そんなことあるかよ
誰かに見られてたら、どうする!?
大丈夫だって。
そう言っていた矢先のことだった。そんな奇跡的な、偶発的な、悪意の無い最悪は突然やってきた。
びっくら仰天。俺の家の玄関の入口手前にクラスメイトである賢吾が立っていたのだ。俺と実羅は微動だに出来なかった。このまま固まっていていれば、ワンチャン無視されるんじゃないかなんて思ったからだ。
賢吾はいつもの手提げカバンとラケットカバーを肩に掛けてこちらを見つめている。
一瞬、彼は合点が合わないのか無表情だったが、数秒で理解してこちらをニヤニヤとした顔で煽り始めた。
「あれれぇ、お二人さん。こんな時間にお家デートですか?」
はい、無理でした。
こんな時間?気付けば日は落ちて、薄らと星が見えるほどの夜になっていた。そんなに時間経ってたのかよ。
「やったな宗一。こんな時間にお家に誘うなんてよ、クラスでは消極的に見えて、本当は案外積極的な男なんだな!」
しばらく、動揺と事態の激変に追いつかずに止まっていた口がやっと動く。
そして、漸く渋滞するように詰まっていた言葉が喉から一気に駆け抜けた。
「いやっ!そういうのじゃないから。別にやらしいことをするつもりじゃないから!」
YES or NO で応答すればよかった質問を焦っていたせいで多弁に返してしまった。それが重大なミスだったことに俺は言い終えて即刻気付いた。
墓穴を掘ったな。と顔で訴えかけるように賢吾は俺に弛緩した笑みを浮かべる。
「いや、俺なんも言ってないよ?決して、やらしいことをするか?なんて訊いてないんだけどなぁ。」
良いネタを新たに仕入れたみたいにこいつは高揚し始める。そして、そこん所は詳しく訊かせてよ、と素早くメモを取り出してクエッションを投げ掛けてきた。
この状況、どうしようか。
救いを求めて実羅に振り返る。
実羅は赤面した端麗な顔を俺と賢吾から目を逸らし、小声で"宗一君、そんなやらしいこと考えてたの?"とうっかり漏らしたように呟く。
これはうっかり漏らした訳では無い。ウブで清楚な彼女に見せる為にわざとやったことだ。
だが、賢吾はそれに気づく筈もない。その言葉に敏感に反応し、俺を見改めるように――――
「いや、彼女に何も言わずにお家デートとは、やっぱ大胆だなぁ、宗一は。主導権を握っておきたかったのかな?」
遂には、興奮のあまりか意味わからない言葉を繰り出してきた。
「いや意味わからんし、俺がそこまで動ける程根性あると思うかよ。」
「宗一くん。私の前だと、意外と積極的なんだよぉ。いっつもリードしてくれるしね。」
えへへっとほんわかした笑顔を浮かべる実羅。いや待てや、なんでお前俺側につかないんだよ。
その言葉を聞くやいなや賢吾の暴走が始まった。
「あれれれ?おっかしいなぁ。意見が食い違ってるぞぉ?」
「いや!こいつの言葉は信頼すんな!」
「ひどいよォ。宗一くんそんなこと言うの?」
(ノД`)シクシクと擬声語を使ってあからさまな泣き真似をする。
コイツ、どんだけ俺を混乱させるんだよ!もしかして普段の俺の横暴な命令にムカついてたのか?
そんな渾沌な状況にしどもどしている俺を堪能し――――
「いや、まあとりあえず仲睦まじくて何よりだよ」
煽り文句が尽きたのか、冗漫なこの状況に飽きたのか、垢抜けていくように平静な賢吾に戻っていく。
少しほっとする。だが、それも束の間。次に賢吾はとんでもない質問を投げかけてきたのだ。
「所でさ、お前ら突然現れなかったか?」
? どういうことだ。イマイチ言葉の意図する内容が掴めないんだけど。
俺が?みたいな顔をしていると賢吾はわかりやすくするために詳しく説明する。
「いや…今瞬間移動的な感じで突然ここに現れなかったか?」
!!!!
心臓が飛び跳ねる。一瞬、心臓の跳躍に合わせて足も少し浮いた。
なんてこった!1番忌避すべき事態が起こってしまった。あまり沈黙を続けると賢吾に不審がられる、とりあえず動揺を隠して、否定しないと。
「何言ってんだよ!そんなことあるわけないだろぉ?」
俺はこいつと鉢合わせてから初めて、あからさまな笑顔をつくった。だが、賢吾は俺の笑顔とは対照的にイヤ、だって今までなんの存在も感じなかったのに突然降って湧いたように声が聞こえたから…"と至極真面目に返す。
賢吾は冗談で言っているのではない、本気で尋ねているのだ!
どうするのが適切か、内心のあたふたを覆いかぶせるように笑顔を繕い何とか考えるが、上手い返答が見当たらない。
このまま沈黙が続けばまずいことに!
背後のオーラが毒々しい何かに変わっていく。さり気なく振り返るが、そこには今あった清楚な彼女の姿はない。賢吾から見れば、それは普通の表情なのだろう。だが、色を少し失ったその瞳は彼女の表裏の代わり映えを幾度と目にしてきた俺なら一瞬でモードチェンジしたことに気づくことが出来た。
彼女が俺の隣まで近づいてくる。
?そして彼女が耳元で囁いてきた。
「こいつ、殺しても大丈夫?」
耳と耳を鉄棒か何かで串刺しにされたのでないかと思うほどの衝撃を受けた。
そして、戦慄する。
ヤバい、実羅は本気だ。こいつの今の目はあの時俺を斬ろうとした時と同じ。躊躇も迷いも無い、圧倒的な殺意を宿している。
俺はもちろんそれを容認することは出来なかった。
「おっけぃなわけないだろ!」
小声で叫ぶ。
無理に決まっている。こいつは俺の大切な友人だ、そう後付する。
「少しでも不審に見られたら、この先が危ない。そいつがもし変なことを口走ったら、それを聞いた人間ごと消さなくちゃならなくなる。」
「もっとスマートな方法無いのかよ!?瞬間移動みたいにさ、賢吾の記憶改竄とか。」
「無理。瞬間移動だってあなたのような私を"認識"した人間のみに使える技だから、彼には使えない。」
実羅は左手を後ろに回す。
次に彼女の手中で起こることに俺は顔を顰めた。
実羅の左手にあの時、神社で見た同じ鎌が現れたのだ。前より一回り小さくなったそれは草をむしり取る時に使う鎌と同じくらいの大きさだ。
それを背中に隠し、少しずつ実羅は健吾へ前進する。賢吾は少し怪訝そうに実羅を見つめていた。
まじでまずいって!!――――――
遂に賢吾と実羅の距離が鎌一振で首を切り裂けるくらいの距離に達する。
「どうした?霞浦。」
カウントダウンはとうに始まっている。"最悪"は刻一刻と足音立てずに賢吾に近づいていたのだ。
俺は焦った脳を雑巾絞りのように捻り、案を思案する。そして、秒単位で捻出した案を秒単位で捨てていく。それを続けて早4秒ほど―――――――――ある!この状況を打開出来る方法が!なんでこんな単純なことに気づかなかったんだよ。
実羅が背後から凶器を取り出し、賢吾を斬りつけようとする刹那―――
「何言ってるんだよ!賢吾、俺達は今から帰るとこなんだぜ?」
実羅の鎌の柄を掴んだ手がそのまま停止する。そして、俺をギラりと見つめる。
賢吾は拍子抜けしたように口をへの字に曲げた。
俺は瞬間的に浮かんだ出鱈目を色付けるように早口で補足する。
「ほら!俺さ実羅に相談があって10分くらい俺ん家で話聞いて貰ってたんだよ。だがら、今出ようとしたとこでさ!玄関側に俺達が向いてたのは忘れ物があったからなんだよ。」
ポカーンとした空気が充満した。生暖かいような寒いような、そんな空気だ。乾いた汗が染み付いたシャツが冷えて、冷え冷えする。額にジリジリと汗をかきながら、俺は返答を待つ。
「あっそーなの?それを早く言ってくれよ!お家デートのイチャイチャも未来形じゃくて過去形だったってことなのね。」
どうやら通じたらしい!
?? まあ、誤解解けたなら成功だな。
実羅の隠していた鎌も砂が風で舞うように静かに消えていく。こいつも出来れば殺したくはないらしい。
「ま、そういう事だから。お前ももう帰れよ。」
これ以上賢吾が変なことを言って、不測の事態が起こるのは避けたい。早く帰ってほしい…いや帰れ。
「そうだな。課題も全くやり終えてないし、そろそろ帰るか。」
"彼女水入らず"の時間を邪魔して、悪かったな。と付け足して、彼はオレンジ色が滲む地平線の方角に歩いていった。
1つだけ言いたい、変な諺つくるな。
これに関してはカラオケかどこでマイクの音量MAXで叫びたいくらいだ。あいつの煽り方のどこが腹立つって独特な言葉選びや謎の単語を作り出すことで俺を戸惑わせてくることだ。
金輪際、煽る気満々の賢吾には会わないようにしようと固く誓った。
「さて、やっと落ち着ける。」
「そうだね。」
「ついさっきのナイスフォローだったよ。」
「自分でも思った。」
目を細め、何かを忌み嫌うような横顔を実羅はつくる。
「ついさっき、宗一が止めなきゃ殺してた。余命神告でもない、絶対なる死のためでもない。私の都合で。」
感情を押し殺したような低い声が耳をつつく。その声はとても悲痛な色を帯びていて、懺悔のようなものに聞こえた。
「心配すんな、俺が止めたんだ。」
本当にこんな返答が正解なのか、俺が言いたかった台詞はこんなことなのか、言い終えるまで分からなかった。
ただ、玄関のドアが高校入試の面接の時みたいに重かったのだけは確かな感触として掌に残る
――――――――まさか俺と実羅と賢吾の3人で、一緒に部活を創設するなんて、この時には夢にも思っていないかった訳だけど。