届けられた贈り物
ミズキはあまりの展開に呆然としていたが、フと我に返って、大きく溜息をついた。
「あのね、守護霊になるってどういう事かわかる? そう簡単になれるもんじゃないんだから」
(ダメですか? 私、なんでも頑張りますからっ)
「いや、頑張るとかそういうレベルの問題じゃなくて……」
(じゃあ、どういうレベルですかっ? 教えてください!)
先導霊というのは、突然、あるいは病気などで前もって死期が近づいている人について、彼ら彼女らが迷わずに天上界へと向かうように落ち着かせ、場合によっては説き伏せてその名の通り先導していく役目を与えられた霊だ。
大抵の場合、死んだ者は生前関わった人達に別れを告げると、素直に先導霊に従って天上界へと上っていく。そこでまず、生前での行いを振り返りつつ、魂についた垢を削ぎ落とし、それぞれが学ぶべき階層への行き先が決まる。
下の階層では、その世界は見た目は現世とは然程変わらないし、仕事も用意されている。もちろん性別の区別もある。しかし上の階層に上がる度に魂は自然と調和し、宇宙と調和し、全てと調和し、性別の区別もなくなり、ただ「在る」存在となる……らしいが、先導霊のミズキはまだ下の階層にいる為にその真実はわからない。そして階層が何層あるのかもわからない。自分はただ、今与えられた仕事をするだけなのだ。
「そうは言っても……」
(そんな事、私にもわからないし……)
戸惑うミズキに畳み掛けるように楓は言い放った。
(教えてくれるまで、私、成仏しませんからっ)
言うが早いか、楓はそのまま不安極まりない飛び方でフラフラとその場を移動した。
(飛んでる……本当に私、死んだんだ……)
降り立ったのはカオリの隣。こんなに近くにいるのに気付かれない自分。その事実に楓は堪らなく悲しくなった。
(一緒に舞台観て、そのあと一緒にお茶して、感想言い合って……っていうのがセオリーだったのにね)
「カエルん……」
(え? もしかして、カオリ……私が見える?)
「このプレゼント、私がちゃんと会場に持って行って、伊織くんに渡して貰うからね……きっと使ってくれるよ。いつも一生懸命伊織くんを応援していたカエルんのプレゼント……きっと」
見えてはいない。
けれど、私の気持ちはわかってくれている。
(ありがとう、カオリ……)
不意に背筋に視線を感じて振り向くと、あの雑貨屋の店主が扉の奥のカーテンの隙間からこちらを見ていた。
(知っていたんですか? 私が死ぬって。1番大切なものを失うって、命の事だったんですか?)
見えるはずのない店主に心の中で問いかける。
何故だか口元が笑っているように見えた。
(ついて来ないでください)
「とは言っても、あなたを先導して天上界へと連れていくのが私の役目ですから」
(チケット、買ってないでしょ?)
「え?」
(ここ、劇場なんです。私、チケットちゃんと買ってますし。半券切っては貰えないけれど……)
「まさか、舞台観る気? 死んだのに?」
(良いじゃないですか、成仏しないって決めたんですから。最前なのに伊織くんに気付いて貰えないのは寂しいけれど、伊織くんの舞台は観たいんです!)
ミズキは何か言いたげな視線を向けていたが、諦めたように小さく溜息を吐くと、「ではご自由に」と言い残し姿を消した。
少々申し訳無い気もしたが、楓は舞台会場の受付を先に通り抜けたカオリを追って会場の中へと入った。
劇場の端の方には終演後に感想やアンケートを記入出来るように長机がいくつか配置されていた。カオリはその1つへ向かうと、小さなポーチから新しいメッセージカードを取り出して何かを書き始めた。時折、涙を拭いながら。そのカードを楓の用意したプレゼントの袋に忍ばすとカオリはプレゼント受付場所へと向かった。
「仲山伊織さんに渡してください。友達から預かった大事なプレゼントです……あと、ついでにこれも」
自分の用意したプレゼントを『ついで』と言って渡すカオリに楓はなんとも言えない気持ちになった。カオリだって、伊織くんの事をいっぱい考えてプレゼント用意したのに……と。
受付の人は「わかりました、お渡ししますね」と、にこやかに受け取り、プレゼントを彼の名前が書かれた段ボールへと入れた。
座席を確認すると自分の席は最前のセンターブロックのやや上手よりという良席だ。ここを見た目とはいえ空席にしてしまうだなんて、なんて勿体無い。出来る事ならカオリに譲りたいけれど、伝える事も出来ないし、彼女の性格上勝手に座るなんて事もなさそうだ。
(空席じゃないからね、座ってるから!)
言い訳にもならない言い訳を頭の中で繰り返し、楓は舞台の開演を待った。
舞台は期待通り面白く、2時間少々があっという間に過ぎていった。けれど、終始私の目からは涙が溢れていた。感動する場面もあったし、面白くて笑い過ぎて流れた涙もあるけれど、何よりも、もう会えないんだと、もうさよならなんだと、もう応援出来ないんだと、その想いが延々と心の奥から湧き上がり頭を過っていった。
カーテンコールで演者達が舞台に1列に並ぶ。
彼に贈る最後の拍手だ。
楓は聞こえないだろう手を精一杯鳴らし続けた。
ほぼ真ん前に伊織くんがいる。
大好きだったよ。
ありがとう。
これからも空の上から応援してるよ。
頑張ってね。
きっと言いたい事はこんなものじゃないけれど、楓は今思いつく限りの言葉を乗せて手を打ち鳴らす。
客席1つ1つに目を配っていた彼は、私の空席を素通り……せずに凝視した。
「えっ……」
マイクにさえ拾われないほどの、空気にも近い驚きの声。
見開く目。
(え……?)
数回、瞬きをしながら最後の挨拶を終え、はけるその瞬間いま一度彼はこちらを見た気がした。
(なんだったんだろう)
あんな良席が空席だった事に愕然としたのだろうか、だったらごめんね。でも、いたんだよ。ちゃんと座って観てたんだよ。
死んだら相手の心が読めると思っていたけれど、案外そうではないんだなとぼんやり思いながら、楓はもう姿の見えなくなった舞台袖をしばらくの間見つめた。
客席を出て、カオリを探そうとフと目を配ると、関係者以外立ち入り禁止の看板が目に留まった。
(控え室だ……)
ほんの少し欲望が顔を覗かせる。
(死んだんだし、誰にも見つからないんだよね……あ〜でもなぁ……やっぱりそうは言っても良くないよなぁ……)
心の中で天使と悪魔が戦っている。理性が勝つか欲望が勝つか。
(やっぱり、ダメだよね)
すんでのところで理性が勝って、楓は頭を振り払い、カオリを探そうと回れ右をした。
「合格!」
(うわっ! ビックリした……な、なんなの)
突如、その前に姿を現したのはミズキ……と、もう1人。
(ミズキさん、諦めて帰ったんじゃ)
「帰りたいのはやまやまだけど、私には私がやらなければならない仕事があるんです。あなたを連れていくという」
(だからそれは!)
「あなたがのんびり観劇している間、指導霊様にお伺いを立てにいってました」
(指導霊……もしかして?)
ミズキの横に視線をずらして見れば、ニッコリと微笑んだ女性の姿。
「初めまして、水野 楓さん。私は指導霊のタミルと申します」
指導霊とは下層部で生活する霊魂を文字通り指導する役目を担っている。彼、彼女らはこの役目をやり遂げた後、1つ上の階層に移動する事が出来る霊魂だ。
この階層ではの最終判断は指導霊に委ねられており、自分で判断に窮する問題は指導霊に判断を仰ぎにいく。
ミズキも楓の申し出に、自分1人で対応出来ないと判断し、タミルに助けを求めたのだ。
「この度は本当に突然の事で驚かれたでしょう? ミズキから話は聞いています。仲山伊織さんの守護霊になりたいとか」
(はい、生きている間も、たいした応援出来ていなかったけど、それでも彼の役に立ちたいんです……)
「守護霊に人数は決まっていません。また、血縁者でなくとも可能ではあります」
(じゃあ……!)
「ただし!……その資質といくつかの条件を満たさなければなりません」
(資質と条件……?)
「守護霊と、守護する人との相性はもちろん、守護霊となる方の魂の成長度、そして時に優しく時に厳しく、全ては守護すべき方の魂の成長の為に考え行動出来るか…そういった色々な条件が揃って、パートナーが決まるのです。その人が好きだから、近くにいたいから、離れたくないからなどという不純な動機や己が欲の為になど、到底なり得るものではありません」
(そんなつもりは……)
無い……と、言えるだろうか。いや、言えない。全くもっての澄んだ魂であるならば、先程の様に迷う事などないはず。
(無い……つもりではいましたが、やっぱり私にも欲はあります……決して汚れの無い聖人君子ではありません……)
ダメだ……。
そう理解した途端、抑えていた感情が爆発したかのように、楓の目からは涙がとめどなく溢れた。
「合格です」
(え……?)
楓の言葉を聞いたタミルはゆっくり頷くと優しくそう述べた。
「どういう事ですか、タミル様」
「守護霊になる条件は物事の本質を正しく掴める事、そして自分を正しく理解している事。そして、完璧では無い事も含まれるのです」
「完璧では無い事?」
「守護霊といえど魂を磨く修業中の霊魂、つまり、修業である意味が無ければならないのです」
「ああ、なるほど!」
納得するミズキを前にポカンとしている楓にタミルは簡潔に伝えた。
「つまり簡単に言うと、あなたは守護霊になる1つの試験に合格した……と、いう事です」
(本当ですかっ⁉︎)
「とはいえ、合格したのは条件の一部に於いてに過ぎません。さあ、ついて来てください。あなたに会わせたい方がいます」
(会わせたい方?)
「現在の彼の守護霊ですよ」
どういう事だ……。
衣装は脱いだもののまだメイクも落とさず、仲山伊織は1枚のメッセージカードを見つめていた。
「仲山さん、ファンの方からのプレゼント、こちらに置いておきますね」
「ありがとうございます」
プレゼントや手紙でいっぱいになった段ボールを開演前、劇場スタッフが控え室に運んできた。いつも帰ってからゆっくりと手に取るのだか、1番上に乗っていた包みになんとなく手が伸びた。
紙袋の外に貼り付けられたカードが目についたからだった。
『最後の贈り物』
小さなカードの封筒に書かれた文字。
こんな仕事をしていると、気がつけばいつも見かけていたファンがいなくなる事も、手紙が途切れることも当然のようにある。きっとそれは自分の努力不足だったり、自分よりも気になる相手が見つかったりで仕方のない事だから、突然くる最後にいちいち落ち込んではいられない。
けれど、紙袋の中から見えた封筒には見覚えがあった。いつも同じ封筒で宛名の横に同じカエルのシールを貼って手紙を送ってくれる人は1人しかいない。
「カエルさん……?」
意外だった。
ありがたい程にとても熱心なファンで、いつも「ずっと応援したい」とメッセージをくれていた。彼女の考え方は少し独特で他の人には無い所もあり、新鮮だった事もあって、顔も名前も早くに覚えた人だった。
「飽きられちゃったかな……」
口では仕方ないという言葉を呟きながらも、何処かで「嘘だろ?あの人が?」というショックが少なからずあった。どんな事が書かれているのか…少し筆跡の違う紙袋の外に貼り付けられたカードに目を通した瞬間、足元が崩れ落ちたような気がした。
「嘘……だろ……?」
(死んだ……?)
カードにはカエルが今日ここに来る前に死んだ事、本当はセンターブロック最前の席で観るはずだった事、死ぬ直前に伊織へと買ったプレゼントをどうか受け取って欲しいという事が書かれていた。差し出し人の「カオリ」にも伊織は覚えがあった。
こんなタチの悪いイタズラを言う2人じゃない。と、いう事は……
「カエルさんが、死んだ……」
控え室で今、手紙を読む気分にはならなくて、プレゼントの包みだけ開けてみた。
そこには月をデザインしたネックレス。
以前貰った手紙に、彼女がよく自分の事を月のようだと書いていたのを思い出した。
『伊織くんは月みたいに、どんなに気分が落ち込んで暗い夜も、優しい明かりを届けてくれるんです』
まさかと思った。
泣くとは思わなかった。
ネックレスを手に握り締めて、暫く声を殺して俺は泣いていた。
開演までに直したメイク。演じるのはサスペンスコメディだ。しっかりしろ!そう自分に言い聞かせ立った舞台。そしてカーテンコールで俺は目を疑った。
「えっ……」
(カエルさん……⁉︎)
最前列のその席に確かに座っていたその人は、死んだはずの人だった。最後に会いに来てくれたのか、単に自分が疲れているのか、ショックが大き過ぎて幻覚を見たのか。
他の出演者が支度を終えてどんどん戻って来ると、ずっとこうしている訳にも行かず伊織はゆっくりと立ち上がり、メイクを落として帰る準備を始めた。最後に、自分がしてきたものとは違う、新しい月のネックレスを首に掛けると「先に帰る」と言い残し、控え室を後にした。