46話
「ちょっと、コウキ!そろそろ戻りなさいよ。」
放心状態のコウキがアリスからそう声を掛けられたのは、前モルド伯爵の屋敷から出て五分ほど後のことだった。
コウキは横に居たアリスを、暫しの間見つめ続ける。目の焦点が漸く合った時……
「えっ!?ア、アリス!?」
コウキは叫んだ。
驚いた理由は距離の近さにあった。鼻と鼻との距離が五センチほどである。幾ら幼馴染と言えどもここまで近づくことはなかったのだろう。
「!この距離で叫ばれたら耳が痛くなるじゃない。」
少し涙目になりながらアリスが文句を言う。顔の距離に関しては気にしていないらしい。
「ご、ごめん。ちょっと顔が近くてびっくりしちゃって。」
「まぁ、良いわよ。それより、落ち着いたかしら?」
「うん、まぁ。」
コウキは屋敷の中でのことを思い出す。
「……ゼルスは、嘘をついていたんだね。」
「そうね。どうしてかは知らないけど。」
そう。屋敷で執事長に言われたのはルード伯爵家には男の兄弟は三人しかいなかったこと、その中にはゼルスというものはいなかったことだ。
「一番可能性として高いのは、保護を受ける為に元伯爵家を名乗ったってところかな?」
「没落した貴族を名乗っても中々保護は受けられないんじゃないかしら?身元不明の町人とかよりは信用されるかも知れないけど。」
「いや、それもどうだろう。信用されるかどうかは相手次第じゃないかな。」
色々と意見を言う二人。どうやら嘘をつかれていたということについては一度忘れる事にしたらしい。しかし、決定打となるようなものは見つからないようだ。
「……後は、スパイ、かしら。」
「……魔王からの?」
「えぇ。」
アリスの返事を聞き、睨むコウキ。だが、瞳の奥が揺れていることは隠せていない。
「……ゼルスは……友達だろう?」
「えぇ、そうよ。」
「そんな簡単に友人を疑うなんて……」
コウキが言いかけた言葉は、目の前に突き出されたアリスの手に阻まれる。
「私だって信じたいわよ。でも、時々勇者の勘?とでも言うべきものがゼルスといる時に警鐘を鳴らしてた。それに、没落した貴族としてなら、私達と共に行動する為に理由を作りやすくなるわよ。」
「…………」
実際に神気を通して神と繋がっている勇者だからこそ、勘というものは侮れない。アリスの言葉は多少のこじつけのようなものはあったものの、大筋では反論できる要素は無かった。だからこそコウキは黙り込んでしまう。
実際には先代勇者テレスの実家がルード伯爵家であり、偶々ゼルスがそこを調べていた為に何となく縁を感じ、偽名として使っただけであり、戦略的な判断は殆どないことなど二人には知る由もなかった。
「でも、まだ決まった訳じゃないわ。」
「そ、そうだよね。」
「まぁ、どうせ王都に戻るのだからその時に聞く事になるでしょうね。」
「……うん。」
いずれは聞かなければいけない。その事に気が進まないと思うコウキ。
そんなコウキは気付かない。いや、気付くことができない。アリスの悲しそうな顔に。
いつものコウキならば気付いたであろうその表情。村の人々から利用されそうになり、裏切りと感じたこともあるアリスだからこそ一層、嘘をつかれたとは言え友人を敵かもしれないと疑うことは非常に心苦しい行為であったのだろう。
「……え?王都に戻る?」
「……本当に聞いてなかったのね。モルド伯爵が殺害されたのはかなり重大な事件よ。私達勇者が現場にいたら事情聴取されるのは当然でしょう?」
「それは分かるけど、わざわざ王都で?」
「カタリアル王との謁見よ。恐らくね。」
勇者が近くにいる時に伯爵が殺された。その事実は国を動かさない訳がない。冷静になったコウキにはそれが理解できた。
「だから、急いで戻るわよ。」
「分かったよ。」
こうして二人は、元来た道を戻るのであった。




