クリスマスの贈り物 〜リンちゃんとムク〜
「リンちゃん、サンタさんにお手紙は書いたの?」
そう聞かれて、お母さんについさっき書き終わったばかりの手紙を見せたら、途端にその表情が曇った。
薄いピンク色に小さな花びらが散っているお気に入りの便箋には、
『サンタさんへ ムクと会えますように』
と書いてある。
「リンちゃん、サンタさんへのお手紙には、クリスマスに欲しいものを書くのよ」
「知ってるよ。だから、私が欲しいのはムクなの。他には何もいらないよ」
「でも、ムクは……」
分かってる。
ムクは天国に行っちゃったんだ。
1ヶ月前のお散歩中、私がうっかりリードから手を離した隙に、ムクが走り出してしまった。
曲がり角のその先で、キキーッと車が急ブレーキをかける音、そしてその直後にドンと低くて重い音がして、一緒にいたお母さんが駆けて行った。
「リン!あなたは来ちゃダメ!」
そう言われたけれど、私だってムクが心配なんだ。
お母さんを追って角を右に曲がったら、停まった車と、その前にしゃがみ込んでいるお母さんの背中が見えた。
私は何だか恐ろしくなって、その場に立ち止まったまま動けなかった。
ムクが死んだ。
ムクは8歳のミックス犬で、1月生まれの私と同じ歳だった。
私が5歳の春、近所の神社の木に繋がれていて、木には『だれか拾ってください』と貼り紙がしてあった。
真っ黒で小さなクマみたいで、前足の先だけ白くて可愛らしいその子を私は一目で気に入った。
『お母さん、私この子を飼いたい』
犬の前にしゃがみ込んで離れない私にお母さんが言った。
『ちゃんと自分でお世話できる?飽きずにずっと可愛がってあげられる?』
私が『うん』と頷くと、お母さんが木に結ばれていた紐を解いて、そのまま獣医さんのところに連れて行った。
『5歳のオスだね』
『あっ、私と一緒!』
私がそう言って大喜びすると、獣医さんは
『だったらこれから仲良く一緒に大きくなれるね。家族だと思って大事にしてあげるんだよ』
そう言って、ニコッと笑いかけてくれた。
その日から、ムクは私の友達で弟で家族になった。
名前を付けたのは私。
毛が長くてモコモコムクムクしてたから、『モコ』か『ムク』かでかなり悩んだけれど、最終的に両方の名前を呼んで、本人がパッと振り向いた方にした。
ムクはとても人懐っこくて、可愛らしい子だった。
『あまり吠えないから番犬には向いてないね』
そうお父さんは言ってたけれど、そんなのどうでもいいんだ。
だってムクはそこにいるだけでいいんだから。
一緒に寝て、一緒に起きて、一緒にお散歩して、一緒に遊ぶ。
嬉しい時は一緒にはしゃいで、悲しくなったら涙をペロリと舐めて慰めてくれる。
ムクはずっと私と一緒にいて、一緒に大きくなっていくんだ。
ずっと、ず〜っと一緒。
それは絶対に変わらないって思っていたのに……。
だから私はサンタさんにお願いしようと思った。
サンタさんはいい子の願いを叶えてくれる。
私は朝お母さんに起こされなくても自分で起きるようになったし、歯磨きだってちゃんとするようになった。
キライなピーマンは顔をしかめながらも残さず食べるし、使った食器は自分でシンクまで運ぶ。
「お母さん、私、いい子にしてるから、サンタさんは来てくれるよね?ムクを連れてきてくれるよね?」
「さあ、どうかしら……オモチャや洋服ならプレゼントしてくれるだろうけど、動物は無理なんじゃないかしら」
お母さんは困ったような顔でそう言ったけれど、きっと大丈夫。サンタさんは来てくれるはず。
クリスマスイブの夜は雪が降っていた。
曇った窓を手で拭いたら、外には白い小さな粒がチラチラと舞っている。
私は自分の部屋の勉強机の上に、赤いカップに入ったホットミルクと白い小皿に乗ったクッキーを置き、その横に今日書いたサンタさんへの手紙を添えた。
机の下には小皿にお水を入れて置く。こちらはムク用だ。喉が乾いているかも知れないから。
起きているとサンタさんは来てくれないから、その夜はいつもよりもちょっとだけ早めにベッドに入った。
チリン……
コンコン、コンコン
遠くで鈴の音が聞こえたと思ったら、続いてノックの音がして目が覚めた。それはベランダの方から聞こえている。
カーテンを開けたら、そこには赤い服に赤い帽子を着た、サンタさん姿のムクが2本足で立っていた。首には銀の鈴をつけている。
この鈴は、ムクが寂しくないようにって私がお墓に入れたやつだ。
ーーやっぱり本物のムク?!
「ムク!」
慌ててベランダの窓を開け、ムクを部屋に招き入れる。
「ムク、会いたかったよ!帰ってきてくれたんだね!」
ギュッと抱きしめたら、懐かしいムクムクの毛並みが頬に触れた。
「リンちゃん、サンタさんにお願いをしてくれてありがとう。お陰でボクはリンちゃんに会いに来れたんだ」
「サンタさんが? やっぱりサンタさんはお願いをきいてくれたんだね!」
「うん。リンちゃんがいい子でいてくれたから、サンタさんが天国まで迎えに来てくれたんだ」
「天国?」
「そう、天国のお花畑で走り回って遊んでいたら、サンタさんが『リンちゃんが呼んでるよ』って」
「それじゃあ、サンタさんは?お礼にクッキーとミルクを用意したのよ」
ベランダに出て辺りを見渡したら、トナカイとソリがあるだけで、サンタさんの姿はどこにも見えない。
「サンタさんは他の家にプレゼントを置きに行ってるよ」
「忙しいのね」
「うん、クリスマスだからね。だからボクもお手伝いしなきゃいけないんだ」
「ムクがサンタさんのお手伝いをするの?」
「うん。サンタさんのソリを貸してもらう代わりに、プレゼントを配るお手伝いをするって約束したから」
「だから時間が無い。リンちゃん、一緒に来て」
そう手を引かれて外に出ると、2階のベランダまでトナカイがソリを引いて飛んできた。
「さあリンちゃん、乗って」
「えっ、乗ってもいいの?」
「うん、さあ急いで。サンタさんには5分だけって言われてるから」
恐る恐るソリに足を踏み入れて座ると、その後から隣にピョンとムクが飛び乗って、ソリの手綱を両手に持つ。
「さあルドルフ、よろしく頼むよ!」
ムクがそう声を掛けると、ルドルフのお鼻がピカッと赤く光って夜空を照らし、そのままソリを引いて走り出した。
ーーうわぁ〜、凄い!
ルドルフが引くソリは、ムクと私を乗せてどんどん空高く上っていく。
いつの間にか雪は止んでいて、代わりに色とりどりの星がチカチカと瞬いている。
ソリはお月様の近くまで来たところで、今度は点滅する星の間を縫って街の上空を走り出す。
ソリから恐る恐る顔を出して見下ろすと、地上には見覚えのある街がミニチュアサイズで展開していた。
いつも買い物に行くスーパーに、お気に入りのパン屋さん。学校の校庭の鉄棒やウサギ小屋も遥か下の方で小さく見える。
神社の赤い鳥居が見えてきたところで、鼻の奥がツンとした。
あの先の大木の下で、私はムクと出会ったんだ。
小熊みたいに黒くてムクムクしていて可愛くて……私は一目で気に入って、連れて帰りたいとお母さんにせがんで……。
たった5分の空の旅は、あっという間に終わってしまった。
ソリが2階のベランダの外でフワフワと浮かんでいる間に、私とムクはヨイショと柵の内側に飛び降りた。
ムクも一緒に部屋に入るのかと思ったら、ベランダに立ったまま動かない。
「どうしたの? ムク。早くおいでよ。今日は久し振りにベッドで一緒に寝ようよ」
ムクがフルフルと首を横に振るのを見て、嫌な予感がした。
「リンちゃん、ボクは行かなくっちゃ」
「サンタさんのお手伝いが終わったら……またここに戻って来るよね?」
もう一度ムクが首を横に振る。
「どうして? サンタさんが私のお願いを叶えてくれたんだよね? ムクは帰ってきたんでしょ?」
「リンちゃん、ボクは一度天国に行っちゃったから、またあそこに戻らなきゃいけないんだ。ここに来れたのはクリスマスだけの特別。だけどボクはリンちゃんに会えて嬉しかったよ」
ーーそんな……せっかくまた会えたのに。
だけど本当は私も、なんとなく分かってたんだ。ムクの住む場所はもうここじゃないんだってことを。
だったら私は、どうしても今言わなきゃいけないことがある。
それがどうしても言いたくて、サンタさんにお願いしたんだから……。
「ムク……ごめんね」
「えっ?」
「あのとき私がリードを手放したせいで、ムクは車にぶつかっちゃった。私がしっかり握ってたらムクはまだ一緒にいられたのに……」
ごめんね、ムク、本当にごめんね。
痛かったよね、怖かったよね。
1人で天国に行くのは寂しかったよね。
もっともっと一緒にいたかった。
冬の寒い夜は一緒の布団で暖め合って、春になったらお花畑で駆けっこして。
一緒に9歳になりたかったよ。
一緒に大きくなりたかったよ。
だから、ずっとムクに会いたかったんだ。
ムクに会ったらこう言いたかったんだ。
「ムク、本当に……ごめんなさい……」
涙で一杯の瞳の中に、優しく微笑むムクの顔が映り込む。
「リンちゃん泣かないで。リンちゃんは悪くないんだよ。ボクね、あのときリンちゃんと追い駆けっこがしたくって、勝手に走って行っちゃったんだ」
「だけど……」
「ボクね、天国の雲の上で、リンちゃんの声を聞いてたよ。リンちゃんが『ごめんね』って泣いてるのを聞いてたよ」
だからボクは会いに来たんだ。
リンちゃんにどうしても伝えたいから。
「リンちゃん、あの日ボクを拾ってくれてありがとう。とっても嬉しかったよ」
ボクを家族にしてくれてありがとう。
弟みたいに可愛がってくれてありがとう。
友達になっていっぱい遊んでくれてありがとう。
ボクはリンちゃんと一緒にいられて幸せだったよ。
毎日が楽しくて嬉しくて、キラキラ輝いてたよ。
だからね、謝らなくたっていいんだよ。
泣かなくたっていいんだよ。
それがどうしても伝えたくってね、ボクは会いに来たんだよ。
ルドルフのお鼻がピカッと赤く光って、出発の時間だと知らせている。
「サンタさんが待っている。もう行かなくっちゃ」
「ムク、また会える?来年のクリスマスも来てくれる?」
「うん、そうだね。リンちゃんがいい子にしてたら、きっと」
「いい子にする。おりこうにして、ムクが来るのを待ってるから」
最後にギュッと抱きしめたら、フワッとムクの匂いがした。長いムクムクの毛に顔を突っ込んで、鼻先をこすりつける。
絶対に忘れない。この柔らかい毛の感触も、ムクの匂いも。
「さあ、もう行くよ。クリスマスが終わっちゃう」
「うん……」
涙がどんどん溢れてきて、拭っても拭っても頬を濡らしていく。
ムクが黒い鼻をヒクッと動かしてから、昔よくしてくれたみたいに、涙をペロッと舐めてくれた。
ムクがソリに飛び乗って、右手で手綱を持ちながら、左手を振る。
「リンちゃん、会えて嬉しかったよ」
「私も会えて嬉しかった」
「リンちゃん、ありがとう」
「ムク、ありがとう」
「「 大好きだよ 」」
静かにソリが滑り出し、目の前でUターンして月の方へと上っていく。
ムクの姿もどんどん遠くなって小さくなって、最後は涙で滲んで見えなくなった。
チリン……
ムクの姿がすっかり見えなくなった頃、どこかで微かに鳴り響く鈴の音が聞こえた。
リンリン……リンリン……
それはまるで、ムクが『リンちゃん』って私の名前を呼んでいるみたいに優しい響きだった。
朝、目が覚めると、居間のクリスマスツリーの下に赤いラッピングペーパーで包まれたプレゼントの箱が置いてあった。
開いて見たら、中には黒い犬のぬいぐるみが入っている。
ーーサンタさんが置いてったんだ……だけど、私はもうプレゼントはもらったのに……。
「お母さん、私、サンタさんから2つもプレゼントを貰っちゃった」
「えっ?」
「昨日の夜にね、ムクに会えたんだよ」
「まあ、良かったわね。ムクが夢に出てきてくれたのね」
ーー夢じゃないのに……。
だけどいいんだ、私だけが知っていれば。
2階の部屋のベランダに出ると、白い雪の上に点々と、ムクの小さな足跡が残されていた。
空を見上げると真っ白い大きな雲がプカプカと浮かんでいる。
きっとあの上で、ムクは私を見ていてくれる。
だから私はもう泣かないで、上を見上げて笑顔を見せるんだ。
「ムク、会いにきてくれてありがとう。大好きだよ」
雲に向かって微笑みかけたら、リンリン……と鈴の音が聞こえたような気がした。
おわり