悔いを残さずに生きたい
――はずだった。
満遍なく、黒で塗りつぶされた刃が少し動かせば目を割くんじゃないかってくらいの目の前で止まっていた。
目と目の間がこそばゆくなる。脂汗が額から流れ落ちる。
やばい、殺されるのか?いや、ならなんで今の一振で殺さなかった…?
考えがまとまらずに沢山の濃厚たる不安が俺の頭の中で波のように広がり、錯乱を起こす。
しゃっ謝罪するしかない。
「わっ悪かた……変なもの見ちまって。」
カタカタと歯が震えて上手く言えない。
俺は実羅と目を合わせるのも怖くてただただあの時と同じ茜色の夕日が浮かぶ空に視線を逸らした。
向こうは無言のままだ。ただ刃を微動だにさせないまま構えているのだろう。
無言の圧力が俺に"こっちを向け"と言っているようだった。
…意を決して、空を写し出していた視界をそのまま彼女の顔に滑り下ろす。
彼女、霞浦実羅はさっきとは違い、少しだけ弛緩した瞳をこちらに向けていた。
だが、依然として敵意は抜かりない感じだ。俺に刃を隔て、睨みつけている。……どうすりゃいいんだ?
「まさか、こんな所まで着いてくるとはねぇ。ストーカーさん?
神社の境内で諦めると思ったけどここまで来るとは心外だった。」
実羅は周りの寂れた遊具を順に見回しながら言う。
俺は腕に毛虫が止まっていた時みたいに仰天した。
思いっきりばれてたんじゃねえかぁ!!
今までの尾行が全て相手からは筒抜けだったのか、そう思うと自分の計画の杜撰さに今更後悔した。
そしてふと思う。
知っていたにも関わらず俺を無視し続けていたのか?
…かさぶたを抉られるみたいな小さくも鋭い痛みを感じた。
実羅からしたら俺はあしらうにも足らない存在だったらしい。
まあ考えてみれば"ストーカーさん"の俺にどうこう言う嘆く資格はないのだが。
「途中で諦めてくれれば良かったのに…ごめんけどここまで見てしまったらタダでは帰せれないよ。」
その声のトーンは明らかに学校にいる時のそれとは異なっていた。
「実羅……お前…一体何者だよ!」
震えは止まない。恐怖は増幅しつつある、少し力を抜けば膝が崩れ落ちそうな程の恐れが俺を侵食している。
今、俺が彼女に聞いた質問だって正気を保つために話さずにはいられなかったものだ。だから今も頭に浮かんだ言葉を繋げて絶え絶えと話そうとしている。
それに何故だか質問している間は何もされないと思ったのだ。質問してる間に攻撃とかKYすぎるし…。
いや、そんな戯言をいえる状況ではないのは痛いほど分かっているはずだ。
「何者だと思う?ストーカーさん。」
クスッと静かに嘲笑いながら言う。
ストーカーさん。とても不快な響きを持った言い方だ。事実、俺は"ストーカーさん"だ。だけど彼女の言い方はより一層、俺が気持ち悪い人間であるのを自覚させようとしている言い方なのだ。
多分彼女もそれを狙ってあんな言い方をしたのだろう。
俺は温い唾を飲み込み返答した。
「殺し屋?」
「外れ、惜しいけど遠い。」
どういう意味なのだろう。
「もっと無いの?まあ、今のあなたの考えには留まらない答えよ。」
「ぜ…全然分からないな」
すると実羅は幻滅したような顔をして、"そう"とため息をついた。
「死神よ。」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。ただ、それを聞いて、俺は動転したとしか言えない。
死神?霞浦実羅が?
今、人類は神と"共存"している。そんなことは常識の範疇だ。
ただ、その神の一派である"死神"が目の前にいる彼女なのだと、信じれるはずがなかった。
今まで教室で、のほほんと過ごしていた彼女が、クラスメイトから人気の的となっていた彼女が。…人の命を攫う死神だって?
どれだけ考えても2つの像が重なる気がしない。いや、重ねれるはずもないんだ。
「そんなにびっくり?まあ無理もないか。好きな人が死神だったなんて私だったら信じれないもん。」
「じゃあ、今君がしていたことって……」
「そっ、命を頂戴させてもらったの。誤解しないでね、決して無差別に奪った訳じゃない。最終的に"彼の了承を得てやっている事だよ"。」
遂に実羅は人の命を奪ったと公言した。
悲しみは湧かなかった。ただただ、彼女が今言った既成事実みたいなものを飲み込むことに精一杯なのだ。
頭の理解とは比べれないくらい感情の整理が遅かった。"喜怒哀楽"、それらが抜け落ちた俺はぼろ人形みたいな気分に陥った。
―だが、本当にそんなこと有り得るのだろうか?
俺はふと、そう思った。今のは俺が勝手に見た幻想なのではないか? こいつ、俺に催眠術でもかけたんじゃねえのか…?
この2つを連結させると意味わからないし、なにより現実的では無い。
だが、俺はそう信じたかった。俺の初恋の相手がどんどん歪んだものに見えてくるのを止めたかったのだ。
「証拠…そうだ!証拠を見せてくれよ!いきなり死神だなんて、何言い出すんだよ?ほんとなら何か証明をしてくれよ。」
すると、ずっと俺に向けていた鎌を彼女は静かに下ろした。
彼女は無言だ。…痛いところを突かれて反論出来ないのか?
「あなたの余命は今日から1年よ。これでいいかしら。」
「は?」
彼女はじっとりとした目をこちらに差し出すように向けて言った。
何を言い出すんだ、この女は?ついに俺のこと、からかい始めたのかよ。
驚きを通り越して、最早憤りを感じる。俺は自分なりに強い剣幕を発して彼女を威嚇するように言った。
「おい、お前何言ってんだ?流石にそれは不謹慎だし、失礼とか考えないのかよ?」
「不謹慎も失礼もなにも、"事実"なの。」
こいつ、1発ぶん殴ってやろうか、刃を降ろした今ならそれも不可能ではないだろ――
「あ!!!!」
ビク!Σ(;´Д`)
突然、間髪入れず彼女は奇声を上げ、叫んだ。
あまりにも突然過ぎて、俺は後ろに引いた拳を一旦しまってしまう。だが、実羅の顔を見て、俺は更に混乱に陥った。
彼女の表情が一変していたのだ。ついさっきの余裕ある表情は喪失し、瞼をヒクヒクさせて恐怖に怯えるような表情に変化していた。
「まっ…まずい。私何てことをしてしまったの…あぁ!本当にとんでもないことをしでかしてしまった!」
涙目で、そう呟いていた。いや、もう呟くとかいう、レベルでは無いな、俺になんで?って尋ねられたくて言ってるようにしか見えない程、けたましい声だ。
「何がだよ?喜怒哀楽の激しい女だな。」
俺は優しいから訊いてやった。
「今の宣告…普通の人間のあなたに言っちゃいけない事だったの!バレたら、私左遷させられる!どうしよぉ、ねえ!?」
「やっやべえじゃん。けど、俺に言われても知らん。」
こいつ結構どぢだな。彼女に対して感じていた恐怖はもう完全に無くなっていた。今のこいつは最早、クラスメイトの霞浦実羅に近い。
うるうると涙目を震わせていた彼女がこちらへ思いっきり振り向く。
「あなたのせい!よくもことごとく私をこんな罠へ誘ったな。私、絶対に許さないんだから!」
「いや、お前が勝手に口滑らせただけだろ!?」
どう考えても、自業自得だと思うんだが…。
「うるさいうるさいうるさい!」
黒い鎌をブンブンと振り回している彼女は駄々をこねる子供みたいで可愛らしく見えた。
…待てよ。こいつ死神なら俺の命かっ攫って行けば、あることない事有耶無耶に出来るんじゃねえのか?ついさっきの人と同じことを何故俺にしないんだ?
「それはもう出来ないの!」
「イヤなんで、俺の胸中が分かったんだよ。」
「表情見たらだいたい分かるもん。長峰が言ったそれは今の現状、ルール的にもやっちゃダメなの。」
ルール?死神にルールなんてあるのかよ。
「言っておくけど、ついさっきあなたが私を誘わなければ、お望み通り命奪ってたよ。死神って事が一般人に知れ渡れば色々厄介だもの。」
いや別に望んでなんか、いねえよ。変な捉え方すんな!
「けど、ついさっきの"余命神告"をしてしまったら、それで示した日にちに死んでもらうしかないの。
だから、あなたを殺す事はできない。運命を公表すると、そうなってしまうの。
もし、運命が余命神告により、余命が定まっていたとしても、公表していない限り、それは"運命の仮定"でしかないから、いつ死ぬかは強制されないの。逆にあなたを秘密保持の為、今殺すことも、そのまま見逃して老衰するまで和やかに生きつづけることだって可能だったの。」
「けど、もう無いの。あなたがここで殺されることも一年以上生き続けることも…無いの。
一年後の今日、きっちりその日にあなたは死んでもらう必要があるの。
」
ついさっきまでの彼女とまったくに違う。凍えるような色を帯びた声だ。
余命1年。簡単に言うとそういうことだった。
頭の中がおもむろに震える。確立してしまったのだ…俺の死が、一年後に。今日は6月27日、てっことは来年の今日には俺は……。
冷や汗がシャツに滲む。唐突過ぎて涙はまだ出てこない。
「一年後に…俺は死ぬのか?絶対に。」
あまりにも物事が非現実的過ぎて、ハッキリした感情は浮き出てこない、どっぷり心の奥に感情が沈んで、そこがはち切れて穴が空いたみたいだ。
ただ、俺は呆然と彼女へ質問することしか出来なかった。
「ええ、そうよ。何があっても抗えない。残念だけど…」
彼女は冷淡に答えた。
"残念だけど"?
元はと言えば、お前が口を滑らしたせいだろ。お前があの時、余裕ぶっこいて、あんなこと言わなければ、俺の死は確立しなかったかもしれないのに…!
こいつの言う通り、余命神告を使わせるまで導いたのは紛れもなく俺だ。ましてや俺がストーカーなんて馬鹿げた行為しなければ、ことは起こらなかった。
けど俺は許せない。こいつを、俺の人生にピリオドを打ったこいつを。
その時、悪魔と天使、どちらとも取れる何かが俺に知恵をさずけてくれた。
突然、飄々と降って湧いたように俺は思いついた。こいつを―俺の”初恋の相手”の彼女にとって、1番はた迷惑な方法を―
「絶対死なせないって…交通事故とか防げないだろ。」
「まっまあ、その通りなんだけどね。でも何とかして助ける!」
「しかもお前は秘密保持のために殺したくても、もう殺せないし、むしろ俺を守り続けなければならない。これから"どんな腹立つことしても"お前はやり返せないってことだな?例えば、"奴隷”にしても。」
俺がそう言うと、実羅はビクッと小鹿のように震えた。
ふっ…計画通りの反応だなニヤリッ。
「まあ、それはほんの冗談だ。だけど今の反応からして、それも可能なのが分ったよ。」
ニタリと俺は笑ってやった。それを見て、彼女は歯切れの悪い顔をした。
いいぞ、してやったぜ。
「お前の秘密も保持し、俺がちゃんと一年後に死ぬ案がある。」
すると彼女は瞳を輝かせ、俺に"ほんとに!?”と叫び、擦り寄ってきた。
「教えて!なんでも協力するわ。私には死神のみ与えられる”力”もあるし、大抵のことは楽勝よ?」
「そうか、なら俺の彼女になってくれ。」
。。。。。へ?
実羅は一瞬で固まった。
今度は前のようにおどおどせず、強引な口調で言った。あの時とは違い、今度は付き合えるという確固たる自信があったからだ。
だが、今の俺は彼女に恋愛的意識はもうない。
なら、何故こんなことを言ったかって?
それは俺の人生を悔い残さずに終わらせるために必要だったからだ。