人生最後の夢と現実
人生最後の一日に、貴方なら何をするだろう。愛する人と過ごすのだろうか、それとも一人で見たいものを見てしたいことをして死ぬのだろうか。ここにある男がいた。ある日唐突に見た夢の中とても驚くようなことが起きたのだ。自分は一体どこから見ているのか、暗闇の中に自分一人立っていた。何もない一面の黒の中、この空間がどこまで広がっているのかもわからない、そんな不安で不自然であるような空間で男は自分でも驚くぐらい落ち着いていた。そんな中真後ろに人が、いや本当に人なのだろうか、とにかく男は振り返ることにした。振り返るとそれはどこか悲しそうな表情をしていた。しばらく向き合っていると訳の分からぬ人型の発光体は男にこう告げた。貴方は次に目が覚めればその日のうちに死ぬと、それも避けることは出来ないと。普通こんなことを言われても信じるわけはないはずだが、男は何故かそれは本当のことで明日は人生最後の一日になるんだろうと思った。驚くことに目が覚めた男はその夢の内容が不自然なほどにさっきまで現実であった事だったかのようにハッキリと頭の中に入っていた。ここからはそんな日の目覚めである。
私は目が覚めてから低血圧で不鮮明な目の前と頭の中にハッキリと昨日見た夢の内容を覚えていた。今日、私は絶対に死んでしまう、そんな途方もない話を。だが私はひとつの驚きも悲しみも、不安すらなかった。それは夢のことを信じていないからではなくどこか諦めにも似たような感情から来るものだった。私は眠いまなこを擦り、枕元に置いていた眼鏡をかけていつも通り台所に置いた椅子に座った。いつも起きる時間よりも二時間程早く起きてしまったみたいで少し会社に赴く時間までは余裕があった。その場でなんどかぱちくりと瞬きをした後、私は冷蔵庫を開けた。これはもう賞味期限が近いからいま使ってしまおう、そう思ってハムと卵、それから味噌と豆腐を冷蔵庫から出してまな板の前に置いた。そうやっていつものように朝飯を作り始めた。だがあることに気づいてもう一度冷蔵庫をあけた。そういえば、この間頂いたとても高級な鯛の切り身があったな、そう言って鯛の切り身を取り出して面倒だからとぶつ切りにして味噌汁に入れた。テレビを付ける、米を茶碗によそい出来た味噌汁と目玉焼きとハムを器にのせてテレビの前の小さなテーブルに置いた。ニュースではちょうど連続通り魔殺人の事件が取上げられていた。場所は意外に近く、また犯人はまだ捕まっていないそうで、今も尚逃走を続けているらしい。味噌汁をすすりつつ私は、そういえば私は何がどうなって死ぬのだろうか、ふとそんなことを思いついた。昨日の健康診断では少しの異常も出なかったから病気はないだろう、よくあるものなら交通事故だろうか、いまの通り魔の犯人に刺されてしまうこともありそうだ、そんなことを考えて茶碗の最後の一粒をぱくりと食べた。
「ごちそうさま。」
私は手を合わすと食器をシンクに置いて帰ってきてから洗おうかなんて思いながら軽く水につけておいた。時計を見るとまだ出勤までは一時間以上はあった。だがよくよく考えてみるとそんな事をしていては最後の一日を無駄に過ごすことになるんじゃないか、そんなことを思って私は会社に休みの連絡を入れた。私は今日死んでしまうそうなのでお休みします、なんて正直に伝えたものだから部長は酷く驚いてはやまるなと言ってきた。話が長くなりそうだったので途中で無理やり切ってしまったが、おそらく部長には誤解されたままだろう。私はまぁいいかと考えてケータイを懐にしまった。スーツも着てしまったがとりあえず私は外に出ることにした。冷たい冬の風を受けつつ家の鍵を閉めてマンションの階段をおりた。いつものように管理人に挨拶をして私はもう帰ることもなさそうな家を後にした。
あまりにも早く出てきてしまったもので街はまだコンビニかファストフード店ぐらいしか空いている店が無かった。仕方がないので私はファストフード店に入ってフライドポテトとドリンクを頼んだ。席について一息つく、外は寒かったが店内はむしろ暑いぐらいだった。着てきたコートを脱いで膝の上に置きむしゃむしゃとポテトを食べだした。外では昨日までの自分と同じようにいそいそと歩くサラリーマン達が駅に密集していた。私もこんなことがなければあの中に居たんだなと思うと少し寂しい気持ちになってきた。そんな事実をかき消すようにポテトを口いっぱいに詰め込んでドリンクと一緒に飲み込んだ。少し喉に詰まったポテトは私の心の底にある不安のような感情と一緒に下に落ちていった。私はずり落ちた眼鏡をくっと指で押し上げてその店を後にした。ふと上を見てみると昨日となんら変わらない、青くどこまでも広がっている空がそこにはあった。それをじっとみていると、夢のことなんて嘘だったんじゃないかなんて事を少し思った。だがこれを否定してしまうと今日自分がやってきたことの全てを馬鹿馬鹿しいと否定してしまうことになるんじゃないかと思うと容易に否定してはいけないような気持ちになった。そのままシャッターの締まった商店街をうろうろしていると、そろそろショッピングモールも開くような時間になっていた。服でも買うか、なんて思って私はそこに向かうことにした。
店についた時、まだそこは開いていなかったが周りにはたくさんの人がいた。どうやら今日はバーゲンセールの日で開店直後から駆け込むのが最適なそうだ。これが人生初のバーゲンだった私は、とても楽しみになってきて少し指をパキパキと鳴らしてみたりした。そんな感じであと二分一分とカウントしているととうとう目の前の扉が開いた。それと同時に周りはばっと走り出したので私も一緒に走ることにした。特に必要のなさそうなバーゲン品をいくつか取ってレジに並ぶ、さっきまでの不安なんかも忘れてしまって不思議と楽しい気持ちになっていた。ついでに下の食品コーナーに向かうと懐かしい食べ物を見つけた。子供の頃よく食べていたプリンを見て、最後だし食べるか、とそれを買って食べた。ぱくりぱくりと食べていると懐かしい母と父の顔が鮮明に頭に過った。昔あんなところに一緒に行っただとかあんなことをしたなんて色々思い出しているうちに少しずつ寂しい気持ちになって目から涙が浮かんできた。こんなところで泣くなんてと眼鏡を外して袖でゴシゴシと擦っていると目の前から知らない声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか?ハンカチ貸しますよ。」
そう話しかけてきた女は見た目は自分と同じような歳ぐらいでその上どこかその顔に面影があった。以前どこかで会ったような、いやむしろその顔を昔ずっと見ていたような、そんな気がして止まなかった。心の中に引っかかるその名前をふと口に出すと相手はえっと声を出した。もしかして、と相手も私の名前を言ってきた。彼女は私の幼馴染だった。久々に会えた喜びと嬉しさを胸に私は彼女と話した。今何をしているのか、結婚なんかはしたのかなんて他愛ない話をしているうちにそういえば、と彼女はさっきの涙について聞いてきた。本当のことを言ってもさらに心配をかけるだけだ、そう思った私は咄嗟に嘘をついた。その嘘を聞いて、そうなんだと言った彼女の顔はどこか寂しそうだった。
日も少しずつ暮れてきた。空は一面の赤色に染まり、加えて少し肌寒さを感じてきた。もうそろそろ今日も終わりか、そう思うと自分の残りの人生の短さに少し身震いした。もうすぐ死ぬ、その現実に私はどこか自分の知らないところで今の今まで目を背けていたのだろう。やっとその実感が湧いてきた。私は少し自分の腕を摩りマフラーに顔をうずめた。こんな感情に支配されるのならばせめて今日死ぬなんて事を知らなければよかった。そうすれば今頃、私は何も知らず電車に揺られて家に帰ろうとしていただろう。死ぬことを知らずに死ねたなら、きっと混乱するだろうけど今の私よりはもっと楽に過ごせたはずだ。なぜ私だけこんなことを知らされたのか。そう思うと私の心の中である種、怒りにも似たような感情が芽生えてきた。それから涙が溢れてきた。ジリジリと減っていく残り時間を知らせるように時計はコチコチと針を進めた。
「ねぇみてお母さん、綺麗だねぇ」
そんな声が近くから聞こえてきた。私はその声に反応して自然と川の方を見た。キラキラとオレンジに光る川、夢のような時間だった。私は今まで見たこの世の何よりもこの景色が綺麗だと思った。もし私があの夢を見ていなかったらこの景色を見れていたのだろうか。そう考えると何故か悔しくなった。私は既に赤く染った目元を擦ってまた歩き出した。それから色んなものを見た。楽しそうに公園ではしゃぐ子供達や少ない小遣いをやりくりしてコロッケなんかを買い食いしている中学生、手を繋いで嬉しそうに話している青年達、私は走馬灯でも見ているかのような感覚に陥っていた。ふと時計を見ると針はもう七時を指している。冬は暗くなるのが早い。空はもう真っ暗で人気はだんだん少なくなっていった。キラキラと夜空には星が光り出す。ずっと上を向いているとその中でひゅるりと横向きに光が飛んで行った。流れ星だろうか。こんな人生最後の瞬間にこんなものが見れるなんて、私はそう思いながら力の入らなくなってきた足をベンチで休ませる。朧気になっていく視界の中、空には幻想的な光が漂った。オーロラなんて見るのは初めてだ、そう思って私は空を見つめていた。じっと、ただそこに座ったまま、私にしか見えないオーロラはその光を閉じた。冷たい風は次第に冷たくなくなって、代わりに私にはゆらゆらと揺らめく私が見えた。あともう少しだけ、私は私をただじっとその場で見つめていた。
本作品を最後までご覧頂きありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。今作は死について、想像だけで私はどれだけリアルに書けるだろうか、ということから挑戦した作品になっています。様々な感情、景色を想像したりして見て下さっていたのなら私としてはそれはとても嬉しいことです。また他の作品などもご覧いただけたらなとと思っております。最後になりますが、本作品、最後までご覧頂いた皆様へ感謝を。ありがとうございました。