り諸君」

「……フォースの冬城白李だ。」


短く自己紹介し、手を握り返す白李。だが、その隣で織を睨んだままの秋兎は手を出そうとしない。


「…………」

「コイツは、プログラマーの御影秋兎。理由合って今はアシストとしては動いていないが、とあるプログラムの解析を担当している」


「御影…ね。よろしく、秋兎」


フイと視線を背けると、秋兎は二階にある自室に走っていった。


「あら?嫌われるような事したかな、オレ」

「17歳、難しい年頃なんですよ」


白李がフォローを入れる。


「いーや、織の大人げない態度のせいだ!後できちんと謝っとけよ?」


立夏が顔をしかめて釘を刺す。


「へいへい……」



「全く、子供なんだから―――」

セナはぼそりと呟き、二階に上がる秋兎の後を追った。


「で?結局、今日の夕飯何にするんだ?」


台所で買い込んだ食材を手に持ち、碧が訊ねる。


「まだ時間あんだろ?全部作るよ―――」

「全部って?」

「ハンバーグカレーと、デザートにチーズケーキとメロンパン」


右手でくるくると包丁を回すと、白李は手際よくニンジンやジャガイモを皮むき切り分けていく。


「メロンパンなんてどうやって……」

「ホットケーキミックス使えば何とかなる」


頼りになる白李の言葉に、手伝うよと鍋を用意する碧。


「すげぇな、最近の若いのは。そういや立夏も一人暮らしじゃなかったっけ?」


織は隣に並ぶ立夏に視線を送る。


「俺にはあんなスキルはない。ご飯は職員食堂で事足りるしな―――」


カレーの食欲をそそる香りと、デザートの甘い香りが、家内に立ち込めた



二階にはメンバー各員のプライベートスペース(自室)が設けられている。

引きこもる秋兎の部屋の前で、コンコンコンとドアをノックするセナ。

つい先ほど、ラボの古員の紹介を終えたばかりなのだが、そのメンバーとは馬が合わなかったのか、挨拶する事なく自室に引きこもってしまったのだ。


「アキウサギ!出てきなさい!!きちんと説明せずに心配させちゃったのは悪かったけど、貴方も私の話聴いてくれなかったのよ?!」

「………………」


中からは何の返事もない。ムッと口を尖らせるセナ。


「…………。このチームのリーダーは私。リーダー権限使用させてもらいますからね―――」


そういうと、ポケットからマスターカードキーを取り出し、電子ロックにかざした。

カシャリと軽快な音を立てロックを解除すると、悪びれもなく秋兎の部屋に侵入するセナ。


外は西日でまだうす明るいと言うのに、この部屋は夜のように真っ暗で、部屋一面に置かれたパソコンのディスプレイの青い光で、辛うじて部屋の様子を確認できた。

足元に散乱した本に気を配りながら、ベッドに丸くなる影に近づく。


「ごめんなさいって、言ってるでしょ?!ちょっとその子供じみた態度を改めなさい!」


無理矢理に布団を剥ぎ取ると、中から伸びた手に腕を掴まれるセナ。


「離して!このお布団はしばらく没収!―――っわ!」


腕を引かれる力が思ったより強く、セナはそのまま布団に引きずり込まれる。

ドサリとベッドのスプリングが沈む。


「いったぁ……」ベッドフレームに足をぶつけたセナは、左手で痛みの残る脛をさする。


「セナ、危機管理能力、低過ぎる―――」

「秋兎がいきなり腕を引っ張るからでしょ?!……アキ…ウサギ?」


足に延ばしていた左手を掴まれ、引っ張られていた右手と共に頭の上に押し上げられると、秋兎の右手に拘束される。

ベッドに押し倒す様に、セナの体に馬乗りになる秋兎。先程までの“アキウサギ”と雰囲気の違う秋兎に、口を開くセナ。


「裏アキト…ね?」


小さくため息をつくと、秋兎(裏アキト)はセナの腰に手を当て、ブラウスの裾を引き上げると、彼女の側胸部に手を這わせた。


「嫌ッ!」


頭の上で拘束された両手に力を入れるセナ。白李や碧と比べて、背も低い秋兎だが、彼女が全力で力を入れても振りほどけない。両足を動かそうにも、秋兎の体が邪魔をして動かせない。


「俺、セナより“大人”だって、言ったよね」

「離して!」


逃げられない恐怖がセナを襲い、その体が小刻みに震える。秋兎は気にすることなく、セナの上半身に手を這わせた。秋兎の指が、セナの両胸の谷間で止まる。

滑らかに滑らせていたセナの肌に突如現れた痕を、指先でそっと撫でる秋兎。


「————ッ!やだ…触らないで——————嫌っ!」


両瞳に涙を浮かべたセナが上体を捩る。

ブラウスの裾をたくし上げ、その胸を露にさせる秋兎。


「~~~~ッ……見ないで―――」


震える声で秋兎を止めるが、彼の視線はセナの胸に刻まれたその傷痕を直視する。


「……だから、“専属”ね…。」


顔をそらせ、涙を浮かべるセナに、小さくため息をつく秋兎。

セナの胸には、赤い瘢痕が谷間に沿ってくっきりと刻まれていた。開胸手術の傷痕。か

なり腕のいい外科医によって丁寧に縫合されたようだが、白く絹のような滑らかな彼女の肌の上では、一目でわかってしまう。


「気になるなら、“カバーマーク”や、“リハビリメイク”と言うのがある。女の子だから、気にするなと言っても、無駄だろうけど。―――ホントに好きな子の、身体のこと、俺なら気にならない。」


「アキト…?」

「むしろ、“そんな理由”で拒否された時の方が、俺達の年なら、くるだろうな……色々と。」


そう言って、露にした谷間の傷痕にキスを落とした。



その時、後方でガシャリとドアが開く。


「二人とも、メシ出来たぞ~いつまで拗ねているんだ?秋――――と…」


セナの胸からゆっくりと顔をあげる秋兎と、それを見て固まる白李の視線が合う。

硬直が溶けた白李は慌てて部屋に飛び入り、セナを押し倒していた秋兎を引き剥がした。


「何やってんだ!秋兎!!!」


セナは慌てて胸の傷を隠す。

涙を浮かべるセナを片手で抱き寄せ、白李は秋兎を睨みつけた。


「違うの、ハク―――大丈夫だから…」


白李の腕をつかみ、制するセナ。

「大丈夫って……」左手で胸を抑えるセナのブラウスは、胸のふくらみが確認できるほどにたくし上げられている。こんな状態を見た白李には、大丈夫などと到底思えなかった。


「秋兎…お前―――――」

「本当に、ハク、私何もされてないから」


セナの顔を覗き込む白李。セナが秋兎を庇って嘘を言っているようには思えないしその理由もない。自分じゃあるまいし、秋兎がセナを襲う理由も見つからない。


頭に上った血を落ち着かせるように、深呼吸する白李。

声のトーンを落とし、ベッドに座りこちらを見る秋兎に問いかけた。


「秋兎。もし君の大切な人に、誰かが同じような事をして、その子が今のセナのように泣いてしまったら、お前はどう思う?」


首を傾げ、視線をそらせて考え込む秋兎。


「大切な人が、泣いてしまうのは…嫌だ。誰かが泣かせたなら、ソイツのこと、嫌いになる」

「……そうだな。俺は今、秋兎と同じ気持ちだよ。何があったかは知らないが、大事な人が泣いていて、お前が泣かせたなら、俺は秋兎を嫌いになるよ…?」


「あっ………」


秋兎は気付いたのだろうか。白李の大切な人を、泣かせてしまった―――。


「嫌がることして、ごめんなさい、セナ」


頭を下げる秋兎。


「……良いわよ、きちんと言葉で説明しなかった私も悪いんだし。人が苦手な貴方に、突然知らない人を接触させてしまった事にも落ち度があったわ。」


そういうと、スッと左手を差し出すセナ。


「?」

「仲直り、よ。織の事も、これでお相子ね」

「分かった」


秋兎はセナの左手を握り返す。その様子を、隣で見守る白李。


「で、秋兎はセナに、何をしようとしていたんだ?」


笑顔の奥に、白李の沸々と湧き上がる怒りの感情が垣間見える。


「ああ、えっと―――セナの…」

「言わなくていいから!裏アキト!」


胸の傷の事を知られたくないセナは秋兎の言葉を遮る。


「ブラウスの中の胸(の傷痕)に触れて、(傷痕に)キスした」


「はぁ?!」


わなわなと手を震わせる白李。の、後ろで頭を抱えるセナ。

傷痕の事をうまく隠して説明したため、あきらかに白李の反感を買ってしまう秋兎。


「バカ裏アキト―――」

「セナ、先に下に降りてごはん食べていていいぞ?俺は秋兎とちょ~っとお話してから行くから」


両手を合わせ、ポキポキと指関節の音を鳴らす白李。


(だから、言わなくていいって言ったのに―――)


今度はセナがため息をつく。


「キャビテーションさせると指が太くなるわよ?ハク…はい―――」


セナはそう言って白李の手首を両手で握ると、自分の胸に押し当てた。薄いブラウスの上から、ふっくらと形のいい胸の柔らかさが掌に伝わる。


「?!」


固まる白李。少し頬を膨らませ、セナは不機嫌に言う。


「これでハクも同罪。―――3人の秘密ね?」


足早に部屋を出るセナ。固まる白李に視線を送り、秋兎も後を追う。セナの隣に並び、ぼそりと呟く秋兎。


「俺は、そんなふうに、触ってないぞ?アホだろ、セナ」

「……裏アキトの妙な言い回しのせいでしょう?!ハクにボコボコにされたかったの?」

慣れない事をして、顔を赤めるセナ。


「————そんなこと、しなくったって、セナが、秘密にしたいなら…俺は絶対、言わなかったのに」

「~~~~~うぅ~っ」

今更ながら、自分の行動が恥ずかしくなり、下を向くセナ


「セナは、綺麗だよ。少なくとも、“俺(裏アキト)”は、そう思う」


ポンとセナの頭に手を置き、階段を追い抜いていく秋兎。


「この匂いはカレー?!え~っ僕ハンバーグがイイって言ったのに!!」

「ハンバーグも乗っけてるから!早く来い秋兎」


キッチンから叫ぶ立夏。


(“僕”……アキウサギと入れ替わったのね―――)


秋兎の背中を見送り、セナがつぶやく。


「不器用だなぁ…秋兎は。―――でも、ありがとう」


セナの声が聞こえたのか、秋兎はくるりと振り向き、ニコリと笑顔を見せた。


「カレーハンバーグだって!良かったね、セナ!」

「はいはい…」


夕食時には改めて自己紹介を交わした秋兎と謎多き青年、織。

ハンバーグに機嫌を直した秋兎は、素直に握手に応じたようだ。


つ・づ・く ?




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



―――冬ルート

Cups 13 :Kiss ?

(空の世界にチェック後 推奨)


AquaNightOnline(アクア ナイト オンライン)


そこは、女性や子供、ゲームビギナーも含め幅広いプレイヤーが参加する大規模オンラインゲーム。殆どのフィールドを海が占めるその美しいゲームは、メインのRPG要素だけでなく、シュノーケリングや海中水族館としてデートを楽しむカップルにも人気を博し、サービス開始後の大規模アップデート以降急激にユーザー数を広げた。


当初は、アイデンティティの喪失をおそれてVRMMOを避けていた白李だが、InsideTrace事件で仲間となったセナ達に促されて始めたこのゲームの虜となっている。

時間を見つけては海底洞窟に潜りそのスキルを伸ばすうちに、レアアイテム“エレメンタルブーツ”を手に入れた事で、中ボスとして対峙したセイレーンの一人、ヒーメロペ(優しい声)を使役し、今ではラスボスのネオポセイドン攻略になくてはならないプレイヤーとして名を馳せていた。



このANOではHPゲージの他にエアライフ値と言うタイムリミットが設けられている為、エアライフ値をカバーし合えるよう二人一組のバディーで潜る仕様となっている。

ハクリのアバター、ラント(土)属性は、初期設定のエアライフゲージが他属性より2割も低い為、特にバディーが必要となるが、使役したヒーメロペ(ヒメ)の特殊効果によりエアライフ値が有限でカバーできる為、一人でもフィールドに潜ることが出来た。



聖倭大学海洋学部で培った知識と言う強力な武器を備えたハクリにとって、ANOはもはやフィールド(専門分野)でもある。


「それぞれのアイデンティティ(個性)が生かせるゲームか…悪くないな」


金属製のエレメンタルブーツの効果により、陸地でも義足を履いている時のような動きが出来るところも、気に入っていた。




海底洞窟 攻略拠点 霧の都


海に潜る前の準備運動にと、浜辺の大岩に腰掛け、足関節を屈曲させる白李。

現実世界では義足の足先に触れても、触感を感じることができないが、データで出来た体は足先に触れた感覚をも脳に伝え、温かさを感じさせてくれる。


「リアルではもう、味わう事の出来ない―――不思議な感覚だ…」


「ハク?」


淡い青の髪が、ふわりと頬をかすめる。見上げると、背後からセナが覗き込んでいた。


希少属性アクア(水)であるセナは、髪色こそ違うものの、現実と違わずまるで精巧に作られた人形のような美少女。

男として惹かれる見た目もさながら、閉ざした自分の心をこじ開け、今に導いてくれた光でもある。


彼女には思い人がいると分かっていながらも、手に入れたいと願ってしまう。



(そんなふうに近づかれると――――色々外れそうになるんだけどな…)



キョトンと首をかしげる無防備なセナに、思わず苦笑いが零れる。


「いやちょっとね、足が――――――」

「足が、おかしいの?ちょっと見せて!」


伸ばされた両足の間に座り込むと、膝関節を上から固定し、足関節を上下左右に動かした。


「えっと・・・・・・」

「感覚が伝わりにくい?思うように動かないとか…もしかして痛覚刺激があるとか?!」


不安げに両足を見渡し、ペタペタと触れるセナ。


「セナ?」


「通常は接触によって解析処理された感覚データが、脳に命令を伝えてイメージを表現しているんだけど、ハクの場合はリアルでの両大腿から末梢にかけての感覚が―――感覚イメージが薄いから、レスポンスに問題が生じているのかもしれない」


言葉に配慮しながら、原因は何かと思案し出すセナ。


(いや…痛くも動かしにくくもなくて、寧ろ、長年御無沙汰していた足の“皮膚感覚”を体験できる幸せに浸っていただけなのだけど―――)



ペタペタと自分の足に触れるセナが可愛くて、その温かい手が気持ちよくて、嬉しくて―――。

もう少し、触れていて欲しいと思ってしまう。



(”心はデータじゃなく本物だから、そんな事されると恥ずかしい”と言ったのは、キミの方だぞ?)



「やっぱり、自分で触れるのとは感覚が違うな」


両手を大岩につき、仰け反るように空を見上げるハクリ。


「それは、脳での感覚刺激の受容回路が違うからね…自分でくすぐってもこそばゆくないのと同じよ」



目の前で上目遣いを見せるセナ(好きな子)を見て、じっとしていられるほど人間が出来ていないんだけどな――――


もっと、セナに触れて欲しい。



ハクリの心のねじが、緩み始める。理性と欲求の葛藤が、頭の中でうごめいている。


「ねぇセナ?こっち、触って」


セナの手を、自分の太腿に誘導するハクリ。セナの顔と体が、グッと近づく。


「大腿部?やっぱり、切断部を境界で感覚刺激に差が生じてる?」


彼女の細い指が、ハクリの太腿を撫でる。反応を確かめる様に、ハクリの瞳をじっと見つめるセナ。



感覚刺激の差なんて全くない。

本当は、ハクリの足の先から股関節までセナの手が触れる感覚が伝わっている。

彼女に触れられたところが、順番に熱を帯びていくのさへ分かる。



「~~~~~ッ」


「ハク?!痛い?どこがおかしい?」


触れられたところから、波打つように伝わる感覚を、表に出さないようにと顔を背けるハクリ。

手を止め、心配気に覗き込むセナ。



普段のハクリなら、彼女にこんな不安げな顔などさせたくないと思うはずなのに。

今は、自分だけに向けられた不安な顔ですら、愛おしく感じてしまう。



抱きしめたい…

押し倒してしまいたい…

このまま無防備な彼女を――――


襲ってしまおうか・・・



「っつあぁ!!もぉーーーッッッ!!!!」


自らの邪な思考を打ち消す様に、突然に叫び出すハクリ。

驚いて目を丸くし、ビクリと体を震わせるセナ。


ハクリはセナの細い手首をつかむと、ぐいと強引に引き寄せ、彼女の唇にキスをした。


「へっ?!」


セナの指先から全身が、波打ったように震えたのが分かった。

まんまるの大きな瞳を、一層見開き、その顔面がみるみる紅潮していく。


ハクリに捕まれた腕を勢いよく引き戻すセナ。



その反動で、上体のバランスを崩したセナは、頭から海に吸い込まれるように落ちる。


「えっ?!」


この反応に、驚いたのはハクリの方だ。

触れられて帯びていた体の熱は一気に冷め、慌ててセナの腕をひき寄せる。

金属のブーツを一瞬で翻し、セナの頭を庇うように抱きしめると、自分が下になるよう体制を逆転させた。


サバン!!!


海に落ちた衝撃で、水しぶきが上がる。

浅瀬とはいえ、堕ちた衝撃で幾分かのHPが削られた。


(セナは?!)


抱きしめていた腕を緩め、セナの無事を確認する。


「大丈夫か?!痛いところは―――」


痛覚がカットされているVRMMOで痛み刺激があるはずない事も忘れ、必死になるハクリ。

ハクリの胸に顔を埋めていたセナが、ゆっくり顔を上げる。


「ハク、足の俊敏性、上々じゃないッ!!!」

「あっ…あはは――――これは・・・」


浴びた水しぶきのせいか、心なしか涙目にも見えるセナ。顔の紅潮は、まだ解けていないようだ。


「いや、他の男で慣れているかと―――」

「~~~~~ッ!なにそれ?!慣れてないもん!!!ハクのバカっ!!」


バチン!


大きな平手打ちの音が浜辺に響く。

赤いダメージエフェクトが、ハクリの頬に手形を残した。

頬を膨らせたセナが、怒りながら霧の都の中に消えていく。


(そういやここはまだ、安全地帯(街中)じゃないんだっけ・・・)


海に落ちた衝撃よりも大きく減少したHPゲージを見つめるハクリ。


「あぶねぇ……これ、あのままセナを襲ってたら絶交されていたな―――」



ハクリは、欲望衝動をキスで押さえた自分を褒める。


その後スイーツやセナの好きそうな珈琲豆をプレゼントして機嫌を取ろうと試みたが、セナからしばらく無視されたのは、言うまでもない。





つ・づ・く ?



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



―――冬ルート

Cups 13 :白の痕跡 

(das Konzert後、黒い靄チェック前 推奨)


ここはVRMMOゲーム、AquaNightOnline―――


海をモチーフにした美しいフィールドが多くみられ、VRでのデートを楽しんだり、一般家庭にはないような様々な楽器を演奏できたり、免許がなくても様々な乗り物を運転して楽しむ事が出来たりと、老若男女様々なプレイヤーが非日常をプレイできるような仕様が多数盛り込まれていた。

勿論、メインストーリーの深海を巣食う大ボスを倒すための、海底洞窟攻略といった戦闘目的のプレイヤーも多くみられる。


ANOは通常のRPGゲームにあるHPゲージだけでなく、海底フィールドではエアライフ値(酸素ゲージ)という時間経過で減少するゲージにも気を配らなければならない。そのゲージは、選択した属性により大きく異なるため、上手くバディ間でエアライフを繋ぐ作戦と、アイテムやエアライフ値回復効果のあるガーディアンの使役など様々な工夫が必要となる。


黒がカッコいいという理由だけで、エアライフ値が通常の8割しかないラント(土属性)を選択した冬城白李こと、アバターネーム:ハクリは、ANOプレイ早々に手に入れたレアアイテム、エレメンタルブーツの特殊効果により、ガーディアンとしてかつての敵であるセイレーン、ヒーメロペ(ヒメ)を使役した。

彼女にはエアライフ値回復効果だけでなく、その“優しい歌”によりエアライフ値の減少を極端に遅くできるというチート技を持っていたのだ。


通常はエアライフ値の補填の為、エアライフ値の受け渡しが出来る二人一組のバディを組んでフィールドに望むことがセオリーとされているにもかかわらず、ハクリはヒメを連れる事で一人でも海底洞窟の散策が可能となっていた。




『マスター。この辺りから、マッピングされていないエリアとなります』


海底洞窟フィールドを一人で潜るハクリに、彼のガーディアンであるヒメが注意を促す。


「ありがとう、ヒメ」


電灯アイテムを使用し、薄暗く浅い海底を進むハクリ。小さく隆起した(たい)がいくつも存在する。


「この辺りは、やけに海底地形が複雑だな……」


本業の聖倭大学では海洋学部に所属するハクリは、海に関する知識に対してはそれなりの自信を持っている。ANOは現実世界の生態をかなりリアルに表現されているところがあるため、海洋生物の弱点はそのままこのゲームの敵達の弱点であったりもするのだ。

この事が、彼がソロでプレイできる理由の一つでもあった。


「水月博士の開発した、BMIマシン、Polaris2型(潜水式)を操作している気分だよ」

『―――それは、何ですか?』

「うーん、説明は難しいんだけど、ブレインマシンインターフェーズに無人の機械を接続して、深海を自分で泳いでいるような海洋調査が出来る機械で―――」


AIのヒメに、大学で行っている海洋研究の内容を説明するハクリ。途端―――




ドーーーン…


「?!!」


何かが爆発したような音が海底に響いた。

辺りを見渡すと、地面が縦に揺れ砂地の細かい泥が浮き上がり、水底付近を煙幕のように覆い視界を奪っていく。



『マスター!!』


海水がよじれ、身体が左右に振られる。水の壁に連続で叩きつけられる様な…まるで洗濯機の中にほり込まれたような水流に、体の自由が奪われた。


「ヒメ!」


ハクリの声と同時に、ヒメは黒いシャチに姿を変え、その背中にハクリを乗せてフィールドを高速移動した。激しい海流の場所を抜けだし、後方を見て息を呑む。


「何だったんだ―――あれ」

『分かりません…この辺りは、大丈夫そうですね』


周囲を見渡すと、避難してきたこの場所は、海流の流れも穏やかだ。

どうやら先程の場所だけ、まるで海底地震が起こっているかのようだった。


「海底地震―――か」


顎を抱えるハクリ。先程の場所の座標を地図に重ねる。


「―――丁度大海のど真ん中だな…」

『最上層部では丁度イベントが発生しているようですね…』

「イベント?」

『はい。霧の都に向かう為の連絡船の―――』

「ああ、あれか!」


ハクリは小さく頷く。昔キリトと共に霧の都に向った時も、およそ5割の確率で遭遇するという台風のイベントにあい、いきなりサメの群れとの戦闘を行った記憶が蘇った。


「上は台風で海底は(たい)ね―――。まるでストームクエイクだな」

『ストームクエイク…ですか?』


不思議そうに首をかしげるヒメ。


「ストームクエイクは台風が強力な海洋波として圧力を海に伝え、硬い地面と干渉して爆発的な揺れを起こす、海底地震さ。丁度大陸周辺の浅い海底で、小さく隆起した(たい)がある場所で発生しやすいんだ。」

『―――へぇ…』


感心したように目を見開く。


「こんなもの(ストームクエイク)まで存在するなんて……このゲーム、仕様がリアルでなかなかに楽しめるな」


ハクリはにんまりと、口元を綻ばせた。


『マスター、楽しそうで私も嬉しいです』


「ヒメが傍にいてくれるからだよ!ラントの俺だけじゃこんな長時間一人で潜れないしな」

くしゃくしゃと、黒シャチの頭を撫でるハクリ。


トクン…


(あれ?何だろう―――この、不可思議な気持ち……胸が、少しだけあつい―――)


『マスター……』

「ん?」


不確定な異変を、ハクリに話して心配させるのも良くない。そもそも、AIの自分が“気持ち”や“感情”等というものに振り回されるはずもない。

ヒメは小さく首を振り、口を閉ざした。


『いえ、すみません…何でもありません』

「―――?そうか」


不思議には思いながらも、何でもないと話すヒメの言葉に、ハクリはそれ以上の追及を行わなかった。





海底洞窟出入口


「何してんの?」


海底洞窟のマッピングから戻ると、セナと、もう一人のセイレーンのティアが出入口の扉前に座り、足を揺らしている。


ハクリの声に気付くと、セナは立ち上がり、ツカツカと近づいてきた。


「………もぉ!何度もメッセ送ったのに!朝ごはん食べないの?」


口を尖らせ、少し不機嫌な物言いのセナ。


「ラボに来たら、立夏も織もお仕事に出てるし、秋兎は寝ているし、碧はアルグレードのところへピアノを弾きに行ったみたいだし…ハクも起きてこないし―――」

「ああ、そうだったんだ」


今日は久々の休み。昨夜は遅くまで起きて課題を終わらせていた。

碧や立夏達が朝から出かける事は昨夜の内から聴いていたし、秋兎が昼頃まで寝ているのはいつもの事。今日はゆっくりVRゲームANOのマッピングをして過ごそうと考えていたのだ。


「今日はハク、休みだって言ってたから―――朝ごはん食べずに来たのに……」


フイと視線を逸らせるセナ。メッセージボードを確認すると、立て続けにメッセージが届いていた。マッピングに集中できるようにと通知音声をOFFしていた為気付けなかったようだ。

ティアとヒメはセイレーン同士で現在地の把握や視界の共有が出来る。ハクリがヒメと共に海底洞窟に潜っている事を、ティアに聞いてここで待っていたのか。


「わりぃ!直ぐにご飯作るよ―――セナ、朝ごはんは何がいい?」

「ホットケーキ!」


素直に答えるセナはあまりに可愛い。にんまりと口元を綻ばせ、彼女の頭を撫でると、メニュー画面を開いてログオフの準備をした。


「ハク、いつも一人で潜っているのに、HPの減少は少ないわね…」


セナが、ハクリのアバターをじろじろと眺め、不思議そうに尋ねる。


「ん?一人じゃないしな…ヒメがいてくれるからHPもエアライフ値もたいして気にせず戦える」


さらりと答えたハクリに、口元を覆って考え込むセナ。

すると、彼女は突然にとんでもない事を言いだした。


「―――ねぇ、ハク。私とデュエルしない?」



「断る。」


セナの申し出に、あっさりと答えるハクリ。


「えーっ?!どうして?ANOは五行相剋説(火>金>木>土>水>火)採用しているから、アクア(水)の私とラント(土)のハクじゃ、ハクの方が有利じゃない!」

「嫌です!」


(だったら、尚更考える必要もない。ゲームとは言え、何が嬉しくて好きな女の子を斬らなきゃならん!)


「………じゃぁ、どうしたらハクは私とデュエルしてくれる?」


VRを始めて間もないハクリの戦闘能力が気になる様子のセナは、彼とのデュエルを全く諦める気は無いようだ。どうにか諦めさせる方法はないものかと、知恵を絞ってみる。


『―――――悩む必要なんてないじゃない!』


二人の会話を聴いていたティアが声を上げた。


「ティア?」

『テティス(セナ)が勝ったら、朝食にホットケーキを作ってもらう。ハクが勝ったら、セナに何でもいう事聞いてもらえる!ってのはどう?』


にんまりと、妖艶な笑みを浮かべるティア。


「………何を企んでいるんだ?ティア」




彼女の表情に、目を細めるハクリ。


『企んでいるなんて、酷いわ?ハクにチャンスをあげてるんじゃない…ゲームに勝ったら、”テティスを好きにできる”のよ?』

「…………」


(その妖艶な微笑みは、”そう言う事”か―――。確かにこのルールだと、セナはデュエルを拒否するだろうな)


「それでいいわよ」

「はぁ?!」


思わず、おかしな声が出る。


「それでいいって、お前負けたら何でもするんだぞ?」

「いいわよ?ホットケーキでも作ろうか?」


…セナはリアルでは料理が出来ない。

以前、フレンチトーストを作ろうとして台所を壊しかけたと立夏から聞いたことがある。


「―――それは、寧ろ台所と俺への罰ゲー「何か言った?」


ハクリの言葉を遮るように、作られた笑みを浮かべるセナ。


「いえ、何も……」


どうやら彼女は、ハクリやティアの思う”なんでもする”の意味をきちんと理解できていないようだ。


(俺が君に、“酷い事”をするとか―――考えてもいないのだろうな)



―――それは信頼か、甘えか……


ぐっと、拳を握り締めるハクリ。


「逃げるんじゃねーぞ…」


ぼそりと呟くハクリに、にんまりと口元を綻ばせるセナ。


「―――ええ、ハクもね」


(全然、解っていない…。俺はそんなに優しい人間じゃないし自分の欲望には忠実だ。約束だ…逃げるなよ?俺が勝った後、君にどんなことをしても―――)



ハクリは右手に、剣を装備する。セナもまた、左手に、愛刀を装備した。


『双方、準備は良いわね―――HPの回復なしで先に半減した方が負け。じゃぁ、DUEL開始!』


ティアが両手を挙げた。と、同時にセナとハクリは勢いよく地を蹴る。



―――序盤は相手の出方を見る…なんて悠長なことをさせてくれる相手じゃないよな。


振り下ろされた刀をひらりとかわし、代わりに、右脇腹に向けて鋭く剣を向けた。当然のようにひらりとかわすセナは、空中で体を一回転させ、ハクリの右手の上に、足を乗せ、にんまりとほほ笑んだ。



「3時のおやつには、ロールケーキも付けて貰おうかしら」


現実世界のセナでは、あり得ない身のこなしと速さ。剣を持つ右手が、セナの足に押し下げられる―――いや、それよりも・・・。


ひらりと揺れる白いスカートから、伸びる絹のような足に、目を奪われた。


「このアングル、スカートの中が見えるぞ?セナ」

「………!!!」


セナの左足が、ハクリの顔面目掛けて蹴りを飛ばす。


「うわぉ!!!」


寸前のところで避けるハクリ。前髪が、蹴りの風圧で揺れる。

にんまりと、口元を綻ばせ、緊張で乾いた唇を舐めた。



セナの白い足に、自らの手を添わせる姿を想像する。

―――やべぇ。VR(まがい物)のくせに、ゾクゾクする……



ガン―――



金属のぶつかるエフェクトがフィールドに響いた。

高速で繰り出される無駄のないセナの刀筋。一瞬でも気を抜けば、赤いダメージラインが体を抉る。


刀をしならせ操る細い腕も、身体を逸らせる際に強調される腰のラインも、自分を睨みつける瞳さへも……。



―――その全てを、手に入れたい。



『テティス様…マスター…』

『良いわねぇ、ハク。獲物を追う男って、凄く…艶やか!』


二人の戦闘を心配気に見守るヒメとは逆に、ティアは目を細めてじっとハクリを見つめた。


VRでのセナが強い事は、周りのプレイヤーからも聞いていたし実際にハクリも目にしていた。そう簡単に倒せる相手とは思っていなかったが…


「これは、思ったより手ごわいな」


ハクリが両足のエレメンタルブーツを発動させると同時に、セナは右手にも刀を握り、二刀流で打ち込んでくる。片剣ならば打ち込んだ後の硬直時間が隙となるが、今の彼女に隙は無い。


「やっぱりハク、強いわね」


セナがにんまりと笑い、話しかける。これだけの戦闘を行っていながら、彼女には笑いながら話す余裕すらあるのか。


「動きが早いわ…VRとの親和性が高いのね。速さだけだと負けないのだけど、元々の戦闘センスがいいからなかなか崩せないわね―――」


分析らしきセリフをわざわざ口にするセナ。

そうは言うが、先程からダメージを負っているのはハクリの方だ。セナのHPゲージは全く削られていない。それは、ハクリが大切な女の子である彼女を傷つけられないのではない…そもそも、彼女に傷を負わすための隙がないのだ。



―――さて、どうしたものか…。隙が無いなら、作ればいいのだが―――。


ズルいとは思うが、ティアの言う折角の“チャンス”をそう簡単に見逃す気は、さらさらない。


「なぁセナ…さっきの約束、覚えているよな?」


剣を交えながら、ハクリが挑発するように問いかける。


「約束って、ホットケーキとロールケーキとシュークリームを作ってくれるって、あれ?」


―――シュークリームも増えてるし……。


当然、この程度の挑発はもろともしないセナ。この辺りは、想定済み。

本題は、ここからだ。


「そう。俺が勝ったら、セナは何でもしてくれるって、あれ!」

「覚えているわよ?」

「セナは、気にならないか?俺が―――君に何をさせたいのか」


「別に。私、勝つし―――」


(あ、そう・・・・・・。これは、想定外の返答だ)


さらりと言ってのけるセナに、苦笑いを浮かべた。


(まぁでも、それはそれで―――ちょっと腹立つな……そんなふうに煽られちゃ、ますます欲しくなる)


負けず嫌いの闘争心に、火が付く。


五行相剋説でセナに対しては優位に戦闘を進められるはずのハクリ。攻撃を当てさへすれば、大きくダメージを奪えるはずだ。


「残念だけどセナ、今回は俺、負ける気ないよ?勝ってセナを――――――――」


両手の刀筋を逸らせると、ハクリはセナの耳元で囁いた。


「えっ……」


大きな瞳を、驚いたように見開くセナ。


(ほぉら、簡単に隙は作れる―――)


両手を掴み、態勢を崩したセナの腹部に、エレメンタルブーツで蹴りを入れたハクリ。


「くっ―――?!!」


顔をしかめるセナのHPは、勢いよく減り出したが、もう少しで半分に届くかというところで、その減少を止めてしまう。


「―――。一撃で決まったと思ったのに……」


知らず知らずの間に、蹴りに手加減をしてしまったのだろうか。

ハクリの両手を斬りつけ、距離をとるセナ。彼のHPもまた、もう少しで半分に届くかというところまで削られた。お互い、次の一撃が最後となるだろう。


「動揺作戦に引っかかるなんて―――私もまだまだね」

「いや?俺は本気だけど」

「――――……」


「デュエルで“なんでもする”なんて言葉を嘘でも言っちゃダメだって事、後でたっぷりとその身体に教えてあげる」


にんまりと微笑するハクリは、へらへらと笑ういつもの優しい彼の表情ではない。

ならばと、セナはハクリに向き直り、視線を向けた。


真剣な表情―――やっと、危機感を持ったのか。


「エレメンタルブーツは特殊スキル…。なら私の“コレ”も、使っていいわよね――」


左手に、白藍色のソースコードが舞う。


(……プログラミング?魔法攻撃か―――?)


右手の剣を構え、両足のエレメンタルブーツを溜めに入る。


「トレース」


セナの言葉に反応し、彼女を中心に空間が揺れた。


「なんだ?トレース?」


初めて聞く言葉に、警戒するハクリ。セナの視線には、なぞるべき白藍色の痕跡が、真っ直ぐハクリに向って伸びていた。


勢いよく、地を蹴り飛び出すと、セナはその白藍色のラインを辿る。


(―――最後の一撃のつもりか…?ならばこれさへ、避け切れば!!!)


セナの動きを、じっと目で追い、剣を向けた。

だが彼女は、ハクリの動きをまるで予測していたかのように避けると、左手の刀をハクリの右側腹部に滑り込ませる。


「?!!」


ダメージを回避するために、剣を持つ手を挙げさせられる。

そこに、右手からのもう一本の刀が襲い掛かる。


(やはり、この2撃目が狙いか―――)


想定内の攻撃パターンのはずなのに、体は彼女の予測線通りに動かされる。


(負けたく―――ない……。 セナが―――欲しい)



―――欲しい……


セナの右手の刀がハクリの身体を貫く前に、ハクリの左手がセナの振り下ろした刀を掴んだ。



「うそ―――――」


(トレースを…破るなんて―――――)


ハクリの予測外の動きに、これまでにない驚きを見せるセナ。そのまま刀をひき寄せ、態勢を崩したセナの背部に剣の持ち手で衝撃を与えた。


攻撃の割に、セナのHPが大きく削られ、イエローゾーンに差し掛かる。




―――――勝った…か?


『あ~ん!もう少しだったのに!!ばかハクぅぅ!!!』


悔しそうに、ティアが手足をばたつかせた。


「……え?」


ふと自らのHPゲージを見ると、半分を僅かに割り込んでいる。


『テティスの刀を素手で握ると、ダメージ受けちゃうでしょ?!』

「あ、そっか……」


デュエルのルールは、HPゲージが先に半減した方が負け―――


互いにHPゲージが半分のギリギリのところから始まった、最後の一撃勝負で、ハクリは自ら先に、HPゲージを削らせてしまったのだ。


「マジかぁ~!!!」


頭を抱えるハクリ。


(これは絶対に勝ったと思ったのに…)


「………―――――」


隣で、呆然とするセナ。


(トレースを、破られた……)


「仕方ない…ルールはルールで、約束は約束だ。君の勝ちだよ、セナ!―――セナ?」


視線の定まらないセナを抱きかかえ、持っていたアイテムで彼女のHPを回復させた。


「大丈夫か?!痛かった―――? ごめん…セナ?」

「――――平気、ありがとう…」


平気と答えるセナには、覇気がない。

どうしたのだろうかと、不思議に首を傾げたハクリ。


「さて、遅くなったがログアウトして、朝食にホットケーキでも作ろうか!おやつのロールケーキとシュークリームも作ってやる!」


「――――……」


(セナ?)


「……それとも、セナが俺の事、好きにしたい?―――セナになら俺の体、何されてもいいよ?VRでも…リアルでも―――」


様子のおかしいセナを覗き込むように、ハクリは顔を近づける。セナの左手をそっと握ると、自らの首元に誘導した。


ハクリの首に触れた左手を、彼の頬に滑らせると、その頬を、思い切りつねるセナ。


「?!!いてて、痛いよセナ!!」


「……『“なんでもする”なんて言葉を嘘でも言っちゃダメだ』って、ナンパなお兄さんに教えて貰ったの―――?」

「―――あ~そうだったね。教えたんだっけね」


いつものセナらしい態度に、安どの小さなため息をつくハクリ。


二人はログアウトすると、白李はプライベートルームのある2階から、キッチンのある1階へと降りてきた。リビングのソファーには、バームを外すセナが視線を向ける。


「ホットケーキ、作ろっか」

「うん!」


キッチンで卵と牛乳を混ぜる白李の隣で、珈琲豆を挽くセナ。

芳醇な珈琲のアロマを愉しみながら、ドリップしていく彼女を見て、苦笑いを浮かべる。



(あのまま俺が勝って―――もし彼女に手を出していたら…)


「どうしたの?ハク」


不思議そうに、首をかしげるセナ。


(こんなふうには笑ってくれないんだろうな……)


「いや、何でもない。好きだな、この香り―――」

「ふふっ!私もよ!」


今日も星の木ラボには、ホットケーキの甘い香りと、珈琲の癒しのアロマが溢れていた。



つ・づ・く?



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



―――春ルート

Cups 14 :海賊王と海のデート?

(空の世界にチェック後 推奨)


AquaNightOnline(アクア ナイト オンライン)


そこは、女性や子供、ゲームビギナーも含め幅広いプレイヤーが参加する大規模オンラインゲーム。殆どのフィールドを海が占めるその美しいゲームは老若男女様々なプレイヤーが個性を生かせるよう様々な仕様が盛り込まれていた。


当然、VRMMOで自らの強みを生かそうと、個性的なプレイヤーも数多く存在する為、それらのプレイヤーを飽きさせない為に、ゲーム運営側にも幅広い知識が求められていた。



海底洞窟(シーラビリンス)


「へぇ!あの鉄壁のディフェンスを持つ亀形の敵が動かなくなったぞ!」

「いくら攻撃してもHPが全く減らなかったもんね…そもそものHPゲージ、反則級に長いしさ」


ともに攻略に出掛けていたアルとアキトが剣を納めた。


「世界ギネス記録だと、最高齢の亀は182歳だったかな?海外でも”神獣”として扱われたりするそうだけど、そもそも亀は冬眠する動物で、寒さに弱いんだ。倒せないなら凍ってもらって先に進めばいいさ!」


「成る程ね~!」


楽し気に先へと進むメンバー。



「・・・・・・・・・」


その様子を見ていたアオイは、隣にいたセナにぼそりと呟く。


「ハクリ、やけに海洋生態系に詳しくないか?」

「聖倭大学海洋学部海洋地球学科3回生、あれでも結構成績優秀らしいわよ?私も、ハク対策で聖倭大学海洋学部の教授に何度かアドバイスを頂いたのだけど…ぱっと出の素人が、現役大学生に知識で敵うわけないわね・・・」


自信の敵があっけなく突破される事に、セナも唇を噛んで悔しさを滲ませる。


「俺も本気でハクリ対策の勉強しようかな…」

「じゃぁ、一緒にお勉強、しよっか?アオイ」

「えっ?!」


セナからの思わぬデートのお誘い(大きな勘違い)に、アオイは一人胸を躍らせた。



翌日、霧の都宿屋2階の拠点にリツカの叫び声が轟く。


「アオイと2人でお泊り旅行?!」


ハクリやアキトも眉をひそめ、勢いよく振り向く。


「フィールドワーク…仕事よ、仕事!」


頬杖をついて、ため息をつくセナ。


「ANOの攻略が、誰かさんのおかげで思ったより早く進んじゃっているから、対策を講じないとって話していたの。」


ちらりとハクリに視線を移すセナ。


「へっ?俺のせい?」


アルがハクリを睨み、顔を歪ませた。


「違うわ、私達の知識とアイデア不足よ…元々どんな背景を持ったユーザーにも楽しんでもらえるようにと運営しているのだから、GM側にもそれなりの知識や技術が求められて当然だわ」


セナが首を振る。


「じゃぁなにも、神戸まで行かなくったって……品川にも静岡にも、名古屋にも同様の資料館はあるのだろう?」


ハクリがアオイの腕をつかみ、引きつった笑顔でツッコミを入れる。


「そこは俺(GM)の権限で研修先を神戸にした♬」

「・・・デートしたいだけだろうが!」


「神戸なら、羽田から1時間ちょっとで行けるじゃないか!朝晩の便を使えば日帰りでも十分だろう?」


リツカが含みを持たせた笑顔で反対側の腕をつかむ。


「その日の午前中、システムの調整でクライアントの会社に出向するんだ。セナを無理な工程で動かしたくないしね♬」

「・・・・・・出向のない日を選べばいいじゃないか!」


「じゃぁ、バームを装着して通信機能をONにしたまま“仕事”をしてくれ!ソースコードの回収や資料を映像記録として残せるし、一石二鳥だろ?」


「勿論、そのつもりでいたよ!博物館内は撮影禁止になってしまっているけど…データの収集は映像記録の方が確実だしね」


ニコリと笑顔を見せるアオイ。

2人きりでのデートを邪魔するなと、バームによる映像記録を渋るかと思っていたリツカ達だが、アオイの意外な反応に驚いた。


こそこそと4人が部屋の隅に集まる。


「どういう事だ?2人きりで行きたかったわけじゃないのか?」

「俺ならビデオ撮影デートなんて意地でも断るけどな」

「ただのヘタレか、もしくは一生に一度のこんなチャンスに、本気で研修に行くだけなのか…」


「秘密の話なら聞こえないように言ってくれるかなぁ?そこ4人!!!」


失礼な物言いを続ける4人に、苛立ちを含ませたアオイの声がツッコミを入れた。




研修旅行当日。


午前中に仕事を終えた碧は、セナと水月が借り住まいとするマンションに向った。

白と水色を基調とするセーラーカラーのスカートに、水兵帽を被り、頭部にカチューシャ型のバームを取り付けたセナがマンションから出てくる。


「お待たせしました、よろしくお願いしますね」


ニコリとほほ笑むセナの可愛らしい姿に、眩暈を覚える碧。


「こちらこそ!」

「バームはつけてきたけど、一から十まで録音撮影するわけじゃないし、余所行きの顔はやめてね?碧」


この瞬間も、映像記録として残っているのかと、意識した緊張感が漂う碧に、セナがくすくすと笑った。航空券等の手配や手続きは碧が全て済ませていたようで、セナは文字通り、自らの荷物を持ち、ついて行くだけだった。


関西方面行の飛行機の座席で、カタカタとノートパソコンを叩く碧。

PC眼鏡を装着し、どうやら仕事関係の書類の整理を行っているようだ。

暫くは仕事に集中する気だろうと、邪魔にならぬように窓の外を眺めるセナ。


「……話しかけてもいい?セナ」

「はい?」


程なく隣から声が掛かる。カタカタと指だけを動かし、訊ねてきた。


「どうして今日の旅行、OKしてくれたの?」


VRMMO内では、海賊王として名を馳せ、傲慢な態度と豪快な戦闘でプレイヤーから恐れられながらも尊敬されているアオイ。だが、現実世界での彼はVRでの彼が想像できないほど服装も髪型も落ち着いており、セナに対しては特に遠慮がちで紳士的な事が多い。


「………識が、行っておいでってゆってくれたから」

「識が?」


(一番反対しそうだと思っていたのに)


碧はタイピングの指を止め、視線を隣に向けた。


「碧からお誘いを頂いたその日に、識にも伝えたの。碧の事信用していないとか、そういうのじゃなくて…身体の方で、私、何度か心配をかけちゃってるから―――主治医にはきちんと報告しとかなきゃって―――」


男として意識してくれている……。セナの言葉に、口元が綻ぶ碧。


「そしたら識が『白李なら止めてくれとお願いしていたところだけど、アイツは信頼できるから』って」

「へぇ?識が、そんな事を?」


(そんなふうに言われると、手を出すに出せなくなったじゃないか……)


嬉しい反面、チクリと釘を刺された事に気付いた碧。


「私からも聞いて良い?」「ん?」

「今回のフィールドワーク…どうして神戸なの?」


トスン…と、座席の背もたれに体重を預ける碧。


「神戸は…俺が生まれた街なんだ――――――」



今は祖母や母と横浜に住んでいる碧だが、中学卒業までは同じ港町でもある神戸に住んでいた。2年前まで神戸の家で一人暮らしをしていた祖母が転倒し、足腰を痛めてからは横浜の家に引き取り、地方出張の多い父や碧が時折、誰も住まなくなった家を訪れては、簡単な掃除や風通しをしているのだと言う。



「へぇ!碧のプライベートな話ってあまり聞かなかったから…新鮮だわ」

「俺も、セナのプライベートな話は聞けてないけどね」

「まぁ……そうね―――」


視線を逸らすセナ。碧の瞳は、セナを捉えて離さない。


「セナの事、もっと知りないな…俺の事も、もっと知って欲しい。ねぇ?セナ―――」


顔を近づけ、セナの顔を覗き込む碧。


「こっ…今回はお仕事で”碧さん”とご一緒しているんです!部下をそんなふうに口説く上司は、パワハラです!」


視線だけでなく、顔を背けてしまうセナ。飛行機の窓には、少し唇を尖らせた彼女の顔が映り込んでいた。


(パワハラ…ねぇ。いつから俺の方が上司になったんだか・・・・・・)


約一時間ちょっとの空の旅を終え、空港を出ると、セナは鞄に置いていたバームを頭部に装着した。


「ここが神戸の街ね!!」

「じゃぁ、行こうか?」


さりげなく差し出された碧の手を握り返し、二人は目的地の海洋博物館に向った。

国際港湾都市とし、横浜や長崎と並ぶ貿易の要所でもあった神戸は、横浜とはまた違った観光地、デートスポットとしても有名だ。


「東京タワーの、ちっちゃいの…?」

「あれは、ポートタワーと言って、この街のシンボルの一つだよ」



街を案内しながら歩く碧は、どこか懐かしそうに周囲を見渡した。


「この街は昔、大きな震災にあって、民家もビルも潰れ、焼け野原になって、沢山の人が亡くなってしまったんだ。だけど、諦めない街の人の強い心と、全国から寄せられた人々との温かい絆が、こうして街を復興させたんだって―――」


「そうだったの……」


爽やかな潮風を浴びながら、散策するセナと碧。


震災メモリアルパークと書かれたそれは、31年前の震災で崩れた波止場の一部が飾られている。こんな大きなものが崩れてしまうような大災害を経たとは思えないほど、その街は美しかった。




目的地である博物館では、時代と共に変わっていく街の様子と、航海計器や船具の実物や模型、映像、グラフィックなどで展示されていた。その昔、この辺りには造船所があったらしく、展示物の多くは船に関係した物が多かった。


「へぇ!?」


興味深そうに目を輝かせ、展示物を見ていくセナ。

シミュレーターでは操船を体験し、シアターでは映像を熱心に見ている。


「船…変わっていく街…絆――――――。ユーザーが、自分達で”(フィールド)を作っていくのも、素敵かもしれない!」


「成る程、面白いアイデアだね!」


「街を壊そうと襲う敵や、災害もあるかもしれない…そういった困難と戦っていく中で、プレイヤー同士の絆が、もっと強くなっていくと良いなぁ。自分達でパーツを組み立てて、船を手作りできちゃうとか、大きな船を自分で動かせちゃうとか?!」


次々に湧き上がるアイデアに、セナは目を輝かせる。


「船の設計かぁ…これには別の知識や技術が必要だな……もっと勉強しないとだぞ―――」


苦笑いで頭を悩ませる碧。


「誰かに、助けて貰わなきゃだね…私達だけで出来る事は限られてる。だから、皆の知識や技術や経験、助けを借りていかなきゃいけない時が来たのかもしれない―――」


「セナ?」


休憩スペースで腰を落とすセナ。その隣に、座る碧。


「私、人を巻き込むのが苦手だった。一人やっちゃう方が確実だし速いし、助けてって、どうやって声を掛けたらいいか分からなくて。でも、一人で出来ることなんてたかが知れてる。ANOで、もしあの時アオイが声をかけてくれなかったら…態度の悪い私に嫌気がさしちゃってたら…傍に居てくれなかったら、私は雪原に負け、鋼鉄の部屋の中で死んでいたと思う。」


「………」


そんな事ない、と、言いかけた碧の口は、彼女の次の一言で再び言葉を失った。


「あの時、私を諦めないでいてくれて、ありがとう―――碧」


不安や焦り、あの時の思いが碧の胸にこみ上げる。

彼女は、引きこもりでVRに逃げていた自分に、この世界をくれた人――――。


(今だって…諦めていない。セナだけは――――諦めたくない)


「俺は、今だって諦めないよ。………

皆で一緒に、ゲームを創り上げて行こう――――――?」


「うん」


小さく頷き微笑む彼女が、とてつもなく愛おしいと思った。



「もう一つ、ココを選んだ理由があるんだ」


小休憩を終え、一階展示室の奥に案内する碧。

セナの大きな瞳が、再び輝き出す。


「カワサキワールド?もしかして…」


中に入ると、セナの愛用しているバイク”Ninja”の他、今昔様々なバイクが展示されていた。


「うそっ!!!」


興奮気味なセナをみて、くすくすと笑う碧。


「俺は、識や、白李や立夏みたいにバイクに乗れないから…。でも、楽しんで頂けているようで、何よりです」



博物館の見学を終えた二人は、近くのホテルで夕食を共にした。


「今日はセナにはここに泊まってもらって、明日朝にまた迎えに来るよ」

「碧はどうするの?」

「俺は神戸の家にいる、じいちゃんに会って来ようと思うんだ」


行きの飛行機の中で、神戸の家には、今は誰も住んでいないと聞いていた。だが、どこか懐かしそうな表情を浮かべる碧から、幼少期を過ごしたこの地で、祖父との思い出に会いに行くのだと、直感するセナ。


「そう…わかったわ!ゆっくり、過ごしてきてね」


ニコリとほほ笑む。


「ありがとう、セナ」



食事を終えた後、セナと別れた碧は、夜になっても人の生頼が絶えない通りを抜けて少し落ち着いた住宅街に歩いた。

坂道を上ったところにある一軒家の鍵を開けて入ると、真っ暗な屋内に呼びかける。


「じーちゃん、ただいま…」


静まり返る家中の雨戸と窓を開けると、家中に静かな夜の風が駆けぬける。


祖父の写真の前に置かれた碁盤の埃を払うと、仏間に線香を灯し、月明かりが注がれる畳の上に大の字になって寝ころんだ。少しの埃臭さが鼻腔をかすめる。


家族で過ごした幼少期の思い出が、月明かりに照らされる写真に沿って湧き上がる。


「じーちゃん、今日さ…大切な女の子と、この街を歩いてたんだよ―――引きこもりの俺が…笑えるでしょ」


都会の夜に似合わぬ虫の鳴き声が、静かに響く。

屋内を通り抜ける風が、寝ころぶ碧の前髪を揺らした。優しい風に、まるで頭を撫でられているかのような心地よさを感じた。


「俺、結構諦めが悪かったみたいだよ…。じーちゃん、知らなかったでしょ?じーちゃんとの囲碁の勝負、直ぐ諦めて怒られていたもんね――――――」


瞳を閉じ、全身で風と音を感じる。


「……この1局、中央に地を広げる黒が優勢―――。でも、諦めの悪い白の一手を打ち込む!…どんな悪手と言われても、この一局だけは、最後まで投げ出したりしないから」


昼間に心で誓った思いを、碧は祖父たちの眠る仏壇に向って話しかけた。



翌朝。


家の掃除を一通りおこなった碧は、待ち合わせ時間の10時少し前にホテルに到着する。ロビーを見渡すが、セナらしき人影は見当たらない。

不思議に思い携帯電話を取り出すと、画像が送られてきていた。”私を探して下さい”

というメールと共に、ポートタワーや博物館が映っている。どうやら対岸から撮影されたようだ。


簡単すぎる謎解きに、思わず画面を見つめクスリと笑う碧は、港をゆっくりと歩き対岸に向う。

そこにはベンチに腰掛け、ノートパソコンを膝に置き、何かを作成しているセナが居た。


「おはようセナ!きちんと眠れた?」


隣に座りパソコンを覗き込むと、次回ANOアップデートに向けたアウトラインのようだ。


「思いが熱いうちに、打ち出しておこうと思って……」


カタカタとタイピングを行うセナ。邪魔をせぬようにと空を見上げる碧。

本日も快晴、潮の香りと波の音、午前の柔らかな日差しが心地よかった。


両手を組んで空に伸ばし、体を伸ばす碧。


「碧こそ、昨夜はきちんと眠れました?」

「うん、眠れたんだけどね、久しぶりに畳みで寝ると体がちょっと痛くて!」

「ふふっ、そうなんだ!」


肩を回す碧に、パソコンを打ちながらくすくすと微笑む。


「ところで、今日はどのような予定で?」


セナが首をかしげると、碧は前方を指さした。碧の指の先には、遊覧船が停泊している。


「今日はこれに乗って、海から街を見ようと思う!」

「お~っ!!!」

「予約時間までまだあるから、セナの作業が終わったら近くをぶらっと回ってみようか?」


パタンとパソコンを閉じ、立ち上がるセナ。


「作業終わった!ぶらりする!」

「あはは、じゃぁ行こうか」


2人は神戸港周辺をぶらりと散歩を始めた。


セナを連れて歩いていると、すれ違う人々が「可愛い!」と口にする。

時折「モデルの人ですか」とか、「何かの撮影ですか?」等と声もかかった。声を掛けられる度、恥ずかしそうに碧の後ろに隠れるセナ。観光だとか、人見知りが強い子だから等、相手をするのは碧の役回り。なんだか、ANOの時のようだと笑う碧を、セナは申し訳なさそうに見つめた。



昼前には遊覧船乗り場に戻り、青い海に映えるその白い船に乗り込んだ。優雅なピアノ演奏と共に船内でランチを楽しみながら、沖合から神戸の街を眺める。


ランチに彩を添えるピアノ演奏が終わり、船窓から外の景色を眺めていた二人に、声が掛かる。


「春間君、だよね?」


振り向くと、先程見事なピアノ演奏を行っていたピアニストの女性が立っている。

水色の清楚なステージ衣装に身を包み、ハーフアップに結われた茶色の髪がふわりと揺れる。彼女の顔を見るなり、少し表情を曇らせる碧。その様子を、見守るセナ。


「あの、中学の時横浜に転校しちゃった…。私、同じクラスだった安倉千奈!覚えてる?」

「………」


暫しの無言の後、碧はニコリと作り笑顔を浮かべた。


「えっと、ごめん―――どちら様でしたっけ?俺、あの頃はあまりいい思いでないので、あまり覚えていなくて―――」

「ッツ!!あの頃は、ごめんなさい!でも、私!碧君の事―――!!!」


作り笑顔の裏で、碧が奥歯を噛み締めるのを見たセナは、テーブルの上に置かれた碧の手を両手で引き寄せると、上目遣いを作り、普段見せる事のないような甘えた声色で、安倉の声を遮った。


「あお君!誰ですかぁ、この綺麗な女の人ッ!私とのお泊りデートなのに、他の人を見ちゃうんですか?!」


セナの予想外の行動に、えっ?!と驚く碧。

だが、冷静に考えてみるとANOではすっかり誘拐犯に仕立て上げられ、バームプロジェクトの初期ではすっかり大人の女性の科学者を想像させられた。彼女はこう見えて、演技派だ。

思わず込み上げる笑いが、碧の暗い過去の記憶を一瞬で打ち消す。


「セナ、それ、ヤキモチ的なヤツ?」


調子に乗ってツッコミを入れると、セナからの反撃が襲う。


「……『俺の事も、もっと知って欲しい』ってゆったのは、昔の彼女さんの事だったんですね!あお君酷いですっ!私はあお君にとってその程度の―――」


頬を膨らませて見せるセナに、碧は慌てて腕を伸ばす。


「あ~ごめんなさい、調子に乗りました!セナが好きです、キミだけです、愛しています!」


苦笑いを浮かべる碧。彼女の記憶にはなかった碧の楽し気な表情を見て、安倉の胸がぎゅっと締め付けられる。


「彼女には…そんな笑顔をみせるのね―――碧君。 引き続き素敵な旅を、お楽しみくださいね」


そう言って小さく礼をすると、安倉はフロアーを後にした。

顔を背ける彼女の眼には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「悪いことしちゃったかしら?」安倉の背中を見送り、眉をしかめるセナ。

「いや、俺は嬉しかったよ―――凄く!本音も言えたし、セナの彼氏も堪能できたし」


満足げな碧に、視線を逸らすセナ。いつものセナに戻ってしまった事に再び苦笑いを浮かべると、碧は静かに訪ねた。


「どうして、あの子の事を昔の彼女だと思ったの?」

「……やっぱり、彼女の事覚えていたのね。彼女の瞳、あきらかに碧に未練沢山の好意を持っていそうだったから。———女の勘?かしら」


「未練ねぇ……」

「……碧も未練があった?今から追いかけたら、間に合うんじゃない?」


碧は首を大きく横に振る。


「ないよ、未練なんて。言われるまで忘れていたのは本当の事だし、彼女でもない。当時の俺に、誰かに思いを伝える勇気なんてなかったよ」

「………ふぅん」


肘をつき、再び窓外の景色を楽しむセナ。


「ふーんじゃ、ないですよ……セナさん!人前であんな赤裸々に告白させたんですから、お返事位下さい」


なぜか敬語になる碧。

掌で口元を覆い、視線を外に向けたまま、セナはいつもの返事を返した。


「私の”一番”は…研究ですから」

「そっか―――じゃぁ、仕方ない……」


曖昧な理由で、碧をまた傷つけた……セナは不安と哀しみが入り混じる、複雑な表情で彼に視線を送った。だが、セナの目に映った碧は哀しげな表情ではなく、セナを見てニコリとほほ笑んでいる。


「碧―――?」

「今は、”二番”に甘んじているとするよ。したいことしているセナが、一番好きだから」


船窓とデッキから望む世界最長の吊り橋と、須磨アルプスの山々、そして、街のもう一つのシンボルでもあるダブルデッキタイプの真っ赤な橋がセナ達の船旅に、終わりを告げた。





家へと戻った二人。

VRゲーム内で拠点としている宿屋の二階に集まったメンバーと共に、バームに保存した映像記録を解析していた。神戸の美しい街並みの記録に魅入っていたメンバーは、会話の中で突然にその手を止めた。碧も、飲みかけた珈琲を机に戻し、聞き間違えではないかと思った何気ない会話の内容に問い返した。


「え?白李、船にも詳しいのか?」

「そりゃ、海洋調査は飛行機だけではできないからな…船や潜水機器、潜っての調査がメインだから、それなりの船の歴史や操作や造りなんかの単位は取っているぞ?」


「・・・・・・マジかぁ……!!!」


机に伏せてしまう碧。対白李にと考えた”船”をメインとする新しいアイデアが、またもや彼の専門分野に被ってしまうとは。


「こうなれば、お前に”お願い”するしかないな―――」

「え?」

「次のANOのアップデートのメイン、白李に手伝ってほしいんだ」


向かいに座る白李の手を握る碧。ちらりとセナに視線を向けると、彼女も両手を合わせて”お願い”している。


「・・・・・・別に、良いけど――――――」

「よし!じゃぁ、早速なんだけど…次に考えているフィールドがこんな感じで……」


碧はノートパソコンを取り出し、画面を白李に見せた。


「あーそれだと、こういうのはどうだ?」


白李もまた、画面を指差しアドバイスする。



「白李と碧…って、なんか、不思議な組み合わせだな?」

「確かに。タイプが正反対と言うか――――――」


映像解析を行っていたアキトやリツカも、新鮮な二人の会話に驚く。


「次のアップデート、期待していてね!」


その様子を、静かに笑いながら、セナは見守っていた・・・






つ・づ・く ?










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ