第十四話 船上の二人
夕闇迫る黄昏時、レゼムに向かう船の上には、仲睦まじく手をつなぐアレンとエレナの姿があった。
そのエレナの左腕には、注意して見ないと分からない小さなアザのような物があった。
不思議な形をしているが、二人はそんな事には気づく様子もなく、暮れなずむ美しい空を眺めていた。
「アレン、こうしていると、何だかドルドガの丘を思いだすね」
「ほんとだ・・・。まだ村を出てから幾日も経っていないのに、もう何年も過ぎたように感じるよ」
「そうだわ!」
エレナはあの時の事を思い出して、思わずクスッと笑った。
「あの時、こうして二人で空を見ていたら、リサが飛んで来たんだよね」
「うん、あ・・そうだ!俺ちょうどその時、大切な事をキミに話そうとしていたんだ・・・」
「え?大切な事って?」
「あ!し、しまった!つい口が滑った!」
「ねえ、ねえ!なぁに?大切な話?!」
「そ、それは・・・」
アレンは慌ててエレナに背中を向けた。
あの時はエレナに自分の気持ちを打ち明けようとしていたのだが、今はあの時とは状況が違い、それが出来なくなってしまったのだ。
それは決してエレナの事が嫌いになった訳ではない、むしろその逆なのだが・・・。
それには二つの理由があった。
一つは厳しい身分制度である。一般人が貴族に対し、気安く話すことが出来ない決まりがあり、エレナが俺のような一般人ではなく、身分の高い人だと分かって来たからだ。
いや、エレナが高貴な人である事は、初めて彼女を見た時から分かっていたのだ。
身なりもそうであったが、その話し方や身振り、一挙手一投足にも自分達との違いが明白であった。村長は王侯貴族のお嬢様だろうと言っていたが、エレナは自分からその隔たりを無くすよう、努力して俺たちに合わせてくれていたのだ。
そしてアレンは、エレナの事が好きになればなるほど、身分の違いが足かせになり、安易に気持ちを打ち明けられなくなったのだ。なぜなら、それはエレナが記憶喪失だから。
彼女の記憶が戻った時、俺の気持ちをどう受け止められるのか、それが怖かったのだ。
また周囲の人から、彼女が記憶を失っていた時に、それに付け込んだ・・・なんて思われたくは無かったのである。
またこの考えには、もう一つの理由が大きく影響していた。
二つ目の理由は、父ジェイドの教えである。
アレンは幼い頃から父に剣技を教わっていた。それと同時に、剣士としての心得も徹底的に教え込まれていたのである。
「いいかアレン、身に付けた力は自分のために使ってはダメだ。
その力は、弱き人を助けるために使わなくてはならない!」
「そして剣士たるもの、絶対にやってはならない事がある。
それは助けた人に恩をきせる事だ!お前が人を助けても、決して見返りを求めてはならない。それは剣士として、恥ずべき行為なのだから・・・」
この父の言葉は、アレンの心にしっかりと刻まれていた。
今のエレナは、俺だけが頼りなのだ。そんなエレナにいま自分の気持ちを打明けるのは、どう考えてもフェアじゃない。父の教えに背く行為に思えてならないのだ。
だからアレンは心に決めたのである。エレナに自分の気持ちを打ち明けるのは、彼女を無事にテローペに送り届け、そして彼女の記憶が戻ってからだと・・・。
だが、そんなアレンも本当はまだまだ未熟で、愛する人から嫌われることを恐れる、臆病な気の弱い青年であったのだ。
「それは、なに?」
「・・・・・」
「こら!アレン!!ちゃんと、こっちを向きなさい!!
「ちゃんと言って!大切な話なんでしょ?」
アレンはエレナに向き直ると、小さな声で尋ねた。
「エレナ・・・。もしキミの記憶が戻ったら、キミは俺の事どう思うのかな?」
「え?」
突然突拍子もない事を聞かれ、エレナは目を丸くして、アレンの顔を見つめた。
「だって俺は鉱山で働く平凡な男だし、お金だって持っていない。これからだって、きっと今と変わらない貧乏な生活だよ」
エレナはアレンの言っている意味が分からず、少し首をかしげると、アレンに尋ねた。
「どうして?今の暮らしがいやなの?」
「そんな事ないよ。俺、今の暮らしが好きさ。だけど俺、本当のキミは、俺なんかが気やすく話しかける事の出来ない、高貴なお嬢様のような気がするんだ・・・」
エレナはアレンの言葉を聞くと、とても悲しい気持ちになった。
「どうしてそんな事を言うの?私と一緒にいてもつまらないから?」
そう言うと、エレナは泣きそうな顔になった。
「ちがうよ!キミとずっと一緒にいたいから・・・。
だから俺、このままでいいのかなって・・・」
「その・・・キミに嫌われたくないから・・・」
「アレン・・・」
「キミが元のキミに戻ったら、俺と一緒にいた時の記憶は消えちゃうのかな?」
「・・・・・・・」
「俺、エレナの病気の事、治って欲しいって思っているよ。だけど怖いんだ、キミが俺の知っているキミで無くなるような気がして・・・」
「もう一緒に話をしたり、笑ったり、空を見たり、星を語ったり・・・。
そんな事が出来なくなるような気がするんだ」
黙って聞いていたエレナが、ポツリとこぼした。
「ねえアレン・・・。私たち、これからどうなるのかな・・・」
「どうなるって?」
エレナはアレンの手を握りしめて言った。
「私ね・・・。怖いの・・・。テローペに帰るのが・・・」
「・・・・・・・」
「私が・・・。
私の記憶が戻って・・・。
もしアレンの事、忘れちゃうなら。
私・・・。
ずっと、このままでいい・・・」
「エレナ・・・」
「ずっとこのまま一緒にいたい。
アレンと・・・」
「エレナ・・・」
船上で見つめあう二人。
だが二人の甘くて淡い想いは、やがて来る無情の運命に翻弄される事になるのだが、今はまだその時ではなかった。
夜のとばりが静かに降りて、二人をやさしく包む。
そして星々が力強く瞬き始めた・・・。
その頃ソーネリアのお城では、長い会議が終わり、ガルダインがようやくお城の門から姿を現した。
「あ~~~~っ!おじいちゃん!!」
ガルダインの姿を見つけたリサは、勢いよく懐に飛び込むと、そのまま大きな声でわんわん泣き出した。
「リサ!?」
ガルダインは何事かと一瞬驚いたが、即座に様相が一変した。
「ネイル!!これは一体どういう事じゃ!!!」
ガルダインの怒鳴り声と共に、辺りは真っ暗になり、激しい熱風が嵐のように吹き荒れた。
普段は内に隠している魔力が、怒りで噴き出したのだ。
「どっひゃ~~~っ!!! ち、違います!!違います!!」
ネイルは大慌てで事の次第を説明した。
「そうか、二人がレゼムへ・・・・」
「彼女は、エレナちゃんの事を姉の様に慕っていましたから・・・」
(まったく心臓が止まるかと思ったぜ~。
しかし、さすがのガルダインさんも、孫の前ではそこらのジジイと変わらねえな・・・)
「なんじゃと?何か言ったかネイル!!」
「い、いえ!何も言っていません!」
(い、いかん、こりゃ命がいくつあっても足りねえぜ!早くずらからなきゃ・・・)
そう思った時、ここへ来た理由を思い出した。
「あっ!そうだ忘れてた!!」
「よぉ、ガルダインさんに、早くミューゼの書を渡さなきゃ!」
「えっ?あんたが持っているんでしょ?」
リサが顔を上げてネイルを見た。
「いや!オレは・・・」
「あ~~~っ!しまったアレンだ!!
あいつ、そのままレゼムへ持って行きやがったぜ!!」
ネイルは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
「そうか、アレン達が持って行ったか・・・」
ガルダインは、少し考え込んでいたが・・・。
「リサよ、ワシは王と共に”忘れられた大陸アステロニア”へ向かわねばならぬ」
「え?忘れられたアステロニア?」
「おっと、その名前は聞いたことがあるぜ!
確かキングラムがあったと言われる、禁断の地じゃ・・・・」
「さすがはネイルじゃ!よく知っておるの。
ワシはその地へ行き、魔王の動きを調べると共に、おそらくはその地にあると思われるテローペを捜さねばならぬ」
「え?じゃあ、おじいちゃんもレゼムへ行くの?」
リサは驚いて聞いた。
「いや、ドリガンの西にある”王の道”を通ってアステロニアへ入るつもりじゃ。
その道は、昔キングラムとドリガンをつなぐ交易の道じゃったからの。
しかしあの地は一年前の火山の爆発によって、かなり地形が変わっておるそうじゃ。
王の道も地震による落盤のため、通れるようになるには、かなりの時間がかかるじゃろう。もちろん敵の攻撃も予想される」
「なにも、そんな危ない道を通らなくても、船で海からアステロニアへ入ればいいんじゃねえの?」
ネイルは思ったことをそのままガルダインに尋ねたのだが、
「今は無理じゃ!身を隠す物のない海は、敵の格好の的になる。
逃げも隠れも出来ぬ。確実に死が訪れるじゃろう」
ネイルの素朴な質問に、ガルダインはそう答えた。
そしてリサの頭を撫でながら、やさしくこう言った。
「リサよ。お前たちは二人の後を追ってレゼムに行き、そこからテローぺに入る道を捜すがよい」
「やった~~~~~!!!
おじいちゃん、大好き~~!!!!」
リサはガルダインに抱きつき、大喜びしている。
「今から王の所へ行き、すぐに船の手配をすることにしよう。
リサはワシとお城に泊まり、明日の朝出発するがよいぞ」
リサの頭を撫でながら、そう言い聞かせた。
「あの~~~っ。オレはもう行っても・・・・」
ネイルはもみ手をしながら、恐る恐る尋ねた。
だが返ってきたガルダインの言葉は、ネイルにとっては非情なものであった。
「何をのんびりしておるのじゃ!さっさとレゼムに行く用意をせんか!!」
「オ~~~~~!ノ~~~~!!」
それから二日後、俺とエレナはレゼムの港に着いた。
俺たちを乗せて来た船は、しばらく停泊してから、ソーネリアへ行く人を乗せて出航するそうだ。
そしてこれが最後の便となるらしい。
港に着いて、キョロキョロと周りを見回していると、一人の女の子が近づいてきた。
金髪でショートカットの、一見活発そうな感じの女の子だ。
そしてジロジロと俺たちを見回して、
「う~~~ん。あなた達、あまり強そうに見えないわね~~~」
と、独り言のようにつぶやいた。
「え、それどういう事?」
不審に思った俺が女の子に尋ねると、
「あ!ああ、何でもないの、気にしないでね!」
そう言うと、待合室の方へさっさと戻っていった。
「・・・・・・・・・・」
確かに俺は、よく人から「全然強そうに見えない」と言われるけれど、初対面の、しかも女の子に言われると、さすがにちょっとへこんでしまった・・・。
そんな俺を見て、エレナがクスクス笑っている。
港の建物から外へ出ると、そこは大きな公園になっており、中央には立派な噴水があった。
公園の出口は一箇所だけで、そこまでは一本道になっている。
噴水の周りには街灯もあり、とても綺麗な感じのいい町だった。
周りの景色を眺めながらゆっくり歩く二人が、公園の出口に差し掛かった時、両脇の石柱にもたれ、こちらを見ていたガラの悪そうな二人組が、アレンたちに絡んできた。
サングラスを頭に掛けた、色の黒い男が、
「おう、おう、兄ちゃん!!かわいい女の子連れてんじゃねえか~~」
「へっ、へっ、へっ・・・。おれ達にも紹介してくれよ!」
背の低い小太りの男が、ニヤニヤと笑いながら寄って来る。
エレナはアレンの耳元に口を寄せると、
「アレン、相手にしちゃダメよ。無視していきましょう」
小さな声で、そうささやいた。
その様子を見た男二人は、
「おう、おう!なにイチャイチャしてんだよ!!」
「へっ、へっ、へっ・・・。おれ達も仲間に入れてくれよ!
へっ、へっ、へっ・・・」
そう言ってまとわりついて来たのだ。
「行きましょう、アレン!」
エレナはアレンと腕を組むと、速足でその場を離れた。
「ケッ!この町でカッコつけると痛い目にあうぜ!」
男たちは逃げるように去るアレン達に、罵声を浴びせるのだった。
アレンとエレナは、それから町をくまなく歩き、テローペに行くための情報を集めた。
そしてエレナはその情報の一つ一つを、事細かく簡潔に書き止めていった。
*テローペの町?そんな町知らないな~。北に住む賢者様なら知っているかもしれないが・・。だけど人と会うのを嫌っているから、行っても会ってくれるかどうか分からないよ。
*テローペ?う~~~ん、聞いたことないな。え?風の谷?そう言えばこの町のはるか北に、とても険しい谷があるって聞いたことがあるよ。今は誰もあそこへ近づいた者はいないけどね。
*ふむ、ふむ・・・。なに?テローペ?はて、そんな町は知らぬのう。川の北に住む賢者のセロ様なら、この辺りのドワーフとも懇意にしておるので、ご存知じゃろが・・・。
何分気難しいお方でな~。行ったところで、会ってはくれんじゃろ。
*今から1年ほど前に火山の爆発があってよ。この辺りの地形がコロッと変わってしまったんだぜ。北の方じゃ地盤が陥没し、そこへ川の水が流れ込んで、とても大きなカルデラ湖ができたそうだ。
*今から半年以上も前だったかしら。北の空が真っ赤に燃えるのを見たわ。それからよ、魔物が現れるようになったのは。
*ねえ、知ってる?火山の爆発で出来た湖にね、すんごい化け物が住み着いたんだって。一度見てみたいな。
*南の森林地帯には、ドワーフ族が住んでいるんだよ。みんな背は低いけど、すごく強いんだ!以前はこの町を守ってくれていたんだけどな・・・・。
*1年ほど前に、沢山のドワーフの戦士が北に行くのを見かけたけど・・・。あの谷には何かあるのだろうか?
*この町の南にある森林地帯にはね、古い遺跡があるのよ。何でも、そこには緑色した結晶石っていう宝が隠されているらしいんだけど、でも、そこには恐ろしい魔物が住み着いているらしく、誰も寄り付かないわ。
大体こんな感じだが、最後の緑色の結晶石の情報は、ネイルがここにいたら飛びついていたに違いない。
これ以外にも、魔物が頻繁に現れるようになった事とか、町がどんどん寂れて行く状況など沢山の話を聞いたが、今の二人に必要と思われる内容は以上であった。
これらの情報から考えると、どうやらテローペは北の方角にあるような気がする。
それに北に住むという、賢者にも会ってみたかったので、俺とエレナは北を目指ことにしたのだった。




